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祭りの写真だけで食べていけますか? part.1

よく聞かれる質問だ。

僕は独立して能登へ移住してから一旦収入がゼロになった。当時27歳、会社やめる前の手取りはぶっちゃけ17万円、貯金はほとんどなかった。今振り返ると「よく思い切ったな」と思う。


現在の話にもつながるので、僕がいつ祭りの写真を撮り始めたのか掘り下げて書いていきたい。

僕は東京の大学を卒業後、IT企業に就職した。ITといっても様々な業種があると思うが、僕はソフトウェア開発へ進んだ。小さい頃から「ものづくり」に対する興味が強かったことと、リーマンショックなどで世の中の経済が非常に不安定だったので、手に職をつける、スキルを身に付けたいと思っていたのだ。

いわゆるSE(システムエンジニア)の世界に入り、プログラミング言語を日々習得しながら【3D CAD】や【GIS(地理情報システム)】の開発に携わっていた。モチベーションは高く、僕はITの業界でいつか起業したいと夢みていたが、不景気の波がとうとうIT業界に押し寄せ、3年後に金沢の印刷・出版社に転職した。(←この頃まだ祭りの写真は撮っていない)

僕は幼い頃から、父親の仕事の都合や進学などで、青森、名古屋、富山、石川、東京と転々としてきた。同じ家に3年以上住んだことは幼少期くらい。転校すると友達づくりはゼロから。同じ境遇にあった人はきっとその難しさわかってくれると思う(笑)

きっとそういう経験があったから、環境が変わっても動じなくなった。転職をしても、また新たなチャレンジだと前向きに考えられる。嫌なことがあっても、それと同じくらい(時間差で)良いことがある。そう思えるようになっていた。

金沢の印刷・出版社に転職したことは、人生におけるターニングポイントだったと思う。そして、休日になるともっぱら能登へドライブに出かけていた。(←この頃写真を始めた)

はじめて手にした一眼レフカメラは、CANON EOS Kiss X4だった。

観光冊子をみながら、まるでコレクターのような感覚で観光地をまわっては写真におさめていた。初めて見る能登の風景は新鮮で、石川県にこんなところがあったんだ、と驚くばかり。純粋に能登の良いところを知ってほしい、たくさんの人に訪れてほしいと思っていた。

毎週末になると能登へ出かけて写真を撮って、ブログを書いて、SNSで情報発信する、という一連の流れがルーチン化していて、イベントなども撮り始めていた。そうこうしている内に一つのお祭りと出会った。

おそらく新聞やテレビなどで見たことはあったはずなのに、興味や関心がなかったのでどんなものかわかっていなかったのが不思議なくらい。はじめて見たとき、その激しさに驚き、心が躍ったことを今でも覚えている。それが「あばれ祭」だったのだ。

2年ほどブログで能登の祭りの写真をアップしていると僕に「会いたい」と言ってくれる人がいた。写真を撮っていると様々な出会いがある。時にそれは運命の人かと思えるくらい、劇的な出会いだった。


「写真は財産」である。

part.2へ つづく)


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吉岡 栄一 Eiichi Yoshioka
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