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ゆっくりと、ゆっくりと。

この頃、それなりに大人になったのか、他の人のことをゆっくりと、見られるようになったような気がする。

”ゆっくりと”っていう表現は、なんだか少し分かりにくいけど、以前の私はどこか急いで、誰かのことを見てたような気がして。

この人はこうだ、とか、あの人はこうなんだ、とか。つまりは勝手に決めつけて、いや、それさえも気づかずに、そうと決めつけていた感じがする。

だから、あとで間違ってることに気づいて、そして、自分が傷ついて、そして誰かも傷ついて、それでもまた、同じこと繰り返して、みたいな。

やはり私は思うんだけど、すべてはゆっくりと流れてゆくのが正しいのではないのかと。

植物も、空も雨も雪も風も、人の目から見れば、ゆっくりと時を刻んでいる。どこか急いでいるのは、いつも人間ばかり。早い乗り物に乗りながら、さらに速いスピードで、いつも急ごうとしている。仕事も時間に追われ、ノルマに追われ、ゆっくりしてたら、もう、負け組みになる。

息が切れる。心が疲れる。心が疲れると、イライラする。最後には怒り出す。こんな当たり前のこと、やっと、ごく当たり前に、私は気づいたような気がする。

この自然はゆっくりと生きている。

でも、時として人のように自然が急いだとき、それは私達人間にとっては、まるで人が疲れ切ったときの、不機嫌な態度のように見える。

風が急げば、台風になる。雨も急げば、嵐になる。雪も急げば吹雪になる。風も雨も雪も急げば、すべて人の脅威になる。

まるで自然が私達人間に、”急ぐな、壊すな”と怒りをぶつけてるかのように。

もっと、この人生を、ゆっくりと歩いてゆけないものかと、この頃、私はよく思う。どう考えても、今、私たち人間は、悪いほうへと突っ走ってる。疲れて立ち止まったなら、追い越され、ひとり残されて、それで生きていけないような、そんな不安。

誰もがきっと、知らないうちに、心のどこかに、消えない不安を抱えているんだろう。

そんな哀しみを繰返すくらいなら、私はゆっくりと、ただ、ゆっくりと、生きていたい。たとえ、それでひとり残されても、ただ、空を見上げていたい。

私がココにいたことは、この私が、好きな人が、そして私の愛する人が、わかっていればそれでいい。この人生を生きているのは、いつもこの私なのだから。

理由もなく不安なとき
風のように、私はそっと心で唱える。

うれしそうな小さな子供の足取りみたいに

”ゆっくりと、ただ、ゆっくりと”

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一