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自分に近い同じつながり。

電車の中で、時々なんだけど
女性を見て、”はっ”となることがある。

別にきれいな人だとか、好みのタイプだとか、そういう意味とはまったく別で(もちろん、そういうときもあるけれど。)これはうまく説明出来ない。その人の雰囲気というか、まわりの空気というか、その瞳から感じるオーラみたいなものとか。そういうものが”自分に似てる”と感じ取り、瞬時に”はっ”となってしまうのだ。

もちろん、容姿も性別も、まったく異なるわけだけど、そこにもうひとりの自分を見つけたような気持ちになる。なんだろうな?これは。別に私はその人に、どうかしたいというわけではない。

ただ、びっくりする。それだけだ。

先日会った”はっ”とした女性は、ジーパンにありふれたシャツを着ていて髪は長く、なぜかすこし風に乱れた感じで物憂げに窓の外を眺めていた。美人というよりも、かわいいという表現が似合いそうな24、5才くらいの若い女性だった。

どうしてなのかわからないのだけど、まったくの他人であるはずなのに、他人のような気がしない。どこか自分と同じ何か共通したものを持ってる。いや、”持っている”という表現とは違うな。”抱えている”といった感じだろうか?なぜかそんな気がするのだ。とにかく、うまく表現できない何かがそこに存在している。

人にはもしかしたら、本当にもしかしたら(これは私の勝手な想像だけど)家族という枠を超えた何か別のつながりがあるのかもしれない。

そう思わないとこの気持ちに、どうしても納得することが出来ない。別にそれは恋愛感情とは異なるし、単なる異性への興味でもない。(同性の場合もこの現象はある。)

自分に近い同じつながり。
そういえばしっくりくるのだろうか?

本当はその人と、何か会話が出来ればもしかしたら、何かがわかるのかもしれないけど、そこまでの勇気も欲求も私にはなく、ただ、いつも、チラッと見ては、その他大勢の人々のように、通りすぎてゆくだけだ。

あの想いはなんだろう?特別な何かを感じるそれは?そのひとりの人に対してなのか、またはその人の抱えた心なのか。それはよくわからない。

自分に近い同じつながり。

それはたとえば、好きな人の好きな人が自分の好きな人だったり、好きな映画の音楽が、好きな作曲家だったりして・・・そんなふうにして好きなものが、どこかでいくつもつながっている。そんなこと。

こんなワケのわかんないこと、いくら考えても仕方がないのだけど、ただ、こうして私達は、まったく別の個体ではなくて、どこかで何かがつながっている。そう思うことは、とても素敵なことのように思う。

見えないいくつもの糸で人々がつながっていて、互いに知らないところで僕らは、いつも守りあっている。そんなふうに想像してもいいんじゃないか。想像なんだから、冗談みたいに笑われても構わないんじゃないか。

そんなふうに私は思う。

これがいつか想像じゃなくて、誰かがいつか証明してくれたら、それはまたうれしいことだけど。いや、待てよ・・・。

自分に近い同じつながり。このエッセイを、ここまで読んでくださっているあなたも、もしかしたらそうなのかもしれない。

なんだ、今、なんとなくわかった。

このネットそのものが、同じことが言えるんじゃないか?

気づけばこのネット上の誰かのエッセイを、写真を詩を、そしていくつもの作品を、私はいつも楽しみ見たり聞いたりしている。同じ好きなもの、同じ気持ち、似たその心。いつしか私たちは、互いに見えない他人でも、いつもどこかで見守っている。ちゃんとそういう世界にいたなんて。(もちろん両想いもあれば、片想いもあるし、両片想いもあれば、まったく違うこともあるのかもしれない。)

なんだろう。ものすごくうれしい。

そうか、もしかしたら私たちは
いや、私とあなたは、(そして誰かと)
すでに同じ糸がいくつも心から伸びていて
そしてどこかで、つながっているんだ。

きっと。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一