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「あなたは幸せですか?」

先に書いた日本語教師になりたい人向けの入門本を読んでいてふと思ったこと。



日本語は、話し手の気持ちを中心に文が成り立つ。

例えば、

「暑い…」
→誰が、というのを言わなくても、話して自身が暑いのだというのが明らか。

「彼は暑い」
→第三者の気持ちを勝手に話し手が断言するのはおかしい。「彼は暑そうだ」「彼は暑いらしい」「彼は暑がっている」「彼は暑いと言ってる」…などの言い方をする必要がある。
(英語は客観的な事実描写をする言語なので、He is hot. で問題なし)


一方で。

「彼は幸せだ」
→第三者が幸せかどうか断言していても違和感はないのだ。



なんとなく、
「あなたは幸せですか?」ともし問われたら、

「自分が今この瞬間にhappyな気分かどうか」ということじゃなくて、

「客観的に見て自分は幸せな状態と言えるのかどうか?」と聞かれている気になると思う。

そして、人に聞かれた場合は謙遜の気持ちで「お陰様で十分に幸せです」と答え、自問自答の場合は「私は果たして本当に幸せなんだろうか?」と悶々と悩むことが多い様な気がする。



Am I happy? は決して壮大な人生の問いではなくて、今この瞬間に I feel happy. で十分なんだよな、と勝手に確認したという、そんな話でした。

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