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自分の翼を持っている人。

フリーターの若いアルバイトが、この仕事を辞めることになった。めでたく就職が出来たらしい。「よかったな」と私は心からうれしく思った。

「ここでの仕事は、本当にいいステップになりました」

白い歯を見せながら、そんなふうに爽やかに話す彼。彼の素晴らしいところは、どんなにきつい仕事をしていても、必ず笑顔を絶やさず、一切手を抜かないことだ。私なんて、忙しいとすぐに機嫌が悪くなる。”見習わなきゃなぁ”なんて、まったく逆だけど、そんなふうに見ていた。

心では密かに、”うちの社員になってくれたら”なんて思っていたが、まぁ、彼の人生だ。いつまでもこの巣の中にいちゃダメなんだと思う。その翼を広げてもっと、もっと広い世界を見なきゃ。

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彼のように自分の翼を持っている人を、私はとてもうらやましく思う。

明日はどこの空を飛ぶのだろう。そこにはどんな見知らぬ世界が広がっているのだろう。わくわくするような明日に、彼の目はもう輝いている。私もあの頃、きっと彼のような同じ翼を持っていたはずなのに。

彼と違って、たぶん私は知らなうちに簡単に”飛行機”に乗ってしまった。自分の翼を使わないで。一体どこで、それを見つけて、私は乗ってしまったのだろうか。

その飛行機は、その軌道を外れることなく、いつも同じ空を飛んでいる。まわりには顔のない見知らぬ他人が座っている。窓から私はぼんやりと同じ風景を眺めている。同じ空 同じ雲 同じ時が刻む音。はるか遠く雷鳴が聞こえる。見えない夜がやって来る。

意味もなく不安な夜が私に押し寄せてくる。

私の背中にあったはずの翼は、折りたたんだまま使わないで、やがて退化したのだろうか?思春期の頃、震えながら翼を広げ、親から離れて、思い通りにならない人生に、意味もなく怒ったり泣いたりわめいたりした。

その結果、せっかく羽ばたいた大空から、私はくるくると転げ落ちた。悔し涙をこぼしながら、それでも翼を広げ高い空を見上げていた。今度こそは、今度こそはと、夢中で走っていた。

なのに私は、たぶん”飛行機”に乗ってしまった。まるで意味もなく、その行列に並ぶかのように、用意された切符を手に、自分の翼の存在すら忘れて。

何かをあきらめてしまう日々が、私の中で増えている気がする。”あの頃は”とつい、人が言ってしまうのは、まだ翼を持っていた頃を、遠くあこがれているのかもしれない。

”翼なんて本当にあったのかなぁ”と、ふと、私は考えてみた。もしかしたら、それは単なる私の逃避行かもしれない。

それでも私はあえてこう思う。

人は空にあこがれるけど、現実に空を飛ぶことは出来ない。神さまがどこにいるのかは知らないけれど、鳥には翼を与え、人には翼を与えなかった。それにはきっと、何か意味があるのだろう。

人は目の前の道を、自分の足で歩いて行くほかはない。その証拠に、人生は空を飛ぶように、いつもまっすぐとは限らない。山があったり川があったり、どこまでも深い谷に立ち尽くしたり、時には果てしない海原を勇気ひとつで乗り越えてみたり。

だから人生は平凡なようで、いつも夢であふれている。

翼なんて、きっと最初からなかったんだ。
そう思うと、どこか救われる思いがする。
そうか、歩くなら、まだ私には出来そうだ。

あの山の向こうには、一体何があるのだろう?そんな気持ちで今日も私は、この道を歩いてゆく。ゆっくりと、変わりゆく季節を確かめるように。

空は飛べなくていい。

背中には翼じゃなく
ひとつの勇気を抱えてゆくんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一