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空気を読みたくない。

どうして人は笑うのだろう。それが本当の笑顔なのか、それが嘘の笑顔なのか、はたまた違う意味の笑顔なのか、よくわからないときがある。

もしかしたら、誰もがわからないじゃないのだろうか?とさえ思うのだ。

その人自身も、ちょっとわからないくらいの不確かさ。その意味は誰にもわからないというのに、どうして人は笑うのだろう?

そんなことを思うからか、この頃、私は、あまり笑わない気がする。これはよくないなぁって思う。

誰かと話していて、こんなときは作り笑いでいいのかな?とか、ココは笑わないほうがいいのかな?とか、そんなふうに考えている自分がとても不思議だ。まじめな話?それとも冗談?それすらもなんだかはっきりしなくて、想像で笑ったら、なぜかそっぽ向かれたり、逆に笑わずにいたら、どこか不機嫌にさせてしまったり。

あれ?笑うって、こんなに難しかったっけ?

小さな不安がいくつも生まれる。ごまかしで笑うことが多すぎるからか、この頃、笑うと虚しくなる。いわゆる、「空気を読め」ってことなのだろう。

そもそも「空気を読む」ってどういうことだろう?もちろんわかっているけれど、そんなふうに気を使ってたら、すべて嘘になってしまう。自分をどこかに追いやってしまう。なんてそれは切ないこと。

嘘が、いつしかホントになってゆく。

だから私は決めたんだ。無理に空気を読まないと。空気を読むってことは、そこに何かが書いてあるのだろう。空気に書いてあることって、私が勝手に決めつけたもので、誰かが書いたわけじゃない。

自分で書いて自分で読んで、そうして自分で気を使って、結果、わかったような振りして。何がわかったのだろう?私はもっとワガママでいいんだ。小さな頃から、ずっと”まじめ”と言われ続けた。決してそれは褒め言葉じゃなく、ただのつまらない人間として。

そんな私を許すんだ。

時々、どうでもいいことが、どうでもよくない時がある。(結局、私は”まじめ”なのかなぁ。やれやれ。)

時として、私は空気を読みたくない。読むのはちゃんと心であるように。私はその心を知りたいだけ。この心を知って欲しいだけ。

ただ、それだけなんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一