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微笑むことと憎しみと。

先日、奥さんとふたりで車で買物に行く途中の信号待ちで、とってもかわいい幼稚園バスが、ガソリンスタンドで給油している所を見た。(そのバスには、動物のイラストにウサギのような耳までついていた。)

その場面に、妙な違和感というか、生々しい生活感というか、変にそれがおかしくって、彼女は「なんだかまるで、かっこいい俳優さんがトイレに入ってるのを見てしまったような感じがするわ!」なんて例えて私に言っていた。

それを聞いた私は更に「僕はスーパーマンの生着替えを見たような気がするよ」なんて彼女に話していたら、ふたりとも笑いのツボにはまっちゃって、もう、お腹が痛くって涙まで出てきちゃて、そりゃ大変だった。

ふたりであんなに笑ったの、本当に久しぶり。笑うってやっぱりいいよね。最近、笑い方を忘れてる人って本当に多い気がする。確かに、笑えない世の中だけど、笑ったほうがやっぱり勝ち。憎んだり妬んだりしたら、どうあがいたって負けだものね。

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かなり昔のこと、もう時効だと思うので書いてしまうけれど、ホームページで仕事で起こったクレームの出来事を日記(本にもなった)に書いていた頃のこと、読者からのメールで、こんなのを頂いたことがある。

「死ぬほどあなたのことが嫌い」

うーん、正直、悩んだ。単なるイタズラなのか、私のことが気に入らない身近な誰かなのか。そして、こんなのも頂いた。

「これは私の書いた日記です。本の出版を止めて下さい」

うーん、更にワケがわからない。どう考えても、私が書いたものなのだけど。どうしてそうなってしまうんだろう…

あのとき、私が思ったことは、こういう人達って何か私に、サインを送っているんじゃないのかと。それが、こんな歪んだ形になって、私を不安にさせることでその人自身の不安を重ねて、安心したいのではないのかと。

それで何を得たの?と聞けば
無くしたものに気づくんだろう。

もちろん、それは私の単なる想像でしかない。不安だからといって、相手に同じ不安を与えてその痛みが和らいだとしても、不安が消えたことにはならない。ただ、倍に増えただけ。

そういうときは単純に、笑えばいいんだって私は思う。声を出して笑う必要なんてない。どんな小さなことでもいい。微笑むだけでもう、合格。

微笑みは、すべての恋愛のきっかけだ。

微笑みほど、地球を動かす感情はない。恨んだり、憎んだり、妬んだり…誰だっていつだって、そんな感情とみんな隣り合わせに生きているけど、私だって、いつもそんな感情は生まれるけれど、そんなふうになったって、きっと構わないんだと思う。あとでちゃんとあの微笑みを、思い出せればそれでいいのだから。

だから今は、それらのメールは
私へのファンレターだと思っている。

返事はあえてしていない。

きっと、彼ら彼女ら自身が
答えを見つけなければ意味がないのだから。
そしていつか、それに気づくのだろうから。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一