あと一日だけの人生だったら。
あと一日だけの人生だったら・・・
ふと、意味もなくそんなことを考えていた。
私はたぶん、家族と一緒にいて、アルバムなんか見て、いろんな想い出を語りたいと思う。そして、言えなかったことも、素直に全部、家族に話してみたいと思う。
そう思うには一つの理由がある。
もうかなり昔に、私の父が亡くなった夜のこと、それぞれ家族が集まって(私も数時間かけて帰った)父の亡骸を前にして、泣き疲れて、みんながやがて落ちついた頃、母が静かにこんなことを語ってくれた。
父との恋愛の頃のことや、結婚してから、ほとんどお金もない状態で、荒れた田んぼの中にポツリとあるようなこの家を買ったこと。そして、日々の生活に苦労して、まだ若かりし頃に、父が母に暴力を振るいながら、酒やタバコを買わせるために、妊娠中のお腹の大きな母を、何キロも歩かせて買いに行かせたこと。
そして、それを父が、いつまでも後悔していたこと・・・
母の口から漏れてくる言葉は、どれも、私達子供にとって、ショックなことだった。そんなこと、私はそれまでまったく知らなかった。姉も兄も呆然としていた。
「お前たちにこんなことを、今だから話すのだけど、いつかお父さんは、お前たちに、ちゃんと話しておきたいと言ってたから」
眠ったように死んでいる父を、見つめながら母はつぶやいた。
「でもね、安心して、お母さんはもう、とっくに許していたから・・・」
母は涙ながらに、私たち子供に初めて明かしたのだった。
父は、”度”が付くほどに、とてもマジメな公務員だった。そんな苦労をしたなんて、私たちは夢にも思っていなかった。ましてや、若い頃とはいえ、母に暴力を振るったなんて、まったく信じられなかった。
でも、私が物心付いたときには、父と母は幸せそうだった。今にして思えば、私はそれまでの父と母を、何も知らないだけだった。そして、それが父のひとつの償いだったのかもしれない。
たとえ父からその話を聞いたとしても、私は父を心から許していたと思う。こんなふうにして、父を語れる母がいるのだから、それがすべての結果なのだと思う。
もしも出来ることならば、私が”許している”というその事実を、父にちゃんと知って欲しかった。そうしたら父は、あの時よりもきっと心置きなく、父のひとつの人生を、終わらせることが出来たのかもしれない。
父は死ぬ数日前にはもう、ほとんど意識がなかった。それも父にとっては、自分のこの人生は、何も許してもらうべきことではないと、薄れゆく意識の中で、懺悔のように感じていたとしたら・・・
そんなふうに考えたくもないけれど、そう思うと、心は通り雨のような、寂しさをそっと連れてくる。
”もしも自分の人生が、あと一日しかなかったら・・・”
私は私の人生のすべてを、子供達や妻に話したい。まるで、絵本を読むような穏やかな気持ちのままで。
もしも私が突然に死んでも、その約束を果せるように。
私のこのエッセイは、そのためにあるのかもしれない。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一