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何が大切で、大切ではないのか。

あれは僕が中学1年生の時だっただろうか?ホームルームの時間に先生が「青木君の趣味は何ですか?」と笑顔で聞かれて、僕は元気よく「読書です!」って答えた。すると先生は、とてもうれしそうな顔をして「どんな本を読んでますか?」と聞かれて僕は「SF小説です!」って、また元気よく答えた。

すると先生に鼻で笑われた。

教室のみんなにも笑われて、半分泣きそうになった僕は、とても悔しい思いをしたのだった。今思えば、あれは国語の先生だったのかもしれない。たぶん夏目漱石あたりの有名な作者の本を期待していたのだろう。当然、空気も読めない素直な僕は傷つくだけ傷ついた。それにしても、当時13歳程度の少年が悔し泣きするくらいだから、相当な仕打ちだったのだろうなと思う。

星新一さんのSF小説が好きでよく読んでいた。「きまぐれロボット」なんてよく読んでたなぁ。今、手元にはないのだけど、実家にはまだ、本はあるはずだ。

SF小説の中でよく、パラレルワールドの世界が描かれることがある。この世界が何層にも重なっていて少しづつ異なる自分や世界があるという考え方だ。これでタイムマシンの矛盾が説明できたりする。例えば過去に戻って死んでしまった大切な人を救ったとき。大切な人が死んでしまった世界。そして生きてる世界。それらが同時に存在しているということ。

この頃私は思うのだけど、もしかして今は、パラレルワールドの少しずれた世界にいるのではないだろうか?と。悲しいかな、これは単純に私の現実逃避ではあるけれども。本当なら世界は今頃、東京オリンピックのカウントダウンで活気づいて、みんなが歓声を上げるような、そんな明るい世界だろう。

それが今のこの現状を、誰が想像できただろう?

私は最初は軽く思っていた。暖かくなれば収まるだろうと。それが今では大切な人の命を、自分の命を考えるようになった。そして、何が大切で、何が大切ではないのかを思うようにもなった。

世界中が今、生きることに懸命になっている。助けようとする人たちがいる。暴動を起こす人たちもいる。みんな何が大切で、何が大切じゃないのかを、懸命に模索している。医療では機器や医者が足りずに、患者の生と死を選別しなければならない状況になろうとしている。いや、海外では実際に起きている。

これほどの苦しい選択を、誰が想像できただろう。

こんな中、人の価値観がどんどん変わろうとしている。仕事で売上を上げることだけに懸命だった自分が、なんだかとても小さく見える。それはたぶん、いいことなのだろうと、心に言い聞かせる私がいる。

これはSF小説の中の物語じゃない。

今、現実に起きていることだ。何が大切で、何が大切じゃないのかを、僕らはひたすらに考えよう。その答えで、自分が、そして大切な誰かが、笑顔でいられるかを考えよう。

そうして出した答えを信じて今を生きよう。
そして私はタイムマシンに乗って、13歳の僕に伝えたいんだ。

泣くな、君は何も間違っていない。
すべてはこれから始まるのだと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一