たとえば好きな人のことを。

たとえば好きな人のことを想ってみる。

(思いがけない待ち時間や、約束をすっぽかされたときや、なんでもない退屈な昼下がりに、猫とにらめっこしているときや、まぁ、とにかく、そんな空っぽな時間のあいだに。)

それが親だったなら、心配させているのかなぁって思う。それが恋人だったなら、やっぱり好きなんだなぁって思う。それが異性の友達だったら、ちょっとばかりうろたえてみる。それが初恋の人だったなら、まぁ、たまにはいいかと思う。

たとえば嫌いな人のことを想ってみる。

それがもしも親だったなら、あれは自分のせいだからと思う。それがもしも友達だったら、いつか仲直りできるからと思う。それがもしも自分だったなら、まぁ、これは仕方がないかと思う。それがもしも恋人だったら、ほんの少し打ち消して、それから少し泣いてみる。

たとえばとても好きな人が、たとえばどこか嫌っていたり。たとえばとても嫌いな人が、たとえば本当は好きだったり。

この心は頼りなくて、どこか当てにならないから、いつもそんなことばかり、心のすみっこで考えては、悩んでたり泣いてたり。なんてまどろっこしいココロなんだって、しまいには自分を叱りたくなる。

でも、それが、後になって、本当の”生きてる”意味だったりするから、人生は、ただの苦しみなのか、それとも単純でどうにでもなるのか、なんだかよくわからなくなる。

泣いたり笑ったり悩んだり、答えはいつも、約束のようにその後にやってくる。その後にやってくることを、人は心のどこかで知っているから、いつしか泣いたり笑ったり悩んだりを、ずっとずっと繰り返しながら、その答えを心のどこかで、待ちわびているのかもしれない。

この短い人生が、あるいは長い人生が
ずっとずっと、遠い星の
その未来まで続くように
私は小さな星で願う。

たとえば今、
愛している人のことを想ってみる。

続きはあなたの、心の中で。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一