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好きな言葉に向かっていく。

「写真は自分自身を写している」


語弊がありそうな言葉ではあるが、僕は写真を通してそんな風に感じている。写真を撮り始めて8年くらい経ったが、写真の世界で今後どうなっていきたいか、という明確な目標は正直なかったりする。それでも「昨日の自分」よりも上手くなりたい、成長したいという思いはずっと持ち続けてきた。

それは「継続は力なり」って言葉が好きで、成長意欲の延長線上に、きっと良いことが待っているのではないか、と期待しているからかもしれない。

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2020年5月4日、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言の延長が決まった。僕自身のことを話すと、4月以降に予定していた撮影はすべて延期・中止、その他デザインなど広告業についても例年と比べると激減してしまった。フリーランスの道は自分が決めた「覚悟」であるし、能登で元々何もないところから始めたから、この状況に悲観しているわけではないけど、やはり家族を養っていく必要はある。コロナのニュースが連日報道されるようになっていた3月あたりから、TwitterなどSNSとも距離を置いていたけど、ほんの少しでも弾みをつけようと4月に入ってからは力を入れるようにした。

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話が少し脱線してしまったけど、僕の場合、写真を撮っていくことと、生きていくことのスタンスはとても似ている。幼い頃から「ものづくり」が好きだった僕は、「オリジナル(独創的)」・「パイオニア(開拓者、先駆者)」・「クリエイティブ(創造的)」という3つの言葉が好きだった。情報過多の現代、特に芸術の分野において、オリジナルやパイオニアという言葉は簡単に使えないかもしれないけど、自身を追求してそれらを高めていくことは、いつか実を結んでいく。好きな言葉はそのまま、僕のスタンスやモットーになっているのだ。

祭りを撮ることもそう。
金沢や能登を撮ることもそう。
海外スナップを撮ることもそうだ。

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仮に緊急事態宣言が解除されたとしても、ほとんどの祭りが中止となっている。毎週のように祭りを撮っていた自分にとって、自粛期間というのは本当に厳しいが、今の期間をどう過ごすかということは非常に重要。世の中の状況が落ち着いてきたときに、迷わず自分の力を発揮できるように、今はとにかくたくさんの写真を見る、写真を発表する、そしてこのように文章を書く。そうすることで、少しでも明日に繋げていきたいと思っている。

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そして今後、僕自身が確立していきたいのは「ドキュメンタリー」と「視覚芸術」という分野。

ドキュメンタリーという言葉は「記録」という意味合いが強いので、実はフォトグラファーとしてはどこか好きになれない言葉だった。ただ、昨年始めた中国のSNS(Tuchong 图虫网)で「ドキュメンタリー写真家」という称号をいただいてから、やけにしっくりきて、祭りやストリートを撮っている自分は「ドキュメンタリーを撮っているのか」と改めて認識したのであった(笑)シネマティックとかドラマティックも同様だけど、テーマやコンセプトを自分の中に落とし込むことで、それ以来、写真に対する意識も変わったし、アウトプットする写真も変わってきた。

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また、記録だけではなく、アートとしての意識は持ち続けていきたい。視覚芸術という言葉はただの言葉であって、ただの言葉ではない(笑)。特にストリートスナップにおいて、アートの意識を強く持つことによって、狙いどころも大きく変わってくるのであった。まだまだ未熟な僕にとって、意識というのは成長を促してくれる。

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まるで言葉を追いかけるように、前を向いている。写真には僕のスタンスやモットーが詰まっている。だからこそ、写真に自分自身が写っているように感じるのかもしれない。

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どんな状況であれ、自分が大切にしてきたものを見失わないようにしていきたい。


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吉岡 栄一 Eiichi Yoshioka
Instagram:@tsukinoto
Twitter:@EiichiYoshioka
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