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とんでもない上司とその背中

今思えば、私がまだ若かった頃、あの時の上司はとんでもない人だったなと思う。

私がまだ、電器売場店員の新入社員だった頃、それは私にとっての最初の上司だった。私は、その上司を見ていて、一番偉い上司は、売場にいなくても接客もしなくても、まったく構わないものと思っていた。

だって、いつも裏方でふんぞり返ってイスに座ってタバコを吸って店の女の子とおしゃべりして、たまに書類を見ないで印鑑を押して、店長が来たら私を怒鳴ると言う始末だった。

今思えばだんだんと怒りが沸いてきた。たまに接客していると思ったら若い女性のお客さんとだ。しかも時間をかけて、笑顔を振りまいて。年配のお客さんは、いつも私が任された。それが当たり前と思った私がとてもウブだったのだと思う。

あの頃は私にとって緊張の連続で、その上司のいい加減な態度を不思議に思う余裕がなかった。それにその上司は、パンチパーマに色黒の顔、黒縁のメガネという中年男性で、それが怖いくらいに似合ってた。

その上司は説教がとても好きだった。夕方になると、私はいつもその上司の城ともいうべき裏方の部屋に呼ばれた。

「お前はどうしてそんなに気が小さいんだ。
それで接客が出来ると思うのか!」


よく私はそう言われた。確かに私は今でもそうだが気が小さい。いつもそんなふうに叱られながら、時として私は泣いていたのだった。

今思っても、とんでもない上司だったが、新入社員だった私は、よくお客さんを怒らせてしまい、その度に私はその上司に助けられていたのだった。あんな上司でも、クレームのお客さんに対しては実に真摯な人だったと思う。

あんなに偉そうにしている人が、私の為に頭をペコペコ下げている。私はいつもその上司の背中を眺めていた。私はそんな上司の後姿に、知らないうちに泣きたくなっていた。

「お前はやさしすぎるんだ。きっと接客には向いていないな。店員はやさしいだけじゃ勤まらん。お客にはいろんな人がいる。やさしいだけじゃお客は満足しない。逆に付けこまれることがある。俺達は商売人でなければならない。商売はつまり、バナナの叩き売りなんだ。声を張り上げ、その気にさせてお客さんの財布の紐を緩ませ、お金を出して買っていただく。そこから俺達は給料をもらうんだ。お客さんをダマさなきゃ、どんな手を使ったって構わないんだ。うん?それは違うんじゃないか?という顔をしているな?ははは、お前らしいな。もちろん、どんな手と言ってもひとつだけ条件がある。それはお客に喜んでもらうと言うことだ。わかるか?」

・・・わからなかった。その時の私は。

なんて乱暴な言い方だろう。それが正しいなんてとても思えない。日頃、仕事もしない人が何言ってるんだ?くらいにしか私は思わなかった。

ある日、私は重大なミスを犯した。
カメラ売場で、お客さんが撮ったカラーフイルムを誤まって感光させてしまった。(まだ、デジタルカメラがなかった頃のことだ)撮った写真がすべて台無しになってしまったのだ。

当然お客さんは怒った。うん十万円の損害を受けたから弁償しろと言う。私は泣きそうになりながらも、そのお金を自分で弁償しようと思った。そして、できもしない約束を簡単にしようとしていた。しかし、そんな私をかばうように、上司は私の目の前で頭を下げたのだ。「申し訳ございません、申し訳ございません」と叫ぶように何度も頭を下げていた。

その背中には、何か強い意思のようなものを感じた。私は泣いている場合じゃなかった。私も一緒になって頭を下げた。心から、心から・・・。

やがて、そのお客さんは、「実はそんなに大事な写真じゃないから」と正直に言ってくれた。上司の真摯な態度にきっと、自分のウソが我慢できなくなってしまったのではないかと思う。上司はお詫びとして、フイルム数本とアルバムをお客に渡した。心から感謝をしながら。

よかった・・・と私が胸をなでおろしていると、そう思うのも束の間で上司から大きな雷が落ちた。

「自分の金で解決しようなんて思うんじゃねぇ!バカモノが!商売人になれとあれほど言っただろうが!」

顔を真っ赤にして私は怒鳴られた。今だから言うのだが、あの時、私は上司に殴られた。二度も。でも、私はそれであの人を憎いとは思わなかった。その時の私は、不思議と誰かに殴って欲しいとさえ思っていたからだ。あの時、あの上司がそれをわかっていたかどうかは、今は知る術もないが。

・・・・・・
それからしばらくして、その上司は転勤になった。はるか遠い場所だった。噂によると、実は経理課の女の子との不倫がバレて飛ばされたのだそうだ。何も知らなかった私は唖然としてしまった。その代わりに来た上司は、物静かなやさしい人で、私は二度と説教をされることはなかった。それはそれでうれしいはずなのに、どこかつまらなかったのを覚えている。

今もあの上司が説教の中で言った言葉は、どこか間違っていると思うが、でも、「商売人であれ!」と言う言葉には、どこか生温い仕事をしている私にとって、思わずピンと背筋を伸ばしたくなる思いがした。

背中で本当に大切なことを教えてもらったのは、今もあの上司ひとりだけだと思う。

たぶん、今はもうあの人は、この仕事はしていないだろう。なぜか、そう思うのだ。でも、今日もどこかで、どこかの職場でふんぞり返って、若い誰かを説教していることには違いない。

そして私は、その若者にこう言いたいのだ。君のその若い芽は、ちゃんとその人が育てていると。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一