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日本の進路選択の悩ましさ

自分は日本に住んでいた時を振り返ったときに、ある事に関しては
あ、これは日本良くないな、、、

と思ったこと、思うことがあります。

それは「悩ましい進路選択」に関してです。

選択するということが自由でなく、悩ましい状態にあります。

今はどうなのでしょうか?私が高校生であった1980年代の話ですが、私の高校には商業科や家政科がありまして、その生徒さんたちは、高校卒業と同時に就職するわけですが、高校3年生の時に内定をもらう制度になっています。

例えばAさんという成績の良い人がいたとします。デパートAの就職をしたいと思っていますが、たまたま求人としてあるスーパーBがありました。それに学校を通じて申し込みをすると、デパートAのほうへの就職活動はできなくなります。高校へ求人が来ますので、二つ同時に考慮してもらうことは、相手に失礼ですからできません。

本当にそのデパートに勤めたければ、もう少し待たないといけませんが、待っていると、スーパーBからの求人を無視しないといけません。でも、デパートAの求人を待っていて、スーパーBの求人を無視するのも怖いです。デパートAに内定がもらえない可能性があるからです。

このように、悩ましい状態の中での選択を若者がしないといけません(1980年代の話です。今はどうなのでしょうか?)

大学受験の場合、これは現在でも同じだと思いますが、国立大学が第1志望でも、私立大学に受かっている場合は、もしかしたら、国立大学に失敗するかもしれないから、私立大学の入学金を払っておくことになります。

これも悩ましい選択ですよね。

米国には、このような悩ましい選択がありません。

高校生の就職で言うと、高校を卒業してから、個人が勝手に就職口を探すからです。(日本で2021年の今でも高校が就職を斡旋しているかどうか、知りません)。

大学だと入学金がありません。入る大学が決まってから、授業料を学期ごとに収めるからです。

日本で大学生をしているときに、留学をするために休学すると、不利になるからしないと言っているクラスメートがいました。

悩ましい選択だと思います。

自分の人生のための進路選択をする際に、このような悩ましい選択が日本には多いように思います。

私立大学Aには受かったが、レベルが高くないので、浪人をして、レベルの高い大学に行ったほうが良いのではないか、、、とか。

私はシカゴ大学の博士課程に進んだときに、少しだけ似た状況を自分で作ってしまいました。

良い成績を維持するためには、少しぐらい自分が知っている内容の授業を取ったほうがいいと思ったのです。だから、例えば、「日本社会」のコースをとってみました。ところが、他のアメリカ人はクラスメートたちは、自由に、自分にとって新しい授業に挑戦していました。

こういう悩ましい「選び方」は二度としたくないと思いました。

教育機会に関する個人の選択は、あまり余るほどの情報に基づいて、自分にとってのベストのものを選ぶべきです。

自分に合ったもの、興味のあうもの、やってみて、没頭できるもの、、そういうもので、最大量の人的資本(スキル・知識)を獲得することができると考えるのが自然です。

個人の選択行動ができるだけ最適化されるような制度に変えていかないといけないと思います。

が、制度は今後も変わらないと思うので、どのように個人として、工夫するかが大切になると思います。

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