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心に羽根が生えている人。

いろいろと思い悩むことは多いけれど、たぶん、今のこの私には、時間が必要なんだと思う。

自分で言うのも変だけど、私はあまり、器用に生きられるタチではない。変な例えかもしれないけど、歩道で信号が赤になれば、必ず私は立ち止まっているし、黄色になっても立ち止まる。

赤や黄だとしても、どんなにそれが安全で、誰かがそそくさと渡っていても、私はひとりただじっと、赤信号を見つめている。それは本当に当たり前のことだし、私が間違っているわけじゃない。

でも、どこかが違うのではないかと私は漠然と思ってる。

これを現実世界ではなく、空想上の人生の道と仮定する。そうしたとき、果てしなく続く道に車が通る気配も一向になく、それでも私が待ちつづけているのは、一体なんのためなのだろうかと。

これはあくまでも比喩的表現だけど、時に、この人生においては、明らかなことがわかっているとき、正しいも悪いも関係なく進んでもいい時があるのだと思う。(ルール違反をすすめてる訳じゃなく、空想上の例えとして。)

うーん、どうしてもこの想いを、うまく言語化することが出来ない。どう言えば、まっすぐに伝わるのだろうか?

言葉と心のあいだには、きっと何かがあるのだと思う。言いかけてやめたその瞬間や、言ってしまった後の後悔や。心はその時、何を伝えたがっているのだろう。相手にではなく、この自分のどこか何かに。

心がとてもちっぽけなものに、急に思えて途方に暮れるとき、私はよく、夜空を見上げる。人が星に憧れるのは、たぶん、心を遠くに運んでくれるから。そんなふうに私は思う。

言葉にすれば恥ずかしいけど、でも、星は運んでくれる。これは私の正しさだ。誰がなんと言おうとも。

私が生きて死にゆくわけや、この人生の不思議さを、星々はたゆまなく運んでくれる。その場所から見下ろした時、はじめて私は本当の意味でのちっぽけな私の存在に気がつく。そして同時に、誰もが同じちっぽけな存在に、私はあらためて気づくのだ。

それでいいのだと思う。

人生は思うほど複雑でも苦しみでもない。とても単純でちっぽけなものだ。心がそれを認めてしまえば、羽根が生えたように軽くなる。大切なのは、実はそんなこと。

心に羽根が生えている人・・・

どんなに偉い肩書きよりも、私はそんな人でありたい。見えないけれど、どうしても、私はそんな人になりたいんだ。

今日も私は夜空を見上げる。

小さな羽根を広げるために
そして、魔法の言葉をそっと唱えるために。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一