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私の大嫌いな豆ごはんと、それが大好きなうちの奥さん。

なぜだか知らないのだけれども
私は豆ご飯が大嫌いだ。

先日、うちの奥さんの実家から、大量に豆が送られて来た。それで、その日の晩ご飯は豆ご飯だった。もちろん、奥さんは知っている。私が死ぬほど豆ごはんが嫌いだと言うことを。だけど私は忘れていた。奥さんは、それが死ぬほど好きだと言うことを。

そして私は晩御飯を確認する。

「白ご飯は?」と私。
「ない」とひとこと言う彼女。

「じゃ、何を食べれないいわけ?」と私。
「豆ごはーん!」と明るい彼女。

結局冷凍チャーハンを、取り出してひっそりと食べた私。
明日こそは心に誓った。(何を誓うのだ?)

だいたいあの豆ご飯を、炊いたときの”むーん”とするようなあの匂いが苦手なのだ。たとえば私の幼い頃に、豆ご飯で死にそうになったというような、そんなトラウマ的なものでもあったのか?というと、別にそれは何もない。(当たり前か)

豆ご飯じゃなきゃ、豆はそれなりに食べられるのだけど、それが豆ご飯になってしまうと、この世のものとは思えなくなる。

私はほとんど好き嫌いがなくて、食べ物にあまりこだわりはない。たとえ、奥さんが買物をしていなくて「ごめーん、今日の晩ご飯はラーメンでいい?」と言っても「いいよ」と答える。

「ごめーん、今日も昨日のカレーなんだけど、いい?」と言っても「いいよ」と私はふつーに答える。

私の基本は、白ご飯と、味噌汁があればそれでいい。でも、これが、豆ご飯となると事情は違ってくる。

私は、さっきの「白いご飯は?」のセリフを何度も繰返し、そしてまた、明日を心に誓うのだ。豆ご飯が、この世からなくなればいいとさえ思う。何か撲滅運動が起こったなら、私は喜々としてプラカードを掲げるだろう。

だけれども・・・

あんなにおいしそうに食べている彼女の表情を見ているのはとても楽しいものがある。ひとりだけ、味覚の異なる私のほんの小さなこの悲劇は、喜劇になったり幸せになったり・・・つまりは人生と同じということ。

それでも豆ご飯の日になると、私だけが
いつも自分で作る別メニュー。

明日こそはと、凝りもせず何かを誓う私。
明日もよと、なぜか明るく答える彼女。

あさってこそはっ!!

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一