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自由な子ども

1歳くらいだろうか。
ようやく首が座ったくらいの
THE赤ん坊を、胸に抱えたお父さんが
僕の隣に座った。

ガタンゴトンとゆられる。

向かいの席には3歳と5歳くらいだろうか。
いかにも少年サッカーに通っていそうな
おそらく海外出身の子どもたちが座っている。
いでたちを例えるなら、小さなメッシ兄弟。

さて、
ぷよぷよの白い足を
なんどもぷらぷらさせながらも
驚くほどに隣の赤さんは静かだ。
いったいどう育てれば、電車内でこの歳の子が
ここまで静かでいられよう。

それにしてもその歳ですごい貫禄ですね。

僕は驚きをマスクに隠しながら
ふと前のメッシ兄弟に目を向けた。

手元のゲームに夢中な兄をよそに
メッシ弟くんは通路をまたぐ熱視線。
赤さんをガン見している。興味深々だ。
赤さんもそれに目配せして
あんよの振りで応える。

二人とも言葉は発していないのに
会話しているようだった。

弟は、まるい目をパッっと見開いて
首を左右にかしげてフザケてみせる。
対する赤さんそれに手足をフリフリ。

夜道を走る車内の
あちらとこちらで
言葉も国籍も年齢も関係なく
やさしい関係が生まれていた。

自由だ。
なんとも自由だ。
素晴らしい。
マスクに含んだその言葉。
僕の心は彼らにほぐされた。

大人になったら、こんなことはできるだろうか。
電車の向かいの席のおじさんを
目配せしてアヤセるだろうか。
笑わせられるだろうか。
いや、いやいや。
なぜそれは不審者に認定されるのだろうか。

子どもだから成り立つ関係。
大人ってなんだろう。
子どもってなんだろう。

素敵な瞬間。
人間ってなんだろう。

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