【社労士試験対策】労働関係紛争判例98選

労働政策研究・研修機構HP「雇用関係紛争判例集」を1ページにまとめました。
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なお、本文の内容は執筆時点(2016年12月)のものです。その後の法改正などは反映しておりません。
雇用関係紛争判例集は個別事例に関する法的なアドバイスを行うものではありません。
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現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 1.労働関係法規の適用 > (1)「労働者」の定義

(1)「労働者」の定義 1.労働関係法規の適用
1 ポイント
(1)個別的労働関係法(労基法、労基法から派生した労安衛法・労災保険法等の労働保護法規、労働契約法、均等法など)の適用対象である「労働者」に該当するか否かは、実態として使用者の指揮命令の下で労働し、かつ、「賃金」を支払われていると認められるか否かにより決まる(労基法9条、労契法2条1項)。

(2)上記(1)の労働者性(使用従属性)の判断は、①仕事の依頼、業務の指示等に対する諾否の自由の有無、②業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無、③勤務場所・時間についての指定・管理の有無、④労務提供の代替可能性の有無、⑤報酬の労働対償性、⑥事業者性の有無(機械や器具の所有や負担関係や報酬の額など)、⑦専属性の程度、⑧公租公課の負担(源泉徴収や社会保険料の控除の有無)の諸要素を総合的に考慮して行われる。

(3)労働組合法の適用対象となる「労働者」とは、経済的従属性の故に労働組合を組織して団体交渉を行う権利を保障されるべき者である。この労働者性の判断は、①労務提供者が事業組織に組み入れられているか、②契約内容が相手方により一方的・定型的に決定されているか、③報酬の労務対償性の有無、④業務の依頼に対する諾否の自由の有無、⑤広い意味での指揮命令関係の有無、⑥顕著な使用者性の有無の諸要素を総合的に考慮して行われる。

2 モデル裁判例
横浜南労基署長(旭紙業)事件 最一小判平8.11.28 労判714-14

(1)事件のあらまし
本件は自己の所有するトラックをA(会社)に持ち込み、専属的にAの製品の運送業務に従事していた原告側労働者(運転手)Xが、積み込み作業中に傷害を負ったことから、労災保険法所定の療養・休業補償給付を請求したところ、「労働者」ではないとして不支給決定を受けたため、提訴した事案である。Xの報酬は出来高払いで、トラックの購入代金、ガソリン代、修理費、運送の際の高速道路料金等はXが負担していた。また、Xに対する報酬の支払いにあたっては、所得税の源泉徴収及び社会保険・雇用保険の保険料の控除はなされず、Xはこの報酬を事業所得として申告していた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

本件事実関係の下においては、Xは、トラックを所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していたものである。Aは、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示をしていた以外には、Xの業務の遂行に関し、特段の指揮監督を行っていたとはいえない。時間的、場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであり、XがA社の指揮監督の下で労務を提供していたと評価するには足りない。報酬の支払方法、租税及び各種保険料の負担等についてみても、Xが労基法上の労働者にあたるとすべき事情はない。そうであれば、Xは、専属的にAの製品の運送業務に携わっており、Aの運送係の指示を拒否する自由はなかったこと、毎日の始業時刻及び終業時刻はAの運送係の指示内容によって事実上決定されることなどを考慮しても、Xは労基法及び労災保険法上の労働者にはあたらない。

3 解説
(1)個別労働関係法上の「労働者」
労基法は、「労働者」を「職業の種類を問わず、事業または事業所・・・に使用される者で、賃金を支払われる者」と定義している(9条)。言い換えると、労基法上の「労働者」とは、使用者の指揮命令を受けて労働し、かつ賃金を支払われている者である。

これは労基法の適用を受ける「労働者」の定義であるが、労基法から派生した労安衛法、最賃法、労災保険法などの適用範囲も労基法と一致する。また、均等法や育児介護休業法などの労働法規も、労基法と共通の「労働者」概念を採用としているものと理解されている。さらに、労働契約法も「この法律で『労働者』とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう」(同法2条1項)と定め、労基法と基本的に同じ「労働者」の定義を採用している。したがって、労基法上の「労働者」は原則として労働契約の当事者たる「労働者」であり、労働契約法および判例により形成された労働契約法理(配転法理など)の適用を受ける。

すなわち、労基法9条の定める「労働者」概念は、個別的労働関係法全体の適用対象となる「労働者」の範囲を定めるものだといえる(ただし、適用除外の範囲は法律により異なるので、注意が必要である)。

(2)「労働者」性の判断基準
労基法上の「労働者」性は就労の実態に即して客観的に判断される。契約の形式が請負や委任となっていても、実態において上記(1)の基準を満たしていれば「労働者」に当たる。

判例は、具体的な判断要素として、①仕事の依頼、業務の指示等に対する諾否の自由の有無、②業務の内容及び遂行方法に対する指揮命令の有無、③勤務場所・時間についての指定・管理の有無、④労務提供の代替可能性の有無、⑤報酬の労働対償性、⑥事業者性の有無(機械や器具の所有や負担関係や報酬の額など)、⑦専属性の程度、⑧公租公課の負担(源泉徴収や社会保険料の控除の有無)を総合的に考慮し、「労働者」に当たるか否かを判断している(労働基準法研究会第一部会「労働基準法の『労働者』の判断基準について」(労働省労働基準局編『労働基準法の問題点と対策の方向』(日本労働協会、1986年)参照)。

労働者性が問題となる者の類型としては、従業員兼取締役、裁量性の高い職種や特殊な職種の者、零細下請業者などがあり、最近は雇用形態の多様化により判断が難しいケースが増えている。近年の裁判例としては、映画撮影技師を労働者と認めた新宿労基署長(映画撮影技師)事件(東京高判平14.7.11 労判832-13)や、私立大学病院の研修医の労働者性を肯定した関西医科大学研修医(未払賃金)事件(最二小判平17.6.3 民集59-5-938)、NHK集金人の労働者性を否定した日本放送協会事件(大阪高判平27.9.11 労経速2264-2)などがある。

モデル裁判例は、車持ち込み運転手の労働者性に関する初の最高裁判決である。判決は、Xが上記①や②について一般の従業員と同程度の拘束を受けていないことを重視してXの労働者性を否定している。ただし、車持ち込み運転手がおよそ「労働者」に当たらないと判断しているわけではない点に注意が必要である。

(3)労働組合法上の「労働者」
労働組合法は、「労働者」を「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」と定義している(3条)。この定義は、労働者の経済的従属性に着目し、労働組合を組織し使用者と団体交渉を行う権利を保障すべき者の範囲を定めたものであり、「使用されること」を要件としていないため、労基法や労契法上の「労働者」よりも広い範囲に及ぶ。

最近の最高裁判例は、上記の労働者性の判断に当たり、①労務提供者が事業組織に組み入れられているか、②契約内容(労働条件や提供すべき労務の内容)が相手方により一方的・定型的に決定されているか、③報酬の労務対償性の有無を基本としつつ、④業務の依頼に対する諾否の自由の有無、⑤広い意味での指揮命令関係の有無を補充的判断要素、⑥顕著な使用者性の有無をも考慮して決するという枠組みを採用し、会社との業務委託契約により同社製品の修理業務に従事するエンジニアや、1年間の出演契約に基づいて公演に出演するオペラ歌手について、労組法上の「労働者性」を肯定しているINAXメンテナンス事件(最三小判平23.4.12 労判1026-27)、新国立劇場運営財団事件(最三小判平23.4.12 民集65-3-943)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 1.労働関係法規の適用 > (2)「使用者」の定義

(2)「使用者」の定義 1.労働関係法規の適用
1 ポイント
(1)労働契約は「労働者」と「使用者」の間で締結される。労働契約上の「使用者」とは、通常は当該労働者を雇った者(企業)であるが、請負や派遣、親子会社、グループ企業など複数の企業が関わり合う労働関係においては、誰が労働契約上の「使用者」として義務を負うのかが問題となることがある。

(2)上記の場合に、黙示の労働契約や「法人格否認の法理」により、派遣先会社や親会社に対して労働契約上の「使用者」としての責任が認められることがあるが、判例はこれらの法理の適用に慎重な態度をとっている。

(3)労基法上の規制について責任を負う「使用者」とは、現実に労基法の規制事項について権限と責任を有し使用者として行為する者であり、労働契約の当事者としての「使用者」とは異なる。

(4)労働契約上の使用者に当たらなくても、①近い過去や近い将来における労働契約上の使用者や、②労働者の基本的な労働条件等について現実的・具体的に支配できる地位にあるものは、労組法上の責任を負う「使用者」と判断されることがある。

2 モデル裁判例
大映映像ほか事件 東京高判平5.12.22 労判664-81

(1)事件のあらまし
有料職業紹介業者であるAは、テレビ番組等のエキストラ出演希望者を募集し、Xはこれに応じてA社会員として登録した。A社は番組制作会社とエキストラを手配する契約を締結し、会員の中から出演希望者を募って、出演後に各エキストラの出演料や紹介手数料等を一括して番組制作会社に請求したうえ、受領した料金の中から各出演者に出演料を支払っていた。XはA社会員としてY社らが制作した番組にエキストラ出演したが、A社はY社らからXの出演料等を受領した後に倒産した。そこで、Xは、エキストラ出演がY社らとの雇用契約に基づくものであると主張し、同社に対し出演料(賃金)の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

XとY社らとの間に黙示の雇用契約が成立したと言えるためには、両者の間に事実上の使用従属関係があるだけでなく、「雇用条件決定の経緯、指揮命令関係の有無・内容、労務管理の有無・程度、賃金支払方法等諸般の事情に照らして、XがY社らの指揮命令の下にY社らに労務を提供する意思を有し、これに対し、Y社らがその対価としてXに賃金を支払う意思を有するものと推認され、社会通念上、両者間で雇用契約を締結する旨の意思表示の合致があったと評価できるに足りる事情があることが必要である」。

本件においては、Yらは原告の賃金その他の雇用条件を決定しておらず、Xに対し労務提供につき全般的な指揮命令、労務管理をしていたということもできず、また、賃金の支払いに関与していたともいえないのであるから、XがYらの助監督・アシスタントディレクターの指示・指導に基づきエキストラとして演技していた事実があるからといって、これを根拠にXY間に雇用契約が黙示に成立したということは困難である。

3 解説
(1)労働契約の当事者たる「使用者」
労働契約は、労基法上の「労働者」(前項(1)[1.労働関係法規の適用]を参照)と「使用者」の間で締結される契約である。労働契約上の「使用者」とは、「労働者」を使用し賃金を支払う者である(労契法2条2項参照)。すなわち、通常、労働契約上の使用者とは「労働者」を雇った者(企業)であって、これが誰かは明確である。しかし、業務処理請負や派遣などの社外労働者受入れ、親子会社など労働関係に複数の企業が関与する場合には、労働契約上の使用者としての義務を負うのが誰かが問題となることがある。

まず、業務処理請負や労働者派遣により、労働者が他の企業に派遣され就労している場合には、受入先の企業を使用者とする黙示の労働契約が成立しているか否かが問題となりうる。モデル裁判例に見られるように、判例は、このような契約関係を認めるには、派遣先企業が当該労働者の業務遂行について指揮命令や出退勤管理を行っている(事実上の使用従属関係)だけでは足りず、当該労働者の労務を受領し、それに対して賃金を支払っていると評価できることが必要であるとしている(モデル裁判例の他に、サガテレビ事件 福岡高判昭58.6.7 労判410-29など)。したがって、適法な労働者派遣や業務処理請負においては、受入れ企業との間に黙示の労働契約の成立が認められることはないといえる。裁判所はこのような労働契約の成立を容易に認めない傾向があるが、平成24年の労働者派遣法改正により、派遣先企業が違法派遣であることを知りつつ労働者を受け入れていた場合に、当該労働者に直接雇用を申し入れたものとみなす旨の規定が新設され、平成27年10月1日から施行されている→(94)[11.非正規雇用]参照)。また、紹介所から派遣されるという形をとって病院に勤務していた付添婦と病院との間に黙示の労働契約の成立を認めた事例として、安田病院事件(大阪高判平10.2.18 労判744-63。[最三小判平10.9.8 労判745-7により支持])がある。

また、いわゆる親子会社の関係では、親会社が子会社に対して大きな影響力を持つことが多い。しかし、親会社と子会社は別法人であるから、子会社の従業員にとって労働契約上の「使用者」はあくまでも子会社であり、親会社に対して賃金などの支払いや労働契約上の地位確認を求めることはできない。ただし、①単なる支配関係を超えて親会社が子会社を実質的には一事業部門として完全に支配しているなど、子会社の法人格がまったくの形骸にすぎないと評価される場合(支配型)や、②親会社が子会社の法人格を支配し違法な目的で利用している場合(濫用型。たとえば、親会社が子会社の労働組合を壊滅させる目的で子会社を解散させた場合など)には、「法人格否認の法理」を適用して、子会社の法人格を否認することにより、親会社に対して労働契約上の責任(未払い賃金や退職金の支払い、子会社従業員との雇用関係など)を負わせている。親会社の契約責任が認められた例としては、黒川建設事件(東京地判平13.7.25 労判813-15:支配型)や第一交通産業(佐野第一交通)事件(大阪高判平19.10.26 労判975-50:濫用型)、徳島船井電機事件(徳島地判昭50.7.23 労判232-24:濫用型)などがあるが、判例は一般的に同法理の適用には慎重である。

(2)労基法上の責任主体である「使用者」
労基法10条は、「この法律で使用者とは、事業主または事業の経営担当者その他その事業の労働者に関する事項について、事業主のために行為をするすべての者をいう」と定めている。ここでいう「事業主」とは労働契約の当事者である法人や個人企業主、「事業担当者」とは役員や支配人など、「事業主のために行為する者」とは労基法が規制する事項について現実に使用者としての権限を行使する者(たとえば工場長や部課長)を指す。

同条の定義する「使用者」とは、労基法上の規制について責任を負い、同法違反に対して罰則の適用を受ける者のことであり、労働契約上の「使用者」の定義とは異なる。その趣旨は、労基法の規制事項について現実に使用者として行為した者を規制の対象とする(行為者処罰主義)ことにある。したがって、現実に労基法違反の行為を行った者(たとえば違法な時間外労働命令を行った工場長)が罰則の対象となるが、事業主が処罰を免れるのは不公平な場合も多いため、いわゆる両罰規定により事業主に対しても罰則を適用する道が開かれている(労基法121条)。

(3)労組法上の責任主体としての「使用者」
労組法は、「使用者」に対して、正当な理由なく団体交渉を拒否すること等を不当労働行為として禁止している(7条)。労組法には「使用者」の定義をした規定は存在しないが、判例上は、労働契約上の使用者に当たらなくても、①近い過去に労働契約上の使用者であった場合や近い将来に使用者になる可能性がある場合、②労働者の基本的な労働条件等について現実的・具体的に支配できる地位にある場合には、労組法上の責任を負う「使用者」と判断されることがある(朝日放送事件 最三小判平7.2.28 民集49-2-559)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 1.労働関係法規の適用 > (3)国際労働関係の適用範囲

(3)国際労働関係の適用範囲 1.労働関係法規の適用
1 ポイント
(1)国際的な労働関係(使用者・労働者の一方が外国籍である、事業が外国で行われるなど)においては、その労働契約に日本法・外国法のどちらが適用されるのか、という準拠法の問題が生じる。

(2)労働契約上の問題については、「法の適用に関する通則法」に基づき、契約締結時に当事者が選択した地の法が適用される。当事者による選択がなされない場合には、「当該法律行為と最も密接な関係がある地の法」が準拠法とされる。労働契約については、原則として、労務を供給すべき地の法が「最も密接な関係がある地の法」と推定される。

(3)労基法、労安衛法、労災保険法、労組法など、刑事制裁や行政取締により実効性を確保する仕組みをもつ労働法規は、日本国内において営まれる事業に対しては、使用者・労働者の国籍を問わず、また当事者の意思のいかんを問わず、適用される。

2 モデル裁判例
ドイッチェ・ルフトハンザ・アクチェンゲゼルシャフト事件
 東京地判平9.10.11 労判726-70

(1)事件のあらまし
被告側使用者Yは、ドイツに本社をおく航空会社である。原告側労働者X1~X3は、Yに雇用され、東京ベースのエアホステス(客室乗務員)として勤務していた。Yは従来、東京ベースの日本人エアホステスに対して、ドイツと東京との生活費等の差額を補塡する趣旨で付加手当を支給してきた。しかし、ドイツにおける給与所得に対する課税方法が変更され、X1~X3の給与の手取額が増加したことを理由に、付加手当を撤回した。そこで、X1~X3は、付加手当の撤回が無効であることを理由として、Yに対し同手当等の支払いを求めて訴えを提起した。手当撤回の有効性を判断する前提として、X1~X3の労働契約には日本法、ドイツ法のいずれが適用されるのかが争われた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

労働契約の準拠法は、法例7条の規定に従って定められるが、当事者間に明示の合意がない場合でも、当事者自治の原則を定めた法例7条1項により、契約の内容など具体的事情を総合的に考慮して当事者の暗黙の意思を推定すべきである。X1~X3らの各労働契約の内容は、ドイツで締結された労働協約によると合意されている。また、X1~X3らは、付加手当等、労働協約の適用を受けない個別的な労働条件については、フランクフルト本社の客室乗務員人事部と交渉してきた。X1~X3らに対する具体的な労務管理や指揮命令、フライトスケジュールの作成もドイツの担当部署が行っている。そのうえ、Xらの募集、面接、採用決定、労働契約締結はフランクフルト本社の担当者が行った。以上の諸事実を総合すれば、XらとYの間に、本件各労働契約の準拠法はドイツ法であるとの暗黙の合意が成立していたものと推定することができる。また、国際線の客室乗務員であるXらの労務供給地は他国間にまたがっていて特定の労務供給地はないというべきであり、ホームベースが日本であることのみでは、当事者間で準拠法を日本法とする合意が成立していたとはいえない。

3 解説
(1)準拠法が問題となる場合
国際的な労働関係においては、その労働契約に日本法・外国法のどちらが適用されるのか、という準拠法の問題が生じる。具体的には、外国法人や外国法人の日本子会社(外資系企業)が使用者である場合、労働者が外国籍である場合、日本企業に雇用されている労働者が海外出張や転勤により外国で勤務する場合などである。

(2)国際的労働契約の準拠法の決定
準拠法の問題のうち、労基法や最賃法などの強行法規の適用をのぞく労働契約上の問題については、従来、法例7条1項の下で①外国法を適用することが公序に反しない限り、当事者の合意により準拠法を決定する、②当事者の明確な合意がない場合にも、様々な事情を考慮して、できる限り当事者の暗黙の意思を探求し、それに従って準拠法を決定する(モデル裁判例を参照)という処理がなされてきた。

現在は、2006年に制定された「法の適用に関する通則法」(以下、通則法)により、準拠法の決定について以下のような基準が示されている。

まず、一般原則としては、法律行為がなされた時に当事者が選択した地の法が準拠法とされる(7条)。当事者による選択(明確な意思表示)がない場合は「当該法律行為に最も密接な関係がある地の法」が適用される(同法8条1項)。労働契約については特則が定められており、原則として、労務を提供すべき地の法が「最も密接な関係がある地の法」と推定される(同法12条2項)。労務供給地を特定できない場合は、当該労働者を雇い入れた事業所がある地の法が「最も密接な関係がある地の法」と推定される(同法12条3項)。

モデル裁判例は通則法の施行前のケースであり、法例7条1項に基づいて当事者の暗黙の意思を探求することにより、ドイツ法が準拠法と判断された。同じケースを通則法に照らして判断するならば、Xらの労務供給地を特定できない以上、事業所の所在地である日本法が「最も密接な関係がある地の法」と推定されることになろう。ただし、これはあくまでも推定であるから、当事者がXらの労務管理や採用手続はすべてドイツ本社が行っており、日本の営業所との関係は形式的なものである等の事情を立証すれば、上記の推定を覆してドイツ法を準拠法と判断することも可能だと思われる。

(3)労基法など強行法規の適用
上記の通り、通則法は、労働契約の準拠法は当事者の選択により決まるという原則を定めている。それでは、当事者が外国法を選択した場合、労働者が日本で就労していても労基法などの保護法は適用されないのだろうか。

この点については、通則法が制定される以前から、労基法、労働安全衛生法、最低賃金法、労災保険法など、刑事制裁や行政取締により実効性を確保するしくみをもつ強行的な労働保護法規は、日本国内において営まれる事業に対しては、使用者・労働者の国籍を問わず、また当事者の意思のいかんを問わず、適用されると解されてきた。

通則法も労働者保護の観点から、労働契約の準拠法について当事者の選択の自由を制限している。すなわち、労働契約の当事者が(2)で述べた「最も密接な関係がある地の法」を準拠法として選択しなかった場合も、労働者の意思表示により、同地の「特定の強行法規」が適用される(12条1項)。したがって、当事者の選択にかかわらず、日本法が「最も密接な関係がある地の法」であれば、労働者が求めた場合には労基法や最賃法などが当該労働契約に適用されることになる。また、明文の規定はないが、労働者が意思表示をしなかった場合にも上記の「特定の強行法規」は適用されるというのが通則法の立法趣旨と解されている。

したがって、日本国内で事業を行う外国企業や、日本国内で就労する外国人労働者(不法就労外国人をも含む)に対しては、使用者・労働者の国籍や当事者の意思にかかわらず、労基法等が適用される。逆に、外国で事業を営む日本企業や、海外の企業で働く日本人労働者には、原則として労基法等は適用されないことになる。ただし、国内の事業場から海外へ派遣された労働者については、海外での就労が一時的なもので国内の事業との関係が継続していると認められる場合(短期の出張や、長期の転勤であっても日本国内の事業場が雇用管理を行っている場合など)には、労基法等が適用される。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 2.雇用関係の開始 > (4)募集

(4)募集 2.雇用関係の開始
1 ポイント
(1)求人票に記載された基本給の金額は、入社後に支払う賃金の見込額であり、入社時までに最終決定される初任給の目標数値と解するべきである。

(2)求人・採用内定の時期と入社時期が数か月も離れており、また、4月に賃金改定を一斉に行う慣行があるわが国の雇用事情を鑑みると、求人票の記載事項がそのまま労働契約の契約条項となると解することは無理であり、実情にも一致しない。採用内定時に労働契約が成立すると解するとしても、その際に求人票に記載された基本給額がそのまま当該労働契約の契約条項として確定すると解することは相当ではない。

(3)賃金は重要な労働条件の一つであり、新卒者は、求人票記載の基本給額が支払われることを期待して入社を決定していることを考慮すると、会社が、社会的に非難されるほどに求人票記載の見込額を著しく下回る額で、初任給を決定することは許されない。

2 モデル裁判例
八州測量事件 東京高判昭58.12.19 労判421-33

(1)事件のあらまし
Yは、昭和50年度の新入社員募集のために近隣の大学、専門学校等に求人斡旋を依頼し、Xらはこれに応募してYから採用内定通知を受けた。Xらはそれぞれの学校を卒業して、昭和50年4月1日からYで勤務し始めた。Xらは、入社後支払われた賃金額が、求人票記載の基本給見込み額を下回っていたことから、求人票記載の賃金見込み額と実際に支払われた賃金額の差額分の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

本件では、YがXらに送付した合格通知書・採用内定通知のほかには労働契約締結のための特段の意思表示をすることが予定されていなかったから、Yの採用通知は、Xらの求人申込みに対する承諾であって、当該採用通知を発した時に、XらとYとの間に、いわゆる採用内定として、労働契約の効力発生の始期を昭和50年4月1日とする労働契約が成立したと解される。

Xらは、この労働契約成立時(採用内定通知発令時)に、基本給額が各求人票記載の額で確定したと主張するが、「求人票に記載された基本給額は『見込額』であり、・・最低額の支給を保障したわけではなく、将来入社時までに確定されることが予定された目標としての額であると解すべきであ」る。すなわち、新卒者の求人が入社の数か月前から行われ、また、例年4月に賃金改定が一斉に行われるわが国では、求人票に入社時の確定賃金の記載を要求するのは無理が多く実情にも即しない。求人は労働契約申込みの誘引であり、求人票はそのための文書であるから、求人票の内容がそのまま最終の契約条項となることが予定されていない。そのため、採用内定時に賃金額が求人票記載の通りに当然確定するとは解することができず、またそのように解しても労基法15条の労働条件明示義務に反するものとは思われない。ただし、賃金は最も重要な労働条件であり、新卒者は、入社に際して求人者から低額の確定額を提示されても受け入れざるを得ないのであるから、求人者はみだりに求人票記載の見込額を著しく下回る額で賃金を確定すべきではないことは信義則上明らかである。本件についてみると、賃金が求人票の記載よりも低くなった経緯には、石油ショックが背景にあり、他に社会的非難に当たる事実は認められず、Yも内定者に入社前に一応の事態を説明し注意を促しており、各低額も見込み額よりは3000~5000円程度下回るが、前年初任給よりは7000円程度上回っており、労働契約に影響を及ぼすほどに信義則に反するものとはいえない。

3 解説
(1)募集に関する法規則
労働者の募集(求人)は、雇用主が直接に、または文書やインターネット等を利用して行う場合については、自由にこれを行うことができるが、求人を第三者に有償で委託する場合には、厚労大臣の「許可」を得てこれを行う必要がある(無償の求人委託は、厚労大臣へ「届出」が必要。職安法36条)。なお、新聞や雑誌等に求人広告を載せる場合には、平易な表現を用いて募集内容を的確に表示し、労働者に誤解が生じないように努めなければならない(職安法42条)。

(2)労働条件明示義務
雇用主は、労働契約を締結する場合には、労働者に対して、賃金、労働時間などの労働条件を具体的に明示しなければならない(労基法15条1項)。明示義務の対象となる事項は、契約期間、契約更新の有無や更新の基準、就業場所、従事すべき業務、所定労働時間、賃金、退職に関する事項、安全衛生、職業訓練、災害補償、業務外傷病扶助、休職等である(労基則5条1項)。また、特に重要な労働条件については、書面により、労働者に提示しなければならない(同条2項、3項)。なお、使用者が、公共職業安定所や民間の職業紹介事業者を介して求人を行う場合には、使用者が、まず、これらの機関に対して労働条件を明示し、これらの機関は、雇用主が明示した労働条件を求職者に正確に伝えることになる(職安法5条の3)。

締結時に明示された労働条件と実際の労働条件が異なる場合には、労働者は、即時に労働条件を解除することができる(労基法15条2項)。労働契約を即時解除した労働者が、契約解除から14日以内に帰郷する場合には、雇用主にその旅費を請求することができる(同条3項)。また、労働条件明示義務違反者に対しては、30万円以下の罰金刑が用意されている(労基法120条)。

パートタイマーについては、パート労働法によって、労基法15条による労働条件明示事項に加えて、「特定事項」(昇給、退職手当、賞与の有無)を文書によって明示する義務が課せられている(パート労働法6条、施行規則2条)。派遣法では、派遣元事業者に対して、派遣先の就業条件を書面交付等により派遣労働者に明示する義務が課せられている(派遣法34条、施行規則26条)。

(3)求人票の記載と契約締結時に示された労働条件の相違
モデル裁判例は、実際に支払われた賃金額が求人票記載の基本給額を下回っていたという事件である。裁判所は、まず、求人票は、労働契約の申込みの誘引のための文書であり、そこに記載される基本給額はあくまで「見込額」と解されるべきものであって、求人票記載の基本給額が最終の契約条項と解することはできないため、本件において労働条件明示義務違反があったとは認められないとした。しかし、他方で、求人者が、みだりに求人票記載の基本給見込額を著しく下回る額で賃金支給額を確定することは信義則上許されないとも判示している。なお、モデル裁判例では、会社が入社前に内定者に経済状態の悪化について注意を促しており、確定した賃金額も信義則に反するほど低いものではないとして、不法行為の成立が否定されているが、他方で、美研事件(東京地判平20.11.11 労判982-81)では、募集広告に示された基本給額が試用期間満了後に引き下がることについて会社が何らの説明もしなかったとして(本採用後は能力給が支給されるため基本給が減額される仕組みであった)、労働者の同意ない基本給の減額が無効とされている。

これまでの裁判例をみると、雇用主が、採用選考の面接の中で、求人票の記載とは異なる労働条件を提示し、労働者がこれに合意したり、異議を留めずに契約書に署名押印したりした場合には、労働者に著しい不利益をもたらす等の特段の事情がない限り、面接時や契約締結時の合意が求人票の記載の内容に優先すると解されているものが多い。たとえば、藍澤證券事件(東京高判平22.5.27 労判1011-20)では、求人票では「無期契約の正社員」と記載されていたが、面接後に取り交わした契約書では「有期契約の契約社員」という条件になっていた。裁判所は、会社は契約締結前に労働者に熟慮する時間を十分与えており、労働条件も書面によって明示されているから、契約書の内容で合意が成立していると認めることを否定する「特段の事情」は認められないと判断している。日本アスペクトコア事件(東京地判平26.8.13 労経速2237-24)では、内定の段階で説明された業務内容と労働契約書に記載された業務内容が異なっていたことが問題となったが、裁判所は、労基法15条1項違反が認められるとしても、同条違反の法的効果は労基法15条2,3項に留まるものであり、直ちに説明義務違反が成立するものではなく、本件では、正式な契約書を作成する時点では業務内容を正確に明示し、労働者はこれに異議を留めて、求人票記載の業務に変更を求め、希望が適ってその業務に就いたことを考慮すると、会社は説明義務を尽くしており、信義誠実義務違反があったとも認められないと判断した。

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(5)【採用】採用の自由 2.雇用関係の開始
1 ポイント
(1)憲法は、思想信条の自由(19条)と法の下の平等(14条)を保障するが、これらの規定は、国・公共団体と個人との関係を規律するものであり、企業と労働者のような私人相互の関係を直接規律することを予定したものではない。

(2)企業には、経済活動の自由が憲法の保障する基本的人権の一内容として保障されており、それゆえ、企業には、経済活動の一環として契約締結の自由があり、どのような者をどのような条件で雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができる。

(3)労基法3条では、国籍、信条又は社会的身分を理由とする労働条件に関する差別的取扱が禁止されているが、これは、雇用後の労働条件の設定に対する制限であって、採用時の差別を禁止するものではない。また、思想信条を理由とする採用拒否は、民法上も、直ちに不法行為や公序良俗違反に該当するとはいえない。

(4)企業が、採否決定に先立って労働者の性向、思想等の調査を行うことは、雇傭関係が継続的な人間関係として相互信頼を要請するものであり、わが国のように終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることを鑑みると、合理性を欠くものとはいえない。

2 モデル裁判例
三菱樹脂事件 最大判昭48.12.12 民集27-11-1536

(1)事件のあらまし
Xは、Yに、管理職要員として、大学を卒業すると同時に採用されたが、3か月の試用期間が終わる直前に本採用はできないと告げられた。本採用拒否の理由は、Xが、採用前に提出した身上書において、大学在学中に違法な学生運動に従事していた事実を記載せず、面接の際にも学生運動に参加した事実を秘匿しており、これらの行為が、管理職要員としての適格性を否定するものであるからというものだった。Xは、Yによる本採用拒否は、憲法が保障する思想・信条の自由への侵害であり、かつ、信条による差別の禁止に抵触するものである等とし、雇用契約上の権利の確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

憲法19条、14条の規定は、「国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。」「憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、他方、22条、29条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない」

「労働基準法3条は、労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限であつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであり、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出せない。

「企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由はない。」企業が、採否決定に先立って労働者の性向、思想等の調査を行うことは、雇傭関係が継続的な人間関係として相互信頼を要請するものであり、わが国のように終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることを鑑みると、合理性を欠くものということはできない。

3 解説
(1)採用の自由に対する制約
モデル裁判例では、採用選考における虚偽申告(大学在学中の学生運動への参加事実の秘匿)を理由に、本採用を拒否することが法的に許されるかどうかが問題となった。この事件の本採用拒否は、労働者の不誠実な態度を理由としたものであり、労働者の思想信条が直接の許否理由として示されたものではないが、本件で秘匿した事実(学生運動への参加)は、労働者の思想・信条を推認させるものであったため、このような思想・信条に関する事実を踏まえて採用を拒否することが、憲法の諸規定や労基法3条に照らして許されるかどうかが問題となった。

この点につきモデル裁判例最判は、企業には契約の自由があり、法律その他によって特別の制限がない限り、自由に雇用の採否を決することができるとし、労働者の思想信条を理由とする雇入れの許否も当然に違法ではないとしている。その後に、慶応義塾(慶大医学部附属厚生女子学院)事件(東京高判昭50.12.22 労民集26-6-1116)において、看護婦(看護師)養成学校の卒業生を、在学時代の政治的活動への参加等を理由として大学付属病院への採用拒否することが思想信条による採用差別に当たるかが問題となったが、裁判所は、労働者の採否判断の広範な諸要素の一つとして、もしくは、思想信条を直接問題にするのではなく、ある思想信条に基づく諸活動を問題にする場合(間接理由)には、そのような採用決定も違法ではないと判断した。

(2)採用に関する法規制
雇用主の採用の自由は、上記最高裁判決により、「法律その他による特別の制限」がない限り、広く認められるとされている。もっとも、現在は、複数の法令によって、以下のように、採用時の差別が禁止されている。

まず、性別による採用差別については、均等法5条がこれを禁止する。また、年齢を採否基準に用いることは、雇対法10条により禁止されている(例外については、雇対法施行規則1条の3第1項-『労働関係法規集2016年版』(JILPT、2016年)418頁)。また、労組法7条1号は、労働組合非加入を雇用の条件にすることを禁止している(黄犬契約の禁止)。さらに、障害者雇用促進法34条において、募集・採用における障害者に対する均等な機会の付与が定められている。また、事業主は、障害者が求めた場合には、過重な負担にならない限り、募集・採用における均等な機会の保障に必要な措置(合理的配慮)を提供しなければならない。(合理的配慮の提供義務。障害者雇用促進法36条の2)

(3)調査の自由と個人情報の保護
モデル裁判例では、採用選考において、思想信条に関わる情報の申告を求めることができるかも問題となった。近年、労働者のプライバシー保護に関する意識が社会的に高まっており、採用選考において収集することのできる個人情報の範囲について、しばしば裁判が起きている。

モデル裁判例最高裁判決は、思想信条による採用拒否が違法ではない以上、これに関連する事項の申告を求めることも違法ではないと判断した。ただし、現在では、職業安定法5条の4において、求人者等は、本人の同意がある場合その他正当な理由がある場合以外については、業務の目的の達成に必要な範囲で求職者の個人情報を収集しなければならず、その情報は、収集の目的の範囲内で保管・使用しなければならないと定められている。同法に基づき策定された行政指針では、「人種、民族、社会的身分、門地、本籍、出生地その他社会的差別の原因となるおそれのある事項」、「思想及び信条」、「労働組合への加入状況」については、原則として収集してはならないとされている(ただし、特別な職業上の必要性が存在することその他業務上の目的の達成に必要不可欠であって、収集目的を示して本人から収集する場合を除く。)(平11.11.7労働省告示第141号『労働関係法規集2016年版』(同上)483頁)

裁判例では、健康情報を本人の同意なく収集することが、プライバシー侵害に当たるとして、慰謝料の支払いを命じられたものが複数ある。HIV抗体検査(警視庁警察学校)事件(東京地判平15.5.28 判タ1136-114)では、血液検査において、HIVウイルスの抗体の有無を本人の同意なく調べ、検査結果を本人に伝えて警察学校への入校辞退を誘導したことの違法性が争われた。判決では、同意なく行われた抗体検査の違法性が肯定されている。また、B金融公庫事件(東京地判平15.6.20 労判854-5)では、採用選考の最終段階でB型肝炎ウイルス検査が、本人の同意なく行われ、その後に不採用が決定された。裁判所は、特段の事情がない限りB型肝炎ウイルスの検査は行ってはならず、調査の必要性がある場合でも、検査の目的や必要性について告知し本人の同意を得る必要があるとして、当該検査はプライバシー侵害に当たるとした。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 2.雇用関係の開始 > (6)【採用】採用内定取消

(6)【採用】採用内定取消 2.雇用関係の開始
1 ポイント
(1)入社するまでの間に、採用内定通知を発した以外に、労働契約の締結に関する特別の意思表示(書面の交換や意思確認手続等)をすることが予定されていない場合は、労働者が求人に応募することが「契約の申込み」となり、会社がこれに応じて内定通知を出すことがその申込みへの「承諾」となる。労働者が会社からの内定通知を受けて、卒業後に入社を確約し、会社が示す内定取消条件に同意する旨の誓約書を送付した場合には、就労の始期を大学卒業直後とし、内定から卒業までの間は誓約書記載の内定取消事由に基づく解約権が行使される可能性があるという「就労始期付解約権留保付労働契約」が成立したと解される。

(2)会社から採用内定を得た学生は、その会社への入社を期待して、他社への応募やすでに得ていた他社の内定を辞退し、他社への就職の機会を放棄する。このような採用内定中の学生の立場を考えると、会社が、採用内定中にみだりに契約の解約権を行使することは許されない。会社側から解約権を行使できる場合(採用内定を取り消すことができる場合)とは、具体的には、採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実を認知し、その認知した事実を理由として採用内定を取消すことが採用内定期間中の解約権という権利の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当と認められる場合に限られる。

2 モデル裁判例
大日本印刷事件 最大判昭54.7.20 民集33-5-582

(1)事件のあらまし
Yは、昭和43年6月頃、A大学に対し、翌年3月卒業予定者でY社に就職を希望する者の推薦を依頼した。A大学に在籍していたXは、大学の推薦を得てYの上記求人に応募し、同年7月に筆記試験と適格検査を受けてこれに合格し、数日後に面接試験と身体検査を受け、13日に採用内定を得た。Xは、内定通知書と一緒に送付されてきた誓約書を、Yの指定日までに送付した。A大学では、学生が内定を得た場合にはその会社に入社を決定し、それ以後は他社に応募しないという「先決優先指導」を行っており、Xもそれに従って、以後の就職活動を中止した。

Yは、昭和44年2月に、Xに対する採用内定を突然取り消した(理由が示されていなかった)。Aは、大学を通じてYと入社交渉をしたが成果はなく、3月にA大学を卒業した。Xは、Yの誓約書受理により、XY間には労働契約が成立したのであり、Yによる突然の内定取消は解雇権の濫用であると主張し、雇用関係の確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

本件では、採用内定通知のほかに労働契約締結のための特段の意思表示をすることが予定されていなかつたのであるから、Yからの募集(申込みの誘引)に対し、Xが応募したのは労働契約の申込みであり、Yの内定通知は、Xの申込みへの承諾であって、Xの誓約書の提出とあいまって、XY間に、就労の始期を大学卒業直後とし、それまでの間、誓約書記載の内定取消事由に基づく解約権を留保した労働契約が成立したと解するのが相当である。一般に、内定を得た学生は、その会社への就職を期待し他社への就職機会と可能性を放棄するから、内定を得ている学生の地位は、就労の有無という違いはあるが、試用期間中の労働者と基本的に異なるものではない。それゆえ、採用内定期間の解約権行使には、試用中の留保解約権の行使の適否と同様に解するのが相当である。つまり、内定取消事由は、「採用内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実であつて、これを理由として採用内定を取消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することができるものに限られる」。Yは、Xのグルーミー(陰気)な印象を内定取消事由とするが、Xの印象は当初から分かっていたものであり、これを社会通念上相当とは是認できず、解約権の濫用にあたる。

3 解説
(1)採用内定と労働契約の成立
日本では、基幹業務を担う労働者を、新卒者の定期一括採用によって確保する会社が多い。各社は、4月に始まる新年度に合わせて雇用される労働者の人数を早期に確定させるために、早いときでは入社日の半年以上前の段階で労働者に「採用内定」(以下、「内定」)を伝え、他社への求職活動の放棄を求める。しかし、入社直前の時期になって突然、内定を取消して卒業間近の学生の採用を拒否する会社が現れたため、このような内定取消の違法性が問題となった。モデル裁判例の最高裁判決は、まず内定の法的性質について、本件では内定通知の他に、契約締結に関する特段の意思表示をすることが予定されていなかったと認定した上で、本件では労働者の求人応募が契約の申込みとなり、内定通知と労働者からの誓約書の提出によって、内定の時点で、就労開始を大学卒業直後とする労働契約(就労始期付解約権留保付労働契約)が成立したと判断した。

なお、労働契約の成否や成立した契約の性質は、契約準備過程における当事者の言動や取り交わされた文書の性質等から、事案毎に判断されるものである。そのため、たとえば、電電公社近畿電話局事件(最二小判昭55.5.30 民集34-3-464)では、一連の事実経緯から、内定通知の時点で、労働契約の効力発生の時期を来期4月1日とする「効力始期付解約権留保付労働契約」が成立したと判断された。他方、「内々定」における労働契約の成否が問題となったコーセーアールイー(第2)事件(福岡高判平23.3.10 労判1020-82)では、使用者が採用選考の合格を労働者に伝えたが、正式な内定通知日は後から連絡すると告げ、その時点では他社への求職活動の放棄を求めなかったため、裁判所は、このような「内々定」の時点では、両者の間に労働契約が成立したとは認められないとした。新日本製鐵事件(東京高判平16.1.22 労経速1876-24)でも、使用者は、例年内定式の際に誓約書、個人票、写真等の提出を受けて内定通知書を交付しており、このような慣行に照らすと、内々定の段階では労働契約の成立を認めることはできないと判断されている。

(2)内定取消の違法性判断
内定が通知された段階で労働契約の成立が認められる場合、使用者による内定取消は、労働契約の解約の意思表示となる。モデル裁判例最高裁判決は、新卒者に対する内定取消の適否について、他社への就職の機会を放棄しているという内定者の状況を重視し、内定取消が許される場合とは、内定当時知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知り、その明らかとなった事実を理由として採用内定を取り消すことが、内定中の解約権留保の趣旨目的に照らして客観的に合理的であり社会通念上相当と認められる場合のみであるとされた。

内定取消に関する過去の例をみると、起訴猶予処分を受ける程度の違法な行為に積極的にかかわった労働者に対する適格性欠如を理由とする内定取消を適法とした例がある(前掲電電公社近畿電話局事件)。他方内定取消を違法とした例には、応募書類では在日朝鮮人であることを秘匿し、後にそのことが判明して内定取消となった日立製作所事件(横浜地判昭49.6.19 判時744-29)があり、ここでは、提出書類の虚偽記入は、その内容・程度が重大で信義に欠くものでなければ内定取消は認められないとされた。また、モデル裁判例では、陰気な印象は採用選考当時認識しうるものであり、これ理由とする内定取消は社会通念上相当ではないと判示されている。なお、使用者は、学生が学業を理由に研修免除を要請した時には、研修を免除しなければならず、研修の免除を申しでた学生に内定取消等の不利益取扱いをすることはできない(宣伝会議事件・東京地判平17.1.28 労判890-5)。

なお、中途採用者に対する内定取消も、モデル裁判例の枠組みが用いられる。たとえば、オプトエレクトロニクス事件(東京地判平16.6.23 労判877-13)では、前職に関する悪い噂に基づき労働者に対する採用内定が取り消されたが、裁判所は労働者の能力や性格等について確実な証拠に基づく事由がなければならないとして、本件内定取消を違法と判断した。インフォミックス事件(東京地決平9.10.31 労判726-37)では、経営悪化を理由とする中途採用予定者への内定取消が問題となったが、裁判所は、整理解雇の有効性に関する判断枠組みの下で、経営悪化は内定取消の客観的合理的理由として認められるが、使用者の内定取消後の対応は不誠実であり、労働者が被った著しい不利益に鑑みると、内定取消は社会通念上相当とは認められないとして内定取消の違法性を認めた。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 2.雇用関係の開始 > (7)【採用】労働契約締結準備段階における過失

(7)【採用】労働契約締結準備段階における過失 2.雇用関係の開始
1 ポイント
(1)労働契約の締結準備をしている過程においても、契約当事者は、相手方の利益を侵害するような行為はできる限り避けなければならない。たとえば、契約締結の準備をしている段階で、相手方が誤った認識をもち、労働契約が確実に成立すると信じて行動しようとし、その結果として過大な損害が生じそうになった場合には、一方当事者は相手方の誤解を解くように努力し、損害の発生を避ける協力をしなければならない。

(2)労働契約締結準備過程において要求される上記(1)の義務を怠り、相手方に損害を生じさせた場合には、義務を怠ったことによって生じた損害を賠償する責任が生じる。

2 モデル裁判例
かなざわ総本舗事件 東京高判昭61.10.14 金商767-21

(1)事件のあらまし
訴外Z(中小企業)の取締役・総務部長であったXは、Y(小規模の家族的企業)の代表であるAから、取締役もしくはそれと同等の重要な役職で採用したいとの誘いをうけた。Xは、Aから給与面等を含めた入社条件にも触れたうえで入社意思についての確認をうけ、Yとの雇用契約が確実に成立するものと信じて勤務していたZを退社した。ただし、Xが退社する前に、XとYとの間で採用に関する書面は交換されず、入社後にXが担当する業務の内容についても具体的な検討がなされた形跡はなかった。また、Yは新潟にあり、Xは転居してYでの勤務を開始する予定であったが、Zを退社した時点ではまだ、入社後の住居が決まっていなかった。

Aは、Xの採用に先立ち興信所にXの調査を依頼したが、その結果調査をみてXに不信を抱き最終的にはXの入社を断った。Xは、Aの行為に関してYの債務不履行責任又は不法行為責任を主張しYに対して損害賠償を求める訴訟を提起した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

「契約締結の準備段階であっても、その当事者は、信義則上互いに相手方と誠実に交渉しなければならず、相手方の財産上の利益や人格を毀損するようなことはできる限り避けるべきである。」「準備段階での一方の当事者の言動を相手方が誤解し、契約が成立し、もしくは確実に成立するとの誤った認識のもとに行動しようとし、その結果として過大な損害を負担する結果を招く可能性があるような場合には、一方の当事者としても相手方の誤解を是正し、損害の発生を防止することに協力すべき信義則上の義務があり、同義務を違背したときはこれによって相手方に加えた損害を賠償すべき責任がある。」

本件についてみると、Yの代表者であるAは、Xが会社に辞表をだして一旦は受理されなかったものの、再度辞表を提出して退社することが決まった等の一連の経緯を認識していたのであるから、Yには、Xに対して、雇傭問題が現在いかなる方針となっているか的確な情報を提供し、Xに自己の行動を再検討する契機を与えるべき義務があった。しかし、AはXに「現状のままでいい」との言葉しかかけず、契約締結準備過程において要求される上記の信義則上の義務を果たさなかったのであり、Yはその結果としてXに生じた損害を賠償すべき責任がある。ただし、Xは、契約準備段階で会社を退社せずにYと書面で契約内容を確認し合うとか、Aの言葉の正確な意味を確かめてから退社してもよかったのであるから、退社による損害についてはXの過失が大きく、その過失の割合はXが約7割、Yが約3割とするのが相当である(Xの退職による逸失利益668万円強のうち、Yの分担を200万円とした)。また、Yの信義則違反によるXの精神的苦痛に対する慰謝料は、100万円が相当である。

3 解説
(1)契約内容の理解促進・使用者の説明義務
労働契約は、労働者と使用者が対等な立場で自主的に交渉し、労働条件の具体的な内容を互いに確認・了承した上で締結されるべきものである。ただし、実際の場面では、労働者が契約の具体的な内容を使用者に尋ねにくい等の状況が生じやすい。そのため、労働契約の締結交渉をする際には、使用者は、労働者に、労働条件や労働契約の内容等について丁寧に説明し、労働者の理解が深まるように努力することが求められている(労契法4条)。また、賃金や労働時間等の重要な労働条件については、書面を取り交わして、お互いに内容を確認することが求められている(「労働条件明示義務」、労基法15条1項、労契法4条2項)。

労働契約の締結過程では、使用者は、労働者が労働契約の内容について誤解したままに契約を締結しないように、労働条件等について誠実に説明する必要があり、契約内容について誤解がある場合には、その誤解を解く努力が求められる。たとえば、日新火災海上保険事件(東京高判平12.4.19 労判787-35)では、中途採用を予定していた者に、同時期に入社する新卒定期採用者と同程度の給与待遇で入社できるものと誤解させるような説明をして労働契約を締結し、労働者に精神的損害を与えたとして信義則違反による不法行為の成立が認められている。

(2)労働者の契約成立に向けた期待と使用者の損害回避義務
近時、他社に勤務する労働者に対して入社の誘いをかける「引き抜き」の事案が増えている。引き抜きの場合、労働者の職務能力や経歴、労働時間や賃金等の労働契約における重要な労働条件が、労働者と使用者との間で折り合わなければ、契約交渉は打ち切りとなり、契約は不成立となる。しかし、入社を勧誘された側(労働者)は、勧誘先との労働契約の成立を期待して、契約が正式に締結される前に、契約締結に向けた準備を進めていることも多く、意に反して契約不成立となった場合には、不測の損害を被る可能性がある。そのため、判例法理では、契約締結過程において、勧誘した側(雇用主)が採用を断念する決定をした場合には、速やかに相手にその旨を伝えて、相手方に著しい損害が発生しないようにする信義則上の義務があり、この義務に反して、相手方に損害を与えた場合にはこれを賠償する責任があるとされている。労働者が、引き抜き交渉の途中で勤務先を退職し、後に契約不成立となって、引き抜き側の信義則違反が認められた例としては、モデル裁判例の他に、大阪大学事件(大阪地判昭54.3.30 判タ384-145)、ユタカ精工事件(大阪地判平17.9.9 労判906-60)がある。

また、わいわいランド(解雇)事件(大阪高判平13.3.6 労判818-73)では、保育園の開園を契約していた者が、他社で働く労働者2名に、労働契約の締結を持ち掛けたが、開園準備の途中で計画が頓挫し、保育士を採用することができなくなった。裁判所は、雇用主は、自らが提示した雇用条件をもって雇用を実現し、雇用継続できるように配慮する義務があるとし、また、本件では、雇用が困難となった時点で、労働者に雇用継続に関する客観的な説明を行う義務があったとして、引き抜き側(雇用主)に、労働契約締結における信義則違反による不法行為の成立を認めた。

(3)契約交渉における労働者の申告義務
契約締結の過程においては、使用者のみならず労働者の側も、契約の成立に向けて誠実に対応することが求められる。使用者は、労働者に対して、労働能力の評価に直接関わる事項や企業の秩序維持に関する事項について、必要かつ合理的な範囲で申告を求めることができるし、申告を求められた労働者は、採用に必要な情報を正確に相手方に伝える信義則上の義務がある。労働者の能力詐称が問題となったKPIソリューションズ事件(東京地判平27.6.2 労経速2257-3)では、採用選考において、自己の職歴、職業上の能力(日本語能力等)を詐称し、提示された賃金額に上乗せを要求して労働契約の締結に至ったが、後日、労働者の能力不足が判明し、経歴・能力の詐称を理由に解雇された。裁判所は、労働者の不誠実な能力申告が直ちに不法行為を構成すると解することは相当ではないが、労働者が詐称に基づき賃金を上乗せさせた行為は詐欺であり不法行為を構成し、上乗せ賃金が使用者側の損害と認められると判断した。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 2.雇用関係の開始 > (8)試用期間

(8)試用期間 2.雇用関係の開始
1 ポイント
(1)当事案の諸事情を考慮したうえで、試用期間付労働契約が、試用期間固有の解約権を留保した「解約権留保付労働契約」と認められる時には、試用期間満了時における解約権の行使(本採用拒否)は、解雇と理解されてその適否が判断されることになる。

(2)試用者解約権行使は、試用期間付契約の趣旨に鑑みて、雇入れ後の解雇の時よりは解雇の自由が広く認められる。

(3)試用期間中の者は他社への就職の機会を放棄していることから、本採用拒否には一定の制約が課される。本採用拒否が許されるのは、採用決定後における調査の結果や試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知った場合で、そのような事実に基づき本採用を拒否することが、解約権留保の趣旨・目的に照らして、客観的に相当であると認められる場合に限られる。

2 モデル裁判例
三菱樹脂事件 最大判昭48.12.12 民集27-11-1536

(1)事件のあらまし
新卒者であったXは、Yに管理職要員として卒業と同時に入社したが、3か月の試用期間が終わる直前に本採用を拒否された。本採用の拒否理由は、Xが入社試験の際に、大学在学中に過激な学生運動に関与していた事実を隠したことが、管理職候補として相応しくないと判断されたからというものであった。Xは、本採用拒否の効力を争い、雇用契約上の権利の確認を求めて提訴した。原判決(東京高判昭43.6.12)は、本件の雇用契約は、試用期間中にXが管理職要員として不適格と判断された場合は、それだけを理由として雇用を解約することができるという解約権が留保された契約であり、それゆえ、本件の留保解約権の行使は解雇にあたるとし、Yが入社試験の際に申告を求めた事柄(政治的思想や信条に関連する事項)は、そもそも入社試験において申告を求めるべきものではなく、これ自体が公序良俗に反するものであるから、Xが虚偽の回答をしたからといって、これを理由に雇用契約を解約することはできないとした。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

試用契約の性質をどう判断するかについては、就業規則の規定だけではなく、当企業において試用契約を付けて雇われた者に対する処遇の実情、とくに本採用に関する取扱の慣行の様子をも重視しなければならないが、Yでは、これまで大学卒業の新卒者の本採用を拒否した例はなく、本採用の手続も、改めて契約書を交わすことなく簡易な辞令を交付するのみであった。このような過去の実態に照らすと、「本件本採用の拒否は、留保解約権の行使、すなわち雇入れ後における解雇にあたり、これを通常の雇入れの拒否の場合と同視することはできない。」

本件の解約権留保は、新卒者の採否判断の当初は、適格性を判断する適切な資料が十分に収集できないために、最終決定を試用期間中の調査や観察後まで保留するというものであり、このような留保をつけることは、今日の状況に鑑みると合理性がある。それゆえ、試用期間満了後の解雇(留保解約権行使)は、通常の解雇と全く同一とは解し得ず、通常の解雇よりも解雇の自由は広く認められる。しかし、契約締結時には、一般に企業が労働者よりも社会的に優位にあり、かつ、企業に試用期間が設定されて入社した者は、当該企業に本採用されるとの期待の下に、他企業への就職の機会と可能性を放棄していることから、前記留保解約権の行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解する。つまり、「企業者が、採用決定後における調査の結果により、または試用中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないような事実を知るに至つた場合において、そのような事実に照らしその者を引き続き当該企業に雇傭しておくのが適当でないと判断することが、上記解約権留保の趣旨、目的に徴して、客観的に相当であると認められる場合には、さきに留保した解約権を行使することができるが、その程度に至らない場合には、これを行使することはできないと解すべきである。」

3 解説
(1)本採用拒否の違法性
モデル裁判例は、①新卒で採用した労働者に試用期間を設けることの合理性、②試用期間満了後に行われた本採用拒否の違法性が問題となったものである。最高裁は、①について、労働契約の初期の段階に試用期間を設けて、採用の可否の最終決定を引き延ばすこと(留保すること)は合理性があるとし、②については、試用期間中の解約権行使(本採用拒否)は雇入れ後の解雇であるが、試用期間が労働者の能力や適格性を見極めるために設けられたことを考えると、このような試用期間満了後の解約権行使は、通常の解雇よりは広い裁量が認められるとした。しかし、本件の労働者(新卒者)の置かれた状況を考えると、本件において解約権行使が許されるのは、試用期間前には知ることができなかった事実等が判明した場合であって、その事由に基づき解約権を行使することが、試用期間中の解約権行使の趣旨等に照らして客観的に相当であると認められる場合に限られると判断した。

他の新卒者の例では、技術者として採用された労働者の勤務態度の悪さを理由に行われた本採用拒否が有効とされた日本基礎技術事件(大阪高判平24.2.10 労判1045-5)がある。裁判所は、労働者が自身の勤務態度の改善が必要であったことを十分認識しており、改善に向けた努力をする機会も与えられており、指導・教育も受けていたことを指摘して、解雇をする前に告知・聴聞の機会を与えずとも、当該解雇は有効であると判断した。また、三井倉庫事件(東京地判平13.7.2 労経速1784-3)では、3か月の見習期間を設けて採用された労働者が、平易な作業であってもミスがめだって多かったため、2か月見習期間が延長されたが、能力が採用の水準に至らず解雇された。裁判所は、労働者の能力不足と適格性欠如は明らかであり、これは、就業規則上の普通解雇事由に当たり、本件では試用期間か否かを考慮するまでもなく、解雇は有効であると判断した。

他方、中途採用者の本採用拒否については、新卒者の場合よりも、能力や適格性の有無が厳しく審査され、通常の解雇よりも緩やかな基準で解雇の有効性が判断される傾向にある。ブレーンベース事件(東京地判平13.12.25 労経速1789-22)では、パソコンのスキルがあると申告して採用された労働者が、FAX送信にも苦慮し、即戦力としての雇用継続が期待されないとして解雇された。裁判所は、職場が零細企業であったことを考慮して解雇を有効としている。アクサ生命保険ほか事件(東京地判平21.8.31 労判995-80)では、金融機関での職歴の有無について履歴書に虚偽の記載をして採用された労働者の本採用拒否が問題となったが、裁判所は、労働者は採否決定の重要な要素に関して虚偽の申告をしたものであり、労使の信頼関係は破綻したとして解雇を有効と判断した。他方本採用拒否が違法とされたものには、新光美術事件(大阪地決平11.2.5 労経速1708-9)がある。「未経験者可」の求人に応募し採用された労働者が、組合集会に参加した後に、些細な職務怠慢行為を理由に解雇された。裁判所は、労働者は概ね誠実に職務を遂行しており、組合加入の有無等を聞かれた経緯に照らすと、本採用拒否に合理的理由は認められないとし、解雇を無効とした。

(2)試用期間途中の解雇
試用期間は、労働者の資質、性格、能力等を十分に把握し、従業員としての適性を吟味するための期間であるから、試用期間の途中で労働者を解雇する場合には、試用期間満了後の解雇の場合よりも高度な合理性・相当性が求められる。試用期間途中の解雇については、中途採用者の解雇が問題となった裁判例が多い。たとえば、試用期間途中での解雇を認める程の理由は存しないとして解雇無効と判断されたものとして、ケイズ事件(大阪地判平16.3.11 労経速1870-24)、ニュース証券事件(東京高判平21.9.15 労判991-153)、医療法人財団健和会事件(東京地判平21.10.15 労判999-54)等がある。

(3)試用の性質を有する有期労働契約と雇止め
労働者の能力や適性を判断するために、ひとまずは有期労働契約を締結し、問題がなければ継続して雇用するという合意がなされる場合がある。有期労働契約が適性評価の目的で締結された場合には、当事者間で契約が当然に終了する等の明確な合意がない限り、当該期間は契約存続期間ではなく試用期間と解される。そして、このような試用目的の有期労働契約の雇止めについては、無期労働契約の試用期間満了後の本採用拒否と同視され、解雇権濫用法理の下でその適否が判断される(試用目的の有期労働契約の雇止めが違法と判断されたものとして、神戸弘陵学園事件・最三小判平2.6.5 民集44-4-668)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 2.雇用関係の開始 > (9)賠償予定の禁止~教育訓練・研修費用等の返還請求~

(9)賠償予定の禁止
~教育訓練・研修費用等の返還請求~ 2.雇用関係の開始
1 ポイント
(1)労基法16条は、使用者に対して、「労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額の予定をする契約」を締結することを禁止している。この立法趣旨は、労働者の退職の自由が制約されるのを防ぐことであり、かつてこのような違約金を定めることにより、労働者を身分的に拘束するという弊害がみられたこと等から設けられた規定である。

(2)近年では、企業における海外研修派遣・海外留学に関する費用につき、労働者が研修・留学終了後に短期間で退職するような場合、その労働者に対して返還義務を定めた就業規則の規定や個別の合意などが、同様に労基法16条所定の違約金の定めや損害賠償額の予定に当たり、許されないのか否か等が問題となってきている。

(3)海外留学制度に基づく留学費用返還に係る契約等につき、労働者が労働契約とは別に留学費用返還債務を負っていて、ただ、帰国後一定期間勤務すればこの債務を免除されるが、特別な理由なく早期に退職する場合には留学費用を返還しなければならないという特約が付いているにすぎないと判断され得る場合には、労基法16条が禁止する違約金の定め、損害賠償額の予定には該当しない。

2 モデル裁判例
長谷工コーポレーション事件 東京地判平9.5.26 労判717-14

(1)事件のあらまし
建築工事請負等を業とする原告会社Xに勤務していた被告Yは、Xの社員留学制度(応募条件は「総合職、29歳以下、勤続2年以上」のみ)を利用して平成3年6月より同5年5月までの2年間アメリカの大学院に留学し、経営学博士の学位を取得した。しかし、Yは帰国後2年5ヵ月で退職した。この留学に先立つ平成3年6月、YはXに対して、「卒業後は、直ちに帰国し、会社の命じるところの業務に精励するとともにその業績目標達成に邁進すること」及び「帰国後、一定期間を経ず特別な理由なく[Xを]退職することとなった場合、会社が海外大学院留学に際し支払った一切の費用を返却すること」等と記載された誓約書を提出していた。そこでXは、この誓約書に基づき、Yに対し留学費用約847万円のうち学費分相当の約467万円の返還を求めて訴えを提起した。なお、Yはこの誓約書作成により金銭消費貸借契約が成立したとはいえない、また仮に成立していたとしても、それは労基法16条に違反し無効であると主張していた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

Xの社員留学制度は、大所高所から人材育成を目的としたものであり、留学生への応募も社員の自由意思に、また、留学先大学院や学部の選択も本人の自由意思に任せられており、「留学経験や留学先大学院での学位取得は、留学社員の担当業務に直接役立つというわけではない一方、Yら留学社員にとっては……有益な経験、資格となる」。従って、この「制度による留学を業務と見ることはできず、その留学費用をXが負担するかYが負担するかについては、労働契約とは別に、当事者間の契約によって定めることができる」。そして、YはXに前記のような誓約書を提出していること等が認められるから、XとYとの間で少なくとも学費については、「Yが一定期間Xに勤務した場合には返還債務を免除する旨の特約付きの金銭消費貸借契約が成立していると解するのが相当である」。

「YはXに対し、労働契約とは別に留学費用返還債務を負っており、ただ、一定期間Xに勤務すれば[この]債務を免除されるが特別な理由なく早期に退職する場合には留学費用を返還しなければならないという特約が付いているにすぎないから、留学費用返還債務は労働契約の不履行によって生じるものではなく、労基法16条が禁止する違約金の定め、損害賠償額の予定には該当せず、同条に違反しないというべきである。」

この事案においては、「Xは学費しか請求しておらず、また、Yは留学から帰国後2年5ヵ月しかXに勤務していない」こと等を踏まえると、Xの「請求を全額認容することが信義則に反するということはできない」。

3 解説
(1)立法趣旨
労基法16条に規定された「賠償予定の禁止」の立法趣旨は、労働者の退職の自由が制約されるのを防ぐことである。契約自由の原則の下、現在でも民法上は債務不履行に関する違約金の定めや賠償額の予定は認められている(民法420条)。しかし、労働関係の場面では、特に戦前においてそのような違約金の定め等が労働者を身分的に拘束して退職の自由をも奪い去るという弊害がみられたため、その反省等から、労基法16条の規定は、労基法5条(強制労働の禁止)や同17条(前借金相殺の禁止;東箱根開発事件 東京地判昭50.7.28 労判236-40、引越社関西事件 大阪地判平18.3.10 労経速1937-20等を参照)等とともに、前近代的な労働関係を払拭する趣旨で設けられた。もっとも、この賠償予定の禁止は、労働者の債務不履行や不法行為により現実に生じた損害について、使用者がその労働者に損害賠償を請求することを禁ずるものではない。

(2)労基法16条違反のケース
本条の典型的事案としてサロン・ド・リリー事件(浦和地判昭61.5.30 労判489-85)やアール企画事件(東京地判平15.3.28 労判850-48)がある。後者の事案では、美容師の就業報酬契約(労働契約とは別の特約)において、約3年2ヵ月間の継続就業が義務付けられるとともに、その継続就業に対しては一定の売上げを前提に200万円の就業報酬が支払われることや、この契約条項違反については相互に違約金500万円を支払うこと等が定められていた。この事件では、この特約の有効性に関して、違約金を定めた箇所につき、「原告[美容師のこと]が被告[使用者のこと]に対し負担する違約金を定めた部分は、労働契約に付随して合意された[この]特約の債務不履行について違約金を定めたものであるから」労基法16条に反し無効となるが、他方、「被告が原告に対し負担する違約金を定めた部分は、使用者が負担する違約金を定めたもので、不当な人身拘束や過大な負担から労働者を保護する同条の趣旨には何ら抵触しないから、同条には違反しない」と判断されている。

その他近年の事案に和幸会(看護学校修学資金貸与)事件(大阪地判平14.11.1 労判840-32)等があり、また、タクシー運転手の普通第2種免許取得のための研修費用につき、正規従業員として選任後に出勤率80%以上で2年間勤務を条件に返済義務免責を定めた返還条項につき、労基法16条に反しないと判断したコンドル馬込交通事件(東京地判平20.6.4 労判973-67)、及び、類似事案として東亜交通事件(大阪高判平22.4.22 労判1008-15)等がある。さらに、1年以内に自発的に退社した場合には、雇用開始直後に受領したサイニングボーナス200万円を返還する旨の規定が問題とされた日本ポラロイド(サイニングボーナス等)事件(東京地判平15.3.31 労判849-75)、及び、雇用期間終了前の退職に伴い、ヘッドハンティングにより雇用された労働者(ブローカー)が入社の際に受け取った金員約1,130万円の返還約定が争点とされた(貸金請求事件 東京地判平26.8.14 判時2252-66)があり、両事件とも問題となった返還約定等が労基法5条、16条に反し、同法13条、民法90条により無効であると結論付けられている。

(3)企業における海外研修派遣・海外留学費用の返還義務
モデル裁判例は、従業員の海外留学と退職に伴う費用の返還が争点となったものであり、この種の事案についてのリーディング・ケースたる意義を有している。企業の海外研修・留学制度等に基づき海外留学等を行った従業員に対して、帰国後一定期間を経ずに退職したときには留学費用等の全額または一部を返還することを約した就業規則の規定等が設けられる場合があるが、このような規定等は労基法16条に違反して無効となるのか否かが争点となってくる。

海外研修・留学が業務命令に基づくものとは考えられず、その応募および目的地・留学先等の選択もある程度労働者の自由意思に任されているような場合、海外留学等は労働者にとって個人的な能力を高め、有益な経験・資格になる一方、帰国後労働者が退職することにより、使用者にとっては投下資本が無駄になってしまうというリスクが存する。従って、このような場合には、費用等の返還義務を定めた約定や合意は、それが実質的に労働契約とは別個の金銭消費貸借契約と考えられるとき、かつ、帰国後の勤務いかんに関係なく労働者に返還義務が存するものの、一定期間勤務した者については返還義務を免除する趣旨のものであるときには、労基法16条違反とはならないと考えられる(野村證券(留学費用返還請求)事件 東京地判平14.4.16 労判827-40、明治生命保険(留学費用返還請求)事件 東京地判平16.1.26 労判872-46等参照)。

他方、企業における海外研修・留学が、業務命令として行われた場合、又は、海外留学等において実際には業務の遂行がなされていたような場合には、本来、企業がその費用等を負担すべきものであるから、前記のような約定や合意は労働者を不当に拘束して労働関係の継続を強要することになり、労基法16条違反になると考えられる(富士重工業(研修費用返還請求)事件 東京地判平10.3.17 労判734-15、新日本証券事件 東京地判平10.9.25 労判746-7)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 3.労働者の人権・雇用平等 > (10)公民権の保障~勤務時間における選挙権の行使~

(10)公民権の保障
~勤務時間における選挙権の行使~ 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)使用者は、労働者が労働時間中に選挙権や被選挙権など「公民としての権利」を行使し、または国会議員や裁判員としての職務など「公の職務」を執行するために必要な時間を請求した場合においては、それを拒んではならない(労基法7条)。

(2)ただし、使用者は、上述の権利の行使または公の職務の執行に妨げがないかぎり、請求された時刻を変更することはできる(同条但書)。

(3)公民としての権利行使や公の職務の執行が、例えば選挙権の行使のように短時間で終了する場合にはあまり法的な問題は生じてこない。しかし、議員活動のように長時間・長期間を要する場合には、労働者が労働契約上の義務を履行できなくなることより、使用者はそのような労働者を解雇または休職等に処することができるのか否かという問題が生じてくる。

(4)公職の就任を使用者の承認にかからしめ、その承認を得ずして公職に就任した者を懲戒解雇に付する旨の就業規則上の規定は、労基法7条の趣旨に反し、無効のものと解すべきである。

2 モデル裁判例
十和田観光電鉄事件 最二小判昭38.6.21 民集17-5-754、判時339-15

(1)事件のあらまし
第一審原告Xは、旅客運送事業等を営む会社である第一審被告Yに雇用され、Yの従業員で組織された労働組合の執行委員長を務めていた。Xは、Yの所在する地区の労働組合協議会の幹事会決定により、昭和34年4月30日施行の市議会議員選挙の議員候補者として推薦され、立候補した結果、当選した。なお、Xは立候補の前日にYの社長Aにその旨の申し出を行い了解を求めたところ、Aは一応書類を提出するよう言明したので、Xはその翌日文書をもって届け出ていた。

Xは5月に入ってAに会見し、議員に就任したこと、公務就任中は休職の取扱いにしてもらいたいことを申し出た。これに対してYは、Xの所為は、従業員が会社の承認を得ずに公職に就任した場合は懲戒解雇する旨の就業規則の規定に該当するとして、同月1日付でXを懲戒解雇に付した。

Xは、このような就業規則の規定は労基法7条等に反し無効であって、それゆえ懲戒解雇も無効であると主張して訴えを提起した。第一審(青森地判昭35.10.28 民集17-5-765)、第二審(仙台高判昭36.7.26 同775)ともこの懲戒解雇を無効としXが勝訴したため、Yが上告した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(上告棄却)

懲戒解雇は、普通解雇と異なり、企業秩序違反に対して使用者によって課せられる一種の制裁罰である。ところで、Yにおけるこのような就業規則の条項は、従業員が単に公職に就任したために懲戒解雇するというのではなく、使用者の承認を得ないで公職に就任した場合にはそのことを理由に懲戒解雇するというものである。このような規定は、公職の就任を、会社に対する届出事項とするだけにとどまらず、使用者の承認にかからしめ、しかもそれに違反した者に対しては制裁罰としての懲戒解雇を課するというものである。

しかし、労基法7条が、「特に、労働者に対し労働時間中における公民としての権利の行使および公の職務の執行を保障していることにかんがみるときは」、このような条項は労基法の規定の趣旨に反し、無効と解するべきである。「従って、所論のごとく公職に就任することが会社業務の遂行を著しく阻害する虞れのある場合においても、普通解雇に付するは格別」、この同じ条項を適用して従業員を懲戒解雇に付することは許されない。

3 解説
(1)公民権の保障
労基法は、労働関係における労働者の人権保障等を目的とした基本的原則として、「労働憲章」と呼ばれる諸規定を設けているが、公民権の保障(同法7条)はそのなかの一つである。労働者は、労働契約に基づき通常1日のうち一定時間を使用者の指揮命令下に拘束されるため、公民権を行使できなくなるおそれがある点を踏まえて設けられた規定である。同条で保障される「公民としての権利」とは、公職選挙法上の選挙権・被選挙権、最高裁裁判官の国民審査権(憲法79条)および憲法改正の国民投票権(同96条)等をいうが、一般に訴権(訴えを提起する権利)の行使はこれに含まれない(昭63.3.14 基発150号)。また、「公の職務」とは、国会・地方議会議員、労働委員会委員、検察審査員、裁判所の証人、労働審判員および裁判員法に基づく裁判員の職務等をいう(同通達等参照)。

モデル裁判例は、従業員の被選挙権の行使および議員としての職務の執行を制約する就業規則条項と、労基法7条の公民権の保障規定との関係につき、最高裁が初めて判断を下した事案として重要である。最高裁は、公職への就任を会社の承認にかからしめ、またその違反に対して懲戒解雇する旨等を定めた就業規則の規定は、労基法7条の規定の趣旨に反し、無効であると結論付けている。

(2)公民権行使・公職就任等を理由とする普通解雇の有効性
公職就任等を理由とした普通解雇・休職に関して、学説上は見解が分かれているが、モデル裁判例において最高裁は傍論としてではあるが、「公職に就任することが会社業務の遂行を著しく阻害する虞れのある場合においても、普通解雇に付するは格別」と述べていることから、使用者が普通解雇を行うことは労基法7条違反にはならないと判断しているものと思われる。

この最高裁判決以降の裁判例は一般にこのような解雇等を肯定している。例えば、従業員が市議会議員に当選・就任したこと等を理由に普通解雇がなされたケースにつき、「使用者が、労働者が地方議会議員等の公職に就任したこと自体を解雇事由とすることは許されないが、[このような]公職就任により著しく業務に支障を生ずる場合、或いは業務の支障の程度が著しいものでなくとも、他の事情と相俟って、社会通念上相当の事由があると認められる場合は、使用者のなす普通解雇は正当として許されると解するのが相当である」と論じたうえで、後者の「相当の事由」が認められる場合に当たり普通解雇が有効であると判断した社会保険新報社事件(浦和地判昭55.3.7 労民集31-2-287、控訴審(東京高判昭58.4.26 労民集34-2-263)も原審の判断を是認)がある。また、同様の判断を示した事案に森下製薬事件(大津地判昭58.7.18 労判417-70)[休職処分等の事案]およびパソナ事件(東京地判平25.10.11 労経速2195-17)等がある。

なお、市議会議員等に当選した旧国鉄職員の兼職に関する裁判例においては、旧国鉄法26条2項の兼職禁止規定を根拠に、同2項但書に規定された旧国鉄総裁の承認がない限り、当選告知の日に国鉄職員たる地位を失う(公職選挙法103条)とする判断枠組みが定着している(国鉄職員(議員兼職・能町駅、豊浦駅)事件(東京地判平元.10.11 労判549-16)等)。

(3)公民権の行使等に要した時間に対応する賃金について
労基法7条に基づき労働者が必要な時間を請求し、使用者が付与した場合において、公民権行使の時間に対応する賃金に関して有給とする義務までは使用者に課せられておらず、契約自由の範囲の問題となる(昭22.11.27 基発399号;但し、昭42.1.20 基発59号も参照)。全日本手をつなぐ育成会事件(東京地判平23.7.15 労判1035-105)においては、東京都労働委員会への証人出頭に伴う不就労を理由に行われた賃金カット等が、労基法7条等に違反するか否かが争われた。まず、裁判所は、同7条は「公民権の行使等に要した時間に対応する賃金についてはこれを有給とすることを要求するものではなく、これを当事者間の取決めに委ねるという趣旨の規定であると解するのが相当」と判断した。次に、旧就業規則15条の「不可抗力の事故のため、又は公民権行使のため遅刻または早退した時は、届け出により遅刻、早退のとり扱いをしない」という規定が、就業規則の変更により削除された結果、有給扱いを受けられなくなり賃金カット等がなされたことより、この就業規則変更の合理性が争点とされた。裁判所は、変更の必要性を検討する中で、旧就業規則15条について、「公民権の行使等に伴う不就労を有給扱いにするだけでなく、それにより民主主義社会において不可欠な労働者の公的活動を経済的側面から担保し、より公的活動に参画し易い職場環境を保障するものとして重要な法的意義を有する規定である」と述べ、また、不利益性の程度等を検討する部分において、質的な側面(とりわけ権利の性格等)からも検討し、不利益に変更される労働者の労働条件とは、「単なる賃金額の減少にあるのではなく」、「より実質的に『有給扱いという待遇の下で公民権の行使等の公的活動に容易に参画し得る地位ないし権利』をいうものと解する」と論じている(結論的には、就業規則の変更は、高度な経営上の必要性に基づいて行われたものとはいえず、また、全体的にみて、重要な労働条件につき実質的な不利益性を有するものといえ、その他の諸事情を勘案しても、合理的な内容のものであるとはいえないと判断して、裁判所は、原告労働者の賃金カット等に係る未払賃金請求を認容した)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 3.労働者の人権・雇用平等 > (11)仕事上の発明と報酬

(11)仕事上の発明と報酬 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)現行特許法では、仕事上の発明(職務発明)について、会社は労働者に、従来のような「相当の対価」ではなく、「相当の利益」を提供すれば足りるとされ、また、「相当の利益」にかかわるプロセスが重視されている。

(2)労働者が職務発明を行ったときに会社から与えられるべき相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)について、勤務規則等に定めがないか、与えられた内容が特許法の規定に即して不合理な場合、労働者は会社に対して不足分を請求できる。

(3)与えられた利益の内容が不合理な場合、相当の利益の内容は、会社が受ける利益の額、発明に関する会社の負担や貢献、労働者の処遇などを考慮して判断される。

2 モデル裁判例
オリンパス光学工業事件 最三小判平15.4.22 労判846-5

(1)事件のあらまし
一審被告Yは、写真機器など光学機械の製造販売会社であり、一審原告Xは、Yの元従業員である。XはY社在職中の昭和52年に、ビデオディスク装置のピックアップ装置に関する職務発明をした。Yはその発明考案取扱規定により、この発明の特許を受ける権利をXから受け継ぎ、その規定に基づいて、Xに対して、昭和53年に出願補償3,000円、平成元年に登録補償8,000円、平成4年に工業所有権収入取得時補償20万円の合計21万1,000円を支払った。しかしXは、①この職務発明はCD装置に必要不可欠の装置にかかわるものであり、国内すべてのCD装置に使用されていること、②Yはこの発明を含むライセンス契約により利益を得ていること、③これらを理由に、発明考案取扱規定により支払われた補償金では額が不足していると主張して、(改正前)特許法35条3項に基づき、相当の対価(改正前の文言、以下同じ)の額として2億円の支払いをYに求めた。Xの主張に対して、Yは、職務発明にかかる相当の対価の額は勤務規則等における事前の定めに従って処理することができるとして、同規定による既払い額は相当の対価と認められると反論している。

一審(東京地判平11.4.16 労判812-34)は、発明者である従業員が、使用者の一方的に定めた発明考案取扱規定の相当の対価額に拘束される理由はなく、従業員は、報償額が特許法の定める相当の対価額に満たないときは、会社に対して不足額を請求することができるとしてXの請求を一部認めた。これに対し、XとYの双方が控訴し、二審(東京高判平13.5.22 労判812-21)は一審判決を支持し、双方の控訴を棄却した。そこで、Yが上告したのがこの裁判例である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

(改正前)特許法35条によれば、会社は、職務発明にかかる特許権などの受け継ぎについて、勤務規則などにより定めて、対価を支払うこと、その額や支払時期を定めることができる。しかし、職務発明がなされる前や、特許を受ける権利の内容や価値が具体化する前に、予め確定的な額を定めることはできない。

予め定めた額が(改正前)特許法35条3項4項の相当の対価の一部に当たることはもちろんだが、このことが直ちに相当の対価の全部であると考えることはできず、対価の額が4項の趣旨・内容に当てはまった場合に初めて、(改正前)3項4項にいう相当の対価に当たると言える。したがって、職務発明をした労働者は、予め定められていた対価の額が(改正前)4項の対価の額に満たない時には、(改正前)3項の規定に基づいて不足額に相当する対価の支払を会社に求めることができる。

なお、この判決は、この発明からYが受ける利益額を5,000万円、Yの貢献度を95%とし、Xがこの職務発明から受けるべき相当の対価の額250万円から、すでに支払った額21万1,000円を差し引いた残額、228万9,000円を支払額であると判断している(特許権実施料収入額66億円 ⇒ 会社が受けるべき利益5,000万円 ⇒ うち5%の250万円が相当の対価の額)。

3 解説
職務発明について与えられるべき利益が現行特許法35条4項にいう「相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)」(改正前の文言は「相当の対価」)に満たない場合、労働者は会社に対して不足分の提供を請求できる。以下では、現行特許法における職務発明の取扱いを概観する。その上で、改正前特許法に基づいて相当の対価の額を算出した事例を紹介し、参考に供する。

(1)「職務発明」の定義
労働者の発明が「職務発明」となるのは、①労働者の職務の性質からみて勤務先の業務の範囲として行われ、②発明に至る行為が労働者の現在または過去の職務に属する場合である(現行特許法35条1項)。

(2)「職務発明」が持つ法的意味
職務発明について、①会社は労働者の職務発明にかかる特許権を実施する権利を取得する(現行特許法35条1項)。この場合、会社は無償で特許を実施することができる。労働者への利益の提供は不要である。②会社は勤務規則等においてあらかじめ定めておくことにより、特許を受ける権利を取得できる(現行特許法35条2項の反対解釈)。③勤務規則等に基づいて労働者が特許を受ける権利をあらかじめ会社に取得させるなどした場合(現行特許法35条3項4項)、発明者である労働者は、会社に対して相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)の提供を受ける権利を得る(現行特許法35条4項)。④勤務規則等において相当の利益について定める場合、a) 利益の内容を決定するための基準の策定に際して会社等と労働者等との間で行われる協議の状況、b) 策定された当該基準の開示の状況、c) 利益の内容の決定について行われる労働者等からの意見聴取の状況等を考慮して、当該定めにより利益を与えることが不合理と認められるものであってはならない(現行特許法35条5項)。⑤利益について定めがないか、上記④の判断要素に照らして合理性がない場合、利益の内容は、発明によって会社が受ける利益額、発明に係る会社の負担・貢献度、労働者の処遇などが考慮され、判断される(現行特許法35条7項)。終局的には裁判所の判断による。

このように、現行特許法では、従来は「相当の対価」とされていたものが、「相当の利益」で足りるとされていること(上記③)、また、「相当の利益」にかかわるプロセスが重視されていること(上記④)が、改正前の同法と大きく異なる点である。

なお、労働者が職務発明について外国で特許を受ける権利を会社に譲渡した場合の利益(対価額)の請求についての判断方法も同様である(改正前特許法35条3項5項の類推適用。日立製作所(職務発明補償金請求)事件 最三小判平18.10.17 労判925-5)。また、相当の利益(対価)の請求は、10年間の消滅時効(権利を行使しない状態が一定期間継続することで権利が消滅する制度)にかかるが、その起算点は、補償金の支払時期(支払日)である(モデル裁判例、東芝(報償金請求)事件 東京地判平16.9.30 労判880-163)。

(3)発明者である労働者による利益(対価)請求
(改正前)特許法35条3項によれば、職務発明に対する相当の対価の額が予め定められていても、同条項が想定する額に満たない額しか支払われなかった場合、発明者である労働者は会社に不足分を請求でき(モデル裁判例)、このため、訴訟が頻発していた。こうした状況を受けるなどして数次の法改正がなされ、現在では、相当の利益の内容の決定基準や、その策定等のプロセスが不合理でないことなどを担保に、勤務規則等における相当の利益の内容についての定めが尊重される規制となり(現行特許法35条5項)、不足分の事後的請求は難しくなっている。一方で、会社としては、現行法に則した事前の備えが重要である。しかし、改正後の現行法によっても、相当の利益に不足する分しか利益の提供を受けていない(と考える)場合、労働者は会社に対して不足分の提供を請求することができる。

では、相当の利益の内容(対価の額)は訴訟においてどのように算定されるのか。現行特許法によれば、職務発明から会社が受ける利益、使用者の負担・貢献度、労働者の処遇などを考慮して判断される(現行特許法35条5項)。参考として、これまでの事例を掲げる。前掲日立製作所(職務発明補償金請求)事件:1億6,516万円余、日亜化学工業(終局判決)事件 東京地判平16.1.30 労判870-10:604億3,000万円余(高等裁判所で8億4,000万円余で和解)、味の素(特許権)事件 東京地判平16.2.24 労判871-35:1億9,935万円、日立金属(発明対価請求)事件 東京高判平16.4.27 労判876-24:約1,378万7,000円。

(4)職務発明に関する法改正の動向
職務発明制度における「相当の対価」をめぐっては、平成16年の法改正で上記(2)④に示したプロセスを重視、尊重する定めが置かれ、平成27年の法改正で、従前の「相当の対価」の支払いから、上記(2)③に示した「相当の利益(相当の金銭その他の経済上の利益)」の提供という趣旨の定めが置かれた。さらに、現行特許法35条6項では、「相当の利益」をめぐる法的予見可能性を高めるため、指針策定について定められている。

指針(平28.4.22経産省告示131号)によれば、上記(2)④に示した相当の利益にかかるプロセスに関し、協議、基準の開示、意見聴取の具体的意義や方法が示されているほか、相当の利益の具体例として、金銭のほか、経済的価値を有すると評価されるものとして、使用者負担の留学機会の付与、ストックオプションの付与、金銭的処遇の向上を伴う昇進または昇格、所定の日数・期間を超える有給休暇の付与、が挙げられている。

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(12)【女性労働】賃金差別 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)女性の職務の内容・責任・技能などが男性と比較して劣らないか、勤務の途中で劣らない状態になって以降の男女の賃金格差(男性よりも低い賃金を女性に支払うこと)は違法である。

(2)男女間で異なる基準を用いるなどして賃金に格差をつけることは違法である。

(3)平成11年の改正雇均法施行以降の男女別コース制による賃金格差は違法である。

2 モデル裁判例
日ソ図書事件 東京地判平4.8.27 労判611-10

(1)事件のあらまし
昭和40年12月、原告女性Xは、ロシア語書籍を輸入販売する被告会社Yにアルバイトとして入社し、約3ヵ月後には正社員として勤務していた。当初、Xの業務は補助的・定型的なものであったが、昭和42年、XはY社販売店の事実上の責任者となり、昭和47年1月頃からは、高度の判断能力を必要とする注文図書選定の業務も担当するようになった。Xは、昭和55年1月に販売店店長、昭和57年5月には次長待遇となり、昭和63年1月に定年退職した。退職前年、Xは部下の男性正社員(Xよりも3歳年下)よりも基本給額が低いことを知り、Y社代表取締役と話し合ったが是正されなかった。このためXは、昭和57年以降のその男性社員との差額賃金に3年分の年功賃金を加算し、基本給と退職金の差額1,228万円余の支払いをYに求めて提訴した。なお、Yには社員給与規則はあるが、賃金表など客観的な支給基準は存在しない。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

466万円余を限度にXの請求を認めた。Xは、遅くとも昭和47年1月の時点では入社当初の時点で従事することが予定されていた補助的・定型的業務とは明らかに異なる業務を担当するに至り、その職務内容・責任・技能等のいずれにおいても勤続年数および年齢が比較的近い男性社員4名と比較して劣らないものであった。Yはその時点以降、Xの賃金を男性並みに是正する必要があり、10年以上経過して格差是正のために必要かつ十分な期間が経過した昭和57年5月頃の時点では、Xと男性社員との賃金格差は合理的な範囲内に是正されていなければならなかったが、Yは適切な是正措置を講じなかった。よってこの賃金格差は、Xが女性であることのみを理由としたものか、またはXが共稼ぎであって家計の主たる維持者でないことを理由としたもので、労基法4条に違反する違法な賃金差別である。しかも、適切な是正措置を講じなかったことに、不法行為法上(民法709条)、Yの過失があるから、XはYに対して損害賠償を請求できる。

3 解説
労基法4条は女性であることを理由とする賃金差別を禁じている。しかし何をもって性別を理由とするのか述べていない。モデル裁判例は、職務内容・責任・技能(労働の質と量)を挙げた上で、勤続年数及び年齢が比較的近い男性社員の職務と比較する方法を取っており、雇用管理及び紛争解決の指針として重要な意味を持つ。また、女性労働者が比較対象となる男性労働者と同等の労働に従事するようになって以降、会社には不合理な賃金格差を是正する必要が生じるとしている点で注意喚起の意義もある。

以降も同じ理由から損害賠償請求が認められているが(塩野義製薬事件 大阪地判平11.7.28 労判770-81など多数)、その後、男女間の賃金格差の程度、仕事の内容、専門性の程度とその成果、男女間賃金格差を規制する法律の状況、一般企業・国民間における男女差別・男女の均等な機会及び待遇の確保を図ることについての意識の変化など諸要素を総合勘案して判断するとの一般論を述べる事例(兼松(男女差別)事件 東京高判平20.1.31 労判959-85)がある。

(1)男女別賃金表・男女別賃金決定
男女間で異なる賃金表を作成・適用し、女性に男性よりも低い賃金を支払うことは、労働の質・量の点で合理的理由のない限り違法である。賃金格差が労使合意に基づくものでも違法となる。同一の賃金表であっても男女間格差が維持され続けている場合は違法となる(内山工業事件 広島高岡山支判平16.10.28 労判884-13など)。同一の賃金表が作成・適用されていても、個別の賃金決定過程において労働の質・量に照らして女性を男性よりも不利に扱っていれば違法となる(名糖健康保険組合(男女差別)事件 東京地判平16.12.27 労判887-22)。なお、異職種間での男女間処遇格差に基づく賃金格差(基本給、職務給、賞与)は合理性のない不当な差別とは言えないが、女性は男性より8年も支給開始時期が遅い役職手当ならびに職種の相違とは無関係な諸手当にかかる格差は、性別による不合理な取扱いで違法とされる(フジスター事件 東京地判平26.7.18 労経速2227-9)。

(2)女性労働者の属性による賃金差別
中途採用の場合に初任給で男女間格差を付けそれを累積させること(石﨑本店事件 広島地判平8.8.7 労判701-22など)、既婚女性は労務の質量が低下するとして一律に低く査定し昇給させないこと(住友生命保険(既婚女性差別)事件 大阪地判平13.6.27 労判809-5)、扶養家族の有無により基本給に男女間格差を付けること(秋田相互銀行事件 秋田地判昭50.4.10 労民集26-2-388)、世帯主・非世帯主を基準に本人給に差を設ける給与制度を適用し男女間で格差を付けること(三陽物産事件 東京地判平6.6.16 労判651-15)は、いずれも違法である。また、男性と同一学歴・同一年齢の女性について、職能資格等級、定期昇給額、本給額に著しい格差がある場合、男女間で異なる基準により昇格管理を行ったとされ、職能等級における男女間格差を担当職務や業務遂行状況により合理的に説明できなければ、女性であることを理由とする賃金差別となる(昭和シェル石油(賃金差別)事件 東京高判平19.6.28 労判946-76など)。

家族手当についても同様で、男女で異なる支給基準設定し適用すること(岩手銀行事件 仙台高判平4.1.10 労民集43-1-1。前掲フジスター事件では住宅手当についても違法とされた。)や、世帯手当を男女差別のある基本給を基に算定すること(前掲内山工業事件)も違法となる。ただし、家族状況や住宅事情に応じて支給額が異なる手当は生活補助費的性格が強いので、便宜上住民票上の世帯主(女性も含む)に支給することは違法ではないとする事例がある(住友化学工業事件 大阪地判平13.3.28 労判807-10)。

(3)男女別コース制と賃金差別
日本鉄鋼連盟事件(東京地判昭61.12.4 労民集37-6-512)以来、男女別コース制の下での賃金差別の救済は認められていない(住友電気工業事件 大阪地判平12.7.31 労判792-48など)。

しかし、平成11年改正雇均法により男女別コース制が違法とされて以降も男女別コース制が維持され続け、これにより処遇していれば違法となる(野村證券(男女差別)事件 東京地判平14.2.20 労判822-13。なお、岡谷鋼機(男女差別)事件 名古屋地判平16.12.22 労判888-28、前掲フジスター事件は男女差別を人格権侵害と捉える。)。さらに、男女別コース制の下でも、労働の質・量の観点から給与体系が男女別であることに合理性がなければ、それにより女性を処遇することは違法となる(前掲兼松(男女差別)事件)。

違法な処遇に対する救済としては、慰謝料の支払いによる例(前掲野村證券事件、前掲岡谷鋼機(男女差別)事件)、比較可能な男性と原告女性に想定されていた年収の差額の平均値を損害賠償額の算定根拠とする例(住友金属工業(男女差別)事件 大阪地判平17.3.28 労判898-40)がある。

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(13)【女性労働】昇進・昇格差別 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)男女同一の採用試験や職務内容にも拘わらず女性を昇進・昇格させないこと、同時期入社・同学歴の男性と比べて女性の昇進・昇格が著しく遅い場合、そのような処遇は違法である。

(2)昇進・昇格請求は認められないことが多いが、昇進・昇格差別があれば、昇進・昇格していれば得たであろう額と既払額との差額または慰謝料が損害賠償として認められうる。

(3)男女別コース制において女性を昇進・昇格させないことは違法とされないことが多いが、雇均法により男女別コース制が違法とされて以降もそれが維持されている場合、男女別の処遇は違法とされる。

2 モデル裁判例
芝信用金庫事件 東京高判平12.12.22 労判796-5

(1)事件のあらまし
金融業務を営む一審被告信用金庫Yでは次のように人事制度が運用されていた。男性については入職後早い者で約13年、遅い者でも約15~16年でほぼ全員が係長に昇進しているのに対し、女性で係長に昇進したのは9名に過ぎず、入職から係長昇進までの年数をみても最短で12年9ヵ月、最長で36年を要している。また、係長昇進後、男性は遅くとも6~7年で副参事職または課長職に昇進しているのに対し、女性で副参事に昇格したのは1名に過ぎなかった。そこで一審原告女性Xらは、同期入社同給与年齢の男性と比べて昇格・昇進について差別を受けたとして、課長職の資格および課長の職位にあることの確認を求めるとともに、最も昇格・昇進の遅い男性と同時に昇格・昇進したならば支給されたはずの賃金等の支払いを求めて提訴した(請求総額約2億3,000万円)。一審(東京地判平8.11.27 労判704-21)は、昇格・昇進における男女間の格差は性別を理由とするものであり、Xらが課長職の地位にあることを確認し差額賃金の支払いをYに命じた(総額1億227万円余)。他方、昇進については使用者の専権事項であるとして請求を棄却した。XとYの双方が控訴したのが、この裁判例である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

裁判所は、13名のうち8名の者が課長職の地位にあることを確認し、差額賃金・退職金など総額1億8,000万円余について請求を認めた。

係長にある男性のほぼ全員が副参事に昇格しているにもかかわらず、女性のほとんどすべてが副参事に昇格していないのは極めて特異な現象である。Xらに同期同給与年齢の男性職員と同様な時期に副参事昇格試験に合格していると認められる事情のあるときには、Xらが副参事昇格試験を受験しながら不合格となり、従前の資格に据え置かれるというその後の行為は労基法13条に反し無効となる。したがって、Xらは、労働契約の本質(労基法3条4条に現れている男女を平等に取扱う使用者の義務)および労基法13条により、副参事の地位に昇格したのと同一の法的効果を求める権利を有し、昇格した職位にあることの確認を求める利益がある。人事考課差別により、Xらは本来昇格すべきである時期に昇格できなかったのであるから、昇格していたことを前提にして支給される、本人給・資格給・退職金の額と実際に支払われた額との差額を請求することができる。また、Yの差別行為は違法な行為に当たるから、Yは、Xらが被った精神的苦痛に対する慰謝料などの損害賠償を支払う義務がある。(なお、この事件は最高裁で和解が成立している。)

3 解説
昇進は役職の上昇、昇格は職能資格制度の格付けの上昇をいうが、いずれも一般的に会社の裁量判断が認められるため、差別があっても昇進・昇格の地位確認や、それを前提とする差額賃金相当額の損害賠償が認められるのは難しい。その意味で、モデル裁判例が役職の上昇と職能資格制度の上昇を切り離し、後者は賃金制度とリンクしていることから、本件事案を賃金差別事件のように処理し、昇格していることの地位確認とそれを前提に差額賃金相当額の損害賠償請求などを認めたことは画期的である。

(1)差別が認められる場合とは
男女同一の採用試験を実施し、業務内容も男女同じである場合に昇格させなかったことは違法である(社会保険診療報酬支払基金事件 東京地判平2.7.4 労判565-7)。また、同時期入社・同学歴の男性と比べて女性の昇進・昇格が著しく遅い場合は男女差別があったとされる(モデル裁判例、昭和シェル石油(賃金差別)事件 東京高判平19.6.28 労判946-76など)。さらに、能力・成果主義的人事制度へと改変された後も従前の男女差別が残存・継続し、会社がこれを是正していない場合にも、違法な取扱いとなる(昭和シェル石油事件 東京地判平21.6.29 労判992-39)。

(2)昇進・昇格を請求できるか
モデル裁判例のような事例は特殊、例外的であって、通常は昇進・昇格差別があっても、それらには会社の裁量判断が認められるため、昇進・昇格請求は認められない(住友生命保険(既婚女性差別)事件 大阪地判平13.6.27 労判809-5など)。また、一定年数を経れば当然に一定の役職に昇進させる労使慣行が認められない場合、昇格確認・請求は認められない(名糖健康保険組合(男女差別)事件 東京地判平16.12.27 労判887-22)。

(3)昇進・昇格が認められないときの救済方法
昇進・昇格請求が認められなくても、昇進・昇格差別があれば差額賃金相当額の損害賠償請求が認められる(前掲社会保険診療報酬支払基金事件など)。なお、職位が賃金調整の名目的なものに過ぎない場合、女性を低い等級に位置付けること=賃金格差の合理的理由にはならない(日本オートマチックマシン事件 横浜地判平19.1.23 労判938-54)。

格付け差別については慰謝料請求が認められる(シャープエレクトロニクスマーケティング事件 大阪地判平12.2.23 労判783-71:慰謝料額500万円、違法な男女差別を人格権侵害とする岡谷鋼機(男女差別)事件 名古屋地判平16.12.22 労判888-28:慰謝料額500万円、阪急交通社(男女差別)事件 東京地判平19.11.30 労判960-63:慰謝料額100万円)。同様に、既婚者であることを理由に女性を一律に低査定し昇格させなかったことは、人事権濫用の違法行為として慰謝料請求が認められる(前掲住友生命保険(既婚者差別)事件:原告12人の慰謝料総額5,090万円)。

(4)男女別コース制と昇進・昇格差別
男女別コース制の下では、昇進・昇格差別を理由とする損害賠償請求は認められていない。男女で異なる職務割当てがなされている会社では、実際の職務内容や、会社において将来的に異なる役割を持つという社員の位置付けから、同時期入社・同学歴男性との間でなされた昇給・昇進差別による差額賃金相当額の損害賠償請求は認められない(住友電気工業事件 大阪地判平12.7.31 労判792-48)。任用職分格差(住友化学工業事件 大阪地判平13.3.28 労判807-10)、昇格時期の著しい相違(野村證券(男女差別)事件 東京地判平14.2.20 労判822-13)、相対的に低位の資格への滞留(前掲岡谷鋼機(男女差別)事件)についても、男女別コース制により男女間で知識・経験等が異なることから、昇進・昇格差別は否定される。

ただし、平成11年の改正雇均法施行以降も男女別コース制が維持され続けた場合、それ以降の処遇は違法となり、会社は損害賠償責任を負う(前掲野村證券(男女差別)事件、前掲岡谷鋼機(男女差別)事件)。また、男女別コース制と合理的関連性のない差別的能力評価・査定に基づく昇給・昇進の運用は、性別のみによる不合理な差別的取扱いとして違法となる(住友金属工業(男女差別)事件 大阪地判平17.3.28 労判898-40)。

(5)雇均法との関係
昇進に関する男女均等取扱いが雇均法において会社の努力義務とされていた時期でも、男女別昇格基準を運用し、職能資格等級の格付けとこれと連動した定昇額や本給額等において男女間で著しい格差を生じさせ、それを積極的に維持拡大する措置を取り続けている場合、そのような処遇や措置は努力義務規定の趣旨に反し、不法行為の違法性判断について考慮される(前掲昭和シェル石油(賃金差別)事件、兼松事件 東京高判平20.1.31 労判959-85)。

なお現在、昇進・昇格は、直接差別を定める雇均法6条1号、間接差別を定める同法7条及び同法施行規則2条2号3号の規制を受けていることに充分留意する必要がある(「労働者に対する性別を理由とする差別の禁止等に関する規定に定める事項に関し、事業主が適切に対処するための指針」(平18.10.11厚労告614号)も併せて参照)。

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(14)【女性労働】定年・退職年齢の男女間格差 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)女性の定年・退職年齢を男性よりも低く設定し、格差を設けることは、性別のみによる不合理な差別に当たり、公序良俗(現在の社会秩序)に反して違法・無効となる。

(2)退職勧奨や人員削減に際して、女性には男性よりも低い年齢を設定したり、男性と異なる基準を設けて適用したりする場合も、違法・無効となる。

2 モデル裁判例
日産自動車事件 最三小判昭56.3.24 民集35-2-300

(1)事件のあらまし
自動車の製造・販売業を営む第一審被告であるY社の就業規則は、「男子は満55歳、女子は満50歳を定年とし、同年齢に達した月の末日に退職させる」と定めていた。昭和44年1月15日に満50歳に達した第一審原告である女性労働者Xは、同月31日限りでの退職をYから命じられた。これに対しXは、男女で異なる定年年齢を設けることは公序良俗(民法90条)に反し無効であると主張して、Yの従業員としての地位確認などを求めた。一審二審ともに、本件男女で異なる定年年齢の定めは合理性がなく公序良俗に反し無効と判断したため、Yが上告したのが本件である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Yにおいては、女性従業員の担当職務は相当広範囲にわたっていて、従業員の努力とYの活用策によっては貢献度を上げうる職種が数多く含まれている。そして、女性従業員各個人の能力等の評価を離れて、女性を全体としてYに対する貢献度の上がらない従業員と断定する根拠はない。しかも、女性従業員について労働の質量が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡が生じていると認められる根拠はない。また、少なくとも60歳前後までは、男女とも通常の職務であれば、企業経営上要求される職務遂行能力に欠けるところはなく、各個人の労働能力の差異に応じた取扱いがなされるならともかく、一律に従業員として不適格とみて企業外へ排除するまでの理由はない。以上のことを考えると、Yの企業経営上の観点から定年年齢において女性を差別しなければならない合理的理由は認められない。すると、Yの就業規則中、女性の定年年齢を男性より低く定めた部分は、もっぱら女性であることのみを理由として差別したということになり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして公序良俗(現在の社会秩序)に反して無効である。

3 解説
(1)定年年齢の男女格差
均等法による規制以前でも、男女間で定年年齢に格差を設けることが公序良俗(現在の社会秩序)に反して無効とされていたのは、モデル裁判例にみるとおりである。さらに、男女間の定年年齢格差を解消する期間に格差を設けることも、公序良俗に反し無効とされている(放射線影響研究所事件 広島高判昭62.6.15 労判498-6)。

また、職種の名前の変更に伴って、職種別に男女一律の定年年齢を設け(65歳と60歳)、従来は比較的高い定年年齢(65歳)が適用される職種に従事していた女性を、定年年齢が低い職種(60歳)へと名称を変更されたという事件があるが、裁判所は、職種の名称変更は、就業規則を変えることにより女性の定年年齢が満65歳になることを避け、男女間で格差のある従前の定年年齢を維持・存続する目的で行われたもので、性別を理由とする合理性のない差別待遇であると述べ、このような取扱いは民法90条及び均等法11条1項(平成9年改正法施行[同11年]前のもの)により無効と判断した(大阪市交通局協力会事件 大阪高判平10.7.7 労判742-17)。

なお、女性の結婚退職の定め(住友セメント事件 東京地判昭41.12.20 労民集17-6-1407)や、女性の若年定年の定め(東急機関工事件 東京地判昭44.7.1 労民集20-4-715)は、ともに公序良俗に反して無効である。

(2)退職勧奨年齢の男女格差
女性が男性よりも若い年齢で退職することを勧めることも違法とされる。例えば、退職勧奨において3~7歳の男女差を設け、勧奨に応じない女性職員には、退職に際し優遇措置を講じないことは違法であると判断された事例で、裁判所は、男女間で退職勧奨に年齢差を設けるとしても男女構成比に著しい不均衡をもたらさない、退職勧奨の基準を設けた当時や退職勧奨を行った当時は夫婦役割観が相当強かったとしても、これを理由に直ちに男女一律の年齢差を設ける合理的理由があると判断するのは早計であると述べている(鳥取県教員事件 鳥取地判昭61.12.4 労判486-53)。

また、男性より10歳も若い女性の退職勧奨基準は違法であり、女性職員が退職勧奨を拒否して以降、昇給させないのは、違法な不利益取扱いであるとした事例がある(鳥屋町職員事件 金沢地判平13.1.15 労判805-82)。

しかし他方、事業の合理化・簡素化計画の一環として、原則として一定年齢以上の全職員を対象に退職の意向等を確認する方法で退職勧奨を行うことは違法ではない(40歳以上という基準につき、全国商工会連合会事件 東京地判平10.6.2 労判746-22)。

(3)人員削減基準等の男女異なる取扱い
この問題に関しては、例えば、「有夫の女子、30歳以上の女子」という希望退職の基準と、これによる退職の合意は、憲法14条、労基法3条・4条の精神に反し、民法90条により違法・無効とされる(小野田セメント事件 盛岡地一関支判昭43.4.10 判時523-79)。また、同じ理由から、「有夫の女子、27歳以上の女子」という基準による指名(名指しの)解雇(日特金属工業事件 東京地八王子支決昭47.10.18 労旬821-91)、「既婚女子社員で子供が二人以上いる者を解雇する」(コパル事件 東京地決昭50.9.12 判時789-17)という人員削減基準が無効とされている。

ただし、会社再建や経営立直しに当たって、女性労働者の職種が本当の意味で余剰化した場合に、当該職種に就く女性労働者に対して退職勧奨((82)【退職】参照)や整理解雇((90)【退職】参照)を行うことは違法ではないとされている(小野田セメント事件 仙台高判昭46.11.22 労民集22-6-113、古河鉱業事件 最一小判昭52.12.15 労経速968-9、日本鋼管京浜製鉄所事件 横浜地川崎支判昭57.7.9 労判391-5)。

(4)現行均等法の規制
以上の問題については、現行の平成18年改正均等法6条4号が、退職勧奨、定年、解雇、労働契約の更新について、労働者の性別を理由として差別的取扱いをしてはならないと明文で禁じている。さらに、「労働者に対する性別を理由とする差別の禁止等に関する規定に定める事項に関し、事業主が適切に対処するための指針」(平18.10.11厚労告614号[平27.11.30厚労告458号改正])において、「第2 直接差別」として、「(10)退職の勧奨」・「(11)定年」・「(12)解雇」・「(13)労働契約の更新」を列挙し、それぞれおおむね、具体例を述べながら、男女間で異なる条件を付して異なる取扱いを行っている場合は、均等法6条4号により禁止されるとしている。現行法制が従来からの裁判例の傾向に追いついてきたといえるだろう。

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(15)【女性労働】セクハラとは何か 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)性的な言動は、当事者の属性・対応や行為の様子などから全体的に見て、社会的に許されないと考えられるものならば、性的自由や人の尊厳を傷付ける違法な行為である。

(2)会社とその従業員はもちろん、派遣先、出向先、取引先、顧客もセクシュアル・ハラスメントに関与したと認められる場合は法的責任を負う。

(3)セクシュアル・ハラスメントが認められないか、被害者に落ち度があると認められるなどの場合には、損害賠償を求めた側が加害者に対する名誉毀損の責任を負ったり、損害賠償額が減額されたりすることがある。

2 モデル裁判例
金沢セクハラ(損害賠償)(解雇)事件 最二小判平11.7.16
 労判767-14,16(名古屋高金沢支判平8.10.30 労判707-37)

(1)事件のあらまし
一審被告の男性Y2は会社(一審被告Y1)の代表取締役であり、一審原告の女性XはY2の下で働く家政婦である。

Y2はXに性交渉をしつこく迫り、また、日常的に性的言動を行っていた。Xはこれに対し明確に拒絶したところ、それ以降Y2はXに仕事の仕方を注意したりしたことから、XとY2は互いに不信感を募らせていった。ある時Xの行動についてY2が非難したところ、Xが反抗的な態度を取ったため、Y2は激怒してXの頬を殴った。

Y1にはボーナスを支給する定めはないものの、他の従業員には支払っていたのにXには支給しなかった。するとXは、ボーナスを支給するようしつこく抗議を繰り返した。

Y2が解雇予告手当を提示してXを解雇したところ、Xは上記の性交渉拒否や性的言動に対する嫌がらせと解雇は違法な行為であるとして、Y1とY2に対して損害賠償を請求した。一審、二審ともXの請求を一部認めたが、Xの態度などに照らして解雇はやむを得ないとした。そこで二審判決のうち敗訴部分につき双方が上告した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

上告棄却。以下は二審の判決理由(Y2の責任のみ。慰謝料等138万円)。

職場で男性上司が女性部下に対して地位を利用して女性の意に反する性的言動を行った場合、そのすべてが違法とされるのではないが、行為の様子、男性の職務上の地位、年齢、被害女性の年齢、婚姻歴の有無、両者のそれまでの関係、言動の場所・繰り返しの有無、被害女性の対応などを総合的にみて、社会的に許されない程度であれば、性的自由や人の尊厳を傷付ける違法な行為である。

Xに性交渉を迫るY2の強制猥褻行為は違法であり、性的言動も社会的に許されず、Xの尊厳を損なう違法なものである。また、殴打も違法な行為である。

だが、①Xが拒絶を示して以降、Y2がXに仕事の仕方を注意したりしたことは、Y2のビジネスライクな対応によるもので違法でない。②ボーナスは明確な支給規定がないため具体的権利といえず、不支給はXへの報復でない。③解雇は、雇主との信頼関係が要求される家政婦の職務内容とXのしつこい抗議態度からして信頼関係は完全に損なわれ、Xの家政婦としての能力に疑問もあるので違法でない。

3 解説
(1)どのような行為が違法なセクシュアル・ハラスメントになるのか?
モデル裁判例の事例は最高裁判所として初めて、高等裁判所が示したセクシュアル・ハラスメント(以下S.H.)の結論を支持し、間接的にS.H.の判断枠組みを承認したという意味で極めて重要である。なお、パワーハラスメントに関しても類似の判断枠組みを示している最近の事案としてザ・ウインザー・ホテルズインターナショナル(自然退職)事件(東京地判平24.3.9 労判1050-68)等がある。

地方裁判所や高等裁判所の判決は、性的自由や人間の尊厳あるいは良好な職場環境で労働者を働かせるという使用者の義務を設定した上で、契約違反や行為の違法性を認めてS.H.の行為者とその会社に法的責任を負わせ、被害者の損害賠償請求を認めるという方法をとっている。損害賠償責任が認められるためには、権利侵害(人格権侵害等)、注意義務違反(使用者の良好な職場環境を整える義務違反)又は契約違反(債務不履行)等が認められる必要がある。

職場のS.H.の行為者と被害者の関係は、職務に関連した男女の関係であり、S.H.は、労働者と会社の契約関係よりも、より人間的な関係から生じる。そうすると、S.H.が人間の尊厳を傷つけたり、良好な職場環境で働かせる使用者の義務に反しているかを判断するに当たっては、幅広く当事者の関係性を考察することが必要となる。したがってモデル裁判例は、のちの別の事件において労働者の権利の侵害や会社の義務違反の有無を判断する際に非常に重要な意味を持つ。

なお、会社側の法的責任を裁判で立証するため、労働者は会社や関係機関が有している当該事件に係る資料を収集する必要がある場合が多い。このような事件のため、民事訴訟法には文書提出命令申立制度が設けられている(民訴法220条)。しかし、S.H.に係る文書提出申立てについて裁判所は、文書を開示することによる個人のプライバシー侵害など文書を所持する側にとって大きな不利益の招来が懸念されることなどを理由に申立てを却けている(A社(文書提出命令申立)事件 神戸地尼崎支決平17.1.5 労判902-166)

(2)セクシュアル・ハラスメントの法的責任の所在
誰が違法なS.H.の法的責任を負うか。会社、加害者である上司・同僚は、違法なS.H.の法的責任を負う(例えば、岡山セクハラ(リサイクルショップA社)事件 岡山地判平14.11.6 労判845-73:損害賠償額約765万円)。

S.H.が取引先や顧客など会社外の人間によって行われた場合でも、被害者がS.H.を受けていることを知っているか知りうる場合には、会社は法的責任を負う。この場合当然、行為者である取引先従業員や顧客にも法的責任が生じる。

派遣労働者の場合、労働契約に基づく責任は派遣元にあるが、派遣先で被害を受ければ、派遣先は法的責任を負う(東京セクハラ(航空会社派遣社員)事件 東京地判平15.8.26 労判856-87:損害賠償額77万円)。逆に、派遣先従業員がS.H.を行った場合に派遣元の対応が不十分で不法行為責任が肯定された場合もある(東レエンタープライズ事件 大阪高判平25.12.20 労判1090‐21:慰謝料50万円等)。

また、出向元に在籍したまま出向先で就労していた従業員の法的責任を認め、出向先に、出向従業員の業務を指揮監督していたことを理由に、会社としての責任を認めた事例もある(横浜セクハラ(建設関係A社)事件 東京高判平9.11.20 労判728-12:損害賠償額275万円。出向元は反対に、出向従業員の業務を指揮監督していたわけではないことから責任が否定されている。)。

(3)セクシュアル・ハラスメントによる名誉毀損と損害賠償額の減額
S.H.がなかったか違法ではなかった場合又は違法であったが被害者に落ち度(過失)があった場合、法的にはどのように対処されるのか。

一つには、S.H.が認定されなかったときには、女性の男性に対する名誉毀損の損害賠償責任が認められる場合がある(神奈川県立外語短期大学事件 東京高判平11.6.8 労判770-129:慰謝料60万円)。

もう一つは、損害賠償額の減額(過失相殺。民法418条・722条2項)がなされる場合がある。例えば、東京セクハラ(派遣社員)事件(東京地判平9.1.31 労判716-105)において、裁判所は、原告は酒に酔ったうえで被告と同乗したタクシー内で、「帰りたくない」と発言し、降車後、被告と連れ立って歩きホテルに投宿したのであって、原告の言動には被告に性交渉を求めているものと誤解させる部分があったのであり、これが被告の違法なS.H.のきっかけになったことは否定できないとして、原告の損害額4分の1を減額している(暴行への慰謝料と休業による逸失利益の損害額210万6,660円のうち、158万円を支払賠償額として認めた)。また、宴席での原告ら中高年女性らの対応は、被告らの行き過ぎた対応(抱きつく、肩を抱き寄せる、体を足ではさむ等)をいさめるどころか、逆にS.H.行為を煽る結果となったとして、過失相殺を適用し、原告らの責任を2割としてその分が損害賠償額から減じられた事例がある(広島セクハラ(生命保険会社)事件 広島地判平19.3.13 労判943-52:原告ら7名に対する総額970万円の慰謝料が2割減じられて776万円とされた)。

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(16)【女性労働】セクハラになる行為 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)セクシュアル・ハラスメントは、仕事や行為者の職務上の地位を利用してなされた場合、違法とされやすい。

(2)強制猥褻行為、性的行動を過度に要求する行為は違法である。しかし、性的行動を誘う行為は、その程度によっては違法ではない場合もある。

(3)性的発言や噂を流すことは、職場環境の悪化を招き、人間の尊厳を傷付ける行為として違法となりうる。特に、性的発言などが被害者の退職に結びつく場合は、違法とされることが多い。

(4)セクシュアル・ハラスメント行為については、職場外、就業時間外になされたものであっても、違法となりうる。

2 モデル裁判例
福岡セクシュアル・ハラスメント(丙企画)事件 福岡地判平4.4.16 労判607-6

(1)事件のあらまし
原告女性Xの上司(編集長・被告Y2)は、編集業務におけるXの役割が重要になり、かつ、A係長とXの間で業務方針が決定されることが多くなったために疎外感を持つようになった。その後約2年間、Y2はXの異性関係が派手であるなどの噂を社内外に流したため2人の関係は悪化した。

XはB専務らに関係悪化による問題の解決を求めたが、Bらは個人的な問題と捉え、話し合いによる解決をXとY2に指示した。Xの使用者であるY1は、話し合いによる解決が不可能な場合にはXを退社させるとの方針を決め、BはまずXに妥協の余地を打診したが、XがあくまでY2の謝罪を求めたため、話し合いがつかなければ退社してもらう旨告げたところ、Xは退職の意思を表明した。Y1は一方で、Y2に対して3日間の自宅謹慎と賞与を減給する措置を取った。

Xは、上記行為や対応は、違法な行為または契約違反に当たるとして、Yらに対し、損害賠償(300万円)等の支払いを求めた。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Y1とY2が連帯して慰謝料150万円などを支払う限度で、Xの請求を認めた。

Y2の責任:Y2の発言は、異性関係などXの個人的性生活をめぐるもので、働く女性としてのXの評価を低下させる行為である。しかも最終的にはXをY1から退職させる結果に及んでいる。これらはXの意に反してその名誉感情その他の人間の尊厳を傷付ける行為であり、またXの職場環境を悪化させる原因であった。Y2は一連の行為により、そのような結果を招くことを十分に考えることができたのであり、Y2の行為には違法性を認めざるを得ない。

Y1の責任:B及びY1代表者は、Xの上司として、その職場環境を良好に調整すべき義務を負う立場にあった。しかし、早期に事実関係を確認するなどして適切な職場環境の調整方法を探り、いずれか労働者の退職という最悪の事態の発生を極力回避する方向で努力することに十分でないところがあった。また、Bは、話し合いの経緯からXがやむなく退職を口にするやこれを引き止めるでもなく、直ちに話し合いを打ち切り、一方でY2については、解決策について特段の話し合いをせず3日間の自宅謹慎を命じたに止まった。このような状況からすると、Bらの行為についても、職場環境を調整するよう配慮する義務を怠り、また、雇用主としてXの譲歩や犠牲において職場関係を調整しようとした点において違法性がある。したがって、Y1は、上記の違法な行為について、使用者としての法的責任を負う。

3 解説
違法なセクシュアル・ハラスメント(以下S.H.)行為には様々な種類がある。以下、典型的な類型別に裁判例をみる。

(1)強制猥褻的行為のセクシュアル・ハラスメント
業務の遂行と関連して強制猥褻行為に該当するS.H.が行われた場合、たとえそれが勤務場所外・勤務時間外に行われたものであっても、S.H.行為者は法的責任を負う。行為者が被害者よりも高い地位にあれば、会社もその使用者として法的責任を負う(千葉セクハラ(不動産会社)事件 千葉地判平10.3.26 判時1658-143:慰謝料等330万円。岡山セクハラ(リサイクルショップA社)事件 岡山地判平14.11.6 労判845-73:賠償額約765万円。M社(セクハラ)事件 東京高判平24.8.29 労判1060‐22:慰謝料300万円、など)。

また、強制猥褻行為でなくとも、S.H.行為が反復継続される場合には、違法性の高い強く非難されるべきS.H.があったと判断される(2年間にわたるセクハラ行為について、熊本セクハラ(教会・幼稚園)事件 大阪高判平17.4.22 労判892-90:慰謝料等170万円)。

なお、偶発的かつ一瞬胸に触れる行為は、損害賠償責任を生じさせる違法な行為とはされていない(社団法人K事件 神戸地判平17.9.28 労判915-170)。また、男性職員が浴室にいる際に女性職員が浴室の扉を開けるなどの行為が、その職務の一つとしての防犯パトロールの一環として行われたものであることから、違法なS.H.には該当しないとした事例がある(日本郵政公社(近畿郵政局)事件 大阪高判平17.6.7 労判908-72)。

(2)性的行為を誘引するセクシュアル・ハラスメント
直接に性的関係を迫る行為は違法なS.H.とされる(岡山セクハラ(労働者派遣会社)事件 岡山地判平14.5.15 労判832-54:慰謝料250万円)。出張先のホテルで女性部下をベッドに誘う行為も、地位を利用した違法な行為とされる(大阪セクハラ(歯材販売会社)事件 大阪地判平10.10.30 労判754-29:慰謝料10万円)。

他方、泊まりがけの研修会で社長から混浴を強要されたという事例では、社長との混浴は女性従業員多数と原告でなされ、原告が混浴に応じたことは1、2回程度であったこと、混浴は強要ではなく勧誘程度であったことから、S.H.は認められていない(バイオテック事件 東京地判平11.4.2 労判772-84)。

(3)噂の流布・不当な発言
この問題についてはモデル裁判例が述べるとおりである。さらに、従業員同士が男女関係にあるかのような会社取締役の発言によって女性従業員が退職を余儀なくされたという事例もある。裁判所は、会社には労働者との契約上、労働者のプライバシーが侵害されないよう、また労働者が意に反して退職することのないよう職場環境を整備する義務があるとして、会社の損害賠償責任を認めている(京都セクハラ(呉服販売会社)事件 京都地判平9.4.17 労判716-49:賠償額約214万円)。同様に、上司の立場を利用して部下の女性に関して性的な風評を流布する行為が女性を退職に追い込む結果を招来した場合には、S.H.行為者と会社は法的責任を負う(前掲岡山セクハラ(労働者派遣会社)事件。女性労働者2名に対して、慰謝料、未払給与相当額、退職後1年分の逸失利益、弁護士費用、賠償総額約3,010万円)。

しかし、社長の女性部下に対する無神経な言動(顧客との会食中に「昨晩あなたはどうやって私の部屋に入ってきましたか」と発言)は違法ではない(前掲大阪セクハラ(歯材販売会社)事件)。また、軽率、不適切、不穏当な発言(いわゆる下ネタ)であるからといって、必ずしも違法性があり、損害を発生させるものではないと判断した裁判例もある(独立行政法人L事件 東京高判平18.3.20 労判916-53)。なお、(17)[セクハラへの対応]における解説(5)参照。

(4)就業時間外のセクシュアル・ハラスメント
この問題に関しては、就業後の宴席が典型的な例として挙げられる。就業時間外の宴席二次会において、女性をソファーに押し倒す、顔を近づける、手の甲にキスをする、スカートをたくし上げようとするなどの男性の一連の行為は、性的自由や人間の尊厳を傷付ける違法な行為である。そして、就業時間外であっても、男性の行為は、女性に対して職務上上位にあるという地位を利用して、業務に関連して行われた違法なものである。さらに、会社もその男性上司にかかる責任を負う(大阪セクハラ(S運送会社)事件 大阪地判平10.12.21 労判756-26:慰謝料等110万円)。

しかし、宴席での飲酒の強要と二次会出席の強要については、飲酒を伴う宴席では行われがちであるという程度を越えていなければ、違法な行為とまではいいえない(東京セクハラ(A協同組合)事件 東京地判平10.10.26 労判756-82、名古屋セクハラ(K設計・本訴)事件 名古屋地判平16.4.27 労判873-18)。

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(17)【女性労働】セクハラへの対応 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
会社は、セクシュアル・ハラスメントに対する事前・事後の迅速・適切な対応を怠ったり、被害者を排除することによるなどして問題の解決を図った場合、被害者に対して損害賠償責任を負う。

2 モデル裁判例
三重セクシュアル・ハラスメント(厚生農協連合会)事件
 津地判平9.11.5 労判729-54

(1)事件のあらまし
被告Y2(原告Xらの男性上司・副主任)は日勤中に、原告X1、2(女性・看護士、准看護士)らとすれ違う際、Xらの尻を撫でるように触り性的発言を行った。またY2は、夜勤中の休憩室でも、Xらに対して同様の行為を行っていたが、その際XらはY2の手を払いのけるなどして詰所に逃げていた。

これら行為の数日後、X2はA主任に対し、Y2との深夜勤はやりたくないと申し入れたが、Aは何も答えず、その理由も聞かなかった。その後もY2はX2に対して同様の行為を繰り返したため、X2は再びAに対し、深夜勤の際のY2の行動を何とかして欲しいと訴えたが、AはX2の話になかなか耳を傾けず、最終的には何とかすると答えたものの、AはB婦長に報告しなかった。

そこでX2は後日、Aに対してY2への対処を申し入れたが、Aは今日一日だけ待ってくれと回答するに止まった。X2はさらにBに対して、Y2の行為について訴えたところ、B、C院長、D事務長らは、Y2や他の看護婦らから事情聴取を行い、Xらが所属する病棟に勤務する者も交えて話し合いの場を持った。

この事件のE病院は、経営主体である被告厚生農協連合会Y1に話し合いの結果を報告し、Y1はY2を就業規則に基づいて懲戒処分に処すると共に、副主任の任を解いた。Y2はY1に対して反省の誓約書を提出し、Y1はX1に対して、事務長・婦長連名の謝罪書を提出した。なお、以上の経緯においては、勤務表を変更してXらを夜勤から外し、その後はXらとY2が夜勤で一緒に組むことのないように勤務表を作成している。

以上の事実に基づき、XらはY2に対しては違法行為、Y1に対しては違法行為及び契約違反を理由に損害賠償(330万円)の支払いを求めて訴えを起こした。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Y1とY2が各自55万円を支払う限度でXらの請求が認められた。

被告Y2の行為は違法な環境型セクシュアル・ハラスメント(以下、S.H.)行為に当たる。会社は従業員に対して労働契約の義務の一つとして、労働者にとり働きやすい職場環境を保つよう配慮すべき義務を負っている。Y2には従前から、日常勤務中、特に卑猥な言動が認められたが、Y1はY2に対して何も注意をしなかった。AはX2からY2と夜勤をやりたくないと聞きながらも、その理由すら尋ねず何ら対応策を取らなかった。AはX2から休憩室でのY2の行為を聞いたにも拘わらず、直ちにB婦長らに伝えようとせず、Y2に注意することもしなかった。これらの結果、夜勤中、Y2のX1に対する休憩室での行為が行われた。したがってY1は、Xらに対して負っている働きやすい職場環境を保つよう配慮すべき義務を怠り、その結果Y2の休憩室での行為を招いたと認められるから、Xらに対して労働契約に基づく義務違反の法的責任を負う。

3 解説
モデル裁判例のとおり、会社はS.H.を予防し、迅速・適切な対応をとる義務を負う。加えて、平成9年改正雇均法の施行後、会社はS.H.に対応することがより一層強く求められ(下関セクハラ(食品会社営業所)事件 広島高判平16.9.2 労判881-29)、平成18年改正雇均法11条は明確に、S.H.に対応する雇用管理上の措置義務を会社に課している(なお、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置についての指針」平18.10.11厚労告615号[平25.12.24厚労告383号改正]も参照)。

(1)事前の対応
組織的な予防措置を講じなかったことがS.H.の生じた一因である場合、会社は法的責任を負う(鹿児島セクハラ(社団法人)事件 鹿児島地判平13.11.27 労判836-151:慰謝料30万円)。しかし、会社はS.H.を充分理解し、その防止と対応について組合と協定を結び、従業員に対しS.H.防止の広報活動を行っている場合、S.H.予防義務に違反したとはいえない(A社(総合警備保障業)事件 神戸地尼崎支判平17.9.22 労判906-25)。しかし、事前の対応は奏功していなければならない。

(2)事後の対応
事後の迅速・適切な対応を怠った場合も会社に法的責任が生じる。職場トイレでの覗き見行為について数日後に漫然と行為者の言い分を聞くなどの場合である(仙台セクハラ(自動車販売会社)事件 仙台地判平13.3.26 労判808-13:慰謝料等350万円)。

就業時間外・社外でのS.H.への対応については、顧客からの暴行に対し会社が安全を配慮しなかったため退職を余儀なくされたという事例で、会社が事件発生を予測するのは難しいとして、会社の配慮義務違反が否定されている(バイオテック事件 東京地判平11.4.2 労判772-84)。しかし、出張時等における執拗なS.H.については、会社は被害者からの申立てを取り合わず我慢などを強いたことから、相談体制の整備は奏功していなかったとして、会社に損害賠償責任が認められている(青森セクハラ(バス運送業)事件 青森地判平16.12.24 労判889-19:慰謝料及び再就職困難ゆえの逸失利益計約517万円)。

相談体制に関しては、S.H.相談担当職員が適切な対応を怠った事例で、市に損害賠償責任が認められている(A市職員(セクハラ損害賠償)事件 横浜地判平16.7.8 労判880-123:慰謝料等220万円)。

(3)被害者の排除による問題解決
被害者を退職させることで問題を解決しようとした場合、会社は法的責任を負う(福岡セクハラ(丙企画)事件 福岡地判平4.4.16 労判607-6:慰謝料等165万円。東京セクハラ(M商事)事件 東京地判平11.3.12 労判760-23:未払給与及び慰謝料等311万円)。また、被害者の解雇により事態収拾を図ろうとした場合、その解雇に合理的理由はなく、権利の濫用(民法1条3項)として無効になる(沼津セクハラ(F鉄道工業)事件 静岡地沼津支判平11.2.26 労判760-38:未払賞与及び慰謝料360万円)。

(4)プライバシー侵害
S.H.は被害者のプライバシー侵害と密接にかかわる。男性従業員によるビデオの隠し撮りに端を発して、男女従業員が男女関係にあるかのような会社取締役の発言により女性従業員が退職を余儀なくされた事例で、会社は労働者のプライバシーが侵害されないよう、労働者が意に反して退職することがないように職場環境を整える義務があるとされている(京都セクハラ(呉服販売会社)事件 京都地判平9.4.17 労判716-49:慰謝料等約354万円)。

(5)セクシュアル・ハラスメント行為者の処分
S.H.行為者は、就業規則の「風紀を乱した者」「会社の信用を失墜させた者」等に当たり、懲戒処分の対象とされる(コンピューター・メンテナンス・サービス事件 東京地判平10.12.7 労判751-18)。管理職がS.H.を行った場合、その適格性を欠くとしてされた普通解雇は有効とされる(A製薬事件 東京地判平12.8.29 労判794-77)。しかし、口頭1回、私用メール2回で女性従業員をお茶に誘う行為は、懲戒解雇事由に該当せず、お茶の誘いを理由になされた懲戒解雇は無効と判断されている(日本システムワープ事件 東京地判平16.9.10 労判886-89)。

また、女性派遣従業員等に1年余りにわたり不貞相手の話や年齢に基づく女性差別的発言等のセクハラ行為を繰り返していた管理職(課長代理)2名に対してなされた出勤停止処分及び同処分を受けたことを理由とする降格処分について、管理職としてセクハラ防止のため部下を指導すべき立場にあったにもかかわらず、多数回のセクハラ行為等を繰り返していたこと、及び、同行為が一因となって被害女性従業員の1名はL館での勤務を辞めざるを得なかったこと等を考慮に入れたうえ、同従業員から明白な拒否の姿勢を示されておらず、事前に使用者から警告や注意等を受けていなかったこと等の事情が存したとしても、これらの事情は加害者らに有利に斟酌し得ないとして、加害者に対する出勤停止処分及び降格処分を有効と判断した最高裁判例(L館事件 最一小判平27.2.26 労判1109-5)がある。

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(18)【女性労働】産前産後・育児・介護休業の取得に対する不利益な取扱い 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)法律が労働者に保障した権利の行使を抑制し、権利を保障した趣旨を実質的に失わせる制度や措置は、公序良俗(現在の社会秩序)に反して無効となる。

(2)権利の行使を抑制し、権利を保障した趣旨を実質的に失わせるかは、個別具体的事情における制度・措置の本当の目的や、労働者が被る不利益の程度による。

(3)育児休業取得の拒否や、育児・介護に影響を与える個別の処遇は、違法とされうる。

2 モデル裁判例
東朋学園事件 最一小判平15.12.4 労判862-14

(1)事件のあらまし
一審被告Yで働く一審原告女性Xは、8週間の産前産後休業を取得し、育児休業に代わる1日1時間15分の勤務時間短縮措置を受けた。

Yは賞与の支給について、1年を6ヵ月で2分した各期間につき出勤率が90%以上の者という要件を就業規則で定め、詳細はその都度回覧文書で知らせるとしていた。

Xが産前産後休業を取得した期間と、育児休業に代わる勤務時間短縮措置を受けていた期間に対応する賞与の支給につき、各回覧文書は、産前産後休業取得日と、勤務時間短縮総時間数を所定労働時間数で除して算出した分を欠勤日数に加算するとし、出勤した日数を出勤すべき日数で除した割合(出勤率)が90%以上の者を支給対象者としていた(90%条項)。Xはいずれの期間も出勤率90%を満たすことができず、賞与支給対象者から除外され、各期間に対応する賞与が支給されなかった。

そこでXは、上記取扱いの根拠である就業規則の定めは、(平成9年改正前)労基法65条、67条、(平成7年改正前)育休法10条の趣旨及び公序に反するなどと主張して、Yに対して不支給とされた各賞与等の支払いを求めて提訴した。一審(東京地判平10.3.25 労判735-15)、二審(東京高判平13.4.17 労判803-11)は共に、おおむねXの主張を容れたため、Yが上告した。

(2)判決の内容
労働者側一部勝訴

各回覧文書により具体化された90%条項は、労基法65条の産前産後休業の権利及び育休法10条を受けYの規程で定められた勤務時間短縮措置を請求し得る法的利益に基づく不就労を含め出勤率を算定するものだが、労基法65条及び育休法10条の趣旨に照らすと、上記権利等の行使を抑制し、労基法等が上記権利等を保障した趣旨を実質的に失わせる場合に限り公序に反して無効となる。

本件では、①90%条項は、産前産後休業期間等を欠勤日数に含め算定した出勤率が90%未満の場合は賞与が一切支給されない不利益を被らせ、②Yでは従業員の年間総収入額に占める賞与の比重は相当大きく、賞与不支給者の受ける経済的不利益は大きい上、③90%という出勤率からみて、従業員が産前産後休業を取得し又は勤務時間短縮措置を受けた場合はそれだけで同条項に該当し、賞与不支給の可能性が高く、上記権利等の行使に対する事実上の抑止力は相当強い。そうすると、90%条項のうち、出勤すべき日数に産前産後休業の日数を算入し、出勤した日数に産前産後休業の日数及び勤務時間短縮措置の短縮時間分を含めないとしている部分は、上記権利等の行使を抑制し、労基法等が上記権利等を保障した趣旨を実質的に失わせるから、公序に反し無効である。

3 解説
モデル裁判例が述べるように、法律が労働者に認めた権利の行使を抑制し、法律が権利を保障した趣旨を実質的に失わせる制度や措置は、公序良俗(現在の社会秩序。民法90条)に反して無効となる。

また、最近では、育児・介護休業法それ自体の解釈が裁判所によって示されたり、同法の規定の趣旨が、会社の労働者に対する取扱いの違法性判断において考慮されたりしていて、裁判所の考え方に進展が見られる。

(1)権利行使を抑制する場合
日本シェーリング事件(最一小判平元.12.14 民集43-12-1895)では、賃金引上げの条件として、前年稼働率が80%以下の者を除外するという条項(80%条項)が違法・無効とされた。稼働率算定の基礎となる不就労事項には、労基法及び労組法が保障する、年休、生理日休業、産前産後休業、育児時間、労災による休業等、ストライキなど組合活動が含まれていたためである。最高裁判所は、労基法又は労組法上の権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎としている点は、法律に定められた権利の行使を抑制し、法律が労働者に権利を保障した趣旨を実質的に失わせるゆえ問題であり、したがって、80%条項にある法律上の権利行使による不就労を稼働率算定の基礎とする定めは公序に反し無効であると述べた。

(2)権利行使を抑制しない場合
エヌ・ビー・シー工業事件(最三小判昭60.7.16 民集39-5-1023)では、労基法68条の生理日の就業が困難な場合の休業を理由とする精皆勤手当の減額をめぐって争われた。最高裁判所は、精皆勤手当の算定に当たり、生理日休業の取得日数を出勤不足日数に算入する措置は、同手当が法定の要件を欠く生理日休業及び自己都合欠勤を減少させて出勤率の向上を図ることを目的として設けられたものであり、生理日休業の取得者には、最も少額でも1日当たり1,460円の基本給相当額の不就業手当が別に支給されるのだから、生理日休業の取得を理由とする精皆勤手当の減額は、労基法68条の趣旨を失わせるものではなく、同条に反しないと判断した。

(3)育児・介護休業法との関係
近時、会社が育児休業付与の拒否が不法行為(民法709条)に当たるとして、これによって受けた損害を賠償すべきと判断した事例がある(日欧産業協力センター事件 東京高判平17.1.26 労判890-18:育休取得拒否に係る慰謝料及び弁護士費用計50万円)。また、育休法19条1項が定める深夜業(午後10時から午前5時)の免除制度について、裁判所は、同項は「労働させてはならない」と定めていることから、深夜時間帯が所定労働時間内であるか否かにかかわらず、深夜時間帯における労働者の労務提供義務が消滅すると解釈し、労働者が他の時間帯において就労する意思を表明し能力を有している場合は不就業ではなく、労務の提供があった(労務提供義務を果たした)ものとして、労働者は、乗務割当て相当日数分の賃金請求権を失わない(会社は賃金を支払わなければならない)と判断した事例がある(日本航空インターナショナル事件 東京地判平19.3.26 労判937-54)。

そして、育児休業終了後の労働者の処遇についての育休法10条に関しては、産前産後休業に続く育児休業取得から復職後、担当業務変更に伴う役割等級制におけるグレードの引下げと賃金減額を行ったことにつき、就業規則等による明示的な根拠もなく、人事権の濫用に当たると判断したコナミデジタルエンタテインメント事件(東京高判平23.12.27 労判1042-15)、及び、3ヵ月間の育児休業を取得した男性看護師に、翌年度の職能給の昇給を行わなかったことは(なお、本人給の昇給はあり)、育休法10条に定める不利益取扱いに当たり、かつ、「同法が労働者に保障した育児休業取得の権利を抑制し、ひいては同法が労働者に保障した趣旨を実質的に失わせるものであるといわざるを得ず、公序に反し、無効というべきであ」り、不法行為法上違法であると結論付けた医療法人稲門会(いわくら病院)事件(大阪高判平26.7.18 労判1104-71)がある。

さらに、妊娠・出産等を理由とする解雇その他不利益取扱いを禁止した男女雇用機会均等法9条3項に関して、妊娠中の軽易業務転換を契機としてなされた事業主による降格措置(副主任の役職を免じたこと)につき、同項を強行規定と解したうえで、原則として同項の禁止する不利益取扱いに当たると解したが、他方、同項の禁止する不利益取扱いに当たらない例外的な場合として、①「当該労働者が軽易業務への転換及び上記措置により受ける有利な影響並びに上記措置により受ける不利益な影響の内容や程度、上記措置に係る事業主による説明の内容その他の経緯や当該労働者の意向等に照らして、当該労働者につき自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」、又は、②「事業主において当該労働者につき降格の措置を執ることなく軽易業務への転換をさせることに円滑な業務運営や人員の適正配置の確保などの業務上の必要性から支障がある場合であって、その業務上の必要性の内容や程度及び上記の有利又は不利な影響の内容や程度に照らして、上記措置につき同項の趣旨及び目的に実質的に反しないものと認められる特段の事情が存在するとき」という2つの枠組みを示した最高裁判決として広島中央保健生協(C生協病院)事件(最一小判平26.10.23 民集68-8-1270、労判1100-5)が登場している(平27.1.23雇児発0123号第1号参照)。なお、同事件の差戻審(広島高判平27.11.17 労判1127-5)において、結論的には上述の例外枠組みに当たる事情はなく、原則どおり均等法9条3項違反が認められている(措置による減額分約45万円、慰謝料100万円および弁護士費用30万円の支払が命じられた)。このような状況を踏まえ、平成28年均等法改正により、事業主は、妊娠・出産・育児休業等を理由に、女性労働者の就業環境が害されることのないよう、防止措置を講じる義務を負うこととなった(同法11条の2;平成29年1月施行)。

ところで、配転法理における権利濫用性判断においては、育休法26条の趣旨を逸脱した会社の取扱いが考慮要素になるとする事例が見られる(ネスレ日本(配転本訴)事件 大阪高判平18.4.14 労判915-60等;(50)【異動】を参照)。

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(19)【労働者の人権・人格権】思想・信条差別 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)思想・信条による差別が問題となる事案において次の実態が存在すれば、使用者の差別行為があったことが推定される。

①会社に一定の思想を排除する状況が存在していること。
②年功序列的賃金制度がとられていること。
③一定の思想をもつ者の賃金が一般の従業員と比べ著しく低い、思想の転向者への優遇措置がとられている、一定の思想をもつ従業員で標準者の人事査定を受けている者が存在しない等の差別的取扱いの存在状況があること。
(2)これに対し、会社側が、差別を受けたと主張する労働者の入社以来の勤務成績が劣悪であったことや、能力向上の意思がないために人事考課・査定が低位になされたこと等を証明すれば、(1)の差別の推定は覆される。

2 モデル裁判例
東京電力(群馬)事件 前橋地判平5.8.24 労判635-22

(1)事件のあらまし
原告側労働者Xらは、関東を中心に支店営業等を有する発電・送電等を業とする被告側使用者Yの従業員である。

Xらは、Yから共産党員またはその支持者であることを理由に、職給・資格・職位・賃金などの賃金関係の処遇において差別され、共産党を辞めるよう強要され、交友制限等の人権侵害を受けてきたと主張し、賃金などの処遇に関する差別に対する財産的損害として、会社従業員中の、Xらと同年入社・同学歴の者の平均的賃金との差額相当額、及び、人権侵害と差別による精神的苦痛に対する慰謝料300万円の支払い、これらの行為による名誉毀損の回復措置として謝罪広告ならびに弁護士費用の支払いを求めて訴えを提起した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Xらに対する慰謝料240万円及び弁護士費用24万円の支払いをYに命じた。

労基法3条は、従業員の思想・信条(宗教的信仰のみならず、人生や政治に関する考え方)の自由を侵してはならず、これを理由に差別待遇をしてはならないことを規定している。仮に、使用者の経営秩序の維持、生産性の観点から従業員の思想・信条が問題とされる場合であっても、会社の経営秩序、生産性を阻害するような現実かつ具体的危険が認められない限り、思想・信条の自由を制約する等の行為は許されない。

YがXらに対し思想・信条を主たる理由とする差別意思の下に不利益な賃金査定を行ったことおよび思想信条の自由を侵す人権侵害行為を行ったことは、公の秩序善良の風俗に違反し、不法行為(故意・過失によって他人の権利を侵害し損害を与える行為)にあたる。Xらの請求のうち、差別賃金相当分の請求に関する部分については認められないが、Yの思想信条差別のためXらの賃金は、本来受け取るべき賃金額よりも低額であったことが認められ、違法な査定に基づき重大な精神的苦痛を被ったことは明らかである。したがって、慰謝料・弁護士費用を認めるのが相当である。謝罪文の掲示はその必要がない。

3 解説
(1)思想・信条を理由になされた差別に関する一連の東京電力の事件
労働者の思想・信条を理由になされた査定差別に関する立証は困難である。そこで、実際の裁判では、ポイントに示したような差別の推定がなされることが多い。

東京電力の思想・信条差別に関する訴えの提起は、平成5年モデル裁判例をはじめとして6つの地域に分散してなされ、東京を除く5つの事件について一審判決が下された。モデル裁判例、東京電力(山梨)事件(甲府地判平5.12.22 労判651-33)、東京電力(長野)事件(長野地判平6.3.31 労判660-73)、東京電力(千葉)事件(千葉地判平6.5.23 労判661-22)、東京電力(神奈川)事件(横浜地判平6.11.15 労判667-25)である。

(2)査定差別による賃金格差
これら5判決に共通する点は、いずれの判決も思想・信条を理由とする査定差別が均等待遇を規定する労基法3条等に違反することを前提としていることである。また、5判決とも、賃金格差の全部もしくは一部が使用者の違法な差別的査定によるものであることが認められ、賃金差別が不法行為(故意・過失によって他人の権利を侵害し損害を与える行為)にあたるとして、慰謝料の支払いが認容されている。

(3)救済内容
5判決の相違点は救済内容にある。大まかに次の3つのパターンに区分することができる。

①損害額算定不能によって生ずる不都合を慰謝料において考慮すべきであるとするもの(前掲東京電力(群馬)事件では、一人当たり300万円の請求に対して240万円の慰謝料の支払いが認められ、前掲東京電力(長野)事件では、原告の請求どおり1人あたり300万円の慰謝料の支払いが認められている)。

②標準者に支払われるべき「あるべき」賃金の合理性・正確性が認められ、かつ労働者らが標準者と同等の業務遂行能力・業務実績を有していたことが立証されたとして、あるべき賃金との差額のすべてを財産的損害として認め、これに加え一人当たり150万円の慰謝料の支払いを認めたもの(前掲東京電力(山梨)事件)。

③標準者との格差が少なくとも3割認定できるとして3割の賃金差額の財産的損害を認め、これに加え一人あたり150万円の慰謝料の支払いを認容したもの(前掲東京電力(千葉)事件)と、同様の方法で、一般労働者については賃金額の5割、下級管理職では3割の財産的損害を認め、これに加え一人当たり150万円の慰謝料の支払いを認めたもの(前掲東京電力(神奈川)事件)。

(4)その他の事例
これらの事件以前における同様の事案に関して、富士電機製造事件(横浜地横須賀支決昭49.11.26 労判225-47)では、標準者との給与額の差額についての損害賠償の支払請求が認められ、福井鉄道事件(福井地武生支判平5.5.25 労判634-35)では、勤務成績中位の最低点の考課給を基準として損害賠償の支払請求が認められている。また、同様の事例として、中部電力事件(名古屋地判平8.3.13 判時1579-3)では、同期・同学歴入社者のうち平均基本給を得ている者および中位職級の地位にある者をもって格差算定の標準者と想定して、これらの者が得ていた賃金額と被差別労働者の得ていた賃金額との差額をもって被差別労働者の被った損害と認めるのが相当であるとし、これに加えて、被差別労働者の事情によって各自100万円及び200万円の慰謝料を認めている。

さらに、倉敷紡績(思想差別)事件(大阪地判平15.5.14 労判859-69)では、会社が、共産党員を敵対するものとして差別的取扱いをしていたこと、他の従業員が同党員あるいはその同調者となることを抑制することを労務政策の一つとしていたことが認められ、人事制度の実際の運用がいわゆる年功序列的になされており、人事考課上、労働者らが特段否定的に評価されるような事情が見受けられないにもかかわらず処遇上不利益を与えてきたことは、労働者らが共産党員であることを理由とするものと推認でき、労基法3条の均等待遇に違反するとされた。そして、労働者らそれぞれに150万、80万円の慰謝料支払いが認められている。

なお、公立高等学校の校長が教諭や教職員に対し、卒業式等の式典における国歌斉唱の際に、国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じた職務命令につき、憲法19条に違反するとはいえないと判断した一連の最高裁判決が存する(再雇用拒否処分取消等請求事件 最二小判平23.5.30 民集65-4-1780、損害賠償請求事件 最三小判平23.6.6 民集65-4-1855、及び、懲戒処分取消等請求事件 最一小判平24.1.16 判時2147-127、等)。また、大阪市ほか(労使関係アンケート調査)事件(大阪地判平27.1.21 労判1116-29)では、市長が第三者委員会に委託して行った職員を対象とする組合活動等に関するアンケート調査について、思想・良心の自由やプライバシー権等を侵害するものであるか否か等が争点とされている(思想・良心の自由の侵害については否定;同事件の控訴審(大阪高判平27.12.16 判例集未登載)も参照)。

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(20)【労働者の人権・人格権】職場での嫌がらせ 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)嫌がらせを目的とした仕事外しや職場からの隔離は、通常甘受すべき程度を超えて精神的苦痛を与えるものであり、これにより労働者が被った精神的苦痛は損害賠償により慰謝されなければならない。

(2)使用者は職場の内外で労働者を継続的に監視したり、種々の方法を用いて従業員を職場で孤立させる等の行為をしてはならない。また、そのような行為は、損害賠償の対象となる。

(3)配置転換等により勤労意欲を失わせ、やがて退職に追いやる意図をもってなされる行為や、退職に追いやるための行為等をしてはならず、そのような行為に対しては損害賠償が認められる。

2 モデル裁判例
松蔭学園事件 東京高判平5.11.12 判時1484-135

(1)事件のあらまし
原告側労働者X(被控訴人)は、被告側使用者Y(控訴人)の設置する高等学校の教諭である。産休を自制するような雰囲気が教職員の間にあったにもかかわらず、Xは、産休を2回取得し、かつ産休期間である6週間すべてを休み、「産休は権利です」と主張するようなXの態度を、Yは快く思っていなかった。Yは、産休を取った者は人の2倍働かなくてはいけないと述べ、Xに1日で行うことは到底履行不可能な職員室の時間割ボードの書き直しを命じた。Yは、Xがその日の内に命令を履行しなかったことに関し、「仕事をしなかった」という始末書の提出を求めたが、Xは、後日ボードの書き直しを履行していたため、このことは事実に反するとして始末書の提出を拒否した。また、Yは、生徒らにXについて感想文を命じたが、労使の問題に生徒を巻き込むことになるとして、Xは、これに応じなかった。

以上のような経緯の後、Xは、それまで担当していた学科の授業、クラス担任その他の校務分掌の一切の仕事を外され、席を他の教職員から引き離されて配置された上、何らの仕事も与えられないまま4年6ヵ月間にわたって一人だけが別室に隔離された。そして、更に5年余の長期間にわたる自宅研修が命じられた。

Xは、Yの業務命令権を濫用した違法な命令により人格権、自由権、名誉等が侵害されたとして、Yに対し慰謝料の支払いを求めた。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Xに対する慰謝料600万円の支払いをYに命じた。

ボードの書き直しに関し、全体としてみてXにはあえて業務命令に逆らったと評すべきところはなく、また、感想文の提出の命令は、始末書の提出に応じなかったことの代償のようなところもあり、学園側と教師との間の問題の処理のために、生徒を巻き込んだ形で感想文を書かせることは教育の現場を預かる者として適切でないとXが判断したことも理解できないではなく、感想文を書かせなかったこと自体につきXには強く責められるべき点はない。

Xが二度にわたって産休をとったこと及びその後の態度が気にくわないという多分に感情的な校長の嫌悪感に端を発し、執拗とも思える程始末書の提出をXに要求し続け、その行為は、業務命令権の濫用として違法、無効であることは明らかであって、Yの責任は極めて重大である。このようなYの行為により、Xは、長年、何らの仕事も与えられずに、職員室内で一日中机の前に座っていることを強制され、他の教職員からも隔絶されてきたばかりでなく、自宅研修の名目で職場からも完全に排除され、かつ、賃金も昭和54年度のまま据え置かれ、一時金は一切支給されず、物心両面にわたって重大な不利益を受けてきたものであり、Xの被った精神的苦痛は誠に甚大であると認められる。Xの精神的苦痛を慰謝すべき賠償額は、Yの責任の重大さにかんがみると金600万円をもって相当とする。

3 解説
(1)執拗な退職勧奨・孤立化・職場八分・共同絶交
企業によるいじめは、退職を強要しようとする過程で生ずることが多い。下関商業高校事件(最一小判昭55.7.10 労判345-20)では、執拗な退職勧奨行為が違法であるとして、一人に対して4万円、他の一人に対して5万円の慰謝料が認められている((82)【退職】モデル裁判例参照)。また、孤立化・職場八分・共同絶交などに関して、中央観光バス事件(大阪地判昭55.3.26 判時968-118)では、会社およびこのような行為を幇助した管理職一人につき慰謝料5万円の支払いが認められ、国際信販事件(東京地判平14.7.9 労判836-104)では、防止措置を取らなかったこと等から会社の代表取締役らに対し、約183万円の損害賠償の支払いが命じられている。

(2)苦痛な仕事への業務命令
苦痛な仕事への業務命令に関し、バンク・オブ・アメリカ・イリノイ事件(東京地判平7.12.4 労判685-17)では、課長職であった者を総務課受付へ配置転換した銀行の措置が、勤続33年に及び課長まで経験した者をこのような職務に就かせ、やがて退職に追いやる意図をもってなされたものであり、違法なものであるとして、銀行に対して慰謝料100万円の支払いが命じられている。

また、エフピコ事件(水戸地下妻支判平11.6.15 労判763-7)では、退職強要に応じない労働者に対し草むしり等の雑用の仕事しか与えなかった行為が、使用者の「労働者がその意に反して退職することがないように職場環境を整備する義務」に違反するとされ、逸失利益として労働者らの平均賃金6ヵ月分、および慰謝料として50万円ないし100万円が認められている。この事件は、東京高裁(東京地判平12.5.24 労判785-22)で労働者側敗訴の後、最高裁で、一審が算定した額の半分の水準で和解が成立している。

このほかに、JR東日本(本荘保線区)事件(最二小判平8.2.23 労判690-12)において最高裁は、国労マーク入りのベルトの取り外し命令に応じなかった組合員に就業規則全文の書き写しを命じたことは、見せしめをかねた懲罰的目的からなされた人格権を侵害する行為であるとした第二審の判決を支持し、慰謝料20万円と弁護士費用5万円の支払いを認めている。

また、神奈川中央交通(大和営業所)事件(横浜地判平11.9.21 労判771-32)では、乗用車との接触事故を理由に上司によってなされた炎天下での草むしり作業等の業務命令が違法であるとして、慰謝料60万円が認められている。

そして、フジシール事件(大阪地判平12.8.28 労判793-13)では、退職勧奨を拒否した労働者に対する遠方の工場への配転命令に関し、配転先での業務が労働者の経歴とは関連しない単純作業であったことから、嫌がらせとして発せられたものとして無効とされた。また、ネッスル(専従者復帰)事件(神戸地判平元.4.25 労判542-54)では、組合専従復帰後の労働者に隔離的措置が講じられ、劣悪な職場環境での苛酷な職務が与えられたとして、労働者らそれぞれに50万円・70万円の慰謝料の支払いが認められた。

さらに、新和産業事件(大阪高判平25.4.25 労判1076-19)では、社長が気に入らない営業部課長に退職勧奨を繰り返したが、同課長がそれに応じなかったため大阪倉庫での勤務を命ずる配転命令及び課長職を解く降格命令が出されたことに関し、まず配転命令は退職に追い込むため等の不当な動機・目的によるもので、かつ、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもので権利濫用であり、次に降格命令についても人事上の裁量権の範囲を逸脱し権利濫用であり、ともに無効と判断された。

(3)過度の叱責、嘲笑・からかい、糾弾・非難
上司の暴言等のため、労働者が精神疾患に陥ったような場合にも、上司や会社は損害賠償責任を負わされる場合がある。東芝府中工場事件(東京地八王子支判平2.2.1 労判558-68)では、労働者が心因反応を起したのは製造長の叱責および反省書の要求が原因であるとされ、製造長に対し慰謝料の支払が命じられた(ただし、労働者側の不誠実な態度等も考慮され、15万円に限り慰謝料請求が認められている)。また、誠昇会北本共済病院事件(さいたま地判平16.9.25 労判883-38)では、年長の看護師による嘲笑・からかい等のいじめによる准看護師の自殺につき、年長の看護師に対し1,000万円、病院が防止しなかったことについて500万円の慰謝料が認められている。さらに、職員会議において他の職員らがユニオンに加盟した職員を糾弾したために、職員が精神的疾患に罹患した事案であるU福祉会事件(名古屋地判平17.4.27 労判895-24)では、他の職員らおよび法人に対し連帯して慰謝料500万円の支払いが命じられ、また、法人に職員の休職中の賃金、賞与相当額等の支払いが命じられている。

さらに、A保険会社上司(損害賠償)事件(東京高判平17.4.20 労判914-82)では、「やる気がないなら会社を辞めるべき」という内容のメールを労働者本人および職場の十数人に送信した上司の行為が、労働者の名誉感情を毀損するものであるとして上司に慰謝料5万円が命じられている。

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(21)【労働者の人権・人格権】
プライバシー 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)使用者は雇用契約に付随して、労働者のプライバシーが侵害されないよう職場環境を整える信義則上の義務がある。

(2)社会的偏見・誤解を招きやすい情報であるHIV・肝炎感染等の検査を業務上の必要性あるいは本人の同意なく行うことは、プライバシー侵害に該当する。

(3)労働者の私物や貸与したロッカーをあける使用者の行為は、労働者のプライバシーを侵害する行為である。

(4)Eメールの調査に関しても、プライバシー侵害になる場合がある。これに関しては、使用者の監視行為の目的、やり方・方法等と労働者の被る不利益とを比較衡量した上で、使用者の監視行為が社会通念上相当な範囲を逸脱したと認められる場合に、プライバシー権の侵害が成立するとされる。

2 モデル裁判例
関西電力事件 最三小判平7.9.5 労判680-28

(1)事件のあらまし
一審原告側労働者Xら(被控訴人・被上告人)は、関西を中心に支店営業等を有する発電・送電等を業とする一審被告側使用者Y(控訴人・上告人)の従業員である。Xらは共産党員もしくはその同調者であり、労使協調路線に反対する組合内少数派に属する者である。

Yは、企業防衛のために「特殊対策」を推進し、Xらにかかってきた電話を調査し、ロッカー内の私物を密かに写真撮影し、他の従業員にXらと接触・交際しないように働きかけ、Xらを会社の行事から排除し、Xらの孤立化を図った。Yの内部資料を入手したXらは、上記の対策を知るに至り、不法行為(故意・過失によって他人の権利を侵害し損害を与える行為)に基づく各自200万円の慰謝料と87万1,000円の弁護士費用、ならびに謝罪文の掲示と社内報への掲載を求めて訴えを提起した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Xら一人あたり80万円の慰謝料と10万円の弁護士費用の支払いをYに命じた第二審の判決を支持した。

Yは、Xらが現実には企業秩序を破壊し混乱させるなどのおそれがあるとは認められないにもかかわらず、Xらが共産党員又はその同調者であることのみを理由とし、その職制等を通じて、職場の内外でXらを継続的に監視する態勢を採った上、種々の方法を用いてXらを職場で孤立させるなどしたというのであった。

これらの行為は、Xらの職場における自由な人間関係を形成する自由を不当に侵害するとともに、その名誉を毀損するものである。また、ロッカー内の私物を写真撮影する行為はプライバシーを侵害するものでもあって、同人らの人格的利益を侵害するものである。これら一連のYの行為は、YのXらに対する不法行為を構成し、YはXらに対して慰謝料等を支払うよう命ずる。

3 解説
(1)プライバシー侵害が問題とされた裁判例
最高裁がモデル裁判例において「職場における人間関係形成の自由」や「プライバシー」に言及した意義は大きいとされるが、これ以前にも、使用者が組合活動に関する情報収集のため従業員控室に盗聴器を設置した事件で、使用者の行為が労働者らのプライバシーを侵害するものであるとして、労働者らに各5万円の慰謝料を認めた岡山電気軌道事件(岡山地判平3.12.17 労判606-50)や、引越業務での客の所持品紛失に伴う従業員に対する身体検査がプライバシー等の侵害に当るとし、慰謝料30万円の支払いを認めた日立物流事件(浦和地判平3.11.22 労判624-78)などが存在した。

また、最近の事例では、労働組合員が遺失したノート(違法な業務阻害行為を組合が指示している可能性を示す記述があった)につき、個人のプライバシーに関する部分についてまで写しを作成し、支社に届けた上司の行為が違法であるとして、上司個人と使用者に慰謝料等35万円が命じられたJR東海大阪第一車両所事件(大阪地判平16.9.29 労判884-38)がある。

その他、プライバシー侵害という表現は用いていないものの、原則月1回開催されている研修会において、月間販売目標数に販売数が達しなかった美容部員(ビューティーカウンセラー)達に対し、研修会開始から退社まで(その日は午前9時20分頃から午後7時頃まで)その意に反して特定のコスチュームの着用を強要し、後日実施された別の研修会でそのコスチューム姿を含む研修会の様子を本人の了解を得ないままスライド投影した行為は、不法行為に該当するとして約22万円(うち2万円は弁護士費用)の支払いが命ぜられたK化粧品販売事件(大分地判平25.2.20 労経速2181-3)がある。

(2)労働者のプライバシーが侵害されないよう職場環境を整える使用者の義務
労働者のプライバシーに関連して、使用者の職場環境整備義務等に言及する事例がある。京都セクハラ(呉服販売会社)事件(京都地判平9.4.17 労判716-49)では、男性従業員の女性更衣室におけるビデオによる隠し撮りに関し、使用者は雇用契約に付随して、労働者のプライバシーが侵害されないよう職場環境を整える義務があるとして、慰謝料等として男性従業員に約140万円の支払いおよび会社に約215万円の支払いが命じられた。また仙台セクハラ(自動車販売会社)事件(仙台地判平13.3.26 労判808-13)では、覗き目的で女性トイレに侵入した男性従業員に対する苦情に関し、会社がこれを放置すれば女性従業員のプライバシーが侵害される可能性があり、会社に誠実かつ適正に対処する義務があったとし、結果的に退職することとなった女性労働者に対し会社に慰謝料350万円の支払いが命じられている。

(3)秘匿しておきたい健康情報
HIV・肝炎等、社会に偏見や誤解が存在する情報の使用者の収集に関し、裁判所は、プライバシー保護の観点から以下のように判断している。

まず、HIV感染に関するHIV感染者解雇事件(東京地判平7.3.30 労判667-14)では、HIV感染を理由とする解雇は社会的相当性の範囲を逸脱した違法行為であるとして解雇を無効とし、使用者がこのような情報をみだりに第三者に漏洩することはプライバシーの権利の侵害として違法となるとし、会社・派遣先会社・会社社長各々に慰謝料300万円の支払いが命じられた。

また、T工業(HIV解雇)事件(千葉地判平12.6.12 労判785-10)では、HIV抗体検査等を行うことはプライバシーの権利を侵害するとし、これに基づく解雇が無効とされ、慰謝料として会社に200万円、抗体検査を行った医療機関の経営者に150万円の支払いが認められている。このほかに、東京都(警察学校・警察病院HIV検査)事件(東京地判平15.5.28 労判852-11)では、HIV陽性が判明した者への入校辞退勧告が行われた結果の警察官の入校辞退に関し、プライバシーを侵害する違法な行為として、東京都に対し330万円、警察病院に対し110万円の損害賠償の支払いが命ぜられた。肝炎検査に関して、本人に無断で行った肝炎の検査によりB型肝炎ウイルスに感染していることを理由としてなされた採用内定の取消しに関するB金融公庫(B型肝炎ウイルス感染検査)事件(東京地判平15.6.20 労判854-5)では、検査を行った行為がプライバシー権侵害に該当するとして、損害賠償150万円の支払いが認められている。

さらに、社会医療法人が経営する病院勤務の看護師が体調不良のため同病院等で血液検査を受けた結果、梅毒罹患及びHIV検査陽性であることが判明したが、これらHIV陽性等の情報について病院の副院長が、看護師本人の同意を得ないまま、院内感染を防ぐため労務管理目的で院長及び看護師長に伝達し、その後看護部長等に伝達され数名の者が知るに至ったことは、個人情報保護法16条1項の禁ずる目的外利用に当たると判断したうえ、プライバシー侵害の不法行為の成立等が認定され、社会医療法人に約61万円の損害賠償の支払いが命じられた社会医療法人A会事件(福岡高判平27.1.29 労判1112-5)がある。

(4)Eメールに関する事件
Eメールの調査に関する事件も生じている。その判断枠組みとしては、F社Z事業部事件(東京地判平13.12.3 労判826-76)等が、使用者の監視行為の目的、やり方・方法等と労働者の被る不利益とを比較衡量した上で、その行為が社会通念上相当な範囲を逸脱したと認められる場合に、プライバシー権の侵害が成立するとしている。

前掲F社Z事業部事件は、上司が労働者のEメールを監視し続けた事例であるが、事業部の最高責任者である上司による監視は相当性の範囲内にとどまっており、監視行為が社会通念上相当な範囲を逸脱したものであったとまではいえず、原告らが法的保護(損害賠償)に値する重大なプライバシー侵害を受けたとはいえないとしている。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 3.労働者の人権・雇用平等 > (22)【労働者の人権・人格権】職場の暴行行為

(22)【労働者の人権・人格権】職場の暴行行為 3.労働者の人権・雇用平等
1 ポイント
(1)暴行行為が従業員同士の行為であっても、就業時間中に就業場所で行われた場合には、会社の事業の執行行為を契機として、これと密接に関連を有すると認められるため、会社は被害を受けた労働者に対し使用者責任としての損害賠償責任を負うことがある。

(2)従業員の暴行等に起因する精神疾患に関しても使用者は使用者責任を負うことがある。

(3)暴言をあびせ罵倒する等の行為が、恒常的に精神的苦痛を与え、人の生命・身体という人格的利益を侵害し又は侵害するおそれがある場合には、差止めを求めることができる。

2 モデル裁判例
エール・フランス事件 東京高判平8.3.27 労判706-69

(1)事件のあらまし
一審原告側労働者X(被控訴人)は、フランスに本社を置く航空会社である一審被告側使用者Y1(被控訴人)の従業員である。Y2はY1代表者、Y3らはY1の労働組合役員らでありXの同僚である。Y1では、労働組合との本社再建に関する労使協議の結果、希望退職の募集が行われることになった。このY1の希望退職募集に際し、Xは、Y3から希望退職届の提出を強く求められたが、これに応じなかった。

Y3らは、希望退職に応じようとしないXに対し、顔面への殴打、大腿部への足蹴り、鉄製ファイル棚に後頭部を打ち付けるなどの暴行のほかにも、ゴミ入れを頭に被せる、衣服にコーヒーをかける、Xの机の上にXを中傷する落書をする、机にコーヒーで湿らした新聞紙を入れる、灰皿の灰を投げつける、罵声を浴びせる等の行為を繰り返し、また、このほかにも仕事差別を行った。

そこで、Xは、このようなY3の行為に対し、Y1~Y3に連帯して慰謝料の支払いを求めた。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

暴力行為等につき、Y1・Y3に連帯して慰謝料200万円および弁護士費用30万円の支払いを命じ、仕事差別につき、Y1・Y2に連帯して慰謝料100万円の支払いを命じた。

Y3らは、暴力行為に関し、連帯して賠償責任を負うべきである。また、Y3らによる暴力行為および仕事差別は、Y1の事業の執行につき従業員同士の間で行われたものであり、Y1はXに対して使用者責任を負うべきである。さらに、Y2は、少なくとも仕事差別を知り得たのであり、それにもかかわらず何らの対処もしなかったものであるから、損害賠償責任を負うべきである。

しかし、Xは、協調性に乏しく、他の従業員から遊離した存在になっていたことなどの事情があり、このようなXの態度が、控訴人らの暴力行為等を誘発する一因となったものと推認することができ、また、Xの受けた暴力行為等は、客観的に見て、言葉で表現したところから受ける印象よりも軽度なものであったと推認される。さらに、仕事差別の点について、Y1は、Xの勤務成績及び勤務態度が悪いなどの評価の結果行ったとも考えられる。しかしながら、Xが反抗的な態度を示すようになったことには、管理職等が勤務時間内外にわたり、Xに対して執拗に希望退職届を提出するよう強く要請し続けたことにもその一因があり、Xのみを責めることはできず、暴力行為等につき、Y1・Y3に連帯して慰謝料等の支払いを認め、仕事差別につき、Y1・Y2に連帯して慰謝料の支払いを認める。

3 解説
(1)使用者責任
従業員間の暴行に関しては、暴行行為の存在が認められればこれを行った労働者の責任が問われることになるが、モデル裁判例のように、労働者の行為が会社の事業の執行行為を契機として、これと密接に関連を有するものと判断され、会社に使用者責任としての損害賠償責任が課される場合がある。

モデル裁判例と同様に使用者責任が認められた事件として、大阪市シルバー人材センター事件(大阪地判平14.8.30 労判837-29)がある。この事件は、労働者が上司に拳で右眼付近を殴打され失明し、もともと左目を失明していたため、両眼失明に至った事例であるが、上司の行為がセンターの事業の執行につきなされたと認定され、センターに使用者責任が認められている。慰謝料の算定については労働者の被った損害の3割分が過失相殺されたうえ、損害額として505万円及び弁護士費用50万円の支払いがセンターに命じられている。

これに対し、使用者責任が認められなかった事例として、ネッスル(専従者復帰)事件(神戸地判平元.4.25 労判542-54)がある。この事件において裁判所は、二つの労働組合が対立・抗争し、一方の組合員が他方の多数の組合員に取り囲まれ、罵声を浴びせられ、暴行を受けたとの主張に対し、偶発的な行為であったというべきであり、会社はその賠償をする責任を負ういわれはないものと述べ、労働者の主張を棄却している。

また、特殊な事例として、派遣労働者に対する暴行事件に関して、ヨドバシカメラほか事件(東京地判平17.10.4 労判904-5)では、派遣元従業員による派遣労働者への暴行について、事件に直接関与した個人およびこれらの者を直接雇用している各使用者にそれぞれ連帯して損賠賠償の支払いが命じられた(暴行の程度により20万から100万余円)。なお、派遣先企業の責任は否定されている。

(2)暴行事件を原因とする精神疾患
暴行そのものの身体的傷害というより、暴行に起因する精神疾患が問題となる事件も発生している。例えば、川崎市水道局(いじめ自殺)事件(東京高判平15.3.14 労判849-87)では、上司らの揶揄・嘲笑・侮蔑的発言により労働者が精神疾患に陥り、その後自殺したとして川崎市に安全配慮義務違反があったことが認められ、本人の資質等の要因から7割分が過失相殺され、労働者の逸失利益および慰謝料として両親それぞれに約1,170万円の損害賠償支払いが認められている。これに関連する事例として、アジア航測事件(大阪地判平13.11.9 労判821-45)は、同僚の男性従業員の殴打に起因する心因性の疾患により欠勤するようになった女性従業員が、無断欠勤による職務怠慢等を理由に解雇されたという事例である。男性従業員及び会社に対し約194万円(過失相殺4割)及び慰謝料60万円の支払が命じられた(なお、解雇も無効)。

また、会社内の暴行および暴言を原因とする従業員の精神障害に関する事例として、ファーストリテイリング(ユニクロ店舗)事件(名古屋地判平18.9.29 労判926-5)では、店長の暴行行為および管理部部長の暴言について、会社に使用者責任が認められ、それによって被った労働者の損害(妄想性障害)に対して、会社と店長が連帯して損害賠償責任を負うとされ、さらに、休業損害1,904万余円および慰謝料500万円ほか合計2,416万余円が認定された(ただし過失相殺により60%が減額)。

さらに、代表取締役により日常的に暴言、暴行及び退職強要といったパワーハラスメントを受け、それが原因で急性ストレス反応を発症し自殺するに及んだケースにおいて、同代表取締役の不法行為責任を認め、同時に会社法350条に基づき会社も連帯して損害賠償責任を負うことを認めたメイコウアドヴァンス事件(名古屋地判平26.1.15 労判1096-76)がある。損害額として被災者の妻に約2,707万円、被災者の子3名に各902万円が認められている。また、長時間労働に加え、上司より社会通念上相当と認められる限度を明らかに超える暴言、暴行、嫌がらせ、労働時間外での拘束、プライベートへの干渉、業務と無関係の命令等のパワーハラスメントを2年半以上にわたって恒常的に受けてきた飲食店店長の過労自殺につき、同上司の不法行為に基づく損害賠償責任を認め、また、会社については安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任及び不法行為の使用者責任、会社の代表取締役に対しては会社法429条1項に基づく損害賠償責任を認めたサン・チャレンジほか事件(東京地判平26.11.4 労判1109-34)がある。亡き飲食店店長の逸失利益として約4,588万円、慰謝料として2,600万円が認められている。その他、国(護衛艦たちかぜ〔海上自衛隊員暴行・恐喝〕)事件(東京高判平26.4.23 労判1096-19)も参考となろう。

(3)暴行等の差止
以上のように、ほとんどの事件は、不法行為に基づく慰謝料を請求する事件であるが、西谷商事事件(東京地決平11.11.12 労判781-72)は、上司らによる暴言・暴行等の差止めを求めた珍しい事例である。この事件において裁判所は、人格的利益が侵害された場合に、被害者は加害者に対し侵害行為の差止めを求めることができるとした。しかし、暴言等の行為が人格的利益を侵害する場合に該当するには、身体や精神に何らかの傷害の発生することが予想される場合でなければならないとし、本件では、人格的利益を侵害するおそれがあるということもできないとして、労働者の申立てを却けている。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 4.就業規則 > (23)【就業規則】就業規則による労働条件の規律

(23)【就業規則】就業規則による労働条件の規律 4.就業規則
1 ポイント
(1)労働契約締結時に合理的な内容の就業規則が労働者に周知されていた場合、労働契約の内容は、その就業規則の定めどおりに決定される。

(2)ただし、就業規則と異なる労働条件を定める労働協約や、就業規則より労働者に有利な労働条件を定める個別合意が存在する場合には、これらのものが就業規則に優先して労働契約の内容を定めることになる。

2 モデル裁判例
電電公社帯広局事件 最一小判昭61.3.13 労判470-6

(1)事件のあらまし
Y公社(被告)では、電話交換手を中心に頸肩腕症候群の長期罹患者が多数存在していたことから、労働組合と労働協約を締結した上で、長期罹患者に対してA逓信病院において精密検査を実施すること等を内容とする総合精密検診を実施することとした。Y公社の就業規則には、心身の故障により勤務軽減等の措置を受けた職員は所属長等の指示に従って健康回復に努めなければならない(165条)との規定が存在した。また、健康管理規程(就業規則の性質を有する)には、健康管理上の指示に対する従業員の遵守義務(4条)、特に健康管理が必要な要管理者についての個別管理の実施(26条)、健康回復努力義務(31条)などの規定が存在した。

Y公社は、頸肩腕症候群を発症して軽易な業務に就いたまま治療が長引いていた電話交換手Xに対し、上記精密検査を受診すべき旨の業務命令を発令した。XはA逓信病院は信頼できないなどとして2度にわたって命令を拒否し、このこと等を理由として懲戒戒告処分を受けたので、その無効確認を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

就業規則上の労働条件の定めが合理的なものである場合には、個別的労働契約における労働条件の決定はその就業規則によるという事実たる慣習が成立しているものとして、当該事業場の労働者は当該規則の知・不知、当該規則への同意の有無を問わず当然にその適用を受ける(秋北バス事件最高裁判決を引用)。したがって、就業規則が労働者に対し、一定事項について使用者の業務命令に服すべき旨を定めているときには、そのような就業規則の規定内容が合理的なものである限りにおいて当該具体的労働契約の内容をなしているといえる。

本件におけるY公社の就業規則および健康管理規程の上記各規定の内容は、公社職員が労働契約上その労働力の処分を公社に委ねている趣旨に照らしていずれも合理的であり、各規定の定める職員の健康管理上の義務は公社と公社職員の間の労働契約の内容になっており、Xが本件受診命令に従う労働契約上の義務を負っていた。

3 解説
(1)労働契約法7条
労働契約法7条本文は、労働契約締結時に①就業規則が合理的な労働条件を定めている、②就業規則が労働者に周知されている、との要件が満たされている場合に、労働契約内容が就業規則の定める労働条件のとおりに決定される旨を定めている。就業規則は雇用関係の中で、労働者の労働条件や就業の際に労働者が遵守すべき事項(服務規律)を定めるもっとも重要な手段として機能しており、上記条文は、このような就業規則の機能を法的に根拠づけるものといえる。

上記の①②の要件は、いずれも労働契約法制定前の判例法理を条文に取り入れたものであり、モデル裁判例は、このうち①のもとになった判例法理を形成する代表的な最高裁判決の一つである(②のもとになった判例法理については、(25)【就業規則】参照)。

(2)労働契約法7条の背景をなす判例法理
労働契約法が制定されるまで、労働条件に直接影響を及ぼす就業規則の効力を明示的に定めた条文は、労働条件の最低基準を設定する効力についてのものしか存在しなかった(労基法旧93条、現在の労働契約法12条)。このため、就業規則が単なる最低基準でない労働条件そのものを決定・変更すること(実際上はこうした状況が広く見られた)については、その法律上の要件や根拠をどのように解するかが問題になっていた。

この点について最高裁は、モデル裁判例も引用する秋北バス事件判決(最大判昭43.12.25 民集22-13-3459)において、就業規則が合理的な労働条件を定めている限りにおいて労働条件決定はその就業規則によるという「事実たる慣習」が成立しており、このような場合には、就業規則の定めを知らない労働者や、これに反対する労働者の労働条件も就業規則の定め通りに決定されるとの判断を示した。この判断については、その理論的意味内容が当初問題になったが、やがて、同判決は就業規則の法的性質を大量の定型的取引の場面で用いられる普通契約約款に類似したものと捉え、普通契約約款に関する法理を応用して就業規則の内容に合理性が認められる場合には就業規則の定めが労働契約の内容になるとの判断をしたのだという理解が示され(「定型契約説」)、学説上の有力な支持を得るに至った。

モデル裁判例は、上述した秋北バス事件最高裁判決の判旨の引用に続けて、労働者が使用者の業務命令に従う義務を負うと定める就業規則規定が合理的なものであれば、その定めが労働契約の内容になるとの判断を示している。これは、上述した「定型契約説」の立場に立つことを示すものと理解でき、これによって、「就業規則の内容は、合理的な労働条件を定めている限りにおいて個々の労働者の労働契約の内容になる」という判例法理が確立したものといえる。

(3)就業規則規定の合理性
労働契約法制定前の判例法理において、就業規則の合理性が問題とされるもっとも代表的な局面は、就業規則による労働条件変更の適法性が問題となる場合であった(労働契約法の下では、この問題は同法7条ではなく、10条に関する問題と位置づけられる。(74)【労働条件の変更】参照)。それ以外の場面で最高裁が就業規則規定の合理性について判断した例としては、モデル裁判例の他、使用者の時間外労働命令権を定めた就業規則規定の合理性を認め、使用者が労働者に対して時間外労働を命令する労働契約上の権利を有することを肯定した例がある(日立製作所武蔵工場事件 最一小判平3.11.28 民集45-8-1270)。

(4)就業規則によらない労働条件決定
このように、就業規則は、労働契約法7条本文所定の要件を満たす場合に労働者の労働条件を定める上で重要な役割を果たすことが法的に認められている。しかし、労働条件決定が常に就業規則によって行われるわけではない。

まず、労働契約法7条但書は、労働者と使用者の間の個別合意によって就業規則よりも労働者に有利な労働条件が定められた場合には、当該合意の効力が就業規則の効力に優先して労働契約内容を決定する旨を定めている。たとえば、ある労働者が勤務地限定の合意を使用者と締結すれば、それが労働契約の内容となり、就業規則に転勤条項が定められていても、その効力は当該労働者に及ばないことになる。

次に、労働契約法13条は、就業規則と法令又は労働協約の間に抵触が生じている(前者の内容が後2者のいずれかの内容に「反している」)場合、就業規則中の抵触が生じている部分については、労働契約法7条(及び10条、12条)所定の効力が生じない旨を定めている(労基法92条も参照)。そこで、このような場合には、労働条件(労働契約内容)は、法令又は労働協約によって定められることになる。労働協約との関係では、就業規則が労働協約よりも労働者に有利な労働条件を定めている場合にも労働協約の方が適用されることになるのか否かは問題になるが、裁判例(労働契約法制定前)の中には、この点を肯定したものがある(明石運輸事件 神戸地判平14.10.25 労判843-39)。

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(24)【就業規則】就業規則による労働条件の最低基準の設定 4.就業規則
1 ポイント
個別合意等で定められた労働条件(労働契約内容)の中に、当該労働者に適用される就業規則が定める基準よりも労働者に不利な部分が存在する場合、当該不利な部分については個別合意等の定めによるのではなく、就業規則が定める基準が労働契約の内容となる。

2 モデル裁判例
北海道国際航空事件 最一小判平15.12.18 労判866-14

(1)事件のあらまし
Y会社は、経営不振を理由として、課長以上の役職者について賃金の引き下げを行うことを決定し、平成13年7月18日に、社付担当部長の職にあったXに対し、同月分以降の賃金を20%減額する旨を通告して理解を求めた。Xはこれに対し、会社の状況は理解できるが遡っての賃金減額は違法である等の抗議を行ったものの、上記通告どおりに減額して支払われた7月分以降の賃金を特に異議を申し出ることなく受け取っていた。

その後、Xは、Yが行った賃金減額は違法であるとして、平成13年7月分以降に行われた賃金減額分の支払いを求めて提訴した。

なお、Yの就業規則の一部である賃金規程の18条には「月の途中において基本賃金を変更又は指定した場合は、当月分の基本賃金は新旧いずれか高額の基本賃金を支払う」との定めが存在する。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(平成13年7月分の賃金減額についてのみ違法と判断)

Xは、減額された7月分の賃金を平成13年7月25日に異議を述べずに受け取り、翌月以降も減額された賃金を異議を述べずに受け取っていたこと等からすれば、7月25日の時点で7月分以降の賃金減額に同意したと認められる(原判決の認定判断を支持)。

上記の同意には、7月1日から24日までの既発生の賃金債権のうち20%を放棄する趣旨と、同意の日である7月25日以降に発生する賃金債権を20%減額する趣旨とが含まれていることになるが、このうち前者の部分は、賃金債権放棄の要件を満たさず無効である。

また、後者の部分のうち、7月25日から7月31日までの賃金減額に同意する部分についても、Yの賃金規程18条によれば、7月中の賃金額は、より高額である減額前の賃金額となるのであるから、労働基準法93条(現労働契約法12条)により、Xは、7月31日までの賃金について、賃金減額に同意していたとしても、減額前の額の支払いを求めることができる。

3 解説
(1)労働契約法12条の意義
労働契約法12条は、「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については、無効とする。この場合において、無効となった部分は、就業規則で定める基準による。」と規定している(労働契約法制定前は、この条文は労働基準法93条に置かれていた)。

この条文により、就業規則は、適用対象となる労働者の労働契約の中に就業規則の定めよりも労働者にとって不利な労働条件を定めている部分がある場合に、その部分を就業規則の定めどおりに修正する効力(片面的強行直律効)を持つ(労働契約中の就業規則と同じか、より労働者に有利な労働条件を定める部分はそのまま)。言い換えると、就業規則はその適用範囲内における労働条件の最低基準を定める効力を有するということである。

(2)労働契約内容そのものを定める就業規則の効力との関係
もっとも、就業規則は、一定の要件の下で、単なる最低基準でなく労働契約内容そのものを定めたり、変更したりする効力を有しており(労契法7条、10条)、これらの効力に基づいて労働契約内容が決定されている場面では、労働契約内容は就業規則の内容と一致しているのであるから、労働契約法12条が定める労働条件の最低基準を定める効力が機能する余地は基本的にない。労働条件の最低基準を定める就業規則の効力が機能するのは、次に挙げるような場合である。

(3)労働契約法12条の具体的適用場面
労働契約法12条が適用されるもっとも典型的な場面は、労働契約内容を定める個別合意が存在する場合である。このような個別合意は、就業規則の定める労働条件の基準より労働者に有利な労働条件を定めるものであれば、就業規則に優先して労働契約内容を決定する効力を有する(労働契約法7条但書参照)が、合意内容が就業規則で定める基準よりも労働者に不利な労働条件を定めている部分については、合意の効力は否定され、就業規則の定める基準にとって代わられる。

モデル裁判例もこのような事案についてのものである。すなわち、使用者が提示した賃金減額に労働者が同意し、賃金減額についての合意が成立していることを認めつつ(これにより8月分以降の賃金減額は適法とされている)、合意成立の日である7月25日から31日までの賃金については、Yの賃金規程18条を適用するとXの賃金額は減額前の額となることから、労働基準法93条(現労働契約法12条)に基づいて、賃金減額について合意が成立しているにも関わらず、Xは減額前の賃金額を請求できるとしている(同種の例として、個別労働契約で就業規則上の所定労働時間数を上回る労働時間数を定めていた場合、上回っている部分については労働契約上の時間外労働として就業規則所定の割増賃金の支払対象になるとした北錦会事件 大阪地判平13.9.3 労判823-66など)。

また、このような個別合意が存在しないか、合意の存否が明らかでない場合にも、労働者は、自己の労働条件が自らに適用のある就業規則の定める基準を下回っているときには、労働契約法12条を根拠として、就業規則の定めどおりの労働条件を、使用者に対して請求できるものと考えられる。労働契約法12条の趣旨は、前述のとおり労働条件最低基準の設定にあるのであり、労働者は、自分が現実に享受する労働条件が就業規則上の基準を下回っているときには、就業規則規定の合理性等を問題にすることなく、端的に就業規則を根拠として、そこに定められた基準どおりの労働条件を求めうるのである。

(4)労働契約法12条所定の効力の発生要件
労働契約法12条所定の就業規則の効力の発生要件については、条文上明示的に規定されてはいない。この点についてはまず、前述のとおり、同法7条、10条の場合と異なり、就業規則の合理性は要件ではない。

次に、7条や10条について問題になる((25)【就業規則】参照)労働者への周知や、労働基準法上の届出・意見聴取義務の履行(89条、90条)については、裁判例上確立した考え方はないものの、労働者への実質的な周知(必ずしも労基法106条所定の方法によることは要しない)があれば足りるという点では異論がないといってよい(江戸川会計事務所事件 東京地判平12.2.14 労判780-9など)。また、届出があった場合に周知の有無を問題とせずに効力発生を認める例も見られる(常盤基礎事件 東京地判昭61.3.27 労判472-42など)。労働契約法12条所定の効力は常に労働者に有利に働くという点で、7条・10条所定の効力とは性質を異にするため、両者の効力発生要件は異なっていてよい。したがって、理論上は、使用者側の義務の不履行が就業規則の効力に与える影響は、12条の場合の方が限定的だと考えることが可能である。

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(25)【就業規則】就業規則で労働条件を決定・変更するために必要とされる周知 4.就業規則
1 ポイント
(1)就業規則が労働契約内容を定めたり変更したりする効力を有するためには、その内容を労働者に周知させる手続がとられていることが必要である。

(2)裁判例によれば、就業規則の届出義務や就業規則作成・変更の際の意見聴取義務の違反は就業規則の上記の効力を否定するものではないと判断される傾向にある。

2 モデル裁判例
フジ興産事件 最二小判平15.10.10 労判861-5

(1)事件のあらまし
各種プラントの設計・施工等を業とするY会社(被告・被上告人)のエンジニアリングセンター(大阪府門真市所在)に勤務する従業員であったX(原告・上告人)は、平成6年6月15日に、職場秩序を乱したこと等を理由として懲戒解雇処分を受けた。

Y会社では、昭和61年に、労働者代表の同意を得た上で就業規則(旧就業規則)を定め、労働基準監督署に届け出ていた。また、平成6年4月からは旧就業規則を変更した新就業規則を実施することにし、同年6月に労働者代表の同意を得た上で労働基準監督署に届け出ていた。これらの就業規則には、懲戒処分に関する規定が置かれている。Xは本件懲戒解雇に先立ち、エンジニアリングセンターの労働者に適用される就業規則について質問したところ、旧就業規則はYの本社(大阪市西区所在)には存在するものの、エンジニアリングセンターには存在しないという状況であった。

Xは、本件解雇の根拠となる事実が発生した時点でエンジニアリングセンターの労働者に適用される就業規則が存在しなかったこと等を理由に本件懲戒解雇の違法・無効を主張し、Yらを提訴した。原審である大阪高裁は、本件懲戒解雇の根拠となるのは旧就業規則であるとしたうえで、それがエンジニアリングセンターに備え付けられていなかったからといって同センターの労働者に対して効力を有しないとはいえないとの判断を示した上で、X敗訴の判決を下していた。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(労働者側敗訴の原判決を破棄・差戻し)

使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種類および事由を定めておくことを要する。

就業規則が法的規範としての性質を有するものとして拘束力を生ずるためには、その内容を、適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続きが採られていることを要する。

原審は、Yが労働者代表の同意を得て旧就業規則を制定し、労働基準監督署長に届け出た事実を確定したのみで、その内容をセンターの労働者に周知させる手続きが採られていることを認定しないまま旧就業規則に法的規範としての効力を肯定し、本件懲戒解雇が有効であると判断しているが、この判断には審理不尽の結果、法令の適用を誤った違法がある。

3 解説
(1)労働契約内容を決定・変更する効力の発生要件としての周知
労働契約法は、就業規則の効力のうち、単なる最低基準でなく、労働条件(労働契約内容)そのものを決定・変更する効力の発生要件として、使用者が就業規則の内容(変更時には変更後の就業規則の内容)を労働者に周知させていることを、就業規則の内容(もしくは変更)の合理性と共に明記している(7条、10条)。

このように、就業規則の周知がこれらの効力の発生要件(の一部)とされているのは、モデル裁判例で示された労働契約法制定前の判例法理が労働契約法の条文に取り入れられたことによる(なお、労働契約法所定の就業規則の効力のうち、12条の効力の発生要件については、ここでの問題とは区別して考えるべきである。(24)【就業規則】参照)。

モデル裁判例は、懲戒処分の根拠としての就業規則の効力が問題になった事案において、就業規則の効力が認められるためには、その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させることが必要との最高裁の立場を明らかにしたものである。具体的判断としては、労働者の所属事業場とは別の事業場で労働者代表の意見を聴取しただけでは周知があるとはいえないとして事件を差し戻している。

(2)周知の意義
労働基準法は、就業規則を作業場の見やすい場所に掲示するなど同法施行規則の定める方法により、労働者に周知することを義務づけている(労基法106条1項)。これに対し、労働契約法7条、10条にいう、労働契約の内容を決定・変更する効力の発生要件としての「周知」とは、労働基準法および同法施行規則の定める方法に限らず、実質的に見て就業規則の適用を受ける事業場の従業員が就業規則の内容を知ろうと思えば知りうる状態に置くこと(実質的周知)を意味すると解されている(労働契約法施行以前の裁判例であるが、日音事件 東京地判平18.1.25 労判912-63参照)。具体的には、就業規則が各事業場で管理職員の机の中や書棚に設置され、事業場の従業員がいつでも閲覧しうる状況にあった場合(前掲日音事件)や、会社設立時に営業開始前の暫定的就業規則として当時の従業員全員にその内容が示され、その後も新規採用者には就業規則が配布されていた場合(レキオス航空事件 東京地判平15.11.28 労経速1860-25)に周知が肯定されている。

一方、就業規則による労働条件の不利益変更(労働契約法10条)が問題となる事案では、使用者が就業規則の掲示などを行っていても、実質的周知がなされていないと評価されることもありうる。裁判例には、就業規則による退職金制度の変更について、就業規則が掲示されていたとしても、従業員が就業規則を参照しただけで変更後の退職金額を知ることは困難であり、使用者は説明文書の配布や説明会の実施などを行うべきであったとして、周知を否定したものも見られる(中部カラー事件 東京高判平19.10.30 労判964-72)。

(3)労基法上の義務の違反と就業規則の効力
労働基準法は、常時10人以上の労働者を使用する事業場の使用者に就業規則の作成義務を課しており、作成義務を負う使用者については、就業規則に記載すべき事項、所轄労働基準監督署長への届出義務(以上89条)、事業場の過半数代表者の意見を聴取する義務(90条)、法所定の方法での周知義務(106条)について定めている(周知義務については、作成義務を負わない使用者が就業規則を作成した場合にも適用がある)。

使用者が就業規則作成に当たり上記の義務に違反した場合、労働契約法7条・10条に基づく就業規則の効力は生じるのであろうか。

まず、周知義務については前述のとおり法所定の方法による周知は効力発生要件ではない。また、法定の必要的記載事項の記載漏れは作成された部分の効力には影響を及ぼさない。

次に、意見聴取義務および届出義務についてみると、裁判例はこれらの義務の違反があっても労働契約内容を決定・変更する就業規則の効力に影響はないと判断する傾向にある(シンワ事件 東京地判平10.3.3 労経速1666-23、ブイアイエフ事件 東京地判平12.3.3 労判799-74、前掲レキオス航空事件、日音事件など)。これは、これらの義務は国に対する使用者の義務として設けられたものであり、その違反に対しては行政による取締(行政指導など)や刑事制裁(労基法120条1号)が予定されているものの、労働者と使用者の法律関係には直接影響を及ぼさないと解されているためである(学説上は、労働契約法11条が存在することから、就業規則変更の場面では届出・意見聴取義務の履行の有無が同法10条所定の合理性の判断要素になるとの考え方や、これらの義務の履行が同法7条・10条の効力発生要件になるとの考え方も有力である)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (26)【賃金】賃金請求権の発生

(26)【賃金】賃金請求権の発生 5.労働条件
1 ポイント
(1)労務の提供を労働契約の内容に従って誠実に履行しなければ、賃金請求権は生じない。

(2)労働契約において職務や業務の内容が特定されていない場合、病気や障害などによりそれまでの業務を完全に遂行できないときは、それまでと異なる労務の提供およびその申し出を行い、実際に配置可能な業務があるときは、労務の提供があったものとみなし、これを受領しなかった使用者に対する賃金請求権は失われない。

2 モデル裁判例
片山組事件 最一小判平10.4.9 労判736-15

(1)事件のあらまし
X(原告・被控訴人・上告人)は昭和45年3月Y(被告・控訴人・被上告人)に雇用され、建設工事現場における現場監督業務に従事していた。平成2年夏、Xは、バセドウ病にり患している旨の診断を受け、以後通院治療を受けながら、平成3年2月まで現場監督業務を続け、その後、次の現場監督業務が生ずるまでの間、臨時的、一時的業務として、Yの工務管理部において図面の作成など事務作業に従事していた。Xは、平成3年8月20日から現場監督業務に従事すべき旨の業務命令を受けたが、病気のため現場作業に従事できないこと、残業は1時間に限り可能なこと、日曜日・休日の勤務は不可能であることなどを申し出て、同年9月9日、XはYの要請に応じて「内服薬に治療中であり、今後厳重な経過観察を要する」旨の診断書を提出した。そこで、Yは平成3年9月30日付の指示書で、Xに対し10月1日から当分の間自宅で病気治療すべき旨の命令を発した。これに対して、Xは、同月12日、事務作業を行うことはできるとして、主治医による「デスクワーク程度の労働が適切」とする旨の診断書を提出したが、現場監督業務に従事しうる旨の記載がないことから、Yは自宅治療命令を持続した。その後、平成4年2月5日に現場監督業務に復帰するまでの期間中、YはXを欠勤扱いとし、その間の賃金を支給せず、平成3年12月の賞与も減額した。そこで、Xは欠勤扱い期間中の賃金と12月賞与の減額分をYに請求して提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

労働者が職種や業務内容を特定しないで労働契約を締結した場合、実際に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が完全にはできないとしても、労働者の能力、経験、地位、企業の規模、業種、労働者の配置・異動の実情や難易度等に照らして、その労働者を配置する現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、労働契約に従った労務の提供をしていると解される。そのように解さないと、同一の企業における同様の労働契約を締結した労働者の提供し得る労務の範囲に同様の身体的原因による制約が生じた場合に、その能力、経験、地位等にかかわりなく、現に就業を命じられている業務によって、労務の提供が債務の本旨に従ったものになるか否か、賃金請求権を取得するか否かが左右されることになり、不合理である。

Xは21年以上にわたり現場監督業務に従事してきたが、労働契約上その職種や業務内容が現場監督に限定されていたとは認定されていないし、Xは事務作業に従事することができ、本人も事務作業をすることを申し出ていた。そうすると、Xが労働契約に従って労務の提供をしていなかったと断定することはできないので、Xが配置される現実的可能性のある業務が他にあったかどうかを、第二審裁判所で再度検討すべきである。

なお、差戻審判決(東京高判平11.4.27 労判759-15)は、Xに遂行可能な事務作業がありこれに配置する現実的可能性があったとして、賃金請求権を認めた(最三小決平12.6.27 労判784-14の上告不受理により確定)。

3 解説
(1)労務提供義務
労務の提供は、労働契約で定められたとおりに誠実に履行しなければならない。日本では、労働契約において職種や業務内容を特定せずに雇用することが多く、通常、使用者は、労働契約の広範な枠内で労働者が行う労働の種類・場所・遂行方法などを決定し、必要な指揮監督を行う。これに対して、トラック運転手や航空機の客室乗務員、特定科目の高校教師のように、労働契約において業務内容が特定されている場合もあるが、判例は「業務内容の特定」を認めることには消極的である(日産自動車事件 最一小判平元.12.7 労判554-6(51)【異動】参照)。

労働者の自己都合による欠勤等があった場合、その限度(日数・時間)で賃金請求権は生じない(労契法6条参照、NEXX事件 東京地判平24.2.27 労判1048-72)。また、労働を終わった後でなければ、賃金を請求することができない(民法624条1項、宝運輸事件 最三小判昭63.3.15 判時1297-39)。しかし、実際の労務の提供がない場合でも、労働者が、労働契約に従った労務の提供(民法493条)を申し出ているにもかかわらず、使用者が不当に労働者の就労を拒否しているときには、労働者は賃金請求権を失わない(民法536条2項、(30)【賃金】参照)。また、使用者が合理的理由なく、労働者に勤務を休むことを強いる場合には、不法行為となりうる(社会医療法人A会事件 福岡高判平27.1.29 労判1112-5)

(2)業務内容の特定がない場合
モデル裁判例のように、労働契約で職種や業務が特定されていない場合、病気や障害などにより従前の業務を完全に遂行できないときは、従前と異なる労務の提供およびその申し出を行い、実際に配置可能な業務がある場合には、労務の提供があったものとみなされる。そして、労働者が労務の提供を申し出ているにもかかわらず、使用者が現実に配置可能な業務の有無を検討することなく、その受領を拒否した場合、労働者は賃金請求権を失わない。なぜなら、労働者が、事務作業や現場作業など幅広く配転される可能性があるにもかかわらず、たまたま現場作業に従事していた期間に病気や障害により業務遂行ができなくなったために、賃金請求権を失うのでは不合理だからである。これは、判例が、使用者に広範な配転命令権を承認していることとの関係で(東亜ペイント事件 最二小判昭61.7.14 労判477-6、(50)【異動】参照)、労働者の都合による場合にも、使用者は配置可能な範囲で適切な処遇を行うことを求めているともいえる。

近年、うつ病などの心の病で傷病休職した労働者の復職の可否が問題となることが多いが、自律神経失調症で休職中の労働者からの復職申し出について、残業の少ない他部門への配置を検討することなく、これを拒否した事案において、労働契約に従った労務の提供があったとして、賃金請求権を認めたものがある(キヤノンソフト情報システム事件 大阪地判平20.1.25 労判960-49)。比較的事業規模が大きく、多様な職種を有する企業においては、復職に際し勤務時間の短縮や軽易な職種への変更を含めた「試し出社」制度を設けることが望ましい。

(3)業務内容の特定がある場合
職務内容がトラック運転手に特定されていた事案(カントラ事件 大阪高判平14.6.19 労判839-47)では、労働者がそれまでの業務を通常の程度に遂行することができなくなった場合には、原則として、特定された職務に応じた労務の提供をできない状況にあるものと解される。ただし、他の配置可能な業務が存在し、会社の経営上もその業務を担当させることにそれほど問題がないときは、労務の提供ができない状況にあるとはいえないとし、慢性腎不全のため2年近く休職した労働者が復職を申し出た場合、業務を「加減」した運転者としての業務を遂行できる状況になっていたときから、労働契約に従った労務の提供を認めることができると判示している。労働契約で業務内容が特定されている場合でも、使用者には、労働者の労務遂行能力や会社の規模・経営状況に応じた配慮が求められることがある。また、賃金については、基本給や住宅手当等は認められるものの、運転者という業務に伴う手当(乗務手当等)や残業手当などについては、減額または不支給とされる。

(4)組合活動
組合活動として、労働者が通常とは異なる態様で労務の提供を行ったり、使用者の指示に反する行動をとったりした場合にも賃金請求権が問題となることがある。例えば、出張や外勤を拒否し内勤のみに従事する組合活動について、労働契約に従った労務の適用とはいえず、使用者はあらかじめ受領を拒否したといえるので、賃金請求権は生じないとされる(水道機工事件 最一小判昭60.3.7 労判449-49)。また、新幹線運転士による減速闘争について同様の判断をしたもの(東海旅客鉄道事件 東京地判平10.2.26 労判737-51)などがある。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (27)【賃金】賃金の支払いの諸原則

(27)【賃金】賃金の支払いの諸原則 5.労働条件
1 ポイント
(1)賃金の支払方法については、労基法24条の定める通貨払い、直接払い、全額払い、毎月1回以上・定期払いの原則が適用される。

(2)労働者の賃金債権の放棄や合意による相殺は、労働者の自由な意思に基づくものであると認められる合理的な理由が客観的に存在していたといえる場合には許される。

2 モデル裁判例
日新製鋼事件 最二小判平2.11.26 労判584-6

(1)事件のあらまし
Z(参加人・被上告人)は、Y(被告・控訴人・被上告人)に在職中、同社の住宅財形融資規程に則り、元利均等分割償還、退職した場合には残金一括償還の約定で、同社から87万円を、A銀行から263万円をそれぞれ借り入れた。各借入金のうち、Yへの返済については、住宅財形融資規程およびYとZとの間の住宅資金貸付に関する契約証書の定めに基づき、YがZの毎月の給与及び年2回の賞与から所定の元利均等分割返済額を天引きするという方法で処理することとされ、Zが退職するときには、退職金その他より融資残金の全額を直ちに返済する旨約されていた。Zは、交際費等の出費に充てるため借財を重ね、破産申立てをする他ない状態になったことから、Yを退職することを決意し、Yに対して、退職の申し出とともに、上記各借入金の残債務について、退職金等による返済手続を依頼した。Yは、Zの退職金と給与から各借入金を控除し、Zの口座に振り込んだ後、Yの担当者が、Zに対して、事務処理上の必要から領収書等に署名捺印を求めたが、Zはこれに異議なく応じた。その後、Zの申立により、裁判所は破産宣告をし、X(原告・被控訴人・被上告人)を破産管財人に選任したところ、Xは、YがZの退職金につき、以上のような措置をとったことは、労基法24条に違反する相殺措置であるとして、Yに対して退職金の支払いを請求した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

労基法24条1項所定の「賃金全額払の原則」の趣旨とするところは、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含するものであるが、労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、右同意を得てした相殺は右規定に違反するものとはいえないものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁参照)。もっとも、右全額払の原則の趣旨にかんがみると、右同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならないことはいうまでもないところである。

本件事実関係によれば、Zは、Yの担当者に対し右各借入金の残債務を退職金等で返済する手続きをとってくれるように自発的に依頼しており、本件委任状の作成、提出の過程においても強要にわたるような事情は全くうかがえず、各清算処理手続きが終了した後においてもYの担当者の求めに応じ、退職金計算書、給与等の領収書に異議なく署名押印をしているのであり、また、Zにおいても、右各借入金の性質及び退職するときには退職金等によりその残債務を一括返済する旨の前記各約定を十分認識していたことがうかがえるのであって、本件相殺におけるZの同意は、同人の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在していたものというべきである。

3 解説
(1)賃金の定義
労基法上の「賃金」とは、「労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」(11条)であり、一般に、就業規則等において、支給条件が明確に規定されて、使用者がその支給を約束しているときには、その支給金は「労働の対償」であり、賃金と理解されている。したがって、基本給や所定外賃金だけでなく、例えば、家族手当や退職金・一時金も、上記要件を満たす限り賃金と解される。これに対して、明確な支給条件が規定されてない、慶弔金などの任意的・恩恵的な性格をもつものは賃金ではなく、法的な性格は、贈与(民法594条)に当たると解される。

(2)通貨払いの原則
賃金は通貨で支払わなければならない。現物支給による弊害を防止し、労働者にとって最も安全で便利な支払方法を命じたものであり、外国通貨や小切手による賃金の支払いは許されない。また、労働協約で別段の定めをするときには通貨以外のもので支払うことが認められる。なお、会社が従業員に支給する自社株式について、労働契約において賞与として支給することを確約した場合には具体的な請求権として「労働の対償」と解することができるが、通貨払いの原則に反するとする裁判例がある(ジャード事件 東京地判昭53.2.23 労判293-52)。

(3)直接払いの原則
賃金は、労働者に直接支払わなければならない。使用者が労働者の親権者その他の法定代理人等に支払うことは本条違反になる(未成年者については、労基法59条)。賃金債権は、社会保険の受給権と異なり、譲渡が許されないわけではないが、労働者が賃金の支払いを受ける前に債権を他に譲渡した場合でも、使用者は直接労働者に対して賃金を支払わなければならず、譲受人が使用者に支払いを求めることは許されない(日本電信電話公社事件 最三小判昭43.3.12 民集22-3-562)。

(4)全額払いの原則
使用者は当該計算期間の労働に対して約束した賃金の全額を支払わなければならず、賃金からの控除は原則として許されない。例外として、法令により別段の定めがある場合(給与等の源泉徴収、社会保険料の控除など)や事業場協定を締結した場合(社宅や寮などの費用、労働組合費のチェック・オフなど)には賃金の一部を控除して支払うことができる。全額払い原則の趣旨は、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするところにある。

そして、判例によれば、この原則は、相殺禁止の趣旨も含んでおり、労働者の債務不履行(職務の懈怠)を理由とする損害賠償債権との相殺(関西精機事件 最二小判昭31.11.2 判時95-12)や労働者の不法行為(背任)を理由とする損害賠償債権との相殺の場合であっても(日本勧業経済会事件 最大判昭36.5.31 民集15-5-1482)、使用者による一方的な相殺は全額払い原則に違反する。

ただし、モデル裁判例のように、使用者が労働者に対して有する債権と労働者の賃金債権とを相殺することについて、労働者が自由な意思に基づいて同意した場合、この同意に基づく相殺は全額払い原則に反するものではない。これは、賃金債権の放棄に関する合意についても同様である(シンガー・ソーイング・メシーン・カムパニー事件 最二小判昭48.1.19 民集27-1-27)。もちろん、このような同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行われなければならない。例えば、署名のある念書や清算手続の書類などにより証明できる場合であり、黙示的な同意は、容易には認められない。また、同様の考え方は、賃金減額の合意の場合にも適用され、判例は、賃金減額に対する黙示の同意の成立には慎重である(更生会社三井埠頭事件 東京高判平12.12.27 労判809-82)。

また、過払賃金を後に支払われる賃金から差し引く「調整的相殺」については、過払いのあった時期と合理的に接着した時期において賃金の清算調整が行われ、労働者の経済生活の安定を脅かさない場合(予告がある場合や少額である場合)に認められる(福島県教組事件 最一小判昭44.12.18 民集23-12-2495)。

なお、ストック・オプションの付与は労基法上の賃金にはあたらないので、就業規則等で定められた賃金の一部として扱うことはできないとされている(平9.6.1基発412号)。したがって、給与の一部をストック・オプションの付与をもって充てる措置はその分だけ賃金を支給していないことになり、本条違反となる。

(5)毎月1回以上・定期払いの原則
賃金は、毎月1回以上、特定した日に支払わなければならない。年俸制の場合でも毎月定期払いをする必要がある((29)【賃金】参照)。ただし、賞与や1ヵ月を超える期間についての手当等はその期間で支払うことができる。

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(28)【賃金】賃金の決定・変更、査定 5.労働条件
1 ポイント
(1)賃金などの労働条件は、労使による対等決定が原則であり、賃金は、労働契約の重要な要素であるから、これを一方的に減額することは許されない。

(2)職能資格制度において、労働者に対する人事評価を行い、資格等級・号俸を格付けることは、使用者の人事権の行使であり、就業規則や労働契約に根拠があるか労働者の同意がある限り、原則として自由である。

(3)ただし、就業規則等に明示的な根拠もなく、労働者の個別の同意もないまま、使用者の一方的な行為によって、賃金などの重要な労働条件を変更することは許されない。

(4)就業規則を変更することにより、制度的に賃金を減額することもできるが、こうした変更には高度の必要性と内容の合理性がなければならない。

(5)査定の決定については、使用者の広範な裁量が認められており、評価の前提となった事実に誤認があるとか、動機において不当なものがあったとか、重視すべき事項を無視し重要でない事項を強調するとか、実施手順に違反している等により、評価が合理性を欠き、社会通念上著しく妥当を欠くと認められない限り、これを違法とすることはできない。

2 モデル裁判例
コナミデジタルエンタテインメント事件 東京高判平23.12.27 労判1042-15

(1)事件のあらまし
Y(被告・被控訴人)では、AからE及びB(S)・Sクラスの7つの役割グレードに基づき役割報酬と前年査定期間中の実績に応じて支給される成果報酬を合わせた額が、年俸として支給されていた。X(原告・控訴人)は、Yの社員であり、産休および育児休業を取得した後、平成21年4月に復職したところ、YはXの「役割グレード」を引き下げた。また、Yは、Xが産休前には見るべき成果をあげずその後も繁忙期を経験していないとして、成果報酬をゼロと査定した。このため、Xの年俸額は120万円の減額となった。そこでXは、これら一連の人事措置は、妊娠・出産をして育児休業等を取得した女性に対する差別ないし偏見に基づくもので人事権の濫用に当たる等と主張して、Yに対して、差額賃金及び不法行為に基づく損害賠償の支払い等を求めて訴えを提起した。原審(東京地判平成23.3.17 労判1027-27)は人事権濫用の主張を斥け、慰謝料30万円+弁護士費用5万円だけしか認容しなかったため、Xが控訴した。なお、Xは平成22年2月に退職した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(従前の役割グレードによる役割報酬との差額及び成果報酬に相当する慰謝料等の約95万円の支払いが認められた)

Yの人事制度は職能資格制度の要素も含まれていると解され、「役割報酬の引下げは、労働者にとって最も重要な労働条件の一つである賃金額を不利益に変更するものであるから、就業規則や年俸規程に明示的な根拠もなく、労働者の個別の同意もないまま、使用者の一方的な行為によって行うことは許されないというべきであり、そして、役割グレードの変更についても、そのような役割報酬の減額と連動するものとして行われるものである以上、労働者の個別の同意を得ることなく、使用者の一方的な行為によって行うことは、同じく許されないというべきである。」

「成果報酬ゼロ査定は、育休取得後、業務に復帰した後も、育休等を取得して休業したことを理由に成果報酬を支払わないとすることであり、……育児・介護休業法が、育休等の取得者に対する不利益取扱いを禁止している趣旨にも反する結果になるものというべきである」から、人事権の濫用として違法である。

3 解説
(1)賃金の決定
賃金は重要な労働条件であるから、労基法により労働条件明示義務が課されており(労基法15条)、就業規則の絶対的必要記載事項とされ(同89条2号)、通常、就業規則や労働協約の定めの下で決定される。また、賃金の決定に当たっては、労基法4条(男女同一賃金)や最低賃金法による規制を受けるほか、就業の実態に応じて、均衡を考慮しつつ決定・変更すべきであり(労契法3条2項)、労働契約に期間の定めがあることにより、労働条件(賃金)が不合理であると認められるものであってはならない(同法20条)。さらに、パートタイム労働者についても、不合理な労働条件が禁止され(パート労働法8条)、一定の要件を満たす者については、差別的取り扱いが禁止される(同法9条、(91)[11.非正規雇用]参照)。

(2)賃金の一方的減額
賃金は労働契約の重要な要素であり、労働者と使用者が合意して変更することができるものの(労契法8条)、使用者が一方的に引き下げることはできない(同法9条)。経営不振や高年齢者の賃金抑制などを目的として、賃金の一方的引下げを行う事例があるが、判例ではこれを否定するものが多い(京都広告事件 大阪高判平3.12.25 労判621-80)。

(3)同意に基づく減額
労働者の明確な同意がある場合(労契法8条)には、就業規則や労働協約に反しない限り、賃金の引下げも認められる。異議をとどめずに一方的に減額された賃金を受領した場合の黙示の同意について、減額から11か月を経過し、金額と明細を明記した書面に労働者が署名押印した事実からこれを認めるものもあるが(ザ・ウインザー・ホテルズインターナショナル事件 札幌高判平24.10.19 労判1064-37)、一般的にいえば、黙示の合意の成立には慎重な姿勢をとり、黙示の合意は認められにくい(NEXX事件 東京地判平24.2.27 労判1048-72等)。また、北海道国際空港事件(最一小判平15.12.18 労判866-14)等では、賃金減額に対する労働者の同意について、賃金債権の放棄に関するシンガー・ソーイング・メシーン・カムパニー事件(最二小判昭48.1.19 民集27-1-27、(27)【賃金】参照)の判断枠組を用いて、労働者の自由な意思に基づいていると認められる合理的理由が存在している場合に限り有効と解している。

(4)制度的変更による減額
就業規則などを通じて賃金制度を改定し、賃金を減額する場合、労働条件の集合的処理という観点から、個別労働者の同意を経ることなく変更でき、就業規則の不利益変更の合理性の問題として扱われる((73)~(76)【労働条件の変更】参照)。特に、賃金等の重要な労働条件を不利益に変更する場合、不利益を労働者に及ぼすことが認められるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容でなければならず(第四銀行事件 最一小判平12.9.7 民集54-7-2075)、また、不利益緩和のための代償措置や経過措置をとることが望ましい。

(5)格付け変更による減額
職能資格制度は、仕事遂行能力、従事可能な職位を基準に資格等級を設け、資格等級に対応する賃金を定めるものである。一般に、職能資格制度の下では、職能資格・等級の変更が賃金の変更につながるため、人事権を基礎付ける法的根拠(就業規則・労働契約・合意)に基づく一定の制約を受ける。モデル裁判例のように、人事権の行使としての格付けも、その根拠である就業規則や労働者の同意の趣旨に反してはならないとして、制約の枠内に制限される。そして、格付けを新たに行う場合や格付けを変更して賃金などの処遇に不利益が生じるような場合、その可能性が予定されその権限が使用者に根拠付けられていることが必要となる(アーク証券事件 東京地決平8.12.11 労判711-57、イセキ開発工機(賃金減額)事件 東京地判平15.12.12 労判869-35)。

(6)査定(人事考課)
査定(人事考課)は、賃金額(昇給率)や賞与額の決定において用いられることが多い。査定の決定については、一般に、使用者の広範な裁量が認められており、評価の前提となった事実に誤認があるとか、動機において不当なものがあったとか、重視すべき事項を無視し重要でない事項を強調するとか等により、評価が合理性を欠き、社会通念上著しく妥当を欠くと認められない限り、これを違法とすることはできないとされている(光洋精工事件 大阪高判平9.11.25 労判729-39)。

他方で、就業規則に定められた査定の実施手順(手続的側面)から、使用者の裁量に一定の制限が加えられる場合もある。例えば、使用者自身が定めた査定手順・手続きに反する場合には、使用者の裁量権を逸脱するものとして不法行為が成立するとしたものがある(マナック事件 広島高判平13.5.23 労判811-21)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (29)【賃金】年俸制

(29)【賃金】年俸制 5.労働条件
1 ポイント
(1)年俸額の労使合意が達成されない場合に、使用者が一方的に年俸額を決定するためには、年俸額決定のための成果・業績評価基準、年俸額決定手続、減額の限界の有無、不服申立手続等が制度化され、就業規則等に明示されていなければならない。

(2)年俸制において年俸の合意が調わないときは、使用者の評価に基づき賃金額が決定されることもあるが、そうした評価に関する使用者の裁量権も合理的範囲内に限定され、その逸脱は許されない。

(3)年俸制を採用している場合、契約期間途中での減額は原則として認められない。また、使用者は、時間外労働を命じたときには、時間外割増賃金の支払いをしなければならない。

2 モデル裁判例
日本システム開発研究所事件 東京高判平20.4.9 労判959-6

(1)事件のあらまし
Y(被告・控訴人)では、20年以上前から就業規則を変更することなく、主に40歳以上の研究職員を対象として、年俸制度を導入していた。Yと労働者との年俸交渉は毎年6月に行われ、その年度(当年4月1日から翌年3月31日まで)の年俸を決めることとし、その際、5月中旬頃まで個人業績評価を行い、非年俸者の給与改定基準表を参考に、Yの役員が交渉開始の目安となる提示額を計算し、1人当たり30分から1時間ほどの交渉が行われ、役員と労働者が協議して最終的な合意額と支払方法を決定していた。ところが、平成15年・16年において、業績評価の基となる資料の提出を研究室長らが拒んだことから、業績評価ができず、平成14年度の給与のままとされた。その後、Yの経営が悪化したことなどから、給与の見直しを行い、平成17年度には、Yの役員が作成した評価に基づく業績評価を行い、個別の交渉を行ったが、年俸額が大幅に引き下げられていたことから、合意に至らなかった。Yは、今後の交渉による確定・清算を予定しつつも、暫定的に算定した額に基づき賃金を支払った。そこで、年俸制の適用を受けていた4名のX(原告・被控訴人)らが、従前の賃金との差額等を求めて提訴し、一審(東京地判平18.10.6 労判934-69)がXらの請求を認容したため、Yが控訴したのが本件である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Yにおける年俸制のように、期間の定めのない雇用契約における年俸制において、使用者と労働者との間で、新年度の賃金額についての合意が成立しない場合は、年俸額決定のための成果・業績評価基準、年俸額決定手続、減額の限界の有無、不服申立手続等が制度化されて就業規則等に明示され、かつ、その内容が公正な場合に限り、使用者に評価決定権があるというべきである。上記要件が満たされていない場合には、労基法15条、89条の趣旨に照らし、特段の事情が認められない限り、使用者に一方的な評価決定権はないと解するのが相当である。そして、Yでは、年俸制に関する明文の規定を欠き、年俸額算定方法、減額の限界の有無等が確立し、明示されていたと認めることはできない。そうすると、本件においては、使用者と労働者との間で合意が成立しなかった場合、使用者に一方的な年俸決定権はなく、前年度の年俸額をもって次年度の年俸額とせざるを得ない。

3 解説
(1)年俸額の合意の未成立と年俸額の確定
年俸制とは、年単位で賃金額を決定するものであり、一般に、その額を成果・業績を主たる基準に決定するという特徴を持っている。そして、具体的な賃金額の決定・算定は、通常、査定(人事考課)を通じて行われ、成果・業績の評価に依存することになり、その評価をめぐってトラブルが生じやすい。

モデル裁判例によれば、年俸額決定のための成果・業績評価基準、年俸額決定手続、減額の限界の有無、不服申立手続等が制度化されて就業規則等に明示され、かつ、その内容が公正な場合に限り、使用者に評価決定権があるとされ、このような就業規則の整備を怠って、上記要件を満たさない場合、使用者による一方的決定は許されず、合意が成立しないときには、従前の年俸額に据え置かれることになる。

他方で、最終的に、使用者の決定に委ねられるとする裁判例もある。例えば、年俸制導入の経緯から、労働者の同意なく、使用者が年俸額を決定できる年俸制が合意されている場合には、減額されたときでも、労働者は、減額された年俸額に基づく賃金を受領するほかない(中山書店事件 東京地判平19.3.26 労判943-41)。その上で、年俸額決定の根拠となった査定(成果・業績の評価等)について、使用者の裁量権逸脱の有無について争うことになる。こうしたトラブルを防止するため、労使間において、成果・業績の判断基準や目標を明確に合意し、使用者は公正に査定を行うべきことが強く要請され、不服申立制度の整備を図ることが望ましい。

また、年俸制における報酬が降格によって減額されるような場合にも、就業規則に明示的な根拠もなく、労働者の個別の同意もないまま、使用者が一方的に行うことはできない(コナミデジタルエンタテインメント事件 東京高判平23.12.27 労判1042-15)。このように、判例は、賃金の減額変更について、基本的に制約的に判断する傾向がある((28)【賃金】参照)。

(2)年俸制の導入
年功的な賃金制度にかえて、就業規則を変更し(労契法10条)、賃金の増減を伴う年俸制を導入することは、それ自体が賃金制度の大幅な変更となるが、賃金制度の変更には、高度の必要性が求められることになる(退職金変更の事案であるが、大曲市農協事件 最三小判昭63.2.16 民集42-2-60参照)。この点、経営危機が深刻でない場合でも、企業の競争環境や賃金制度の潮流などから、その必要性を肯定する裁判例も少なくない(ハクスイテック事件 大阪高判平13.8.30 労判816-23、ノイズ研究所事件 東京高判平18.6.22 労判920-5)。その場合でも、変更後の賃金制度自体が合理的な内容で設計され、適切に運用されていることが、合理性を肯定する重要な事実となり、適正な評価システムを明確に定めておく必要がある。

(3)年俸制に対する法規制
年俸制の場合でも、労基法24条2項の毎月1回以上定期払い原則が適用されるため、年俸を少なくとも12回に分割して支払わなければならない。また、同法27条(出来高払制の保障給)との関係で、最低保障給を設けておくことが望ましい。

そして、年俸制の場合でも、労基法上の労働時間等の規制を受けるため、管理監督者等(41条)や裁量労働制の適用者(38条の3、38条の4)でない限り、労働時間管理を行い、時間外・休日労働に対する割増賃金の支払いが必要となる。例えば、時間外労働手当等を含めて年俸270万円(月額18万円で年間15ヵ月分を支給(7月と12月に各27万円(18万円×1.5)の賞与を支給)とし、就業規則上「時間外労働手当は支給しない」と定めていた場合でも、労基法37条の趣旨から、時間外労働を命じている以上、使用者は割増賃金を支払わなければならない(システムワークス事件 大阪地判平14.10.25 労判844-79)。さらに、この事件では、裁判所は、割増賃金の算定基礎について、賞与分が支給時期および支給額があらかじめ確定しているので、「臨時に支払われた賃金」または」1ヵ月を超える期間ごとに支払われる賃金」(労基法施行規則21条)には該当しないとして、割増賃金の算定基礎となる賃金に算入されると判断した(「年俸額に含む」という合意を無効とした霞アカウンティング事件 東京地判平24.3.27 労判1053-64も参照)。

(4)年俸額の期間途中の変更
いったん年俸総額や月額支給額の合意が成立した場合においては、就業規則の変更によっても、契約期間途中での賃金額の変更は認められず(シーエーアイ事件 東京地判平12.2.8 労判787-58)、年度途中で有効な降格処分を受けたとしても、それに伴って年俸額を労働者の同意なく一方的に減額することはできない(新聞輸送事件 東京地判平22.10.29 労判1018-18。そして、契約期間途中における年俸額の引下げの合意についても、賃金債権の放棄と同様に、労働者の自由な意思に基づいてなされたものと認められる合理的理由の存在が必要とされ(北海道国際空港事件 最一小判平15.12.18 労判866-14)、減額変更は制限されている。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (30)【賃金】休業手当

(30)【賃金】休業手当 5.労働条件
1 ポイント
(1)使用者の責任で、労働者が労務の提供ができなかった場合、労働者は賃金請求権を失わないが、労使の特約によって賃金請求権が発生しない旨の合意もできる。その場合でも、使用者は労基法26条により平均賃金の60%以上を休業手当として支払う義務を負う。

(2)労基法26条で定める「使用者の責に帰すべき事由」は、賃金請求権が発生する場合より広く、不可抗力を除いて、使用者側に起因する経営、管理上の障害も含まれる。

2 モデル裁判例
ノースウエスト航空事件 最二小判昭62.7.17 労判499-6

(1)事件のあらまし
X(原告・控訴人・被上告人・上告人)らはY(被告・被控訴人・上告人・被上告人)の大阪と沖縄の営業所に所属する従業員であり、訴外A労働組合の組合員である。Yは羽田地区において、Yの従業員と混用して、訴外B社の労働者をグラウンドホステス業務等に従事させていたが、A労働組合は、これが職業安定法44条の労働者供給事業の禁止に違反するものとして、B社のグラウンドホステスを無試験で正社員にするよう要求し、昭和49年10月16日から18日までの間第一次ストライキを実施した。さらに、A労働組合は東京地区の組合員のみで同年11月1日から12月15日まで第二次ストライキを実施し、羽田空港内のYの業務用機材を格納家屋で占拠したため、羽田空港における地上業務が困難となり、予定便数や路線の変更をせざるを得なくなった。その結果、大阪と沖縄での運行が一時中止となり、Xらの就労を必要としなくなったとして、Yはその間の休業を命じ、賃金を支払わなかった。そこで、Xらはストライキによる休業がYの責任で労働できなかったとして賃金の支払いを請求し(民法536条2項)、これが認められない場合にも、労働基準法26条の「使用者の責に帰すべき事由」にあたるとして休業手当の支払いを求めた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

労基法26条は「使用者の責に帰すべき事由」による休業の場合に、さしあたり使用者に平均賃金の6割以上の手当を労働者に支払わせることによって、労働者の生活を保障しようとする趣旨であって、休業が民法536条2項の「債権者の責に帰すべき事由」に該当し賃金請求権を失わない場合でも、労働者は休業手当請求権を主張することができる。休業手当制度は労働者の生活保障という観点から設けられたものであるが、賃金の全額を保障するものではなく、使用者の責任の存否により休業手当の支払義務の有無が決まることから、労働契約の一方当事者である使用者の立場も考慮しなければならない。そうすると、「使用者の責に帰すべき事由」とは、取引における一般原則である過失責任主義とは異なる観点も踏まえた概念であり、民法536条2項の「債権者の責に帰すべき事由」よりも広く、使用者側に起因する経営、管理上の障害を含むものと理解するのが相当である。今回のストライキは、Xらの所属するA労働組合が自らの主体的判断とその責任に基づいて行ったのであり、Y側に起因する事象ということはできないので、休業手当請求権は認められない(なお、別件で賃金請求権も否定された)。

3 解説
(1)休業手当の趣旨
故意・過失などによって、使用者の責任で就業ができなかった場合、労働者は、反対給付としての賃金の請求権を失わない(民法536条2項、(26)【賃金】参照)。しかし、使用者の故意・過失とまではいえない事情で、就労できなくなった場合には、賃金請求権は発生しない。そのような事態に備えて、労基法26条は、休業手当の定めをおき、その休業期間中、使用者は労働者に対して平均賃金の6割以上の休業手当を支払うことにより、労働者の生活を保護することとしている。

両規定の違いとして、第一に、休業手当を支払わないと罰則が科され、付加金の支払いが命じられる場合があること(労基法120条1号、114条)、第二に、民法536条2項は任意規定であり、これに反する合意は有効であるが、労基法26条は強行規定であり、同条が定める基準を下回る合意は無効となること、第三に、民法536条2項の「債権者の責に帰すべき事由」と比べて、労基法26条の「使用者の責に帰すべき事由」の範囲のほうが広いこと、などがある。

(2)使用者の責に帰すべき事由
使用者の責に帰すべき事由とは、天災事変のような不可抗力の場合を除いて、使用者側に起因する経営・管理上の障害を含む。

例えば、経営障害の場合であり、親会社の経営難から下請工場が資材、資金の獲得ができず休業した場合(昭和23.6.11基収1998号)、関連企業の争議による業務停止に起因する休業(扇興運輸事件 熊本地八代支決昭37.11.27 労民集13-6-1126)、会社が業務を受注できなかったために休業となった場合(大田原重機事件 東京地判平11.5.21 労判776-85)、ゴルフ開発計画の凍結により事務所を閉鎖したものの担当者からの要請で就職せず待機していた場合(ピー・アール・イー・ジャパン事件 東京地判平9.4.28 労判731-84)、派遣労働者が派遣先からの差し替え要求により就労場所(派遣先)を失った場合(三都企画建設事件 大阪地判平18.1.6 労判913-49)などがある。他方で、地震で事業場の施設・設備が直接的な被害を受けた結果休業させる場合(平成23.4.27厚労省「東日本大震災に伴う労働基準法等に関するQ&A(第3版)」)、計画停電で電力が供給されないことを理由とする休業の場合(平成23.3.15基監発0315第1号)等は、労基法26条にいう「休業」には該当しない。

また、争議行為の影響による休業も、責に帰すべき事由が問題となる。モデル裁判例のように、組合員の一部がストライキを行った場合(部分スト)、ストに参加していない組合員の休業手当請求権は、スト参加者と組織的な一体性があり、スト実施の意思形成に関与しうる立場にあることから、否定されている。これに対して、当該労働者が所属しない組合のストライキ(一部スト)によって労務の履行が不可能となった場合については、使用者の責に帰すべき事由の存在を肯定したものがある(明星電気事件 前橋地判昭38.11.14 労民集14-6-1419)。また、正当なロックアウトによる休業の場合にも使用者は休業手当支払義務を負わない(昭23.6.17基収1953号)。

ただし、使用者が業務上の都合から休業(休業手当相当額を支払って自宅待機)を命じる場合であっても、労務提供の受領を拒絶したことが使用者(債権者)の責めに帰すべき事由(民法536条2項)に当たる場合には、労働者は当該期間中の賃金全額の請求権を失わない(Y社事件 大阪地判平24.4.26 労経速2147-24)。

なお、有期労働契約の場合、当該契約期間内に限っての雇用継続及びそれに伴う賃金債権の維持についての期待は高く、その期待は合理的なものであって、保護されなければならないとして、休業命令により労務提供を受領しなかったことに対して、賃金請求権(民法536条2項)を認めた裁判例がある(いすゞ自動車(雇止め)事件 東京高判平27.3.26 労判1121-52)。

(3)労基法26条の効果
民法536条2項に基づく使用者の責任で労務の提供ができなかった労働者は、賃金そのものの請求をすることができるが((26)【賃金】参照)、例えば、違法な解雇を争って裁判をしている労働者が、その間に他で労働して得た収入(中間収入という)は、同項但書により、賃金の支払いと引き換えに使用者に引き渡すこととされている(通常、請求された賃金額から中間収入を控除する)。労働者が使用者への労務の提供を免れることにより、他から収入を得ることができたのだから、使用者からの賃金の他に二重取りをすることが不合理だからである。

しかし、労基法26条の趣旨から見ると、平均賃金の6割を超えて、中間収入を控除することには疑問が生じる。そこで、判例では、中間収入の控除は平均賃金の4割相当額以内として、平均賃金の6割の支払いは確保すべきであるとされている(米軍山田部隊事件 最二小判昭37.7.20 民集16-8-1656、いずみ福祉会事件 最三小判平18.3.28 労判933-12)。なお、労基法26条違反については、裁判所は、付加金の支払いを命じることができる(労基法114条、前掲明星電気事件は付加金請求を認容)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (31)【賞与】支給日在籍要件

(31)【賞与】支給日在籍要件 5.労働条件
1 ポイント
(1)賞与請求権は、使用者の決定や労使の合意・慣行等によって、具体的な算定基準や算定方法が定められ、算定に必要な成績査定もなされてはじめて賞与請求権が発生する。

(2)賞与の支給基準や支給額の算定方法は、労使間の合意ないし使用者の決定により自由に定めることができるが、支給要件の内容は合理的でなければならず、差別的取扱いや合理的理由を欠く取扱いは許されない。

(3)賞与の支給日に在籍することを賞与の支給要件とする就業規則の規定は、合理的理由があり有効である。

2 モデル裁判例
大和銀行事件 最一小判昭57.10.7 労判399-11

(1)事件のあらまし
X(原告・控訴人・上告人)は昭和51年4月1日Y(被告・被控訴人・被上告人)に入社し、昭和54年5月31日にYを退職した。Yの旧就業規則32条では「賞与は決算期毎の業績により各決算期につき1回支給する」と定め、毎年6月と12月に賞与を支給してきたが、従来から賞与はその支給日に在籍する者に対してのみ支給するとの慣行が存在していた。そして、6月支給分は、4月1日から9月30日までの上期決算期間を対象として前年10月1日から翌年3月31日までの査定に基づいて6月中旬に支給され、12月支給分は、10月1日から翌年3月31日までの下期決算期間を対象として4月1日から9月30日までの査定に基づいて12月10日頃支給されていた。Yは労働組合からの申し入れを受け、それまで慣行として実施されてきた支給日在籍者に対する賞与支給を就業規則に明文化するための協議を行い、昭和54年5月1日より就業規則32条を「賞与は決算期毎の業績により支給日に在籍している者に対し各決算期につき1回支給する」と改定した。改定に先立ち同年4月下旬には現就業規則を全従業員に配布し、その周知徹底を図った。Xは同年5月31日に退職し、支給日に在籍していなかったため、賞与の支給を受けることができなった。そこで、XはYに対して賞与の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

Yにおいて、就業規則32条の改訂前から、年2回の決算期の中間時点を支給日と定めて、その支給日に在籍している者に対してのみ、決算期間を対象とする賞与が支給されている慣行が存在していた。就業規則32条の改訂は単にY銀行の労働組合の要請によって慣行を明文化したものであって、その内容においても合理性を有する。XはYを退職した後の賞与については、支給日に在籍していなかったので、受給権を有しない。

3 解説
(1)賞与請求権の発生
賞与などの臨時の賃金を制度として支給する場合には、就業規則にその支払いに関する規定をおく必要がある(労基法89条4号)。ただし、就業規則では一般的な規定をおくにとどまるため、賞与請求権は、就業規則によって保障されるものではなく、使用者の決定や労使の合意・慣行等がない場合には、具体的な賞与請求権は発生しないとされている(福岡雙葉学園事件 最三小判平19.12.18 労判951-5)。業績連動型の報酬についても同様である(Y証券株式会社事件 最一小判平27.3.5 判タ1416-64)。また、具体的な支給基準がない場合には、賞与請求権は認められない(大阪府板金工業組合事件 大阪地判平22.5.21 労判1015-48)。

賞与額算定に際して、成績査定が考慮されることが多いが、算定に必要な成績査定がなされてはじめて賞与請求権が発生する。したがって、賞与額の確定に必要な査定がなされなかった場合、賞与請求権は発生しない(京王電鉄事件 東京地判平15.4.28 労判851-35)。ただし、使用者が正当な理由なく(例えば、査定期間中に違法な解雇を行ったなど)実際の査定を行わなかったために、支給額を決定して支給することをしなかった場合に、賞与を受ける期待権を侵害する不法行為に当たるとして、賞与相当額の損害賠償を認めるものがある(直源会相模原病院(解雇)事件 東京高判平10.12.10 労判761-118、藤沢医科工業事件 横浜地判平11.2.16 労判759-21)。

(2)協定の未成立と賞与請求権
具体的な算定基準や算定方法は、労働協約によって定められることも多いため、賞与支給の妥結にあたり、他の労働条件・処遇の変更を前提条件とする場合があり、前提条件を受諾しない労働者には、賞与の不支給や支給遅延などの不利益が及ぶ。そこで、賞与協定が妥結しない場合の具体的な請求権の存否が問題となる。

たとえば、ノース・ウエスト航空(賞与請求)事件(千葉地決平14.11.19 労判841-15)では、前提条件の受諾を拒否したため賞与協定が成立していないものの、会社が前提条件を主張すること自体が信義則違反にあたるとして、条件なしの賞与請求権の発生を認めた。また、秋保温泉タクシー事件(仙台地判平15.6.19 労判854-19)でも、前年どおり支給するとの合意が10年以上継続していた場合に、労働協約の成立を否定しつつも、個々の組合員の労働契約の内容として賞与請求権の成立を認めている。また、使用者の不当労働行為(労組法7条1号・3号)が不法行為に当たるとして、賞与相当額の損害賠償を認めるものもある(明石運輸事件 神戸地判平14.10.25 労判843-39)。

(3)支給日に在籍していない者への賞与の不支給
賞与の支給要件は、労使間の合意ないし使用者の決定により自由に定めることができるが、「支給日に在籍する者」といった「支給日在籍要件」の合理性が問題となる。モデル裁判例のように、一般に、支給日在籍要件は不合理といえず、賞与の不支給も有効であると解されている。また、京都新聞社事件(最一小判昭60.11.28 労判469-6)によれば、こうした取扱いをすることは、明文の規定がない場合でも、社内の労働慣行として成立していると認められるときは許される。

そして、自己都合退職の者(モデル裁判例)、期間満了により退職した嘱託社員(前掲京都新聞社事件)、定年退職者(カツデン事件 東京地判平8.10.29 判タ938-130)、早期退職優遇制度により希望退職した者(コープこうべ事件 神戸地判平15.2.12 労判853-80)については、退職時期を予測したり、自ら選択したりできることから、また、普通解雇者(日本テレコム事件 東京地判平8.9.27 労判707-74)については、労働者自身に帰責事由があることから、支給日在籍要件の合理性が肯定されている。他方で、例年の支給予定日には在籍していたが、団交の遅れや資金繰りから支給日が遅れたため、実際の支給日前に退職した者(須賀工業事件 東京地判平12.2.14 労判780-9)や、帰責事由もなく、退職時期を選択できない整理解雇対象者に適用するのは不合理であるとされる(リーマン・ブラザーズ証券事件 東京地判平24.4.10 労判1055-8)。

(4)年俸に組み込まれた賞与の取扱い
年俸制((29)【賃金】参照)の場合、例えば、年俸額を16分割し、その1を毎月支給し、年2回の賞与支給時期に、その2をそれぞれ支給するように、固定額を支給する旨、年俸額の合意に含めている場合がある。このような場合、年俸制適用者が、年俸期間途中で解雇ないし退職を余儀なくされた場合、賞与支給日に在籍しないことをもって、不支給とできるかは問題である。この点について、勤務割合に応じた賞与請求権を認めたものがある(山本香料事件 大阪地判平10.7.29 労判749-29、シーエーアイ事件 東京地判平12.2.8 労判787-58)。

年俸制のように、成果・業績を評価する賃金支払いの方法をとる場合、支給日に在籍しない労働者に対しても、その成果・業績に応じた賞与の支給が求められる。


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(32)【賞与】賞与支給の要件と不利益取扱い 5.労働条件
1 ポイント
(1)賞与支給の要件としての出勤率の算定にあたって、産前産後休業、育児時間などの労基法等で認められた権利ないし法的利益に基づく不就労に対して不利益な取扱いをすることは、権利等の行使を抑制し、労基法等がそのような権利等を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められる場合において、許されないことがある。

(2)ただし、賞与額の具体的算定(計算式の適用)にあたって、産前産後休業、育児時間などの労基法等で認められた権利ないし法的利益に基づく不就労日数を、減額の対象とすることは認められる場合がある。

2 モデル裁判例
東朋学園事件 最一小判平15.12.4 労判862-14

(1)事件のあらまし
X(原告・被控訴人・被上告人)は、昭和62年からY(被告・控訴人・上告人)の事務職として勤務していた。平成6年7月8日に出産し、翌日から8週間の産後休業を取得した。その後、旧育児休業法10条を受けて定められたYの育児休職規程に基づく勤務時間の短縮措置を請求し、同年10月6日から翌年7月8日までの間、1日につき1時間15分の勤務時間短縮措置を受けた。Yの給与規程では、賞与の支給要件の一つとして、出勤率(出勤した日数÷出勤すべき日数)が90%以上の者との定め(90%条項)があり、Yは、賞与の支給にあたり、産前産後休業の日数と勤務時間短縮措置の総時間数を欠勤扱いとすることとした。Xは、平成6年度期末賞与と平成7年度夏季賞与の支給対象期間に、産後休業を取得したり、勤務時間短縮措置を受けたために、いずれも出勤率が90%に達せず、Xは各賞与の支給対象から除外された。なお、支給額の算定にあたって、算定額から(基本給÷20)×欠勤日数分が減額されることとされ、産前産後休業の日数と勤務時間短縮措置の総時間数は欠勤日扱いとされていた。Xは、Yに対して不支給になった賞与の支払い等を求めて提訴した。第二審判決は、90%条項に関する欠勤扱いを無効とし、各賞与の全額の支払いを認めたため、Yは上告した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

本件90%条項の趣旨・目的は、従業員の出勤率を向上させ、貢献度を評価して、従業員の高い出勤率を確保することであり、一応の経済的合理性がある。しかし、産前産後休業や勤務時間短縮措置による育児時間のような権利や利益は労基法等で保障されたものであり、それらの権利・利益を保障した法の趣旨を実質的に失わせるような賞与支給の要件を定めることは許されない。本件90%条項は、産前産後休業等を取得した場合に賞与支給の対象外とされる可能性が高いこと、賞与不支給による不利益が大きいことなどから、権利等の行使に対する事実上の抑止力が相当強く、公序に反して無効であり、Xは支給対象から除外されない。

しかし、賞与の計算式において、産前産後休業の日数分や勤務時間短縮措置の短縮時間分を減額の対象となる欠勤として扱うことは、賞与の額を一定の範囲内でその欠勤日数に応じて減額するにとどまるものであり、加えて、産前産後休業を取得し、又は育児のための勤務時間短縮措置を受けた労働者は、法律上、上記不就労期間に対応する賃金請求権を有していないのであるから、労働者の上記権利等の行使を抑制し、労働基準法等が上記権利等を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められず、これをもって直ちに公序に反し無効なものということはできない。

3 解説
(1)賞与の法的性格
賞与は、その支給額の算定方法において、基礎額に支給率を乗じて計算されるが、具体的な賞与額の決定には、出勤率や成績評価(査定)などが考慮されることが多い。そのため、賞与は、賃金後払い的性格とともに、功労報償的性格、生活補填的性格、勤労奨励的性格、収益分配的性格などの多様な性格を併せ持つ。そこで、賞与請求権の有無や減額の可否などの法的判断において、多様な性格・実態を踏まえて具体的に評価しなければならない。例えば、賞与の功労報償的性格から、業務妨害行為などの背信行為を賞与査定で考慮し、賞与を支給しないことも認められる(毅峰会(吉田病院・賃金請求)事件 大阪地判平11.10.29 労判777-54)。

(2)賞与支給の要件における不利益取扱い
支給要件や支給額の算定方法は、労使間の合意ないし使用者の決定により当事者が自由に定めることができるが、その支給要件等の内容は合理的でなければならない。実際に、支給要件として、最低出勤率や支給対象期間、支給日在籍((31)【賞与】参照)などを定める場合がある。モデル裁判例のように、賞与の功労報償的・勤労奨励的性格から「出勤率90%」という支給要件は不合理とはいえないが、問題は、算定にあって、労働者が法律で認められた権利・利益としての不就労日を欠勤扱いにし、これを理由とした不利益な取扱いが認められるかである。

その判断基準は、権利等の行使を抑制し、労基法等がそのような権利等を保障した趣旨を実質的に失わせるものか否かというものであり、賞与の支給要件だけでなく、精勤手当の支給に際し生理休暇を欠勤日扱いにしたエヌ・ビー・シー工業事件(最三小判昭60.7.16 民集39-5-1023、労働者敗訴)、賃上げ対象者の除外基準の算定にあたり産前産後休業・生理休暇・育児時間を欠勤扱いとした日本シェーリング事件(最一小判平元.12.14 民集43-12-1895、労働者勝訴)、皆勤手当の支給に際し勤務予定表作成後の有給休暇取得者を除外する取扱いをした沼津交通事件(最二小判平5.6.25 民集47-6-4585、労働者敗訴)でも用いられている((18)【女性労働】参照)。不就労原因(年休、産前・産後休業、生理休暇、育児時間など)や不利益取扱いの対象となる賃金(賞与、精勤手当、皆勤手当、昇給基準など)が様々であるため、一概にはいえないが、労働者が勝訴した事案は不利益の程度が大きく、その結果、権利行使の抑止効果が強くなるためと考えられる。

(3)賞与支給額の算定における不利益取扱い
次に、具体的な賞与額の算定にあたって、法律等により認められた権利等としての不就労日を欠勤扱いとして、賞与の算定額から減額する不利益取扱いが認められるかが問題となる。モデル裁判例は、産前産後休業や育児時間による不就労日を減額の対象とする取扱いを有効であると判断している。その理由として、①支給要件の問題と異なり、欠勤日に応じて支給額が減少するものの、部分的には支給されることとなること(ただし、欠勤日が多い場合は結果的にゼロ支給になる)、②本来産前産後休業や育児時間は法律上無給とされていることの2点である。

①については、必ずしも出勤日に比例して支給する必要はなく、欠勤日に応じた一定の範囲で減額することが認められる。モデル裁判例でも、平成7年度夏季賞与の計算式では、対象期間中に産前産後休業14週間を取得すると、同賞与はゼロ支給の可能性が高いが、賞与の功労報償的・勤労奨励的性格からすれば許容される程度のものと考えられる。また、均等法と均等指針(平成18年厚生労働省告示第614号)及び育介法と育介指針(平成21年厚生労働省告示第509号)によれば、不就労期間分を超えて不支給とすることは禁止されており、1年の査定期間のうち3か月半勤務したにもかかわらず、ゼロ査定したことについて、育介法の趣旨に反するとしたものがある((28)【賃金】コナミデジタルエンタテインメント事件 東京高判平23.12.27 労判1042-15)。

②については、有給休暇の期間に賃金の支払いを義務付けている労基法の趣旨に照らして、賞与の計算において、有給休暇取得日を欠勤扱いとすることは許されないとしたエス・ウント・エー事件(最三小判平4.2.18 労判609-12)がある。本来有給である有給休暇取得を理由とする減額は、権利等の保障の趣旨を実質的に失わせるものと解される。他方で、タクシー乗務員の賞与に関して、労働災害による休業日を乗務日数に算入しないために、休業1日につき一定額が減額される取扱いを無効とはいえないとしたもの(錦タクシー事件 大阪地判平8.9.27 労判717-95)、また、賞与が営業収入を基礎に算定される方式において、有給休暇を取得した場合、稼働日が少なくなり、その結果営業収入が少なくなる(仮想営業収入を加算しない)取扱いについて、公序に反するとはいえないとするもの(大国自動車交通事件 東京地判平17.9.26 判タ1192-260)がある。

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(33)【退職金】退職金の法的性格と競業避止 5.労働条件
1 ポイント
(1)退職金は、支払条件が明確であれば、労基法11条の「労働の対償」としての賃金に該当する。その法的性格は、賃金後払い的性格、功労報償的性格、生活保障的性格を併せ持ち、個々の退職金に実態に即して判断しなければならない。

(2)退職金債権は、退職時およびその後の一定期間の支給制限違反の有無を含めて再評価して確定するものであり、就業規則等の規定がある場合、退職後の競業避止義務違反を理由として、退職金を減額・不支給としても、賃金全額払い原則に違反しない。

(3)退職金の支給基準において、一定の事由がある場合に退職金の減額や不支給を定めることも認められるが、労働者の過去の功労を失わせるほどの重大な背信行為がある場合などに限られる。

2 モデル裁判例
三晃社事件 最二小判昭52.8.9 労経速958-25

(1)事件のあらまし
X会社(原告・控訴人・被上告人)は広告代理店であり、Y(被告・被控訴人・上告人)はX会社に入社し、約10年勤務した後、X会社を退職した。X会社の就業規則によれば、勤続3年以上の社員が退職したときは退職金を支給することとされ、退職後同業他社へ転職のときは自己都合退職の2分の1の乗率で退職金が計算されることとなっていた。退職にあたって、Yは就業規則の自己都合退職乗率に基づき計算された退職金64万8,000円を受領したが、その際、今後同業他社に就職した場合には、就業規則に従い受領した退職金の半額32万4,000円を返還する旨を約束した。しかし、Yは退職して20日ほどが経過した後、同業他社へ入社し、X会社在職中に担当していた少なくとも4社を顧客とした。これを知ったX会社は、支払済み退職金の半額にあたる32万4,000円の返還を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

X会社が営業担当社員に対して退職後の同業他社への就職をある程度の期間制限することをもって直ちに社員の職業の自由等を不当に拘束するものとは認められない。したがって、X会社がその就業規則において、同業他社への転職制限に反して同業他社に就職した退職社員に支給すべき退職金について、支給額を一般の自己都合退職による場合の半額と定めることも、本来退職金が功労報償的な性格を併せ持つことからすると、合理性のない措置とはいえない。すなわち、この場合の退職金の定めは、制限違反の就職をしたことにより勤務中の功労に対する評価が減殺されて、退職金の権利そのものが一般の自己都合による退職の場合の半額の限度においてしか発生しないこととする趣旨であると理解すべきである。このような就業規則の定めは、その退職金が労働基準法上の賃金にあたるとしても、同法16条(損害賠償予定の禁止)、24条1項(全額払い原則)、民法90条(公序良俗)等の規定に違反するものではない。

3 解説
(1)退職金の法的性格
退職金は、支払条件が明確であれば、労基法11条の「労働の対償」としての賃金に該当し、退職金請求権は法的な保護を受ける。その法的性格は、賃金後払い的性格、功労報償的性格、生活保障的性格を併せ持つものと理解されている。また、支給に関する明確な定めがない場合でも、恩恵的な給付としての退職金が支払われることがある(ただし、この場合、退職金請求権としては認められないことがある)。

退職金には多様な性格が認められ、長期に勤続すればするほど有利に算定される方式がとられたり、自己都合退職と会社都合退職との間で退職金の金額に一定の差異があったりすることが多い。また、退職後同業他社に就職した場合や懲戒解雇に処せられた場合に、退職金の減額や不支給とする取扱いをすることが一般的であり、その内容が合理的である限り有効とされる。こうした取扱いは、退職金が功労報償的な性格を有することを意味しており、退職時に使用者が勤務の再評価を行う趣旨と理解されている。退職金は、絶対的必要記載事項である通常の「賃金」(労基法89条2号)とは異なり、任意的性格を有することから(当事者の合意がない限り、法律で支払いが義務付けられていない)、不支給・減額条項も含めて、その支給要件をどう定めるかは、当事者の自由であり、支給要件を満たさない場合に、既発生の賃金請求権を前提とする全額払い原則(労基法24条1項)は問題とならない。ただし、退職金制度を設ける場合には、相対的必要記載事項として、就業規則に規定しなければならない(労基法89条3号の2)。

(2)退職後の同業他社への転職
こうした退職金の後払い賃金としての性格と関連して、退職金の減額・不支給条項の有効性が問題となる。モデル裁判例のように、一定の事情の発生により、勤務中の功労に対する評価の減殺に応じて、退職金の権利そのものが減額・消滅するものであり、合理性は否定されない。例えば、モデル裁判例と同様に、退職後の同業他社への転職について減額を認めるもの(ソフトウェア興業事件 東京地判平23.5.12 労判1032-5)や退職後の競業行為と大量引き抜きについて不支給を認めたものがある(福井新聞社事件 福井地判昭62.6.19 労判503-83)。

これに対して、退職金の不支給は顕著な背信性がある場合に限ると解するのが相当であり、その判断にあたって、不支給条項の必要性、退職に至る経緯、退職の目的、会社の損害などの諸般事情を総合的に考慮すべきとして、不支給条項の適用を否定し、退職金の支払いを命じたものがある(中部日本広告社事件 名古屋高判平2.8.31 労判569-37)。同様に、減額措置等について、「背信性が極めて強い場合」に限るとしたものも少なくなく(ヤマガタ事件 東京地判平22.3.9 労経速2073-15、キャンシステム事件 東京地判平21.10.28 労判997-55、東京コムウェル事件 東京地判平20.3.28 労経速2015-31)、それらの裁判例では、減額等の理由として、単に制限違反(同業他社)の就職の事実や抽象的な競業の可能性では不十分であり、競業等による具体的な損害や背信的事情の発生を求めていると解される。また、競業避止条項自体の効力を否定し、退職金請求権を認めるものもある(モリクロ(懲戒解雇等)事件 大阪地判平23.3.4 労判1030-47、三田エンジニアリング事件 東京地判平21.11.9 労判1005-25)。

このように、退職後の競業行為に対する退職金の減額・不支給について、「顕著な背信性」を要件とする判例の傾向は、在職中の背信行為(懲戒解雇)がある場合との整合性をもつと考えられる((34)【退職金】参照)。したがって、退職後に競業行為を行った場合に、退職金の減額・不支給が認められる場合もあるが、それは、具体的な損害の発生などの諸事情を踏まえて、顕著な背信性がある場合に、法的に許容されると考えられる(したがって、退職後の競業行為を理由に直ちに退職金の返還請求が認められるわけではない)。また、背信性の程度を考慮して、退職金の一部の支払いを認めることもある(本来の退職金の55%の額の支払いを命じたものとして、東京貨物社事件 東京地判平15.5.6 労判857-64)。

ただし、競業避止を理由とする減額・不支給が当然に認められるのではなく、かかる条項が明記され、その内容が合理的である場合に限られる。例えば、退職金の適用除外事由として「懲戒解雇された場合」しか定められていなかった場合に、退職後同業他社に就職した労働者に対する退職金の支払いを拒否できないとするものがある(東京コムウェル事件 東京地判平15.9.19 労判864-53)。

(3)退職金支給に関する近年の動向
近年では、退職金の一部を退職年金の形式で支給したり、資格等級や勤続年数などの要素をポイント化して累積算定したりする方式(ポイント式退職金)や、在職時に前倒しして賃金に上乗せする方式(退職金前払制)を導入するなどの動きがみられる。こうした方式は、賃金後払い的性格がより強くなることから、功労抹消の度合いによって減額・不支給とすることは認めにくくなると解される。

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(34)【退職金】退職金と懲戒解雇・不利益変更 5.労働条件
1 ポイント
(1)懲戒解雇の場合、退職金不支給措置も認められるが、その場合でも、労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である。

(2)懲戒解雇の場合であっても、不信行為の程度に照らして、退職金の一定割合について、支払いが認められるときがある。

(3)退職金等を不利益に変更する場合、その不利益を緩和するための代償措置や経過措置をとることが望ましく、変更が「合理的」な内容かどうかの判断において、代償措置は、直接的なものだけでなく、間接的に不利益を緩和するものまでも含まれることがある。

2 モデル裁判例
小田急電鉄事件 東京高判平15.12.11 判時1853-145

(1)事件のあらまし
鉄道会社であるY(被告・被控訴人)では、痴漢撲滅に取組んでいたところ、Yの従業員である(原告・控訴人)Xは、休日に他社の鉄道の車内において、女子高生のお尻を触る痴漢行為(迷惑防止条例違反)で逮捕された。身元引き受けのため、Yの社員が警察署でXに面会し、事情を聞いたところ、以前にも数回、同様の事件で逮捕されていたことがわかり、その場で、Xは、「痴漢行為の事実を認め、会社の処分に従う」旨の自認書にサインをした。その後、Yは、痴漢撲滅キャンペーンに取り組んでいた鉄道会社の職員としてあるまじき行為であることを理由にXを懲戒解雇し、就業規則の規定(「懲戒解雇により退職するもの、または在職中懲戒解雇に該当する行為があって、処分決定以前に退職するものには、原則として、退職金は支給しない。」)に基づき、退職金(勤続約20年のXには約920万円の支給が予定されていた)を不支給とした。一審(東京地判平14.11.15 労判844-38)は懲戒解雇および退職金の不支給について、いずれも有効と判断したため、Xは控訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(所定の退職金の3割分について請求認容)

本件懲戒解雇は有効であるが、このような賃金の後払い的要素の強い退職金について、その退職金全額を不支給とするには、それが当該労働者の永年の勤続の功を抹消してしまうほどの重大な不信行為があることが必要である。ことに、それが、業務上の横領や背任など、会社に対する直接の背信行為とはいえない職務外の非違行為である場合には、それが会社の名誉信用を著しく害し、会社に無視しえないような現実的損害を生じさせるなど、上記のような犯罪行為に匹敵するような強度な背信性を有することが必要であると解される。このような事情がないにもかかわらず、会社と直接関係のない非違行為を理由に、退職金の全額を不支給とすることは、経済的にみて過酷な処分というべきであり、不利益処分一般に要求される比例原則にも反すると考えられる。

そして、本件行為が、(業務上横領などに比べて)相当強度な背信性を持つ行為であるとまではいえないと考えられるから、Yは、本件条項に基づき、その退職金の全額について、支給を拒むことはできないというべきである。他方、上記のように、本件行為が職務外の行為であるとはいえ、会社及び従業員を挙げて痴漢撲滅に取り組んでいるYにとって、相当の不信行為であることは否定できないから、本件がその全額を支給すべき事案であるとは認め難い。そうすると、本件については、本来支給されるべき退職金のうち、一定割合での支給が認められるべきであり、その具体的割合については、本件行為の性格、内容や、本件懲戒解雇に至った経緯、また、Xの過去の勤務態度等の諸事情に加え、とりわけ、過去のYにおける割合的な支給事例等をも考慮すれば、本来の退職金の支給額の3割である約280万円であるとするのが相当である。

3 解説
(1)退職金の支給要件
退職金は、長期にわたる労働の対償として、通常の賃金のほかに退職に際して支給されることから、通常の賃金とは異なり、退職までの長期勤続を支給の前提とし、具体的請求権は退職時に発生する。そのため、退職金に関する約束は、企業経営や労使関係の変化等の事情から、長期の勤続の間に変更されることも多く、採用時の約束を退職時まで一切変更できないとすることは不合理といえる。

そして、退職金は、就業規則や労働協約により、その支給条件が明確に約束されている場合には、後払い賃金としての性格を有している。また、退職後の生活保障的な機能を果たすこともあり、大幅減額のような変更は、退職を間近に控えた労働者にとって影響が大きい。他方で、長期勤続に対する功労報償的な性格を併せ持つため、退職後に競合行為を行うなど、労使の信頼関係を壊すような行為があった場合などに、減額支給や不支給が認められる。しかし、そうした行為がない場合には、一方的な不支給は認められるべきではないし、退職金の不利益変更についても、退職金の複合的な性格を十分に考慮しなければならない。

(2)懲戒解雇相当の背信行為
退職後同業他社に就職した場合((33)【退職金】参照)や懲戒解雇に処せられた場合に、退職金の減額や不支給とする取扱いをすることが多く、そのような就業規則の規定の合理性は、一般的に認められるが、退職金の賃金後払い的性格や退職後の職業選択の自由との関係で問題を生じる。判例でも、懲戒解雇に相当するような在職中の背信行為を不支給条項として定めている場合、懲戒解雇が有効なときは退職金請求権を否定する裁判例は少なくない(プリマハム事件 大阪高判平22.6.29 判タ1352-173など)。また、功労報償的性格から、在職中に懲戒解雇に匹敵する重大な背信行為を行った者の退職金請求が権利の濫用にあたるとしたもの(アイビ・プロテック事件 東京地判平12.12.18 労判803-74)、退職年金受給者に勤続中の功績を無にするほどの不祥事(覚醒剤取締法違反逮捕)があった場合に、年金支給の停止が認められるとしたもの(朝日新聞社(会社年金)事件 大阪地判平12.1.28 労判786-41)がある。

これに対して、懲戒解雇の場合に退職金を不支給とする規定があっても、実際には、これを限定的に解釈し、「永年の勤続の功労を抹消させてしまうほどの背信行為がない限り、退職金の不支給は許されない」として、退職金の支払いを認めたものがある(日本高圧瓦斯工業事件 大阪高判昭59.11.29 労民集35-6-641)。したがって、懲戒解雇の場合であっても、直ちに退職金の不支給が許されるわけではなく、具体的事情を考慮して、退職金の支給が認められる場合がある。

(3)割合的支給を認める裁判例
さらに、懲戒解雇に伴う不支給のケースでも、非違行為の性格・内容、懲戒解雇に至った経緯、労働者の過去の勤務態度等の個別的な諸事情を考慮して、退職金のうち一定割合の支払いが認められる場合がある。モデル裁判例では、賃金後払い的性格を強調し、重大な不信行為がない限り不支給は認められないとしたうえで、会社と直接関係のない非違行為を理由に、全額不支給とするのは、不利益処分一般に要求される「比例原則」に反すること、過去に、懲戒解雇の場合であっても、減額された退職金を支給した例があったことなどから、3割分の支払いを認めている。同様に、強制わいせつ致傷罪で有罪判決を受けて退職したケース(NTT東日本(退職金請求)事件 東京高判平24.9.28 労判1063-20)や酒気帯び運転・不申告罪で罰金刑を受けて懲戒解雇されたケース(日本郵便株式会社事件 東京高判平25.7.18 判時2196-129)で、いずれも約3割相当額の支払いが認められている。

(4)退職金の不利益変更
就業規則としての退職金規程を不利益に変更する場合(労契法10条)、「高度の必要性」に基づいた変更の合理性が要求される(大曲市農協事件 最三小判昭63.2.16 労判512-7)。そして、退職を控えた一部の労働者に対して、具体的な不利益が及ぶため、不利益の程度やそれを緩和する代償措置の存否・内容が、変更の合理性判断において重視され、経過措置・代償措置が不十分であることなどから、不利益変更の合理性を否定したみちのく銀行事件(最一小判平12.9.7 判時1733-17)がある。

また、個別の同意(労契法8条)や就業規則の変更に対する同意(同法9条)を通じて、賃金や退職金を変更する場合、変更を承諾する旨の労働者の行為があっても、変更による不利益の内容及び程度、労働者の承諾行為に至った経緯及びその態様、労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、承諾行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在しなければならない(山梨県民信用組合事件 最二小判平28.2.19 労判1136-6)。

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(35)【福利制度等】企業年金 5.労働条件
1 ポイント
(1)経済不況等により経営が悪化し、そのため財政状況が苦しくなった企業が、退職金や企業年金を減額ないし廃止するケースが増えてきている。

(2)まず、厚生年金基金や確定給付企業年金等では法令や認可基準等により、一定の要件のもとに認められる場合がある。他方、自社年金の場合は、退職一時金の減額等の場合と同様、「就業規則の不利益変更」の枠組みないしは同枠組みと類似の判断基準により結論付けられることが多いと思われる。特に、退職して年金を既に受給している者に対しては、このような不利益変更を行うことができるのか否か等が争点となる。

(3)厚生年金基金における加算年金給付制度の下において、規約変更により加入員であった者(受給者)への給付水準の引下げは原則として許されない。しかし、集団的、永続的処理を求められるという厚生年金基金の性格を考慮すると、給付水準の変更による不利益の内容、程度、代償措置の有無、内容変更の必要性、他の受給者又は受給者となるべき者(加入員)との均衡、これらの事情に対する受給者への説明、不利益を受けることとなる受給者集団の同意の有無、程度を総合して、当該変更が加入員であった者の不利益を考慮してもなお合理的なものであれば、このような変更も許される。

2 モデル裁判例
りそな企業年金基金・りそな銀行(退職年金)事件
 東京高判平21.3.25 労判985-58

(1)事件のあらまし
被控訴人Y1銀行は、巨額の損失を計上し、平成15年6月には約2兆円近い公的資金の投入を受け、また、Y1が母体企業となっている被控訴人Y2基金(厚生年金基金)も、運用利回りが給付利率を大きく下回り、不足金が同年3月の基金発足時で約1,500億円以上にも上っていた。Y2は、現役従業員を対象とした年金水準の引下げ(平均3割、最大5割)を行い、次いで代行の返上、第3加算年金の廃止、及び、受給者・受給待機者(以下「受給者等」という。)の支給額減額(平均13.2%、最大21.8%程度引下げ)を柱とする基金制度の改革案を実施することとした。Y2は、受給者等全員に対しアンケートの実施や説明会等を行うなどして、同16年には受給者等のうち約80%の者から今回の減額について同意書の提出があったことにより、厚生労働大臣の認可を得て、同年8月から(Y2の)規約を変更した。

控訴人Xら(10名)は、Y1の元従業員及びその遺族で、同16年8月時点でY2より年金給付を受給していたが、いずれもこの同意書面を提出しなかった。Xらは、規約変更前の老齢年金給付の支給額と実際の支給額との差額の支払い等を求めて提訴した。第1審(東京地判平20.3.26 労判965-51)は年金減額を有効と判断し、Xらの請求をいずれも斥けた。Xらが控訴。(なお、最一小決平22.4.15判例集未登載(労判1008-98[概要紹介])において不受理決定。)

(2)判決の内容
労働者側敗訴

厚生年金基金は、多数の加入員(現役の従業員)及び加入員であった者(受給者)への老齢年金給付を行うのであって、「母体企業の経営状態を含む原資の確実性、厚生年金基金の存続及び適切な資産運用を前提として、全体としての原資の確保、所期の運用利益と適切な年金数理による業務遂行が可能であることを要するものというべきである。したがって、これらの事情の変更があった場合には、適正な団体的意思決定に従った規約変更により、加算年金給付を減額することは、厚生年金基金制度において予定されていると解すべきである。」

「加算年金給付制度の下においては、法の定めに従った規約の変更は、原則として、加入員であった者へも及ぶ。」もっとも、「加入員であった者は、加入員(現役の従業員)と異なり、既に裁定が実際にされることにより具体的な受給権が発生していること、年金が既に生活の基盤の一部となっており、その減額が重大な不利益をもたらすということ、加入員であった者から選出される代議員がなく、規約変更という厚生年金基金の団体的意思決定に参画することができないことからすれば」、規約変更により加入員であった者への給付水準の引下げは原則として許されない。「しかし、集団的、永続的処理を求められるという厚生年金基金の性格からすれば、給付水準の変更による不利益の内容、程度、代償措置の有無、内容変更の必要性、他の受給者又は受給者となるべき者(加入員)との均衡、これらの事情に対する受給者への説明、不利益を受けることとなる受給者集団の同意の有無、程度を総合して、当該変更が加入員であった者(受給者)の上記不利益を考慮してもなお合理的なものであれば、このような変更も許されるというべきである。」

3 解説
(1)企業年金(退職年金)について
企業等により運用されている退職金や企業年金の制度は、労働者の退職後の生活を保障するため非常に重要なものとなっているが、経済不況のもと企業の経営状態が悪化した場合において、その退職年金等の減額・廃止が認められるか否かが問題となってきている。企業年金に関しては平成14年より確定給付企業年金法、同13年より確定拠出年金法という二つの新たな法律が実施されており、現在は確定給付企業年金及び確定拠出年金が加入者数も含め企業年金制度としては主流となってきている。従来中心的存在でもあった適格退職年金及び厚生年金基金の制度は、それらの規模を縮小していくこととなり、前者は同14年4月以降、新規設立ができないこととされ、既に同24年3月末までに廃止された。また、後者の厚生年金基金についても、年金資金の運用成績の悪化などに加えて、同24年2月に発覚したAIJ投資顧問による年金消失事件(元社長等は詐欺及び金融商品取引法違反の罪を問われ、最高裁において有罪判決が確定[最一小決平28.4.12])が契機となり、厚生年金保険法等の一部改正が行われた(同25年法律63号)。同改正法(同26年4月1日施行)により、施行日以後は厚生年金基金の新設は認められないことや、施行日から5年後以降は、一定の存続基準を満たさない基金に対し、厚生労働大臣が第三者委員会の意見を聴いて解散命令を発動できること等が決められた。

モデル裁判例は、厚生年金基金において規約変更による支給額減額等が受給者等との関係で争点とされた事案であったが、判決内容に記した判断枠組みを示したうえで、この事案の事実関係に基づき総合考慮したうえ規約変更を認めている。

(2)自社年金に関する裁判例
企業年金の減額ないし廃止に関しては、企業年金の制度ごとに検討していく必要があるが、まずは自社年金のケースについて、在職中の労働者との関係で、退職年金制度(独自年金制度)の廃止が、就業規則不利益変更の効力の問題として争われ、当該廃止が認められた名古屋学院事件(名古屋高判平7.7.19 労判700-95)がある。また、金融再生法による破綻処理を受けた銀行における事案でもあるが、退職年金受給者に対し、退職年金支給契約の解約と一時金(退職年金の3ヵ月分相当額)を支払う旨を一方的に通知し、退職年金の支給を打ち切ったことに関して、事情変更の原則の適用をも否定し、退職年金の支給打切りを違法・無効であると判断した幸福銀行(年金打切り)事件(大阪地判平12.12.20 労判801-21)がある。

平成15~16年頃より一時期、企業年金減額が争われる裁判例が増加したが、退職者が受け取った退職金の一部を年金原資として使用者である会社に預け入れ、会社がその預入金に一定の利率による利息を付した基本年金、及び、基本年金受給完了後から死亡時まで支給される終身年金とから成る福祉年金制度の下で、改廃規定に基づきなされた年金既受給者に対する年金給付利率一律2%の引下げの効力が争われた松下電器産業グループ(年金減額)事件(大阪高判平18.11.28 労判930-26)及びその関連裁判例として松下電器産業(年金減額)事件(大阪高判平18.11.28 労判930-13)がある(いずれの事件も、年金給付率引下げの相当性が認められ、その後、最高裁(最一小決平19.5.23 労判937-194〔判例リスト〕)により不受理の決定がなされている)。また、年金規則に年金支給額を減額する根拠となりうる条項がない私的年金制度の下、全受給権者の3分の2以上の者の同意を得て、大学が一律に退職年金の大幅な減額を行なったことにつき、受給者らが改定前の年金規則により算出される額の年金受給権を有することの確認を求めた早稲田大学(年金減額)事件(東京高判平21.10.29 労判995-5;給付減額を容認[なお、最高裁(最二小決平23.3.4 判例集未登載)でも上告棄却])、及び、受給権者に対し一方的に年金支給額を切下げ(年金額30万円から25万円に減額)、争いとなった一連の裁判例の一つに港湾労働安定協会(未払年金)事件(神戸地判平23.8.4 労判1037-37;年金額の減額は認められないと判断し、将来分の年金に係る請求についても認容(民事訴訟法135条参照))等がある。

(3)その他の裁判例
次に、確定給付企業年金のケースについて、NTTグループ各社(67社)が厚生労働大臣に対し、確定給付企業年金法に基づき運用していた規約型企業年金制度に関して規約変更の申請をしたところ、その規約変更を承認しない旨の処分を受けたことにより、その処分の取消請求がなされたNTTグループ企業(年金規約変更不承認処分)事件(東京高判平20.7.9 労判946-5;取消請求を棄却した一審判決(東京地判平19.10.19 労判948-5)を維持[なお、最三小決平22.6.8 判例集未登載において上告棄却、上告受理申立(不受理)])等がある。また、確定給付企業年金における年金の受給方式(年金受給方式または一時金受給方式)の選択に関する説明義務違反等が争われた株式会社明治事件(東京高判平26.10.23 労判1111-73;説明義務違反等は否定)がある。

さらに、適格退職年金制度のケースについて、適格退職年金制度を廃止し確定拠出型年金へ移行させる過程で、年金基金を分配した結果、適格年金受給者等の受給額に関して争われた三洋貿易事件(名古屋簡判平18.12.13 労判936-61;退職年金規定の改廃等が認められた)等がある。

なお、「厚生年金基金からの脱退」の自由が問題とされた事案に長野県建設業厚生年金基金事件(長野地判平24.8.24 労判1068-86)があり、設立事業所による脱退の申し出に「やむを得ない事由」がある場合は、代議員会の議決又は承認は不要であって、脱退の意思表示がなされたときに脱退の効力が生じると判断されている(この事案で問題となった厚生年金基金は、23億円を超える使途不明金をだし、事務長が行方をくらまし指名手配されている等の事情により「やむを得ない事由」があったと認められている)。

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(36)【福利制度等】企業が労働者にかける生命保険 5.労働条件
1 ポイント
(1)企業の福利厚生制度の一つに、企業が保険契約者及び保険金受取人となり、従業員を被保険者とする保険契約を生命保険会社(保険者)と締結する団体定期保険というものがある(いわゆる「他人の生命の保険契約」に当たるものである)。

(2)使用者が保険金の受取人となっている団体定期保険(Aグループ保険)においては、従業員の死亡等により使用者が多額の保険金を受領しながら、遺族にはその保険金を支払わず、又は、わずかな金額しか支払っていない等の問題が発生している。

(3)複数の団体定期保険契約に基づく死亡時給付金につき、使用者から遺族に対して支払われた金額が、各保険契約に基づく保険金額の一部にとどまっていても、被保険者の同意があることが前提である以上、このことから直ちにこれらの各保険契約の公序良俗違反をいうことは相当ではない。また、団体定期保険の本来の目的に照らし、保険金の全部又は一部を社内規定に基づく給付に充当すべきことを認識し、各生命保険会社に確約していたとしても、このことは社内規定に基づく給付額を超えて死亡時給付金を遺族等に支払うことを約した等と認めるべき根拠とはならない。

2 モデル裁判例
住友軽金属工業(団体定期保険第2)事件 最三小判平18.4.11 労判915-51

(1)事件のあらまし
原告Xらは被告Y会社の従業員であった訴外A、B及びCの妻である。Yは、生命保険会社9社との間でA等の従業員を被保険者とする団体定期保険契約を締結していたが、A等が癌等により死亡したため各保険契約に基づき各保険会社より死亡保険金としてA等それぞれにつき合計6,120万円を受け取った。Xらは、A等の死亡によりYから退職金や葬祭料等の支給を受けたが、その金額は亡きAにつき約1,164万円(亡きB約1,289万円、亡きC約888万円)であった。XらはYに対しこの保険金全額に相当する金額の支払いを求めたが、Yにより拒否されたため、訴訟を提起した。第一審(名古屋地判平13.3.6 労判808-30)は、XらはYに対し給付請求権(社会的に相当な金額3,000万円)を有していると結論付けた。原審判決(名古屋高判平14.4.24 労判829-38)もその判断をほぼ是認した。

(2)判決の内容
遺族側敗訴(原判決中使用者側敗訴部分につき破棄・取消し等)

Yの団体定期保険の運用は、「従業員の福利厚生の拡充を図ることを目的とする団体定期保険の趣旨から逸脱したものであることは明らかである」。しかし、他人の生命の保険については、その適正な運用を図るために被保険者の同意を求めることとし、保険金額に見合う被保険利益の裏付けを要求するような規制も採用されていないことからすると、死亡時給付金としてYから遺族に対して支払われた金額が、各保険契約に基づく保険金額の一部にとどまっていても、被保険者の同意があることが前提である以上、そのことから直ちにこれらの各保険契約の公序良俗違反をいうことは相当ではない。

また、Yが、団体定期保険の本来の目的に照らし、保険金の全部又は一部を社内規定に基づく給付に充当すべきことを認識し、各生命保険会社に確約していたとしても、このことは社内規定に基づく給付額を超えて死亡時給付金を遺族等に支払うことを約した等と認めるべき根拠とはならない。また、他にYと各生命保険会社との間において、Yが受領した保険金の全部又は社会的に相当な金額を遺族補償として支払う旨等の合意の成立を推認すべき事情も見当たらない。むしろ、死亡時給付金につき社内規定に基づく給付額の範囲内で支給するというYの考えや実際の運用状況を踏まえると、Yが、社内規定に基づく給付額を超えて、受領した保険金の全部又は一部を遺族に支払うことを、明示的にはもとより、黙示的にも合意したと認めることはできない。合理的な根拠に基づくことなくこのような合意の成立を認めた原審の認定判断は、経験則に反するものといわざるを得ない。

3 解説
(1)団体定期保険及びその目的
団体定期保険(Aグループ保険)とは、企業が保険契約者となり、従業員を一括して被保険者とし、保険料を全額負担し、従業員の死亡など契約所定の事由が生じた場合には保険金を受け取るというものである。このAグループ保険は、いわゆる他人の生命の保険契約(保険法38条;旧商法674条1項[平成20年改正前商法])であるが、犯罪誘発の危険性や人格権侵害の危険性、使用者による不労の利得の可能性などがあり、実際にも死亡した従業員の遺族には全く保険金が支払われていないなどの事態が生じ、社会的にも大きな問題となってきた。裁判例においては、使用者が保険金を受領した場合には、その保険金を遺族に支払うべき黙示の合意が成立していたか否か等が争点となってくる。なお、平成8年11月以降は総合福祉団体定期保険(主契約及びヒューマンバリュー特約等から成る)なるものが考案され、この新保険への移行がなされた同9年4月1日以降、本来の制度目的に反する利用等は減り、実務上はかなり改善されてきたため、現在はこの種の裁判例も減少してきている。

団体定期保険は、本来、従業員の死亡や高度障害の事態に備えた福利厚生ないし遺族の生活保障の措置として、障害給付金、退職金及び弔慰金等の支払いを目的とした制度であり、それゆえに支払保険料についても損金処理が許されるなど税務上の特典も認められており、保険料も個別の保険契約よりも割安になるなどの特質を有しているのであって、企業の損失の補塡や従業員に対する求償権の賠償を目的として流用すべき制度ではない(住友レーザー事件 大阪地判平12.12.22 労判803-85(要旨))。

(2)遺族に対する保険金の支払い
団体定期保険(Aグループ保険)に関しては、平成7年頃から遺族が企業に対し保険金の支払い等を求めて裁判を起こすケースが目立ちだした。裁判例においては、遺族の請求が認められるか否か、及び、遺族に支払われるべき保険金の金額に関しては、被保険者(従業員)の同意を前提に(保険法38条;旧商法674条1項)、各保険契約における付保規定の趣旨目的、保険契約締結の経緯、被保険者の勤続年数・給与額・企業への貢献度、保険料の負担関係、受領した保険金の総額及び税制上の取扱い、その企業における退職金・弔慰金規程の有無・内容など、諸般の事情を総合的に考慮し、社会通念や公平の観点から判断するという枠組みが定着してきていた。なお、被保険者の同意が存しないことにより団体定期保険契約自体が無効とされた文化シャッター事件(静岡地浜松支判平9.3.24 労判713-39)がある。

遺族の保険金に関する請求が認められた裁判例では、団体定期保険契約を締結する際の労働者の同意、及び、その保険契約の趣旨目的等により、使用者が保険金を受領した場合、遺族に対しその全部又は相当部分を退職金・弔慰金等として支払う旨の合意又は黙示の合意があったものと推定ないしは判断されている。例えば、東映視覚事件(青森地弘前支判平8.4.26 労判703-65)及び個人保険に関するパリス観光事件(広島高判平10.12.14 労判758-50)等がある。他方、保険金支払いの合意等が認められないとして遺族側の請求が棄却された裁判例に、祥風会事件(浦和地判平10.2.20 労判787-76)等がある。

なお、過労死あるいは過労自殺した労働者の遺族らの逸失利益分の損害との関連で、総合福祉団体定期保険契約に基づき従業員の遺族らに支給される保険金(弔慰金)につき、損益相殺の対象とすることはできないと判断した裁判例にO社事件(神戸地判平25.3.13 労判1076-72)および肥後銀行事件(熊本地判平26.10.17 労判1108-5)等がある。

(3)モデル裁判例の意義
モデル裁判例の第一審は、保険契約者が団体定期保険契約をその本来の目的とは異なる方法等で利用することは、社会的相当性を逸脱し公序良俗に違反すると解したうえで、保険会社と保険契約者との保険契約の趣旨(付保目的)についての合意(被保険者の遺族に対し、死亡保険金の全部又は一部を福利厚生制度に基づく給付として充当することを内容とするもの)は、「第三者(被保険者)のためにする契約」に当たるものと判断し、Xらの請求を一部認容し、原審もその判断をほぼ是認していた。ところが、最高裁は、原審の判断を覆し、契約論にかかる法形式的な論理を貫徹するなどし、保険金の相当部分を遺族らに支払うことを認めなかった。

Yは各団体定期保険契約締結に際して、A等も加入していた訴外D労働組合の同意を一応得てはいたが、個々の労働者から同意を得ていたわけではない。一方で、最高裁判決では公序良俗違反に関する論旨において被保険者の同意を前提に展開している点があるなど幾つか疑問に感ずるところもある。もっとも、モデル裁判例は事例判断ながらこの種の事案の初の最高裁判決として重要な意義を有していることに変わりはない。同趣旨の結論を出した裁判例として、建設労災補償共済制度における共済契約に基づく共済金請求のケースであるが、O技術(建設労災補償共済制度共済金)事件(福岡高那覇支判平19.5.17 労判945-40)がある。また、モデル裁判例と被告を同じくする住友軽金属工業(団体定期保険第1)事件(最三小判平18.4.11 労判915-26)も参考となる。

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(37)【労働時間】労働時間の定義 5.労働条件
1 ポイント
(1)労基法32条のいう労働時間(「労基法上の労働時間」)は、客観的にみて、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価できるか否かにより決まる。就業規則や労働協約、労働契約等で、特定の行為(実作業のための準備行為など)を労働時間に含めないと定めても、これらの規定には左右されない。労基法上の労働時間は、就業規則に定められた所定労働時間とは必ずしも一致しない。

(2)本来の業務の準備作業や後かたづけは、事業所内で行うことが使用者によって義務づけられている場合や現実に不可欠である場合には、原則として使用者の指揮命令下に置かれたものと評価され、労基法上の労働時間に当たる。

(3)労働者が具体的な作業に従事していなくても、業務が発生した場合に備えて待機している時間は、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価され、労基法上の労働時間に当たる。ビル管理人の仮眠時間などは、労働から完全に離れることが保障されていない限り、休憩時間ではなく、労基法上の労働時間に当たる。

2 モデル裁判例
三菱重工業長崎造船所(一次訴訟・会社側上告)事件
 最一小判平12.3.9 民集54-3-801

(1)事件のあらまし
被告側会社Yは、就業規則において一日の所定労働時間を8時間と定め、また、①更衣所での作業服及び保護具等の装着・準備体操場までの移動、②資材等の受出し及び月数回の散水、③作業場から更衣所までの移動・作業服及び保護具等の脱離、④その他一連の行為(3.解説(4)参照)を所定労働時間外(始業時刻前、休憩時間中、終業時刻後)に行うよう定めていた。原告側労働者Xらは、これらの行為に要する時間は労基法上の労働時間に当たり、一日8時間の所定労働時間外に行った各行為は時間外労働であると主張し、割増賃金を請求する訴えを提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

労基法上の労働時間とは、労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいう。労基法上の労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであり、労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんにより決定されるべきものではない。労働者が就業を命じられた業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者から義務付けられ、またはこれを余儀なくされたときは、その行為を所定労働時間外に行うものとされている場合でも、その行為は、特段の事情のない限り、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価できる。したがって、その行為に要した時間は、それが社会通念上必要と認められるものである限り、労基法上の労働時間に該当する。XらはYから作業服及び保護具等の装着を義務付けられ、それを事業所内の更衣所において行うものとされていた。また、Xらの一部はYにより資材等の受出し及び月数回の散水を義務付けられていた。したがって、①、②及び③の各行為は、Yの指揮命令下に置かれたものと評価できる。

3 解説
(1)労基法上の労働時間の定義の必要性
労基法は、労働者に休憩時間を除き一週間について40時間、一日について8時間を超えて労働させてはならないと定め(労基法32条)、これに違反した使用者に対して罰則の適用を予定している(労基法119条1項)。また、この上限を超えて労働させた場合、割増賃金の支払いが必要となる(同法37条1項)。このため、労基法上の労働時間の定義が問題となる。

(2)労働時間の判断枠組
モデル裁判例に掲げた三菱重工業長崎造船所事件最高裁判決は、労基法上の労働時間につき、次のような判断基準を示している。第一に、労基法上の労働時間は、就業規則等でどのように規定されているかにかかわらず、客観的に決定される(「客観説」)。これは、実作業の準備や後始末などの周辺的な活動については、当事者の合意により労働時間性を判断するとの立場(「二分説」)を否定するものである。第二に、ある行為に要した時間が労基法上の労働時間か否かは、その行為が使用者の指揮命令下に置かれたと評価できるか否かにより判断される(「指揮命令下説」)。指揮命令下説に対し、近年は、指揮命令の有無に加えて、業務性(労働者の行為が使用者の業務に従事したものといえるか否か)をも判断基準に加えるべきとの学説(「限定指揮命令下説」、「相補的二要件説」)が有力に主張されている。モデル裁判例も、指揮命令下説をとりつつ、本件の労働者の行為が一定の業務性を有するものであることを前提としたうえで、労働時間性を判断しているといえる。なお、労働者の行為は、使用者の明示の指示や命令によらない場合でも、指揮命令下に置かれたものと評価されうる。京都銀行事件(大阪高判平13.6.28 労判811-5)では、始業時刻前にほぼすべての男性行員が出勤し、終業時刻後も大多数が残業を行うことが常態となっている場合に、これらの作業に要する時間が使用者の黙示の指示による労働時間と認められ、時間外割増賃金の支払いが命じられた。

(3)準備行為・後始末等に要する時間
モデル裁判例は、本来の業務の準備作業や後かたづけは、事業所内で行うことが使用者によって義務づけられている場合や現実に不可欠である場合には、原則として使用者の指揮命令下に置かれたものと評価され、労基法上の労働時間に当たるとし、上記①~③の行為の労働時間性を肯定した。これに対して、入退場門から更衣所までの移動や手洗、洗面、洗身、入浴などに要した時間は、本件事実の下では労働時間には該当しないと判断された。

(4)不活動時間(仮眠時間など)
労働者が具体的な作業に従事していなくても、業務が発生した場合に備えて待機している時間は、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価され、労基法上の労働時間に当たる。仮眠時間なども、労働から完全に離れることが保障されていない限り、休憩時間ではなく、労基法上の労働時間に当たる。大星ビル管理事件(最一小判平14.2.28 民集56-2-361)では、24時間勤務に従事するビル警備員の仮眠時間が、仮眠室で待機することと警報・電話等に直ちに対応することが義務付けられていることを理由に、労働時間に該当すると判断された。また、大林ファシリティーズ事件(最二小判平19.10.17 労判946-31)では、住み込みのマンション管理人が、平日には所定労働時間外にも住民の要求に応じて宅配物の受渡し等を行うよう指示され、断続的業務に備えて待機せざるをえない状態に置かれていたとして、居室における不活動時間を含めて労働時間に該当すると判断された(これに対して、日曜祝日については上記のような義務づけはなかったとして、ごみ置き場の扉の開閉など現実に業務に従事した時間のみが労働時間に当たるとされた)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (38)【労働時間】時間外労働

(38)【労働時間】時間外労働 5.労働条件
1 ポイント
(1)労基法は、労働者に休憩時間を除き一週間について40時間、一日について8時間を超えて労働させてはならないと定めている(労基法32条)。労基法上の原則としては、この上限(法定労働時間)を超えて労働させる旨の労働契約や業務命令は違法無効であり(同法13条)、労基法32条に違反した使用者には罰則が適用される(労基法119条1項)。

(2)ただし、①災害その他の避けることのできない理由により臨時の必要がある場合(労基法33条)と、②使用者が過半数労組または過半数代表者との間に労働時間の延長等に関する協定(三六協定)を締結し、届け出た場合(労基法36条)には、上記(1)の労基法による規制は解除される。

(3)使用者が労働者に法定労働時間を超える時間外労働や休日労働を命じるには、①適法な三六協定の締結・届出と、②時間外・休日労働が労働契約上の義務内容となっていることが必要である。就業規則に、「業務上の必要がある時は三六協定の範囲内で時間外・休日労働を命じうる」といった明文の定めがある場合には、②の要件を満たすと解されている。ただし、業務上の必要性を欠く場合や、労働者に時間外労働に従事できないやむを得ない事情がある場合には、時間外労働命令は権利濫用に当たり、違法無効とされうる。

2 モデル裁判例
日立製作所武蔵工場事件 最一小判平3.11.28 民集45-8-1270

(1)事件のあらまし
原告側労働者Xは、Y社の工場で製品の品質管理業務に従事していた。Xは、上司から、製品の良品率が低下した原因の究明と手抜き作業のやりなおしを行うために、残業をするよう命じられたが、これを拒否した。これに対して、YはXを出勤停止の懲戒処分に処し、始末書の提出を命じたが、Xはなお残業命令に従う義務はないとの考えを改めなかった。そこで、Y社は、過去3回の懲戒処分歴と併せ、悔悟の見込みがないとしてXを懲戒解雇した。なお、Y社は過半数組合と三六協定を締結しており、同社就業規則には「業務上の都合によりやむをえない場合には組合との協定により…実労働時間を延長…することがある」との規定があった。

Xは懲戒解雇が無効であると主張して提訴した。懲戒解雇の効力を判断する前提として、残業命令の適法性が問題となった。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

使用者が、三六協定を締結して労働基準監督署に届け出た場合に、就業規則に、三六協定の範囲内で業務上の必要があれば労働時間を延長して労働者を労働させることができると定めているときは、その就業規則の規定内容が、合理的なものである限り、使用者と労働者の間の労働契約の内容となる。そして、就業規則の適用を受ける労働者は、その定めるところに従って時間外労働を行う義務を負う。

Y社における時間外労働の具体的内容は三六協定によって定められている。そして、本件の三六協定は、使用者が時間外労働を命じうる時間数の上限を設定し、かつ、時間外労働を命じるには所定の事由を必要としている。所定の事由のうち「業務の内容によりやむを得ない場合」等はやや包括的であるが、相当性を欠くとまではいえない。それゆえ、業務上の都合によりやむを得ない場合には三六協定により時間外労働を命じることがあるという、本件就業規則の規定は合理的なものというべきである。したがって、本件の残業命令は適法であり、その命令に従わなかったXに対する懲戒解雇は有効である。

3 解説
(1)時間外労働を命じるための要件
労基法は、労働者に休憩時間を除き一週間について40時間、一日について8時間を超えて労働させてはならないと定めている(労基法32条)。労基法上の原則としては、この上限(法定労働時間)を超えて労働させる旨の労働契約や業務命令は違法無効であり(同法13条)、労基法32条に違反した使用者には罰則が適用される(労基法119条1項)。

ただし、①災害その他の避けることのできない理由により臨時の必要がある場合(労基法33条)と、②使用者が過半数労組または過半数代表者との間に労働時間の延長等に関する協定(三六協定)を締結し、届け出た場合(労基法36条1項)には、上記の労基法による規制は解除され、使用者が法定労働時間を超えて労働者を働かせても労基法違反の責任を問われることはない。

三六協定を締結する際には、時間外・休日労働をさせる事由、業務の種類、労働者の数、延長できる時間数及び労働させる休日数の上限を定める必要がある(労基法施行規則16条)。時間外労働の上限時間数については、労基法36条2項に基づいて基準(限度時間)が定められ(平成10.12.28 労告第154号、『労働関係法規集2016年版』(JILPT、2016年)124頁参照)、三六協定の当事者は労働時間の上限を定めるに当たり、三六協定の内容が右基準に適合したものとなるようにしなければならず(同条3項)、行政官庁は、この基準に関して協定当事者に対し、必要な助言指導を行うことができる(同条4項)。ただし、この基準は私法上の強行法規としての効力をもたないと解されているので、基準の定める限度を超える三六協定が直ちに無効とされるわけではない。さらに、限度時間を超えて時間外労働をさせなければならない特別の事情が生じる場合に備えて、限度時間を超える一定時間まで労働時間を延長することができる旨の特別条項を付すことも認められている(平10.12.28労告154号)。

また、三六協定締結の相手方である「労働者の過半数を代表する者」とは、労基法上の管理監督者(41条2号)に当たらない者で、かつ従業員の意思が反映されるような民主的な手続で選出された者であることが必要であり(労基法施行規則6条の2)、例えば親睦団体の代表が自動的に過半数代表となって締結された三六協定は無効とされる(トーコロ事件 最二小判平13.6.22 労判808-11)。

三六協定の締結・届出により使用者は罰則の適用を免れるが、三六協定の効力は労基法の規制を解除することに止まるので、使用者が労働者に時間外・休日労働を命じるには、三六協定のほかに労働契約上の根拠が必要である。モデル裁判例のように、時間外・休日労働に関して就業規則の一般的な規定(「業務上必要があれば三六協定の範囲内で時間外休日労働を命じうる」等)が存在するとき、それが労働契約の内容となっていれば、労働者は使用者の命令により時間外・休日労働を行う義務を負う。就業規則が労働契約の内容となるためには、その内容が労働者に周知され、かつ合理的でなければならないが(労契法7条)、モデル裁判例によれば、労基法及び同施行規則に則った適法な三六協定が存在する限り、ほとんど常に就業規則の合理性が認められることになる。

ただし、就業規則に基づく一般的な時間外労働命令権が認められる場合でも、個々の時間外労働命令について業務上の必要性が存在しない場合や、労働者にやむをえぬ事由(病気など)がある場合には、その命令は権利濫用に当たり違法無効と判断される可能性がある。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (39)【労働時間】休憩、休日

(39)【労働時間】休憩、休日 5.労働条件
1 ポイント
(1)休憩時間とは、労働からの解放が完全に保障されている時間であり、その自由利用の原則が労基法において定められている(労基法34条3項)。

(2)休憩時間中であっても、労働者は、企業施設管理及び規律保持の観点からの制約には服する必要がある。ただし、上記の制約に形式的には違反する行為であっても、実質的にみて企業における秩序を乱す恐れがない場合、またはその恐れが極めて少ない場合には、違反行為とはならない。したがって、この行為を理由とする懲戒処分は違法無効となる。

(3)労基法35条は、原則として週一日以上の休日を付与することを使用者に義務づけている(週休制の原則)。休日が特定されている場合、就業規則等の根拠に基づいて、あらかじめ他の日を特定して休日を振り替えることが可能である。このような場合、振替がなされた後で、労基法35条が定める最低基準が満たされていれば、労基法上の休日労働は発生しないので、三六協定の締結や割増賃金の支払いは必要ない。

2 モデル裁判例
電電公社目黒電報電話局事件 最三小判昭52.12.13 民集31-7-974

(1)事件のあらまし
原告側労働者Xは、被告側使用者Yに勤務する職員である。Xは、「ベトナム侵略反対、米軍立川基地拡張阻止」と書かれたプレートを着用して勤務したところ、これを取り外すよう上司から再三注意を受けた。Xはこの命令に抗議する目的で、「職場の皆さんへの訴え」と題したビラ数十枚を、休憩時間中に職場内の休憩室と食堂で配布した。Yの就業規則には、「職員が職場内で演説やビラ配布等を行う場合には事前に管理責任者の許可を受けなければならない」という内容の規定があり、YはXのビラ配布が就業規則に違反し、懲戒事由に該当するとして、Xを戒告処分に付した。Xは、休憩時間中のビラ配布を懲戒処分の対象とすることは、労基法34条3項の定める休憩時間自由利用の原則に違反する等と主張して提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

従業員は休憩時間を自由に利用することができ、使用者はこれを妨げたり、休憩時間の自由利用として許される行為をとらえて懲戒処分をすることは許されない。しかし、休憩時間の自由な利用も、企業施設内で行われる場合には、使用者の企業施設に対する管理権の合理的な行使として認められる範囲で制約を受ける。

局所内において演説やビラ配布等を行うことは、休憩時間中であっても、局所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、更に、他の職員の休憩時間の自由利用を妨げてその後の作業能率を低下させ、その内容いかんによっては企業の運営に支障をきたし企業秩序を乱すおそれがある。したがって、休憩時間中のビラ配布等を管理者の許可にかからせることは、合理的な制約である。

Xの行為は、形式的にみて事前許可制を定めた就業規則に違反するが、実質的にビラの配布が職場の秩序風紀を乱す恐れがないという特別な事情が認められるときは、就業規則の違反になるとは言えない。しかし、本件ビラ配布は、上司の適法な命令に抗議する目的で行われたものであり、ビラの内容も上司への抗議や局所内の政治活動をあおること等を含んでいた以上、休憩時間中に平穏に行われたとしても企業秩序を乱すおそれがある。

3 解説
(1)休憩時間に関する法規制
労基法は、労働時間が6時間を超える場合には45分以上、8時間を超える場合には1時間以上の休憩時間を労働者に与えるよう、使用者に義務づけている(34条1項)。

休憩時間は原則として当該事業場で働く労働者に一斉に与えなければならない。ただし、一定のサービス業については適用が除外されている(労基則31条)ほか、過半数代表との労使協定により例外を設けることが認められている(同条2項)。

また、労基法34条3項は休憩時間の自由利用の原則を定め、使用者が休憩時間中の労働者の行動に制約を加えることを禁じている。行政解釈は、休憩時間中の外出を許可制とすることは、事業場内において自由に休憩しうる場合には、必ずしも違法にならないとする(昭23.10.30 基発第1575号)が、学説の多数は原則として外出も自由であり、合理的理由がある場合に届出制や客観的基準に基づく許可制をとることのみが許されると主張している。

(2)自由利用の原則に対する制約の可否
労働者は、企業施設内で休憩する場合においては、使用者による施設管理や職場の規律保持のために必要な制約に服し、また他の労働者の休憩を妨げてはならない。

モデル裁判例では、職場内でのビラ配布を許可制とする就業規則の規定が休憩自由利用の原則に違反しないか否かが争われた。最高裁は、一般論として、このような規制が企業施設管理及び規律保持の観点から許されるとしている。この種の規制の具体例としては、ビラ配布・政治活動の許可制の他、保安等を目的とする一定区域への立入禁止、指定場所での喫煙などが挙げられよう。

なお、事業場内でのビラ配布や政治活動が形式的に就業規則に違反する場合であっても、実質的にみれば職場の秩序を乱す恐れがない、またはその恐れが極めて少ない「特別な事情」が認められる場合には、就業規則に違反しない。したがって、そのような行為を理由とする懲戒処分は違法無効とされる。モデル裁判例ではXのビラ配布につき「特別な事情」は認められないとされたが、昼食休憩時間中に食堂内で政党の選挙ビラを平穏に配布した行為をビラ配布の許可制に違反しないと判断した裁判例として、明治乳業事件(最三小判昭58.11.1 労判417-21)がある。

(3)休日に関する法規制
使用者は、毎週少なくとも週一回の休日を労働者に与えなければならない(労基法35条1項。週休制の原則)。就業規則において週休二日制がとられている場合、労基法上義務づけられている休日(法定休日)は二日のうち一日のみである。また、35条2項は、1項の例外として、四週間を通じ四日の休日を与える場合には労基法に違反しない旨を定めている。労基法上、休日となる日をあらかじめ特定することは必要とされていないが、行政指導においては、週休制の趣旨に鑑み、就業規則により休日をできるだけ特定させるという方針がとられている。

(4)休日の振替
休日が特定されている場合には、その休日に労働者を労働させ、他の日を休日とすること(休日の振替)ができるかという問題が生じる。この点については、「業務上必要のある場合には休日振替を行う」等の就業規則の定めに基づき、あらかじめ別の日を休日として特定する限り、使用者は労働者の個別同意を得なくても休日を振り替えることができると判断した裁判例(三菱重工業横浜造船所事件 横浜地判昭55.3.28 労判339-20)があり、行政解釈も同様の立場に立っている(昭23.4.19 基収1397号など)。

そして、振り替えた後の状態が労基法35条の定める最低基準(毎週一日、または四週間に四日の休日)を満たしている場合には、就業規則で休日とされている日は通常の労働日となり、労基法上の休日労働は発生しないから、三六協定の締結や割増賃金の支払いは不要である。

これに対して、あらかじめ振替休日を特定せず、就業規則上休日とされている日に労働させ、事後的に休日を与える場合には、就業規則上の休日は労働日に変更されない。したがって、労働者を休日に労働させることになり、その休日が労基法35条により付与を義務づけられる休日に該当する場合は労基法上の休日労働が発生するから、三六協定の締結・届出と割増賃金の支払いが必要となる。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (40)【労働時間】割増賃金

(40)【労働時間】割増賃金 5.労働条件
1 ポイント
(1)使用者が、労働者を法定労働時間を超える労働(時間外労働)、法定休日における労働(休日労働)、午後10時から午前5時までの深夜労働に従事させた場合には、労基法37条に基づいて割増賃金を支払う義務がある。法定割増率は、①1ヶ月の合計が60時間までの時間外労働および深夜労働については2割5分、②1ヶ月の合計が60時間を超える時間外労働については5割、③休日労働については3割5分とされている。なお、②の割増賃金のうち2割5分を超える部分については、過半数代表との協定に基づき、代替休暇の付与に代えることができる(37条3項)。

(2)割増賃金の額を算定する際に、賃金のうち割増の基礎から除外される部分(除外賃金)は、家族手当や通勤手当など法(労基法37条5項、労基則21条)により限定されており、それ以外の賃金は全て算入しなければならない。除外賃金に該当するか否かは、名称に関わらず、実質的に判断される。

(3)割増賃金を労基法と異なる方法で算定することや、割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも違法ではない。ただし、①労基法が定める計算方法による割増賃金額を下回らないこと、②割増賃金の部分とそれ以外の賃金部分とが明確に区別されていること、の二つの要件を満たす必要がある。

2 モデル裁判例
テックジャパン事件 最一小判平24.3.8 労判1060-5

(1)事件のあらまし
人材派遣業者YはプログラマーであるXを派遣労働者として雇用し、その基本給を月額41万円とし、月間の総労働時間が180時間を超える場合は超える部分について1時間当たり2,560円を支払うが、月間総労働時間が140時間に満たない場合は満たない部分について1時間辺り2,920円を控除する旨の約定をして、それに従って賃金を支払っていた。Xは退職後に、Yに対し、時間外割増賃金の未払い分(月間総労働時間が180時間を超えないが法定労働時間を超える部分を含む)の支払いを求めて訴えを提起した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

本件の約定によれば、月間180時間以内の労働時間中の時間外労働がされても、基本給自体の金額が増額されることはなく、基本給の一部が他の部分と区別されて労基法37条1項の定める時間外割増賃金とされていたなどの事情はうかがわれない。また、法定割増賃金の対象となる1か月の時間外労働の時間は、1週間に40時間を超え又は1日に8時間を超えて労働した時間の合計であり、月間総労働時間が180時間以下となる場合を含め、月によって勤務すべき日数が異なること等により相当大きく変動し得るものである。そうすると、月額41万円の基本給のうち、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外割増賃金に当たる部分とを判別することはできない。

これらによれば、Xが時間外労働をした場合に、月額41万円の基本給を支払うことによって、月間180時間以内の労働時間中の法定時間外労働について割増賃金が支払われたとすることはできないというべきであり、Yは、Xに対し、月額41万円の基本給とは別に時間外割増賃金を支払う義務を負う(また、Xが自由意志に基づいて、月間180時間以内の労働時間中の時間外労働について時間外手当の請求権を放棄する旨の意思表示をしたということもできないとした)。

3 解説
(1)法定割増賃金の支払い義務
使用者が、労働者を法定労働時間を超える労働(時間外労働)、法定休日における労働(休日労働)、午後10時から午前5時までの深夜労働に従事させた場合には、労基法37条に基づいて割増賃金を支払う義務がある。2008年の労基法改正(2010年4月1日施行)により、長時間労働を抑制する目的で、月60時間を超える時間外労働について割増率が引き上げられた。現行の法定割増率は、①1ヶ月の合計が60時間までの時間外労働および深夜労働については2割5分、②1ヶ月の合計が60時間を超える時間外労働については5割、③休日労働については3割5分とされている。また、②の割増賃金のうち2割5分を超える部分については、過半数代表との協定に基づき、代替休暇の付与に代えることができる(37条3項)。

なお、使用者が労基法33条または36条によらず、労働者を違法な時間外労働や休日労働に従事させた場合にも、同法37条に基づく割増賃金の支払い義務は発生する(小島撚糸事件 最一小判昭35.7.14 刑集14-9-1139)。

(2)割増賃金の算定基礎
割増賃金の算定に当たり、「家族手当」「通勤手当」等は算定の基礎となる賃金から除外される(労基法37条5項、労基法施行規則21条)。その趣旨は、労働の内容や量と無関係な労働者の個人的事情(扶養家族の有無や数、通勤にかかる費用など)によって額が決まる手当を除外することにあり、これに該当するか否かは、手当の名称に関わらず実質的に判断される。例えば、壷阪観光事件(奈良地判昭56.6.26 労判372-41)では、家族構成、通勤距離等の個人的事情に関係なく従業員全員に対して一律に支給されていた「家族手当」「通勤手当」が、実質的にみて除外賃金ではないとされている。逆に名称が生活手当等でも、扶養家族の有無・数により算定される場合は、除外賃金に当たる(昭22.11.5 基発231号)。その他、通常の労働時間に対する賃金とは言えない「臨時に支払われた賃金」「1ヵ月を超える期間ごとに支払われる賃金」(賞与、精勤手当、勤続手当等)も除外賃金に当たる。

(3)労基法37条と異なる方法による割増賃金の支払い
割増賃金は必ずしも37条所定の方法で算定する必要はなく、異なる計算方法を用いることや、割増賃金に代えて一定額の手当を支払うことも違法ではない。ただし、その場合には、上記の方法で支払われた割増賃金が法の定める割増賃金を下回っていないことが確認できなければならず、そのためには、ポイント(3)に掲げた二つの要件を満たす必要がある(小里機材事件 最一小判昭63.7.14 労判523-6)。モデル裁判例のように割増賃金の一部が基本給に組み入れられている場合や、歩合給や年俸制が採用されている場合にも、上記と同じルールが適用されている(歩合給について、高知県観光事件 最二小判平6.6.13 労判653-12。年俸制について、創栄コンサルタント事件 大阪地判平14.5.17 労判828-14、システムワークス事件 大阪地判平14.10.25 労判844-79)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (41)【労働時間】弾力的労働時間

(41)【労働時間】弾力的労働時間 5.労働条件
1 ポイント
(1)労基法上の労働時間規制を弾力化する制度として、①業務の繁閑など企業の都合に合わせて労働時間の配分を調整する変形労働時間制と、②日々の始業・終業時刻を個々の労働者に委ねるフレックスタイム制がある。

(2)上記(1)の制度の下では、一日や一週の労働時間が法定基準を超えても労基法違反とならないが、一定の期間における労働時間数が法定労働時間の枠内に収まることが必要であり、その枠を超えて労働させる場合には三六協定の締結と割増賃金の支払いが義務づけられる。

(3)労働時間は実労働時間により算定することが原則であるが、事業場外の労働や裁量性の高い労働に従事する労働者については、一定の要件の下でみなし労働時間制(事業場外労働のみなし制、裁量労働のみなし制)が適用される。

(4)上記(3)の制度の下では、実際に何時間労働したかにかかわらず、一定時間労働したものとみなされる。みなし時間が法定労働時間を超える場合には、三六協定の締結と割増賃金の支払いが必要となる。なお、みなし労働時間制がとられていても、休憩、休日労働、深夜労働に関する労基法の規制は適用される。

2 モデル裁判例
阪急トラベルサポート(第2)事件 最二小判平26.1.24 労判1088-5

(1)事件のあらまし
労働者Xは派遣会社Yに雇用され、A社に派遣されて同社が企画する海外ツアーの添乗員としての業務に従事していた。添乗業務に当たり、A社は添乗員に対して、事前にツアーの日程や目的地、行うべき観光等の内容や手順を具体的に示し、添乗員用マニュアルに従った業務を行うことを命じていた。また、ツアー実施中は、添乗員に対し、携帯電話を所持して常時電源を入れておき、旅行日程の変更等が必要となる場合にはA社に報告して指示を受けることを求め、ツアー終了後には、添乗日報により業務の遂行の状況等の詳細かつ正確な報告を求めていた。

XはY社に対し、時間外・休日割増賃金の未払い分があるとし、その支払いを求めて提訴した。これに対し、Y社は、Xには事業場外労働のみなし時間制(労基法38条の2)が適用されるので、割増賃金の未払い分はないと主張した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

本件添乗業務は、旅行日程が日時や目的地等を明らかにして定められることによって、業務の内容があらかじめ具体的に確定されており、添乗員が自ら決定できる事項の範囲及びその決定に係る選択の幅は限られているものということができる。

また、本件添乗業務について、A社は、添乗員との間で、あらかじめ定められた旅行日程に沿った旅程の管理等の業務を行うべきことを具体的に指示した上で、予定された旅行日程に途中で相応の変更を要する事態が生じた場合にはその時点で個別の指示をするものとされ、旅行日程の終了後は内容の正確性を確認し得る添乗日報によって業務の遂行の状況等につき詳細な報告を受けるものとされている。

以上のような業務の性質、内容やその遂行の態様、状況等、本件会社と添乗員との間の業務に関する指示及び報告の方法、内容やその実施の態様、状況等に鑑みると、本件添乗業務については、これに従事する添乗員の勤務の状況を具体的に把握することが困難であったとは認め難く、労働基準法38条の2第1項にいう「労働時間を算定し難いとき」に当たるとはいえないと解するのが相当である。

3 解説
(1)法定労働時間の弾力化
労基法上の法定労働時間を弾力化する制度として、変形労働時間制とフレックスタイム制がある。

変形労働時間制は、使用者が過半数協定や就業規則等で必要な定めをすることにより、一定の単位期間について一日8時間や週40時間の規制を解除し、使用者が業務の繁閑等に合わせて労働時間を効率的に配分することを認める制度である。たとえば、一ヶ月単位の変形労働時間制(労基法32条の2)の下では、単位期間内の労働時間が平均して週40時間を超えない限り、特定された日や週について一日8時間・週40時間を超えて労働させることができる。変形労働時間制には、一ヶ月単位のほかに、一週間単位(同32条の4)と一年単位(同32条の5)の制度がある。

フレックスタイム制は、使用者が過半数協定や就業規則で必要な定めをすることにより、一ヶ月以内の一定期間(清算期間)に勤務する総労働時間数を決め、その範囲内で、各日の始業・終業時刻を個々の労働者の決定に委ねる制度である(労基法32条の3)。

(2)変形労働時間制の運用
変形労働時間制は労働時間の効率的な配分を可能とする一方、労働者に不規則な働き方を強いるものとなりうるため、その運用に当たっては、労働者の利益に配慮することが必要である。変形労働時間制を導入するに当たって、使用者は単位期間中の各週・各日の所定労働時間をあらかじめ特定しておくことが必要であり、就業規則等に具体的事由を定めた変更条項がない限り、いったん特定した労働時間を変更することはできないと解されている(JR西日本〔広島支社〕事件 広島高判平14.6.25 労判835-43)。

また、18歳未満の者や妊産婦が請求した場合には、使用者はこれらの労働者に同制度を適用することは許されない(労基法60条1項、66条2項)。

(3)弾力的な労働時間制度と時間外労働
変形労働時間制やフレックスタイム制がとられている場合、一日や一週の労働時間が法定基準を超えても労基法上の時間外労働は発生せず、労基法違反にも該当しない(ただし、一年単位・一週間単位の変形労働時間制については、一日または一週当たりの労働時間の上限が定められている)。

しかし、これらの制度は法定労働時間の総枠自体を変えるものではないので、単位期間や清算期間における総労働時間数が法定労働時間の枠内に収まることが前提である。使用者が、その枠を超えて労働者を労働させる場合には、労基法上の時間外労働が発生し、三六協定の締結と割増賃金の支払いが必要となる。

(4)労働時間のみなし制
労働時間は実労働時間により算定することが原則であるが、事業場外の労働や裁量性の高い労働に従事する労働者については、一定の要件の下でみなし労働時間制(労基法38条の2〔事業場外労働のみなし制〕、同38条の4〔裁量労働のみなし制。専門業務型裁量労働制と企画業務型裁量労働制がある〕)が適用される。これらの制度の下では、実際に何時間労働したかにかかわらず、一定時間労働したものとみなされる。ただし、みなし時間が法定労働時間を超える場合には、労基法上の時間外労働が発生し、三六協定の締結と割増賃金の支払いが必要となる。なお、みなし労働時間制がとられていても、休憩、休日労働、深夜労働に関する労基法の規制は適用される。

(5)事業外労働のみなし制の適用要件
労基法は、労働者が労働時間の全部又は一部について事業場外で業務に従事した場合において、労働時間を算定し難いときは、所定労働時間労働したものとみなすと定めている(38条の2)。モデル裁判例では、海外ツアーの添乗員の業務が「労働時間を算定し難い」という要件を満たすか否かが問題となった。判決は、添乗員の業務内容がマニュアル等で具体的に定められ裁量の余地が小さかったこと、A社が業務指示や事後的報告等を通して添乗員の業務遂行につき具体的な指揮監督をしていたことから、「労働時間を算定し難い」場合には当たらないと判断している(行政解釈も、労働者が無線やポケットベル等によって使用者の指示を受けながら労働する場合等は、労働時間を算定し難い場合に当たらないとしている。昭和63年1月1日基発1号)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 5.労働条件 > (42)【年次有給休暇】年休権の成立

(42)【年次有給休暇】年休権の成立 5.労働条件
1 ポイント
(1)労基法39条の必要事項(6ヵ月間「継続勤務」し「全労働日」の「8割以上に出勤」)を充たした場合、労働者は法定日数の年休を取る権利(年休権)を得る。その場合、会社は「労働者の指定した「時季」」(時季指定権)に年休を与えなくてはならない。ただし、「事業の正常な運営を妨げる」理由があれば、会社は「指定された年休時季を変更」できる(時季変更権)。

(2)全労働日とは、基本的に、働く義務のある日をいう。ただし、年休取得日、仕事に関連したケガや病気で休んだ日、育児・介護休業日、産前産後休業日、違法な解雇のために働けなかった日は、全労働日に含まれる。

(3)継続勤務とは在籍期間をいい、勤務実態から判断される。

(4)年休請求は事前に行うと定めることは違法ではない。また、年休の事後請求を認めたり、事後振替を行うことは、基本的に使用者の判断に委ねられている。

(5)年休は翌年度まで繰り越せる。

(6)年休の買上げを予約して実際に年休を与えないこと、本来取得できるはずの年休日数を減らすことは違法である。

(7)未消化年休を事後的に会社が買上げることは違法ではない。他方、労働者が未消化年休の買上げを会社に請求することはできない。

(8)年休日数のうち5日を超える部分は、過半数労使協定が定める計画年休により取得されうる。その場合、労働者の時季指定と会社の時季変更はできなくなる。

2 モデル裁判例
林野庁白石営林署事件 最二小判昭48.3.2 民集27-2-191

(1)事件のあらまし
第一審原告の労働者Xは、帰る間際に、翌日と翌々日に年次有給休暇(以下、年休)を取ることを休暇簿に記載した。そしてXは、その両日に出勤しないで他の営林署で行われたストライキ支援活動に参加した。Xの上司であるA署長は、Xの年休を認めずに欠勤扱いとし、第一審被告の国YはXに対して2日分の賃金を差し引いて賃金を支払った。そこでXは、Yに対して、差し引かれた分の賃金の支払いなどを求めた。一審二審ともXが勝訴し、Yが上告したのがこの裁判例である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

年休権は有効に成立しているとして、労働者Xの未払い賃金請求が認められた。

労基法39条1項の要件(労働者が「6ヵ月間継続勤務し全労働日の8割以上出勤」したこと)が満たされた時は、労働者は、法律上、当然に所定日数の年休権を得るので、会社は労働者に年休を与える義務がある。

労働者が持つ年休日数の範囲内で、休暇の具体的な始まりの時季と終わりの時季を特定(時季指定)した時は、労基法39条5項但書の理由(「請求された時季に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合」)が客観的にあり、これを理由に会社が労働者の年休を取る時季を変更(時季変更権を行使)しない限り、労働者の時季指定によって年休が成立し、時季指定された日に労働者の働く義務はなくなる。

3 解説
年休をめぐる労働者の権利と使用者の義務はモデル裁判例に見るとおりである。以下、年休成立に必要な条件、年休取得手続等を概説する。

(1)全労働日
全労働日とは、働く義務のある日である(エス・ウント・エー事件 最三小判平4.2.18 労判609-12)。派遣労働者の全労働日は、派遣先において就業すべき日である(ユニ・フレックス事件 東京高判平11.8.17 労判772-35)。

しかし、年休を取った日(昭22.9.13基発17号)、仕事に関連したケガや病気で休んだ日、育児・介護休業を取った日、産前産後で休んだ日は、全労働日に含まれる(労基法39条8項)。また、違法・無効と判断された解雇により就労できなかった日(八千代交通(年休権)事件 最一小判平25.6.6 労判1075-21)、同様に、労働委員会の不当労働行為救済命令によって使用者が解雇を取り消した場合の、解雇された日から復職する日までの不就労日も、全労働日とされる(「労働者が使用者から正当な理由なく就労を拒まれたために就労することができなかった日」平25.7.10基発0710第3号)。

他方、働く義務がある日でも、会社都合で休まざるを得なかった日(昭63.3.14基発150号)、生理休暇(昭23.7.31基収2675号)、慶弔休暇を取った日、正当なストライキのため働かなかった日(昭33.2.13基発90号)は全労働日に含まれない。

(2)継続勤務
継続勤務とは、在籍期間をいい、継続勤務かどうかは勤務実態から判断される。定年退職後の嘱託勤務、短期の契約を更新した勤務(国際協力事業団(年休)事件 東京地判平9.12.1 労判729-26、日本中央競馬会事件 東京高判平11.9.30 労判780-80)、臨時労働者の正社員採用、在籍出向は継続勤務となる(昭63.3.14基発150号)。

(3)年休の事前申出
年休取得者の代替者を確保するなどのため、会社が就業規則などで年休請求は事前に行うなどと定めることは違法ではない(電電公社此花電報電話局事件 最一小判昭57.3.18 民集36-3-366など)。

(4)半日年休・時間年休
年休は原則として一労働日(暦日)が単位なので、労働者から半日年休が請求されても、会社は与える義務はない(昭24.7.7基収1428号)。時間単位の年休請求も同様である。ただし、会社の判断で、半日や時間単位の年休を与えるのは違法ではない(半日年休:高宮学園事件 東京地判平7.6.19 労判678-18、1時間年休:東京国際郵便局事件 東京地判平5.12.8 労判640-15)。

なお、現行労基法の年休制度では、過半数労使協定の締結を経て、歴日数5日以内の範囲で時間単位の年休を取得することが可能とされている(労基法39条4項)。

(5)事後請求・事後振替
年休の事後請求は本来成立せず、欠勤を事後的に年休に振り替えることは使用者の判断に委ねられている(東京貯金事務センター事件 東京高判平6.3.24 労民集45-1・2-118など)。ただし、事後請求の理由として労働者が申し出た事情を考慮して、その休みを年休として処理することが妥当なのに年休を与えない場合は違法になる(前掲東京貯金事務センター事件)。

(6)年休の繰越し
年休の繰越しすでに発生している未取得の年休の権利は、翌年度まで繰り越すことができる(昭22.12.15基発501号、前掲国際協力事業団(年休)事件)。

(7)年休の買上げ
年休は、労基法39条1項が定める客観的条件が揃うことで発生する権利のため、買上げ予約をしたり、本来なら請求できるはずの年休日数を減らしたり与えないことは、違法である(昭30.11.30基収4718号)。

未消化の年休を事後に使用者が買上げる義務はないが(創栄コンサルタント事件 大阪高判平14.11.26 労判849-157)、未取得分の年休日数に応じて手当てを支給するなど事後に年休を買上げることは違法ではない。

他方、年休は、現実に労働者が取得することを要するものであるという制度趣旨から、労働者が使用者に対して未取得日数分の年休に応じた金銭の支払いを請求することはできない(シーディーディー事件 山形地判平23.5.25 労判1034-47)。

(8)計画年休
5日を超える分の年休について、事業場の過半数労使協定で年休を与える時季に関して定めたときは、会社はこの労使協定に基づいて労働者に年休を与えることができる(計画年休制度。労基法39条5項)。過半数労使協定によって年休の取得時季が集団的・統一的に特定されると、その年休日及び日数については、労働者1人1人の年休時季指定と、会社の年休時季変更はできなくなる(昭63.3.14基発150号)。このことは、協定の適用がある職場のすべての労働者に及ぶ(三菱重工業長崎造船所事件 福岡高判平6.3.24 労民集45-1・2-123)。

計画年休の変更は、計画決定時には予測が不可能な事態が発生する可能性が生じた場合に限られ、事態発生の予測可能後の合理的期間内になされなければならない(高知郵便局事件 最二小判昭58.9.30 民集37-7-993)。

退職予定者には、計画年休付与以前の年休請求を拒否できない(昭63.3.14基発150号)。

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(43)【年次有給休暇】年休取得をめぐる問題 5.労働条件
1 ポイント
(1)年休を取った日をどのように使うかは原則として労働者の自由であるが、争議行為の手段として使うことには制約がある。

(2)つまり、所属する職場の「事業の正常な運営」を害する目的で取る年休は、会社の業務が正常に行われることを前提に賃金を得て休むという年休制度の趣旨に反するので、成立しない。

(3)ただし、所属の職場での活動に参加するための年休の時季指定でも、年休を取った労働者の担当業務などから考えて、事業の正常な運営を害さない年休の時季指定は適法とされうる。

(4)特定の業務を拒否するための年休の時季指定は違法である。

(5)会社や上司が、労働者・部下の年休取得を妨げたり取り下げさせる行為・発言を行うことは、損害賠償責任(慰謝料)を生じさせる。

2 モデル裁判例
道立夕張南高校事件 最一小判昭61.12.18 労判487-14

(1)事件のあらまし
北海道教職員組合Aの組合員である第一審原告高校教諭Xらは、総評が春闘などに伴って全国行動を行うのにあわせて、Aが企画した集会などに参加することにした。Aは、組合員の3割を動員して集会などに参加させることとし、参加する組合員には所定の様式に従った休暇届を提出するよう指示した。しかし、年休の時季変更が適法になされた場合にも、各職場の組合員の3割の者が、敢えて職場を離れて集会に参加することを指示したものではなかった。XらはAの指示に従い、集会のある日の午後1時以降半日について年休の時季を指定し、当日午後に担当する予定の授業について、あらかじめ授業の振替、自習課題の配布および指導を他の教諭に依頼するなどの手当をした上で集会に参加した。

所属高校の校長Bは、Xらの年休を認めず、年休の時季指定に対して時季変更をしたが、Xらは集会当日の午後、Bの時季変更にもかかわらず職場を離脱した。そのため、第一審被告の北海道教育委員会Yは、Xらを戒告処分(将来を戒めるために行う注意)にした。

Xらは、戒告処分の取消を求めて訴えを起こした。一審二審ともBの時季変更は不適法で、年休は有効に成立しているから、YのXらに対する戒告処分はいずれも違法であるとして、Xらの請求を認めた。そこで、Yが上告したのがこの裁判例である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

教育委員会が行った教諭らへの戒告処分を無効とした。

Aの指示は、適法な時季変更があった場合にこれを無視して集会に参加することまでを指示したものではなかった。また、Xらの年休取得は、各職場の事業の正常な運営を害する目的であったとはいえない。従って、XらがAの指示に従って集会に参加するために年休の時季指定をして職務に就かなかったことを、年休と称したストライキとは言えない。また、労基法39条5項但書の「事業の正常な運営を妨げる」事情が認められないことから、集会当日の午後半日について行った年休の時季指定に対する校長の時季変更は適法ではなかった。そうであれば、その半日についてXらの年休は成立し、働く義務はなかったことになる。従って、Xらが就労しなかったことは、地方公務員法に違反せず、戒告処分はその前提を欠いて違法である。

3 解説
(1)ストライキを目的とした年休の取得
最高裁判所は、年休の利用目的について労基法は関知しないので、年休をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由であると述べている(年休自由利用の原則)。その上で、労働者が所属する職場で、そこの業務の正常な運営の阻害を目的として一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱することは、実質的に年休という名目のストライキであり、本来の年休権の行使ではないので、これに対する使用者の時季変更権の行使もありえず、一斉休暇の名の下にストライキをした労働者全員の賃金請求権が発生しない、と述べている(林野庁白石営林署事件 最二小判昭48.3.2 民集27-2-191)。つまり、最高裁判所は、年休の利用の仕方は労働者の自由であることを前提に、労働者が所属する職場の事業の正常な運営を害する目的で取る年休は、年休を取る前提を欠くために成立しない、と述べている。モデル裁判例では、この最高裁判決に従って、所属職場以外の職場で行われる組合活動への参加を目的とした年休取得を適法なものとし、これに対する使用者の時季変更権の行使を適法ではないとした。その後も、成田空港闘争への参加を目的とする年休取得に対する時季変更権の行使は適法ではないとしている(電電公社近畿電通局事件 最一小判昭62.7.2 労判504-10)。

(2)所属の職場でのストライキを目的とした年休の取得ではない場合
では、年休を申請して認められたが、その後、偶然にも、所属の職場でストライキが行われ、年休を取っていた労働者がそのストライキに参加した場合はどうなるだろうか。最高裁判所は、おおよそ次のように述べて、年休は成立しないと判断した。労働者が、たまたま先に取得した年休を会社が認めているのをいいことに、年休をそのまま取得し続け、所属する職場の正常な業務の運営を阻害する目的をもってストライキに参加したことは、業務を運営するための正常な勤務体制が整っていることを前提に休むことを認める、という年休の趣旨に反する(国鉄津田沼電車区事件 最三小判平3.11.19 民集45-8-1236)。

しかし、最高裁判所は一方で、年休を取得して、所属の職場で時限ストと並行して行われた職場集会に参加し、司会・演説した労働者らについて、担当業務の点で事業の正常な運営を妨げておらず、また、勤務時間外になされた行為であることなどを理由に、正当な年休取得ではないとの会社側の主張を認めていない(国鉄直方自動車営業所事件 最二小判平8.9.13 労判702-23)。

(3)特定業務を拒否するための年休取得
ストライキ以外でも、利用目的によっては年休の取得が違法とされる場合がある。ある事件では、タクシー会社の運転手が、深夜乗務を拒否するために取った年休について判断された。裁判所は、深夜乗務は、深夜のタクシー不足解消や労働時間の短縮という社会的・政策的要請を理由とするものであり、深夜乗務を行う必要性は高いので、深夜乗務を拒否するための年休の時季指定は、権利の濫用(民法1条3項)として無効である、と判断している(日本交通事件 東京高判平11.4.20 判時1682-135)。

年休時季の指定は年休権を実現するために行うものであるから、事後的に権利の濫用という考え方を用いて、結果的に年休を取得させないのと同じ効用(法律的には無効)をもたらすことができる。しかし、会社としては、「事業の正常な運営を妨げる」と考える理由があれば、年休を指定された時季を変更できる(時季変更権。労基法39条5項)。紛争の効率的・経済的解決を目指すなら、時季変更権の行使によって対処するのが妥当である。

(4)年休取得を妨げる行為
使用者は、労基法の規定に基づいて労働者に発生した年休権の行使を妨害してはならない義務を労働契約上負っている(甲商事事件 東京地判平27.2.18 労経速2245-3)。したがって、取得可能な年休日数を限定したり、取得理由を冠婚葬祭や病気休暇に限定することは、労基法上認められている年休取得を委縮させるものであり、労働契約上の債務不履行に当たる(前掲甲商事事件:慰謝料50万円を認容)。

また、管理職である上司が、部下である労働者の適法な年休取得申請を望ましくないものとして取り下げさせる行為およびその旨の発言を行うことは、権利侵害の不法行為として違法となる(日能研関西ほか事件 平24.4.6 労判1055-28:慰謝料60万円を認容)。

なお、休日出勤をしたが代休を取得していない労働者らに対して、年休取得ではなく累積した代休を消化する運用を行っている場合、使用者には労働者の年休取得を妨害する意図はなかったものの、年休取得を制限することになりかねず、労基法39条の趣旨との関係で相当性を欠く運用とされる(住之江A病院(退職金)事件 大阪地判平20.3.6 労判968-105)。

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(44)【年次有給休暇】年休取得時季の変更と会社の配慮 5.労働条件
1 ポイント
(1)年休を取った日をどのように使うかは原則として労働者の自由であり、会社は、年休取得日の使い途を理由に年休取得時季を変更できない。

(2)労働者の年休の時季指定に対して、会社は、「事業の正常な運営を妨げる場合」に限って年休の取得時季を変更できる。事業の正常な運営を妨げる場合とは、年休を取る日の仕事が、労働者の担当している業務や所属する部・課・係など、一定範囲の業務運営に不可欠であり、代わりの労働者を確保することが困難な状態を指す。

(3)しかし会社は、その前に、労働者が指定した時季に年休が取れるように、勤務予定を変更したり、代わりに勤務する者を確保したりするなどの、「配慮」をすることが求められる。このような努力をしないで年休取得時季を変更することは認められない。

(4)年休取得時季の変更は、事業の正常な運営を妨げる客観的な理由があり、速やかになされたのであれば、年休開始後または終了後でも可能だが、合理的期間内になされる必要がある。

(5)年休取得時季の適法な変更がなされた場合、労働者は当初年休取得を申請した日に働く義務がある。しかし、不適法な変更がなされた場合、会社には損害賠償責任が生じることがある。

2 モデル裁判例
弘前電報電話局事件 最二小判昭62.7.10 民集41-5-1229

(1)事件のあらまし
第一審原告の労働者Xは、所属部課で最低人員配置が2名とされていた(勤務割)日曜日の勤務について年休の時季指定をした。これに対しXの上司である課長Aは、労働者の日頃の言動などから、Xは年休の時季指定をした日に成田空港反対現地集会に参加して違法な行為を行う可能性があると考えた。そこでXの年休取得を阻止しようと、Xに代わって勤務を申し出ていたBを説得して申し出を撤回させた。その上で、年休の時季指定日にXが出勤しなければ最低配置人員を欠くことになるとして年休取得の時季を変更した。しかし、Xは出勤せず、違法行為には及ばなかったものの集会に参加した。そのため、Xの使用者である第一審被告YはXを戒告処分(将来を戒めて注意すること)にし、出勤しなかった日の賃金を差し引いた。これに対しXは、時季変更の違法性を争い、差し引かれた賃金の支払いと戒告処分の無効確認などを求めて訴えを起こした。一審はAの時季変更を違法としたが、二審は違法ではないとした。そこで、Xが上告したのがこの事件である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

勤務割に従った勤務体制が取られている職場では、会社として通常の配慮をすれば勤務割を変更して代わりの者を配置できる客観的な状況があるにもかかわらず会社が労働者に年休を取得させるために配慮をしないことで代わりの者が配置されないときは、必要人員を欠くとして事業の正常な運営を妨げるとは言えない。また、労基法は年休の利用目的について関知していない。だから、勤務割を変更して代わりの者を配置するのが可能であるにもかかわらず、年休の利用目的によって年休を取得させるための配慮をせずに時季変更することは、利用目的を考慮して年休を与えないのと同じであって認められない。したがって、この事件における時季変更は、事業の正常な運営を妨げる場合に当たらないので違法である。

3 解説
労働者の年休の時季指定に対し、会社は事業の正常な運営を妨げる場合に限って年休の取得時季を変更できる。しかし会社はその前に、労働者の指定した時季に年休が取れるように配慮することが求められる。

(1)事業の正常な運営を妨げる場合
事業の正常な運営を妨げる場合とは、労働者が年休を取得しようとする日の仕事が、担当業務や所属部・課・係など一定範囲の業務運営に不可欠で、代替者を確保することが困難な状態を指す(新潟鉄道郵便局事件 最二小判昭60.3.11 労判452-13など)。

結果的に事業の正常な運営が確保されても、業務運営の定員が決められていることなどから、事前の判断で事業の正常な運営が妨げられると考えられる場合、会社は年休取得時季を変更できる(電電公社此花電報電話局事件 最一小判昭57.3.18 民集36-3-366)。この点、業務に具体的支障の生ずるおそれが客観的に伺えることを要する(名古屋近鉄タクシー事件 名古屋地判平5.7.7 労判651-155)。

研修期間中の年休取得について、研修を欠席しても予定された知識や技能の修得に不足を生じさせないと認められない限り、会社は年休取得時季を変更できる(日本電信電話事件 最二小判平12.3.31 労判781-18)。

なお、慢性的な人手不足は、事業の正常な運営を妨げる場合に当たらない(西日本ジェイアールバス事件 名古屋高金沢支判平10.3.16 労判738-32)。

(2)年休取得時季の変更はいつまでなら許されるか
年休申請が年休開始時季に接近していて、会社に年休時季変更を事前に判断する余裕がなかった場合、客観的に年休時季を変更できる理由があり、速やかな変更がされたなら、年休開始後または年休期間終了後に年休時季を変更した場合であっても、適法とされる場合があり得る(前掲電電公社此花電報電話局事件)。もっとも、個別事例ごとに見て、合理的期間を過ぎた時機を逸した変更は認められない(休暇開始13日後の時季変更につき、ユアーズゼネラルサービス事件 大阪地判平9.11.5 労判744-73、組合大会地に赴いた後の時季変更につき、広島県ほか(教員・時季変更権)事件 広島高判平17.2.16 労判913-59)。

(3)会社が行う配慮の内容
勤務予定が勤務割により定められている職場では、代替勤務者を確保するなどして勤務割の変更を検討することが求められる(モデル裁判例。横手統制電話中継所事件 最三小判昭62.9.22 労判503-6)。個別具体的な判断に際しては、①勤務割変更の方法と頻度、②年休時季指定に対する会社の今までの対応、③年休申請者の作業内容や性質、④年休取得者の仕事をサポートする者の作業の繁閑からみて代替勤務が可能であったか、⑤年休の時季指定は会社が代替勤務者を確保できる時間的余裕のある時期になされたか、⑥週休制の運用がどのようになされてきたか、が考慮される(電電公社関東電気通信局事件 最三小判平元.7.4 民集43-7-767)。代替勤務については、その可能性の高そうな者へ打診することで足りる(JR東日本〔高崎車両区・年休〕事件 東京高判平12.8.31 労判795-28)。

(4)年休取得時季を適法または不適法に変更した結果
会社が適法な年休取得時季変更をした場合、労働者が指定した年休取得時季に労働者が働く義務はなくならず、出勤しなければ欠勤となるし、また、懲戒処分の対象とされる(時事通信社〈年休・懲戒解雇〉事件 最二小決平12.2.18 労判776-6)。なお、年休取得時季を変更しても、会社は労働者に別の時季を指定する義務を負わない(前掲JR東日本〔高崎車両区・年休〕事件)。

不適法な年休取得時季変更の場合、会社は損害賠償責任を負うことがある(慰謝料につき、前掲西日本ジェーアールバス事件、前掲広島県ほか(教員・時季変更権)事件、キャンセル料につき、全日本空輸事件 大阪地判平10.9.30 労判748-80)。

(5)長期の連続した年休時季指定への対処方法
最高裁判所は、①労働者の担当業務は専門性が高く、長期に代替者を確保することは相当困難である、②労働者は約1ヵ月の連続した時季指定を会社と十分な調整をせず行った、③上司は、代替者配置の余裕がなく業務に支障を来すとして、2週間ずつ2回に分けて休暇を取って欲しいと告げた上で、後半の2週間についてのみ時季変更している、といった事情から、会社は労働者に対して相当の配慮をしており、年休取得時季の変更は労基法39条の趣旨に反する不合理なものとはいえない、としている(時事通信社事件 最三小判平4.6.23 民集46-4-306)。長期の連続した年休取得には、事前の十分な調整が必要である。

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(45)【年次有給休暇】年休の取得と不利益な取扱い 5.労働条件
1 ポイント
年休取得に対する不利益な取扱いは、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、年休取得に対する事実上の抑止力の強弱などを考慮して、年休権の行使を抑制し、労基法が労働者に年休を保障した趣旨を実質的に失わせる場合には、違法となる。

2 モデル裁判例
沼津交通事件 最一小判平5.6.25 民集47-6-4585

(1)事件のあらまし
被告Yタクシー会社では、昭和40年頃から、乗務員の出勤率を高めるため、ほぼ月ごとの勤務予定表どおり出勤した者に対して、報奨として皆勤手当を支給していた。Y社は、社内のA組合との間で締結された昭和63年度および平成元年度の労働協約において、勤務予定表に定められた労働日数および労働時間を勤務した乗務員に対し、昭和63年度は1か月3,100円、平成元年度は1か月4,100円の皆勤手当を支給するが、年休を含む欠勤の場合、欠勤1日のときは、昭和63年度は1か月1,550円、平成元年度は1か月2,050円を皆勤手当から控除し、欠勤が2日以上のときは皆勤手当を支給しないことにした。原告労働者Xの昭和63年5月、8月、平成元年2月、4月、10月における現実の給与支給月額は、年休取得によって皆勤手当が控除された結果、22万円余ないし25万円余であり、皆勤手当額の現実の給与支給月額に対する割合は、最大でも1.85%に過ぎなかった。XはY社に対して、不支給分の皆勤手当の支払いを求めて提訴し、一審はX勝訴としたが、二審はY社勝訴としたため、Xが上告した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

労基法136条それ自体は会社側の努力義務を定めたものであって、労働者の年休取得を理由とする不利益取扱いの私法上(市民一般の関係を規律する法分野:筆者注)の効果を否定するまでの効力(無効にする意義:筆者注)を持つとは解釈されない。また、先のような措置は、年休を保障した労基法39条の精神に沿わない面を有することは否定できないが、労基法136条の効力については、ある措置の趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、年休の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、年休を取得する権利の行使を抑制し、労基法が労働者に年休権を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるものでない限り、公序に反して無効(民法90条)とはならない。

Y社は、タクシー業者の経営は運賃収入に依存しているため自動車を効率的に運行させる必要性が大きく、当番表が作成された後に乗務員が年休を取得した場合には代替要員の手配が困難となり、自動車の実働率が低下するという事態が生ずることから、このような形で年休を取得することを避ける配慮をした乗務員については皆勤手当を支給することにしたと考えられる。したがって、そのような措置は、年休の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものではないと考えるのが妥当であり、また、乗務員が年休を取得したことにより控除される皆勤手当の額が相対的に大きいものではないことなどから、この措置が乗務員の年休の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかった。

したがって、Y社における年休の取得を理由に皆勤手当を控除する措置は、公序に反する無効なものとまではいえない。

3 解説
年休権をはじめ、法律で労働者に認められた権利の行使を抑制したり、権利保障の意義を実質的に失わせる定めや措置は違法・無効である。もっとも、年休取得を抑制したり、保障された年休権を実質的に失わせるかどうかは、個別具体的事実により異なる。なお、モデル裁判例の考え方については、年休権の保障と相容れないなどとして、学説から強く批判されていることに留意する必要がある。

(1)二つの最高裁判決
日本シェーリング事件(最一小判平元.12.14 民集43-12-1895)では、賃上げ条件としての稼働率(80%)算定の基礎となる不就労に年休が含まれており(他には、欠勤、遅刻、早退、生理休暇、慶弔休暇、産前産後休業、育児時間、労働災害による休業等、ストライキ等組合活動によるもの)、この取扱いの違法性が争われた。原告労働者らは、数年間にわたる各年の賃上げに際し、それぞれ前年の稼働率が80%以下であるとして賃上げ対象者から除外され、各年の賃金引き上げ相当額およびそれに対応する夏季冬季一時金、退職金が支払われなかったため、被告会社に対して、賃金引上げ相当額等と損害賠償の支払いを求めて提訴した。最高裁判所は次のように判断した。労基法または労組法上の権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎としていることは問題である。なぜなら、労基法または労組法の権利を行使したことによって、労働者が(賃金など)経済的利益を得られないとすることは、法律に定められた権利の行使を抑制し、さらに、法律が労働者に保障した権利の趣旨を実質的に失わせてしまうからである。したがって、法律で定められた権利の行使によって就労しなかったことを稼働率算定の基礎とする定めは違法である。

エス・ウント・エー事件(最三小判平4.2.18 労判609-12)では、年休取得日を欠勤として取り扱うことの違法性が争われた。被告会社は、就業規則の改正によって、週休日以外の祝日・土曜日・年末・年始の休日を、労働義務があるが欠勤して差し支えない日として、これらを年休権成立の全労働日の8割以上の出勤の計算に当たって、年休取得の判断基準となる全労働日に含ませた。そして、年休権を行使した労働者の出勤率は8割以下で、年休権は成立していないとして、この労働者を欠勤として取扱い、欠勤日数にカウントした上で、賃金と賞与を減額した。最高裁判所は、年休を取得した日が属している期間に対応する賞与計算の中で、年休を取得した日を欠勤として扱うことはできないと述べて、就業規則の定めと労働者の取扱いを違法とした。

(2)地方裁判所判決の動向
地方裁判所判決は、モデル裁判例のように、不利益の程度を軽微と判断したことなどから、不利益取扱いに当たらないとしている。

錦タクシー事件(大阪地判平8.9.27 労判717-95)では、賞与算定の日数割の基礎となる乗務日数に年休取得日数等を含めない取扱いの違法性が争われた。裁判所は、賞与対象期間に上限日数の20日の年休を取得してもそれだけでは減額とはならないこと、賞与算定の根拠は長年にわたる労使合意に基づく協定にあり、これまで組合側から何ら異議が述べられていないこと、タクシー会社では賞与の支給に当たって売上歩合制を採用しているところが少なくないことなどから、違法ではないとした。

練馬交通事件(東京地判平16.12.27 労判888-5)では、会社が、年休取得日を欠勤として取扱い、月に2乗務分に年休を取得した場合には、皆勤手当(5,500円)及び安全服務手当(9,000円)の双方を不支給としたことの違法性が争われた。裁判所は、先の手当の不支給は完全乗務を奨励する目的によるもので、年休権行使を一般的に抑制しようとしているのではないこと、減額幅は月給額の1.99%から7.25%だが、減額分の割合は乗務員の営業収入に応じて異なり、手当の減額が年休権行使の抑制に結びつくほどの著しい不利益を課すものではないこと、年休取得申請がなされた場合、代替乗務者確保が困難であっても、会社は申請どおりに年休取得を認めていたことなどから、違法ではないとした。

大国自動車交通事件(東京地判平17.9.26 労判902-161)では、年休取得期間中の賃金(歩合給・賞与)の算定方法について争われた。裁判所は、年休を取っても固定給は減額されないこと、法令(労基法39条7項、労基則25条)が定める方法で算定した額を上回っていること、労使合意に基づく労働協約に則って運用されており、組合から異議は申し出られていないこと、年休消化率が高いこと、タクシー会社の収益は乗務員の営業収入に依存しているという業務の特殊性および営業収入に対する貢献度に応じて賞与額を決定するなど経営上の必要性があり、違法ではないと判断し、労基法136条及び民法90条に違反する不利益な取扱いではないとしている。

このように、年休取得と不利益取扱いの問題では、一定の稼働率を維持すべく事前に勤務割が作成されるタクシー会社の事例が多くみられる。近時も、宮城交通事件(東京地判平27.9.8 労経速2263-21)で、裁判所は、有給取得日を欠勤日と同列に扱い賃金を控除する就業規則の定めについて、上記先行事例と同様の理由に基づき、労基法136条および公序違反とはいえないと判断している。

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(46)業務命令権 6.人事
1 ポイント
(1)就業規則などに基づき行われる教育訓練の時期、内容、方法は、原則として使用者の裁量的判断にゆだねられるが、実施した教育訓練が、労働契約の内容および教育訓練の目的などに照らして不合理な場合、または労働者の人格権を不当に侵害する態様で行われた場合には、かかる訓練は、裁量権の逸脱・濫用として違法となる。

(2)教育訓練に関する裁量の逸脱、濫用の有無は、当該教育訓練に至った経緯、動機、目的の客観的正当性、目的達成のために採った手段の相当性(目的と手段の均衡)などの事情を考慮して判断される。

2 モデル裁判例
JR東日本(本荘保線区)事件 最二小判平8.2.23 労判690-12

(1)事件のあらまし
鉄道事業等を営むY1に勤めるXは、昭和63年5月、バックルに労働組合のマークが入ったベルトを着けて駅構内で作業をしていたところ、上司であるY2(控訴人・上告人)に、ベルトを外すように指示された。翌日、Y2は、Xに対して、「教育訓練」として、就業規則全文の書き写しと、感想文の作成、書き写した就業規則の読み上げを、朝の体操終了後から午後4時30分まで、Y2の前に着席して行うように命じた。当該訓練中、Y2は、Xに対して、ほとんど休憩を与えなかった。

Xは、訓練2日目の朝に体調不良を理由として年休の取得を申し出たが、会社はこれを認めず、朝から前日と同じ内容の訓練をするように命じた。Xは、午前中に2度腹痛を訴え、Y2に病院に行かせてくれるように申し出て、午前11時30分頃に作業から解放された。Xは、その後、病院で胃潰瘍の悪化と診断され、翌日から1週間入院した。

Xは、Y2による教育訓練の実施が、業務命令の裁量を逸脱したものであったとして、Y1とY2に対して不法行為に基づく損害賠償を求める訴訟を提起した。原審は、本件教育訓練の違法性を認め、Yらに連帯して慰謝料20万円等の支払いを命じたが、Yらは、これを不服として上告した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし是認でき、その過程に所論の違法はない。(以下、原審の判決(仙台高判平4.12.25 労判690-13)を紹介する。)

会社は、就業規則に基づき労働者に教育訓練を命じ得るが、教育訓練の実施時期、内容、方法は、労働契約の内容および教育訓練の目的などに照らして不合理なものであってはならず、また、労働者の人格権を不当に侵害する態様で行うことは許されない。

本件において教育訓練として行われた就業規則の全文書き写し等は、合理的な教育的意義を認めがたいものであり、見せしめを兼ねた懲罰的目的でなされたものと推認せざるを得ず、具体的態様も不当なものであって、Xに故なく肉体的精神的苦痛を与えてその人格権を侵害するものであったといえる。本件教育訓練は、会社の裁量を逸脱、濫用した違法なもので、不法行為を構成することは明らかである。Y2は民法709条により、またY1は民法715条により、Xの被った損害を賠償する義務がある。

3 解説
(1)業務命令権の範囲
労働者は、労働契約上、使用者の指揮命令を受けて労働を提供する義務を負っている。使用者の有する業務命令権(指揮命令権)は、労務の提供に直接関係する事項に留まらず、業務の遂行にかかわる事項全体に広く及ぶ(業務命令のうち健康診断受診命令に関わる問題については、(66)【安全衛生・心身の健康】参照)。

業務命令権の根拠は、労働契約(就業規則の合理的な規定や労働協約の定めを含む)にあるため、使用者の発した命令が、労働契約において労働者と使用者が合意した権限の範囲を超えている場合には、労働者はこれに従う義務はない。また、労働契約の範囲内で発せられた業務命令であったとしても、その命令が強行法規に反する場合や権利濫用と解される場合には、当該命令は違法でありその効力を有しない。

(2)業務命令権の濫用が争われた裁判例
(1)でみたように、使用者は、契約上の根拠に基づき、業務遂行に関わる広範な事項について業務命令を発することができる。ただし、業務命令は、業務の遂行に必要かつ相当な範囲で発せられるべきものであるから、その目的が嫌がらせや、みせしめといった不当なものと解される場合、または、労働者の心身に不当な苦痛を与えるものと認められる場合には、業務命令権の濫用となり違法・無効となる。以下、業務命令権の違法性が問題となったものを、類型別に整理して紹介する。

1)本来業務以外の作業を命じるもの
国鉄鹿児島自動車営業所事件(最三小判平5.6.11 労判632-10)は、組合バッジの取り外し命令に従わなかった労働者に対して、業務命令として営業所内の火山灰の除去作業を命じることの違法性が問題となったものである。最高裁は、降灰除去作業は、職場環境の整備や労務の円滑化・効率化を図るために必要な作業であり、また、命じられた作業の内容は社会通念上相当な程度を超える過酷なものともいえないとし、さらに、当該作業命令の目的についても、労働者に殊更不利益を課するものとは認められないとして、当該業務命令を適法と判断した。

JR西日本(森ノ宮電車区・日勤教育等)事件(大阪高判平21.5.28 労判987-5)は、日常業務において幾つかミスをした労働者に対して日勤教育が命じられたが、日勤教育を行うに際して予め達成目標等が提示されず、結果として73日間という長期にわたって指導が行われ、その間乗務手当(月額約10万円)が支給されなかったという事件である。裁判所は、日勤教育自体は違法ではないが、本件で行われた教育は、天井清掃や除草作業といった教育とは関係の薄い作業も含まれており、いたずらに長期間労働者を賃金上不利益でかつ不安定な地位におくものであって、必要かつ相当なものとはいえないとし、当該命令を違法と判断した。

2)生命・身体に危険が及ぶ可能性があるもの
日本電信電話公社事件(千代田丸事件)(最三小判昭43.12.24 民集22-13-3050)では、危険な地域への出航命令を労働者が拒否できるかが問題となった事件である。この事件では、朝鮮海峡にある海底線の修理のために布設船(千代田丸)が出航することとなったが、当時この海域は軍事的緊張下にあったため、通常予想される以上の危険が想定された。乗組員は、危険地域における労働条件について使用者と組合との間で話がまとまるまでは乗船できないとして、当該出航命令を拒否した。最高裁は、本件では当時、労使双方が万全の配慮をしたとしてもなお避け難い軍事上の危険があったことが認められ、かつその危険は、乗組員の本来予想すべき海上作業に伴う危険の類いではなかったといえるから、乗組員は、その危険の度合いが必ずしも大きいとはいえなくとも、その意に反して労務提供を強制されるものではないと判断した。

3)労働者の身だしなみに関するもの
接客機会の多い職場では、労働者の服装、髪型、ひげ等に関する社内規定があり、その遵守の徹底が求められるが、一方で、労働者の外観のありように対する指導がいき過ぎると、個人の自己決定権などを侵害するおそれがある。この点、裁判所は、髪型やひげの形状に関する業務命令は、労務提供義務の履行にとって必要かつ合理的な範囲に留められるべきとの解釈を採り、労働者の服装等に対する制約に慎重な立場をとっている。たとえば、イースタン・エアポートモータース事件(東京地判昭55.12.15 労判354-46)では、鼻下にヒゲをたくわえたハイヤー運転手に対して、内規に基づきヒゲを剃るようにとの業務命令が発せられたが、裁判所は、内規の「ヒゲを剃ること」という規定の趣旨は、「無精ひげ」や「異様、奇異なひげ」を剃ることを意味すると解されるべきで、当該労働者のヒゲはそのようなものではないとし、労働者に、本件業務命令に従うべき契約上の義務はないと判断した。また、東谷山家事件(福岡地小倉支判平9.12.25 労判732-53)では、髪を茶色にしたトラック運転手が、上司から髪の色を元に戻すように命令されたがこれを拒否し解雇された。裁判所は、労働者が当初は金に近い茶色であった色を、白髪染めで染め直して茶色にしたにもかかわらず、会社はこれを自然な黒色に戻すように執拗に指示して、これに従わない抵抗した労働者を解雇したものであって、それまでの事実経過に照らしても、就業規則所定の解雇事由に該当するまでの非違行為があったとは言えないとし、解雇無効と判断している。

S社(性同一性障害者解雇)事件(東京地決平14.6.20 労判830-13)では、性同一性障害の診断を受けていた労働者が、女装して勤務するようになったため、会社が女性の容姿をして就労することを禁止する服務命令を発した。しかし、労働者がこれに従わなかったため自宅待機を命じ、最終的に懲戒解雇した。裁判所は、本件命令は、社内外への影響や当面の混乱を憂慮してなされたもので一応理由が認められるが、一方で、労働者が女装に配慮を求めたことにも相応の理由があり、また、女装での勤務によって企業秩序や業務遂行に著しい支障が生じたとも認められないとして、懲戒解雇を無効と判断している。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 6.人事 > (47)【人事制度】昇格・昇進

(47)【人事制度】昇格・昇進 6.人事
1 ポイント
(1)職能資格制度では、労働者の職務遂行能力によって職能資格の格付けがなされ、その職能資格を持った労働者の中から、当該資格に対応する役職につく者が選抜される。職能資格制度において資格が上昇することを昇格、職位が上昇することを昇進という。

(2)昇格・昇進の前提となる人事考課・査定においては、差別禁止等の強行法規違反の場合を除き、使用者の裁量権が広範に肯定される傾向にある。

(3)昇格・昇進は企業の経営判断と結びつくため、違法とされても司法救済は損害賠償に限定されるのが原則である。ただし、就業規則の規定や労使慣行によって、一定の要件を満たせば当然に昇格する取扱いがなされていた場合には、労働者に労働契約上昇格請求権が認められる。

(4)不当労働行為にあたる昇格差別(組合員差別)の場合には、労働委員会が救済命令によってあるべき昇格を命じ、差別の是正を図ることが可能である。

2 モデル裁判例
光洋精工事件 大阪高判平9.11.25 労判729-39

(1)事件のあらまし
株式会社Yでは職能資格制度に基づく賃金処遇が行われていたが、Xは、Yが人事考課を行うに当たり、裁量権を逸脱・濫用し、その結果賃金および退職金が同僚に比して不当に低く抑えられたと主張し、Yの不法行為を理由とする差額賃金相当額、慰謝料等の損害賠償請求を行った。

原審(大阪地判平9.4.25 労判729-40)は、Yの職能資格制度が同等の勤続年数の従業員間に等級の差が出ることを予定しており、YがXに対し殊更不利な人事考課をすべき動機が見当たらないこと、Xが他の退職者の平均勤続年数より約9年短いにもかかわらず、Xより勤続年数の長い従業員が多数、Xと同じ級に格付けされていること、Xには協調性、積極性等に問題があったことを認定したうえ、Yの人事考課に裁量権の逸脱・濫用があったとは認められないとして請求を棄却した。そこでXが控訴。

(2)判決要旨
労働者側敗訴

「人事考課は、労働者の保有する労働能力(個々の業務に関する知識、技能、経験)、実際の業務の成績(仕事の正確さ、達成度)、その他の多種の要素を総合判断するもので、その評価も一義的に定量判断が可能なわけではないため、裁量が大きく働くものであり、組合間差別の不当労働行為のように大量観察を行うことにより有意の較差が存在することによって人事考課に違法な点があることを推認できる場合は別として、個々の労働者についてこれを適確に立証するのは著しく困難な面がある」。

「人事考課をするに当たり、評価の前提となった事実について誤認があるとか、動機において不当なものがあったとか、重要視すべき事項を殊更に無視し、それほど重要でもない事項を強調するとか等により、評価が合理性を欠き、社会通念上著しく妥当を欠くと認められない限り、これを違法とすることはできないというべきであるが、本件においては、各証拠によるもこれらの事情が存在したと認めることはできない」。

3 解説
(1)人事制度・人事考課
日本では伝統的に、労働者の職務遂行能力によって職能資格の格付けをし、その職能資格を持った労働者の中から、当該資格に対応する役職につく者が選抜されるという職能資格制度が採られてきた。同制度における職能資格や役職の位置づけは、使用者の人事考課(査定)に基づいて行われるが、人事考課のあり方は、均等待遇(労基法3条)や男女同一賃金(同4条)等の強行法規違反の場合を除き、使用者に広範な裁量が認められている。使用者が人事考課を恣意的に行い、裁量権を逸脱または甚だしく濫用したという場合でなければ、その違法性は否定される傾向にある(安田信託銀行事件 東京地判昭60.3.14 労判451-27、ソニー、ソニーコンピュータサイエンス研究所事件 東京地判平15.11.17 労経速1859-23など)。

モデル裁判例によると、例外的に人事考課が違法とされるのは、①評価の前提となった事実に誤認がある場合、②不当な動機・目的がある場合、③評価要素の比重が著しくバランスを欠く場合等、評価が合理性を欠き、社会通念上著しく妥当を欠く場合である。②の事例として、日本レストランシステム事件(大阪地判平21.10.8 労判999-69)では、嫌がらせ・見せしめの目的による人事考課が人事権の濫用として違法とされている。また、近時の裁判例においては、④就業規則における所定の評価要素以外の要素に基づいて評価した場合(住友生命保険(既婚女性差別)事件 大阪地判平13.6.27 労判809-5)や、⑤評価対象期間外の事実を考慮した場合(マナック事件 広島高判平13.5.23 労判811-21)に、人事考課の違法性が認められている。

(2)昇格・昇進に関する法規制・救済方法
職能資格制度において資格が上昇することを昇格(等級の上昇は昇級)、職位(役職)が上昇することを昇進という。

誰を昇進、昇格させるかは企業の経営判断であり、使用者の総合的裁量判断の性格を有していることから、裁判所があるべき昇進、昇格を命じることはできず、司法救済は原則として不法行為に基づく損害賠償請求に限られる(社会保険診療報酬支払基金事件 東京地判平2.7.4 労民集41-4-513、前掲日本レストランシステム事件)。このことが特に妥当するのは、企業経営の根幹に関わるため使用者の裁量を特に尊重すべき昇進の場面である。これに対し、昇格については、就業規則の規定や労使慣行によって一定の要件が満たされれば当然に資格・等級が引き上げられるという取扱いがなされていた場合には、労働契約上、労働者に昇格請求権が認められる。

男女差別による昇格差別について、①損害賠償請求が一部認容された例として、塩野義製薬事件(大阪地判平11.7.28 労判770-81 差額賃金相当額約2,500万円、慰謝料200万円)、②昇格請求が棄却され損害賠償のみ認容された例として、前掲社会保険診療報酬支払基金事件(差額賃金相当額が原告に応じて約9万~985万円、慰謝料が一人10万円)、シャープエレクトロニクスマーケティング事件(大阪地判平12.2.23 労判783-71 慰謝料500万円)、前掲日本レストランシステム事件(慰謝料200万円)がある。

芝信用金庫事件一審判決(東京地判平8.11.27 労判704-21)では、女性に対する昇格差別につき、就業規則や慣行上、勤続年数や試験への合格等の客観的要件の充足のみによって昇格が行われていたとして、昇格請求(課長職の職能資格の地位にあることの確認)および差額賃金請求の一部が認容された。その一方で、昇進請求(課長の職位にあることの確認)については、適材適所の配置を決める信金の専決事項であるとして棄却された。同控訴審(東京高判平12.12.22 労判796-5)では、昇格が職位の上昇と完全に分離され、賃金の増加と同様に観念しうるものとし、労働契約の本質および労基法13条の規定の類推適用により昇格請求および差額賃金等の一部が認容された(昇進請求については原告が争わず)。

なお、組合員差別の不当労働行為申立事案では、専門的な行政機関である労働委員会に救済内容につき広範な裁量権が肯定されており、あるべき昇格を命じ、差別の是正を図ることも可能である。労働委員会が昇格差別につき不当労働行為の成立を認めて差額支給を命じた例として、東京地労委(国民生活金融公庫)事件(東京地判平12.2.2 労判783-116)、中労委(オリエンタルモーター)事件(東京高判平15.12.17 労判868-20)がある。

もっとも、昇進については高度の経営判断であるため、労働委員会であっても、特定管理職への昇進を命じることは控えるべきとされている。昇進差別について、労働委員会による上位職制への格付けの救済命令が、使用者の人事権を不当に制約するものとして取消訴訟で取り消された例として、男鹿市農協事件(仙台高秋田支判平3.11.20 労判603-34)、中労委(朝日火災海上保険)事件(東京高判平15.9.30 労判862-41)がある。

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(48)【人事制度】降格(職位の引下げ) 6.人事
1 ポイント
(1)降格とは、職位(役職)または職能資格を低下させることをいう。降格には人事権行使としての降格と懲戒処分としての降格があり、後者は懲戒処分としての規制に服する。

(2)人事権行使としての職位の引下げは、就業規則等に明確な根拠規定がなくともなしうるが、労働契約上職位が限定されている場合には、それを下回る降格を一方的に行うことはできない。

(3)職位の引下げが労働契約上許容される範囲内のものであるとしても、その降格が使用者に付与された裁量権の範囲を逸脱し、社会通念上著しく妥当性を欠く場合には、権利濫用として違法・無効となる。この場合の権利濫用の成否は、使用者側における業務上の必要性、労働者側における能力・適性の欠如等の帰責性、労働者の被る不利益等を総合考慮して判断される。

2 モデル裁判例
バンク・オブ・アメリカ・イリノイ事件 東京地判平7.12.4 労判685-17

(1)事件のあらまし
Y銀行は、経営の悪化を受けて業務の統合、単純化・合理化が急務となり、余剰人員をより生産性の高い部門で再活用する方針を打ち出した。この過程で管理職の職務も見直され、Xは課長職からオペレーションズテクニシャン(課長補佐職相当)に降格され(本件降格)、役職手当が月額5,000円減額となった。そして、本件降格後、Xは預送金課で手形取立・送金等の業務に従事し、その後輸出入課、総務課(受付)に配転となった。

Xは、本件降格は人事権を濫用するもので違法であるとして、Yの不法行為に基づく慰謝料請求を行った。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

「使用者が有する採用、配置、人事考課、異動、昇格、降格、解雇等の人事権の行使は、雇用契約にその根拠を有し、労働者を企業組織の中でどのように活用・統制していくかという使用者に委ねられた経営上の裁量判断に属する事柄であり、人事権の行使は、これが社会通念上著しく妥当を欠き、権利の濫用に当たると認められる場合でない限り、違法とはならないものと解すべきである。しかし、この人事権の行使は、労働者の人格権を侵害する等の違法・不当な目的・態様をもってなされてはならないことはいうまでもなく、経営者に委ねられた右裁量判断を逸脱するものであるかどうかについては、使用者側における業務上・組織上の必要性の有無・程度、労働者がその職務・地位にふさわしい能力・適性を有するかどうか、労働者の受ける不利益の性質・程度等の諸点が考慮されるべきである」。

本件では、①経営方針に積極的に協力しない管理職を降格する業務上・組織上の高度の必要性があったこと、②月額5,000円の役職手当の減額は人事管理業務を遂行しなくなることに伴うものであること、③降格された管理職らはいずれも銀行の措置はやむを得ないものと受け止めていたこと等を前提とすれば、本件降格はYに委ねられた裁量権を逸脱した濫用的なものとは認められず、違法でない(ただし、本件降格後の総務課への配転は違法とされ、慰謝料100万円が認められた)。

3 解説
(1)降格の意義・態様
労働者の職位(役職)または職能資格を低下させることを降格という。降格には人事権の行使としての降格と懲戒処分としての降格があり、後者は懲戒処分としての制約(後掲(56)以下【服務規律・懲戒制度等】参照)に服する。

ある降格が懲戒処分としての降格と人事権行使としての降格のいずれに当たるかは、降格の形式や内容、その意思表示に至る経緯・手続等に照らして客観的に判断される。裁判例では、就業規則に懲戒処分としての降格が規定されておらず、当該労働者に対して格別制裁として降格を行う旨の表示も存しないとして、管理職不適と判断して人事権に基づき降格したものと評価されたものがある(医療法人財団東京厚生会(大森記念病院)事件 東京地判平9.11.18 労判728-36)。

(2)人事権の行使としての職位の引下げ
人事権の行使としての降格のうち、一定の職位(役職)を解く降格については、就業規則等に特別な根拠規定がなくとも、使用者の裁量的判断によって行うことができる(モデル裁判例のほか、エクイタブル生命保険事件 東京地決平4.4.27 労判565-79、上州屋事件 東京地判平11.10.29 労判774-12、アメリカン・スクール事件 東京地判平13.8.31 労判820-62等)。人事権とは、労働者を企業組織の中で位置づけ、その役割を定める権限であり、職業能力の発展において様々な職務やポストに配置していく長期雇用システムでは、労働契約上当然に使用者の権限として予定されていると解されるからである。

ただし、職位を限定する特約が存在する場合には、その範囲を超える降格は一方的になしえない。懲戒処分としての降格の事案であるが、倉田学園事件(高松高判平9.12.19 労民集48-5・6-660)では、私立高校で期間の定めのない契約で教諭として雇用されていた労働者を、雇用期間1年の非常勤講師に「降職」する処分は、労働契約の基本的内容を変更するもので、社会通念上労働契約の同一性を有すると解することはできないとして、無効とされている。

(3)権利濫用による制約
人事権の行使としての降格が労働契約上許容される範囲内のものであっても、その権利を濫用したものは無効となる(労契法3条5項)。職位の引下げとしての降格の権利濫用の判断は、業務上・組織上の必要性の有無・程度、能力・適性の欠如等の労働者側における帰責性の有無・程度、労働者の被る不利益の有無・程度等が総合的に考慮される(前掲医療法人財団東京厚生会事件、モデル裁判例)。

職位の引下げとしての降格は、労働者の適性や成績を評価して行われる労働力配置の問題であり、使用者の経営判断に属するため、権利濫用の判断は、職能資格の引下げとしての降格の場合(後掲(49)【人事制度】参照)よりも緩やかに行われる傾向にある。職位の引下げとしての降格について使用者の裁量権を尊重し、降格が有効とされた例として、職務不適格を理由とする部長職から一般職への降格(日本プラントメンテナンス協会事件 東京地判平15.6.30 労経速1852-18)、従業員に無料での賄いの飲食を指示したことを理由とするマネジャーB職から1段下の店長A職への降格(日本レストランシステム事件 大阪地判平16.1.23 労経速1870-3)などがある。

これに対し、権利濫用として無効とされた例としては、①降格理由の合理性や業務上の必要性が否定されたもの(明治ドレスナー・アセットマネジメント事件 東京地判平18.9.29 労判930-56〔退職勧奨を発端とする部長から係長への降格〕、大阪府板金工業組合事件 大阪地判平22.5.21 労判1015-48〔勤務中に私語や職場離脱が多いこと等を理由とする事務局長代理から経理主任への降格〕)、②労働者に多大な不利益を与えるとされたもの(前掲医療法人財団東京厚生会事件〔重要書類の紛失等を理由とする病院の婦長から平看護婦への降格〕、近鉄百貨店事件 大阪地判平11.9.20 労判778-73〔55歳到達による役職離脱後の、勤務成績不良を理由とする部長待遇職から課長待遇職への降格〕、ハネウェル・ターボチャージング・システムズ・ジャパン事件 東京高判平17.1.19 労判889-12〔職務不適格を理由とする営業担当取締役から最終的に現業職(一般職)への降格〕)などがある。

なお、職位の引下げによる役職手当の削減は、当該職位が解かれることの帰結であり、その減額幅は、基本給が削減される場合に比べて労働者の不利益性がそれほど大きくないと判断されることが多い(モデル裁判例参照)。

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(49)【人事制度】降格(職能資格の引下げ) 6.人事
1 ポイント
(1)職能資格制度における職能資格は通常基本給を決定する要素であり、人事権を行使して職能資格を引き下げる場合には、就業規則等の明確な根拠規定が必要である。

(2)職能資格の引下げとしての降格については、契約上の根拠規定が存在する場合も、その契約内容にそった措置であるか、権利濫用や強行法規違反にあたる事情がないかがさらに審査される。

(3)職務内容によって賃金処遇を行う職務等級制度において、人事上の措置として職務等級を引き下げる場合も、上記(1)(2)の要件を満たす必要がある。

2 モデル裁判例
アーク証券(本訴)事件 東京地判平12.1.31 労判785-45

(1)事件のあらまし
株式会社Yでは、就業規則上、給与体系として職能資格制度がとられており、同一の資格の中では学歴と標準年齢を基準として昇級させるとともに、職務遂行能力を評価して上位職級に昇格させるという運用を行ってきた。他方で、Yの就業規則においては、営業成績や勤務評価に基づく降格を予定した規定は存在せず、成績不良を理由とする降格の事例もなかった。しかし、Xらは成績不良等を理由として、数回にわたり、職能資格や号俸を引き下げられた。その後Yは就業規則を改正し、営業社員の職能資格上の降格および職能給・諸手当の引下げを可能とする旨の規定を新設し、Xらはこれに基づいてさらに職能資格を引き下げられた。この一連の職能資格、号俸の引き下げ(本件降格)により、Xらの月例給与額は3分の1程度となった。

Xらは、本件降格はいずれも法的根拠がなく無効であるとし、2回の賃金仮払いの申立てを行い、第一次仮処分決定(東京地決平8.12.11 労判711-57)および第二次仮処分決定(平10.7.17 労判749-49)で申立ての一部が認容された。本件はこの本案訴訟であり、Xらは労働契約上の差額賃金請求を行った。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Yは、就業規則の改正前に「他の企業で採られている一般的な職能資格制度を採っていたものであり、いったん備わっていると判断された職務遂行能力が、営業実績や勤務評価が低い場合にこれを備えないものとして降格されることは、(心身の障害等の特別の事情がある場合は別として)何ら予定されていなかった」。また、実際に行われた人事を見ても、Xらを降格する以前に、「病気で療養していた従業員につきその同意を得て給与を減額した等の例外的な場合を別とすれば、成績不振を理由に降格、職能給の減額、という措置が執られたことはなかった」。「したがって、旧就業規則の下での賃金制度が、毎年給与システムを作成する際、Yが、各社員について、人事考課、査定に基づき、降格又は職能給の号俸の引下げ若しくは手当の減額を許容するものであったということはでき」ない。

Yはその後就業規則を変更し、降格規定を導入したが、これによって長期的なサイクルの中で営業実績を上げれば昇格できるというそれまでの安定した地位を失い、かつ多数の労働者が降格や賃金減少の不利益を受けており、その程度もかなりのものである。Yの営業収益の減少から労働者全体の給与を削減する必要は否定できないが、代償措置その他関連する労働条件の改善措置はとられておらず、労使間の利害調整も不十分であることから、就業規則の不利益変更の合理性を肯定することはできない。

以上から、本件降格は、それを許容する就業規則の規定がなく、社員が自由な意思に基づいてそれによる賃金引下げに同意したともいえないため、無効である。

3 解説
(1)職能資格の引下げとしての降格
人事権の行使としての降格のうち、職位の引下げとしての降格については、就業規則に根拠規定がなくとも、使用者の裁量的判断によって行うことができると解されている(前掲(48)【人事制度】)。これに対し、職能資格の引下げとしての降格は、基本給の引下げを伴うのが通常であるため、より厳格な制約に服する。通常の職能資格制度では、資格・等級が企業組織内での技能・経験の積み重ねによる職務遂行能力の到達レベルを示すため、資格の引下げは本来予定されていない(モデル裁判例参照)。したがって、職能資格の引下げとしての降格は、労働者との合意によって契約内容を変更する場合以外は、就業規則等の明確な根拠規定が必要である(モデル裁判例、チェースマンハッタン銀行事件 東京地判平8.12.11 労判711-57)。モデル裁判例のように、就業規則上の労働条件を一方的に変更して降格がありうる旨の規定を設ける場合には、就業規則不利益変更法理に従い、変更の合理性の有無が審査される(労契法10条)。

なお、降格によって職位が引き下げられることで職能資格も引き下げられる場合も、職能資格の引下げによって基本給が引き下げられ、労働契約上の地位が変更される点で純粋な職能資格の引下げとしての降格と同様の効果を持つため、就業規則等による明確な根拠が必要である(小坂ふくし会事件 秋田地大館支判平12.7.18 労判796-74)。明治ドレスナー・アセットマネジメント事件(東京地判平18.9.29 労判930-56)では、職位の引下げに伴い年俸が半分に減額された事案で、この給与減額は労働者の同意のもとに行われたものでなく、労働契約における合意から基礎付けることはできないとして、役職の引下げについての人事権濫用との判断と併せて本件給与減額が無効とされている。

次に、職能資格の引下げとしての降格に明確な根拠規定がある場合でも、降格の範囲や理由などの点で労働契約上何らかの制約が設定されている場合には、その制約に反してはならない。当該降格が差別にあたるなど強行規定違反の場合も当然に無効となる。

以上のほか、降格には権利濫用の審査が及び、業務上の必要性、労働者の不利益、不当な動機・目的の有無などが総合的に考慮される。特に、職能資格の引下げに伴う基本給の減額は労働者に重大な不利益を及ぼすため、その減額幅は権利濫用の判断において相当のウエイトをもつ。日本ガイダント事件(仙台地決 平14.11.14 労判842-56)では、配転と降格が同時に行われたが、これにより基本給が約半分となった点が重視され、降格は客観的合理性がなく無効であり、これにより配転自体も無効になると判断された。

(2)職務等級制度における等級の引下げ(降級)
近時では、職能資格制度に代わり、職務内容によって賃金処遇を行う職務等級制度も導入されている。職務等級制度においては、職務内容の変更により職務等級が低下し基本給が引き下げられること(降級)が労働契約上予定されていると解されやすい。しかしその場合でも、恣意的な降格や退職誘導等の不当な動機・目的による降格は権利濫用として無効になる。エーシーニールセン・コーポレーション事件(東京地判平16.3.31 労判873-33)では、降給が許容されるのは、就業規則等による労働契約に降給が規定されているだけでなく、降給が決定される過程に合理性があること、その過程が従業員に告知されてその言い分を聞く等の公正な手続きが存することが必要であり、降給の仕組み自体に合理性と公正さが認められ、その仕組みに沿った降給の措置が採られた場合には、個々の従業員の評価の過程に特に不合理ないし不公正な事情が認められない限り、当該降給は許容されると判示されている(結論は降給有効)。

また、マッキャンエリクソン事件(東京高判平19.2.22 労判937-175)では、就業規則に、「本人の顕在能力と業績が、属する資格(=給与等級)に期待されるものと比べて著しく劣っている」という降級基準が定められていたが、降級はあくまで例外的措置であるとの注釈が加えられていたことから、実際に降級を行うにはその根拠となる具体的事実を必要とし、具体的事実による根拠に基づいて、本人の顕在能力と業績が、属する資格に期待されるものと比べて著しく劣っていると判断することができることを要するのが相当、とされた(結論は降級無効)。

このほか、裁判例には、人事評定が合理性を欠き、これに基づく降給も人事権濫用で無効とされた例(国際観光振興機構事件 東京地判平19.5.17 労判949-66)、育児休業からの復帰にともない職務等級を引き下げて役割報酬を50万円減額するとともに、成果報酬をゼロと査定して年俸を120万円減額したことにつき、いずれも人事権の濫用として違法と判断された例(コナミデジタルエンタテインメント事件 東京高判平23.12.27 労判1042-15)がある。

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(50)【異動】配転の意義、勤務場所の変更 6.人事
1 ポイント
(1)配転とは、従業員の配置の変更であって、職務内容または勤務地が相当の長期間にわたって変更されるものをいう。

(2)使用者は、①労働協約や就業規則に配転を命ずることができる旨の定めがあり、実際にこれに基づき配転が頻繁に行われていたこと、②勤務場所を限定する合意がなされなかったこと、という事情が認められる場合には、労働者の個別的同意なく配転(転勤)を命ずる権利をもつ。

(3)ただし、配転命令に①業務上の必要性がない場合、②不当な動機・目的が認められる場合、あるいは③労働者に対する不利益が通常甘受すべき程度を著しく超える場合には、当該配転命令は権利濫用として無効になる。

(4)業務上の必要性は、当該配転が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性には限定されず、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められれば肯定される。

2 モデル裁判例
東亜ペイント事件 最二小判昭61.7.14 労判477-6

(1)事件のあらまし
Yは大阪に本店をおき、全国十数カ所に事務所・営業所を持つ株式会社である。Yの就業規則には、「業務の都合により異動を命ずることがあり、社員は正当な理由なしに拒否できない。」と定められており、実際にも従業員、特に営業担当者について転勤が頻繁に行われていた。Xは大学卒業資格の営業担当者として、勤務地を限定することなくYに採用されたが、入社してから約8年間、大阪近辺で勤務していた。こうした中、YはXに対して神戸営業所から広島営業所への転勤を内示したが、Xは家庭の事情を理由に転居を伴う転勤を拒否し、名古屋営業所への転勤の内示にも応じなかった。その後Yは、Xに対して名古屋営業所勤務を命じた(本件転勤命令)ところ、Xはこれを拒否した。

そこでYは、この転勤命令拒否が就業規則所定の懲戒事由(業務命令違反)に該当するとしてXを懲戒解雇した。これに対してXは、本件転勤命令は無効であり、同命令に従わなかったことを理由とする本件懲戒解雇も無効であるとして、労働契約上の地位確認および未払賃金を請求した。

第一審(大阪地判昭57.10.25 労判399-43)および第二審(大阪高判昭59.8.21 労判477-15)は、本件転勤命令は権利濫用で無効であるとし、Xの請求を全面的に認容した。これを受けてYが上告した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

Yの労働協約及び就業規則には、業務上の都合により転勤を命ずることができる旨の定めがあり、現にYでは転勤を頻繁に行っており、Xは大学卒業資格の営業担当者として入社したもので、両者の労働契約成立時にも勤務地を限定する旨の合意はなされていなかった。こうした事情の下では、Yは個別的同意なしにXの勤務場所を決定し、これに転勤を命じて労務の提供を求める権限を有するというべきである。

そして、使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、特に転居をともなう転勤は、一般に、労働者の生活に影響を与えるものであるから、使用者の転勤命令権は無制約に行使できるものではなく、これを濫用することは許されないところ、「当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合がない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではない」。業務上の必要性についても、「当該転勤先への異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定することは相当でなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、肯定すべきである」。

本件転勤命令には業務上の必要性が優に存在し、Xの家庭生活上の不利益も通常甘受すべき程度のものであるから、権利濫用に当たらないと解するが相当である。

3 解説
(1)配転命令権の根拠と範囲
職務内容や勤務地を相当の期間にわたって変更することを配転という。勤務地の変更を伴う配転を特に転勤と呼ぶ。

使用者が配転を命じるには、労働協約や就業規則によって配転命令権が労働契約上根拠づけられている必要がある。就業規則に配転を命じうる旨の包括的規定があり、しかもその規定が形骸化しておらず実態として配転が広く行われている場合には、使用者の配転命令権が肯定される(労契法7条)。ただし、当該労働者について勤務場所を限定する特約が存在する場合にはそちらが優先し(同ただし書)、その限定範囲を超える転勤には労働者の個別的同意が必要である。そうした勤務地限定合意・特約は、採用時のほか、採用後にも成立しうる。

(2)勤務地限定合意の認定
本社採用の大卒正社員のように当該企業で長期的にキャリアを形成していく雇用の場合には、勤務地限定合意が認定されにくい(モデル裁判例、グリコ協同乳業事件 松江地判昭47.2.14 労民集23-1-25、新日本製鐵(総合技術センター)事件 福岡高判平13.8.21 労判819-57)。勤務地限定合意が認定された例としては、現地採用の労働者(新日本製鐵事件 福岡地小倉支決昭45.10.26 判時618-88、蔵田金属工業事件 松江地決昭51.3.16 判時819-99、ブック・ローン事件 神戸地決昭54.7.12 労判325-20)や、採用面接で転勤には応じられない旨を明確に述べ、そのことにつき本社から何の留保もなく採用された労働者(新日本通信事件 大阪地判平9.3.24 労判715-42)がいる。

(3)権利濫用法理による制約
使用者に配転命令権が認められる場合も、①配転命令に業務上の必要性が存しない場合、②配転命令が不当な動機・目的に基づく場合、③労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を及ぼす場合には、配転命令は権利濫用として無効になる(労契法3条5項)。

①配転命令の業務上の必要性については、余人をもっては替え難いという高度の必要性は要求されず、労働者の適正配置や業務運営の円滑化の事情があれば肯定される(モデル裁判例)。業務上の必要性自体が否定されることは稀であるが、最近の事案では、企業の構造改革に伴い既に一定の業務に就いていた従業員に新たに新幹線通勤や単身赴任の負担を負わせる配転(NTT西日本(大阪・名古屋配転)事件 大阪高判 平21.1.15 労判977-5)、使用者の解雇撤回後に職場復帰する労働者に対する大阪から名古屋への配転(C株式会社事件 大阪地判平23.12.16 労判1043-15)で業務上の必要性が否定されている。

②不当な動機・目的は、退職に追い込むための転勤(フジシール事件 大阪地判平12.8.28 労判793-13)、社長の経営方針に批判的言動をとった報復としての転勤(マリンクロットメディカル事件 東京地決平7.3.31 労判680-75、朝日火災海上保険事件 東京地決平4.6.23 労判613-31、アールエフ事件 長野地判平24.12.21 労判1071-26)などで認定されている。

③労働者の不利益については、配転に応じると単身赴任せざるをえないという事情だけでは、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」とは認められない(モデル裁判例、帝国臓器製薬事件 最二小判平11.9.17 労判768-16等)。配転によって通勤時間が片道約1時間長くなり、保育園に預けている子供の送迎等で支障が生じる場合でも、同様の判断がなされている(ケンウッド事件 最三小判平12.1.28 労判774-7)。これまで労働者に著しい不利益を負わせると判断されたのは、当該労働者が病気の家族を複数人、一人で看ていた場合(日本電気事件 東京地判昭43.8.31 判時539-15、北海道コカ・コーラボトリング事件 札幌地決平9.7.23 労判723-62)、重度の病気の家族を自らまたは配偶者らと看護していた場合(明治図書出版事件 東京地決平14.12.27 労判861-69、日本レストランシステム事件 大阪高判平17.1.25 労判890-27、ネスレ日本(配転本訴)事件 大阪高判平18.4.14 労判915-60)、障害をもつ両親を妻や妹らと介護していた場合(NTT東日本(北海道・配転)事件 札幌高判平21.3.26 労判982-44)など、極めて特殊なケースである。

こうして配転命令の効力が広く肯定されてきた背景には、解雇が厳しく規制されていること(労契法16条の解雇権濫用法理)とのバランスで、企業内の配置は柔軟に認めようとする考え方がある。もっとも、平成13年に育児介護休業法が改正され、子の養育または家族の介護状況に関する使用者の配慮義務が導入された(26条)ほか、平成19年制定の労契法でも使用者が仕事と生活の調和に配慮すべきことが規定されている(3条3項)。近年の裁判例では、配転命令の権利濫用の判断においてこれらの規定を参照し、労働者の私生活上の不利益をより慎重に検討するものがある(上記明治図書出版事件、ネスレ日本(配転本訴)事件)。

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(51)【異動】職種の変更 6.人事
1 ポイント
(1)労働契約の締結時もしくは労働契約の展開過程で職種が限定されていると解される場合には、職種の変更は使用者の一方的命令ではなしえず、労働者の個別的同意が必要である。

(2)長期雇用を前提として採用された労働者については、同一の仕事に長年継続して従事してきたことのみでは職種限定の合意が成立しているとは認められにくく、実際の事案では、同一職種に20年から30年程度継続して勤務していた労働者について職種限定の合意成立が否定されたものがある。

(3)職種限定の合意が認定されない場合には、使用者は異職種への配転命令権をも有するが、配転命令権の行使については判例による権利濫用法理の制約が及び、①業務上の必要性の有無・程度、②不当な動機・目的の有無、③労働者の不利益の有無・程度が審査される。

(4)職種限定の合意が認定されなかった事案で配転命令が無効と評価された場合には、当該労働者が配転前の職種(ないし勤務地)において就労する地位の確認ではなく、配転先における就労義務のない地位の確認請求が認容される。

2 モデル裁判例
日産自動車村山工場事件 最一小判平元.12.7 労判554-6

(1)事件のあらまし
Xらはいずれもトラック等の製造販売を業とする株式会社YのA工場において機械工として就労してきた者であり、就労期間は最も長い者で28年10ヵ月、最も短い者で17年10ヵ月であった。Yは、世界自動車業界の車軸小型化等に対応するため、従来A工場にあった車軸製造部門をB工場等に移管し、A工場では新たに小型乗用車を製造することになった。それにともない人員も再配置され、従来A工場で機械工として勤務していたXらは単純反覆作業であるコンベアライン作業へ配置換えされた(本件配転命令)。そこでXらは、本件配転命令は無効であるとして、Yに対してA工場を就労場所とする機械工の地位にあることの確認等を求めて提訴した。

一審(横浜地判昭61.3.20 労判473-42)では、本件配転命令が無効であるとして、Xらが配転先で就労すべき義務のないことが確認された。これに対して二審(東京高判昭62.12.24 労判512-66)では、本件配転命令は有効であるとして一審判決が取り消された。そこでXらが上告したのが本件である。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

XY間において、「Xらを機械工以外の職種には一切就かせないという趣旨の職種限定の合意が明示又は黙示に成立したものとまでは認めることができず、Xらについても、業務運営上必要がある場合には、その必要に応じ、個別的同意なしに職種の変更等を命令する権限がYに留保されていたとみるべきであるとした原審の認定判断は」正当である。

「原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、Yが本件異動を行うに当たり、対象者全員についてそれぞれの経験、経歴、技能等を各別にしんしゃくすることなく全員を一斉に村山工場の新型車生産部門へ配置替えすることとしたのは、労働力配置の効率化及び企業運営の円滑化等の見地からやむを得ない措置として容認しうるとした原審の判断は、正当」である。

以上から、「Xらに対する本件各配転命令がYの配転命令権の濫用に当たるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができ」る。

3 解説
労働契約の締結時もしくは労働契約の展開過程で職種が限定されていると解される場合には、異職種への配転には労働者の個別的同意が必要である。

(1)職種限定合意の有無
裁判例では、特殊な技術・技能・資格を有する者、例えば病院の検査技師(大成会福岡記念病院事件 福岡地決昭58.2.24 労判404-25)、看護師(国家公務員共済組合連合会事件 仙台地判昭48.5.21 判時716-97)、大学教員(金井学園福井工大事件 福井地判昭62.3.27 労判494-54)について、採用時の職種限定合意が認められている。アナウンサーの場合は、職種限定が認められた例(日本テレビ放送網事件 東京地決昭51.7.23 判時820-54)と認められなかった例(九州朝日放送事件 福岡高判平8.7.30 労判757-21)がある。タクシー運転手では職種限定が否定された例がある(古賀タクシー事件 福岡高判平11.11.2 労判790-76)。

なお、厳密に職種概念が定義されていない事案でも、採用の経緯等から職種の範囲を一定の業務系統に限定し、それを超える業務系統への配転が無効とされることがある(ヤマトセキュリティ事件 大阪地決平9.6.10 労判720-55、直源会相模原南病院事件 東京高判平10.12.10 労判761-118)。

採用時に職種限定合意が認められなくとも、長期間同一業務に従事した場合に職種限定合意が認定されることもある(日野自動車工業事件 東京地判昭42.6.16 労民集18-3-648)。もっとも、長期雇用を前提として採用された労働者については、そうした合意は認められにくい。モデル裁判例以外でも、下級審レベルでは、約21年間の電話交換業務への従事(東京アメリカンクラブ事件 東京地判平11.11.26 労判778-40)、18年間の児童指導員としての勤務(東京サレジオ学園事件 東京高判平15.9.24 労判864-34)につき、それぞれ職種限定合意が否定されている。

(2)職種限定合意がある場合の配転の可否
職種限定合意が存在する場合には、それを超える職種変更には当該労働者の同意が必要である。この同意は労働者の任意のものであることを要し、任意性の有無は、①変更申出が労働者の自発的なものか、②使用者の働き掛けによる場合は当該労働者が同意する合理性、③職種変更後の状況等を総合して慎重に判断される(西日本鉄道事件 福岡高判平27.1.15 労判1115-23。結論として同意の効力肯定)。

なお、東京海上日動火災保険事件(東京地判平19.3.26 労判941-33)では、リスクアドバイザーの職種限定合意を認定し、他職種への配転命令は原則として認められないとしつつ、採用経緯と当該職種の内容、使用者における職種変更の必要性の有無・程度、変更後の業務内容の相当性、他職種への配転による労働者の不利益の有無・程度、それを補うだけの代替措置、労働条件の改善の有無等を考慮し、他職種への配転を命ずることに正当な理由があるとの特段の事情が認められる場合には、他職種への配転は有効との一般論が展開された(結論として配転無効)。

(3)権利濫用法理による制約
職種限定の合意が認められず、異職種への配転命令が契約上許容されるとしても、配転命令には権利濫用の制約が及ぶ((50)【異動】参照)。職種変更の配転に不当な動機・目的が認められた例として、退職に追い込むための配転(プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インク(本訴)事件 神戸地判平16.8.31 労判880-52、精電舎電子工業事件 東京地判平18.7.14 労判922-34)、内部告発者に対する業務上の必要性のない配転(オリンパス事件 東京高判平23.8.31 労判1035-42)、退職勧奨拒否への報復または大幅な賃金減額を正当化するための配転(新和産業事件 大阪高判平25.4.25 労判1076-19)、学園の運営方針等への批判的言動を封じ込めるための配転(学校法人越原(名古屋女子大学)事件 名古屋高判平26.7.4 労判1101-65)などがある。

(4)配転命令が違法無効の場合の救済
労働契約上職種や勤務地が限定されていない労働者は、配転命令が無効でも配転前の職種ないし勤務地において勤務する地位の確認は認められず、配転先における就労義務のない地位の確認が認められるにとどまる(モデル裁判例の一審判決参照)。これに対し、職種や勤務地の限定合意があり、その範囲を超える配転が無効となる場合には、当該労働者には配転前の職種・勤務地において就労する地位の確認が認められる(菅野和夫『労働法(第11版)』(弘文堂、2016年)685頁)。

なお、無効な配転命令は当然に違法であるため、当該配転命令が不法行為(民法709条)に該当するとして損害賠償(慰謝料)請求が認められる場合がある。たとえば、NTT西日本(大阪・名古屋配転)事件(大阪地判平19.3.28 労判946-130)では慰謝料40万円(原告1)、80万円(原告2)が、NTT東日本事件(札幌地判平18.9.29 労判928-37)では慰謝料100万円が認容されている。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 6.人事 > (52)【異動】出向、復帰

(52)【異動】出向、復帰 6.人事
1 ポイント
(1)労働者が自己の雇用先の企業に在籍のまま、他の企業の事業所において相当の長期間にわたって当該他企業の業務に従事することを出向(在籍出向)という。

(2)出向を命じるには労働者の承諾(民法625条1項)が必要であるが、就業規則や労働協約に出向を命じうる旨の規定があり、出向によって賃金・退職金その他労働条件等の面での不利益が生じないように制度が整備され、出向が実質的に見て配転と同視されるような場合には、労働者の個別的同意がなくとも出向を命ずることができる。

(3)ただしその場合でも、当該出向命令が、出向の必要性、対象労働者の人選の合理性、労働者の不利益、出向にかかる手続の相当性などに照らして、その権利を濫用したものと認められる場合は、無効となる(労契法14条)。

(4)出向期間中は、基本的な労働関係は出向元との間で維持されるが、労働契約上の権利義務の一部は出向先に譲渡される。復帰については、復帰はない旨の合意が成立したといえる特段の事由がない限り、出向元は出向労働者の同意なく復帰を命じることができる。

2 モデル裁判例
新日本製鐵(日鐵運輸第2)事件 最二小判平15.4.18 労判847-14

(1)事件のあらまし
株式会社Yは、社内の構内輸送業務のうち鉄道輸送部門の一定の業務を訴外A社に業務委託し、委託業務に従事していたXらにAへの出向(在籍出向)を命じた(本件出向命令)。これに対しXらは、本件出向命令の無効確認請求を行った。なお、Xらの入社時及び本件出向命令発令時のYの就業規則には、業務上の必要性に応じて社外勤務がありうる旨が定められており、Xらに適用される労働協約にも同旨の規定があった。そして、労働協約である社外勤務協定には、社外勤務の定義、出向期間、出向中の社員の地位、賃金、退職金、各種の出向手当、昇格・昇給等の査定その他処遇等に関して出向労働者の利益に配慮した詳細な定めがあった。

一審(福岡地判平8.3.26 労判847-30)では本件出向命令は有効であるとしてXらの請求が棄却され、原審(平11.3.12 労判847-18)でも一審判決が維持された。そこでXらが上告。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

本件の事情の下においては、「Yは、Xらに対し、その個別的同意なしに、Yの従業員としての地位を維持しながら出向先であるAにおいてその指揮監督の下に労務を提供することを命ずる本件各出向命令を発令することができるというべきである」。

次に、本件出向命令が権利の濫用に当たるかどうかについて判断すると、「Yが構内輸送業務のうち鉄道輸送部門の一定の業務をAに委託することとした経営判断が合理性を欠くものとはいえず、これに伴い、委託される業務に従事していたYの従業員につき出向措置を講ずる必要があったということができ、出向措置の対象となる者の人選基準には合理性があり、具体的な人選についてもその不当性をうかがわせるような事情はない。また、本件各出向命令によってXらの労務提供先は変わるものの、その従事する業務内容や勤務場所には何らの変更はなく、上記社外勤務協定による出向中の社員の地位、賃金、退職金、各種の出向手当、昇格・昇給等の査定その他処遇等に関する規定等を勘案すれば、Xらがその生活関係、労働条件等において著しい不利益を受けるものとはいえない。そして、本件各出向命令の発令に至る手続に不相当な点があるともいえない。これらの事情にかんがみれば、本件各出向命令が権利の濫用に当たるということはできない」。

3 解説
(1)出向の意義
労働者が自己の雇用先の企業に在籍のまま、他の企業の事業所において相当の長期間にわたって当該他企業の業務に従事することを出向(在籍出向)という。出向は、勤務する職場が同一会社内の配転と異なり、他の会社の事業所等に勤務し、出向先の会社の指揮命令に服するものである。出向を行うには、まず出向元企業と出向先企業の間で、従業員の受入れについて出向協定を締結する必要がある。

(2)労働者の同意
出向は、出向元企業が労働者への労務提供請求権を出向先企業に譲渡するものであり、民法625条1項にいう「労働者の承諾」が必要である。問題は、この「承諾」が、労働協約や就業規則に基づく事前の包括的同意で足りるのか、それとも出向時の労働者の個別的同意を要するのかである。

企業間の人事異動である出向については、労務提供の相手方が変更されるので、密接な関連会社との間に日常的に行われる出向であっても、就業規則や労働協約上の根拠規定、もしくは採用時の労働者の同意等の明示の根拠のない限り、出向命令が労働契約上予定されているとはいえない。最高裁は、就業規則中に会社外の業務に従事するときは休職にする旨の休職条項がある事案でも、同条項は出向命令権の根拠にならないと判示している(日東タイヤ事件 最二小判昭48.10.19 労判189-53)。

もっとも、就業規則や労働協約に包括的な出向規定があるだけでなく、出向の対象企業、出向中の賃金等の労働条件、出向期間、復帰の仕方等が出向労働者の利益に配慮して詳細に規定されている場合には、当該包括的規定によって出向を命じることができると解されている(新日本製鐵(日鐵運輸)事件 福岡高判平12.11.28 労判806-58。モデル裁判例参照)。興和事件(名古屋地判昭55.3.26 労判342-61)では、グループ企業内の他企業への出向命令について、同一企業内の配転と実質的に同視できる事情(企業間の実質的一体性、統一的人事管理、多数の実績、経済的不利益なし等)があったことを重視して、当該労働者の採用時の包括的同意に基づき使用者は出向命令権を有すると判断している。

(3)権利濫用による制約
使用者は、出向命令権を有する場合でも、同権利を濫用した場合は無効となる(労契法14条)。出向命令権の濫用の有無は、出向を命ずる業務上の必要性、人選の合理性(対象人数、人選基準、人選目的等の合理性)、出向労働者の職業上および生活上の不利益、当該出向命令に至る動機・目的等を勘案して判断される(リコー事件 東京地判平25.11.12 労判1085-19、モデル裁判例参照)。この点、労契法14条は「その〔出向命令の〕必要性、対象労働者の選定に係るその他の事情」を考慮要素に挙げるが、明示されていない要素でも従来の裁判例で考慮されてきた上記諸要素が広く含まれる。

具体的に権利濫用と判断された事例には、退職勧奨を断った労働者全員を出向対象とした点で人選の合理性なしとされたもの(上記リコー事件)、私生活上の不利益が大きいとされたもの(日本ステンレス事件 新潟地高田支判昭61.10.31 労判485-43、佐世保重工業事件 長崎地佐世保支判平元.7.17 労判543-29、東海旅客鉄道事件 大阪地決平6.8.10 労判658-56)、不当な動機・目的が認められたもの(兵庫県商工会連合会事件 神戸地姫路支判平24.10.29 労判1066-28)などがある。

(4)出向期間中の法律関係・復帰命令
出向期間中は、基本的な労働契約関係は出向元企業との間で維持されるが、労働契約上の権利義務の一部は出向先企業に譲渡される。移転する権利義務の具体的内容は通常出向協定で定められるが、明示の定めがない場合には、就労に関わる権利義務(労務提供請求権、指揮命令権、出勤停止処分権)は出向先に移り、就労を前提としない権利義務(解雇権や復帰命令権等の労働契約関係の存否・変更に関する権利義務)は出向元に残ると解釈するのが合理的である(水町勇一郎『労働法(第6版)』(有斐閣、2016年)149頁以下)。

出向労働者の懲戒については、①出向元による懲戒解雇が有効とされた例(ダイエー事件 大阪地判平10.1.28 労判733-72)、諭旨解雇が無効とされた例(日本交通事業社事件 東京地判平11.12.17 労判778-28)、②出向元および出向先会社がした出勤停止、降格等の懲戒処分が有効とされた例(勧業不動産販売・勧業不動産事件 東京地判平4.12.25 労判650-87)がある。

出向労働者の出向元への復帰命令については、出向時に復帰はない旨の合意が成立したといえる特段の事由がない限り、出向元は労働者本人の同意なく復帰を命じることができるとされている(古河電気工業・原子燃料工業事件 最二小判昭60.4.5 民集39-3-675)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 6.人事 > (53)【異動】転籍

(53)【異動】転籍 6.人事
1 ポイント
(1)「転籍(移籍)」とは、現在雇用されている企業と労働契約関係を終了させ、他企業との間に新たに労働契約関係を成立させることをいう。

(2)転籍には、①労働者が現企業との労働契約を合意解約し、新労働契約を締結するという方法と、②現企業が労働契約上の使用者たる地位を全部譲渡するという方法(転籍命令)があり、いずれの場合も労働者の同意が必要である。

(3)転籍の場合には、労働者の個別的同意を要するのが原則である。ただし、採用の際に転籍について説明を受けた上で明確な同意がなされ、人事体制に組み込まれて永年実施されて実質的に社内配転と異ならない状態となっている転籍に関しては、例外的に事前の包括的同意で転籍を命じうるとされることがある。

(4)転籍の場合は、転籍先企業との間で労働契約関係が新たに開始するため、使用者責任は原則として転籍先企業のみが負う。

2 モデル裁判例
三和機材事件 東京地判平7.12.25 労判689-31

(1)事件のあらまし
株式会社Yは、倒産し、和議手続下で会社再建のため同社の営業部を独立させて新会社を設立し、Xらを含むYの営業部門の全従業員に新会社への転籍出向を命じた(本件転籍出向命令)。しかし、Xのみがこれを拒否したため、Yは就業規則に基づきXを懲戒解雇した(本件解雇)。Xは本件転籍出向命令は無効であり懲戒解雇も無効として、労働契約上の地位確認および賃金支払いを請求した。Yは、会社と新会社は実質的には同一会社で、出向者にとっては給付すべき義務の内容および賃金等の労働条件に差異はなく、転籍となっても何の不利益もないため、本件転籍出向については配転と同じ法理により、会社の持つ包括的人事権に基づき、従業員の同意なしに命じることができる、また、新会社設立の3ヵ月前に、Yにおいて従来から存した就業規則上の出向規定に転籍出向を含む改訂を行った等とし、これを争った。

本件の仮処分決定(東京地決平4.1.31 判時1416-130)では、本件転籍出向命令について、Xは、具体的同意はもちろん包括的な同意もしていなかったのであるから無効という外はないとして、Xの労働契約上の地位保全と賃金仮払いの申立てが認容されていた。本件はその本訴である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

本件転籍出向命令は、XY間の労働契約関係を終了させ、新たに新会社との間に労働契約関係を設定するものであるから、いかにYの再建のために業務上必要であるからといって、特段の事情のない限り、Xの意思に反してその効力が生ずる理由はなく、Xの同意があってはじめて本件転籍命令の効力が生ずるものというべきである。

本件では、Yの側において、会社再建のために新会社を設立し、そこへ営業部員を転籍出向させる必要が認められ、また、Yが個別に転籍出向対象者の説得に当たり、X以外全員の同意を得、最終的にはX一人が会社の方針に反対している段階に至っているからといって、Xの本件転籍出向命令拒否が信義則違反・権利濫用に当たるとする事情は認められず、本件解雇は権利濫用として無効である。

3 解説
(1)転籍の意義
現在雇用されている企業と労働契約関係を終了させ、他企業との間に新たに労働契約関係を成立させることを転籍(移籍)という。これを実現する法技術には、①現企業との労働契約を合意解約し、新労働契約を締結する方法と、②現企業が労働契約上の使用者たる地位を他企業に全部譲渡する方法(民法625条1項。転籍命令)がある。

本件のような転籍出向(以下転籍ともいう)は、在籍出向と同様に、一企業を超えての労働者の異動であるが、現在の使用者との間の労働契約を終了させ、新たに転籍先の企業との間に労働契約関係を生じさせる点で在籍出向と異なる。また転籍は、労働契約の当事者に変更はない同一企業内の配転とも異なる。

一企業を超える移動が転籍か出向かが争われた裁判例として、転籍出向ではあるもののあたかも在籍出向のごとき身分を約束するものとして当該労働者と会社間で確認証が作成されていた経緯から、一定の期間満了後に原則として元の企業に復帰することを予定した転籍出向と認定されたものがある(京都信用金庫(移籍出向)事件 大阪高判平14.10.30 労判847-69)。

(2)労働者の同意
転籍を実現する上記の法技術のうち、①の場合は、元の契約の解約および新契約の締結において労働者の個別具体的な同意が必要である。最近の裁判例では、Y1社からY2社に出向後、半年後にY2社に転籍となる旨の説明をY1社人事部副部長Aから受け、出向時点で労働者がY1社宛の同意書に署名押印していた事案で、AはY2社を代理して意思表示を行う権限を有していたとして、AとXとの間に成立した転籍合意の効力がY1社だけでなくY2社に帰属すると判示されたものがある(大和証券ほか事件 大阪地判平27.4.24 労働判例ジャーナル42-2)。

続いて、②の場合にも労働者の同意(民法625条1項)が必要である(日立製作所横浜工場転籍事件 最一小判昭48.4.12 集民109-53)が、出向の場合と同様に、入社時等の事前の包括的同意でもよいのか、それとも(転籍時の)個別具体的な同意に限定されるのかが問題となる。

この点について、雇用関係を維持した上で解雇を回避するために広く行われてきた配転・出向と異なり、転籍は元の企業との間で雇用関係を解消する点で労働者に重大な影響を与えるため、事前の包括的同意で足りるとは原則として解されていない(モデル裁判例参照)。ミロク製作所事件(高知地判昭53.4.20 労判306-48)では、労働協約や就業規則に転籍を命じうるような事項を定めることはできず、転籍を行うには労働者との個別的合意が必要と明確に述べられている。

もっとも、採用の際に転籍について説明を受けた上で明確な同意がなされ、転籍が人事体制に組み込まれて永年実施され、実質的に社内配転と異ならない状態となっていたような特殊な事案では、就業規則の規定によって転籍を命じうるとされた例がある(日立精機事件 千葉地判昭56.5.25 労判372-49)。他方で、Y法人がP法人との間で従業員をP法人に転籍させることを合意し、当該従業員がY社に対して転籍を承諾していた場合でも、その時点で転籍時期、転籍後の雇用条件について何も決まっていない場合には、当該従業員の転籍承諾と同時に雇用契約上の地位がP法人に移転したとみることはできないと判断されたものがある(生協イーコープ・下馬生協事件 東京地判平5.6.11 労判634-21)。

(3)転籍後の労働関係
転籍の場合は、転籍先企業との間で労働契約関係が新たに開始するため、労基法等の労働保護法規、労働契約法理および労組法(7条)上の使用者は原則として転籍先企業のみである。復帰が予定され、元の企業が賃金の差額を補填し続け、退職金も通算されるというような特別の事情がある場合には、限定的に元の企業の使用者責任が問題となる余地があるが、このような転籍の場合にも、転籍先を退職するときには退職金支払義務は転籍先にあるとされた例がある(幸福銀行(退職出向者退職金)事件 大阪地判平15.7.4 労判856-36)。

転籍に関する最近の注目すべき裁判例として、上記大和証券ほか事件では、同一の企業グループの子会社間で行われた転籍において、転籍先Y2社が転籍労働者Xに行った嫌がらせにつき、転籍元Y1社の人事部副部長がY2社でのXの業務内容について報告を受けており、Y2社のXへの対応を認識していたこと等から、Y2社がY1社の了解を得た上で嫌がらせを行っていたとして、転籍元Y1社と転籍先Y2社の双方に対し、共同不法行為(民法719条)に基づく慰謝料150万円の支払が命じられた。

なお、在籍出向の場合には、出向期間は出向元の勤続年数に加算されるのが通常であるが、出向元が解散し、出向先に転籍した者については、出向期間を含めた退職金請求は認められず、出向期間を出向先で通算する旨の特別の合意等がない限り、出向先に対しては転籍後の勤続期間に応じた退職金しか請求できないとされた裁判例がある(日本ケーブルテレビジョン事件 東京地判平16.1.28 労経速1868-21)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 6.人事 > (54)就労請求権

(54)就労請求権 6.人事
1 ポイント
(1)労働者が使用者に対し、自己を実際に就労させることを請求する権利を就労請求権という。

(2)労働(就労)は労働契約上の義務であって権利ではないという考え方から、就労請求権は否定されるのが一般的である。ただし、労働契約等に就労請求権を肯定する特別の定めがある場合や、業務の性質上労務提供について労働者が特別の合理的利益を有する場合には、例外的に就労請求権が認められる。

(3)特殊な技能を有する労働者が少しでも職場を離れると技能が著しく低下する場合には、業務の性質上労務提供につき特別の合理的理由が認められ、就労請求権が肯定されることがある。

2 モデル裁判例
読売新聞社事件 東京高決昭33.8.2 労民集9-5-831

(1)事件のあらまし
Xは、入社試験に合格し、昭和30年4月にY新聞社に雇用され、見習い社員として勤務していた。しかし、見習期間満了日である同年9月30日、就業規則上の「やむを得ない会社の都合によるとき」という理由により解雇された(本件解雇)。Xは、本件解雇は無効として解雇の意思表示の効力停止、賃金支払いおよび就労妨害排除の仮処分を求めた。

第一審決定(東京地決昭31.9.14 労民集7-5-851)は、就労妨害排除の仮処分のみ申請を却下したが、それを不服とするXが抗告を行った。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

「労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従って一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。本件においては、Xに就労請求権があるものと認めなければならないような特段の事情は…ない。のみならず、裁判所が労働者の就労に対する使用者側の妨害を禁止する仮処分命令を発しうるためには、その被保全権利の存在のほかに、かかる仮処分の必要性が肯定されなければならないわけであるが、本件仮処分においては、…YのなしたXに対する解雇の意思表示の効力の停止と賃金の支払を求める限度においてXの申請は認容されたものであるから、Xは特段の事情のない限り、それ以上進んで就労の妨害禁止まで求め労働者としての全面的な仮の地位までも保全する必要はない」。

3 解説
(1)就労請求権の意義
労働者が使用者に対し、自己を実際に就労させることを請求する権利を就労請求権という。労働者の就労請求権は、使用者からみれば労働受領義務である。解雇が無効となれば、被解雇者には労働契約上の地位確認と未払賃金請求(民法536条2項)が認められるのが通例であるが、労働者に就労請求権がないとすれば、使用者は賃金を支払い続ける限り、当該労働者を実際に働かせる必要はないことになる。そのため、職場復帰を望む被解雇者は、従業員としての地位確認や賃金請求に加えて、使用者に当該労働者を就労させる義務があることの確認を求めることがある。このような確認請求の根拠とされるのが、労働者の就労請求権である。

(2)就労請求権の存否
労働者の就労請求権については、昭和20年代にはこれを肯定する裁判例もみられた。たとえば、木南車輌製造事件(大阪地決昭23.12.14 労民集2-55)では、雇用主は「労働契約関係が正当な状態においてある限り、労働者が適法に労務の提供したとき、これを受領する権利のみでなく、受領する義務あるものであり、正当な理由なくして恣意に受領を拒絶し、反対給付である賃金支払をなすことによって責を免れるものではない」とされた。

しかし、その後は消極的立場をとる裁判例が多い。例えば、松下電器産業事件(大阪地決昭46.9.20 判時652-85)では、「雇傭契約は労働者の提供する労務と使用者の支払う報酬とを対価関係にかからせる双務契約であり、労働者の労務の提供は義務であって権利ではないから、雇傭契約あるいは労働協約等に特別の定めがある場合を除いて労働者に就労請求権はないと解すべきである」とされている。モデル裁判例も、労働契約等に就労請求権について特別の定めがある場合や、労務提供について労働者が特別の合理的利益を有する場合を除き、就労請求権を否定する立場であり、裁判例の大勢に沿ったものである。近時の裁判例でも、「特段の事情がない限り、労働者が使用者に対して雇用契約上有する債権ないし請求権は、賃金請求権のみであって、いわゆる就労請求権を雇用契約上から発生する債権ないし請求権として観念することはできない」と述べるものがある(日本自動車振興会事件 東京地判平9.2.4 労判712-12)。

なお、就労請求権について特別の定めがあると認められた例として、大学の就業規則で大学教員が学問研究を行うことが明確に予定されていることから大学での学問研究を雇用契約上の権利とする旨の黙示の合意があるとされたものがある(栴檀学園(東北福祉大学)事件 仙台地判平9.7.15 労判724-34)。

(3)就労請求権を認める特別の合理的利益
以上のような裁判例の一般的枠組みに基づき、労働者の就労請求権を肯定することに特別の合理的利益ありとされた唯一の裁判例として、株式会社スイスの事件(名古屋地判昭45.9.7 労経速731-7)がある。本件は、飲食業を営む株式会社に調理人として雇用された者が出向拒否を理由に解雇されたことにつき、同解雇が無効であるとして、①労働契約上の地位保全、②賃金仮払いおよび③就労妨害禁止の仮処分を求めた事案である。③について裁判所は、「調理人はその仕事の性質上単に労務を提供するというだけでなく、調理長等の指導を受け、調理技術の練磨習得を要するものであることは明らかであり」、「調理人としての技量はたとえ少時でも職場を離れると著しく低下する」として上記特別の合理的利益を認め、就労妨害禁止の仮処分を認容した。

もっとも、裁判例ではこの特別の合理的利益は容易には肯定されない。例えば、生命保険会社の内勤の事務職(富国生命保険事件 東京地八王子支判平6.5.25 労民集46-4-1218)、診療所の医療事務や受付の職員(医療法人南労会(第2)事件 大阪地決平5.9.27 労判643-43)、出版社の事務職(第一学習社事件 広島高判昭60.1.25 労判448-46)について、就労についての合理的利益が否定されている。また、日本海員掖済会事件(仙台地決昭60.2.5 労民集36-1-32)では、病院が勤務医に自宅待機を命じ、同人からの就労要求を拒否していることにつき、長期間の不就労によって診断、治療に要請される高度な判断力、決断力が急速に失われ、医療技術が低下する等の不利益が仮に肯定されるとしても、就労を保全する必要性を認めるだけの特別な事情はなく、かかる不利益自体、他病院等での臨時就労または自己研鑚および職場復帰後の研修等でかなりの程度まで回復することができると述べ、上記勤務医からの、病院で現実に就労させることを求め得る地位の保全申請が却下された。

なお、上記日本自動車振興会事件では、配転命令の無効を主張する労働者が、同人に命じうる業務内容の範囲を確認する会社との訴訟上の和解に基づき、同人を配転前の業務に直ちに就労させるべき義務があることの確認を求めたが、本件和解条項は確認条項であって、同条項によって具体的な就労請求権が形成されるものではないとの理由で、同請求が棄却された。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 6.人事 > (55)休職制度と職場復帰

(55)休職制度と職場復帰 6.人事
1 ポイント
(1)「休職」とは、労働者に就労させることが適切でない場合に、労働契約関係そのものは存続させながら、就労を免除または禁止することをいい、その例として、傷病休職、事故欠勤休職、起訴休職、出向休職、自己都合休職、組合専従休職などがある。

(2)休職制度は、就業規則や労働協約等によって定められ、休職期間の長さ、休職期間中の賃金の取扱いなどは企業によって多種多様である。

(3)休職事由が消滅することで休職は終了することになるが、休職期間が満了した時点で、未だ休職事由が消滅していないときには、解雇または自然退職となる。

(4)傷病休職において、休職事由の消滅を認めるためには、原則として従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復したことが必要とされるが、職種や業務内容を限定していない労働者の場合、使用者は、従前業務への就労は無理でも他に従事できる業務があるか否か、実際に配置することが可能であるかなどを考慮することが求められる。

2 モデル裁判例
東海旅客鉄道事件 大阪地判平11.10.4 労判771-25

(1)事件のあらまし
労働者Xは脳内出血で倒れて以降、病気休職に入っていたが、3年間の休職期間満了前に復職の意思表示をしたにもかかわらず、Y社は、Xには構語障害等の後遺症があるため就労可能な業務がないとして休職期間満了をもって退職扱いとした。これに対し、Xは、この退職扱いを就業規則、労働協約等に違反し無効であるとして、従業員としての地位確認並びに未払い賃金等の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

労働者が職種や業務内容を限定せずに雇用契約を締結している場合、復職の可否を判断するに際しては、休職前の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、使用者の規模や業種、その社員の配置や異動の実情、難易等を考慮して、配置替え等により現実に配置可能な業務の有無を検討し、そのような業務がある場合には、当該労働者にその業務を指示すべきである。そして、当該労働者が復職後の職務を限定せずに復職の意思表示をしている場合には、使用者から指示される配置可能な業務について労務の提供を申し出ているものというべきである。

Xの休職期間満了当時の身体の状態は、時間はかかるが杖なしでの歩行が可能であり、右手指の動きが悪く細かい作業は困難であるが握力には問題がなく、会話も相手方が十分認識できる程度に回復していた。他方で、Y社は従業員約2万2,800人を要し、事業内容も鉄道事業を中心に不動産売買等の関連事業を含め多岐にわたって展開する大企業である。これらの事実から、Xの就労可能性を検討すると、少なくとも工具室での業務については、Xは就業可能であり、また配置替えすることも可能であったと認められる。

また、身体障害等によって、従前の業務に対する労務提供を十全にはできなくなった場合に、他の業務についても健常者と同じ密度と速度の労務提供を要求することは適切でなく、雇用契約における信義則からすれば、使用者はその企業規模等を勘案し、労働者の能力に応じた職務を分担させる工夫をすべきである。

3 解説
(1)休職の意義と種類
休職とは、労働者に就労させることが適切でない場合に、労働契約関係そのものは存続させながら、就労を免除または禁止することをいう。そのため、解雇猶予措置としての役割を担っている面がある(傷病休職や事故欠勤休職の場合に顕著)。このような休職は、就業規則や労働協約の定めに基づき、使用者が一方的意思表示により発令する場合が多いが、労働者との合意によって実施されることもある。

休職制度は、その内容によっていくつかの類型に分けられる。①業務外の傷病を理由とする「傷病休職」、②傷病以外の私的な事故を理由とする「事故欠勤休職」、③刑事事件に関し起訴された従業員に対して行われる「起訴休職」、④他社への出向期間中に自社での不就労への対応として行われる「出向休職」、⑤留学中や公職への就任によってなされる「自己都合休職」、⑥労働組合の役員に専念する場合の「専従休職」などがある(山川隆一『雇用関係法第4版』110頁参照)。

なお、「懲戒休職」と呼ばれるものがあるが、これは服務規律違反に対する制裁として行われる点で上記の休職制度とは異なっている。

(2)職場復帰の条件
休職していた理由がなくなることで休職は終了し、職場に復帰することになるが、休職期間満了時点において当該休職事由が依然として存続している場合、解雇又は自然退職として取り扱われる。休職事由が消滅したかどうかの判断に関しては、特に傷病休職における労働者の治癒をめぐって争いが生じる。すなわち、休職していた労働者は、どのような状態にまで回復すれば、解雇又は自然退職とされずに復職可能と判断されるのかが問題となる。

この点について、裁判例は、復職の要件とされる「治癒」とは、「従前の職務を通常の程度に行える健康状態に復したときをいう」(平仙レース事件 浦和地判昭40.12.16 判時438-56)と解し、従前の職務を遂行することが可能な程度に回復していない場合には、復職可能状態にあるとは認められず、労働者が就労可能な範囲で労務を提供することを希望したとしても、使用者にはこれを受領する義務はなく、また、そのような労務提供を受領するためにそれに見合う業務を見つけなければならない義務もないと判断している(アロマ・カラー事件 東京地決昭54.3.27 労経速1010-25)。

しかしその一方で、当初は軽易業務に就かせることで徐々に通常業務に移行できるという回復状態にある場合には、使用者は、労働者の復帰にあたってそのような労働者の状態への配慮を行うことを義務づけられることもあるとされていた(エール・フランス事件 東京地判昭59.1.27 労判423-23)。その後、債務の本旨に従った履行の提供があるか否かにつき判断した片山組事件最高裁判決(最一小判平10.4.9 労判736-15)の考え方が、復職の要件とされる「治癒」の意義についても応用されている。すなわち、モデル裁判例のように、休職期間満了時において原職に復帰できる状態にはないが、従前業務より軽易な業務での職場復帰を希望し、当該労働者に労働契約上職種の限定がない場合には、企業規模などを考慮しつつも、使用者は現実に配置可能な業務の有無を検討する義務を負うと判断されている。そして、休職期間が満了した労働者に対して、そのような検討によって軽減業務を提供せずに、退職扱いや解雇を行った場合には、当該退職扱い等は就業規則上の要件不該当ないし解雇権濫用として無効とされている(キャノンソフト情報システム事件 大阪地判平20.1.25 労判960-49等)。ただし、休職前に既に業務を軽減されていた労働者の休職期間満了を理由とする解雇について、同じ判断枠組みに依りながら、復職にあたって検討すべき従前の業務とは、休職前に実際に担当していた軽減された業務ではなく、本来通常行うべき業務を基準とすべきとして解雇を容認したものもある(独立行政法人N事件 東京地判平16.3.26 労判876-56)。

また、職種が限定されている場合においても、休職期間満了時に直ちに従前業務に復帰はできないものの、比較的短期間で復職可能であるときには、休業又は休職に至る事情、使用者の規模、業種、労働者の配置等の実情から見て、短期間の復帰準備時間を提供したり、教育的措置をとったりすることなどが信義則上求められるというべきで、このような信義則上の手段をとらずに、解雇することはできないとして、解雇を無効とした裁判例もある(全日本空輸事件 大阪高判平13.3.14 労判809-61)。

なお、使用者による治癒の判断に関して、労働者は診断書の提出等による協力をしなければならず(大建工業事件 大阪地決平15.4.16 労判849-35等)、ときには主治医の診断書を提出するだけでは足りず、使用者の指定する医療機関での受診等が求められることもある(全国電気通信労働組合事件 東京地判平2.9.19 労判568-6、日本ヒューレット・パッカード事件 東京地判平27.5.28 労経速2254-3)。

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(56)【服務規律・懲戒制度等】使用者の懲戒権 6.人事
1 ポイント
(1)使用者は企業秩序を定立し維持する権限(企業秩序定立権)を有し、労働者は労働契約を締結したことによって企業秩序遵守義務を負うことから、使用者は労働者の企業秩序違反行為に対して制裁罰として懲戒を課すことができる。

(2)使用者が労働者を懲戒するには、予め就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておかなければならない。

(3)使用者が懲戒できることを定めた就業規則が、法的規範としての性質を有するものとして拘束力を生ずるためには、その内容について、当該就業規則の適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続きが採られていなければならない。

2 モデル裁判例
フジ興産事件 最二小判平15.10.10 判時1840-144、労判861-5

(1)事件のあらまし
設計業務に従事していた労働者Xは、得意先との間でトラブルを発生させたり、上司の指示に対して反抗的態度をとり、暴言を吐くなどして職場の秩序を乱したとの理由で、新たに実施された就業規則に基づき、懲戒解雇された。

Xは、懲戒解雇される前に、Y社に対して適用を受ける就業規則について質問したが、この際に旧就業規則は職場に備え付けられていなかった。そこでXは、懲戒解雇される事実が発生した時にY社には就業規則が存在しなかったこと等から本件懲戒解雇は違法・無効であるとして、従業員たる地位の確認及び未払い賃金等の支払い等を求めて提訴した。

原審(第2審)は、新就業規則ではなく、旧就業規則がXに適用されるものとの判断を前提に懲戒解雇を有効と判断したため、Xが上告した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(破棄差し戻し)

使用者が労働者を懲戒するには、予め就業規則において懲戒の種別及び事由を定めておくことを要する。そして、就業規則が法的規範としての性質を有するものとして、拘束力を生ずるためには、その内容を適用を受ける事業場の労働者に周知させる手続きが採られていることを要するものというべきである。

Y社が、労働者代表の同意を得て旧就業規則を制定し、これを行政官庁に届け出た事実のみならず、その内容を当該事業場に勤務する労働者に周知させる手続きが採られていることを認定しないまま、旧就業規則に法的規範としての効力を肯定し、本件懲戒解雇を有効と判断することはできない。したがって、原判決を破棄し差し戻す。

3 解説
(1)懲戒権の根拠
使用者がどのような法的根拠に基づいて懲戒処分を課すことができるのか、懲戒権の根拠については古くから議論がなされてきた(菅野和夫『労働法(第11版)』(弘文堂、2016年)649頁以下参照)。この問題に対し判例は、ポイント(1)で述べたように、企業秩序は企業の存立と事業の円滑な運営の維持のために必要不可欠なものであるため、使用者は企業秩序を定立し維持する権限、すなわち企業秩序定立権を有し、労働者は労働契約を締結したことによって企業秩序遵守義務を負い、使用者は労働者の企業秩序違反行為に対して制裁罰として懲戒を課すことができると解している(富士重工業事件 最三小判昭52.12.13 民集31-7-1037、労判287-7、関西電力事件 最一小判昭58.9.8 労判415-29、国鉄札幌運転区事件 最三小判昭54.10.30 民集33-6-647 労判329-12等)。ただし、使用者は「規則の定めるところに従い」懲戒処分をすることができると解されており(前掲国鉄札幌運転区事件)、モデル裁判例は就業規則の規定が存在する場合についてそのことを確認した。

(2)懲戒権の限界
使用者は懲戒の種別及び事由を就業規則で明定し、当該就業規則を周知することで懲戒処分をすることが可能となるが、就業規則の規定については合理的であることが求められる。就業規則に規定される懲戒処分の対象となる事由については、包括的な表現がとられることも多いが、裁判所は、具体的な事実がそれらの事由に該当するか否かを判断するに際して、企業秩序の維持という趣旨に照らして、当該規定を限定的に解釈する傾向にある。

(3)懲戒処分の有効性判断
労契法15条は、使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、労働者の行為の性質、態様などの事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、権利の濫用として無効とすることを定めている。

懲戒権を有すると認められる使用者がなした懲戒処分が有効とされるには、まず、労働者の問題行為(非違行為)が就業規則上の懲戒事由に該当し、「客観的に合理的な理由」があると認められなければならず、当該行為の性質・態様等に照らして該当性が判断される。具体的な懲戒の適否に関しては、その理由とされた問題行為との関係において判断され、特段の事情のない限り、懲戒当時に使用者が認識していなかった行為を、後から追加的に懲戒理由とすることはできないと解されている(山口観光事件 最一小判平8.9.26 労判708-31)。「特段の事情」がある場合とは、懲戒解雇に際しては告知されなかったものの、懲戒当時に使用者が認識していた非違行為であって、告知された非違行為と実質的に同一性を有し、あるいは同種もしくは同じ累計に属すると認められるもの又は密接な関連性を有するものである場合と解するものとして富士見交通事件(東京高判平13.9.12 労判816-11)がある。

次に、当該懲戒処分についての社会的相当性が判断される。労働者の問題行為が懲戒事由に該当するとしても、懲戒処分をするに際しては、当該問題行為の性質・態様や当該労働者に関する勤務歴などの情状を適切に酌量することが求められており、処分内容が重すぎる場合には社会通念上相当なものとは認められず、懲戒処分が無効と判断される。多くの懲戒処分(特に懲戒解雇において顕著)について、懲戒事由該当性が肯定されながらも、社会的相当性の観点から懲戒権の濫用と判断されている。

また、使用者の懲戒権の行使の時期に関して、ネスレ日本事件(最二小判平18.10.6 労判925-11)は、懲戒事由に該当する上司への暴行に対してなされた諭旨退職処分が、暴行事件後7年以上経過してなされたことについて、長期間にわたって懲戒権の行使を留保する合理的な理由が見出し難く、当該処分をした時点において企業秩序維持の観点から諭旨退職処分のような重い懲戒処分を必要とする客観的合理的な理由はなく、社会通念上相当なものとして是認することはできないとして懲戒権の濫用として無効と判断した。

企業が定める主な懲戒事由としては、①経歴詐称、②職務懈怠(職務怠慢)、③業務命令違反、④職場規律違反・職務上の非違行為、⑤兼業・二重就職、⑥私生活上の非行、⑦会社批判・内部告発等がある。

なお、懲戒は制裁罰として刑事罰との類似性を持つため、二重処罰の禁止、不遡及の原則、一事不再理の原則、適正手続きの履行といった考えが妥当すると解されている(平和自動車交通事件 東京地決平10.2.6 労判735-47、WILLER EXPRESS西日本事件 大阪地判平26.10.10 労判1111-17)。

(4)懲戒処分の種類
懲戒処分の種類について法律上の定めはなく、個々の企業ごとに様々なものがありうる。典型的な懲戒処分としては、①始末書を提出させて将来を戒める「譴責」、始末書提出を伴わない「戒告」、②労働者が受け取ることができるはずの賃金を減額する「減給」、③労働契約を存続させつつ、労働者の労働義務の履行を停止する「出勤停止(自宅謹慎、停職、懲戒休職ともいう)」、④労働者の役職や職能資格を引き下げる「降格」、⑤通常、解雇予告も予告手当の支払いもせずに即時になされ、退職金も不支給とする扱いがなされることがある「懲戒解雇」などがある。

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(57)【服務規律・懲戒制度等】職場規律違反・企業の風紀を乱す行為 6.人事
1 ポイント
(1)就業規則等によって職場内における政治活動、ビラ配布等を一般的に禁止する、または会社の許可制の下に置くことは、企業秩序維持の見地から許される。

(2)就業規則等によって禁止された、又は許可を得ずに行われた政治活動やビラ配布等の行為は、これらの違反行為が実質的に職場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められない限り、懲戒処分の対象となる。

2 モデル裁判例
明治乳業事件 最三小判昭58.11.1 判時1100-151、労判417-21

(1)事件のあらまし
Y社の就業規則及び労働協約には、会社内で業務外の集合又は掲示、ビラの配布等を行うときは予め会社の許可を受け、所定の場所で行わなければならない旨が規定されていた。

労働者Xは、Y社の許可を得ることなく、また工場長の注意を無視して、昼の休憩時間に、休憩室を兼ねているY社の工場食堂で赤旗号外紙や選挙応援のビラを配布した。なお、このビラ配布の態様は、食事中の従業員に手渡したほか、食卓上に置くという平穏な方法で行われ、そのビラを受け取るかどうか、閲読するか廃棄するかも各従業員に任され、配布時間も数分間であった。

Y社は、Xのビラ配布行為が、就業規則に定める懲戒事由(「会社の諸規程あるいは労働協約に違反したとき」及び「正当な理由なくして上司の命令に従わないとき」)に該当することを理由として、戒告処分とする意思表示を行った。これに対し、Xが戒告処分の無効確認を求めて提訴した。

第1審は、就業規則等に定めるビラ配布等に対する制限は、休憩時間中における会社構内での政治活動によって現実かつ具体的に経営秩序が乱され経営活動に支障を生じる行為に限定されるべきであるから、Xの行為はその程度に至っていないとして処分を無効(労働者側勝訴)とし、第2審(原審)も、Xのビラ配布の態様・目的、ビラの内容から判断すると、Xの行為は企業施設の管理や企業の運営に支障をきたし、企業秩序を乱すおそれはないとして、処分を無効(労働者側勝訴)とした。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Y社の就業規則及び労働協約に定めるビラ配布等の許可制規定は、工場内の秩序の維持を目的としたものであることが明らかであるから、形式的にこれらの規定に違反するようにみえる場合でも、ビラの配布が工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、同規定の違反になるとはいえない。

そして、Xのビラ配布の態様、経緯及び目的並びにビラの内容からすれば、工場内の秩序を乱すおそれのない特別の事情が認められる場合に当たり、就業規則等の規定に違反するものではないと解するのが相当である。

したがって、Y社がなした戒告処分を無効とした原審の判断は相当である。

3 解説
(1)職場内でのビラ配布と企業秩序
職場内での政治活動やビラ配布等の行為を、就業規則によって一般的に禁止したり、許可制の下に置くことについて、判例は、①職場内での従業員の政治活動は、従業員相互間の政治的対立や抗争を生じさせるおそれがあるなど、企業秩序の維持に支障をきたすおそれが強いことから就業規則によって職場内における政治活動を禁止することも許され、②職場内におけるビラ配布等の行為は、休憩時間中であっても、事業所内の施設の管理を妨げるおそれがあり、また、他の従業員の休憩時間の自由利用を妨げるおそれがあるなど、その内容如何によっては企業の運営に支障をきたし、企業秩序を乱すおそれがあるから、これを許可制とすることも合理性があると判断している(電電公社目黒電報電話局事件 最三小判昭52.12.13 民集31-7-974 労判287-26)。

その上で、無許可のビラ配布行為等がこのように定めた就業規則規定違反として懲戒事由に該当するかについては、モデル裁判例で示されているように、実質的に秩序風紀を乱すおそれのない特別の事情が認められるときは、そのような就業規則上の制限・禁止規定に違反するものとはいえず、したがって懲戒処分もすることができないと解されている。

(2)横領、背任等
労務の遂行や職場内でのその他の行動を規律している諸規定の違反が、職場規律違反といわれるものであり、その事例は多岐にわたり、モデル裁判例はその一例にすぎない。

最も明白な職場規律違反の例は、横領、背任、会社の物品の窃盗、損壊、同僚や上司への暴行といった非違行為であり、その裁判例も多数に及んでいる。たとえば、コンピューターデータを無断で抜き取り、メモリを消去したことなどが懲戒事由に該当することを肯定しつつ、懲戒解雇ではなく普通解雇としたことを有効と判断した東栄精機事件(大阪地判平8.9.11 労判710-51)、所定の手続きを経ずに総額約1,500万円の機器を無断で購入し、不正な書類を作成し偽装工作を行う等した労働者に対する懲戒解雇を有効としたバイエル薬品事件(大阪地決平9.7.11 労判723-68)、副支店長時代に取引先から個人的に350万円を借り入れたり、その取引先に渉外業務で知り合った顧客を紹介したりしたことに対する謝礼約620万円を受領したこと等を理由になされた懲戒解雇を有効としたわかしお銀行事件(東京地判平12.10.16 労判798-9)、学園の復旧工事に関して所定の手続きを経ないなど適切な経理処理をしなかったことや、備品等のリース契約について不正な点があったこと等を理由としてなされた懲戒免職を有効とした崇徳学園事件(最三小判平14.1.22 労判823-12)、下請け会社から1,800万円を超えるリベートを受領したこと等を理由とする懲戒解雇を有効としたトヨタ車体事件(名古屋地判平15.9.30 労判871-168)、会社のパソコンから取引先データ等を持ち出し、その後当該行為について窃盗罪で有罪判決を受けた労働者に対する懲戒解雇を有効とした宮坂産業事件(大阪地判平24.11.2 労経速2170-3)等がある。また、りそな銀行事件(東京地判平18.1.31 労判912-5)は、副支店長、融資課長が融資先から十数回にわたってゴルフ等の接待を受けたことを、会社の名誉信用を傷つける行為として就業規則規定の懲戒事由に該当するとしつつも、懲戒解雇及び諭旨解雇処分は重きに失するとして無効と判断している。

(3)企業の風紀を乱す行為
労働者による企業の風紀を乱す行為として問題となるのは、主に従業員の恋愛・情交関係(不倫)に関するものである。

裁判例としては、妻子あるバス運転手が未成年の女子車掌と情交関係を持ち、同女を妊娠させたことに対して、懲戒解雇とすべきところを普通解雇処分とした解雇を有効とした長野電鉄事件(長野地判昭45.3.24 判時600-111)、妻子ある従業員が、教習生と情交関係を持ち、そのことが近隣住民の噂となったことで自動車学校の社会的評価の低下並びに企業秩序の紊乱が生じたと認められるとして、当該従業員の行為は懲戒事由に該当すると認めたものの、社会的相当性の観点から懲戒解雇を無効とした豊橋総合自動車学校事件(名古屋地判昭56.7.10 労判370-42)、妻子ある教師が、生徒の母親と情交関係を繰り返し持ったことに対し、当該行為は単なる私生活上の非行とはいえず、社会生活上の倫理及び教育者に要求される高度の倫理に反し、教育者としての品位を失い、学校の名誉を損ずる非行に該当することに加え、韓国における儒教的な道徳観等を考慮し、懲戒解雇を有効とした学校法人白頭学院事件(大阪地判平9.8.29 労判725-40)等がある。他方で、バス会社の女子従業員が男子従業員と会社外で情交し、妊娠中絶したことは、当該行為が会社外でのものであること、先例処分との比較などをから、譴責等の他の懲戒処分は別として、直ちに懲戒解雇に付しなければならない程の重大な非違行為とは解せられないと判断した石見交通事件(広島高裁松江支判昭48.10.26 判時728-54)等がある。

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(58)【服務規律・懲戒制度等】兼業・二重就職 6.人事
1 ポイント
(1)労働者は、労働契約によって定められた労働時間にのみ労務に服するのが原則であり、就業時間外は本来労働者の自由な時間であることから、就業規則で兼業・二重就職を全面的に禁止することは、特別な場合を除き、許されない。

(2)労働者の兼業・二重就職は、その程度や態様によっては、会社に対する労務提供に支障が生じることや、会社の対外的信用や体面を傷つける場合がありうるので、労働者の兼業について会社の承諾を必要とする就業規則の規定を設けることは不当ではない。

(3)就業規則において兼業・二重就職を許可制としている場合、無許可の兼業それ自体が企業秩序を阻害する行為として懲戒事由となりうるが、基本的には、労務提供や事業運営、または会社の信用・評価に実質的に支障が生じるおそれのある場合に限り、懲戒の対象となる。

2 モデル裁判例
小川建設事件 東京地決昭57.11.19 労判397-30

(1)事件のあらまし
労働者Xは、午前8時45分から午後5時15分までY社営業所において勤務し、午後6時から午前0時までキャバレーで勤務するということを約11ヶ月間にわたり行っていた。

Y社の就業規則には、会社の承認を得ないで在籍のまま他社に雇われたときに懲戒する旨規定されていた。Y社はXのキャバレー勤務について、同条項に基づき懲戒解雇にすべきところを通常解雇にとどめるとして、Xを通常解雇する意思表示をしたのに対し、Xは地位保全の仮処分を申し立てた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

法律で兼業が禁止されている公務員と異なり、私企業の労働者は一般的には兼業は禁止されておらず、その制限禁止は就業規則等の具体的定めによることになるが、労働者は労働契約を通じて一日のうち一定の限られた時間のみ、労務に服するのを原則とし、就業時間外は本来労働者の自由な時間であることから、就業規則で兼業を全面的に禁止することは、特別な場合を除き、合理性を欠く。

しかしながら、労働者がその自由な時間を疲労回復のために適度な休養に用いることは次の労働日における誠実な労務提供のための基礎的条件をなすものであるから、使用者としても労働者の自由な時間の利用について関心を持たざるをえず、また、兼業の内容によっては企業の経営秩序を害したり、企業の対外的信用・体面が傷つけられる場合もありうるので、従業員の兼業の許否について、労務提供上の支障や企業秩序への影響等を考慮したうえでの会社の承諾にかからしめる旨の規定を就業規則に定めることは不当とは言い難い。

Y社の就業規則は、従業員が二重就職をすることについて、兼業内容が会社に対する本来の労務提供に支障を与えるものではないか等の判断を会社に委ねる趣旨を含むものであるから、無断で二重就職すること自体が企業秩序を阻害する行為であり、雇用契約上の信用関係を破壊する行為であると認められる。

また、Xの兼業内容は、就業時間とは重複していないものの、深夜に及ぶものであって単なる余暇利用のアルバイトの域を越えるものであり、社会通念上、Y社への労務の誠実な提供に何らかの支障を来す蓋然性が高く、事前にY社に申告があったとしても当然に承諾が得られるとはいえず、Xの無断二重就職行為を不問に付して当然ということはできない。Xの無断二重就職の就業規則違背行為をとらえて懲戒解雇とすべきところを通常解雇にした処置は、企業秩序維持のためにやむをえないものであって妥当性を欠くものとは言い難く、解雇権濫用には当たらず、本件解雇は有効である。

3 解説
(1)兼業・二重就職を許可制とすることの適否
就業規則において、会社の許可なく他人に雇い入れられること、または自ら事業を営むことを禁止し、その違反を懲戒事由とする企業は多い。しかしながら、労働者には私生活の自由があることから、就業時間外に行われる労働者のこのような兼業・二重就職をそもそも使用者が全面的に禁止とすることができるのか、または使用者の許可制の下に置くことができるのか、ひいてはその違反に対して懲戒処分をすることができるか否かが問題となる。

就業時間外に行われる従業員の兼業・二重就職について、モデル裁判例は、労働者の私生活上の自由を尊重し、就業規則で全面的に禁止とする取扱いは、特別な場合を除き、許されないと判断した。しかしながら、就業時間外の兼業・二重就職であっても、会社に対する労務提供に支障が生じることや、会社の対外的信用や体面を傷つける可能性等があることから、就業規則によって使用者の許可制とすることは肯定している(同旨のものとして、マンナ運輸事件 京都地判平24.7.13 労判1058-21)。

(2)懲戒処分の有効性
就業規則によって兼業・二重就職を使用者の許可制の下に置くことに合理性が認められるとしても、その違反(無許可の兼業)に対して直ちに懲戒処分を課すことができるわけではない。裁判例は、就業規則の包括的な兼業・二重就職規制の規定を合理的内容に限定解釈することで労働者の私生活の自由とのバランスをとっている。すなわち、労務提供や事業運営に支障が生じる態様でなされたものや、会社の社会的信用を損なうおそれのあるものなど、実質的に企業秩序を乱す兼業・二重就職に限って、懲戒処分の対象となると解している。

裁判例では、直接経営には関与していないが競業他社の取締役へ就任したこと(橋元運輸事件 名古屋地判昭47.4.28 判時680-88)、会社の要職にありながら同業会社を経営したこと(ナショナルシューズ事件 東京地判平2.3.23 労判559-15、東京メデカルサービス事件 東京地判平3.4.8 労判590-45)、長時間労働による疲労を軽減し、作業効率の向上を図るために残業を廃止し、特別加算金を支給していた期間中に同業他社で数回就労したこと(昭和室内装備事件 福岡地判昭47.10.20 労判164-51)、病気休業中に自営業経営をしたこと(ジャムコ立川工場事件 東京地八王子支判平17.3.16 労判893-65)等を懲戒事由に該当すると判断している。モデル裁判例も無許可兼業自体が懲戒事由に該当すると判断しているものの、実質的に、兼業先での労働時間が長時間であり、かつ深夜に及んでいることで会社に対する労務の提供に支障が生じることを問題視している。

以上に対し、運送会社の運転手が年に1、2回の貨物運送のアルバイトをしたことを理由とする解雇に関して、業務に具体的な支障は生じないとして無効と判断したもの(十和田運輸事件 東京地判平13.6.5 労経速1779-3)や、懲戒事由に該当する兼業でも、会社がそのことを黙認してきたことなどから、懲戒解雇を普通解雇にしたとしても権利濫用になると判断したもの(都タクシー事件 広島地決昭59.12.18 労民集35-6-644)もある。

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(59)【服務規律・懲戒制度等】職務怠慢・私用メール、情報機密の漏洩 6.人事
1 ポイント
(1)無断遅刻・欠勤、勤務成績不良などの職務怠慢は、それ自体では単なる債務不履行であるが、それが就業に関する規律に違反したり、企業秩序を乱したと認められる場合には、懲戒処分の対象となりうる。

(2)勤務時間中に行われる私用メールは、その程度・態様によっては職務怠慢と評価でき、また企業秩序を乱すものとして懲戒処分の対象となりうる。

(3)労働契約上、労働者は使用者の業務上の秘密を保持すべき義務を負っており、労働者がこの義務に違反した場合には、懲戒処分の対象となり得るほか、債務不履行等に基づく損害賠償請求や差止請求もなされ得る。

2 モデル裁判例
東京プレス工業事件 横浜地判昭57.2.25 判タ477-167

(1)事件のあらまし
労働者Xは、6ヶ月間に合計24回(1回平均2.7時間)に及ぶ無届けの遅刻をし、さらに同期間に事前の届けなしに合計14日間の欠勤をした。Y社は、この間に、上司を通して再三Xに注意をするとともに、反省を促し将来を戒めるため始末書を提出させる譴責処分を行った。しかし、その後もXの勤務態度は改まらず、無断遅刻・欠勤を繰り返した。この間も、上司から再三注意を促したが一向に態度は改まらなかった。そこで、Y社はXの就労の意思の有無の確認をしたところ、反省の意を表明したので、訓戒処分にとどめた。しかし、訓戒処分を受けた翌月に再び無届欠勤1日、遅刻4回があり、改善の跡が見られないため、Y社は就業規則及び労働協約に基づき、Xを懲戒解雇した。これに対し、Xが地位保全等の仮処分を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

事前の届出のない遅刻、欠勤は、Y社の業務、職場秩序に混乱を生じさせるものであることが明らかであるから、Xには就業規則及び労働協約に定める懲戒解雇事由があったものと一応認められる。

Xは遅刻、欠勤について胃病や自動車の故障という正当な理由の存在を主張しているが、たとえそのような事由が存在したとしても、事前の届出のない遅刻、欠勤はそれ自体が正当な理由のない遅刻、欠勤に該当する。

Xは入社当初からの勤怠も不良で、上司の度重なる注意訓戒にもかかわらず、何ら改善するところがなく、将来の節度ある勤務態度を期待して始末書を提出させたが、その後も無断遅刻・欠勤を重ねたことなど、Y社がXを懲戒解雇するに至った事情を考慮すれば、本件懲戒解雇は相当である。

3 解説
(1)職務怠慢の具体的態様
職務怠慢の例としては、モデル裁判例のような無断遅刻・欠勤のほか、勤務成績不良、遅刻過多、職場離脱などがある。このタイプに属する裁判例としては、たとえば、所定の得意先訪問ルート指示に従わないことを上司から再三にわたり注意、叱責されていたことや、勤務時間中に喫茶店に立ち寄り、長時間勤務放棄をしたこと等を理由としてなされた、外商員に対する懲戒解雇を有効とした大正製薬事件(東京地判昭54.3.27 労判318-44)、編集業務から福利厚生部への異動後の業務過誤、無断欠席、業務命令違反等に対してなされた各種懲戒処分並びにその後の約2ヶ月に及ぶ長期欠勤とその間に再三なされた職務復帰命令に従わなかったこと等を理由とする懲戒解雇を有効とした日経ビーピー事件(東京地判平14.4.22 労判830-52)等がある。

また、管理職にある労働者については、部下の不祥事などに関する管理・監督不行届も職務怠慢として問題となりうる。たとえば、部下の報告が虚偽であることを知りながら黙認し、事実の報告を遅らすことにより多額の未回収金を発生させるに至ったことを理由として貸付業務全般を統括する常務取締役に対してなされた懲戒解雇を有効とした光和商事事件(大阪地判平3.10.15 労判598-62)、部下の多額の金銭横領行為を重大な過失によって見過ごしたことによって、被害額を著しく増大させたこと等を理由としてなされた営業所長に対する懲戒解雇を有効とした関西フエルトファブリック事件(大阪地判平10.3.23 労判736-39)、部下にあたる医師への監督不備、患者に対する説明不足や侮蔑的言動等を理由としてなされた内科部長に対する部長解任と医員への降格処分について、部長解任処分は有効としつつ、医員への降格については処分が重きに失するとして無効とした東京医療生協中野総合病院事件(東京地判平16.9.3 労判886-63)等がある。

(2)精神疾患の疑いのある従業員の長期欠勤への対応
日本ヒューレット・パッカード事件(最二小判平24.4.27 労判1055-5)は、被害妄想など何らかの精神的不調によって、職場において嫌がらせを受けているとの認識を持つようになった従業員が、自己の主張に対する会社の対応に問題があり、休職も認められなかったことから、問題が解決されるまで会社には出勤しない旨を伝え欠勤を続けたことに対し、会社から正当な理由のない無断欠勤であるとして諭旨退職処分とされたことを争ったものであるが、最高裁は、そのような精神的不調のために欠勤を続けていると認められる従業員に対しては、精神科医による健康診断を実施するなどして、その結果に応じて休職等を検討し、その後の経過を見るなどの対応をとるべきであって、そのような対応なしになされた諭旨退職処分を無効と判断した。

(3)私用メール
職場規律の維持や公私混同の回避のため、会社の物品を私用で使うことが就業規則等によって禁止されていることがあり、この違反に対し懲戒処分がなされることがある。近年では特に、会社のパソコンを利用した私的なメールの送受信が問題となっている。

日経クイック情報事件(東京地判平14.2.26 労判825-50)は、私用メールについて、送信者はメールの文章を考え作成し送信する間、職務専念義務に違反し、かつ私用で会社の施設を使用するという企業秩序違反行為を行うことになること、また、受信者に私用メールを読ませることにより受信者の就労を阻害することになるとし、このような行為が懲戒処分の対象となりうることを肯定している。

K工業技術専門学校事件(福岡高判平17.9.14 労判903-68)は、業務用パソコンを利用して出会い系サイトに登録したり、大量の私用メールを送受信したりしていたこと等を理由とする懲戒解雇を有効としたが、全国建設工事業国民健康保険組合北海道東支部事件(札幌地判平17.5.26 労判929-66)は、会社のパソコンを利用した私的メールの交信が、会社の物品の私用を禁止した規定に反し、企業秩序を乱すおそれがあることを否定できないとして懲戒事由の存在は肯定したものの、私的メールの交信頻度は多くなく、業務用パソコンの取扱規則の定めがない上に、それまで私的利用に対する注意等もなく、減給処分の内容が労基法91条に違反していること等に鑑みて、懲戒権の濫用とし減給処分を無効とした。

他方で、労働者といえども個人として社会生活を送っている以上、就業時間中に外部と連絡を取ることが一切許されないわけではなく、就業規則等に特段の定めのない限り、職務遂行の支障とならず、使用者に過度の経済的負担を掛けないなど社会通念上相当と認められる程度で会社のパソコンを利用して私用メールを送受信しても、職務専念義務に違反するものとはいえないと判示し、1日2通程度の私用メールは、社会通念上相当な範囲にとどまるとして職務専念義務違反とはいえないとしたグレイワールドワイド事件(東京地判平15.9.22 労判870-83)がある。

(4)情報機密の漏洩
多くの企業では、就業規則等で企業秘密の保持を労働者に義務づけ、この秘密保持義務に違反したときに懲戒処分をすることができる旨を規定しており、当該規定に基づきなされた懲戒処分の有効性が争われることがある。古河鉱業事件(東京高判昭55.2.18 労民集31-1-49)は、会社の業務上重要な秘密が守られることは企業秩序維持のために必要なことであり、これに違反した者を懲戒解雇とする定めも是認できるとした上で、会社が機密漏洩防止に特段の配慮を行っていた長期経営計画の基本方針である計画基本案を謄写版刷りで複製・配布した労働者に対する懲戒解雇を有効と判断した。日本リーバ事件(東京地判平14.12.20 労判845-44)では、労働者が収集した情報の機密性の高さとともに、そのような重要な情報を取得した状態で競業他社に就職しようとしていたこと等から高い背信性が認められるとして懲戒解雇が有効と判断されている。

他方で、職場内でいじめや差別等を受けているとして弁護士に相談した労働者が、その相談に当たって必要とされる会社の顧客情報や人事情報等を記した書類を担当弁護士に手渡したことを理由に懲戒解雇されたメリルリンチ・インベストメント・マネージャーズ事件(東京地判平15.9.17 労判858-57)において、裁判所は、その労働者が秘密保持義務を負っていること、交付した書類の機密性を認めたものの、同人の権利救済のために必要な書類を担当弁護士に交付したこと、弁護士は職務上知り得た秘密を保持する義務を負っていることから、企業秘密に関する情報が含まれている場合であっても、会社の許可を得ずに弁護士に開示することは許されると判断し、同人の行為は懲戒解雇事由に該当しないか、形式的に該当するとしても軽微なものであるとして、懲戒解雇を無効と判断した。

なお、秘密保持義務について明示の約定がある場合、すなわち、就業規則等の具体的な規定や個別的な特約によって一定の秘密の保持が約定されていると認められる場合には、その約定が必要性や合理性の点で公序良俗違反とされない限りで、その履行請求(秘密を漏洩する可能性のある競業他社への就職の差止請求等、フォセコ・ジャパン・リミテッド事件 奈良地判昭45.10.23 判時624-78等)や、債務不履行(秘密保持義務違反)による損害賠償請求(前掲日本リーバ反訴事件、ダイオーズサービシーズ事件 東京地判平14.8.30 労判838-32等)が可能となる。

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(60)【服務規律・懲戒制度等】内部告発 6.人事
1 ポイント
(1)内部告発は、その内容が不当である場合には、組織体等の名誉、信用等に大きな打撃を与える危険性があるが、これが真実を含む場合には、そうした組織体等の運営方法等の改善の契機ともなりうるし、また、内部告発を行う者の人格権ないしは人格的利益や表現の自由等との調整も必要となる。

(2)内部告発者に対する懲戒処分の有効性判断では、告発内容の真実性、告発目的の公益性、組織体との関係における告発内容の重要性、内部告発の手段・方法の相当性等が総合的に考慮される。

(3)(2)の検討によって内部告発が正当と認められる場合には、当該内部告発により、仮に組織体の名誉、信用等を毀損されたとしても、使用者はこれを理由として労働者を懲戒解雇することはできない。

2 モデル裁判例
大阪いずみ市民生協事件 大阪地堺支判平15.6.18 労判855-22

(1)事件のあらまし
Xら3名は、生協Aの職員である。Xらは、Aの役員で実質上の責任者であるYら(生協理事)が生協Aを私物化している等を内容とした匿名文書を、生協総代会(生協組合員の代表が参加する会)の直前に、生協の関係者に送付した。Yらは、Xらに内部告発への関与の有無について事情聴取し、その後、就業規則に基づき、Xらに出勤停止及び自宅待機を命じ、その後、Xらのうち2名を懲戒解雇した(自宅待機中であったXらのうちの1名は、その後職場復帰した。)懲戒解雇処分を受けたXら2名は、当該解雇が内部告発に対する報復であるとし、裁判所に地位保全等を認める仮処分を求め、当該訴えは認められた。A生協は、本件仮処分決定後、Xらに対する懲戒解雇を撤回し、両名を職場復帰させた。

Xらは、その後、当該懲戒処分は、内部告発を理由とする報復および名誉侵害であるため無効であるとし、Yらに対し、不法行為に基づく損害賠償を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

内部告発は、これが虚偽事実により占められているなど、その内容が不当である場合には、内部告発の対象となった組織体等の名誉、信用等に大きな打撃を与える危険性があるが、一方で、これが真実を含む場合には、そうした組織体等の運営方法等の改善の契機ともなりうる。また、内部告発を行う者の人格権ないしは人格的利益や表現の自由等との調整も必要である。それゆえ、内部告発の内容の根幹的部分が真実ないしは内部告発者において真実と信じるについて相当な理由があるか、内部告発の目的が公益性を有するか、内部告発の内容自体の当該組織体等にとっての重要性、内部告発の手段・方法の相当性等を総合的に考慮して、当該内部告発が正当と認められた場合には、当該組織体等としては、内部告発者に対し、当該内部告発により、仮に名誉、信用等を毀損されたとしても、これを理由として懲戒解雇をすることは許されないものと解する。

本件については、当該告発の内容は、Aの実力者の不正を明らかにするものでありAによって重要なものであり、また、内容の根幹的部分は少なくともXらにおいて真実と信じるにつき相当な理由がみとめられ、告発の目的にも高い公益性が認められる。告発の方法も正当であり、内容は全体として不相当とは言えない。手段には相当性を欠く点がみられるが全体としてそれ程著しいものではない。内部告発以後、Aは、告発内容に関連する事項等につき改善がなされており、Aにおいて告発は極めて有益なものであったと解される。これらを総合考慮すると、本件内部告発は、正当なものと認められる。

したがって、Xらに対する懲戒解雇は無効であり、当該処分を主導したY1Y2には、Xらに対する損害賠償責任が認められる。また、Xらの行為を不当に非難したY2の発言は名誉棄損であり、これによる損害についても賠償する責任がある。

3 解説
(1)内部告発者の保護
企業に雇用される労働者が、所属組織の不正・違法行為を正すために、不正の事実を関係者に告発する行為、いわゆる「内部告発」は、企業の法令順守(コンプライアンス)に資するものとして社会的に認知されている。しかし、内部告発が、企業組織において機密とされる情報を企業外の第三者に提供する形などで行われる場合には、当該内部告発は、労働者が契約上負っている誠実義務に反する行為となりうる。また同時に、そのような内部告発は、就業規則の機密保持の規定や企業の名誉・信用を毀損しない旨を定める規定に抵触する可能性を有している。そのため、内部告発に対する懲戒処分や解雇などの不利益措置を法的にいかに評価すべきか、換言すれば、内部告発の社会的意義に照らして告発者をいかに保護すべきかが、裁判で重要な問題となってきた。

この点について判例法理をみると、裁判所は、内部告発の社会的意義に鑑みて、次の3つの点、①告発内容が真実であり、または、真実であると信じるに相当な理由があるか(告発内容の真実性)、②告発の目的に法違反や不正行為の是正などの公益性が認められるか(告発目的の公益性)、③告発の手段・態様が相当なものであるか(告発態様の相当性)、を総合的に考慮し、内部告発行為を法的に保護すべきか否かを決定している。以下、内部告発者に対する不利益措置が問題となった裁判例を紹介する。

(2)内部告発者に対する不利益措置
中国電力事件(最三小判平4.3.3 労判609-10)では、労働者が、就業時間外に職場外で、原発の安全性や必要性、経済性等に関する私見を含んだビラを配布し、休職や減給など懲戒処分を受けた事件である。裁判所は、就業時間外のビラ配布であっても、その内容が事実を誇張、わい曲したものであり、企業の円滑な運営に支障をきたすおそれがある場合には、これを懲戒処分の対象にできるとし、本件のビラの内容は、事実に反するものであって、近隣住民に原発への誤解や恐怖心を抱かせ、事業運営に重大な支障を生じさせたとして、懲戒処分を有効と判断した。一方、財団法人骨髄移植推進財団事件(東京地判平21.6.12 労判991-64)では、総務部長が、財団の常任理事兼事務局長のハラスメント行為と思料される事実を理事長に報告した後に、降格処分となり、最終的には、懲戒処分としての解雇に処せられた。裁判所は、労働者の報告書の内容は基本的に事実であり、財団は、これを真摯に取り上げて内部調査等を実施した上で適切な指導や処分を講ずるべきあったのに、これを為さずに労働者を解雇したのであって、一連の対応には過失があり不法行為を構成すると判断している。

なお、懲戒処分の例ではないが、トナミ運輸事件(富山地判平17.2.23 労判891-12)では、労働者が、勤務先の闇カルテルに関する事実を新聞社に内部告発したため、会社が当該労働者を、長期間にわたり昇格させない等して不利益に取り扱った。裁判所は、一連の不利益取扱いは、内部告発に対する報復として行われたものであり、正当な内部告発によっては人事権の行使において不利益に取り扱わないという信義則上の義務に違反しているとして、不法行為及び債務不履行に基づく損害賠償責任を認めた。また、オリンパス事件(最一小決平24.6.28 判例集未登載)では、取引先企業からの従業員の引き抜き行為が企業倫理上の問題があるとして、社内のコンプライアンス室に内部通報した労働者に対してなされた配転命令の違法性が問題となった。控訴審判決では、当該配転命令は、業務上の必要性とは無関係に、個人的な感情に基づき、いわば制裁的に行われたものと推認できるとして不法行為に該当すると判断され、最高裁もこの判断を支持している。

(3)公益通報者保護法
2004年に制定された公益通報者保護法では、公益通報をしたことを理由とする公益通報者(労働者)の解雇、降格、減給その他不利益な取扱いをすることを使用者(事業主)に禁止している(3条、5条)。同法にいう公益通報行為とは、①会社で同法所定の犯罪事実が発生し、又は発生しようとしていることを、②労働者が不正の目的ではなく通報することである(2条)。同法では、公益通報先として次の3つ、A)会社内部、B)所轄行政機関、C)それ以外の者(マスコミ等)が挙げられており、A)B)C)それぞれに異なる保護要件が設けられている(3条1~3号)。具体的には、労働者がA)に通報する場合は、通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると思料する場合の通報が保護対象となり、B)に通報する場合は、通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると信じるに足りる相当な理由がある場合を充たす必要があり、C)に通報する場合には、B)の要件を充たすとともに、次の四つの要件、①A)B)に通報すれば解雇その他の不利益取扱いをなされる恐れがあること、②労務提供先から公益通報をしないことを正当な理由なく要求されたこと、③内部通報後20日を経過しても事実に関する調査を行う旨の通知がないか、又は正当な理由なく調査が行われない場合、④個人の生命・身体に危害が発生し、又は発生する急迫の危険があると真実に足りる相当な理由がある場合、のいずれかを充たす必要がある。

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(61)【服務規律・懲戒制度等】経歴詐称 6.人事
1 ポイント
(1)雇用関係は、労使の信頼関係を基礎とする継続的な関係であるから、使用者は、雇用契約において、労働者に、労働力評価に関わる事項だけではなく、企業秩序の維持に関係する事項の申告を求めることができる。

(2)雇用契約の締結に際し、使用者が、必要かつ合理的な範囲において、労働力の評価に関わる事項や企業秩序の維持に関係する事項の申告を求めた場合には、労働者は、信義則上真実を告知しなければならない。

(3)最終学歴は、労働力の評価だけでなく企業秩序の維持にも関わる事項であるから、学歴を高く偽るだけでなく、低く偽ることも経歴詐称に当たり、懲戒処分の対象となる。

(4)履歴書の賞罰欄における「罰」とは、一般には確定した有罪判決を指すため、公判係属中の事実については、特に申告を求められない限り、労働者はこれを告知する必要はない。

2 モデル裁判例
炭研精工事件 最一小判平3.9.19 労判615-16

(1)事件のあらまし
Xは、昭和55年11月にYに雇用された旋盤工である。Xは、大学中退者であったが、Yの採用選考時に提出した履歴書には、学歴を高卒と記載し、面接においても大学中退者であることを秘匿した。また、Xは、採用選考当時、公務執行妨害等の複数の罪で起訴され公判係属中であったが(当時、Xは保釈中)、履歴書の賞罰欄には「賞罰なし」と記載し、面接においても、刑事事件で起訴されていることを秘匿した。

Xは、Yで就労を開始した後も、軽犯罪法違反や公務執行妨害罪で逮捕され、これにより欠勤が続いた。Yは、この欠勤を契機にXの経歴を改めて調査したところ、Xの履歴書に虚偽記載があることを把握した。Yは、Xの採用選考における経歴詐称、7日以上の無断欠勤などを理由に、Xを懲戒解雇した。Xは、これを不服とし、雇用契約上の権利を有する地位の確認を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

原審の適法に確定した事実関係の下において、本件解雇を有効とした原審の判断は正当として是認できる。(以下、原審の判決(東京高判平3.2.20 労判592-77)を紹介する。)

雇用関係は、労働力の給付を中核としながらも、労働者と使用者との相互の信頼関係に基礎を置く継続的な契約関係であるから、使用者が、雇用契約の締結に先立ち、雇用しようとする労働者に対し、その労働力評価に直接関わる事項ばかりでなく、当該企業あるいは職場への適応性、貢献意欲、企業の信用の保持等企業秩序の維持に関係する事項についても必要かつ合理的な範囲内で申告を求めた場合には、労働者は、信義則上、真実を告知すべき義務を負う。

最終学歴は、単にXの労働力評価に関わるだけではなく、Yの企業秩序の維持にも関係する事項であるから、Xは、これにつき真実を申告すべき義務があった。他方、履歴書の賞罰欄における罰とは、一般的には確定した有罪判決を指すものであり、XがYの採用面接に際し、賞罰がないと答えたことは事実に反するものではなく、Xが、採用面接にあたり、公判継続の事実について具体的に質問を受けたこともないのであるから、Xが自ら公判係属中の事実について積極的に申告すべき義務があったとはいえない。よって、Xが大学中退の学歴を秘匿して、Yに雇用されたことは、就業規則の懲戒事由に当たるというべきであるが、公判係属中であることを告げなかった点は、懲戒事由には該当しない。

Xは、上記事件について有罪の確定判決を受けた後に、Yの総務部長から前歴等の秘匿について尋ねられたが、この際にも、自己の行動に対する反省の態度がみられず、依然として、既成の社会秩序を否定する考えが強く残っていたと言わざるを得ない。これらの事情を考慮すると、Xの職務上の地位や職務内容を斟酌しても、Xには懲戒解雇の事由があり、当該解雇は、社会通念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したものとはいえない。

3 解説
(1)経歴詐称に対する懲戒処分
判例法理によると、使用者は、採用選考において、求職者に対し、労働能力の評価に関わる事項だけでなく、企業秩序の維持に関係することについても、必要かつ合理的な範囲で申告を求めることができるとされ、また、使用者から必要かつ合理的な範囲において経歴等を尋ねられた労働者は、信義則上これに対して真実を告知する義務を負うとされている(思想・信条の申告については、(5)【採用】の裁判例を参照)。

モデル裁判例は、雇入れ時に行われた経歴詐称に対する懲戒解雇の適否が問題となったものであるが、裁判所は、最終学歴は、労働能力の評価だけでなく、企業秩序の維持にも関わる事項であるから、学歴を低く偽ったことは懲戒事由に該当すると判断した。ただし、逮捕・起訴歴の秘匿については、履歴書における賞罰欄は、確定した有罪判決を記載すれば足り、逮捕や起訴の事実についてまでは申告する義務がないとして、公訴係属中の身であることを申告しなかったことは、懲戒事由には該当しないとしている。

なお、モデル裁判例より以前に出された下級審の判断には、経歴詐称に対する懲戒解雇は、能力評価や組織づけを著しく誤らしめる事実を申告した労働者を、使用者が企業組織に対する危険を排除するために行うものとして認められるものであり、労働契約締結上の信義則違反を理由としてなし得るものではないとするものがみられた(富士通信機事件 横浜地決昭38.6.12 労民集14-3-843)。これに対し、モデル裁判例では、労働者の真実告知義務は、採用選考における信義則上の義務として理解されている。真実告知義務違反を雇用関係の信義則違反と解すると、信頼関係の破壊を理由として、実際に企業秩序が損なわれた事実がなくとも、経歴詐称を懲戒処分の対象とできることになり、経歴詐称に関する使用者の懲戒権限は広くなる。以下では、経歴詐称の事案でよく問題となる学歴、職歴、犯罪歴に着目して、裁判例を紹介する。

(2)学歴
判例法理においては、学歴は、労働能力の評価基準となるだけでなく、企業秩序の維持にも関係する事項であるから、最終学歴を高く偽る場合はもちろん、それを低く偽る場合にも、懲戒処分の対象とできると解されている(高校中退を高校卒業と高く偽ったこと等を理由とする懲戒解雇を有効とした例に、正興産業事件 浦和地川越支決平6.11.10 労判666-28、東大中退であることを秘匿し履歴書に中卒の学歴を記載した者に対する諭旨解雇を有効とした例として、日本鋼管鶴見造船所事件 東京高判昭56.11.25 労民集32-6-828)。

一方で、近藤化学工業事件(大阪地決平6.9.16 労経速1548-33)では、採用選考において学歴が重要な指標とされていなかったため、採用における学歴詐称(中卒を高卒と詐称)は懲戒事由の「重要な経歴詐称」には該当しないと判断された。また、学歴詐称によって経営秩序が乱れたとはいえない場合や、学歴を詐称して雇用されたが、雇用後の業務遂行には重大な支障が生じなかった場合では、学歴詐称を理由とする解雇が無効と判断されている(前者の例に、西日本アルミニウム工業事件 福岡高判昭55.1.17 労判334-12(大卒を高卒と詐称した例)、後者の例に、中部共石油送事件 名古屋地決平5.5.20 労経速1514-3(採用選考において、中央大卒ではないのに中央大卒であると告げた例))。

(3)職歴
職歴の詐称は、即戦力を求める中途採用において多く問題となる。これまでの例をみると、職歴については、雇用の採否や雇用後の労働条件の具体的内容の決定に際して重要な判断要素となるため、これを詐称することは、解雇の客観的合理的理由となると判断するものが多い。たとえば、グラバス事件(東京地判平16.12.17 労判889-52)では、JAVA言語のプログラミング能力の有無を詐称して雇用された労働者に対する懲戒解雇が有効と判断された。また、メッセ事件(東京地判平22.11.10 労判1019-13)では、アメリカで経営コンサルタント業務をしていたと虚偽の申告をして採用された労働者に対する懲戒解雇の有効性が問題となったが、裁判所は、使用者が、経歴について真実が告知されていたならば当該労働者を雇用しなかったであろうと認められる場合は、具体的な財産的損害の発生やその蓋然性がなくとも、「重要な経歴を偽り採用された場合」に該当するというべきであるとして、懲戒解雇を有効と判断した。

(4)逮捕・起訴・犯罪歴など
採用選考の過程において、労働者が、私生活上の非違行為を申告する義務があるかどうかについては、モデル裁判例のように、履歴書の賞罰欄には、有罪が確定した罪については申告する義務があるが、それまでに至らなかったもの(たとえば、逮捕歴、起訴の経験、公判係属中の身であること)については、これを直接問われない限り、労働者の側から積極的に告知する必要はないと判断される例が多い。たとえば、履歴書の賞罰欄に少年時代の非行歴まで記載する義務はないとして解雇を無効としたものとして、西日本警備保障事件(福岡地判昭49.8.15 判時758-34)がある。また、マルヤタクシー事件(仙台地判昭60.9.19 労判459-40)では、履歴書の賞罰欄には、起訴猶予の事実を記載する義務はなく、また、刑の消滅した前科については、それが労働力の評価に重大な影響を及ぼさざるをえないといった特段の事情のない限りこれを告知する義務はないとして、解雇が無効と判断された。

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(62)【服務規律・懲戒制度等】所持品検査 6.人事
1 ポイント
(1)所持品検査は、労働者の基本的人権を損なうおそれがあるから、それが就業規則に基づいて行われているからといって当然に適法となるものではない。

(2)所持品検査は、これを必要とする合理的理由に基づいて、一般的に妥当な方法と程度で、就業規則等に根拠を有する制度として、職場従業員に対して画一的に実施されなければならない。

(3)所持品検査が、就業規則等に基づいて行なわれるときは、その方法や程度が妥当を欠く等特段の事情がないかぎり、労働者は、検査を受忍すべき義務がある。

2 モデル裁判例
西日本鉄道事件 最二小判昭43.8.2 民集22-8-1603

(1)事件のあらまし
Xは、大手私鉄会社Yに勤務する電車運転士である。Yでは、乗務員による乗車賃の不正隠匿を摘発、防止する目的をもって就業規則に「社員が業務の正常な秩序維持のためその所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない。」との規定を設けていた。

Xは、乗車勤務終了後に上司から所持品検査を受けるように指示されたが、「靴は所持品ではない、本人の承諾なしに靴の検査はできないはずだ。」といって、帽子とポケット内の携行品を差し出しただけで、靴を脱ぐことは拒否した。

Yが、Xの脱靴の拒否が就業規則所定の懲戒解雇事由「職務上の指示に不当に反抗し……職場の秩序をみだしたとき」に該当するとして、Xを懲戒解雇したため、Xは、当該懲戒解雇処分の無効確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

所持品検査は、その性質上常に労働者の人権を損なうおそれを伴うものであるから、たとえ、それが企業の経営・維持にとつて必要かつ効果的な措置であり、他の企業においても実施されているといえども、また、それが就業規則に基づき行われ、検査について過半数組合または職場の労働者の過半数の同意を得ている場合といえども、当然に適法とはならない。所持品検査は、これを必要とする合理的理由に基づいて、一般的に妥当な方法と程度で、しかも制度として、職場の従業員に対して画一的に実施される必要がある。

ただし、所持品検査が、就業規則等の明示の根拠に基づいて行なわれるときは、他にそれに代わるべき措置をとりうる余地が絶無でないとしても、従業員は、個別的な場合にその方法や程度が妥当を欠く等、特段の事情がないかぎり、検査を受忍すべき義務がある。

Yの就業規則所定の所持品検査には、脱靴検査も含まれると解される。Xに行われた検査については、その方法や程度が妥当を欠いたとすべき事情はなく、Xがこれを拒否したことは、就業規則所定の義務に違反する。

原審において確定したYの懲戒解雇処分にいたるまでの経緯、情状等の事実経緯に照らすと、Xの脱靴の拒否が就業規則の懲戒解雇事由に該当するとした原審の判断に違法はなく、本件懲戒解雇は有効である。

3 解説
(1)所持品検査拒否に対する懲戒処分
モデル裁判例は、使用者による所持品検査の適法性について、つぎの四つの要件、①合理的な理由に基づき、②一般的に妥当な方法と程度で、③就業規則などの明確な根拠の下に制度として、④職場の従業員に対して画一的に実施される、を提示し、所持品検査がこれらの要件を充たして行われる場合には、労働者は他に目的を達する措置がありうる場合であっても、特段の事情がないかぎり、検査を受忍すべき義務があるとした。

もっとも、所持品検査は、労働者の尊厳などの人格的利益を侵害するおそれがあるため、これを拒否した労働者に対する懲戒処分については、検査拒否に至った経緯、業務命令違反の態様、その後の態度等を総合的考慮して、その相当性が厳格に審査されている。以下、裁判例の状況を紹介する。

(2)裁判例の状況
東陶機器事件(福岡地小倉支判昭46.2.12 判タ264-325)は、工場の出入口で行われた携行品検査において、従業員が、守衛から手提げ袋をあけて中身をみせるように求められたが、これを拒否し、懲戒解雇された。なお、本件の検査は、守衛が上長の指示を受けて就業規則に基づいて行ったもので、その方法は、工場の出入口付近に机を置き、疑問と思われるものを所持する従業員に対して「それは何ですか」と尋ねて、机の上に置いてもらってつまんだりかかえたりして確かめ、納得ができないときは「中を開けて見せて下さい」と頼んで点検をするものであった。裁判所は、今回の検査では、身体検査に類するようなことはなされておらず、従業員に不当に羞恥心、屈辱感を与えるものではなかったから、当該検査は適法であると判断した。しかし、懲戒解雇については、検査を拒否した労働者は、当時、携行品検査の重要性とそれを受けることが義務であることを理解しておらず、格別の理由もなく衝動的に検査を拒否して走り去ったと解するのが自然であるから、就業規則所定の「企業秩序をみだしたとき」に該当するとはいえないとし、懲戒解雇を無効と結論づけた。

芸陽バス事件(広島地判昭47.4.18 判時674-104)では、使用者が、バス乗務員の通勤用の自家用車の車内の私物を検査できるかどうかが問題となった。裁判所は、バス料金の不正取得の防止を目的として私物調査を行う場合には、その対象は、乗務と密接に関連するもの、すなわち、着衣や、乗務に際し会社から命ぜられて業務上携帯した物品、乗務に際し特に携帯した私物に限られるとし、乗務員の自家用車内は、原則的には検査の対象とならないとし、自家用車の検査は、乗務員が車内に金品を隠すような仕草を見せた場合などの特段の事情のある場合にのみ許されるものであるとした。そのうえで、本件では、特段の事情は認められないから、乗務員が車内検査を拒んだことは、正当な理由なく上長の指示命令に従わず職場の秩序をみだすという懲戒事由に該当するとまではいえないとして、解雇を無効としている。

神戸製鋼所事件(大阪高判昭50.3.12 判時781-107)では、新聞を数部小脇に抱えて入門しようとした労働者を私物検査のために足止めし、当該検査によって就労が遅れた部分を賃金カットしたことが問題となった。裁判所は、職場内における秩序維持、規律の確立、盗難予防等を目的として定められた就業規則の私物検査の規定は、法令や協約に反しない限り法規範性を有するが、当該検査は、その方法が、口頭による質問、任意の提示を求める行為に留まるとしても、それを為し得るのは、持込の許されない物品を所持していることを疑うに足りる相当な事由がある場合に限られると解するべきであり、単なる見込みだけで検査を行うことは、思想信条の調査にもつながり、人の自由を制限するおそれのあるものとして許すべきではないとした。そのうえで、本件では、持ちこんだ私物は外観からみて規定内に納まっていると解される量であり、従業員がこれを拒んだことに相当な理由が認められると判断し、許されない検査によって発生した不就労分の賃金の請求権を認めた。

帝国通信工業事件(横浜地川崎支判昭50.3.3 労民集26-2-107)では、退出のタイムカード打刻の際に一斉に行われた所持品検査を拒否したことを理由としてなされた懲戒解雇の有効性が問題となった。裁判所は、所持品検査を行うに当たっては、人権侵害を避けるべく、できるだけ従業員に協力を求め、従業員が進んで所持品を開いて検査に応ずるような雰囲気を作り出すなどの工夫をすることによって、適切な運用を図るべきであると説示し、本件の検査では、従業員が守衛に検査の目的を訪ねたが、これに対する明確な説明がなく、その態度も硬直過ぎるもので、検査の対応は妥当性に欠けるものであったとして、当該検査を拒否した労働者に対する懲戒解雇処分を無効と判断した。

(3)違法な所持品検査に対する損害賠償請求
以上の例は、所持品検査を拒否した者に対する懲戒処分の有効性が問題となったものであるが、これとは別に、不当な所持品検査の実施によって精神的苦痛を受けたとして慰謝料請求がなされることもある。たとえば、サンデン交通事件(山口地下関支判昭54.10.8 労判330-99)では、従業員に対して、何らの不審な点もないのにその着衣の上から検査者が手で触わったり、被検査者自身に全てのポケットの中袋を裏返しさせたりしたことに対して、そのような確認行為は、被検査者に対する不信感をあらわにするものであり、従業員に屈辱感や侮辱感を招致するものであるから、所持品検査の態様としては、著しくその方法・程度を逸脱したものと認めざるを得ないとして、慰謝料30万円の支払いが認められている(他に、所持品検査の実施によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料が認められた例として、日立物流事件 浦和地判平3.11.22 労判624-78、コスモアークコーポレーション事件 大阪地判平25.6.6 労判1082-81がある)。

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(63)【服務規律・懲戒制度等】私生活上の非違行為 6.人事
1 ポイント
(1)労働者の私生活上の行為であっても、それが、会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような場合には、会社はこれを規制できる。

(2)労働者の不名誉な行為が会社の体面を著しく汚したというためには、必ずしも労働者の行為により具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益の発生があったことまでは要しないが、問題となる行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類・態様・規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から総合的に判断して、その行為により会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価できる場合でなければならない。

2 モデル裁判例
日本鋼管事件 最二小判昭49.3.15 民集28-2-265

(1)事件のあらまし
Yの従業員であったXらは、昭和32年のいわゆる砂川事件に加担し、日米安全保障条約に基づく行政協定に伴う刑事特別法上の罪により逮捕、起訴された。Yは、労働協約および就業規則所定の懲戒解雇事由(「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」)に該当するとして、Xらを懲戒解雇(一名は諭旨解雇)した。

Xらは、当該懲戒処分を不服とし、雇用契約に基づく権利等の確認を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

営利を目的とする会社がその名誉、信用その他相当の社会的評価を維持することは、会社の存立ないし事業の運営にとって不可欠であるから、会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような従業員の行為については、それが職務遂行と直接関係のない私生活上で行われたものであっても、会社はこれを規制することができる。

ただし、「従業員の不名誉な行為が会社の体面を著しく汚したというためには、必ずしも具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益の発生を必要とするものではないが、当該行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類・態様・規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から綜合的に判断して、右行為により会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合でなければならない。」

本件においては、砂川事件が反米的色彩をもつ集団的暴力事犯として国内外に広く報道されたこと等によりYの社会的評価に一定の影響のあったことが認められるが、Xらの行為は破廉恥な動機目的によるものではなく、Xらに対する刑も罰金2,000円という軽微なものに留まりその不名誉性はさほど強度ではなかったこと、Yは約3万名を雇用する大企業であり、Xらはその工員にすぎなかったといえる。以上からすれば、Xらの行為は、会社の体面を著しく汚したものとして、懲戒解雇又は諭旨解雇の事由とするには不十分である。

Xらに対する解雇を無効とした原審の判断は相当であり、原判決に所論の違法はない。

3 解説
(1)私生活上の行為に対する懲戒処分
労働者の私生活上の行為といえども、その行為の性質や態様が、会社の信用や名誉、社会的地位に悪影響を及ぼす可能性がある場合には、使用者は、就業規則等に基づき、当該行為に対し懲戒処分を行うことができる。ただし、これまでの裁判例では、労働者の私生活上の自由は尊重されるべきものであるから、使用者は、その私生活全般を統制することはできないとされ、労働者の私生活上の行為を懲戒処分の対象とし得るのは、当該行為が、会社の事業活動や社会的評価に相当な悪影響を与えるおそれがあると客観的に評価できる場合のみと解されている。

モデル裁判例も、就業規則の懲戒事由である「会社の体面を著しく汚したとき」に該当する場合とは、労働者の問題行為が具体的な不利益を引き起こしたことまでは要しないが、当該事実関係の経緯と会社を取り巻く状況、労働者の職務上の地位などに照らして、会社に与える影響が相当に重大であると客観的に評価できる場合に限られるとし、労働者の私生活上の言動に対する懲戒権行使の範囲を厳しく制約している。以下、私生活上の行為の類型別に、裁判例の状況を整理する。

(2)政治活動等への参加
国鉄中国支社事件(最一小判昭49.2.28 民集28-1-66)では、国鉄職員が日教組の活動に参加している際に、警察官の公務執行を妨害し、公務執行妨害罪で懲役6月(執行猶予2年)の有罪判決を受け免職処分を受けた。裁判所は、当該行為は国鉄職員の所為として相当ではなく、これにより国鉄の社会的評価の低下毀損のおそれが客観的に認められるとし、本件所為が公務執行妨害罪にあたる重大な犯罪行為であることからしても、処分は相当であり裁量権の逸脱はないとして、免職処分を有効と判断している。このほかに、国鉄職員の公務執行妨害罪等の有罪確定に対する懲戒免職処分を有効とした例として、国鉄小郡駅事件(最二小判昭56.12.18 判時1045-129)がある。

(3)法令違反行為
労働者の就業時間外の犯罪行為に対する懲戒処分についてみると、小田急電鉄事件(東京高判平15.12.11 労判867-5)において、私鉄会社の従業員が、勤務時間外に別会社の電車内で痴漢行為を複数回行い逮捕され罰金刑を受けたことを理由として懲戒解雇となった。裁判所は、当該行為は、私鉄会社の従業員として倫理規範に反すると解され、当該行為が公になったか否かは処分の有効性に影響しないとし、懲戒解雇を有効とした。他方で、横浜ゴム事件(最三小判昭45.7.28 民集24-7-1220)では、タイヤ製造販売会社の従業員が、深夜に酩酊状態で他人の住居に侵入し罰金刑を受け懲戒解雇されたことが問題となったが、裁判所は、問題行為の性質や態様、労働者の職務上の地位等からすると、本件行為は「会社の体面を著しく汚した」という懲戒事由に該当するとはいえないとして、懲戒解雇を無効と判断した。

公務員の飲酒運転を理由とする懲戒免職の有効性については、事故に至る経緯や酩酊状態の程度、事故当時の状況やその後の態度(謝罪の有無や反省の度合い)等を総合的に考慮して、その有効性が検討されている。近時では、S市事件(大阪高判平22.7.7 労経速2081-28)、高知県事件(高松高判平23.5.10 労判1029-5)において懲戒免職が有効とされたが、他方で、加西市事件(大阪高判平21.4.24労判983-88)、姫路市事件(神戸地判平25.1.29 労判1070-58)では、懲戒免職が無効と判断された。

(4)勤務時間外のビラ配布
勤務外に行われたビラ配布等の行為については、その行為によって会社の企業秩序が乱れるおそれがある、または、企業の円滑な運営に支障をきたすおそれがあると客観的に評価できる場合に限って、当該行為に対する懲戒処分が有効と判断されている(ビラ配布行為に対する譴責処分が有効と判断された例として、関西電力事件 最一小判昭58.9.8 労判415-29、中国電力事件 最三小判平4.3.3 労判609-10)。

(5)恋愛問題
労働者の恋愛関係や恋愛の情をめぐるトラブルについては、それが社会通念上不適切と評価されるものであったとしても、当然に懲戒処分の対象となるものではない。ただし、企業の社会的評価や、労働者の担当する職務の性質や社会的地位等との関係において、当該行為が具体的な悪影響を及ぼした場合には、当該行為を理由とする懲戒処分も有効と判断されることが多い。過去をみると、女子短大の講師であった労働者が婚外子を妊娠・出産したこと等を理由としてなされた解雇が有効と判断された例や(大阪女学院事件 大阪地判昭56.2.13 労判362-46)、中学校と高校で体育を担当していた教員(妻子あり)が生徒の母親と情交関係をもったことに対してなされた懲戒解雇が「教員としての品位を失い、学院の名誉を損ずる非行があった場合」に該当するとして有効と判断された例がみられる(学校法人白頭学院事件 大阪地判平9.8.29 労判725-40)。他方、妻子ある同僚と恋愛関係になった女子従業員に対する懲戒解雇の効力が争われた事件では、労働者の恋愛関係が懲戒理由に該当するというためには、当該行為が非社会的であるだけでは足りず、企業運営等に具体的な影響を与えるものでなければならないとして懲戒解雇が無効とされており(繁機工設備事件 旭川地判平元.12.27 労判554-17)、また、飛行機会社の職員(機長)が、恋愛関係にあった元客室乗務員に対して頸部捻挫等の傷害を加えて刑事訴追されたため、無給の休職処分を受けた事件では、職員が引き続き就労したとしても、会社の対外的信用の失墜や職場秩序維持に障害が生じるようなおそれはないとして、休職処分が無効と判断されている(全日本空輸事件 東京地判平11.2.15 労判760-46)。

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(64)【服務規律・懲戒制度等】調査協力義務 6.人事
1 ポイント
(1)使用者は、企業秩序の維持確保のために必要な規則を定めることができ、企業秩序違反行為があった場合には、懲戒処分を行うために、労働者に対して事実関係の調査をすることができる。しかし、労働者は、企業の一般的な支配に服しているわけではないから、そのような調査に常に従わなければならないわけではない。

(2)労働者を指導監督する地位にある者や、企業秩序の維持などを職責とする者は、調査への協力そのものが労務提供義務の履行そのものであるため、使用者が行う調査に協力しなければならない。他方、それ以外の労働者については、そのような調査に協力することが労務提供義務を履行する上で必要かつ合理的であると認められない限り、当該調査協力義務を負うことはない。

2 モデル裁判例
富士重工業事件 最三小判昭52.12.13 民集31-7-1037

(1)事件のあらまし
Yに勤めるAは、就業時間中上司に無断で職場を離脱し、就業中の他の従業員に対し原水爆禁止の署名を求めたり、運動資金の調達のために販売するハンカチの作成を依頼したりしていた。Yは、Aの行為が就業規則に違反する行為に該当すると考え、事実関係の調査をはじめ、Aの同僚であるXに対して事情を聴いた。Xは、Aに頼まれてハンカチを作成したことは認めたが、原水爆禁止運動を行っている者の氏名や活動の内容等に関する質問には答えなかった。

Yは、Xが調査に協力しなかったことが、職場の秩序遵守や作業効率の向上を定める就業規則の規定等に反するとして、譴責処分を行った。Xは、当該処分を不服とし、当該処分の無効確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

企業は、企業秩序の維持確保のために、必要な規則を定めたり、具体的に労働者に指示や命令を出したりすることができ、企業秩序違反行為があった場合には、当該行為に対して懲戒処分を行うため、事実関係の調査をすることができる。しかし、企業に事実調査の権限があるといって、直ちに、労働者が、そのような調査に当然に協力する義務を負うということはできない。労働者は、労働契約の締結により労務提供義務やこれに付随する企業秩序遵守義務等を負うが、企業の一般的な支配に服しているわけではないからである。

労働者が他の者に対する指導監督ないし企業秩序の維持などを職責とする者であって、懲戒処分等に関する調査に協力することが職務内容となっている場合には、調査への協力そのものが労務提供義務の履行そのものであるから、調査に協力すべき義務があると言わざるを得ない。しかし、それ以外については、調査対象である違反行為の性質、内容、当該労働者の違反行為の見聞の機会と職務執行との関連性、より適切な調査方法の有無等諸般の事情から総合的に判断して、そのような調査に協力することが労務提供義務を履行する上で必要かつ合理的であると認められない限り、そのような調査に協力する義務を負うことはない。

本件では、調査に協力することはXの職務の内容ではない。また、今回のXに対する調査は、Aの就業規則違反の事実を具体的に聞き出そうとしたものではなく、Xから、原水爆禁止運動の組織、活動状況等を聞き出そうとしたものである。

Yは、すでに、Xへのハンカチ作成の依頼の件が休憩時間中にされたものであることを知っていたのであるから、Xが調査に協力することがXの労務提供義務の履行にとつて必要かつ合理的であったともいえない。以上から、Xには本件調査に協力すべき義務はなく、調査協力義務のあることを前提としてされた本件懲戒処分は、違法無効である。

3 解説
(1)労働者の調査協力義務
モデル裁判例では、職場における同僚の就業時間中の職場離脱等の行為の事実関係を調べる過程において、労働者が調査協力を求められた。裁判所は、労働者のこのような調査への協力は、労働契約上の義務として当然に認められるものではないとし、労働者の職務上の地位や職務内容との関係において、調査への協力がその職責に含まれると解される場合には、当該調査への協力は労務提供義務そのものとして義務づけられていると解されるが、それ以外の場合については、労務提供義務を履行する上で必要かつ合理的な場合にのみ、調査への協力義務が認められるとした。

他方、公共企業(市交通局)が雇用する職員に対して入れ墨の有無の申告を求めた戒告処分取消等事件(大阪高判平27.10.15 判時2292-30)では、市民等の目に触れる可能性のある部分に入れ墨があるかどうかを調査することは、当該部分に入れ墨をしている職員が市民等に接する機会の多い職務に従事している場合に、より市民等に接する機会の少ない職務を担当させる等の人事配置をするという目的に照らして正当であると判断した。また、調査手段については、書面で申告させたこと、任意調査ではなかったことも、上記目的の達成に必要な範囲内で、適正かつ公正な手段であるとして、結論として、申告を拒否した職員に対する戒告処分を有効としている。なお、判決は、本件調査は地方公務員法32条に基づく適法な職務命令であって、地方公務員の調査協力義務が問題となったものであるから、モデル裁判例の最高裁判決の判示は直ちに妥当するものではないとしている。

(2)調査の方法
使用者は、企業秩序の維持や企業秘密の漏洩などに関わる問題を調査するために、雇用する労働者に対して、必要かつ合理的な範囲で調査を行うことができる。しかし、使用者による事実関係の調査は、その内容や方法によっては、労働者の内心の自由を侵害するおそれがあるため、その方法や態様には、慎重な配慮が求められる。

この点について、東京電力事件(最二小判昭63.2.5 労判512-12)では、会社の秘匿されるべき情報が、共産党の機関紙によって報道されたことから、その取材源を特定するべく使用者が、取材源である可能性が高い女性労働者に事情を聴取し、その際に、共産党員であるかどうかを尋ねたことが、労働者の精神的自由の侵害にあたるかどうかが問題となった。裁判所は、本件の事情聴取は、企業秘密の漏洩という企業秩序違反行為の調査をするために行われたことが明らかであり、その必要性や合理性は肯定できるとしたうえで、調査目的と共産党員であるかどうかを尋ねる質問との関連性を事前に明らかにしなかったことは、調査の方法として相当性に欠ける面があるが、質問自体は、その必要性と合理性を肯認することができ、質問の態様も、返答を強要するものではなかったとして、本件質問の態様が、社会的に許容し得る限界を超えて、労働者の精神的自由を侵害したとはいえないと判断している。また、労働者が共産党員ではない旨の返答をした後に、それを書面にするように繰り返し要求した点についても、その要求は強要にわたるものではなく、また、本件話合いの中で、労働者に、書面にしなければ不利益を受ける等の示唆があった訳でもないから、書面交付の要求についても、違法行為であるということはできないとして、損害賠償請求を斥けている。

(3)調査等で収集した情報の管理
以上のように、使用者は、労務管理又は企業秩序の保持に関し、必要かつ合理的な範囲で、雇用する労働者に事情聴取を行い、関連する情報を収集することができる。もっとも、そのような調査において収集される情報の中には、みだりに公開を望まない個人情報が含まれていることがあるため、調査を行う際には、そのような個人情報の管理や保護について慎重な対応が必要となる。

個人情報の保護については、2003年に個人情報保護法が制定され、個人情報取扱事業者に対して、各種の義務が課せられているが、厚労省も、同法の制定に基づき、雇用管理における個人情報保護のありかたについて検討し、使用者等(事業者)が雇用管理上講ずべき措置に関する指針(「雇用管理分野における個人情報保護に関するガイドライン」最終改正平27厚労告454号)を公表している。また、労働者の健康情報については、特に慎重な取り扱いが求められるため、厚労省は、上記指針の他に「雇用管理に関する個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項」(最終改正平27.11.30日付基発1130第2号)を策定し、適切な情報の取扱いを通知している。

(なお、HIVや肝炎ウイルス等の有無等のプライバシーに関わる機微な個人情報の収集については、(66)【安全衛生・心身の健康】参照。)

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(65)労働者の損害賠償責任とその制限 6.人事
1 ポイント
(1)労働者が仕事上のミス等により使用者に損害を与えた場合、その損害を賠償する責任を負うことがあるが、危険責任・報償責任の原則や、使用者と労働者の経済的格差への配慮から、労働者の賠償責任は制限される。

(2)労働者の損害賠償責任が認められる場合にも、賠償すべき金額は、損害の公平な分担という見地から、信義則を根拠として減額される。減額の幅は、労働者が行った加害行為の態様、労働者の地位・職責・労働条件、加害行為の予防や損失の分散(保険の利用等)についての使用者の対応のあり方等の諸事情を考慮して判断される。事案によっては減額が認められないこともありうる。

2 モデル裁判例
茨石事件 最一小判昭51.7.8 民集30-7-689

(1)事件のあらまし
石油等の輸送、販売を業とするX会社の従業員Yは、会社の業務としてタンクローリーで重油を輸送中に、同人の車両間隔不保持・前方不注意が原因で訴外A会社の車両に追突する事故を起こした。

この事故によって、X会社は、事故車両の修理費用等につき、約33万円の損害を被った。また、X会社は、A会社に対し、損害賠償として約8万円を支払った。

X会社は、これらの合計金額41万円余りの支払いをYに求め、本件訴訟を提起した。第一審判決(水戸地判昭48.3.27 民集30-7-695)、控訴審判決(東京高判昭49.7.30 民集30-7-699)がいずれも、上記金額の4分の1の限度でのみ請求を認容したので、これを不服としてXが上告した。

なお、Xは、資本金800万円の株式会社であり、従業員約50名を擁し、業務上車両を20台近く保有しているが、経費節減のため、当該車両については対人賠償責任保険のみに加入し、対物賠償責任保険及び車両保険に未加入であった。また、Yは、普段は小型貨物自動車の運転業務に従事しており、タンクローリーには臨時的に乗務するに過ぎなかった。本件事故当時のYの賃金額は月額約4万5,000円であり、その勤務成績は普通以上であった。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(Xの上告を棄却)

使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により直接損害を被り、又は使用者としての損害賠償責任を負担したことにより基づき損害を被った場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができる。

本件の事実関係の下では、XがYに支払いを請求しうる額は信義則上Xが被った損害額の4分の1を限度とすべきであるとした原審の判断は正当として是認できる。

3 解説
(1)労働者の損害賠償義務
労働者が仕事上のミス等により使用者に損害を与えた場合、次に挙げるような形で、使用者に対して民法上の損害賠償責任を負うことがある(このほか、不正競争防止法4条などの特別な法律に基づいて労働者の損害賠償責任が生じることもある)。

第一は、労働者の加害行為から、直接使用者に損害が生じる場合である(労働者の不注意による、使用者の商品や営業用器材の損傷・紛失、取引上の損失の発生など)。この場合、当該加害行為が労働契約上の債務不履行(民法415条)、又は不法行為(民法709条)に該当すれば、これらの規定に基づく損害賠償責任が発生しうる。

第二は、労働者の加害行為により、使用者以外の第三者に損害が生じる場合である(労働者のミスによる交通事故、顧客の損害など)。この場合、労働者の加害行為が職務に関連したもの(使用者の事業の執行についてのもの)であり、かつ、民法709条の不法行為に該当すると、使用者は被害を受けた第三者に対して損害賠償責任を負い(民法715条1項)、これに基づいて損害を賠償した使用者は、その負担を直接の加害者である労働者に求償する権利を持つ(民法715条3項参照)。

ただし、使用者は、会社に損害を与えた労働者に対して、常に民法上の一般原則に基づいて損害賠償や求償を求めうるわけではない。判例上は、危険責任・報償責任の原則(業務遂行上のミスから生じる損害は、労働者を指揮命令する立場にあり、労働者を使用することから利益を得ている使用者が負担すべきであるという考え方)から、労働者の損害賠償責任を制限する法理が発展しており、労働者に過失があっても故意や重大な過失までは認められないケースでは、損害賠償請求や求償請求が棄却されることが多い。

(2)信義則に基づく損害賠償額の減額
さらに、労働者が損害賠償責任を負う場合の賠償額についても、社会通念に照らして加害行為によって生じたといいうる(加害行為との間に「相当因果関係」が認められる)損害額を賠償するという民法の原則は修正され、信義則(民法1条2項)を根拠として、上記の原則に基づく額からの減額が行われる。このような処理も、(1)と同様、使用者と労働者の経済力の差や、危険責任・報償責任を考慮し、労働者・使用者間で損害の公平な負担を図るためのものと理解できる。

モデル裁判例は、このような損害賠償の減額がなされることを判例法理として確立した最高裁判決である。具体的判断としては、使用者(X)側の事情として、事業の規模・内容、保険未加入の事実、労働者(Y)側の事情として、本件事故における過失の内容、臨時的な業務に従事中の事故であったこと、賃金額及び平素の勤務成績、を考慮して、賠償額を民法上の原則から4分の1に減額している。

一般的にも、損害賠償の減額の判断は、損害・負担の発生に対する各当事者の責任の重さ(加害行為についての労働者の故意・過失のあり方、使用者側の予防策や保険等による損失分散策の実施状況など)や労働者の地位・職責・労働条件に関する点を中心に、労働者側・使用者側双方の事情を広く考慮して行われる。具体的判断例としては、消費者金融会社における内規違反の貸付によって生じた損害につき、厳しい営業目標管理の存在や使用者が全国有数の事業者であること等を考慮して賠償額を10分の1(172万円余り)とした株式会社T(債務引受請求等)事件(東京地判平17.7.12 労判899-42)、中古車販売会社の店長が取引先にだまされて生じた損害につき、店長の重過失を認めつつ、諸般の事情を考慮して賠償額を2分の1(2,578万円余り)としたガリバーインターナショナル事件(東京地判平15.12.12 労判870-42)、売上代金の請求書作成を怠ったことによる損害につき、過重労働の存在、再発防止措置の不十分さ等を考慮して賠償額を約4分の1(200万円)としたN興業事件(東京地判平15.10.29 労判867-46)などがある。

一方、加害行為の態様等の具体的事情によっては、こうした減額は行われないこともある。具体的には、競業避止義務違反(エープライ事件 東京地判平15.4.25 労判853-22)、計画的な従業員引き抜き(フレックスジャパン・アドバンテック事件 大阪地判平14.9.11 労判840-62、(80)転職の勧誘・引抜きも参照)、会社からの金銭の不正取得(大電事件 大阪地判平11.11.29 労経速1727-14)、背任行為(大昌貿易行事件 東京地判平11.9.30 労経速1726-20)等の事案で、加害行為と相当因果関係を認められた損害全額の賠償が認められている。

(3)関連する問題
以上のような、労働者に対する損害賠償請求は、使用者が現実に被った損害に基づくものでなければならず、予め損害賠償の額を定めておくことは、労働基準法16条により禁止されている((9)賠償予定の禁止参照)。

また、使用者が労働者のミス等に対して課す金銭的な制裁には、損害賠償の他に、懲戒処分として行われる減給もある。これは、損害賠償とは性質を異にするものであり、上記のようなルールではなく、懲戒処分に関する規制を受けることになる((56)【服務規律・懲戒制度等】参照)。

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(66)【安全衛生・心身の健康】健康管理 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)就業規則において、職員に対する健康保持増進義務を定めること、健康管理を要する者(要管理者)に自らの健康の回復に努める義務を定めること、要管理者に対して健康管理従事者の指示に従う義務を規定することは、いずれも合理的と認められる。

(2)(1)の義務を定める就業規則が合理的である以上、その内容は、使用者と労働者との間の労働契約の内容となっており、労働者は、使用者から健康受診命令が発せられた場合は、それに従う義務がある。

(3)使用者の健康診断受診命令が有効である以上、その命令に反する行為は、就業規則所定の業務命令違反の懲戒事由に該当すると解される。

2 モデル裁判例
電電公社帯広局事件 最一小判昭61.3.13 労判470-6

(1)事件のあらまし
Yは、日本電信電話公社法により設立された公共企業体で、Xは、その職員である。Yは、頸肩腕症候群罹患の予防や早期解決のために諸施策を講じ、その発症数は減少傾向にあったが、3年以上を経過しても治癒しない者が多かったことから、対策を講じるために、職場の労働組合と労働協約を結んだうえで、長期療養者に対して総合精密検査を受診させることにした。

Xは、当時、Yの帯広電報電話局に勤務していたが、頸肩腕症候群の診断を受け、健康管理を要する者(以下、「要管理者」)と認定され、本来の電話交換業務ではない軽作業に従事していた。Yは、Xに対し、札幌逓信病院において総合精密検査を受診するように業務命令を発したが、Xが、「札幌逓信病院は信頼できない。」と述べてこれを拒否したため、就業規則所定の懲戒事由(「上長の命令に服さないとき」等)に該当するとしてXを戒告処分とした。

Xは、当該処分の無効の確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

就業規則が労働者に対し、一定の事項につき使用者の業務命令に服従すべき旨を定めているときは、その内容が合理的なものであるかぎり、それは、労働契約の内容になる。

Yの就業規則と健康管理規程では、職員は常に健康の保持増進に努める義務があるとされ、さらに、要管理者には、自らの健康の回復に努める義務が規定され、健康回復を目的とする健康管理従事者の指示に従う義務も規定されていた。これらの内容は、職員がその労働力の処分をYに委ねている趣旨に照らして、いずれも合理的と認められるから、上記の義務は、YとXとの間において労働契約の内容となっていたと認められる。

Xは、当時、頸肩腕症候群に罹患したことを理由に「要管理者」とされていた。先に述べた通り、Xには、健康回復に向けて健康管理従事者の指示に従う義務があったから、YがXの病の回復のために精密検診を受けるようにとの指示をした場合には、病の治癒回復という目的との関係で合理性ないし相当性が肯定し得るかぎり、その指示に従う義務があったといえる。本件で命じられた総合精密検診は、総合病院の各専門科医による検診結果を総合してXの疾病の原因及びその治療方法を究明し、その疾病の早期回復を企図するものであり、Xの健康回復により資するものであったといえる。それゆえ、Xには、Yの指示に従い、本件総合精密検診を受診して、その健康回復に努める義務があったといえる。

Yの本件業務命令は有効なものであり、これを拒否したXの行為は就業規則所定の懲戒事由にあたる。Yの戒告処分が、社会通念上著しく妥当を欠き裁量権の範囲を超えた違法なものとも認められないから、本件戒告処分は適法である。

3 解説
(1)健康診断の受診命令とその範囲
使用者には、労働者の生命や身体等の安全、健康に配慮する義務、いわゆる「安全配慮義務(労契法5条)がある。この安全配慮義務を適切に履行するためには、使用者は、雇用している労働者の健康状態を正確に把握しておかなければならない。そのため、労安衛法では、使用者に労働者に対する健康診断の実施を義務づけ(対象労働者や頻度は厚労省令に定めがある。労安衛法66条)、健康診断等によって異常所見が認められた労働者に関しては、使用者は、医師等から当該労働者の健康を保持するために必要な措置について意見を聴取しなければならない(同法66条の4)。また、使用者は、医師の意見を勘案した上で、労働者の実情に合った措置(就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮、深夜業の回数の減少等)を採る必要がある(同法66条の5。メンタルヘルスの不調については、本人が申告しにくい情報であることから、使用者は、労働者からの申告がなくても、その健康に関わる労働環境等に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っている。東芝(うつ病)事件 最二小判平26.3.24 裁時1600-1)((69)【労災補償】参照)。なお、労安衛法上の措置義務は、労働契約上の本来的履行義務ではなく付随義務であるから、労働者が、使用者に安全配慮義務の履行を直接請求できるものではないと解されている(高島屋工作所事件 大阪地判平2.11.28 労経速1413-3)。

健康診断の結果については、使用者は、労働者にこれを通知しなければならず、また、健康診断の結果により、特に健康に留意する必要がある労働者に対しては、医師等の保健指導を実施する必要がある(努力義務、労安衛法66条の7)。

このほか、過労死等の抑止を目的としたものとして、週単位の時間外労働が1か月100時間を超えかつ疲労の蓄積が認められる者に対する医師の面接指導の実施義務と必要な措置の提供義務がある(66条の8)。また、近年、恒常的な長時間労働や職場の人間関係等から生じるストレス等によって、心の健康を損なう労働者が増えたことから、2014年の労安衛法改正において、使用者(常時50人以上の労働者を使用する事業主)に対して、「心理的な負荷等を把握するための検査等」(66条の10)を毎年実施する義務が課せられた(「ストレスチェック制度」2015年12月1日施行)。

なお、労安衛法上の健康診断については、検査項目が厚労省令(労安衛法規則43~45条の2)によって規定されているが、この法定検査項目以外の項目についても調査する必要があると使用者が判断した場合には、就業規則等の合理的な根拠に基づいて、労働者に法定健診以外の検査の受診を命じることができる(モデル判例)。

ただし、その検査命令は、労働者の健康に関するプライバシーを不当に侵害するものであってはならない(本人の意思確認なくHIVの抗体検査を実施したことがプライバシー侵害に当たるとされた例にT工業事件 千葉地判平12.6.12 労判785-10、本人同意のないB型肝炎ウィルス検査のプライバシー侵害が認められた例に、B金融公庫事件 東京地判平15.6.20 労判854-5)。また、業務遂行に関して特段の支障とならない傷病を理由として、労働者を解雇する又は退職勧奨を強く行うことは、不法行為に該当する(HIV感染者解雇事件 東京地判平7.3.30 労判667-14、東京都(警察学校・警察病院)事件 東京地判平15.5.28 労判852-11)。なお、HIVや肝炎ウィルス等の感染事実は、プライバシーに関わる重要な個人情報であることから、その管理や使用については特に配慮が求められる(看護師のHIV陽性と梅毒感染の情報を、本人の同意を得ることなく職場の関係者に知らせたことが不法行為に該当するとされた例に、社会医療法人T事件 福岡高判平27.1.29 労判1112-5)。

(2)労働者の受診義務と受診拒否に対する懲戒処分
労安衛法上の健康診断の実施が使用者から命じられた場合には、労働者はこれを受診する義務がある(労安衛法66条5項。罰則はない。)。ただし、使用者が指定した医師による健康診断については、診断結果に使用者の意向が及ぶおそれがあることから、労安衛法には、使用者が指定した医師等による健康診断の受診を希望しない労働者については、他の医師による健康診断を受けて、その結果を証明する書面を使用者に提出することができるとの定めがある(同条ただし書)。なお、法定健診の受診命令の有効性については、愛知県教委事件(最一小判平13.4.26 労判804-15)において、学校保健法と健康保険法に基づいて、公立学校の校長が教員に対してX線検査の受診を命じることは、学校における結核の集団感染の予防等の目的に照らして適法であり、これを拒否した教員に対する減給処分が有効とされている。

なお、モデル裁判例は、労安衛法所定の検査項目以外の事項を調べる法定外検査に対する労働者の受診義務を肯定したものである。判決によると、使用者が、労働者の健康の回復や保持といった目的において、合理的かつ相当な範囲で健康診断の受診を労働者に命じた場合には、労働者はこれを拒否することはできない。また、使用者が、健康診断の受診拒否を理由として、当該労働者に懲戒処分を課すことも、懲戒権の裁量の範囲内において許されるとされている。

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(67)【労災補償】法定内補償~労働災害の認定~ 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)労働者が労働災害によって被った損害を補償する制度として、①労災補償制度と②労災民事訴訟制度とがある。前者①の制度に基づく補償を法定内補償、後者②の制度による補償や使用者による上積補償等を法定外補償という。

(2)業務上の負傷・死亡に関して、①事業場内で業務に従事中の災害については、業務遂行性が認められ、原則として業務起因性も推定される。②事業場内にいても業務に従事していない休憩中等の災害については、業務遂行性は認められるものの、作業環境や企業施設の不備等によるものでないかぎり、業務起因性は認められない。③事業場外であっても業務従事中や出張中の災害については、出張の全過程について業務遂行性が認められ、かつ、積極的な私的行為等がないかぎり業務起因性も広く認められる。

(3)労働者が出張中に、予定の宿泊先施設内において互いの慰労や懇親の趣旨で行われた飲酒を伴う夕食をとった後、宿泊施設内階段で転倒し、その後死亡したケースについて、飲酒量や飲酒態様等に照らして業務遂行性が肯定でき、かつ、業務と関連のない私的行為や恣意的行為ないしは業務逸脱行為によって自ら招来した事故であるといい得ない場合には、業務起因性を否定すべき事実関係は存しない。

2 モデル裁判例
大分労基署長(大分放送)事件 福岡高判平5.4.28 労判648-82

(1)事件のあらまし
第一審原告Xの夫である労働者Aは、訴外株式会社Zに雇用されていたが、ある日Zの従業員3名とともに、1泊2日の予定で出張し、初日の業務終了後の午後6時頃から同8時半頃まで、同行者らと飲酒を伴う夕食をとった。その後、午後9時過ぎに宿泊施設内の階段を歩行中に転倒し、頭部を打撲するなどし(以下、「本件転倒事故」という)、このことが原因でAは約4週間後に急性硬膜外血腫で死亡した。

Xは、Aの死亡が業務上の理由によるものであるとして、労災保険法に基づく療養補償給付等の支給を第一審被告Y労基署長に請求したが、Yは業務災害に該当しないとして不支給処分をした。Xは、Yのこの処分を不服として、審査請求、再審査請求をしたがいずれも棄却されたため、当該処分の取消を求めて訴えを提起した。

原審(大分地判平4.3.2 労判613-63)では、出張先の宿泊施設内において互いの慰労や懇親の趣旨で夕食とともに飲酒したこと等により、業務遂行性は肯定されたが、本件転倒事故の具体的な発生状況については不明としながらも、転倒時に自己防衛反射に欠けたこと等も踏まえ、本件転倒事故はAが飲酒によって酩酊していたために発生したと判断され、業務起因性は否定された。Xは、請求が棄却されたため、控訴した。

(2)判決の内容
遺族側勝訴(原判決取消し)

Aらの飲酒行為は、宿泊を伴う出張において通常随伴する行為といえないことはなく、宿泊中の出張者が使用者に対して負う出張業務全般についての責任を放棄ないし逸脱した態様のものに至っていたとは認められないことより、業務遂行性は失われておらず、本件事故当時にも業務遂行性はあったと認められる。そして、本件転倒事故は、飲酒による酔いのために注意力や動作の敏捷性が減退した状態の下で生じたもの等と認められるものの、Aが業務と全く関連のない私的行為や恣意的行為あるいは業務遂行から逸脱した行為によって自ら招いた事故ではなく、業務起因性を否定すべき事実関係はないというべきである。したがって、Aの死亡は労災保険法上の業務上の事由による死亡に当たる。

3 解説
(1)労災補償制度
わが国では労働者が労働災害によって被った損害を補償する制度として、①労災補償制度(労基法上の災害補償制度および労災保険法に基づく労災保険制度)と、②被災労働者等が使用者に対して行う損害賠償制度(労災民事訴訟制度)とがある。現在では労災保険制度が労災補償の中心的な役割を担っている。労働者が労災保険給付等を受給するためには、業務災害(労働者に生じた負傷・疾病等が「業務上の事由」によること)ないし通勤災害にあったことが要件となる(労災法7条1項)。労災保険の給付内容が他の社会保険と比べて充実していることをも考えると、業務災害に当たるか否かを判定する「業務上・外認定」は、被災労働者やその遺族にとって、受給の有無を決定する非常に重要な判断となる。

(2)業務上・外認定
労災保険法でいう「業務上」の概念は、労基法上のものと同様と考えられているが、労基法にもその定義規定は置かれていない。行政解釈や裁判例では、この業務上について、業務遂行性と業務起因性なる概念を用いて説明されており、業務遂行性とは、労働契約に基づき労働者が使用者の支配・管理下にあることを、また、業務起因性とは、業務と負傷・疾病等との間に経験則上、相当因果関係があること(換言すれば、その負傷等が業務に内在または随伴する危険の現実化したものと評価できること)を意味していると考えられている。さらに、行政解釈によれば、業務遂行性は業務起因性の第一次的な判断基準とされている。

業務上の災害による負傷・死亡に関しては、ポイントで述べたように3つの場合に分けて考えることができるが、その他に、宴会や社内の運動会などの行事に参加・出席中の災害、及び、加害行為や天災地変等による災害の場合等が考えられる。

まず、忘年会旅行先での交通事故につき、当該行事を行うことが事業運営上緊要なものと客観的に認められ、かつ、当該行事等への参加が業務命令によるものであるなど使用者により強制されているときは別として、一般に業務遂行性は認められない(福井労基署長(足羽道路企業)事件 名古屋高金沢支判昭58.9.21 労民集34-5・6-809)。最近の事案として、会社内で使用者が主催し(使用者の費用全額負担の下)、また、所定労働日における所定労働時間を含む時間帯に開催され、従業員全員が参加していた納会において、飲酒行為後の急性アルコール中毒死につき、納会への参加について業務遂行性は認められたものの、納会の目的を逸脱した過度の飲酒行為が存したこと等により業務起因性は肯定されなかった品川労働基準監督署長事件(東京地判平27.1.21 労経速2241-3)がある。

次に、警備員が同一職場のマークレディ[この事案の競馬場において勝馬投票券購入のためのマークシートの記入方法等を案内する担当係員の通称]に一方的に好意を抱いたうえ暴行殺害するに及んだケースにつき、その暴行殺害はマークレディとしての職務に内在する危険性に基づくものである等と判断し、業務起因性を肯定した国・尼崎労基署長(園田競馬場)事件(大阪高判平24.12.25 労判1079-98)等がある。なお、震災による津波で死亡した行員らの遺族による損害賠償請求に関して、銀行支店の屋上の高さを超える津波が襲来する危険性を具体的に予見することの困難性等により、使用者の安全配慮義務違反等の法的責任を否定した事案に七十七銀行(女川支店)事件(仙台高判平27.4.22 労判1123-48)がある。

(3)出張中の労働災害
労働災害を被った場合に法定内補償を受けるための重要な要件である「業務上」の概念を考察するため、モデル裁判例では、出張中の災害において業務上・外認定が争点となったケースを採り上げている。出張中については、自宅と出張先との間の往復や宿泊先での時間も含め、出張過程全般について労働者は使用者の支配下にあると考えられることより、まず業務遂行性が認められる。次に、労働者が出張先との往復につき合理的な経路・方法を採っている場合、積極的な私的行為等を原因とした災害でないかぎりは、一般に業務起因性が認められる。

モデル裁判例のように出張先で業務終了後に慰労と懇親の趣旨で行われた飲食行為は、一般に出張に通常伴うものと考えられることから業務遂行性が肯定される(原審判決でも業務遂行性は認められている)。したがって、その飲食行為により業務遂行性が中断されたとはいえないことにより、飲食行為後の転倒事故時においても業務遂行性は認められる。問題は業務起因性が認められるのか否かであるが、原審判決は、この事故が労働者Aの飲酒による酩酊のために発生したものと捉え業務起因性を否定した。しかし、モデル裁判例の控訴審判決は、Aが業務と全く関連のない私的行為や恣意的行為あるいは業務逸脱行為により自ら招いた事故ではなく、業務起因性を否定すべき事実関係は存しないと判断している。

出張中における業務上・外認定が問題となったその他の裁判例としては、鳴門労基署長(松浦商店)事件(徳島地判平14.1.25 労判821-81(要旨)、判タ1111-146)や国・渋谷労基署長(ホットスタッフ)事件(東京地判平26.3.19 労判1107-86)等がある。前者事件では、海外(中国)出張中に宿泊先ホテルにおいて第三者の加害行為により殺害されたケースにつき、業務起因性の有無が争点となったが、その殺害事件は業務に内在する危険性が現実化したものと考えられ、業務上死亡した場合に当たると判断されている。

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(68)【労災補償】通勤災害 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)現在、労働者が通勤の途上で災害を被った場合、通勤災害として労災保険法に基づく保険給付がなされうる(通勤災害保護制度)。その給付内容は、業務災害に準じたものとなっているが、通勤災害は業務外の災害であるため、休業給付につき最初の3日間の待機中における使用者の補償義務はなく、また、労基法19条に基づく解雇制限の適用がないなどの相違がある。

(2)労災保険法上、「通勤災害」とは、「労働者の通勤による負傷、疾病、障害又は死亡」(7条1項2号)のことをいう。労働者の通勤災害が認定されるためには、通勤に該当する行為の存在(通勤遂行性)、及び、その通勤により災害が発生したこと(通勤起因性)が必要となる。

(3)酒食を伴う会合に参加しその途中業務が終了した後も、飲酒したり居眠りしたりして3時間程経過した後に帰宅行為に及んだ場合の事故については、もはや業務関連性は認められず、加えて相当程度酩酊しているようなときには、合理的な方法による通勤ともいえず、通勤災害と認めることはできない。

2 モデル裁判例
国・中央労基署長(通勤災害)事件 東京高判平20.6.25 労判964-16

(1)事件のあらまし
第一審原告Xの夫A(当時44歳)は、訴外B社の東京支店において事務管理部次長の役職にあった。同支店では毎月月初めに午後から主任会議が開催され、各支店長や本店の役員ら総勢80名程が参加していた。同会議終了後、勤務時間外である午後5時以降、同支店内において飲酒を伴う会合が開催され、Aは事務管理部の実質的な統括者として毎回出席していた。平成11年12月1日に行われた会合(以下「本件会合」)では、同日より実施された従業員の配置換えに関する議論等が行われていたところ、Aは、午後9時過ぎから1時間弱程居眠りをし、同10時過ぎに同僚らと共に退社し、同10時27分頃に地下鉄駅入り口階段において転落して後頭部を打撲負傷し(以下「本件事故」)、病院に搬送され治療を受けたものの、同月13日に死亡した。

Xは、本件事故が通勤災害に該当するとして遺族給付等を請求したが、第一審被告Y労基署長は不支給決定をした。その後の審査請求等でも棄却されたため、Xはこの不支給処分の取消しを求め訴訟を提起した。原審(東京地判平19.3.28 労判943-28)は、本件会合への出席をAの職務と捉えたうえで、1時間程の居眠りにつき就業関連性を失わせるほどのものではないと判断し、Aの飲酒量等をも考慮に入れて、「本件事故が通勤に伴う危険により生じたものには当たらないということはできない」として、Xの請求を認め、上述の不支給処分を取り消した。Yが控訴。

(2)判決の内容
遺族側敗訴(原判決取消し、請求棄却)

本件会合は、通常の勤務時間終了後に開催され、参加が自由であること、毎回議事録の作成等もないこと等を踏まえると、慰労会や懇親会の性格も帯び、また、拘束の程度も低いから、「本件会合への参加自体を直ちに業務であるということはできない」。もっとも、Aは事務管理部を実質的に統括していたことや本件会合において社員の意見を聴取するなどしていたこと等を考えると、Aについては本件会合への参加は業務と認めるのが相当である。ただし、Aにとっても本件会合の目的に従った行事の終了時刻を踏まえると、業務性のある参加は午後7時前後までである。

しかし、Aは午後7時前後の業務終了後も約3時間、本件会合の参加者と飲酒したり、居眠りしたりして、帰宅行為を開始したのは午後10時過ぎであるうえ、その際Aは既に相当程度酩酊していたことや入院先で採取された血液中のエタノール濃度が高かったことからすると、「本件事故にはAの飲酒酩酊が大きくかかわっているとみざるを得ない」。そうすると、「Aの帰宅行為は業務終了後相当時間が経過した後であって、帰宅行為が就業に関してされたとはいい難いし、また、飲酒酩酊が大きくかかわった本件事故を通常の通勤に生じる危険の発現とみることはできないから、Aの帰宅行為を合理的な方法による通勤ということはできず、結局、本件事故を労災保険法7条1項2号の通勤災害と認めることはできない」。

3 解説
(1)通勤災害保護制度
高度経済成長期以降のわが国の通勤実態等に鑑みた社会的要請に基づき、昭和48年労災保険法改正により通勤災害保護制度が導入され、業務災害とは別枠で通勤災害も保険給付の対象とされることとなった。ただし、通勤途上であっても業務を行っている場合の災害については、業務上の災害になると解されることから(十和田労基署長事件 最三小判昭59.5.29 労判431-52等)、通勤災害には該当しない。

(2)通勤災害の認定
通勤災害の認定においては、通勤遂行性と通勤起因性の有無が問題とされる。まず、通勤遂行性の有無は、労災保険法7条2項に定められた「通勤」の定義に照らして判断される。特に、①就業関連性、②「住居」・「就業の場所」の意義、③「合理的な経路及び方法」による往復、④合理的な往復経路の逸脱・中断がないこと(ただし、一定の日常生活上必要な行為等をやむを得ない事由により行うための最小限度の逸脱・中断がなされた場合は、当該逸脱・中断後の往復につき通勤とされる)、及び、⑤業務の性質を有していないこと、等の各要件の意味内容が重要となってくる。次に、「通勤起因性」の有無は、通勤と負傷・疾病等との間に相当因果関係があるか否かで判断される。換言すれば、通勤に内在する危険が現実化したといえるかどうかで決定される(行政解釈)。

モデル裁判例では、就業関連性の有無、及び、合理的な方法による通勤該当性が争点とされたが、事務管理部次長の主任会議後の会合参加につき、前半2時間は業務性が認められたものの、その後の3時間余りは業務性が否定され、結果的に業務終了後3時間以上が経過した後の帰宅時における本件事故に関して、就業関連性が否定され、また、飲酒酩酊の程度から合理的な方法による通勤ともいえないと判断され、通勤災害には該当しないと結論付けられた。

(3)通勤災害に関するその他の裁判例
通勤災害に関する裁判例として、まず、就業関連性および「住居・就業の場所」の意義が争点となった能代労基署長(日動建設)事件(秋田地判平12.11.10 労判800-49)がある。この事件は単身赴任者の週末帰宅型通勤の事案であったが、単身赴任者の就業の場所と家族の住む自宅との間の往復行為に反復・継続性が認められれば、自宅を「住居」として取扱うという通達(平7.2.1基発39号)を前提に、各要件を緩やかに解したうえで通勤災害が認定されている。さらに、出勤日前日に帰省先住居から単身赴任先社宅に向かう途上での事故死についても通勤災害に当たると判断した高山労基署長事件(名古屋高判平18.3.15 労判914-5)がある。なお、平成18年4月施行の改正労災保険法により、従来の「住居と就業場所間の往復」に加えて、「就業の場所から他の就業の場所への移動」及び「単身赴任者の帰省先住居と赴任先住居との間の移動」も通勤の定義に含められている(同法7条2項)。

次に、合理的な往復経路の「逸脱・中断」が争点とされた裁判例として、就業終了後徒歩で帰宅途中に交差点に至った際、夕食の材料等を購入するため、自宅とは反対方向約140メートルの地点にある商店へ向かっている最中、同交差点から約40メートルの地点で自動車に追突されて即死した女性労働者に関して、合理的経路を逸脱中の事故であるとして遺族らの労災保険給付の請求が認められなかった札幌中央労基署長(札幌市農業センター)事件(札幌高判平元.5.8 労判541-27)がある。労働者が通勤途上で、例えば、経路上の売店でタバコや雑誌を購入したり、経路の近くにある公衆便所を利用したりするなどの「些細な行為」は、逸脱・中断とはされないが、この事案では、交差点から自宅と反対方向に歩んだ行為が、「住居と就業の場所との間の往復に通常伴いうる些細な行為の域を出ており」通勤とはいえないと判断されている。また、仕事を終え帰宅する際に1級身体障害者の義父を介護する目的でその義父宅に立ち寄り、1時間40分程の滞在後、そこから自宅へ向かう途上で交通事故に遭い被った傷害につき、義父宅へ立ち寄ったことが「日用品の購入その他これに準ずる行為」(労災保険法施行規則8条1号)に当たること等により、通勤災害に該当すると判断された裁判例に羽曳野労基署長事件(大阪高判平19.4.18 労判937-14)がある。この判決を契機に同施行規則が改正され、一定の介護行為も「日常生活上必要な行為」に当たるものとして保護の対象とされるに至った(平成20年4月施行)。さらに、通勤経路上における往復の中断の存否が、帰宅途上における飲酒行為の有無との関連で争点となった立川労基署長(通勤災害)事件(東京地判平14.8.21 労判840-94(要旨))がある。この事件では、通勤経路上において通勤と無関係な飲酒行為が行われたと認定され、そのことにより往復の中断が存したと判断され、通勤遂行性が否定されている。同種の事案に遺族給付不支給処分取消等請求事件(東京地判平26.6.23 労経速2218-17)がある。

最後に、通勤起因性に関する裁判例として、通勤災害が第三者による計画的犯罪によって引き起こされたケースで、通勤がその犯罪にとって単なる機会を提供したにすぎないことから通勤起因性が否定された大阪南労基署長(オウム通勤災害)事件(最二小決平12.12.22 労判798-5[上告受理申立(不受理)];原審=大阪高判平12.6.28 労判798-7)などがある。

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(69)【労災補償】損害賠償
~使用者の安全配慮義務違反~ 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)労働者が労働災害により被った損害をカバーする制度としては、労基法および労災保険法に基づく労災補償制度とともに、被災労働者又はその遺族が使用者に対して行う損害賠償制度(労災民事訴訟制度)が併存している。

(2)労災民事訴訟制度では、被災労働者又はその遺族は、精神的損害(慰謝料)や逸失利益などを含む全損害の賠償を求めることができる。労災民事訴訟の方法として、かつては使用者等の不法行為責任を問う形のものが主流であったが、現在は使用者等の債務不履行責任(安全配慮義務違反)を問う形のものが中心となっている。

(3)使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている。そして、使用者の安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである。

2 モデル裁判例
川義事件 最三小判昭59.4.10 民集38-6-557、労判429-12

(1)事件のあらまし
Aは、昭和53年3月高校卒業後にY社に入社し、営業活動の見習いのほか、研修を受けたり雑用をしたりしていた。同年8月13日午後9時頃、Aが宿直勤務中に元Y社従業員Bが窃盗目的で侵入し、ビニール紐でAの首を絞め、引き倒したうえ木製野球バットで顔面を殴打したりしてAを死亡させ、反物類を盗んで逃走した。本件社屋には夜間の出入口としてくぐり戸が設けられていたが、この戸又はその近くにはのぞき窓やインターホンはなく、呼出用のブザーボタンのみが設置され、また、防犯ベル等の設備もなかった。なお、Y社では同52年10月頃より商品の紛失事故が2~3度生じており、Bも退職後に7~8回Y社から反物を窃取するという犯行を繰り返していた(Y社上層部にまでは報告されていなかった)。

Aの両親であるXらは、Y社の安全配慮義務違反を主張して損害賠償を求めて提訴した。第一審(名古屋地判昭56.9.28 民集38-6-582)、原審(名古屋高判昭57.10.27 民集38-6-603)ともXらの請求を認容(原審は総額1,637万円余りの損害を認定[Aの過失割合は4分の1])。Y社が上告。

(2)判決の内容
遺族側勝訴(上告棄却)

「通常の場合、労働者は、使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものであるから」、使用者は「労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である。もとより、使用者の[この]安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものであることはいうまでもない」。

Y社は、本件社屋内に「宿直勤務中に盗賊等が容易に侵入できないような物的設備を施し、かつ、万一盗賊が侵入した場合は盗賊から加えられるかも知れない危害を免れることができるような物的施設を設けるとともに、これら物的施設等を十分に整備することが困難であるときは、宿直員を増員するとか宿直員に対する安全教育を十分に行うなどし」、労働者たるAの生命、身体等に危険が及ばないように配慮する義務があったものと解すべきであるが、Y社はこのような安全配慮義務に違反していたものといわざるを得ない。

3 解説
(1)労災民事訴訟
労働災害が発生した場合、被災労働者又はその遺族は労災補償を受けることができるが、同時に使用者に対して損害賠償請求を行うことも可能である。労災補償制度による補償には、精神的損害(慰謝料)や逸失利益などが含まれておらず、これらも含め実損害の全ての回復を図るためには、被災労働者等は労災民事訴訟を提起しなければならない。従来は、不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条、715条[使用者責任]等)が中心であったが、被災労働者等が使用者等の故意・過失を立証しなければならず、それは非常に困難を極めるものであった。昭和40年代後半に入り、労働安全衛生法の制定(昭和47年)などを背景として、下級審裁判例において労働契約等に基づく使用者の安全保護義務等の概念が認められるに至り、債務不履行責任(民法415条)に基づく損害賠償請求が可能となり始めた。この方法によれば、裁判における立証責任が使用者側に転換される点で、また、時効期間が不法行為に比べて長く10年である点でも(同167条1項)、被災労働者等にとってはより有利であった。ただし、「安全配慮義務の内容を特定し、かつ、同義務違反に該当する事実を主張・立証する責任は」被災労働者等にあると論じた、航空自衛隊航空救難郡芦屋分遣隊事件(最二小判昭56.2.16 民集35-1-56)に留意する必要がある。

(2)安全配慮義務
陸上自衛隊八戸車両整備工場事件(最三小判昭50.2.25 民集29-2-143、労判222-13)は、国と公務員との間の法律関係についてではあるが、使用者(国)が安全配慮義務を負うことを明言した初めての最高裁判決として重要な意義を有する。この判決では、「安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、その法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきもの」であると論じられた。モデル裁判例は、民間企業における労働契約関係についてもこの安全配慮義務が認められることを確認した初の最高裁判決としての意義を有している。また、同義務は元請企業と下請企業の従業員間においても認められている(鹿島建設・大石塗装事件 最一小判昭55.12.18 民集34-7-888)。なお、平成20年3月施行の労契法5条には同義務が明文化されている。

(3)損害賠償の認定
労災民事訴訟において被災労働者等の損害賠償請求権が認められるためには、その労働者に生じた負傷・疾病等とその労働者が従事していた業務との間に相当因果関係[注:業務と負傷等との間に認められる相当な程度の原因と結果の関係をいい、業務がなければ負傷等もなかったという条件関係とは異なるものである]が存することが必要であり、さらに、使用者による安全配慮義務違反または過失の存在など、債務不履行責任ないしは不法行為責任を問うためのその他の要件を充足している必要がある。この相当因果関係は、労災保険給付が支給されるために必要とされる「業務起因性」という概念と類似している。

その他、使用者の安全配慮義務違反等に基づく損害賠償請求が認められた裁判例に、システムコンサルタント事件(最二小決平12.10.13 労判791-6)、過重な長時間労働に加えて、不良品が市場に流出するのを防ぐため発注先から品質管理基準への対応を求められている中、塗装班リーダー昇格後約1ヵ月半後に自殺した山田製作所(うつ病自殺)事件(福岡高判平19.10.25 労判955-59)、長時間労働及び上司(エリアマネージャー)のいじめ・暴行等のパワハラにより飲食店店長が自殺したサン・チャレンジほか事件(東京地判平26.11.4 労判1109-34;なお、この事案では会社法429条1項に基づく代表取締役の損害賠償責任も肯定されている)等がある。

他方、安全配慮義務違反の主張が認められなかった裁判例として、架空出来高の計上等の不正経理を行っていた営業所長が、不正経理の解消等につき上司らにより指導や叱責を受けた後、うつ病自殺に及んだ前田道路事件(高松高判平21.4.23 労判990-134)、労働者のうつ病と業務との間の相当因果関係が否定されたためその前提を欠くが、念のため同義務違反につき検討がなされた日本政策金融公庫(うつ病・自殺)事件(大阪高判平26.7.17 労判1108-13)等がある。

なお、過重な業務に起因してうつ病に罹患し、休職期間満了に伴い解雇された労働者による安全配慮義務違反等に基づく損害賠償額の算定に際して、いわゆるメンタルヘルスに関する情報(神経科の医院への通院、その診断に係る病名、神経症に適応のある薬剤の処方等の内容)の労働者による不申告を理由に、民法418条又は722条2項の規定による過失相殺をしてはならない場合があることを示した初の最高裁判決として東芝(うつ病・解雇)事件(最二小判平26.3.24 労判1094-22)がある。使用者は、メンタルヘルスに関する情報につき、労働者から申告がなくても、その健康に関わる労働環境等に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っているものと考えられることにより導きだされた判断である。

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(70)【労災補償】脳・心臓疾患
(いわゆる過労死を含む) 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)脳・心臓疾患(脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、心筋梗塞など、さらに過労死も含む)に関する「業務上の疾病」該当性の判断については、これらの疾病の発症には被災労働者の素因・基礎疾患(高血圧や動脈硬化など)や生活習慣等の影響も大きく、その業務起因性の判断は容易ではない。

(2)脳・心臓疾患は、業務上の疾病の中で例示された職業病等には該当しないため、労基法施行規則別表第1の2「包括規定疾病」(旧9号)に当たるか否かにより、労災補償の対象とされるか否かが決められてきた。しかし、平成22年の同表改正以後、「長期間にわたる長時間の業務その他血管病変等を著しく増悪させる業務による脳出血、くも膜下出血、脳梗塞、高血圧性脳症、心筋梗塞、狭心症、心停止(心臓性突然死を含む。)若しくは解離性大動脈瘤又はこれらの疾病に付随する疾病」(8号)が追加されたことから、脳・心臓疾患は同8号に該当する場合、基本的には「業務上の疾病」と認められる。

(3)脳・心臓疾患に関する業務起因性の判断に関して、勤務形態や実際の時間外労働時間等を重視し、くも膜下出血等の発症に至るまでの相当長期間にわたる慢性的な疲労を考慮に入れた上で業務の過重性を判断し、労働者の過重な精神的・身体的負荷が基礎疾患をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至らしめたと判断できる場合、業務と発症との間の相当因果関係は肯定できる。

2 モデル裁判例
横浜南労基署長(東京海上横浜支店)事件 最一小判平12.7.17 労判785-6

(1)事件のあらまし
支店長付きの運転手として自動車運転業務に従事していた第一審原告X(当時54歳)は、昭和59年5月11日早朝、運行前点検をした後、支店長を出迎えにいくため運転中にくも膜下出血を発症した。Xは休業することとなり、労災保険法上の休業補償給付の請求をしたが、第一審被告である労基署長Yは、業務起因性を欠くことを理由に不支給の決定をした。

Xはこの処分の取消しを求め提訴した。第一審(横浜地判平5.3.23 労判628-44)ではXが勝訴してYが控訴。原審(東京高判平7.5.30 労判683-73)は、「Xの…疾病は、加齢とともに自然増悪した脳動脈瘤破裂が、たまたまXが従事していた…業務の遂行過程において発症したもの」であり、業務起因性は認められないとして第一審判決を取り消した。これに対しXが上告。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(原判決破棄)

Xの業務は、支店長の乗車する自動車の運転という業務の性質上、精神的緊張を伴うものであったうえ、支店長の業務の都合に合わせて行われる不規則なものであり、その時間は早朝から深夜に及ぶなど拘束時間が極めて長く、待機時間の存在を考慮しても、その労働密度は決して低くはなかった。Xは本件くも膜下出血発症に至るまで相当長期間にわたってこのような業務に従事してきた。特に、その発症の約半年前からは1日平均の時間外労働が7時間を上回っており、このような勤務の継続がXに慢性的な疲労をもたらしていた。しかも、その発症の前月及び発症直前10日間には時間外労働に加えて1日平均の走行距離も長く、また、発症前日のXの睡眠時間はわずか3時間半程度であった。Xには、くも膜下出血発症の基礎となりうる疾患(脳動脈瘤)等が存した可能性が高いものの、治療の必要がない程度のものであり、他に健康に悪影響を及ぼすような嗜好も特には認められなかった。

これらのことを踏まえると、「Xが[その]発症前に従事した業務による過重な精神的、身体的負荷がXの[有していた]基礎疾患をその自然の経過を超えて増悪させ、[その]発症に至ったものとみるのが相当で」あり、「その間に相当因果関係の存在を肯定することができる」。

3 解説
(1)業務上疾病における業務上・外認定
「業務上の疾病」、特に過労死までも含めた脳・心臓疾患においては、被災労働者の素因・基礎疾患や生活習慣等の影響も大きいため、業務上・外認定を行うこと、すなわち実質的には業務起因性の有無を判断することは容易ではない。このため法律により一定の疾病が職業病として定められ(例えば、腰痛、じん肺症や白ろう病など)、特定の業務に従事していた者がそのような疾病を発症した場合には業務起因性を推定することとされた(労基法施行規則35条・別表第1の2)。しかし、脳・心臓疾患等は職業病として規定されていなかったため、従来は「その他業務に起因することの明らかな疾病」(同表・旧9号)に該当するか否かによりその業務上・外認定がなされてきた。もっとも、現在は同表8号に規定されている(平成22年改正により追加)。

(2)脳・心臓疾患等に関する行政通達
行政機関が脳・心臓疾患等に関する認定を行いやすくするため、これまでに一連の行政通達(認定基準)が出されている。現在の平成13年通達(平成13.12.12基発1063号;平成22.5.7基発0507号第3号)は、平成7年に出された「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」(平成7.2.1基発38号)と題する通達等を改正したものである。この改正は、長期間にわたる過労の蓄積を過重負荷として認めた点で大きな意義を有している。また、業務の過重性を判断するに当たり、労働時間の評価の目安を示し、さらに不規則な勤務、作業環境、及び、精神的緊張を伴う業務などの具体的負荷要因等を示した点で特徴がある。なお、業務の過重性の判断基準(対象者)に関しては、平成13年通達では、「当該労働者と同程度の年齢、経験等を有し、基礎疾患を有していたとしても、日常業務を支障なく遂行できる者」と改訂されている。学説・裁判例上は、当該労働者本人を基準にするべきであるとする説などもあるが、見解が分かれている。

モデル裁判例は、業務の過重性判断においてXの勤務形態や実際の時間外労働時間などを重視し、くも膜下出血発症に至るまでの相当長期間にわたる慢性的な疲労を考慮に入れたうえで、Xの過重な精神的、身体的負荷が基礎疾患をその自然的経過を超えて増悪させ発症に至ったものと判断し、相当因果関係を認めている。長期にわたる慢性的な疲労(過重業務)を認めた最高裁判決として大きな意義を有し、また、平成13年通達への改正に大きな影響を与えた重要な判決でもある。

(3)脳・心臓疾患(過労死を含む)に関する近年の裁判例
脳・心臓疾患等に関して業務(ないしは公務)起因性が肯定された最近の裁判例として、心筋梗塞の既往症を有する職員の親睦バレーボール大会参加中の急性心筋梗塞発症による死亡のケースにつき地公災基金鹿児島県支部長(内之浦町教委職員)事件(最二小判平18.3.3 労判919-5)、本務以外にQCサークル活動等にも従事し、死亡前1ヵ月間の時間外労働時間数が106時間超であることに加え、その職務が強い精神的ストレスをもたらす性質のものと判断された工場の班長相当職にあった労働者が、心停止を発症しそれに続き死亡したケースにつき国・豊田労基署長(トヨタ自動車)事件(名古屋地判平19.11.30 労判951-11)、及び、水質検査等の事業を行う生活科学検査センターの企画営業課長が、上司である総務部長より数十分間大声で怒鳴り散らされたり、見積書等の決済を拒否されたり(「異常な出来事」)した4~5日後に心肺停止、蘇生後低酸素性脳症を発症したケースにつき国・島田労基署長(生科検)事件(東京高判平26.8.29 労判1111-31)等がある。最後の事案では、異常な出来事の評価期間に関連して、「新認定基準に該当しない事例については当然に相当因果関係が否定されるという論理的な関係にはない」と示された点にも特徴がある。

また、業務起因性が肯定された他の裁判例として、上腸間膜動脈の閉塞発症前に少なくとも5ヵ月以上の長期間にわたり月平均100時間以上の時間外労働を行い、多忙かつストレスも多く精神的緊張を伴う「著しい疲労の蓄積」をもたらす業務に継続して従事していたプロジェクトマネージャー(システムの保守業務等を担当)が、腸閉塞に係る手術の翌日に死亡したケースである国・中央労基署長(三井情報)事件(東京地判平25.3.29 労判1077-68)がある。同事件で裁判所は、問題となった「疾病について業務起因性があるということができるためには、労働者がその業務に従事しなければ[その]結果(疾病)が生じなかったという条件関係が認められるだけでは足りず、両者の間に法的に見て労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)があることが必要である」(熊本地裁八代支部公務災害事件 最二小判昭51.11.12 判時837-34参照)と述べ、また、このような相当因果関係の有無は、その疾病が、その「業務に内在する危険の現実化として発症したと認められるか否かによって判断すべきである」(地公災基金東京都支部長(町田高校)事件 最三小判平8.1.23 労判687-16参照)と述べたうえで、今回の「疾病(血栓症または塞栓症による上腸間膜動脈の閉塞)の発生機序は、血管の閉塞を原因とする脳・心臓疾患に類似するから、その業務起因(相当因果関係)を判断するに当たっては、脳・心臓疾患に関する新認定基準の考え方を参考とするのが相当である」と論じている。業務起因性の判断方法について同様の最高裁判例を参照・引用している事案には国・常総労基署長(旧和光電気)事件(東京地判平25.2.28 労判1074-34)、及び、約4ヵ月の間に3度のブラジル出張をした後に脳梗塞を発症したケースである国・中央労基署長(JFEスチール)事件(東京地判平26.12.15 労判1112-27)等がある。

なお、国内出張後に外国人社長等に同行し14日間にわたる海外出張中に十二指腸潰瘍を発症したケースにつき、業務上の疾病に当たると判断された事案に神戸東労基署長(ゴールドリングジャパン)事件(最三小判平16.9.7 労判880-42)がある。

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(71)【労災補償】過労自殺
~過重業務によるうつ病等発症後の自殺~ 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)労働者が過重な業務等により精神障害に罹患して自殺するに至った場合(過労自殺)、その労働者の遺族が、業務上の災害として、労働基準法又は労災保険法に基づく労災補償又は労災保険給付を求めたり、使用者に対し損害賠償請求をしたりできるか否かが問題とされてきた。

(2)過労自殺の業務上・外認定について、一般には、自殺した労働者が従事していた業務と自殺との間に相当因果関係が存するか否か、より厳密に言えば、業務と精神障害の発病との間、及び、その発病と自殺との間にそれぞれ相当因果関係が存在するか否かが判断の基準となる。また、損害賠償請求の認否についても、この相当因果関係が存することを前提に、その他の要件を満たしているかどうかが判断基準となる。

(3)使用者は、労働者が業務の遂行に伴い疲労や心理的負担等の過重な蓄積により、心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負っている。したがって、上司が労働者の長時間労働や健康状態の悪化を認識しながら、その負担軽減措置等を採らなかった場合には、過失があるものとして使用者の損害賠償責任が肯定されることもある。

2 モデル裁判例
電通事件 最二小判平12.3.24 民集54-3-1155、労判779-13

(1)事件のあらまし
大手広告代理店である使用者Yに勤務していた労働者A(大学卒の新入社員)は、2ヵ月半の新入社員研修を終えた後、ラジオ局ラジオ推進部に配属されたが、その後外回りの営業業務等をはじめ長時間に及ぶ時間外労働を恒常的に行っていくようになり、うつ病に罹患したうえ、入社約1年5ヵ月後に自殺した。第一審原告であるAの両親Xらは、Aの自殺はYにより長時間労働を強いられた結果であるとして、Yに対し、民法415条又は709条に基づき約2億2,260万円の損害賠償を請求した。ちなみに、Aは、健康で、スポーツが得意であり、その性格も明朗快活、素直で責任感が強く、また、物事に取り組むに際してはいわゆる完璧主義の傾向も有していた。

第一審(東京地判平8.3.28 労判692-13)及び原審(東京高判平9.9.26 労判724-13)判決はともに、Aの長時間労働とうつ病、及び、うつ病とAの自殺による死亡との間の相当因果関係を認めた。また、Y側の過失の有無につき、Yの履行補助者(Aの上司ら)による安全配慮義務違反の存在を肯定した。第一審はYに約1億2,600万円の損害賠償の支払いを命じたが、原審は過失相殺を行い、損害額の7割をYに負担させるのが相当として減額した(約8,910万円)。Y、Xらともに上告。

(2)判決の内容
遺族側勝訴
(なお、原審の過失相殺判断における遺族側敗訴部分についても破棄差戻し)

使用者は「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」。それゆえ、使用者の履行補助者である上司等は、このような注意義務の内容に従って労働者に対し業務上の指揮監督権限を行使するべきである。

原審は、Aの常日頃からの長時間にわたる残業実態、疲労の蓄積に伴う健康状態の悪化、これに対しAの上司らが何らの措置も採っていないこと、及び、うつ病に関する医学的知見を考慮に入れている。そのうえで、Aの業務遂行とそのうつ病罹患による自殺との間には相当因果関係が存在するとし、Aの上司らがAの健康状態の悪化等を認識しながら、その負担軽減措置を採らなかったことにつき過失があったとして、Yの民法715条に基づく損害賠償責任を肯定した。このような原審の判断は正当であり是認できる。

3 解説
(1)過労自殺等の業務上・外認定
過労自殺とは、労働者が日々の長時間労働や業務上の精神的負荷(ストレス)等によりうつ病などの心因性精神障害を発病し、その後自殺するに至ること等をいう。そもそも自殺は、本人の自由意思に基づいて行われると考えられることにより、通常は労災保険法12条の2の2第1項にいう「労働者の故意による死亡」に当たり、労災保険給付の支給対象とはなしえないため、過労自殺の場合にはどのように取り扱われるのかが問題となる。ただ、過労自殺の業務上・外認定は、脳・心臓疾患の場合に個々の労働者の素因や基礎疾患等が介在してくるため困難を極めるのと同様、労働者個人の事情や要因等が影響を与える場合も多いことにより容易ではない。

現在、この問題については厚生労働省の発した「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(平23.12.16基発1226第1号;以下、「認定基準」という)により、基本的には国際疾病分類第10回修正版(ICD-10)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類された精神障害(例えば、うつ病(F3)及び急性ストレス反応(F4)など)を対象疾病として、①対象疾病を発病していること、②対象疾病の発病前概ね6ヵ月間に業務による強い心理的負荷が認められること、③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと、のいずれをも満たす場合、その発病した疾病は、労基法施行規則別表第1の2第9号所定の「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」(平成22年改正による追加)に該当する業務上の疾病として取り扱うこととされている。この認定基準は、いわゆる「ストレス-脆弱性」理論の考え方[注:精神障害の発生の有無は、ストレス(職場における心理的負荷、職場以外の心理的負荷)と個体側の反応性・脆弱性との関係で決まるとする考え方]を前提として作成されている。

なお、損害賠償請求の認否においても、労災認定の場合と同様に、業務と自殺との間の相当因果関係の存否が重要な判断基準となってくるが、加えて、不法行為構成の場合には故意又は過失、債務不履行構成の場合には安全配慮義務違反等の存在も必要とされる。

(2)過労自殺等についての使用者の責任
モデル裁判例は、過酷な勤務条件による過労の蓄積(業務上の過重負担)、うつ病の発症、自殺の間にそれぞれ相当因果関係を肯定し、使用者の損害賠償責任を認めた初めての最高裁判決として大きな意義を有している。労働者Aの常軌を逸した長時間労働を認定したうえで、Aの自殺を業務上のものであると判断し、さらに、使用者YがAの負担軽減措置等を採らなかったことから、健康配慮義務の不履行(過失)を認め、Yの民法715条に基づく損害賠償責任を肯定している。Aは新入社員にもかかわらず異常なまでの長時間労働が常態化しており、それに伴う疲労の蓄積等を原因にうつ病に罹り、その状態が深まったなかで突発的に自殺したわけで、これらの事実認定を前提とするかぎり、Yの責任を認めた判決は妥当なものといえよう。

過労自殺が問題となった近年の裁判例には、まず、自殺した労働者の遺族が使用者の安全配慮義務または健康配慮義務違反等に基づき損害賠償請求を行ったケースとして、例えば、東加古川幼児園事件(最三小決平12.6.27 労判795-13;原審=大阪高判平10.8.27 労判744-17)、山田製作所(うつ病自殺)事件(福岡高判平19.10.25 労判1103-70)、及び、医療法人雄心会事件(札幌高判平25.11.21 労判1086-22)等がある。次に、労災認定を求めるケース(行政訴訟)として、地公災基金神戸市支部長(長田消防署)事件(大阪高判平15.12.11 労判869-59)、国・八王子労基署長(東和フードサービス)事件(東京地判平26.9.17 労判1105-21)、及び、国・中央労基署長(旧旭硝子ビルウォール)事件(東京地判平27.3.23 労判1120-22)等がある。また、いじめやパワーハラスメントが原因の過労自殺が問題とされた裁判例として、国(護衛艦たちかぜ〔海上自衛隊員暴行・恐喝〕)事件(東京高判平26.4.23 労判1096-19)並びに国・静岡労基署長(日研化学)事件(東京地判平19.10.15 労判950-5)及び名古屋南労基署長(中部電力)事件(名古屋高判平19.10.31 労判954-31)等がある。

(3)過失相殺
損害賠償請求が認容される場合の過失相殺に関して、モデル裁判例において最高裁は、「ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない」場合には、その労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌することはできないと一般論として述べている。そしてこの事案において、原審が、労働者の性格及びこれに基づく業務遂行の態様等、並びに、Aと同居していたXらの落ち度(Aの勤務状況を改善する具体的措置を採らなかったこと)を斟酌した点で、法令の解釈適用を誤った違法があると判断している。この最高裁の判断枠組みに則して、使用者からの過失相殺の主張等を否定した裁判例にアテスト(ニコン熊谷製作所)事件(東京地判平17.3.31 労判894-21)等がある。ただし、この事案では私的事情に関連する精神的状態等が一部考慮に入れられて、損害につき3割の減額が相当と判断されている。

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(72)【労災補償】労災保険給付と損害賠償との調整 7.安全衛生・労災
1 ポイント
(1)労働災害の被災労働者又はその遺族は、労災補償ないし労災保険給付を請求できると同時に、使用者又は第三者に対しては損害賠償請求を行うことも可能である。しかし、これでは被災労働者等の損害を二重に回復することとなってしまうため、労災補償・労災保険給付と損害賠償との間で一定の調整が行われている。

(2)労災保険法に基づく労災保険給付が被災労働者に行われた場合、使用者は労基法上の災害補償責任を免れる(労基法84条1項)。使用者により災害補償がなされた場合、同一の事由についてはその限度で使用者は損害賠償責任を免れる(同条2項)。労災保険給付が行われた場合も労基法84条2項を類推適用して、使用者は同様に保険給付の範囲で損害賠償責任を免れる。

(3)労災保険の受給権者が使用者に対する損害賠償請求権を失うのは、同保険給付が損害の塡補の性質をも有している以上、政府が現実に保険金を給付して損害を塡補した場合に限られる。使用者に対する損害賠償債権額から将来支給予定の年金給付分を控除するべきか否かについては、いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、基本的には控除することを要しない(最高裁は基本的に非控除説の立場)。

2 モデル裁判例
三共自動車事件 最三小判昭52.10.25 民集31-6-836、判時870-63

(1)事件のあらまし
特殊自動車等の分解整備を業とする第一審被告Y(使用者)に雇われていた第一審原告X(当時20歳)は、ある日Yの工場において作業中、ワイヤーロープに吊り下げられていたバケット(重さ約1,500キロ)が突然その頭上に落下し、その下敷きとなった。Xは脳挫傷、頸骨骨折等の重症を負い、結果的に労働能力を喪失することとなった。そこで、Xは民法717条及び715条に基づきYに対し逸失利益や慰謝料を求めて訴えを提起した。

第一審(松山地宇和島支判昭48.3.31 高民集28-2-119)、原審(高松高判昭50.3.27 高民集28-2-87)ともに、Xが勝訴した。ただし、Xは原審において、将来支給される長期傷病補償給付金の分につき損害賠償請求額(逸失利益)から控除すべきでない旨、請求を一部拡張していたが、この点に関しては認められなかった。Xが上告。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

使用者の行為等による災害の場合において、被災労働者が労災保険法上の保険給付を受給したときは、労基法84条2項の規定を類推適用して、また、厚生年金保険法上の保険給付を受給したときは、衡平の理念に照らして、使用者は同一の事由についてはその価額の限度において民法による損害賠償責任を免れると解する。

そして、政府が保険給付をしたことにより、受給権者が使用者に対する損害賠償請求権を失うのは、この保険給付が損害の塡補の性質をも有している以上、政府が現実に保険金を給付して損害を塡補した場合に限られ、「いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、受給権者は使用者に対し損害賠償の請求をするにあたり、このような将来の給付額を損害賠償債権額から控除することを要しないと解する」のが相当である。

3 解説
(1)労災保険給付と損害賠償との調整
労災補償制度による補償は、被災労働者の被った損害の全てをカバーしているわけではないため、全損害の回復が可能となる労災民事訴訟(使用者または第三者等に対する損害賠償請求)が重要な役割を果たしている。わが国では労災補償制度と損害賠償制度とが併存していることより、労災補償・労災保険給付と損害賠償との間で一定の調整が図られている(労基法84条等)。

第三者行為災害の場合においては、使用者による災害補償および政府による労災保険給付と(使用者以外の)第三者による損害賠償との関係が問題となる。通説・判例によれば、第三者が先に損害賠償を行った場合には、その限度で使用者または政府は災害補償または保険給付を行わなくてもよい。また、使用者または政府が先に補償または保険給付を行った場合には、使用者は民法422条の類推適用により(被災労働者に代位して)、政府は労災保険法12条の4に基づき、被災労働者(あるいは受給権者)が第三者に対して有する損害賠償請求権を取得する。他方、使用者行為災害の場合にも、被災労働者等が労災保険給付等を受けたときには、同一の事由につき、その価額の限度で使用者は損害賠償責任を免れることになる。

(2)労災保険の将来給付分の控除
労災保険給付が年金として支給されるようになると、この年金給付と損害賠償との調整をいかに行うべきかが大きな問題となってきた。モデル裁判例は、将来支給予定の年金給付分を使用者が賠償すべき損害額から控除できるか否かが争点となったケースであり、使用者行為災害の場合における初めての最高裁判決として重要な意義を有し、また、昭和55年の労災保険法改正(調整規定の新設(現在、同法64条))の契機ともなった重要な判決でもある。このモデル裁判例で最高裁は非控除説の立場を採用した。なお、モデル裁判例において敗訴した使用者Yは、その後国を相手取り、控除されなかった年金給付分につき民法422条に基づき代位請求した。高裁では使用者の労災保険給付に対する代位取得が肯定されたものの、最高裁では否定されている(三共自動車(代位取得)事件 最一小判平元.4.27 民集43-4-278、労判542-6)。

他方、第三者行為災害の場合についても、モデル裁判例判旨にも参照として引用されていたが、非控除説に立つことが最高裁によって示されていた(仁田原・中村事件 最三小判昭52.5.27 民集31-3-427)。ただし、寒川・森島事件(最大判平5.3.24 民集47-4-3039)において、最高裁は、地方公務員等共済組合法に基づく遺族年金に関して、「被害者又はその相続人が取得した債権につき、損益相殺的な調整を図ることが許されるのは、当該債権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られる」と述べたうえで、遺族年金につき、「支給を受けることが確定した遺族年金の額の限度で、その者が加害者に対して賠償を求め得る損害額からこれを控除すべきものである」との判断も示している点に留意しておく必要がある。

また、長時間労働や配置転換に伴う業務内容の変化・業務量の増加等が原因で精神障害を発症した状態の下、過度の飲酒行為によりアルコール中毒から心停止に至り死亡したシステムエンジニア(労働者)の遺族らが使用者に対して行う損害賠償額の算定に際して、遺族ら(相続人)が「遺族補償年金の支給を受け、又は支給を受けることが確定したときは」、この「遺族補償年金につき、その塡補の対象となる被扶養利益の喪失による損害と同性質であり、かつ、相互補完性を有する逸失利益等の消極損害の元本との間で、損益相殺的な調整を行うべきものと解する」と論じたうえで、「相続人が遺族補償年金の支給を受け、又は支給を受けることが確定したときは、制度の予定するところと異なってその支給が著しく遅滞するなどの特段の事情のない限り、その塡補の対象となる損害は不法行為の時に塡補されたものと法的に評価して損益相殺的な調整をすることが公平の見地からみて相当である」(最一小判平22.9.13 民集64-6-1626等参照)と判断したフォーカスシステムズ事件(最大判平27.3.4 労判1114-6)がある。

(3)労災保険給付の控除と過失相殺など
労災民事訴訟において損害賠償の額を算定する際、被災労働者に過失があった場合の過失相殺と労災保険給付の控除との先後関係が問題となる。被災労働者等にとっては不利となるが、最高裁は、損害額につき過失相殺した後で、労災保険の給付分を控除すること(控除前相殺説の立場)を明言している(鹿島建設・大石塗装事件 最一小判昭55.12.18 民集34-7-888、労判359-58;高田建設事件 最三小判平元.4.11 民集43-4-209)。

なお、労災保険給付は、被災労働者等の財産的損害を補償することを目的としているため、慰謝料等には影響を与えないことから、被災労働者等は保険給付との調整とは無関係に慰謝料等を請求できる(東都観光バス事件 最三小判昭58.4.19 民集37-3-321、労判413-67)。また、特別支給金については、その性質等に鑑み損害賠償額から控除できないとされている(コック食品事件 最二小判平8.2.23 労判695-13等)。さらに、総合福祉団体定期保険契約に基づき従業員の遺族に支給される保険金(弔慰金)につき、損益相殺の対象とすることはできないと判断した裁判例に肥後銀行事件(熊本地判平26.10.17 労判1108-5)がある。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 8.労働条件の変更 > (73)【労働条件の変更】合意による労働条件の変更

(73)【労働条件の変更】
合意による労働条件の変更 8.労働条件の変更
1 ポイント
(1)使用者が労働条件変更を行おうとする場合、労働者が当該変更に同意していれば、労働条件は両者の合意に基づいて適法に変更される。ただし、当該合意は、労基法などの強行法規に違反したり、就業規則・労働協約の定めよりも労働者に不利な労働条件を定めたりするものであってはならない。

(2)労働者が労働条件変更について明示的な同意の意思表示をしていない場合であっても、その言動などからみて黙示的に変更に同意していると認められる可能性がある。しかし、判例は、このような黙示の同意の認定を厳格かつ慎重に行う姿勢を示している。

(3)労働者-使用者間の合意によらない労働条件変更が許容される場合としては、就業規則又は労働協約によって労働条件を変更する場合と、使用者が労働条件を変更する権限を有することが労働契約に定められている場合があり、それぞれ、一定の要件の下で労働条件変更の効力が認められる。

2 モデル裁判例
山梨県民信用組合事件 最二小判平28.2.19 民集70-2-123

(1)事件のあらまし
A信用組合は経営破綻を避けるためにY信用組合に吸収合併されることになり、両組合の理事が構成する合併協議会は、A組合の退職金規程(就業規則)を変更して支給基準を大幅に引き下げることを決定した。XらAの管理職員は、当該変更は合併を実現するために必要である等との説明を受け、変更内容と新規程による支給基準の概要を記載した同意書に署名押印した。なお、これに先立って開催された職員説明会では、Yの従前からの職員と同一水準の退職金額を保障する旨が記載された同意書案が各職員に配布されていた。

上記合併により、A組合は解散してXらの雇用はY組合に承継され、新退職金規程が施行された。その後、XらはY組合を退職したが、変更後の支給基準によると退職金額はゼロ円となった。Xらは、A組合の旧退職金規程に基づく退職金の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

労働契約の内容である労働条件は、労働者と使用者との個別の合意によって変更することができ、このことは、就業規則に定められている労働条件を労働者の不利益に変更する場合であっても、就業規則の変更が必要とされることを除き、異なるものではない(労働契約法8条、9条本文参照)。

もっとも、労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でない。このような場合における労働者の同意の有無は、当該変更がもたらす不利益の内容及び程度、労働者が変更を受け入れた経緯及びその態様、労働者への事前の情報提供や説明の内容等に照らして、労働者が自由な意思に基づいて当該変更を受け入れたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、慎重に判断すべきである。

Xらが本件基準変更への同意をするか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報を与えられていたというためには、自己都合退職の場合には退職金額が0円となる可能性が高くなることや、Yの従前からの職員に係る支給基準との関係でも同意書案の記載と異なり著しく均衡を欠く結果となることなど、本件基準変更により生ずる具体的な不利益の内容や程度について、情報提供や説明がされる必要があった。

3 解説
(1)労働条件変更の手段としての合意
労働条件変更のための代表的な手段としては、就業規則の変更や労働協約の新規締結・改訂があり、それぞれ裁判例の積み重ねによって労働条件変更の有効性を判断する枠組みが形成されている((74)~(75)【労働条件の変更】参照)。また、新たな労働条件変更の手段として、変更解約告知が注目されつつある((76)【労働条件の変更】参照)。

しかし、労働条件の変更とは、法的にいえば労働契約という契約の内容の変更であるので、契約内容は当事者間の合意によって決定・変更されるという契約法の原則からすれば、労働者と使用者の合意が労働条件変更のもっとも基本的な手段ということになる(労働契約法8条参照。同条が就業規則による労働条件変更に関する9条、10条の前に置かれていることから、法体系上は合意が労働条件変更の原則的手段と位置づけられていることを読み取れる)。

労働条件を変更する合意が成立した場合、変更の適法性は基本的に肯定される。また、労働者が労働条件を引き下げる就業規則の変更に同意したといえる場合には、当該変更が労働契約法10条のいう合理性を有するか否かにかかわらず、当事者間の合意に基づいて労働条件が変更される(労働契約法8条・9条。モデル裁判例を参照)。ただし、このような合意は労働基準法などの強行法規に違反したり、就業規則・労働協約の定めよりも労働者に不利益な労働条件を定めたりするものであってはならない(労基法13条、労働契約法12条、労組法16条など参照)。

一方、労働条件変更の合意が成立しない場合には、後述する場合(→(3))に該当しない限り、前述の契約法の原則により、労働条件変更は不適法・無効となる。たとえ労働条件変更を必要とする合理的な理由が存在するとしても、このことに変わりはない(東豊観光事件 大阪地判平13.10.24 労判817-21(経営状況悪化による賃金減額)、岡部製作所事件 東京地判平18.5.26 労判918-5(労働者の職務上のミスによる賃金減額)など)。

(2)労働者の同意の有無
実際上問題になることが多いのは、どのような場合に、労働条件の不利益変更に対する労働者の同意を認定できるかである。この点に関し、多くの裁判例は、労働者が使用者に対して弱い立場に置かれやすいこと等を考慮し、労働者が変更内容を十分に理解したうえで自由な意思に基づいて同意したといえるかという観点から、合意の認定を慎重かつ厳格に行っている。使用者が賃金などの労働条件を引き下げたことに対して、労働者が特段の異議を述べずに就労を続けていた場合にも、そのことから直ちに黙示の合意の成立は認められない(東部スポーツ〔宮の森カンツリー倶楽部・労働条件変更〕事件 東京高判平20.3.25 労判959-61、鞆鉄道〔第2〕事件 広島高判平20.11.28 労判994-69など)。また、労働者が変更に同意する旨の書面に署名押印している場合であっても、合意の成立が認められるとは限らない。モデル裁判例は、退職金支給額を大幅に引き下げる就業規則変更につき、労働者が同意書に署名押印していたとしても、変更後の制度では退職金がゼロとなる可能性が高いなど具体的な不利益内容の説明がなされていない以上、直ちに合意があったとはいえないと判断している。

(3)合意によらない労働条件の変更
就業規則や労働協約による労働条件変更については、それぞれ一定の要件の下で、労働者の同意を得ることなく労働条件変更を行うことが認められている((74)~(75)【労働条件の変更】参照。変更解約告知の場合には、労働条件変更は結局のところ合意に基づいて行われることになる)。

また、使用者が労働条件を変更する権限を有することが労働契約に定められている場合には、その定めに基づいて使用者が労働者の同意を得ずに行う労働条件の変更は、権利濫用等に該当しない限り許容される。たとえば、成果主義的な人事・賃金体系の下で低査定の労働者に対して資格の引き下げや賃金減額を行うものとする就業規則など労働契約上の定めが存在する場合、この定めに基づく資格や賃金の引き下げは、合理的な根拠・手続に基づくものと認められる限り適法である(成果主義的賃金制度の下で使用者が就業規則の定めに基づいて行った賃金減額を有効とした例としてエーシーニールセン・コーポレーション事件 東京地判平16.3.31 労判873‐33、東京高判平16.11.16 労判906-77)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 8.労働条件の変更 > (74)【労働条件の変更】就業規則による労働条件の変更

(74)【労働条件の変更】
就業規則による労働条件の変更 8.労働条件の変更
1 ポイント
(1)労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、既存の労働条件を不利益に変更することは、原則的にできない。

(2)ただし、使用者が、不利益に変更した就業規則を、変更後に労働者に周知し、かつ、その就業規則の変更が「合理的」と認められる場合には、当該就業規則の内容が個々の労働条件となり、これに反対する労働者の労働条件も、変更後の内容となる。

(3)(2)における就業規則変更の「合理性」は、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の事情に照らして判断される。

(4)労働者が同意した場合には、就業規則を変更することにより労働条件を労働者に不利益に変更することもできる。ただし、同意を得るためには、不利益変更の必要性、不利益の具体的な内容・程度等について、労働者に十分な情報提供と説明を行わなければならない。

2 モデル裁判例
第四銀行事件 最二小判平9.2.28 民集51-2-705

(1)事件のあらまし
Y銀行は、定年年齢を55歳とし、健康な男子職員については賃金水準を落とさずに58歳までの再雇用を認める扱いを改め、定年年齢を60歳に引き上げる一方で55歳以降の月例給与・賞与を年間ベースで54歳時の63~67%に引き下げる内容の就業規則変更を行った。Y銀行はこの就業規則変更に先立って、行員の約90%を組織する労働組合と交渉し、上記変更について合意の上、労働協約を締結していた。Y銀行の行員X(労働組合員ではない)はこの労働条件変更の効力を争い、変更前の就業規則に従って計算した賃金額と55歳以降に実際に受け取った賃金額の差額の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

新たな就業規則の作成又は変更による労働条件の一方的不利益変更は原則として許されないが、就業規則による労働条件変更が合理性を有する場合には、変更に反対の労働者に対しても労働条件の一方的不利益変更の効力が生じる。

当該規則条項が合理的であるとは、当該就業規則の作成又は変更が、必要性・内容の両面からみて、それによって労働者が被る不利益の程度を考慮してもなお当該条項の法的規範性を是認できるだけの合理性を有することをいう。特に賃金、退職金など労働者にとって重要な権利、労働条件についての不利益変更の効力が認められるためには、それが高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであることを要する。

合理性の有無は具体的には、①就業規則変更によって労働者が被る不利益の程度、②使用者側の変更の必要性の内容・程度、③変更後の就業規則の内容自体の相当性、④代償措置その他関連する労働条件の改善状況、⑤労働組合等との交渉の経緯、⑥他の労働組合や従業員の対応、⑦同種事項におけるわが国社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである。

本件でYが行った就業規則変更には合理性が認められる(判断の詳細は解説を参照)。

3 解説
(1)就業規則変更による労働条件の変更
労働契約の内容は、原則として、労働者と使用者の合意に基づいて変更しなければならない(労契法8条)。また、使用者は、労働者と合意することなく、就業規則の変更によって、労働者の労働条件を不利益に変更することはできない(同法9条)。ただし、使用者が就業規則の変更により労働条件を変更する場合において、変更後の就業規則を労働者に周知させ、かつ、就業規則の変更が、労働者の受ける不利益の程度、労働条件の変更の必要性、変更後の就業規則の内容の相当性、労働組合等との交渉の状況その他の就業規則の変更に係る事情に照らして合理的なものであるときは、労働契約の内容である労働条件は、当該変更後の就業規則に定めるところによることになる(同法10条)。

つまり、就業規則の不利益変更が合理的なものであり、かつ、変更後の就業規則が労働者に周知されている場合には、使用者は、労働者の同意がなくても、就業規則の変更により個々の労働者の労働条件を労働者に不利益に変更することができるということである。

(2)労働契約法9条、10条の背景をなす判例法理
労働契約法制定前は、就業規則による労働条件不利益変更の効力をめぐる問題は判例法理に委ねられていた。そこではまず、秋北バス事件判決(最大判昭43.12.25 民集22-13-3459)において、(A)就業規則変更による労働条件の一方的不利益変更は原則として許されないが、変更に合理性が認められる場合には、例外的に変更に反対する労働者にも変更の効力が及ぶ、という基本原則が示された。次いで、この基本原則の下で就業規則変更の合理性を判断する枠組みが、一連の最高裁判決(大曲市農協事件 最三小判昭63.2.16 民集42-2-60、第一小型ハイヤー事件 最二小判平4.7.13 労判630-6、朝日火災海上保険(高田)事件 最三小判平8.3.26 労判691-16など)を通じて徐々に形成され、最終的にモデル裁判例において、(B)就業規則変更の合理性判断は「判決の内容」の第2段落以下に示された枠組みによって行う、という形に集大成された。

(3)具体的な合理性の判断
モデル裁判例は、就業規則変更による労働者の不利益は小さくないと評価する一方、①60歳への定年延長及び、それに伴う55歳以上の賃金水準の見直しには高度の必要性が認められる、②変更後の55歳以上の労働者の労働条件内容は同業他社とほぼ同様であり、賃金水準は社会一般の水準と比較してかなり高い、③定年延長は決して小さくない労働条件の改善である、④本件就業規則変更は、全行員の約90%(50歳以上の行員の約60%)を組織する労働組合との交渉・合意を経て行われたものであるから変更後の就業規則の内容は労使間の利益調整がなされた結果として合理的なものであると一応推測できる、等の事情から、変更の合理性を肯定した。ここでは、労働条件(賃金)の不利益変更が定年延長という有利な変更とセットで、しかも多数組合との合意を経て行われていること、変更後の賃金水準が同業他社や世間一般との比較において同様ないし高いといえること、等が重視されたといえる。一方で、最高裁は、若年・中堅層の労働者の労働条件を改善しつつ、定年延長を伴わずに55歳以降の賃金を33~46%減額した事案については、多数組合との間の合意を経た就業規則変更であってもその変更の合理性を否定している(みちのく銀行事件 最一小判平12.9.7 民集54-7-2075)。ここでは、不利益の重大性や、特定層(55歳以上)の労働者に集中的に不利益を課すという変更後の労働条件の不相当性が重視される反面、多数組合との合意は重要な考慮要素とされなかった。このように、合理性判断において上述した枠組みのどの要素が重視されるかは、個々の事実関係に応じて異なってくる。

(4)就業規則による労働条件不利益変更に対する労働者の同意
労契法9条は、使用者に対して、「労働者と合意することなく」、就業規則の不利益変更によって労働条件の不利益変更をしてはならないとする。これについては、就業規則による労働条件の不利益変更について、使用者が、「労働者の同意」を得ている場合には、就業規則変更の「合理性」を問うことなしに、就業規則による不利益変更が有効となるのかという問題があった。この点は、協愛事件(大阪高判平22.3.18 労判1015-83)において、就業規則による労働条件の不利益変更について労働者が同意した場合には、労契法9条により、変更後の就業規則の拘束力が同意した労働者の労働条件に及ぶが(この場合、労契法10条で求められる「合理性」は不問となる。)、労働者の同意には慎重な認定が必要であり、単に異議を述べなかっただけでは同意があったとは認定できないとの判断が示された。最高裁も、山梨県信用組合事件(最二小判平28.2.19 労判1136-6)において、就業規則による労働条件の不利益変更における労働者の同意の認定は慎重になされるべきであり、同意の有無を判断するに際しては、不利益の内容・程度、同意に至るまでの経緯・態様、同意を得る前に使用者が十分な情報提供と説明を行っているか等が考慮されなければならないとしている。


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(75)【労働条件の変更】
労働協約による労働条件の変更 8.労働条件の変更
1 ポイント
組合員の労働条件を不利益に変更する労働協約も、そのことを理由として直ちに効力を否定されるわけではない。

労働協約による労働条件の不利益変更は、特定の労働者または一部の組合員を殊更に不利益に取り扱うことなどを目的とするなど、労働組合の目的を逸脱して締結されたものと認められない限り、有効である。

労働組合法17条の要件が満たされる場合、未組織労働者の労働条件も労働協約によって不利益に変更される可能性があるが、このような不利益変更にも限界がある。

2 モデル裁判例
朝日火災海上保険(石堂・本訴)事件 最一小判平9.3.27 労判713-27

(1)事件のあらまし
Xは、A会社鉄道保険部に雇用された後、昭和40年に鉄道保険部の業務がYに引き継がれたのに伴い、Yの労働者となった。XのようにA社からYに移った労働者の労働条件は、当初はA社時代のものを引き継ぐこととされたが、これによって当初からY社の労働者であった者との間に労働条件の格差が生じたため、Yは、同社の労働者で組織されるZ組合との間でA社出身者とそれ以外の者の労働条件の統一について交渉を続けた。この結果、就業時間、退職金、賃金制度等については昭和47年までに統一が実現したが、定年年齢については、YとZ組合の間で合意が成立せず、A社出身者は満63歳、それ以外の者は満55歳という格差のある状況が継続した。

その後、Yの経営難を背景として交渉が行われた結果、YとZ組合との間で、定年年齢を57歳とすると共に退職金額の計算方法を変更する内容の労働協約が昭和58年に締結された。Zの組合員であったX(当時53歳)は、この労働協約が適用されると定年年齢が引き下げられる上に退職金支給基準率も71.0から51.0に引き下げられることから、この労働条件引き下げに反対し、従前の労働条件の適用を受ける地位の確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

本件労働協約は、Xの定年及び退職金算定方法を不利益に変更するものであってXが受ける不利益は決して小さいものではないけれども、同協約が締結されるに至った経緯、当時のYの経営状態、同協約に定められた基準の全体としての合理性に照らせば、同協約が特定の又は一部の組合員を殊更不利益に取扱うことを目的として締結されたなど労働組合の目的を逸脱して締結されたものとはいえず、その規範的効力を否定すべき理由はない。

本件労働協約に定める基準がXの労働条件を不利益に変更するものであることの一事をもってその規範的効力を否定することはできないし、Xの個別の同意又はZ組合に対する授権がない限りその規範的効力が認められないとも解されない。

3 解説
(1)労働協約による労働条件不利益変更の原則的肯定
労働協約中の「労働条件その他の労働者の待遇に関する基準」は、その労働協約締結組合に所属する組合員の個々の労働契約を規律する効力がある。この効力は「規範的効力」と呼ばれる(労組法16条)。

この労働協約がもつ規範的効力については、労働条件を引き下げる労働協約の締結に関しては、労組法の組合員の労働条件の維持改善という目的の範囲を逸脱し(同法2条本文)、許されないのではないかという議論があった(これを肯定する古い裁判例として、大阪白急タクシー事件 大阪地決昭53.3.1 労判298-73など)。また、労働協約よりも労働者に有利な労働条件を定める労働契約の効力は労働協約の効力に優先するという考え方(「有利原則」という)を採る場合、労働条件を引き下げる内容の労働協約が締結されてもそれによって個別の労働契約の労働条件の不利益変更を行うことはできないと解することができるため、この点がしばしば裁判で争われてきた。

この点近年の裁判例は、労働協約は団体交渉の中で労使が互いに譲歩しつつ複雑に絡み合う利害関係を調整した末に締結されるものであること(こうした利害調整の中で労働条件不利益変更が合意される事態も当然想定されること)等を挙げて、これらの考え方をいずれも否定し、労働協約による労働条件不利益変更は原則的には許容されるという立場に立っている(朝日火災海上保険(高田)事件 最三小判平8.3.26 民集50-4-1008、労判691-16等を参照)。

モデル裁判例においても、最高裁は、当該組合員の被る不利益は小さくないが、協約締結の経緯、会社の経営状態、協約に定められた基準の全体としての合理性を考慮すると、当該協約は、特定の又は一部の組合員を殊更不利益に取扱うことを目的として締結された等労働組合の目的を逸脱して締結されたものとはいえない、として、労働協約による労働条件の不利益変更の効力を肯定する判断を示している。

(2)不利益変更の効力が認められない場合
モデル裁判例は、上記の判断を導く過程で、労働者が被る不利益の程度、協約締結に至る経緯、会社の経営状況(労働条件変更の必要性)、協約内容全体の合理性に言及し、結論として変更の効力を認めている。一般的にも、規範的効力による労働条件不利益変更の効力の判断においてはこうした諸事情が考慮され、そこに著しく不合理な点がなければ、不利益変更の効力は肯定されているといえる(日本鋼管(賃金減額)事件 横浜地判平12.7.17 労判792-74など)。

これに対し、不利益変更の効力を否定した裁判例においては、労働条件変更の内容又は手続(あるいはその両方)に、規範的効力を生じさせることが相当でない特段の不合理性があるとされている。

具体的にはまず、高年齢層など、特定の組合員に大きな不利益(たとえば大幅な賃金減額)を課す変更について、内容の不合理性を認めた例がある(中根製作所事件 東京高判平12.7.26 労判789-6、鞆鉄道事件 広島地福山支判平14.2.15 労判825-66。一方で、退職金の8割減額という大きな不利益の事案でも、会社更生手続に伴う措置であり、仮にこの措置がなければ会社が破産して退職金受給が困難になると見込まれるという事情の下では変更の効力が認められている。新潟鉄工管財人事件 新潟地判平16.3.18 労経速1894-10)。

協約締結手続については、協約締結に至る労働組合内部の意思決定過程において組合規約で定められた組合大会決議等の組合員の意思を反映する手続が遵守されていない事案で、協約の効力が否定されている(前掲中根製作所事件、鞆鉄道事件。組合大会決議を欠く規約違反を認めつつ、他に組合員の意見聴取の機会を設けていること等を理由に挙げ、協約の効力を否定しなかった例として箱根登山鉄道事件 東京高判平17.9.29 労判903-17)。また、不利益を被る組合員の意見を組合の意思決定に反映させる特別な手続をとることが必要であるとして、このような手続を欠く場合に変更の効力を否定する例も見られる(中央建設国民健康保険組合事件 東京高判平20.4.23 労判960-25)。

(3)労働協約の一般的拘束力と不利益変更
労働協約の規範的効力は、労組法17条に規定された要件が満たされる場合、未組織労働者(どの労働組合にも加入していない労働者)にも及ぶ(労働協約の事業場単位の一般的拘束力)。最高裁判例は、このような場合についても、労働協約の一般的拘束力による労働条件不利益変更の効力を原則的に肯定しているが、例外的に、特定の未組織労働者にもたらされる不利益の程度・内容、当該労働者が労働組合の組合員資格を認められているかどうか、労働協約締結の経緯等に照らして、労働協約を特定の未組織労働者に適用することが著しく不合理と認められる特段の事情がある場合には、その労働者には労働協約の一般的拘束力は適用されないと判断している(前掲朝日火災海上保険(高田)事件。結論としては、適用を否定した)。

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(76)【労働条件の変更】変更解約告知 8.労働条件の変更
1 ポイント
新たな労働条件での労働契約再締結の申し入れを伴った解雇のことを「変更解約告知」という。労働条件変更の申し入れに応じない労働者の解雇をこれに含めることもある。

変更解約告知は、労働条件変更を目的として行われる解雇であり、個別的な労働条件変更のための新たな手法として注目されつつある。ただし、変更解約告知に関する法律上の規定はなく、判例法理上の効力判断の枠組みも確立していない状況にある。

2 モデル裁判例
スカンジナビア航空事件 東京地決平7.4.13 労判675-13

(1)事件のあらまし
外国航空会社であるY社は、業績不振による合理化策の一環として、日本支社の日本人従業員(地上職員・客室乗務員)全員に対し、退職金割増を伴う早期退職募集と年俸制導入、退職金・労働時間制度の変更、契約期間の導入等の契約条件変更を伴う再雇用を提案した。全従業員140名のうち115名は早期退職募集に応じたが、Xら(9名)を含む25名は応募しなかった。Yは、Xらに対して再雇用の場合の職位(ポジション)と年俸を示した上で、再度の早期退職と再雇用への応募を促したが、Xらが応じなかったため、Xらを解雇した。Xらは解雇の無効を主張してYの従業員たる地位の保全等の仮処分を申し立てた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

Xらに対する解雇の意思表示は、雇用契約で特定された職種等の労働条件を変更するための解約、換言すれば新契約締結の申込をともなった従来の雇用契約の解約であって、いわゆる変更解約告知と呼ばれるものである。変更解約告知が行われた場合、労働者の職務、勤務場所、賃金及び労働時間等の労働条件の変更が会社の業務運営にとって必要不可欠であり、その必要性が労働条件変更によって労働者が受ける不利益を上回っていて、労働条件変更を伴う新契約締結の申込がそれに応じない場合の解雇を正当化するに足るやむを得ないものと認められ、かつ、解雇回避努力が十分に尽くされているときは、会社は新契約締結の申込に応じない労働者を解雇することができるものと解するのが相当である。本件においては、賃金、退職金、労働時間の変更にいずれも高度の必要性が認められ、Xらにこれを上回る不利益があったとはいえず、解雇回避努力も十分に尽くされている。よって本件変更解約告知は有効であり、Xらに対する解雇は有効である。

3 解説
(1)変更解約告知とは
モデル裁判例の事案は、会社が事業再建のために全従業員をいったん退職させた上で一部の従業員との間で従前とは大きく異なる労働条件を定めた新たな労働契約を締結することを試み、その過程で退職にも新契約にも応じない労働者を解雇したものである。このように会社が労働条件変更を目的として、現在の労働契約の解約(解雇)と、新契約の申込を行うことを変更解約告知という。

変更解約告知が有効に行われた場合、労働条件変更に同意する労働者は新たな労働条件で労働契約を締結し直すことになり、変更に同意せず従前の労働契約の存続を望む労働者は一旦解雇された上で裁判等においてその効力を争うことになる(この他、労働者の「留保付承諾」(→後述(4)留保付承諾の可否を参照)を認める考え方もある)。

なお、典型的な変更解約告知は、上述のように労働契約の解約(解雇)の意思表示と新しい労働契約締結の申し込みが一体となって行われるものをいうが、労働条件変更の申し入れに応じない労働者に対する解雇の効力についても、変更解約告知の問題として論じられることがある。

(2)日本における変更解約告知の法理
変更解約告知は、個別労働契約によって特定され、労働協約等による集団的変更ができない労働条件を変更するための手段としてヨーロッパ諸国等で発達したものである。これら諸外国の中には、たとえばドイツのように変更解約告知の定義や効力等が法律に規定されている国も存在する。

これに対し日本では、変更解約告知法理を正面から認め、同法理の下での解雇を有効とした平成7年の東京地裁決定(=モデル裁判例)などを契機として、変更解約告知法理のあり方に対する関心が高まりつつある。もっとも、変更解約告知に関する法律上の規定は現在のところ存在せず、同法理のあり方をめぐっては、なお今後の裁判例・学説の展開に委ねられた面が少なくない。

(3)変更解約告知の下での解雇の効力
仮に変更解約告知という法理を認めない場合、変更解約告知として行われた解雇は、単なる解雇として解雇権濫用法理(労契法6条)に基づいてその効力を判断されることになる。この場合、労働条件変更に同意しなかったことそれ自体は、解雇の効力を認める根拠にはならない。

これに対し、モデル裁判例は、変更解約告知法理を正面から認めたうえで、同法理の下で労働条件変更に応じない労働者の解雇が有効とされるための要件として①労働条件変更が会社の業務運営上必要不可欠である、②その必要性が労働条件変更によって労働者が被る不利益を上回っている、③労働条件変更を伴う新労働契約締結の申し込みがそれに応じない場合の解雇を正当化するに足るやむを得ないものと認められる、④解雇回避努力が十分に尽くされている、という4点を示した。これは、変更解約告知が労働条件変更のための解雇であることに着目して、労働条件変更の必要性・相当性(上記①②)と、労働条件変更に同意しない労働者を解雇することの相当性(同③④)という2つの観点から解雇の効力を判断するものと理解できる。

他方で、裁判例の中には、法律上に明文がないこと等を理由として変更解約告知法理を否定し、解雇の効力を通常の解雇権濫用法理の枠組みで判断したものも存在する(大阪労働衛生センター第一病院事件 大阪地判平10.8.31 労判751-38)。

(4)留保付承諾の可否
ドイツでは、労働者が変更解約告知に対して労働条件変更の正当性を争うことを留保しつつ労働条件変更の申し入れを承諾(=同意)する「留保付承諾」が法律上認められている。このように、留保付承諾が認められると労働者は解雇の危険にさらされることなく労働条件変更の適法性を争うことが可能になるので、これを認めるかどうかは変更解約告知法理のあり方を大きく左右する。わが国の民法528条によると、留保付承諾=条件付の承諾は承諾拒絶として扱われるので、この条文を素直に適用すると留保付承諾は認められない。しかし、学説上は解釈によって留保付承諾を認める見解も有力である。

裁判例においては、労働条件変更に応じない労働者の雇止めの適法性が争われた事件で、労働者が留保付承諾をしていたことを理由の一つに挙げて雇止めを違法とした地裁判決が存在するが、同事件の控訴審判決ではこの考え方が否定されている(日本ヒルトンホテル(本訴)事件 東京地判平14.3.11 労判825-13、東京高判平14.11.26 労判843-20)。

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(77)【企業の再編・組織変更時の雇用保障】
合併・事業譲渡・会社分割 9.企業の再編・組織変更時の雇用保障
1 ポイント
(1)使用者である会社が合併した場合、合併前の労働者の労働契約は、合併後の会社に当然に承継される。

(2)事業譲渡の場合、近年の裁判例では、労働者の労働契約を譲渡先に承継させるためには、譲渡元と譲渡先の会社の間でそのことが合意され、かつ、当該労働者が承継に同意することが必要であるとの考え方がとられている。

(3)会社分割の場合、分割後の会社への労働契約承継のあり方は、原則的には分割計画書(又は分割契約書)によって決められるが、労働契約承継法により、一定の労働者は異議を申し出ることで自己の労働契約の承継先を変更できるものとされている。

2 モデル裁判例
日本アイ・ビー・エム事件 最二小判平22.7.12 労判1010-5

(1)事件のあらまし
YとA社は、両社のHDD(ハードディスク)事業を統合するために、まず、YのHDD部門を新設分割の方法によって分割し、これにより新たに設立されるB社に、A社から分割したHDD部門を吸収する計画をたてた。Yは、分割対象となるHDD部門の従業員の労働契約を、B社に承継させることにし、会社分割に伴う労働契約等に関する法律(平成17年改正法による改正前のもの。以下、「承継法」)7条に定められる労働者の理解・協力を得るように努める措置(「7条措置」)と商法等の一部を改正する法律附則5条1項に定める協議(平成17年改正法による改正前のもの。「5条協議」)を行って、分割計画書を本店に据え置き、同年12月に会社分割登記を行い、B社を設立した。

Xらは、YのHDD事業部門の元従業員であり、当該分割によって、Yとの間の労働契約がB社に承継された。Xらは、本件承継を不服として、Yを提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

5条協議は、分割会社に対象となる労働者の希望等をも踏まえて承継の判断をさせることによって、労働者保護を図ろうとする趣旨で設けられていると解される。承継法3条所定の場合には、労働者は、分割会社の決定に異議を申す事ができないが、これは、5条協議が適正に行われることにより労働者の保護が図られていることを当然の前提としている。それゆえ、5条協議が全く行われなかったときには、当該労働者は承継法3条における承継の効力を争うことができると解される。また、5条協議がなされた場合であっても、分割会社からの説明や協議の内容が著しく不十分であって5条協議の趣旨に反することが明らかな場合には、5条協議義務違反があったと評価してよく、当該労働者は承継法3条の定める労働契約承継の効力を争うことができる。

承継法7条は、7条措置として、分割会社に、雇用する労働者の理解と協力を得る努力を求めるが、これは努力義務であり、本条違反自体は労働契約承継の効力を左右しない。7条措置は、7条の努力において十分な情報提供等がされず5条協議がその実質を欠くことになったといった特段の事情がある場合に、5条協議義務違反の判断材料として問題になるに留まるものである。

本件では、Yによる5条協議が不十分であるとはいえず、XらのB社への労働契約承継の効力が生じないとはいえない。また、5条協議等の不十分を理由とする不法行為が成立するともいえない。

3 解説
企業組織の再編には、合併、事業譲渡、会社分割という態様がある。以下、組織再編における労働者の雇用保障について、順に解説する。

(1)会社合併の場合
会社合併の場合には、合併前の会社の権利義務関係は、その全てが合併後の会社に承継される(「包括承継」。会社法750条1項、同法754条1項など)。したがって、合併前の会社の労働者の地位(雇用および労働条件)も、合併後の会社にそのまま承継される。

(2)事業譲渡の場合
つぎに、事業譲渡(平成17年商法改正前は「営業譲渡」)の場合は、譲渡人と譲受人との間の合意(譲渡契約)によって、承継対象となる債権債務が決定される(「特定承継」)。そのため、労働契約に関する債権債務も、当然には承継されない。譲渡人と譲受人は、合意により、労働契約の承継範囲を決定し、承継の対象となった労働契約が譲受人に承継される(裁判例に、茨木消費者クラブ事件 大阪地決平5.3.22 労判628-12、日本大学(医学部)事件 東京地判平9.2.19 労判712-6など。)。なお、特定承継によって、譲渡先に労働契約を承継させるためには、対象となる労働者の承継に関する同意が必要である(民法625条1項。逆に労働者の意に反して事業譲渡の当事者が労働契約の承継を合意した場合は、労働者は民法625条1項所定の承諾をしないことで、その効力を否定することができる。裁判例に、マルコ事件 奈良地葛城支判平6.10.18 判タ881-151、本位田建築事務所事件 東京地判平9.1.31 労判712-17。)。

事業譲渡では、承継対象から排除された労働者が、譲受会社との労働契約上の地位の確認を求めて提訴する例が多いが、裁判所は、譲渡人と譲受人との合意の内容を吟味し、譲渡対象に、問題となる労働契約も含まれていたと解釈できる場合には、承継対象から排除された労働者と譲受人との間に労働契約の成立を認める判断を下している(タジマヤ事件 大阪地判平11.12.8 労判777-25)。

(3)会社分割の場合
会社分割には、分割会社が、対象となる事業を分割後に他の会社に承継させる「吸収分割」(会社法2条29号)と、新たに設立した会社に分割対象事業を承継させる「新設分割」(同法同条30号)がある。対象事業に関する権利義務の移転は、吸収分割の場合は分割契約、新設分割の場合は分割計画(以下、「分割契約等」)によって定まる(株主総会の特別決議における承認が必要。「部分的包括承継」と呼ばれる)。

ただし、上記の方法をそのまま労働契約の承継に適用させると、分割会社(使用者)の意思のみによって、承継対象となる労働契約の範囲が決せられることになり、労働者の意思を問わずして、承継排除または承継強制がなされる結果となる。そのため、労働者保護の観点から、承継法が制定され、会社法のルールに一部修正が加えられた。

承継法により、①分割の対象となる営業に主として従事しているにもかかわらず、分割後の会社への労働契約関係の承継から除外される労働者、②分割の対象以外の営業(分割後も元の会社に残される営業)に主として従事しているにもかかわらず、分割後の会社に労働契約関係が承継される労働者は、所定の期間内に異議を申し出れば自己の労働契約関係の承継のあり方を変更させることができる(①の場合は、4条により承継対象に含めさせ、②の場合には、5条により承継対象から除外させることになる。なおこれ以外は、労働者に異議申出する機会はない)。また、2000年商法等一部改正法附則5条1項は、分割会社に対し、承継事業に従事する労働者各人との協議(「5条協議」)を行うように求めている。モデル裁判例は、上記の承継法における7条措置と商法改正法附則の5条協議の適正な実施が問題となった事案であり、ここにおいて最高裁は、5条協議違反の効果と7条措置の法的位置づけについて、2(2)「判決の内容」に示したように判示している。

会社分割に伴う労働契約の承継に関しては、分割会社が、分割対象となる事業に従事していた労働者との労働契約を一旦すべて解約し、当該労働者に対して承継会社との新たな労働契約の締結を勧めて、労働契約の引継ぎを完了させるという手法が用いられることもある(「解約型転籍」)。しかし、会社分割では、承継対象に主として従事する労働者は、本人が希望しさえすれば、承継会社に労働契約がそのまま引き継がれることが保障されているのであり(承継法4条)、この承継法による利益を十分に労働者に説明しないままに、解約型転籍の方法を使って労働者の労働契約上の地位を移転させることは許されない。この点については、阪神バス事件(神戸地尼崎支部判平26.4.22 労判1096-44)において、解約型転籍による労働契約の移転が、承継法によって保障される労働者の利益を無視したものであり法の趣旨に反すると判断され、承継会社と労働者との新たな労働契約締結の効力が公序良俗違反により否定され、当該労働者の地位は、承継法4条4項の手続を経たと同様に承継会社にそのまま移転するとの結論が示された。

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(78)【企業の再編・組織変更時の雇用保障】
解散 9.企業の再編・組織変更時の雇用保障
1 ポイント
(1)真実事業を廃止する会社解散の場合、労働契約は清算手続終了時に終了する。ただし、このような場合も、清算手続中に行われた解雇の効力が否定されたり、違法・不当な目的で解散を決定した親会社等の不法行為責任が認められたりする余地はある。

(2)解散した会社の業務が、新たな会社の下でほぼ同一の内容をもって継続されており、解散会社の労働者も大部分が新会社に雇用されているような場合には、新会社に雇用されなかった労働者についても新会社の従業員としての地位を認められることがある。

2 モデル裁判例
第一交通産業・御影第一事件 大阪地堺支判平18.5.31 判タ1252-223

(1)事件のあらまし
タクシー事業を営むA社を買収して子会社化したY1は、同社の従業員で組織するB組合との紛争等の事情からA社の解散を決定した。この解散に先立ち、Y1の別の子会社Y2(タクシー業)が、A社の営業地域にC営業所を新設して進出した。C営業所では、従業員のほとんどがB組合の組合員でないA社からの移籍者であり、A社が使用していたタクシー呼出用電話番号を利用して営業活動が行われた。

A社は解散し、その時点での全従業員(非組合員のY2への移籍等により、この時点では、ほぼ全員がB組合員であった)を解雇した。

解雇されたB組合の組合員であるXらは本件訴訟を提起し、Y1に対して主位的に労働契約上の地位確認等と予備的に不法行為に基づく損害賠償請求し(第1事件)、Y2に対しては労働契約上の地位確認等を請求した(第2事件)。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(第1事件の予備的請求及び第2事件の請求を認容)

子会社が解散しても、親会社は原則として雇用契約上の責任を負わないが、法人格が名ばかりであって子会社が親会社の営業の一部門にすぎない場合(法人格の形骸化)や、親会社が子会社の法人格を違法に濫用した場合(法人格の濫用)には、子会社の従業員は直接親会社に対して雇用契約上の権利を主張できる。

もっとも、解散によって子会社の事業が消滅する場合(真実解散)には、解散の目的が違法不当でも子会社の従業員は親会社に対して解散後の雇用契約上の責任を追及できない。一方、解散した子会社の事業が親会社又は親会社が支配する別の子会社で継続される場合(偽装解散)には、子会社の従業員の雇用契約は事業を継続した会社との間で存続する。法人格を濫用して解散された子会社の事業が親会社が支配する別の子会社で継続されている場合に、解散した子会社の労働者の雇用契約上の責任を負うのは原則として事業を継続する別の子会社であるが、当該別の子会社の法人格が形骸化しているときは、親会社が雇用契約上の責任を負う。

本件では、A社の法人格の形骸化は認められないが、Y1はA社をかなりの程度支配し、賃金体系変更に反対していたB組合を排除する目的でA社を解散したと認められるので法人格濫用が成立する。また、A社とC営業所の営業地域、従業員、無線呼出番号の重なり方等から見て、C営業所はA社の事業を引き継いだものと認められ、A社の解散は偽装解散に該当する。これにより、XらはY2に対し、雇用契約上の責任を追及できる。

Y2の法人格の形骸化は認められず、XらはY1に対して雇用契約上の責任を追及できないが、親会社が法人格を濫用して子会社を解散し、子会社従業員の雇用機会を喪失させることは不法行為に該当し、本件におけるY1の行為も、これに該当する。

3 解説
(1)会社解散と労働契約関係
労働契約の使用者である会社が解散する場合、当該会社の法人格の消滅(=清算の終了)の時点で労働契約の一方当事者が欠けることとなり、労働契約は原則としてその時点で自動的に終了する。使用者が真実事業を廃止する意図で会社を解散したものと認められれば、そこに組合壊滅目的等の不当な動機・目的が併存したとしても、解散の効力は影響を受けない(三協紙器事件 東京高決昭37.12.4 労民集13-6-1172など)。もっとも、このような真実事業を廃止する解散においても、清算終了より前に行われる解雇は、その手続が不当である等の観点から権利濫用により無効とされることがあり(グリン製菓事件 大阪地決平10.7.7 労判747-50)、また、不当な動機・目的に基づく解散であれば、解散を主導した親会社等の支配株主が労働者に対して不法行為に基づく損害賠償責任を負うこともある(池本興業・中央生コンクリート事件 高知地判平3.3.29 判タ778-191)。

(2)別会社で事業が継続される場合
一方で、解散した会社の資産等が別会社に譲渡され、この別会社の下で、解散会社の事業がほぼ同一の態様で継続されることもある。この場合に、解散会社の労働者の雇用が別会社で継続されるか否かは、形式的には別会社との間で新たな労働契約が締結されるか否かの問題であり、別会社は採用の自由に基づいて採否を自由に決定できることになるが、この帰結をそのまま認めてよいかは問題となる。

裁判例において、この点に関する確立した判断枠組みは存在していない。以下に挙げるようにいくつかの法律構成で別会社での雇用継続を認める可能性が模索されているが、労働者の救済が否定される結論も少なくない(静岡フジカラーほか2社事件 東京高判平17.4.27 労判896-19、東京日新学園事件 東京高判平17.7.13 労判899-19など)。

別会社での雇用継続を認める法律構成の第一は、解散会社における労働契約を別会社に承継させる旨の両会社間の合意の存在を認定し、事業譲渡に関する法理((77)【企業の再編・組織変更時の雇用保障】参照)に基づく別会社への労働契約承継を認めるものである(タジマヤ事件 大阪地判平11.12.8 労判777-25、勝英自動車学校(大船自動車興業)事件 東京高判平17.5.31 労判898-16等。後者の勝英自動車学校事件では、全従業員の労働契約を承継する原則的合意と例外的に労働条件変更を拒否した従業員を承継から排除する合意を認定した上で、後者を公序良俗違反により無効とし、前者に基づいて、労働条件の変更を拒否した従業員の雇用の承継を認めている)。

第二の構成は、法人格否認法理によって解散会社が事業を継続した別会社と別個独立の法人格であることを否定し、別会社での雇用継続という帰結を導くものである。判例法理において、法人格否認には、「法人格の形骸化」と「法人格の濫用」の2類型があることが認められており、前者は、別会社が株式所有、役員選任、財産所有等を通じて解散会社に支配力を及ぼすとともに両会社の業務や資産が混同していることにより、解散会社が事実上別会社の一事業部門と同視できる場合に認められる。後者は、別会社が解散会社に対して支配力を有しており(支配の要件)かつ、当該支配力を労働組合壊滅、解雇法理等の労働者保護法理の適用回避など違法・不当な目的で用いている(目的の要件)場合に適用される。

モデル裁判例は、複数の子会社(A社とY2)が存在する親子会社関係に法人格否認法理を適用したものである。真実事業が廃止される解散と別会社で事業が継続される解散の違いや法人格否認における上記2類型の成立要件の違い、効果、具体的な成否等の点について、近年の裁判例の標準的な考え方が採られており参考になる。また、法人格を濫用した親会社が、労働者の雇用責任を負わない場合でも、別に不法行為責任を負うとされた点も注目される。

雇用継続に関する第三の構成は、解散会社と、その事業を継続する別会社の間に、資本関係、資産内容、経営陣、業務内容等の点で実質的同一性が認められることを理由として、解散会社の労働者の別会社への承継を認めたり、別会社が解散会社の労働者を不採用とすることに対して解雇法理の適用を認めたりするものである(新関西通信システムズ事件 大阪地決平6.8.5 労判668-48、日進工機事件 奈良地決平11.1.11 労判753-15など)。

(3)不当労働行為制度上の扱い
使用者が労働組合を壊滅する目的で会社を解散し、組合員を排除して別会社で事業を継続することは、不利益取扱い(労働組合法7条1号)、支配介入(同3号)の不当労働行為となる。この場合、労働委員会は、救済命令として、別会社への組合員の雇い入れを使用者に命令することができる(中労委(青山会)事件 東京高判平14.2.27 労判824-17)。

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(79)同業他社への就業・転職の制限 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)同業他社への就業・転職は、在職中は労働契約それ自体により、退職後は、在職中の労働契約における又は退職時等の特約により制約される(競業避止義務)。

(2)競業避止義務は、退職後の業務の内容、元使用者が競業行為を禁止する必要性、労働者の従前の地位・職務内容、競業行為禁止の期間や地理的範囲、金銭の支払いなど代償措置の有無や内容、義務違反に対して元使用者が取る措置の程度などを判断材料に、合理的な範囲内でのみ認められる。

(3)悪質な競業行為が行われた場合、労働契約上の根拠がなくても義務違反が生じて、元の労働者に損害賠償責任が認められたり、競業行為の差止めが認められたりする場合がある。

2 モデル裁判例
フォセコ・ジャパン・リミティッド事件 奈良地判昭45.10.23 判時624-78

(1)事件のあらまし
原告である元使用者Xは、各種冶金用副資材を製造・販売する企業であり、その元労働者らであり被告であるYらは、Xの研究部に所属し、後に、Y1は工場で製品管理を担当し、Y2は鋳造本部で販売業務に従事して退職した。Yらは在職中に、Xと退職後2年間の秘密漏洩禁止と競業避止の特約を結んでいたところ、退社後まもなく、Xと業務内容や顧客が競合する同業他社に就職し、取締役に就任した。そこでXが、Yらは各特約に違反したとして、Yらの競業行為の差止めを求めた。

(2)判決の内容
労働者側敗訴(会社の差止申請認容)

競業避止の特約は、労働者から生計の途を奪い、その生存を脅かすおそれがあると同時に、職業選択の自由を制限するから、特約の締結に合理的な事情がないときは、公序良俗(民法90条)に反して無効である。一方、その会社だけが持つ特殊な知識は、一種の客観的財産であり、営業上の秘密として保護されるべき利益である。そのため、一定の範囲において労働者の競業を禁ずる特約を結ぶことは十分合理性がある。営業上の秘密としては、顧客等の人的関係、製品製造上の材料・製法等に関する技術的秘密等が考えられる。これらを保護するため、使用者の営業の秘密を知り得る立場にある者に秘密保持義務を負わせ、また、秘密保持義務を担保するために退職後における一定期間、競業避止義務を負わせることは適法・有効である。この事件では、Xは客観的に保護されるべき技術上の秘密を持っており、またYらは、Xの営業の秘密を漏洩するか、しうる立場にあるから、Xは特約に基づいて、Yらの競業行為を差止める権利を有する。競業制限の合理的範囲を確定するに当たっては、制限の期間、場所的範囲、制限の対象となる職種の範囲、代償の有無等について、使用者の利益(企業秘密の保護)、労働者の不利益(転職・再就職の不自由)を考えて慎重に検討する必要がある。この事件では、制限期間は2年間という比較的短期間であり、制限の対象職種はXの営業目的と競業関係にある企業であって、Xの営業が特殊な分野であることを考えると、制限の対象は比較的狭いこと、場所的には無制限であるが、これはXの営業の秘密が技術的秘密である以上はやむを得ない。退職後の競業制限に対する代償は支給されていないが、在職中に機密保持手当が支給されていたことを考えると、この事件の競業制限は合理的な範囲にある。

3 解説
(1)競業避止義務の有効性
1)競業避止特約の拘束力
在職中の同業他社での就業は、労働契約により制約される(アイメックス事件 東京地判平17.9.27 労判909-56)。在職中の競業会社設立も、労働契約上の競業避止義務に反する(協立物産事件 東京地判平11.5.28 判時1727-108)。

退職後は特約により競業行為が制限される(新大阪貿易事件 大阪地判平3.10.15 労判596-21など)。ただし、特約における禁止の内容や程度が必要最小限でなく、代償措置も十分でない場合は公序良俗に反し無効となる(東京リーガルマインド事件 東京地決平7.10.6 労判690-75など)。強要された特約も無効である(退職金関係書類の交付条件として退職後5年間の競業避止特約の作成提出が強要された、消防試験協会・消化設備試験センター事件 東京地判平15.10.17 労判864-93)。しかし、極めて悪質な競業行為(在職中に得た知識を利用し会社が取引中の者に働きかける)には、特約なしに競業避止義務違反が認められる(チェスコム秘書センター事件 東京地判平5.1.28 労判651-161)。他方、退職後の競業避止義務に関する特約等が定められていない場合に、「雇用契約終了後は、当然に競業避止義務を負うものではないが、元従業員等の競業行為が、社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法な態様で雇用者の顧客を奪取したとみられるような場合等は、不法行為を構成することがある」と論じた原審(名古屋高判平21.3.5 民集64-2-598、労判1005-9)の判断枠組みを前提に、元雇用者の営業に係る情報を用いたり、元雇用者の信用を貶めたりする等の不当な方法で営業活動を行ったとは認められないことや、元雇用者の取引先であった3社との取引は退職から5ヵ月程経過した後に始まったこと等の事情を総合すると、元従業員等の競業行為は社会通念上自由競争の範囲を逸脱した違法なものとはいえないとして不法行為の成立を否定した最高裁判例がある(サクセスほか〔三佳テック〕事件 最一小判平22.3.25 民集64-2-562、労判1005-5)。

2)労働者の従前の地位・職務
使用者の営業秘密を取扱うことができる者は、在職中の特約により、退職後も競業避止義務を負う(モデル裁判例)。取締役で仕事上強いコネを有している場合、特約の拘束力が認められ(フレンチ・エフ・アンド・ビー・ジャパン事件 東京地決平5.10.4 金商929-11)、全国展開家電量販店の地区部長・店長でも競業避止義務を負う(ヤマダ電機(就業避止条項違反)事件 東京地判平19.4.24 労判942-39)。しかし、一般従業員については、業務内容やノウハウの観点から、競業避止義務を負わせることはできない(小売店販売員につき、原田商店事件 広島高判昭32.8.28 高民集10-6-366、工員につき、キヨウシステム事件 大阪地判平12.6.19 労判791-8)。

3)競業制限の期間・地域等の範囲
顧客との関係を重視し、3年の制限期間を有効とする事例(前掲新大阪貿易事件)、期間3年、対象地域は岡崎市内、職種は弁当宅配業等の営業に限定した規定[フランチャイズ契約終了後の競業避止義務規定]を有効とする事例(エックスヴィン(ありがとうサービス)事件 大阪地判平22.1.25 労判1012-74)、仕事上の強いコネの保持を理由に、日本での5年間の競業制限を有効とする事例(前掲フレンチ・エフ・アンド・ビー・ジャパン事件)、元使用者の研究・開発のノウハウの点から地域的に無制限でよいとする事例(モデル裁判例)がある。また、期間は1年だが、対象は同種業者に限られることから、地理的に無制限よいとする事例(前掲ヤマダ電機(就業避止条項違反)事件)もある。なお、社内での地位が低く影響力の少ない従業員に対する3年間、地域・職種制限なしの特約を無効とする事例(東京貸物社事件 浦和地決平9.1.27 判時1618-115)がある。

4)元の使用者による代償の提供
代償措置の有無は、競業避止特約の有効性を決する重要な要素である(モデル裁判例)。在職中の株式利益(2億5,000万円余)と高給(年間3,000万円程度)は十分な代償となるが(前掲フレンチ・エフ・アンド・ビー・ジャパン事件)、監査役への1,000万円の退職金では不十分である(前掲東京リーガルマインド事件)。また、本来より少額の退職金では競業行為禁止に見合う補償と認められず(前掲東京貸物社事件)、在職中に支払われた月額4千円の秘密保持手当ではきわめて不十分(新日本科学事件 大阪地判平15.1.22 労判846-39)とされる。なお、不十分な代償措置は損害賠償額算定に当たり考慮できるという理由で競業避止条項の有効性を否定しなかった事例(前掲ヤマダ電機(就業避止条項違反)事件)があるが、疑問である。

(2)競業避止義務違反の帰結
1)損害賠償責任
至近距離での競業会社設立及び多数の顧客の勧誘(東京学習協力会事件 東京地判平2.4.17 労判581-70:賠償額376万円余)、使用者が取引中の者に働きかける悪質な競業(前掲チェスコム秘書センター事件:賠償額500万円)、競業会社への協力行為(エープライ(損害賠償)事件 東京地判平15.4.25 労判853-22:賠償額316万円など)には損害賠償責任が認められる。取締役の競業行為は重大な法律違反(取締役の忠実義務違反[旧商法254条の3;現会社法355条])でもある(日本コンベンションサービス(退職金請求)事件 大阪高判平10.5.29 労判745-42:賠償額400万円)。なお、競業避止義務違反を理由とする違約金及び損害賠償の請求・支払いに係る約定は無効である(労基法16条)。

2)競業行為の差止め
競業行為の差止めは、特約が存在し、その内容が明確かつ合理的であって公序良俗に反しない場合に認められる。肯定例は、モデル裁判例、前掲新大阪貿易事件、アフラック事件(東京地判平22.9.30 労判1024-86)、否定例は、前掲東京リーガルマインド事件。

3)退職金の不支給
(33)【退職金】参照。なお、アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー事件(東京地判平24.1.13 労判1041-82)も参照。

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(80)転職の勧誘・引抜き 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)元の会社の利益を不当に害する方法で、転職の勧誘や従業員の引抜きを行った元従業員とその会社は、従業員を引抜かれるなどした会社に対して損害賠償責任を負う。

(2)社会的に認められない引抜き行為であるか否かは、転職する従業員の元の会社における地位、元の会社内部における待遇、引き抜く人数、従業員の転職が元の会社に及ぼす影響、転職の勧誘に用いた方法(退職時期の予告の有無、秘密性、計画性等)が判断材料となる。

2 モデル裁判例
ラクソン事件 東京地判平3.2.25 労判588-74

(1)事件のあらまし
原告X社は英会話教室を経営する会社であり、被告Y1社は英語教材を販売する会社である。X社の取締役兼営業本部長であった被告Y2は、X社の売上の80%をも占める業績を上げ、X社の社運をかけた企画を一切任されており、経営上きわめて重要な地位にあった。しかしY2は、X社の経営に対して不安や不満を持っていたことから取締役を辞任し、間もなくY1社の役員から移籍を持ちかけられた。Y1社とY2はY2の移籍を前提として、Y2の従前の部下らをX社から引き抜くことを計画し、事前に従前の部下(マネジャー)を説得して計画に引き入れ、移籍後に業務を行う事務所を確保して、Y2は事務所の鍵を預かっていた。そして計画的に、慰安旅行と称して従前の部下であったセールスマンらを事情を一切告げずに温泉地のホテルに連れ出し、2~3時間かけてY1社への移籍を説得した。その折り、Y1社と販売商品の説明も行われ、帰京翌日からY1社で営業を開始することを確認して解散した。慰安旅行にかかる費用の一切はY1社が負担している。なお、慰安旅行の当日早朝に、従前の部下で計画に事前に加わっていたマネジャーらは、引抜きの対象とされたセールスマンらの私物や業務書類などをX社から持ち出し、事前に確保していたY1社事務所に運び込んでいる。そこでX社は、従業員を大量に引き抜かれたことによって被った減少分の利益を損害として、Y1社とY2に損害賠償を請求した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

従業員引抜き行為と因果関係にある限度で損害賠償請求が認められた(請求額1億円、認められた額870万円)。

1)Y2の責任:会社の従業員は、会社に対して、雇用契約に付随する信義則上の義務(民法1条2項:筆者注)として、会社の正当な利益を不当に侵害してはならない義務(誠実義務)を負い、従業員がその義務に違反して使用者に損害を与えた場合、従業員は、債務不履行(民法415条:筆者注)又は不法行為(民法709条以下:筆者注)に基づき、その損害を賠償する責任を負う。従業員引抜き行為のうち、単なる転職の勧誘にとどまるものは違法とは言えない。そして、社会的に認められない引抜き行為であるか否かは、①転職する従業員が会社で占める地位、②会社内部における待遇、③引き抜く人数、④従業員の転職が会社に及ぼす影響、⑤転職の勧誘に用いた方法(退職時期の予告の有無、秘密性、計画性等)など、幾つかの事情を考慮して判断すべきである。この事件における引抜き行為のさまは、計画的かつ極めて背信的であったもので、もはや適法な転職の勧誘に留まらず、社会的に認められない違法な引抜き行為である。したがって、Y2は、引抜き行為によってX社が被った損害を賠償する責任を負う。

2)Y1社の責任:ある企業が競争企業の従業員に自社への転職を勧誘する場合も、前に述べたと同じ判断材料によって、不法行為に基づく損害賠償責任の有無が判断される。Y1社の行為は、単なる転職の勧誘を越えて、社会的に認められない引抜き行為であり、Y1社は、引抜き行為によってX社が被った損害を賠償する責任がある。

3 解説
モデル裁判例が述べるように、転職勧誘・引抜き行為が、元の会社の利益や権利を不当に侵害する社会的に認められない方法で行われた場合、それを行った元従業員と会社は、債務不履行およびまたは不法行為に基づいて、従業員を引き抜かれた会社に対して損害賠償責任を負う(フレックスジャパン・アドバンテック事件 大阪地判平14.9.11 労判840-62、アイメックス事件 東京地判平17.9.27 労判909-56)。また、転職勧誘・引き抜きを行った(元)従業員は、退職金を不支給(あるいは返還請求)とされたり、就業規則上の懲戒解雇事由に該当すると判断される場合もある(ソフトウェア興業(鎌田ソフトウェア)事件 東京地判平23.5.12 労判1032-5)。

(1)転職の勧誘・引抜きの法的責任
これに対する責任は、労働契約の中に転職勧誘や引抜きを行ってはならない(競業行為をしてはならない)などと取り決められていなくても負わされるので(その根拠は労働契約に付随する信義則)、労働契約の中にこのような取り決めがある場合はもちろん、損害賠償責任が認められる(就業規則上の競業避止義務違反としての債務不履行責任:東京学習協力会事件 東京地判平2.4.17 労判581-70など)。

また、懲戒処分(会社が従業員に対して科す私的な罰:筆者注)の対象とされることもあり(日本教育事業団事件 名古屋地判 昭63.3.4 判時1282-156:地区の営業最高責任者数名による部下の大量引き抜きに対する懲戒解雇の事例)、就業規則上の懲戒事由該当性が認められた上で、退職金規定に基づいて、支給された退職金について会社からの返還請求が認められる場合もある(前掲ソフトウェア興業(鎌田ソフトウェア)事件)。

さらに、従業員を引き抜かれた会社の権利・利益の侵害が認められれば、不法行為に基づく損害賠償責任が認められる(リアルゲート(エクスプラネット)事件 東京地判平19.4.27 労判940-25)。

(2)法的責任が認められない場合
しかし、事実関係によっては、損害賠償責任が認められない場合もある。

引き抜いたのではなく、勧誘された者らが勧誘した元従業員の計画に賛同して自主的に退職した場合(港ゼミナール事件 大阪地判平元.12.5 判時1363-104)、競業会社設立の青写真が未確定の状況で引抜き工作が行われたとは考えにくく、かえって元従業員らは自発的に移籍したと考えられる場合(中央総合教育研究所事件 東京地判平5.8.25 判時1497-86)、元の会社の経営者の行為に起因する社内混乱に嫌気がさして自発的に辞職した場合(フリーラン事件 東京地判平6.11.25 判時1524-62)、会社の労働条件や業務内容に不満を持っていたところに転職の話を持ちかけた場合(ジャクパコーポレーションほか事件 大阪地判平12.9.22 労判794-37。U社ほか事件 東京地判平26.3.5 労経速2212-3(派遣会社の管理社員による所属の派遣労働者に対する引抜きの事例))が、損害賠償責任の認められない場合に当たる。

なお、外資系証券会社における業務環境の変化や労働者の不満等による転職の動機を肯定的に評価し、かつ、元の会社に実損が生じていないことにかんがみて、集団移籍を主導した営業部部長(エグゼクティブ・ディレクター)に対する懲戒解雇を無効と判断した事例がある(モルガンスタンレー証券(退職金等)事件 東京地判平20.10.28 労判971-27)。

(3)従業員の地位による法的責任の加重
転職勧誘や引抜きを行った従業員の地位からその法的責任の状況を見ると、会社内での職位も高く、経営上重要な役割を担う者は、一般従業員あるいは中間管理職の職位にある者に比べて、元の会社に対して、より高い誠実性が求められるので(なお、取締役の忠実義務、会社法355条を参照)、損害賠償責任を負う場合が多いとみられ、また、賠償すべき損害の額が比較的高い傾向にあるといえる。代表取締役・取締役につき、前掲リアルゲート(エクスプラネット)事件:賠償額800万円、取締役につき、モデル裁判例及び日本設備事件 東京地判昭63.3.30 判時1272-23:賠償額340万円、副社長兼支社長及び支社次長につき、日本コンベンションサービス事件 大阪高判平10.5.29 労判745-42:賠償額400万円、病院長兼理事につき、厚生会共立クリニック事件 大阪地判平10.3.25 労判739-126:賠償額7,200万円。

他方、前掲モルガンスタンレー証券(退職金等)事件のように、外資系証券会社であることなどの諸事情から、高職位の者であっても法的責任を負わないとする事例も見られる。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 10.雇用関係の終了及び終了後 > (81)【退職】退職届の取下げなど

(81)【退職】退職届の取下げなど 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)退職の意思の表明は、権限ある役職者が承諾するまでなら撤回できる。

(2)退職は、当事者の意思から合理的に推測される場合や客観的状況などから、法的に有効なものであるか否かが判断される。

(3)退職の意思の表明が本心ではない(心裡留保)か勘違い(錯誤)に当たる場合は無効であり、脅し(強迫)に当たる場合は取り消せる。

(4)退職の予告期間を民法627条の定める2週間を超えて延長することや、退職を会社の許可制とすることは、違法・無効である。

(5)退職に際して相手に不利益をもたらす取扱いは、損害賠償責任を生じさせる。

2 モデル裁判例
大隈鐵工所事件 最三小判昭62.9.18 労判504-6

(1)事件のあらまし
第一審原告の労働者Xは、同期入社のAと共に、鉄工業を営む被告Y社内で民青活動(共産党関連活動)を行っていた。Xは、Aが失踪したため、上司BらからAの失踪について事情聴取された。BらはAの部屋から発見した民青関連資料をもとに、Xに対してAの失踪について知らないか問いただしたところ、XはAの失踪と関係ないと述べ自ら退職を申し出た。人事管理の最高責任者である人事部長Cは退職する必要はないと引き留めたが、Xが聞き入れなかったため退職届をXに渡した。するとXは、その場で退職届に記入・署名・捺印したうえ、Cに提出した。しかし、提出の翌日、Xは退職届を撤回すると人事課長Dに申し出たが拒否された。そこでXは、退職届の提出は違法な解雇に当たるか、無効な退職合意であるなどと主張して、従業員としての地位があることの確認を求めて訴えを起こした。一審(名古屋地判昭52.11.14 労判294-60)は退職の意思の表明を無効としたが、二審(名古屋高判昭56.11.30 判時1045-130)は労働者の撤回により退職の意思の表明は法的効力を失ったとしてXの請求を認めた。それでYが上告したのがこの事件である。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

CがXの退職届を受理したことで即時に会社が退職を承諾したことになり、退職は有効である。労働者の退職届に対する承認について、入社に際して行われる筆記試験や役員面接試験とは異なり、採用後の労働者の能力・人物・実績などについて掌握しうる立場にある人事部長に退職の承認についての判断をさせ、単独でこれを決定する権限を与えることは何ら不合理ではない。人事部長に退職届に対する承認の決定権限があるならば、人事部長が労働者の退職届を受理したことで、労働契約の解約(退職)申込みに対する会社の即時の承認の意思が示されたというべきである。そして、これによって、労働契約の解約の合意が成立した。

3 解説
(1)退職に関する労使間の合意
労働者が会社との合意により退職する合意解約は、通常、労働者の会社を辞めるという意思表明と、権限ある者の承諾により成立する。しかし例えば、職員の常務理事就任(大阪工大摂南大学事件 最一小判平5.12.16 労判648-27)、出向先の経営権が譲渡されるのを知りつつ出向元に復帰せず出向先で就労したこと(アイ・ビイ・アイ事件 東京地判平2.10.26 労判574-41)、元の会社の経営者が派遣会社を設立し、今後はその派遣会社と雇用契約を結んで働くのを合意したこと(日建設計事件 大阪地判平17.2.18 労判897-91など)でも合意解約の成立が認められる。

反対に、配転を拒否するなら退職するしかない旨の会社側職制の発言に対する「グッド・アイデアだ」との返答は退職の合意ではない(株式会社朋栄事件 東京地判平9.2.4 労判713-62)。また、退職を前提に転職活動をしつつ業務の引き継ぎをしていても、退職に係る正式な書面が交わされていないなどの状況では、退職の合意は成立しているとはいえない(フリービット事件 東京地判平19.2.28 労判948-90)。

(2)退職届の取下げ
退職意思の撤回はどの時点・職制段階までなら許されるか。一般的には、退職を承認する権限のある者が承諾するまでなら退職意思を撤回できる(モデル裁判例。理事長:学校法人白頭学院事件 大阪地判平9.8.29 労判725-40、工場長:ネスレ日本(合意退職)事件 東京高判平13.9.12 労判817-51、理事長:学校法人大谷学園(中学校教諭・懲戒解雇)事件 横浜地判平23.7.26 労判1035-88)。特別優遇制度による合意解約は、募集受付方法欄記載の合意書が作成されるまでは成立せず、労働者の応募の撤回が認められる(ピー・アンド・ジー明石工場事件 大阪高決平16.3.30 労判872-24)。なお、一旦提出した退職届を撤回することは、相手方に不測の損害を与える場合、信義則(民法1条2項)に反し許されない(佐土原町土地改良区事件 宮崎地判昭61.2.24 労判492-109)。

(3)虚偽・誤解・脅しによる退職意思の表明
労働者が会社を辞めるとの意思表明は、真意でなければならない。法律的には、民法における心裡留保、錯誤、強迫の問題として扱われる。

心裡留保とは、例えば、会社を辞める意思がないのに労働者が退職届を提出したりするなどの場合で、会社側が、労働者は実は会社を辞める意思がないことを知っている場合である(昭和女子大学事件 東京地決平4.2.6 労判610-72)。このような意思表明は無効である(民法93条ただし書)。

錯誤とは、例えば、退職届の提出は自分が解雇されると誤って思い込みこれを避けるためだったが、実は解雇の可能性はなかった場合である(昭和電線電纜事件 横浜地川崎支判平16.5.28 労判878-40、[懲戒解雇が問題となった類似事案に]富士ゼロックス事件 東京地判平23.3.30 労判1028-5など)。この意思表示は無効となる(民法95条)。体調不良が私傷病によるものであると誤信して退職願を提出した助手(有期雇用契約で採用)による地位確認等請求に関して、実際には同助手の勤務場所に存在していた揮発性有機化合物等の化学物質により化学物質過敏状態が発症し、それに伴い自律神経機能障害等が生じたと推認でき、体調不良を起こしていたことから、同助手の退職の意思表示には要素の錯誤があり、その意思表示は無効であると判断された(慶應義塾(シックハウス)事件 東京高判平24.10.18 労判1065-24;ただし、雇用契約期間の終了のため同助手の地位確認請求は棄却されている)。

強迫とは、例えば、懲戒処分や不利益取扱いをほのめかして退職を申し込ませる場合である(ニシムラ事件 大阪地決昭61.10.17 労判486-83など)。このような意思表明は取り消せる(民法96条)。なお、懲戒解雇該当行為に関しては、該当行為がない場合は強迫として取消しが認められるが(前掲ニシムラ事件)、該当行為がある場合に懲戒解雇の可能性があることを述べても強迫ではない(ソニー(早期割増退職金)事件 東京地判平14.4.9 労判829-56)。

(4)退職予告期間延長と退職許可
会社が民法627条の定める2週間を超えて予告期間を延長することは、労基法の諸規定(例えば5条)に反し、また、退職の許可制も、労働者の退職の自由を制限するので法的効力を持たない(高野メリヤス事件 東京地判昭51.10.29 判時841-102など)。

(5)退職による損害賠償責任
退職は相手方に対する損害賠償責任を生じさせることがある。例えば、労働者の突然の退職(入社後4日)により被った損害(ケイズインターナショナル事件 東京地判平4.9.30 労判616-10:賠償額70万円)、会社の労働者負担分の社会保険料の立替金(すずらん介護サービス(森田ケアーズ)事件 東京地判平18.9.4 労判933-84:賠償額31万円)などがこれに当たる。

逆に労働者については、会社の退職に係る諸手続遅延により生じた、転職先で支払われるはずの給与と実際の給与との差額分(東京ゼネラル事件 東京地判平8.12.20 労判711-52)、会社都合退職とすべきところを自己都合と処理したことによる、退職金などに係る会社都合と自己都合との差額分(ゴムノイナキ(損害賠償等)事件 大阪地判平19.6.15 労判957-78)が、賠償すべき損害とされている。

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(82)【退職】肩たたき 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)執拗で、繰り返し行われる半強制的な退職の勧め(退職勧奨、いわゆる肩たたき)は違法となる。

(2)女性差別など法令に反する退職勧奨は違法となる。ただし、経営上の必要性や会社側の対応によっては、退職勧奨が必ずしも違法とされるわけではない。

(3)退職勧奨の域を超える退職強要(ことさらに侮蔑的な表現を用いる、懲戒処分をちらつかせる、など)は違法である。

(4)退職の勧めを拒否した者に対する不利益な措置(優遇措置の不提供、配置転換、懲戒処分、不昇給)は違法となる。ただし、対象となる労働者や使用者側の事情によっては、不利益な措置が違法とならない場合がある。

2 モデル裁判例
下関商業高校事件 最一小判昭55.7.10 労判345-20

(1)事件のあらまし
市教育委員会Aは、第一審原告の男性教諭Xらに対して、退職勧奨の基準年齢である57歳になったことを理由に、2~3年にわたり退職を勧めてきたが、Xらは応じなかった。この間、所属校の校長やAが、Xらに退職を勧め、優遇措置などについて話をする程度であった。しかし、その後、AはXらに対して退職を強く勧め始め、3~4ヵ月の間に、11~13回にわたりAへの出頭を命じ、20分から長いときは2時間にもおよぶ退職勧奨を行った。その際Aは、退職勧奨を受け入れない限り、Xらが所属する組合の要求に応じないと述べたり、提出物を要求したり、配転をほのめかしたりした。そこでXらは、これら一連の行為は違法であり、精神的苦痛を受けたなどとして、市Y1、同市教育長及び次長Y2らを被告として、Yらに対して、各自50万円の損害賠償の支払いを求めて訴えを起こした。一審、二審ともにXらの請求を認めたところ(ただし、Y2に対する請求は棄却されている)、Y1が上告したのがこの事件である。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

二審の判決が受け入れられて、Xらの請求が認められた(損害賠償額は、X1について4万円、X2について5万円の計9万円)。以下は二審判決の要旨。Aの行った退職勧奨は、多数回かつ長期にわたる執拗なものであり、退職の勧めとして許される限界を超えている。この事件の退職勧奨は、従来の取扱いと異なり、年度を超えて行われ、また、Xらが退職するまで続けると述べられており、勧奨が際限なく続くのではないかという心理的圧迫をXらに加えたものであって許されない。Xらが勧奨に応じないならば、組合の要求に応じないと述べたり、提出物を要求したり、配転をほのめかしたりしたことを考えると、Xらは退職勧奨によりその精神的自由を侵害され、また、耐えうる限度を超えて名誉感情を傷つけられ、さらには家庭生活を乱されるなど、相当な精神的苦痛を受けたと容易に考えられる。したがって、この事件における退職の勧めは違法であり、Y1は、Xらが被った損害を賠償する責任を負う。

3 解説
モデル裁判例の事案のように、繰り返してなされ、執拗で、半強制的な退職の勧め(退職勧奨、いわゆる肩たたき)は、違法となる。そして、退職勧奨を行った者は、損害賠償責任を負う。以下では、退職勧奨にかかわるその他の問題をみていく。

(1)退職勧奨基準の合理性
原則として、退職勧奨の対象となる基準の年齢について、男女間で年齢格差を設けることは違法となる(鳥取県教員事件 鳥取地判昭61.12.4 労判486-53(詳しくは、(14)【女性労働】を参照)。また、女性に対して妊娠を理由に退職を勧奨したり、退職を強要したりすることは、女性が婚姻・妊娠・出産を理由に退職すると定めたり解雇したりすることを禁じた均等法8条(平成18年改正前のもの;現同法9条)の趣旨に反するので、違法な行為として会社の損害賠償責任が生じる(今川学園木の実幼稚園事件 大阪地堺支判平14.3.13 労判828-59:損害賠償額280万円)。

他方、原告の男女労働者の結婚が退職勧奨の隠れた理由であったとしても、他に経営合理化の必要性があったことから、退職勧奨が直ちに不法行為になるとはいえないと判断した事例(東光パッケージ(退職勧奨)事件 大阪地判平18.7.27 労判924-59)や、会社が行った退職勧奨などの行為に対する原告労働者からの慰謝料請求に関して、人件費削減の必要性に基づく退職勧奨自体を責めることはできず、また、組合を通じた退職条件の折衝においても不誠実・強引な交渉態度は伺われないことなどから、会社の対応が不法行為になるほど悪質とはいえないとした事例(明治ドレスナー・アセットマネジメント事件 東京地判平18.9.29 労判930-56)がある。その他、適法な退職勧奨と認められた事案に日本アイ・ビー・エム事件(東京地判平23.12.28 労経速2133-3)及びリコー(子会社出向)事件(東京地判平25.11.12 労判1085-19:ただし、退職勧奨を拒否したために出された出向命令は無効と判断)等がある。

したがって、差別的取扱いなど比較的明確な法令違反となる退職勧奨は違法とされるのに対して、経営上の必要性がある場合や会社側の対応いかんによっては、退職勧奨は必ずしも違法とされるわけではないということができそうである。

ところで、退職勧奨の域を越えて退職を強要することは違法な行為とされる。例えば、衆人環視の下でことさら侮蔑的な表現を用いて名誉を毀損する態様での退職強要(東京女子醫科大学(退職強要)事件 東京地判平15.7.15 労判865-57:損害賠償額450万円)、懲戒免職処分をちらつかせて、降格・減給・配置換えを甘受するか、自ら辞職するかの選択を迫る行為(社会的に許容される限度を超えた辞職要求)(群馬町(辞職強要)事件 前橋地判平16.11.26 労判887-84:慰謝料100万円)、原告労働者の所属職場を閉鎖して、他への配転も検討せずになされた退職勧奨(退職強要)(前掲東光パッケージ(退職勧奨)事件:原告の男女労働者2名に対して合計130万円の慰謝料)などがある。

前掲リコー(子会社出向)事件では、退職勧奨の不法行為該当性に関して、前掲日本アイ・ビー・エム事件で述べられた判断基準を踏まえ、「退職勧奨は、勧奨対象となった労働者の自発的な退職意思の形成を働きかけるための説得活動であるから、説得活動のための手段及び方法が社会通念上相当と認められる範囲を逸脱しない限り、使用者による正当な業務行為としてこれを行ないうると解するのが相当であるが、使用者の説得活動が、労働者の自発的な退職意思の形成を働きかけるという本来の目的実現のために社会通念上相当と認められる程度を超えて、当該労働者に対し不当な心理的圧力を加えたり、その名誉感情を不当に害するような言辞を用いたりして、その自由な退職意思の形成を妨げたような場合は、当該退職勧奨行為は、もはやその限度を超えたものとして不法行為を構成するというべきである」と論じられている。

(2)退職勧奨の拒否を理由とする不利益な取扱い
退職勧奨を拒否し続けた後に退職した者に対して、退職勧奨に応じた場合に与えられる優遇措置が与えられない不利益な措置は違法となる(前掲鳥取県教員事件)。

また、退職勧奨を拒否した者に対して、業務上の必要性のない、嫌がらせ目的の配転を命じたり、懲戒処分手続を踏まずに、懲戒処分として労働者の降格を行ったりする場合には、それら命令や処分は違法となる(フジシール事件 大阪地判平12.8.28 労判793-13)。さらに、女性職員が違法な退職勧奨を拒否して以降、昇給させないのは、違法な不利益取扱いであり、使用者は損害賠償責任を負う(慰謝料を含む約80万円を差額賃金に相当する損害賠償額として原告の請求を一部認めた(鳥屋町職員事件 金沢地判平13.1.15 労判805-82)。「もう君は私の管理職の構想から外れている。」及び「自分で次の就職先を見つけてはどうか。ラーメン屋でもしたらどうや。」等、繰り返し行われた退職勧奨を拒否した後、嫌がらせと思われる転籍命令、さらには定年間際の59歳時に出向期間5年、通勤時間片道2時間半という出向命令(管理職手当の不支給も含む)が出された等のケースにおいて、退職勧奨及び両命令の違法性が認められ、慰謝料100万円等が認容されている(兵庫県商工会連合会事件 神戸地姫路支判平24.10.29 労判1066-28)。

他方、満65歳に達した従業員に対する退職勧奨について、これを承認しない者に対する賃上げ不実施と、定額の一時金支給を定めた労働協約の定めは、従業員の高齢化による労務費の高騰と経営状態の悪化から取り結ばれたものであって、動機や目的に不合理な点はないと判断されている事件もある(東京都十一市競輪事業組合事件 東京地判昭60.5.13 労判453-75)。もっとも、この事件については、裁判所が、加齢に伴う労働能率の低下と適切な処遇、協定を結んだ手続やその過程、他の競輪場及び他産業での高齢従業員の取扱い・賃金水準を細かく検討した上で判断していることに注意が必要である。

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現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 10.雇用関係の終了及び終了後 > (83)【退職】早期退職優遇制度

(83)【退職】早期退職優遇制度 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)早期退職優遇制度に応募するには、一般に、応募の条件を満たす必要がある。

(2)早期退職優遇制度によって退職する場合、会社側の承認を必要とすることは違法ではない。したがって、優遇措置である割増退職金の請求は、会社側の承認があって初めて行うことができる。

(3)優遇された退職金の支給額について、制度の実施又は適用の時間的前後関係から労働者の間で不平等が生じても、原則として会社は労働者を平等に取扱う義務はない。

2 モデル裁判例
神奈川信用農業協同組合(割増退職金請求)事件 最一小判平19.1.18 労判931-5

(1)事件のあらまし
被告Y信用農業協同組合は、就業規則で60才定年制を定めていたが、併せて、労働者の希望により定年年齢前に退職した場合は定年扱いとし、割増退職金を支給する選択定年制を要項で定めていた。選択定年制の対象者は、退職時点に48歳以上で、かつ、勤続15年以上の職員のうち、退職を希望する6ヵ月前までにYに申し出て、Yが認めた者と定めていた。選択定年制が設けられた趣旨は、組織活性化や従業員の転身支援、経費削減であったが、必要な人材の流出防止のため、Yの承認が必要とされていた。

Yの従業員であったXら2名は、選択定年制による退職を希望し、その旨をYに申し出た。その折、Yの経営状態が悪化し、事業譲渡及び解散は不可避と判断されたが、事業譲渡前に退職者が増加することで事業運営が困難になることを防ぐため、Yは選択定年制を廃止する方針を立て、選択定年制に応募する資格を有する従業員全員に対しその旨説明すると共に、理事会で選択定年制廃止を決定した上、Xら選択定年制を申し出た従業員らに対して承認しない旨告げた。

Xら原告労働者は、選択定年制により退職したものとして取り扱われるべきであると主張して、割増退職金債権を有することの確認を求めて提訴した。一審(横浜地小田原支判平15.4.25 労判931-24)、二審(東京高判平15.11.27 労判931-23)は共に、Xらの主張を容れたところ、Yが上告したのがこの事件である。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

選択定年制による退職は、従業員の申出をYが承認することにより、所定日限りの雇用契約終了や割増退職金債権発生という効果が生じるとされており、Yが承認するかどうかについて、就業規則及び要項で特段の制限は設けられていない。もともと、選択定年制による退職に伴う割増退職金は、従業員の申出とYの承認とを前提に、早期の退職の代償として特別の利益を付与するものであり、選択定年制による退職申出が承認されなかったとしても、申し出た従業員は、特別の利益を付与されないが、選択定年制によらない退職を申し出ることは何ら妨げられておらず、退職の自由は制限されていない。したがって、選択定年制による退職申出に対してYが承認しなければ、割増退職金債権の発生を伴う退職の効果が生じる余地はない。

3 解説
(1)早期退職優遇制度の適用の有無
早期退職優遇制度は一時的な雇用調整措置なので、一定の応募資格を満たし、期間内に応募するか自動的に適用されない限り適用されない。実際、制度の適用対象年齢以前に退職した場合は適用されないとされた事例(アラビア石油事件 東京地判平13.11.9 労判819-39など)、内規の早期退職優遇制度が自動的に労働契約の内容になるわけではないとされた事例(日商岩井事件 東京地判平7.3.31 労経速1564-23)がある。また、出向期間中に出向元で実施された希望退職制度について出向者を対象外としても、出向者とそうでない者を同等に扱うとの就業規則等における明確な定めがない限り違法ではないとされた事例(NTT西日本(出向者退職)事件 大阪地判平15.9.12 労判864-63)もある。なお、懲戒処分事由がある場合は転身援助制度の優遇措置は適用されないとした事例(中外爐工業事件 大阪地判平13.3.23 労経速1768-20)、競業会社に転職する場合は退職金特別加算金制度を適用しない旨の条項を、直ちに公序良俗違反(民法90条)で無効とはできないとした事例(富士通(退職金特別加算金)事件 東京地判平17.10.3 労判907-16)がある。

ただし、本来適用のない年齢の者でも、他の年齢の者にも準用する場合があると定められていれば、実際の退職金額と支払われるべき優遇退職金額との差額請求が認められる場合もある(朝日広告社事件 大阪高判平11.4.27 労判774-83)。また、ごく一般的に言って、制度の適用を認めないことが当事者間の信義に反する特別の事情がある場合、会社は制度利用申請の承認を拒否できない(ソニー(早期割増退職金)事件 東京地判平14.4.9 労判829-56など。ただしこの事件では、特別の事情はないとされた。)。

(2)早期退職優遇制度による退職の条件-会社の承認
早期退職の募集により有能な人材が流出するのを阻止すべく、会社は引き留めを行うことが多い。その結果、制度が適用される者すべてが優遇措置を受けて退職できるわけではない。モデル裁判例の会社が承認を定めていたのもこの理由からである。その他にも、会社に必要不可欠な者が退職すると業務に支障が生じるので、早期退職に使用者の承認を要するとすることは不合理ではない(大和銀行事件 大阪地判平12.5.12 労判785-31)、また、承認しなければならない法的義務があるわけでもない(日本オラクル事件 東京地判平15.11.18 労判862-90)等と判断した裁判例が存在する。

なお、早期退職の募集は会社からの申込ではなく誘引であり、労働者の応募で退職の効果が自動的に生じるものではない(津田鋼材事件 大阪地判平11.12.24 労判782-47など)。

(3)早期退職優遇制度と割増退職金の請求の可否
それでは、支払われるべき額と実際の額の差額請求は認められるか。モデル裁判例に従えば、会社の承認がなければ退職の効果は生じず、併せて、割増退職金を得る権利は発生しない。

また、制度が適用されていた労働者の間で不平等が生じることになっても、より優遇された退職金等の支払いを保証する内規などがなければ(前掲朝日広告社事件)、差額請求は認められない(住友金属工業(退職金)事件 大阪地判平12.4.19 労判785-38)。

制度適用の時間的前後関係から見ても同様で、のちに会社がより有利な優遇制度を設けたからといって会社に差額支払責任はなく(長崎屋事件 前橋地桐生支判平8.5.29 労判702-89)、早期退職制度導入前に退職した場合でも、制度が適用されていれば得ていたはずの額と実際の退職金額との差額請求は認められない(大阪府国民健康保険団体連合会事件 大阪地判平10.7.24 労判750-88)。退職後により有利な退職金規程を定めた労働協約が締結された場合で、締結以前に退職した場合も同じである(阪和銀行事件 和歌山地判平13.3.6 労判809-67)。

なお、会社には、早期退職優遇制度が設置されることを退職者に知らせる義務(イーストマン・コダック・アジア・パシフィック事件 東京地判平8.12.20 労判709-12)や、希望退職募集に際し再建策実施後の将来見通し等について説明すべき義務(東邦生命保険事件 東京地判平17.11.2 労判909-43)はなく、制度に応募でき(し)なかった者の損害賠償請求は認められない。

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(84)定年(制) 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)平成10年4月以降、高年齢者雇用安定法により60歳定年制が義務化され(同法8条)、60歳未満の定年年齢を定める定年制は原則として違法・無効とされる。また、平成16年及び24年の同法改正により、事業主は、65歳までの安定した雇用を確保するために、高齢者雇用確保措置として、①定年年齢の引上げ、②継続雇用制度の導入、又は、③定年の定めの廃止、のいずれかを講じなければならなくなった(同法9条)。

(2)定年制は、労働者の労働継続の意思、その労働能力や適格性の有無等に関係なく、一定年齢到達という事実のみを理由に労働契約を終了させるため、労働者の労働権を侵害するか否か、あるいは、年齢差別であり憲法14条や労基法3条の趣旨に違反することにより公序良俗違反となるか否かが問題となってくる。

(3)定年制延長(定年年齢の引上げ)に伴い、人件費削減の必要性等から、一定年齢(55歳など)以上の労働者を対象に賃金その他の労働条件等を不利益に変更するような場合、このような労働条件の不利益変更は、不合理な年齢差別に当たり、法の下の平等を保障した憲法14条1項や労基法3条等に違反し、法律上は許されないのか否かが問題となってくる。

2 モデル裁判例
日本貨物鉄道(定年時差別)事件 名古屋地判平11.12.27 労判780-45

(1)事件のあらまし
原告Xらは、昭和62年4月、国鉄の分割・民営化に伴い貨物鉄道部門を承継し営業を行うことになった被告Y会社に、運転士として雇用されていた。Yの就業規則には60歳定年制が定められていたが、その附則において、厳しい経営状況等を勘案し、当面は55歳定年として逐次60歳に移行する旨が規定されていた。

その後、年金法の改正により、平成2年4月から退職共済年金の支給開始年齢が従来の58歳から60歳に引き上げられたこと等に対応するため、Yにおいても前記附則が削除され、同月以降定年を60歳に延長することとされた。それとともに、延長する5年間の労働条件に関して、Yは就業規則を変更して、①満55歳に到達した労働者は原則として出向する、②その者の基本給は55歳到達月の65%(退職手当受給者は55%)とする、③定期昇給および昇進を行わないこと等を新たに規定し、実施した。

平成5年から同9年の間に満55歳を迎えたXらは、この就業規則変更について、合理性がないこと、及び、年齢による不合理な差別であること等を理由に違法・無効であると主張して、賃金減額分の支払いを求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

まず、このような就業規則の不利益変更つき、この事案における様々な事情を考慮に入れたうえで、55歳以上の労働者への不利益を法的に受忍させることができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであったと認めている。そのうえで、年齢による差別的取扱いについて、「労働基準法3条は……均等待遇の原則を定めているところ、同法条に列挙された事由も例示的なものと解されることから、使用者は、たとえ年齢を理由としても、差別すべき合理的理由なくして労働条件について差別することは許されないというべきである」。

この事案においては、前述のとおり就業規則の変更自体合理性があるものと認定されており、このような年齢による差別的取扱いも、「やむを得ない合理的理由があるものとして、是認され得る」。また、「年齢差別に関する国際的公序及び高齢者雇用安定法の制定経緯並びに平成2年4月当時から現時点までのわが国の社会的状況等に照らしても、公序良俗に反するとまでは」認められない。

3 解説
(1)定年制の意義および適法性
定年制とは、労働者の一定年齢到達を理由に労働契約を終了させる制度のことをいうが、定年制には、定年到達を解雇事由と捉え労働契約終了のためには解雇の意思表示を必要とする「定年解雇制」と、通常、使用者の特別な意思表示がなくても当然に労働契約が終了する「定年退職制」とがある。特に労基法14条との関係で定年制の法的性質が問題となるのは後者である。

定年制、特に一律定年制は、労働者に労働関係継続の意思があったとしても、その労働能力や適格性の有無等を問うことなく、一定年齢到達という事実により労働契約を終了させてしまう。このような定年制の適法性、特に一律定年制自体の適法性については、わが国の雇用慣行(長期(終身)雇用制の下、判例上のルールにより解雇が制限されてきたことや、年功序列型賃金制度が採られてきたこと等)との兼ね合いの下、人事の刷新を図り、新たな若年労働力を雇入れる等のため必要かつ合理的な制度として、学説・判例上は一応認められてきた。最高裁も、秋北バス事件(最大判昭43.12.25 民集22-13-3459)において、定年制は「企業の組織および運営の適正化のために行われるもの」として、その合理性を肯定している。なお、ある企業の定年制が社会的相当性を欠くような場合には、公序良俗違反または権利濫用との評価を受けて無効とされることもある。

(2)定年年齢の合理性
次に、定年年齢の合理性が問題となってくるが、合理的な年齢はその時々の社会的背景・状況によって変わってくるであろう。一律55歳定年制が憲法27条1項、同14条1項あるいは公序良俗に違反する違法・無効なものであるか否か等が争点の一つとなった裁判例に、アール・エフ・ラジオ日本(定年制)事件(東京地判平12.7.13 労判790-15)がある(高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」という。)の制定および60歳定年制の義務化に至る経緯、企業規模別および放送業界における定年制の実態、使用者の経営状況、並びに、定年退職後の再雇用制度の運用状況などが詳細に検討された結果、憲法違反及び公序良俗違反等の原告労働者側の主張は認められなかった)。

(3)定年延長に伴う(一定年齢以上の労働者に対する)労働条件の不利益変更
平成12年10月に就業規則の58歳定年制を60歳定年制へと変更し、ほぼ同時に58歳以降60歳までの間の基本給の30%減額条項が盛り込まれたケースにおいて、平成10年4月1日以降は高年法に反する58歳定年制は無効となり、その場合には定年制の定めがない状態になっていたと判断され、また、その賃金減額条項も労働条件の不利益変更に当たることを前提に、その合理性が認められなかった牛根漁業協同組合事件(鹿児島地判平16.10.21 労判884-30)がある(なお、高裁判決においてもこの判断は維持、最高裁は使用者の上告につき棄却等)。他方、55歳から60歳への定年延長に伴い、55歳以降は嘱託社員とし賃金減額がなされたケースにおいて、その賃金減額は、就業規則の不利益変更自体には当たるものの、会社の経営環境や経営実態に照らす等した場合には合理性があったものと判断された協和出版販売事件(東京地判平18.3.24 労判917-79)がある(なお、控訴審(東京高判平19.10.30 労判963-54)では、就業規則の不利益変更該当性が否定される等その判断理由は異なるものの、原判決の結論は相当と述べられている)。

従来この種の事案では、就業規則の不利益変更の問題((74)【労働条件の変更】参照)として論じられることが多かったが、高年法に基づく高齢者雇用確保措置を講じる場合においても(定年後の場面となるケースが多いであろうものの)、同様の課題が発生してきている(労働契約法10条の適用ではなく、同7条又は20条の適用が適切であると解される場合もある。(85)[再雇用]の解説(3)参照。)。

(4)定年年齢の引下げ等
就業規則改訂による定年年齢の引下げが問題とされた事案に大阪経済法律学園(定年年齢引下げ)事件(大阪地判平25.2.15 労判1072-38)がある。専任教員(教授)の定年が満70歳から満67歳へと変更された結果、満67歳の誕生日の属する年の年度末の到来により定年退職扱いとされた教授2名、及び、定年前の教授3名が原告となり、定年退職日を満70歳の誕生日の属する年の年度末とする雇用契約上の権利を有する地位の確認及び退職扱い後の賃金の支払い等を求めていたが、判決は就業規則の不利益変更の問題として論じ、定年の引下げにつき一定の必要性等は認めつつも、代償措置や経過措置の不十分さ等から変更の合理性を否定し、原告らの地位確認請求及び賃金請求の一部を認容している。他方、この判決で原審の判断が引用・参照もされていた芝浦工業大学(定年引下げ)事件(東京高判平17.3.30 労判897-72)では、就業規則上の72歳又は70歳から65歳への定年年齢の引下げにつき、変更の合理性が肯定されている。

その他、定年制に関しては、男女別定年制(日産自動車事件 最三小判昭56.3.24 民集35-2-300等)や職種別(若年)定年制等が争点とされた裁判例も存する。なお、就業規則の周知性の要件を欠いていたため、就業規則上の60歳定年制の(使用者による)主張が認められず、また、60歳定年慣行の存在も認められない等として、労働者の労働契約上の地位確認等が認容された事案にエスケーサービス事件(東京地判平27.8.18 労経速2261-26)がある。

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(85)再雇用
~定年退職後の再雇用および雇用延長~ 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)平成16年の高年齢者雇用安定法の改正により、事業主は、65歳までの安定した雇用を確保するために、高齢者雇用確保措置として、①定年年齢の引上げ、②継続雇用制度の導入、又は、③定年の定めの廃止、のいずれかを講じなければならなくなった(同法9条1項;但し②につき、労使協定の定める基準により継続雇用対象者の限定が可能[旧9条2項])。

(2)平成24年の同法改正により、継続雇用を希望する高年齢者全員を継続雇用することが事業主に原則として義務付けられ、労使協定の定める基準による例外の仕組みは廃止されることとなった(但し、この廃止は平成25年4月から同37年4月にかけて段階的に実施される)。

(3)嘱託雇用契約終了後の雇用継続への期待に合理的な理由がある場合には、継続雇用基準を満たしていないことを理由に再雇用を拒否し、当該嘱託雇用契約の終期の到来により高年齢者の雇用が終了したものとすることは、他にこれをやむを得ないものとみるべき特段の事情もうかがわれない以上、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない。

2 モデル裁判例
津田電気計器事件 最一小判平24.11.29 労判1064-13

(1)事件のあらまし
第一審原告Xは、昭和41年3月7日、電子制御機器の製造・販売等を主たる業務内容とする第一審被告Yとの間で、期間の定めのない雇用契約を締結し、以後Yの本社工場で勤務していた。Xは就業規則所定の60歳定年到達後、Yの従業員で組織されたA労働組合との労働協約に基づき期間1年の嘱託として雇用を継続していた。

平成18年3月23日、Yは本社工場の過半数を代表する者との書面による協定に基づき、同24年改正前の高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(以下、「高年法」という。)9条2項所定の継続雇用基準を含む高年齢者継続雇用規程(以下、「本件規程」という。)を定め、これを従業員に周知した。Xは継続雇用の希望を伝えていたものの、Yは同20年12月15日、Xに対して継続雇用基準を満たしていないことを理由に、同21年1月20日の嘱託雇用契約の期間満了日を以て当該契約を終了する旨の書面により、本件規程に基づく再雇用契約を締結しない旨を通知した。

Xは、Yに対し、労働契約上の権利を有する地位確認及び未払い賃金の支払いを求めた。第一審(大阪地判平22.9.30 労判1019-49)、原審(大阪高判平23.3.25 労判1026-49)ともに再雇用契約が成立した等として、Xの主張を認容した。Yが上告・上告受理申立。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Yは、高年法9条2項に基づき労使協定により本件規程を定めて従業員に周知し、同1項2号所定の継続雇用制度を導入したものとみなされる。「期限の定めのない雇用契約及び定年後の嘱託雇用契約によりYに雇用されていたXは、在職中の業務実態及び業務能力に係る査定等の内容を本件規程所定の方法で点数化すると総点数が1点となり、本件規程所定の継続雇用基準を満たすものであったから、Xにおいて嘱託雇用契約の終了後も雇用が継続されるものと期待することには合理的な理由があると認められる一方、YにおいてXにつき上記の継続雇用基準を満たしていないものとして本件規程に基づく再雇用をすることなく嘱託雇用契約の終期の到来によりXの雇用が終了したものとすることは、他にこれをやむを得ないものとみるべき特段の事情もうかがわれない以上、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないものといわざるを得ない」。したがって、「YとXとの間に、嘱託雇用契約の終了後も本件規程に基づき再雇用されたのと同様の雇用関係が存続しているものとみるのが相当であり、その期限や賃金、労働時間等の労働条件については本件規程の定めに従うことになるものと解される」。

そして、本件規程によれば、「YとXとの間の上記雇用関係における労働時間は週30時間となるものと解するのが相当である。」

3 解説
(1)再雇用制度
高年齢者雇用安定法(以下、「高年法」という。)に基づき平成10年4月より事業主は労働者を65歳まで継続雇用する努力義務を負っていたが、同16年及び24年の同法改正により事業主は高齢者雇用確保措置を講じるべき義務が定められた(ポイント(1)参照)。65歳まで雇用を継続するための手法としては、一般に勤務延長(定年延長)制度と再雇用制度とがある。勤務延長制度は原則として役職・職務、仕事内容、賃金水準等が変わらない(労働条件が変更される場合はその旨の就業規則の規定が必要)。これに対し再雇用制度はいったん労働契約を終了させた後、再び新しく労働契約を締結する(労働者は従来の役職・職務等を解かれる)もので、人事の停滞を防ぎ、賃金も定年到達時より抑えることができ、使用者にとってはより弾力的な運用も可能となるため一般的に利用頻度が高くなっている。特に同16年の高年法改正以降、実態としては高齢者の継続雇用制度の導入(再雇用制度)を選択している使用者が多い。

(2)再雇用契約の成否
定年退職した労働者がいかなる場合に再雇用されるのかに関して、平成16年高年法改正以前は、まず、①再雇用制度が就業規則や労働協約等に定められており、特段の事情のない限り希望者全員が再雇用される旨規定されている場合には、労働者が再雇用の申入れをすれば再雇用契約が成立すると考えられていた。これに対し、②就業規則等に定めがあったとしても、使用者が業務上の必要に応じ、特に必要と判断した者を再雇用することがある旨規定されているような場合には、使用者の承諾がない限りは再雇用契約が締結されたとはいえない(三井海上火災保険事件 大阪地判平10.1.23 労判731-21等)。次に、③(a)就業規則等に再雇用制度が定められていない場合または(b)上記②の場合であっても、希望者がほとんど再雇用されている等、再雇用の労使慣行が存すると認められるときは、労働者の申入れにより再雇用が成立すると解されることもある。(b)のケースとして、特段の欠格事由がない限りこのような労働慣行が確立しているものと判断した原審判決を是認した最高裁の事案に大栄交通事件(最二小判昭51.3.8 労判245-24)がある。他方、再雇用の労使慣行の成立が否定された事案に教王護国寺(東寺)事件(京都地判平10.1.22 労判748-138)等がある。

(3)高年法に基づく継続雇用制度
平成16年高年法改正以降、特定の高年齢者の継続雇用につき使用者が拒否した場合にその適否が争われてきた。初期の頃は高年法に基づく継続雇用制度が導入されているか否かという問題との関連で、高年法9条の私法的効力が争点とされた事案がみられたが、「同条は、私人たる労働者に、事業主に対して、公法上の措置義務や行政機関に対する関与を要求する以上に、事業主に対する継続雇用制度の導入請求権ないし継続雇用請求権を付与した規定(直截的に私法的効力を認めた規定)とまで解することはできない」等と判断され、その私法的効力が否定された結果、継続雇用の成立も否定される裁判例が多かった(NTT西日本(高齢者雇用・第1)事件(大阪高判平21.11.27 労判1004-112)等)。なお、継続雇用制度が導入された下、高年法旧9条2項に基づく継続雇用対象者の限定に関連して、労使協定の効力が否定された事案に京濱交通事件(横浜地川崎支判平22.2.25 労判1002-5)がある。

高年法に基づく継続雇用制度が適法に導入されている場合において、高年齢者が労使協定に定められた継続雇用基準を満たしていないとして継続雇用を拒否されたとき、労働契約法16条に基づく解雇権濫用法理の類推適用という方法により、再雇用契約の成立を認めた事案に東京大学出版会事件(東京地判平22.8.26 労判1013-15)がある(なお、否定例にフジタ事件(大阪地判平23.8.12 労経速2121-3)等がある)。また、モデル裁判例において最高裁は、Xが継続雇用基準を満たしていたと事実認定して、有期労働契約における雇止めに関する判例法理を確立した東芝柳町工場事件(最一小判昭49.7.22 民集28-5-927)および日立メディコ事件(最一小判昭61.12.4 労判486-6)を引用・参照し、雇用継続への期待には合理的理由があると認めたうえで、Yの再雇用拒否は「他にこれをやむを得ないものとみるべき特段の事情もうかがわれない以上、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないものといわざるを得ない」と判断した。この最高裁判断は、継続雇用の成否に関して、実質的には、雇止め法理を参照しながら、解雇権濫用法理を類推適用したに等しいものと把握でき(日本郵便事件(東京高判平27.11.5 労経2266-17)もこの判断枠組みを踏襲)、また、平成24年高年法改正以後も、同種の事案に対して大きな影響力を有するものと思われる(なお、行政指針(平成24.11.9厚労告560号)も参照)。

その他、継続雇用後の労働条件の設定に関する課題も存しているが、裁判例として日本ニューホランド事件(札幌高判平22.9.30 労判1013-160)、及び、労働契約法20条に基づき、定年後の再雇用(有期嘱託社員)による大幅な賃金の引下げ(業務内容等は正社員時と同一)が、特段の事情も認められず違法であると判断された長沢運輸事件(東京地判平28.5.13 労経速2278-3)等が参考となる。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 10.雇用関係の終了及び終了後 > (86)【解雇】法令上の解雇規制

(86)【解雇】法令上の解雇規制 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)使用者の一方的な意思表示による労働契約の解約=解雇は、法令によって制限されている。大別すると、①解雇権濫用の禁止、②解雇予告の義務付け、③一定の状況に置かれた労働者に対する解雇の禁止(解雇禁止期間)、④差別的理由等の特定の理由による解雇の禁止、などがある。

(2)労基法20条により、使用者は解雇の際に30日前の予告か30日分の予告手当ての支払いを義務付けられる。この義務に違反した場合、最高裁判例によれば解雇の効力は使用者が解雇に固執する趣旨であるか否かによって決まる。

2 モデル裁判例
細谷服装事件 最二小判昭35.3.11 民集14-3-403

(1)事件のあらまし
原告労働者Xは、洋服の製造・修理を行う被告Yに雇用されていたが、昭和24年8月に、Yから解雇の通知を受けた。このとき、Yは労基法20条で義務付けられている予告期間を置かず、予告手当も支払わなかった。Xは8月分の未払い賃金及び退職金の支払いを求めて提訴したところ、一審の口頭弁論終結日である昭和26年3月19日に未払い賃金と予告手当がYからXに支払われたが、裁判ではXは敗訴した。Xは、控訴審において、Yが未払賃金と予告手当を支払った昭和26年3月19日まで解雇の効力が発生していないと主張してこの間の賃金支払いも求めたが、敗訴したため上告した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

使用者が労基法20条所定の予告期間をおかず、または予告手当の支払いをしないで労働者に解雇の通知をした場合、その通知は即時解雇としては効力を生じないが、使用者が即時解雇を固執する趣旨でない限り、通知後同条所定の30日の期間を経過するか、または通知の後に同条所定の予告手当の支払いをしたときは、そのいずれかのときから解雇の効力を生ずるものと解すべきである。本件解雇の通知は昭和24年8月の解雇通知があってから30日後に解雇の効力を生じたものとする原判決の判断は正当である。

3 解説
(1)法令上の解雇制限の諸類型
民法上は、期間の定めのない労働契約(雇用契約)は、当事者双方から、いつでも自由に解約できるものとされている(627条1項)。しかし、使用者による一方的な労働契約の解約=解雇は、労働者の生活等に重大な影響を与えるものであるため、法令上に様々な解雇制限の規定が設けられている。

第一に、労契法16条は、客観的合理的理由と社会通念上の相当性のない解雇は、解雇権濫用により無効になると規定している。これは、2003年の労基法改正時に、それまで判例法理として存在していた解雇権濫用法理が条文化された(労基法旧18条の2)後、労契法成立時に当該条文が労基法から労契法に移されたものであり、解雇理由や解雇手続に対する一般的な制限である((88)~(90)【解雇】参照)。

第二に、労基法20条は、解雇の手続的規制の一環として、予告期間に関する規定を置いている(→(2)解雇予告義務)。

第三に、労基法19条は、①労働者が業務上の災害の療養のために休業中の期間(労基法81条の打切補償が行われた場合及び労災保険法19条により打切補償が行われたとみなされる場合を除く)、②労働者が労基法65条に基づいて産前産後休業中の期間、および③これらの休業終了後30日間を解雇禁止期間とし、この期間中の解雇を禁止している。なお、この規定により禁止されるのは、当該期間中に労働契約を終了させること(解雇)であり、解雇禁止期間満了後に解雇するための解雇予告をこの期間中に行うことは禁止されない(東洋特殊土木事件 水戸地龍ヶ崎支判昭55.1.18 労民集31-1-14、栄大事件 大阪地決平4.6.1 労判623-63など)。また、①について、うつ病等への罹患が業務上と認められる場合には、その疾病の療養のための休業期間中の解雇は無効となる(東芝(うつ病・解雇)事件 東京高判平23.2.23 労判1022-5)。そして、労災保険法12条の8第1項1号の療養補償給付を受ける労働者が、療養開始後3年を経過しても疾病等が治らない場合には、使用者は、当該労働者につき、労基法81条の規定による平均賃金の1200日分の打切補償の支払をすることにより、解雇制限の除外事由を定める同法19条1項ただし書の適用を受けることができる。当該労働者に労基法19条1項の解雇制限は適用されないが、なお、労契法16条の解雇権濫用の規制は適用される(学校法人専修大学事件 最二小判平27.6.8 民集69-4-1047)。

第四に、国籍・信条・社会的身分差別(労基法3条)、性差別(均等法6条)、労働組合員差別(労組法7条1号)などの差別的理由による解雇、労働者が特定の権利を行使したことや、特定の法違反を行政官庁等に通告したことを理由とする解雇、女性労働者の妊娠・出産等を理由とする解雇など、特定の理由での解雇を禁止する規定がある(育児・介護休業法10条、16条、労基法104条2項、労安衛法97条2項、賃確法14条2項、公益通報者保護法3条、均等法8条など。均等法が定める妊娠・出産等を理由とした解雇の禁止については、その実効性を担保する目的で、妊娠中及び出産後1年未満の女性労働者の解雇も原則として禁止される)。

(2)解雇予告義務
モデル裁判例は、上記各類型のうち、労基法20条の解雇予告義務に関するものである。同条は、解雇を行う使用者に、30日前に予告するか、平均賃金30日分の予告手当を支払うことを義務付けている。予告期間と予告手当は組み合わせることも可能であり、予告手当の日数分だけ予告期間が短縮される(たとえば、平均賃金10日分の予告手当を支払う場合、予告期間は20日で足りる)。

労基法20条をめぐっては、同条の定める予告期間を置かず、予告手当も支払わない解雇の効力が問題となるが、モデル裁判例は、この点につき、相対的無効説と呼ばれる考え方を採用した最高裁判決である。この考え方によれば、労基法20条に違反して行われた即時解雇は、使用者が即時解雇に固執している場合には無効であるが、そうでない場合には法所定の予告期間である30日を経過するか、法所定の額の予告手当てが支払われた時点で効力を生ずる(解雇権濫用等、他の理由で無効となることはありうる)ことになる(使用者が即時解雇に固執しているか否かを基準として解雇の効力が相対化されるため、相対的無効説と呼ばれる)。同最高裁判決以来、裁判実務においては、この相対的無効説が主流となっている(アクティ英会話スクール事件 大阪地判平5.9.27 労判646-55、関西フェルトファブリック事件 大阪地判平10.3.23 労判736-39など)。

これに対し、学説上は、労基法20条違反の解雇が行われた場合には、解雇の無効を主張するか、(解雇は有効とした上で)予告手当及び付加金(労働法114条)の支払いを請求するかを労働者が選択できるという、選択権説も有力であり、比較的最近の裁判例の中にも、この考え方に立つものが存在する(セキレイ事件 東京地判平4.1.21 労判605-91)。

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(87)【解雇】就業規則の解雇事由の拘束力 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)就業規則に定められた解雇事由の定めは、解雇事由を限定的に列挙したもの(限定列挙)か、例示的に列挙したもの(例示列挙)かが問題となる。裁判例では、普通解雇の場合、限定列挙と解するものが多いが、例示列挙と解するものも見られる。

(2)懲戒解雇の場合には、懲戒解雇事由の定めは限定列挙である。

2 モデル裁判例
寿建築研究所事件 東京高判昭53.6.20 労判309-50

(1)事件のあらまし
建築設計を業とするY会社に勤務する労働者Xは、反抗的・非協力的な態度によって企業秩序を乱し業務運営を妨げたとして解雇(第一次解雇)されたため、その効力を争って労働契約上の地位保全及び解雇後の賃金仮払いを求める仮処分の申請をした。

控訴審においてY会社は、上記第一次解雇について、①Xの行為は就業規則所定の解雇事由(後掲の就業規則30条第2号及び第3号)に該当する、②仮に就業規則上の解雇事由に該当しないとしても、Xの行為は、Xとの労働契約を解約するに足りる相当の理由に当たる、として解雇の有効を主張した。

なお、本件においては、第一次解雇の後に、Xらが解雇撤回を求めてYに団体交渉を要求する過程において行った業務妨害等の行為を理由とする第二次解雇が行われており、本判決は第二次解雇については有効と判断している(本項目とは直接関連しないので詳細は省略)。

(2)判決の内容
労働者側勝訴
(第一次解雇を無効とし、第二次解雇までの間の賃金仮払いをYに命じた)

裁判所は、上記のYの主張①については、第一審判決の判断を引用して解雇事由該当性を否定し、②についても、次のように述べてYの主張を退けた。

Y会社の就業規則30条が解雇理由として、「1 精神若しくは身体に障害があるとき、又は傷病のため勤務に堪えないとき。2 業務に誠意なく技能不良なるもの。3 会社の命令に判旨、業務遂行上支障を生ずる行為をしたるとき。」と規定していることに徴すれば、Y会社は、右の就業規則を制定することによって自ら解雇権の行使を就業規則所定の理由がある場合にのみ限定したのであり、したがって、そのいずれの場合にも該当しないことを理由としてなされた解雇は、たとえ民法627条所定の解雇事由が存する場合においても、無効であると解すべきである。

3 解説
(1)労働基準法における解雇事由の扱い
労基法は、各企業(事業場)における解雇に関する基準を明確化し、無用な紛争の防止を図るなどの観点から、解雇事由についていくつかの規定を置いている。

まず、労基法89条は、就業規則作成義務を負う使用者に対し、解雇事由を「退職に関する事項」の一環として就業規則に記載することを義務付けている(3号)。解雇事由は、労働契約締結時に書面をもって労働者に明示することも必要とされる(労基法15条1項、労基則5条)。また、労働者を解雇した使用者は、解雇された労働者から請求があった場合、当該解雇の理由を記載した証明書を発行しなければならない(労基法22条。この規定は、解雇予告期間中も適用がある)。

(2)就業規則上の解雇事由の意義
上記各規定のうち、就業規則上の解雇事由の定めをめぐっては、それが解雇事由を限定的に列挙したものであるか(限定列挙説)、あるいは例示的に列挙したものか(例示列挙説)が問題になる。限定列挙説に立つ場合には、使用者は就業規則上の解雇事由のいずれにも該当しない理由で労働者を解雇することができないという帰結になる。これに対し、例示列挙説に立てば、就業規則上の解雇事由のいずれにも該当しない解雇理由も、解雇権濫用法理の中で、解雇理由として考慮されうることになる(このほか、いずれの立場に立つかによって裁判時の立証責任の分配に違いが生じるとする見解もある)。なお、実際上は就業規則に列挙された解雇事由の中に「その他前各号に準ずる場合」などの形で包括的な解雇事由の定めが置かれることが多いが、この場合には限定列挙説と例示列挙説のいずれをとっても大きな差は生じない。

(3)普通解雇の場合
普通解雇(懲戒解雇以外の解雇)については、裁判例の多くは限定列挙説に立っている。モデル裁判例は、限定列挙説の考え方を明瞭に示すものであり、同説の立場に立つ代表的な裁判例である。この判決が示すように、限定列挙説によれば、使用者は就業規則で解雇事由を定めることにより、解雇権を行使しうる場面を就業規則所定の場合に自ら限定したものと解されることになる。

その他の裁判例をみると、限定列挙説に立つ最近の裁判例として、茨木消費者クラブ事件(大阪地決平5.3.22 労経速1490-21)、中央タクシー事件(徳島地決平9.6.6 労判727-77)などがある。他方、例示列挙説に立つ裁判例も見られ、ナショナル・ウエストミンスター銀行(第3次仮処分)事件(東京地決平12.1.21 労判782-23)、朝日新聞社事件(大阪地判平13.3.30 労経速1774-3)などがある。また、サン石油(視力障害者解雇)事件(札幌高判平18.5.11 労判938号68頁)では、「就業規則において普通解雇事由が列挙されている場合、当該解雇事由に該当する事実がないのに解雇がなされたとすれば、その解雇は、特段の事情のない限り、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない」として、特段の事情がある場合には、列挙されていない事由による解雇も認める余地を残している。したがって、原則的には限定列挙とするが、それ以外の事由による場合にも、当該事案の事情を考慮して、厳格に解雇の有効性を判断するものと解しうる。

(4)懲戒解雇の場合
一方、懲戒処分として行われる懲戒解雇については、懲戒処分を行うための要件として、就業規則等に処分事由が明示されていることが求められることから、学説・判例とも、就業規則上の懲戒解雇事由の定めは限定列挙であると解することで一致している。

(5)労働協約上の解雇事由
労働協約で解雇事由が定められている場合についても、労働組合との間で解雇事由を限定する合意がなされ、それが労働条件の基準として労働契約に適用される(労組法16条)と解されるので、当該定めは限定列挙と考えられる。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 10.雇用関係の終了及び終了後 > (88)【解雇】解雇の社会的相当性

(88)【解雇】解雇の社会的相当性 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)解雇は、客観的合理的理由と社会通念上の相当性が認められなければ権利濫用により無効になる。

(2)就業規則や労働協約が定める解雇事由に該当する場合であっても、使用者は当然に労働者を解雇できるわけではなく、解雇が権利濫用にならないかどうかが問題になる。

(3)解雇の理由となった労働者の行為が軽微なものであり、当該理由をもって解雇を行うことが過酷に過ぎる場合や、他の労働者の取扱いとの均衡を欠く場合には、社会的相当性を欠くものとして解雇は無効となる。

(4)社会的相当性の判断に際しては、労働者に有利な事情が広く考慮される。

2 モデル裁判例
高知放送事件 最二小判昭52.1.31 労判268-17

(1)事件のあらまし
原告労働者Xは、放送事業を営む被告Y会社のアナウンサーであった。昭和42年に、Xは2週間の間に2度、宿直勤務の際に寝過ごしたため、午前6時からの定時ラジオニュースを放送できず、放送が10分間ないし5分間中断されることとなった。

また、Xは2度目の放送事故を直ちに上司に報告せず、後に事故報告を提出した際に、事実と異なる報告をした。Yは、上記Xの行為につき、就業規則15条3項の「その他、前各号に準ずる程度のやむを得ない事由があるとき」との普通解雇事由を適用してXを普通解雇した。Xは解雇の効力を争い提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

Xの行為はYの就業規則15条3項所定の普通解雇事由に該当する。しかし、普通解雇事由がある場合にも、使用者は常に解雇しうるものではなく、当該具体的な事情のもとにおいて、解雇に処することが著しく不合理であり、社会通念上相当なものとして是認することができないときには、当該解雇の意思表示は、解雇権の濫用として無効になる。Xの起こした放送事故はYの対外的信用を著しく失墜するものであるが、しかし他面、本件事故はXの過失によるもので悪意ないし故意によるものでないこと、先に起きてXを起こすことになっていたファックス担当者が2回とも寝過ごしており、事故発生につきXのみを責めるのは酷であること、放送の空白時間はさほど長時間とはいえないこと、Yは早朝ニュース放送の万全を期すべき措置を講じていないこと、Xはこれまで放送事故歴がなく平素の勤務成績も悪くないこと、ファックス担当者は譴責処分を受けたに過ぎないこと、Yにおいて過去に放送事故を理由に解雇された例がないこと等の事実に鑑みると、Xに対し解雇をもってのぞむことはいささか過酷に過ぎ、合理性を欠くうらみなしとせず、必ずしも社会的に相当なものとして是認することはできないと考えられる余地がある。従って、本件解雇を解雇権濫用とした原審の判断は正当である。

3 解説
(1)解雇権濫用法理
労契法16条は、解雇は客観的合理的理由と社会通念上の相当性を欠く場合には、権利を濫用したものとして無効とする、と規定している。この規定は、判例法理の形で存在していた解雇権濫用法理と呼ばれる解雇制限法理が2003年労基法改正時に条文化された(労基法旧18条の2)後、労契法制定に伴って当該規定が同法に移されたものである。

労契法16条の前身である労基法旧18条の2が設けられるまで、わが国においては、民法上の解雇自由原則(627条1項)を前提として、特定の理由による解雇の禁止や、解雇の予告等に関する解雇規制の条文が設けられていた((86)【解雇】参照)が、条文上明示的に解雇が制限される範囲は限定的なものであった。こうした状況下で裁判所は、より広汎な解雇制限法理として、権利濫用禁止の法理(民法1条3項)を用いて解雇の効力に大幅な制限を加える解雇権濫用法理を確立した(最高裁判決における法理の確立は昭和50年の日本食塩製造事件 最二小判昭50.4.25 民集29-4-456であるが、下級審裁判例においては、より早い時期から確立した法理であった)。労契法16条(及びその前身である労基法18条の2)は、日本食塩製造事件(前掲)で最高裁が定式化した解雇権濫用法理の文言をほぼそのままの形で労働基準法の条文に取り入れたものであり、内容的にも、それまでの判例法理をそのまま条文化したものと解されている。

(2)解雇権濫用の判断枠組み
労契法16条の下で解雇が有効になるためには、解雇について「客観的合理的理由」と「社会通念上の相当性」の存在が必要になる。前述したように、労契法16条は、それまで判例法理の形で存在していた解雇権濫用法理をそのまま条文化したものであるため、これらの文言の解釈に当たっては、解雇権濫用法理に関する従前の判例法理が先例としての意義を有し続けることになる。 解雇の「客観的合理的理由」については、①傷病等による労働能力の喪失・低下、②能力不足・適格性の欠如、③非違行為、④使用者の業績悪化等の経営上の理由(いわゆる整理解雇。(90)【解雇】参照)、⑤ユニオンショップ協定に基づく解雇(但し一定の制限がある。三井倉庫港運事件 最一小判平元.12.14 民集43-12-2051参照)、などがこれに該当する。一方、「社会通念上の相当性」の判断においては、当該事実関係の下で労働者を解雇することが過酷に過ぎないか等の点が考慮される。

(3)解雇の社会的相当性の具体的判断
モデル裁判例は、最高裁において解雇権濫用法理が確立された後、比較的早い時期に出された最高裁判決であり、解雇の効力を厳しく制限する同法理の特徴を示した判決として有名であるが、その判断の特徴は、解雇の社会通念上の相当性(社会的相当性)に関する判断に顕著に表れている。すなわち、本判決は、本件におけるXの行為は就業規則上の解雇事由に該当し、かつ、Xの側に非があるとする一方で、労働者側に有利な事情を多数列挙して最終的にはXを解雇することは過酷に過ぎ、社会的相当性を欠くとして解雇を無効としている。こうした判断は、少なくとも労働者の過失行為が問題になった本件のような事案においては、労働者に有利な事情を最大限に考慮する裁判所の姿勢を示すものといえる。

関連する裁判例としては、勤務終了後に酒気を帯びて、同僚の運転するバスに乗車するため停留所以外の場所でバスを停止させ、運行に遅延を生じさせたこと等を理由とするバス運転手の解雇につき、遅延の程度がさほど大きくないこと、自己の非を認めて反省する態度が見られること、バス運転士として24年間勤務し無事故賞等の表彰歴があること、再就職の容易でない中高齢者であること、当該会社・同業他社に置いて同様の行為で解雇された例が見られないこと等から解雇の社会的相当性を否定し、解雇権濫用の成立を認めた西武バス事件(東京高判平6.6.17 労判654-25、最三小判平7.5.30 労判672-15)などがある。

一方、労働者が仕事上のミスを繰り返して顧客からもたびたび苦情が寄せられ、上司から繰り返し改善を求められたにも関わらず勤務態度を改めなかったという事案においては、解雇は権利濫用に当たらず有効と判断されている(日本ストレージテクノロジー事件 東京地判平18.3.14 労経速1934-12)。また、不法行為(損害賠償請求)の事案であるが、近時の最高裁判決として、幹部従業員に対する普通解雇について、飲酒癖や勤務態度の問題点は正常な職場機能等を乱し、勤務態度を改める見込みも乏しかったとして、著しく相当性を欠くとはいえないと判断したものがある(小野リース事件 最三小判平22.5.25 労判1018-5)。

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(89)【解雇】労働者側の事情を理由とする解雇 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)労働者側の事情を理由とする解雇には、傷病等による労働能力の低下を理由とする解雇、能力不足・適格性欠如を理由とする解雇、非違行為を理由とする解雇などがある。

(2)上記いずれの場合にも、解雇の効力は、解雇権濫用法理の下で就業規則上の解雇事由該当性、解雇理由の合理性、解雇の社会的相当性等を審査することで判断される。

(3)使用者は、教育訓練、配置転換等の手段で解雇を回避する努力をしなければならないとする裁判例が多い。

2 モデル裁判例
セガ・エンタープライゼス事件 東京地決平11.10.15 労判770-34

(1)事件のあらまし
原告労働者Xは、大学院卒業後Y会社に就職し、人事部での採用事務、人材開発部での社員教育業務、企画制作部での外注管理業務、開発業務部でのアルバイト従業員の雇用事務・品質検査業務等に従事した。この間、Xは業務遂行上問題を起こして上司に注意されることや、業務に関して顧客からYに対して苦情がなされることがしばしばあり、全従業員を対象として年3回実施される人事考課において、Xの考課は、相対評価により11段階で評価され、Xは下位10パーセントに位置付けられていた。その後、YはXを特定の業務がない「パソナルーム」に配置し、退職勧告を行ったがXが応じなかったため、就業規則19条1項2号の「労働能率が劣り、向上の見込みがない」との普通解雇事由を適用してXを解雇した。Xは、解雇の効力を争い仮処分を申し立てた。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(解雇の無効を認め、Yに賃金の仮払いを命じた)

XがYの従業員として平均的な水準に達していなかったからといって、直ちに本件解雇が有効となるわけではない。Yは、就業規則19条1項2号の「労働能率が劣り、向上の見込みがない」に該当するとして本件解雇を行っているが、同号に該当するといえるためには、平均的な水準に達していないというだけでは不十分であり、著しく労働能力が劣り、しかも向上の見込みがないときでなければならず、相対評価を前提とするものと解するのは相当でなく、右解雇事由を常に相対的に考課順位の低い者の解雇を許容するものと解することはできない。YはXに対し、更に体系的な教育、指導を実施することでその労働能力を向上する余地もあったといえる。また、Yは、雇用関係を維持すべく努力したが、Xを受け入れる部署がなかった旨の主張もするが、Xが面接を受けた部署への異動が実現しなかった主たる理由はXに意欲が感じられないなどといった抽象的なものであることからすれば、Yが雇用関係を維持するための努力をしたものと評価することはできない。

3 解説
(1)労働者側の事情を理由とする解雇
解雇権濫用法理の下での解雇の客観的合理的理由((88)【解雇】参照)の中で、①傷病等による労働能力の喪失・低下、②能力不足・適格性の欠如、③非違行為は、解雇の原因が主として労働者側に存在するタイプの解雇理由である。これらはいずれも普通解雇の理由となりうるものであるが、③については、就業規則等で定められた懲戒事由に該当する場合、懲戒解雇の対象にもなりうる。

これらの理由に基づく解雇の効力を解雇権濫用法理の下で判断する際の枠組みは、事案に多様なヴァリエーションが存在することもあって判例上必ずしも確立しておらず、個々の事案ごとに解雇理由の重大性や改善の余地、使用者の対応のあり方などが総合考慮されることになる。裁判例の中には労働者が使用者に対する誹謗中傷を行った事案において、「信頼関係の破壊」を合理的な解雇理由と認めた例もある(学校法人敬愛学園事件 最一小判平6.9.8 労判657-12)。

(2)能力不足を理由とする解雇
モデル裁判例は、労働者の能力不足を理由とする解雇について、解雇の根拠となった就業規則上の解雇事由の妥当範囲を限定する解釈を行い、本件のXは同規定に該当しないとして解雇を無効としている。労働者の能力不足を理由とする解雇においては、使用者による当該労働者の能力が不足しているとの評価の妥当性が第一に問題となるが、一般に、裁判所はこの点に関する使用者の評価に違法・不当な点がないとしても、そのことから直ちに解雇の合理的理由・社会的相当性を肯定して解雇を有効とすることには消極的である。モデル裁判例も、Xの能力評価が低位のものであったことは認めつつも、労働者の能力が全体の中で相対的に低位であるというだけでは就業規則上の解雇事由に該当するといえないこと、使用者は解雇回避(雇用維持)のために労働者の能力向上を図るための努力が求められること等に言及して、前述の判断を導いている。

類似の裁判例として、労働者に技能発達の見込みがないことを理由とした解雇につき、当該労働者の低査定は不当といえないとしつつ、同人の業績不振の原因としては会社自体の業績不振や同人の配置のあり方等の事情も指摘できること、同人が過去に担当した業務の中には問題なく遂行できるものもあったこと、低査定者に対する処遇としては降格もあり得たこと等を理由として解雇事由該当性を否定した森下仁丹事件(大阪地判平14.3.22 労判832-76)、使用者による売上目標の設定に十分な具体性がないこと等を理由に、労働者に解雇事由に相当する著しい成績不良があったとはいえないとして解雇を無効にした日本オリーブ(解雇仮処分)事件(名古屋地決平15.2.5 労判848-43)、相対評価での低評価が続いたからといって解雇の理由に足りる業績不良があると認められるわけではなく、業績改善の機会の付与などの手段を講じることなくなされた解雇を無効とした日本アイ・ビー・エム(解雇・第1)事件(東京地判平28.3.28 労判1142-40)等がある。

一方、労働者の能力や適格性に重大な問題があり、使用者が教育訓練や配置転換等による解雇回避の努力をしてもなお雇用の維持が困難である場合には、解雇は有効と認められており(三井リース事件 東京地決平6.11.10 労経速1550-23など)、自ら営業職を強く希望しておきながら営業成績が新入社員の実績を下回るうえ成績向上の努力が見られないという事実関係の下で、他職種への配置可能性を検討するまでもなく能力不足による解雇が認められるとした例もある(テサテープ事件 東京地判平16.9.29 労経速1884-20)。また、高度の職業能力を有することを前提として中途採用された労働者が期待された能力を発揮しなかった事案においては、使用者に求められる配転等の解雇回避努力の程度が軽減されるなど、能力不足・適格性欠如を理由とする解雇の有効性は、通常の労働者の場合よりも肯定されやすい傾向が見られる(フォード自動車事件 東京高判昭59.3.30 判時1119-148、ヒロセ電機事件 東京地判平14.10.22 労判838-15など)ほか、事業の性格(公共性の有無など)や規模の小ささも、能力不足を理由とする解雇に当たって考慮される(海空運健康保険組合事件 東京高判平27.4.16 労判1122-40)。

(3)傷病を理由とする解雇
傷病による労働能力の欠如・低下を理由とする解雇については、当該労働者の労働能力が、職務遂行が不可能な程度にまで低下していたかが第一に問題になるが、近年の裁判例では更に、業務内容の変更による雇用維持の客観的可能性や、使用者がこうした雇用維持の可能性を検討していたか等の事情を問題にする例が多い(結論として解雇を無効にした例として全日本空輸(退職強要)事件 大阪高判平13.3.14 労判809-61、K社事件 東京地判平17.1.28 労判892-80など。解雇を有効にした例として福田工業事件 大阪地決平13.6.28 労経速1777-30、岡田運送事件 東京地判平14.4.24 労判828-23など)。

ただし、疾病が業務上による場合には、労基法19条1項により、その療養の期間及びその後30日間になされた解雇は無効となる((86)【解雇】参照)。

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(90)【解雇】整理解雇 10.雇用関係の終了及び終了後
1 ポイント
(1)整理解雇=経営上の理由による人員削減のための解雇の効力は、①人員削減を行う経営上の必要性、②使用者による十分な解雇回避努力、③被解雇者の選定基準およびその適用の合理性、④被解雇者や労働組合との間の十分な協議等の適正な手続、という4つの観点から判断される。

(2)近年の裁判例においては、使用者による被解雇者に対する再就職の支援などの、解雇を前提とした不利益軽減措置の存在を、整理解雇の効力の判断においてどのように考慮するか、などの点が問題になっている。

2 モデル裁判例
アイレックス事件 横浜地判平18.9.26 労判930-68

(1)事件のあらまし
プリント配線板等の製造販売業を営むY会社は、売上げの低下に伴う収益悪化を理由に、平成16年6月から7月にかけて、Yの正社員であったXを含む21名を解雇した。

本件解雇の対象者は、人事考課成績の低い者から、管理職及び代替性の低い労働者と会社が考える者等を除外する形で選定された。また、Yは本件解雇に先立って、役員報酬、管理職賃金の削減、百数十名いた有期雇用の臨時社員の46名までの削減等を行っていた。なお、Yは当初、Xに対して解雇の理由は能力不足だと伝えていた。

Xは、本件解雇の無効を主張し、Yの従業員たる地位の確認等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

本件解雇は整理解雇であるところ、このような整理解雇は、人員削減の必要性があることを前提として、解雇回避努力の十分性、被解雇者選定方法の合理性、手続の相当性等を総合的に考慮して、当該解雇が客観的合理的理由を欠き社会通念上相当として是認することができないときには、解雇権の濫用として無効となる。

平成16年度に入ってから、Yの売上げは前年度までに比して大きく減少し、この間毎月約5,000万円から約2億円の経常損失を生じているのであるから、本件解雇の時点においてYは経営状態の著しい悪化により人員削減を行う必要性があった。

Yは本件解雇に先立って希望退職募集、臨時社員の(全面的な)削減、一時帰休・出向を行っておらず、①本件解雇に際し余剰人員とされたのは特殊な知識・経験等を要するとはいえない製造部門の従業員であり、希望退職により代替性のない人材の社外流出が生じるとはいえない、②正社員と臨時社員では雇用継続の期待に差があるので、特に臨時社員の削減を困難とする事情がない限り正社員の整理解雇は臨時社員を削減した後に行われるべきところ、このような事情は認められない、③一時帰休・出向を困難とする事情も認められない、等からすると、Yの解雇回避努力は十分とはいえない。

整理解雇の人選を従業員の人事考課を基準として行うこと自体が合理性を欠くとはいえないが、本件において人事考課結果が低いのに被解雇者から除外される者の選定基準は合理的といえず、Yが行った被解雇者選定の方法に合理性を是認するのは困難である。

Yは、Xと2回面談し、解雇通知後にXが加入した労働組合とも3回団体交渉しているが、解雇に先立つ面談では本件解雇が整理解雇であることを明らかにしておらず、また、被解雇者から除外される者の選定基準について全く説明が行われていない。

したがって、本件解雇は人員削減の必要性は認められるものの、その他の点については不十分であり、解雇権濫用により無効である。(なお、Yは控訴したが、控訴審判決も本判決をほぼ全面的に引用する形でXを勝訴させている。東京高判平19.2.21 労判937-178)

3 解説
(1)整理解雇の有効性の判断枠組み
整理解雇=経営悪化等の経営上の理由による人員削減のための解雇についても、解雇権濫用法理((88)【解雇】参照)の下でその効力を判断されるが、解雇の理由がもっぱら使用者側の事情に求められるという点において整理解雇は他の解雇理由とはやや性格を異にする。こうしたこともあって、整理解雇の解雇権濫用判断については、オイルショック後に大企業などで見られた雇用調整手法を反映する形で、①人員削減を行う経営上の必要性、②十分な解雇回避努力、③被解雇者の合理性、④被解雇者や労働組合との間の十分な協議、という、モデル裁判例も掲げる四つの観点から判断するという独特の枠組みが用いられるようになった(比較的初期の代表的裁判例として、東洋酸素事件 東京高判昭54.10.29 労民集30-5-1002。なお、こうした枠組みを明示的に採用する最高裁判決は存在しないが、原判決の結論を支持し、上告を棄却した例としてあさひ保育園事件 最一小判昭58.10.27 労判427-63がある)。

その後、いわゆるバブル崩壊に続く景気停滞期の整理解雇事件においては、こうした枠組みによる解雇制限を緩和したと見られる裁判例も見られた(代表例としてナショナル・ウェストミンスター銀行(第3次仮処分)事件 東京地決平12.1.21 労判782-23)が、今日の時点で裁判例を全体としてみると、裁判所は、経済環境・雇用環境の変化やそれに応じた事案の変化に対応する一定の柔軟性を示しつつも、基本的には上記の四つの観点に基づく判断枠組みを維持しているものといえる。

そして、上記の①~④については、それぞれが整理解雇の有効「要件」なのか、あるいは解雇権濫用の成否という総合判断の中で考慮される「要素」なのかが問題にされることがあるが、近年の裁判例には、後者の考え方に立つものが多いようである(ロイヤル・インシュランス・パブリック・カンパニー・リミテッド事件 東京地決平8.7.31 労判712-85、ワキタ事件 大阪地判平12.12.1 労判808-77など)。

なお、更生手続の下で更生管財人がした整理解雇についても、整理解雇法理が適用される(日本航空(客室乗務員)事件 東京高判平26.6.3 労経速2221-3)。

(2)各要素について
1)人員削減を行う経営上の必要性
近年の裁判例では、企業が人員削減をしなければ直ちに倒産の危機に瀕するといった高度のものである必要は必ずしもなく、経営上の合理的理由が認められれば足りるとする例が多い(ゾンネボード製薬事件 東京地八王子支決平5.2.18 労判627-10、大阪暁明館事件 大阪地決平7.10.20 労判685-49など。否定例として東京自転車健康保険組合事件 東京地判平18.11.29 労判935-35)。なお、経営上の必要性の程度があまり大きくない場合には、解雇回避努力の要請が強化されるとする裁判例も見られる(前掲ゾンネボード製薬事件、ヴァリグ日本支社事件 東京地判平13.12.19 労判817-5など)。

2)十分な解雇回避努力
一般に、残業規制、配転・出向、新規採用の抑制・停止、非正規従業員の雇い止め、希望退職募集などが挙げられるが、何をもって十分な解雇回避努力と認めるかは、事案により異なりうる。たとえば、配転や希望退職募集を欠く場合には、一般的にいえば解雇回避努力が不十分とされやすいが、これらによることが困難もしくは不適当な事情があれば、解雇回避努力に欠けるとは評価されない(前掲東洋酸素事件など。モデル裁判例も、希望退職等について、個別具体の事案を検討した上で、その不実施を解雇回避努力に欠けると評価している)。

なお、配転等による解雇回避が十分に期待できない事案などについて、再就職支援等の被解雇者への打撃を軽減する措置の存在を整理解雇の効力を判断する際に考慮する例も見られる(前掲ナショナル・ウェストミンスター銀行(第3次仮処分)事件など。当該事案の下では他の解雇回避措置をとることが困難といえず、退職金の割増をもって解雇回避努力が尽くされたとはいえないとする例として、PwCフィナンシャル・アドバイザー・サービス事件 東京地判平15.9.25 労判863-19)。

3)被解雇者選定の合理性
被解雇者の選定に関しては、客観的な選定基準の設定に加え、当該基準の合理性が求められる。何が合理的な基準かは、個々の事案ごとに判断されるが、一般的には、懲戒処分歴や欠勤率等の会社への貢献度に基づく基準、扶養家族の有無等の労働者の生活への打撃の程度を考慮した基準などが考えられる。比較的最近の具体例としては、53歳以上の幹部職員という基準の合理性を否定した、前掲ヴァリグ日本支社事件などがある。

4)整理解雇手続の相当性
労働組合との協議は、労働協約等に解雇協議条項が存在しない場合にも信義則の観点から必要とされる(日本通信事件 東京地判平24.2.29 労判1048-45)。また、労働組合の組合員でない労働者に対しても、整理解雇の必要性、具体的実施方法等について、十分に協議・説明し、理解を求める努力が必要とされる。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 11.非正規雇用 > (91)パートタイム労働者に対する賃金格差

(91)パートタイム労働者に対する賃金格差 11.非正規雇用
1 ポイント
(1)臨時社員(パートタイム労働者)という雇用管理上の身分は、労基法3条にいう「社会的身分」には該当しないため、同条を根拠として差別是正を求めることはできない。

(2)同一(価値)労働同一賃金の原則は、労働関係を規律する一般的な法規範とは認められないが、その基礎にある均等待遇の理念は、賃金格差の違法性判断において重要な判断要素として考慮される。

(3)パートタイム労働者と正社員との待遇の相違は、職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない(パート労働法8条)。

(4)通常の労働者と同視すべき(①正社員と職務内容が同一、②雇用関係の全期間において職務内容・配置が正社員と同一の範囲で変更されると見込まれる)パートタイム労働者については、パートタイム労働者であることを理由として、賃金等の待遇について差別的取扱いをしてはならない(同法9条)。

2 モデル裁判例
丸子警報器事件 長野地裁上田支判平8.3.15 労判690-32

(1)事件のあらまし
労働者Xらは、Y社に臨時社員として雇用され、雇用期間を2ヶ月とする契約を更新する形で継続して勤務し、その期間は長い者で25年を超えていた。その間、Xらは、正社員と勤務時間も勤務日数も変わらず、同じ仕事に従事してきたにもかかわらず、正社員よりも低い賃金しか支給されていなかったため、これは不当な賃金差別であるとして、不法行為を理由とする損害賠償を求め提訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

同一(価値)労働同一賃金の原則は、これを明言する実定法の規定が未だ存在せず、また、これに反する賃金格差が直ちに違法となるという意味での公序として存在するということもできないため、労働関係を規律する一般的な法規範として存在していると認めることはできない。

しかしながら、同一(価値)労働同一賃金の原則の基礎にある均等待遇の理念は、賃金格差の違法性判断において、一つの重要な判断要素として考慮されるべきものであって、その理念に反する賃金格差は、使用者に許された裁量の範囲を逸脱したものとして、公序良俗の違法を招来する場合があるというべきである。

Xらと同じ組立ライン作業に従事する正社員との業務を比べると、作業内容、勤務時間及び日数などすべてが同様であること、勤務年数からも長年働くつもりでいる点でも正社員と何ら変わりがないこと、採用や契約更新の際にXらが自己の身分(正社員として雇用されることとの違い)について明確な認識を持ちにくい状況であったこと等に鑑みれば、Xら臨時社員の提供する労働内容は、その外形面においても、Y社への帰属意識という内面においても、正社員と全く同一であると言える。このような場合、使用者であるY社は、臨時社員から正社員となる途を用意するか、あるいは正社員に準じた賃金体系を設ける必要があったというべきであり、そのようなことをせず、臨時社員と正社員との顕著な賃金格差を維持拡大しつつ、臨時社員を長期間雇用継続したことは、同一(価値)労働同一賃金原則の根底にある均等待遇の理念に違反する格差であり、単に妥当性を欠くというにとどまらず公序良俗違反として違法となるものと言うべきである。

もっとも、均等待遇の理念も抽象的なものであって、均等に扱うための前提となる諸要素の判断に幅がある以上、その幅の範囲内における待遇の差に使用者側の裁量も認めざるを得ないことから、Xらの賃金が、同じ勤務年数の正社員の8割以下となるときは、許容される賃金格差の範囲を越え、公序良俗違反となる。そして、この違法行為によって生じた賃金格差相当分に限り、損害額として認める。

3 解説
(1)正社員との待遇格差
パートタイム労働者として働くのは、家計補助のために家事と両立する態様で短い時間働くという主婦を中心に、学生や引退過程にある高齢男性労働者等がその主要な担い手であった。これらのパートタイム労働者は、賃金が時間給で定められ、その額は正社員の時間当たりの額よりも低く、勤続による賃金上昇や一時金も少なく、退職金も全く又はほとんど支給されない等、正社員とは明確な格差のある待遇を与えられるのが一般的である。このような正社員との待遇格差については、日本の賃金体系が年功を基本として、純粋に労働の価値のみによって決定されているわけではないことや、正社員は長期雇用システムの中で、勤務地、残業、責任等の点で広範強度の負担(拘束)を課されることなどを理由に正当化されてきたが、近年、パートタイム労働者をはじめとする非正社員が増加し、格差問題への社会的関心の高まりを背景に、労契法やパート労働法の改正がなされるなど、格差是正へ向けての動きがある。

モデル裁判例は、パートタイム労働者という身分は労基法3条に定める「社会的身分」に該当しないとし、また、同一(価値)労働同一賃金原則についても労働関係を規律する一般的な法規範とはなっていないとして、これらを根拠にパートタイム労働者と正社員との待遇格差を是正することはできないと判断した。その一方で、労基法3条、4条の根底にあり、同一(価値)労働同一賃金原則の基礎にある均等待遇の理念から、そのような待遇格差が公序良俗に反し違法・無効と評価される場合がありうることを認めたため、社会に大きな影響を及ぼした。

しかし、その後の正社員と非正社員との賃金格差に関する裁判所の判断は、必ずしも両者の賃金格差を是正する方向にあるとは言い難い。たとえば、内務嘱託社員と一般職正社員との賃金格差を争った興亜火災海上保険事件(福岡地裁小倉支判平10.6.9 労判753-87)は、業務内容、予定された雇用期間、採用基準・手続き、教育研修の内容・程度、異動等に対する処遇方針等の社員としての地位・権限・責務に関する差異に照らし、両者の賃金格差に格別の不合理な点はないと判断した。また、期間臨時社員と正社員との賃金格差を争った日本郵便逓送事件(大阪地判平14.5.22 労判830-22)は、労基法等の法規に反しない限り、賃金は当事者間の合意によって定まるところ、長期雇用を前提に採用される正社員と短期的な需要に基づき採用される期間雇用社員とでは将来に対する期待などの点で異なるため、それを反映した賃金制度が異なることを不合理ということはできず、また、正社員と臨時社員との賃金格差は契約自由の範疇の問題であるとして、雇用形態の差に基づく賃金格差を違法とすることはできないと判断した。

他方で、正社員と非正社員との比較において、同一(価値)労働であるにもかかわらず、当該事業所の慣行や就業実態を考慮しても許容できないほど著しい賃金格差がある場合には、均衡の理念に基づく公序違反として不法行為が成立する余地があるとの一般論を提示した裁判例もある(京都市女性協会事件 大阪高判平21.7.16 労判1001-77)。

(2)パート労働法による規制
パートタイム労働者も労基法をはじめとする各種労働法規の適用を受けるのが原則であるが、パートタイム労働者については、「パート労働法」による規制も及ぶ(ここでいうパートタイム労働者とは、1週間の所定労働時間が当該事業所の通常の労働者(正社員)に比し短い者(2条)をいい、所定労働時間が正社員と同じ非正社員、いわゆる「擬似パート」は同法の対象外となる。ただし、2007年改正法指針ではこれらの者にも同法の趣旨が考慮されるべきことが定められている)。同法は2007年に大改正され、さらに、有期契約労働者の待遇改善が定められた2012年の労働契約法の改正を踏まえ、2014年にも改正されている。

パート労働法は、パートタイム労働者の待遇を正社員のそれと異なるものとする場合、その相違は、職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならないというパートタイム労働者の待遇の原則を定めている(8条)。さらに、通常の労働者と同視すべき(①正社員と職務内容が同一、②雇用関係の全期間において職務内容・配置が正社員と同一の範囲で変更されると見込まれる)パートタイム労働者に対する待遇差別を禁止している(9条)。2014年の同法改正前(現9条が8条であり、通常の労働者と同視すべき短時間労働者について労働契約期間における同一性も要件として存在していたとき)の事例であるが、正社員より1日の所定労働時間が1時間短い準社員について、同法が定める通常の労働者と同視すべきパートタイム労働者の要件を満たしているにもかかわらず、賞与額、週休日の日数(休日割増賃金部分)、退職金の有無の点で正社員と差が設けられていることは、パート労働法8条1項(現9条)違反に当たるとして、不法行為を理由とする損害賠償請求を認めたものがある(ニヤクコーポレーション事件 大分地判平25.12.10 労判1090-44)。

(3)労働契約法20条による規制
2012年に改正された労働契約法は、有期契約労働者の労働条件が、期間の定めがあることにより無期契約労働者の労働条件と相違する場合、その相違は、職務の内容や配置の変更の範囲等を考慮して、不合理と認められるものであってはならないと定めた(20条)。

本条違反が問われた長澤運輸事件(東京地判平28.5.13 労経速2278-3)で、裁判所は、定年退職後に同じ会社に嘱託社員として再雇用され、有期労働契約を締結した労働者の賃金額が正社員よりも低くされていたことについて、当該労働者が定年退職前と同様の業務に従事し、職務の内容及び配置の変更の範囲が正社員と同一と認められることから、嘱託社員と正社員とで賃金額に相違を設けることは、その相違を正当と解すべき特段の事情がない限り、不合理なものであると解すべきとした上で、本件事実関係のもとでは、高年齢者雇用安定法に基づく高年齢者雇用確保措置として締結された有期労働契約であったとしても、賃金額に相違を設けることを正当化する特段の事情があるとは認められないとして、本条違反であると結論づけた。なお、本条に違反する嘱託社員の契約内容である賃金の定めについて、それを無効とした上で、就業規則の適用関係から、結果的に正社員の労働契約内容である賃金の定めと同じになると判断している。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 11.非正規雇用 > (92)雇止め

(92)雇止め 11.非正規雇用
1 ポイント
(1)労働契約法19条により、①期間の定めのある労働契約(有期契約・期間雇用)が反復更新されて、期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態となった場合、または②期間の定めのない契約と実質的に異ならないとまではいえないものの、雇用関係継続への合理的な期待が認められる場合には、雇止めには、客観的合理的な理由及び社会通念上相当と認められることが必要となる。

(2)労働契約法19条に基づき、雇止めが無効とされた場合には、従前の労働契約が更新される。

(3)雇止めの効力を判断すべき基準については、正社員とは合理的な差異が認められ、人員整理において正社員に先立ち雇止めすることも許される。

2 モデル裁判例
日立メディコ事件 最一小判昭61.12.4 労判486-6

(1)事件のあらまし
Y社では、景気変動に伴う受注の変動に応じて雇用量の調整を図る目的で臨時社員制度を設けており、その採用にあたっては、試験は実施せず、健康状態や経歴等を尋ねるのみの簡単な面接を行って採用を決定していた。労働者Xは、Y社の臨時社員として採用され、契約期間2ヶ月とする労働契約を5回更新された後、契約の更新を拒否(雇止め)されたため、XとY社との間の労働契約は期間の定めのないものであったことを前提に、契約の更新拒否は解雇にほかならず、本件解雇は権利濫用であると主張し、労働契約上の地位確認等を求め提訴した。

第1審はXの請求を認容したが、原審(第2審)はXへの雇止めを適法なものと判断したため、Xが上告した。

(2)判決の内容
労働者側敗訴

XとY社との間で締結された労働契約が5回にわたる契約の更新によって、期間の定めのない契約に転化したり、あるいは、XとY社との間に期間の定めのない労働契約が存在する場合と実質的に異ならない関係が生じたということもできない。

Y社の臨時社員は、季節的労務などのような臨時的作業のために雇用されるものではないため、その雇用関係はある程度の継続が期待されていたものであり、Xとの間においても5回にわたり契約が更新されているのであるから、このような労働者を契約期間満了によって雇止めするに当たっては、解雇に関する法理が類推され、解雇無効とされるような事実関係の下に雇止めをするならば、期間満了後における法律関係は従前の労働契約が更新されたのと同様の法律関係となる。

しかし、臨時社員の雇用関係は比較的軽易な採用手続きで締結された短期的有期契約を前提とするものである以上、雇止めの効力を判断すべき基準は、いわゆる終身雇用の期待の下に期間の定めのない労働契約を締結している正社員を解雇する場合とは自ずから合理的な差異がある。

独立採算制が採られているY社K工場において、事業場やむを得ない理由により人員削減をする必要があり、その余剰人員を他に配転する余地もなく、臨時社員全員の雇止めが必要である場合には、正社員について希望退職者の募集等の手段を講じずに、まず臨時社員の雇止めをしてもやむを得ないというべきである。

以上のことから、Xに対する雇止めについては、これを権利の濫用、信義則違反とすることはできない。

3 解説
(1)期間雇用(有期雇用)に関する民法上の原則
期間の定めのある雇用契約は、その契約期間が満了すれば当然に終了するのが原則である。したがって、契約の更新は新たな契約の締結であり、これを行うか否かは当事者の自由に委ねられている。ただし、契約期間が満了した後も労働者が引き続き労働に従事し、使用者がこれを知りながら異議を述べないときは、従前と同じ条件で雇用(更新)されたものと推定される(民629条1項)。したがって、期間経過後も労働関係が事実上継続されている場合には、当該雇用契約につき黙示の更新がなされたことになる。

(2)雇止めと解雇権濫用法理
反復更新されて長期雇用化した期間雇用の契約更新拒否(雇止め)をめぐる問題に対し、裁判所は、前述した民法上の原則を修正する必要性に鑑み、一定の場合について解雇権濫用法理を類推するとの見解を示し、雇止めを制限する法理を確立した。

まず、東芝柳町工場事件(最一小判昭49.7.22 民集28-5-927 労判206-27)は、5回から23回にわたって契約を更新していた労働者に対する雇止めについて、契約を反復更新することで期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態となった場合には、雇止めの意思表示は実質において解雇の意思表示にほかならず、解雇に関する法理を類推すべきであると判断した。その上で、余剰人員の発生等、従来の契約を反復更新するという取扱いを変更してもやむを得ないと認められる特段の事情がなければ雇止めできないとした。

次に、モデル裁判例において裁判所は、期間の定めのない契約と実質的に異ならない状態とまではいえなくとも、雇用継続に合理的な期待が認められる場合には解雇権濫用法理を類推適用することを明らかにした。その後、1回目の更新拒否においても、採用の経緯や臨時社員に対する会社のそれまでの取扱い等の事情から、労働者の雇用継続に対する合理的な期待を認めると判断する裁判例も現れた(龍神タクシー事件 大阪高判平3.1.16 労判581-36)。

他方で、丸島アクアシステム事件(大阪高決平9.12.16 労判729-18)は、6ヶ月の雇用契約を10回にわたって反復更新した労働者に対する雇止めに関して、採用に当たって使用者は長期雇用を期待させるような言動をしていないこと、実質的な審査によって契約更新を行っていたこと等の事情から、期間満了後の雇用の継続を期待することに合理性があったということはできないと判断した。同様に、雇用継続に対する合理的な期待を認めることはできないとして雇止めを有効とした裁判例として、ロイター・ジャパン事件(東京地判平11.1.29 労判760-54)や旭川大学事件(札幌高判平13.1.31 労判801-13)等がある。

近年では、有期契約を反復更新してきた労働者に対し、次回の契約更新はしない旨定めた不更新条項を盛り込んだ場合や、予め契約の更新限度を定めていた場合の雇止めの効力が争われる事例が増えている。労働者の雇用継続への期待に合理性が認められた裁判例としては、契約更新限度が定められていたにもかかわらず、その後の更新を期待させるような言動等があったカンタス航空事件(東京高判平13.6.27 労判810-21)、契約更新限度に関する説明が不十分であり、それまでの契約期間・更新回数や業務内容(補助的・機械的業務ではないこと)等から更新の期待に合理性があるとされた京都新聞COM事件(京都地判平22.5.18 労判1004-160)、最後の更新時に不更新条項が盛り込まれた契約書に署名・押印したが、それ以前の状況下で認められた更新の合理的な期待は、不本意ながら不更新条項付き労働契約に署名・押印したことにより、解雇権濫用法理の類推適用が排除されることにはならないと判断した明石書店(製作部契約社員・仮処分)事件 東京地決平22.7.30 労判1014-83)等がある。他方で、労働者が説明会等での説明を受けるなどして、不更新条項等の内容について理解・認識した上で、そのような不更新条項等が付された契約書に特に異議を申し立てることもなく署名・押印しているような事例等では、労働者の雇用継続への期待に合理性は認められないと判断されている(近畿コカ・コーラボトリング事件 大阪地判平17.1.13 労判893-150、雪印ビジネスサービス事件 浦和地裁川越支判平12.9.27 労判802-63、本田技研工業事件 東京高判平24.9.20 労経速2162-3、北海道大学事件 札幌高判平26.2.20 労判1099-78等)。

(3)雇止め制限法理の明文化
2012年の労契法改正によって、判例上確立された雇止めを制限する法理は法律上明文化された(19条)。すなわち、有期労働契約の反復更新によって雇止めが無期労働契約の解雇と社会通念上同視できる場合(同条1号、前掲東芝柳町工場事件参照)か、有期労働契約の期間満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することに合理的理由が認められる場合(同条2号、モデル裁判例参照)のいずれかに該当し、当該有期労働契約期間の満了までに更新を申込むか、期間満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをしており、使用者が当該申込みを拒絶することが客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は従前の有期労働契約と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなすと規定された。本条の具体的な適用については、これまでの裁判例に依拠して判断される。

なお、労契法17条2項は、有期労働契約によって労働者を使用する目的に照らして、必要以上に短い期間を定めることにより、当該有期労働契約を反復更新することのないよう配慮することを使用者に義務づけている。

(4)雇止め制限法理の適用と整理解雇
雇止めを制限する法理の適用が認められる場合に要求される「客観的で合理的な理由」とは、正社員と同じものであるのかが問題となる。このことは、正社員の人員削減に先立って、期間雇用社員の雇止めをしてもよいかとして争われてきている。

この点について、裁判所は、モデル裁判例のように、人員整理に際して、反復継続して長期雇用化している労働者であっても、無期労働契約の正社員より前に彼らを雇止めすることを認めている。他方で、雇止めによる人員整理においても、雇止め制限法理が適用されるような有期雇用の場合には、無期労働契約における整理解雇に準じて、人員削減の必要性や雇止め回避努力、人選の合理性、手続きの相当性を考慮すべきとの判断もされている(エヌ・ティ・ティ・ソルコ事件 横浜地判平27.10.15 労判1126-5、日本郵便(苫小牧支店時給制契約社員B)事件 札幌高判平26.3.13 労判1093-5、日本郵便(苫小牧支店時給制契約社員A)事件 札幌地判平25.3.28 労判1082-66)。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 11.非正規雇用 > (93)期間途中の解雇

(93)期間途中の解雇 11.非正規雇用
1 ポイント
(1)労契法17条1項は、期間の定めのある労働契約について、「やむを得ない事由」がある場合でなければ、その期間途中での解雇はできない旨規定するが、そこでの「やむを得ない事由」とは、客観的に合理的な理由及び社会通念上相当であるという事情に加え、当該雇用を終了させざるを得ない特段の事情と解するのが相当である。

(2)契約期間途中での解雇が認められる「やむを得ない事由」があるか否かの判断においては、解雇事由とされている労働者の問題行為の性質・態様のほか、それまでの労働者の勤務態度や使用者側の対応等の諸事情が勘案される。

2 モデル裁判例
学校法人東奥義塾事件 仙台高秋田支判平24.1.25 労判1046-22

(1)事件のあらまし
4年間の期間の定めのある労働契約により、学校法人Yの塾長(校長に相当)として雇用された労働者Xが、Xの行動に問題があることを理由として、当該契約期間の満了前(初年度の終了直前)に解雇されたため、本件解雇は労契法17条1項の「やむを得ない事由」が存在せず、解雇権を濫用したものであると主張し、労働契約上の地位確認等を求め提訴した。

第1審は、有期契約労働者の期間途中の解雇に必要な「やむを得ない事由」があるとまではいえないとして解雇無効と判断したため、Yが控訴した。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

労契法17条1項は、「やむを得ない事由」がある場合でなければ、期間の定めのある労働契約について、契約期間が満了するまでの間において解雇ができない旨規定する。同条が、解雇一般につき、客観的に合理的な理由及び社会通念上の相当性がない場合には解雇を無効とするとする同法16条の文言をあえて使用していないことなどからすると、同法17条1項にいう「やむを得ない事由」とは、客観的に合理的な理由及び社会通念上相当である事情に加えて、当該雇用を終了させざるを得ない特段の事情と解するのが相当である。

本件において解雇理由とされたXの各行為を検討したところ、関係者への配慮を欠いた発言や思慮を欠くというべき行動を取っており、塾長としての見識が十分でない面があることは否定できないが、そのような行動についても極めて不適切とまではいえないこと、4年任期の初年度に塾長として一定の成果を出していたこと、Xの経歴からはYにおいてその経験不足の点を補完すべきであったところ、それを全うしたとは認められないことなどの諸事情を勘案すると、本件解雇には労契法17条1項にいう「やむを得ない事由」があったとは認められず、本件解雇は無効である。

3 解説
(1)労契法17条1項の意義
民法628条は、期間の定めのある雇用契約を締結した場合であっても、やむを得ない事由があるときは、労使ともに、直ちに契約の解除をすることができる旨規定している。この規定の反対解釈として、有期労働契約の場合には、労使ともにやむを得ない事由があるとき以外には、期間途中での解約はできないと解されてきた。

労契法17条1項は、使用者はやむを得ない事由がある場合でなければ、期間途中での解雇はできないと規定し、民法628条の期間途中の契約解除のうち、使用者からの解約(解雇)については、民法628条の反対解釈が妥当することを確認した。同条は強行規定であること、「やむを得ない事由」の立証責任は使用者にあることを明らかにした規定として重要な意義が認められる。

(2)期間途中の解雇を正当化する「やむを得ない事由」
労契法17条1項にいう「やむを得ない事由」に関して、モデル裁判例をはじめとする裁判例においては、期間の定めのない労働契約における解雇に必要とされる「客観的に合理的で、社会通念上相当と認められる理由」(同法16条)よりも厳格なものと解すべきであるとして、期間満了を待つことなく直ちに雇用を終了させざるを得ないような特別の重大な事由であることが求められている(大阪運輸振興(嘱託自動車運転手・解雇)事件 大阪地判平25.6.20 労判1085-87、X学園事件 さいたま地判平26.4.22 労経速2209-15等)。

「やむを得ない事由」として該当しうるのは、たとえば、労働者が就労不能となったこと、労働者に重大な非違行為があったこと、雇用の継続を困難とするような経営難などである(荒木尚志・菅野和夫・山川隆一『詳説労働契約法』155頁参照)。裁判例では、モデル裁判例のように「やむを得ない事由」の存在を容易には認めない傾向が窺える。たとえば、整理解雇の場合に求められる①人員削減の必要性、②解雇回避努力、③手続きの妥当性といった観点からは、(解雇権濫用法理が類推適用される場合の)雇止めが肯定できると判断される状況であったとしても、3か月という短期の有期労働契約について、期間途中の解雇を容認するだけのやむを得ない事由は認められないとした安川電機八幡工場事件(福岡高決平14.9.18 労判840-52)や、いわゆる登録型の労働者派遣において、労働者派遣契約が期間途中で解除されたことを理由として、有期の派遣労働契約を締結している派遣労働者を期間途中で解雇したことにつき、派遣元の厳しい経営状況を考慮しても、なお無効であると判断したプレミアライン(仮処分)事件(宇都宮地裁栃木支判平21.4.28 労判982-5)等がある。

他方で、「やむを得ない事由」の存在を肯定したものとして、即戦力の証券アナリストとして期待され、雇用期間を1年間とする労働契約を締結した労働者に対する試用期間途中での解雇の有効性が争われたリーディング証券事件(東京地判平25.1.31 労経速2180-3)がある。この事件で、裁判所は、試用期間中であることから当該解雇は留保された解約権の行使であるとしつつ、有期労働契約であることから、その解約権の行使に際しては有期労働契約の解雇において要求されている労契法17条1項にいう「やむを得ない事由」に準じる特別の事由の存在を要すると判断した上で、当該労働者について、期待された能力には遠く及ばない状況であったこと、採用を決定する際に重要となる事実を秘匿したことは、試用期間途中での解雇を有効とするだけの特別重大な事由が存在しているといわざるを得ないとして、解雇を有効と判断した。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 11.非正規雇用 > (94)派遣先と派遣労働の関係

(94)派遣先と派遣労働の関係 11.非正規雇用
1 ポイント
(1)労働者派遣とは、派遣元企業(派遣会社)が雇用する労働者を、派遣先企業の指揮命令の下で働かせることである。派遣労働者の労働契約上の使用者は派遣元企業であり、派遣先企業との契約関係は発生しない。

(2)労働者派遣は、労働者派遣法の規制に従って行われる必要がある。派遣先企業が違法派遣と知りつつ派遣労働者を受け入れていた場合は、当該労働者に直接雇用を申し入れたものとみなされる。

(3)派遣法は、派遣先企業による派遣労働者の直接雇用を促進するため、一定の場合に派遣先での募集に関する情報提供を義務づけている。

(4)派遣先企業は、労働時間など派遣労働者の就労や指揮命令に関わる一定の規制につき、法令上の責任を負う。

2 モデル裁判例
パナソニックプラズマディスプレイ(パスコ)事件
 最二小判平21.12.18 民集63-10-2754

(1)事件のあらまし
Y社のPDPパネル製造ラインでは、出資会社からの出向者と請負業者の従業員が働いており、Y社に直接雇用されている者はいなかった。Xは請負業者であるA社に有期雇用され(期間2ヵ月・更新可)、YA間の業務請負契約に基づいてY社に派遣されて、同社工場において班長やリーダー(出資会社からの出向者)の指示を受けながらPDPパネルの封着作業に従事していた(いわゆる偽装請負)。Xは、XY間には黙示の労働契約が成立している等と主張し、Yに対して雇用契約上の地位確認と賃金の支払い等を求めて提訴した。

(2)判決の内容
使用者側勝訴

業務請負契約という形式がとられていても、請負人による労働者の指揮命令がなく、注文者(受入先企業)が労働者の直接具体的な指揮命令をして作業を行わせている場合には、これを請負契約と評価することはできず、受入先企業と労働者の間に雇用契約が締結されていないのであれば、三者の関係は労働者派遣法上の労働者派遣に該当する。

本件におけるXの派遣は派遣法違反に当たるといわざるを得ないが、労働者派遣法の趣旨及びその取締法規としての性質等にかんがみれば、同法に違反する労働者派遣が行われた場合においても、特段の事情のない限り、そのことだけによって派遣労働者と派遣元との間の雇用契約が無効になることはない。本件において右特段の事情は認められず、X・A間の雇用契約は有効に存在していたといえる。

また、YはXの採用に関与しておらず、YがXの給与の額を事実上決定していたといえるような事情もうかがわれない。他方、AはXの具体的な就業態様を一定の限度で決定しうる地位にあったと認められ、その他の事情を総合してもX・Y間に雇用契約が黙示的に成立していたとはいえない。

3 解説
(1)労働者派遣事業と法規制
労働者派遣とは、派遣元企業(派遣会社)が雇用する労働者を、派遣先企業の指揮命令の下で働かせることである。労働者派遣は、企業が社外の労働者を受け入れて利用する形態の一つであるが、派遣労働者の労働契約上の使用者は派遣元企業であり、派遣先企業は指揮命令を行うが労働者との契約関係は発生しない点で、業務処理請負や出向と区別される。

労働者派遣事業は、職安法で禁止されている労働者供給事業の一形態であり、これを合法的に行うには労働者派遣法の規制を遵守しなければならない。従来、労働者派遣事業は特定労働者派遣事業(届出制)と一般労働者派遣事業(許可制)に区別されていたが、2015年の法改正(2015年9月施行)により区別が廃止され、すべての派遣事業が許可制となった。

1985年に制定された当初の労働者派遣法は派遣の対象を26の専門業種に限り、派遣期間も短期に限定していた。しかし、その後法改正により大幅な規制緩和が行われ、法律や政令で禁止された業種(港湾運送、建設、警備、医療関係など)以外については労働者派遣を行いうることになった。また、派遣期間に関する規制も緩和されつつあったが、2015年の法改正により大幅にルールが変更された。改正法では、従来の業種による区別が廃止され、①事業所単位の規制(同一事業所への派遣労働者の受入れは3年を上限とする。ただし過半数代表の意見を聴いて延長することが可能)と、②個人単位の規制(同一組織単位〔課など〕への同一派遣労働者の受入れは3年を上限とする)が適用される。ただし、例外として、派遣元企業に無期雇用される労働者、60歳以上の労働者、有期プロジェクトへの派遣、産休育休等の代替労働者等を派遣する場合には、上記の期間制限は適用されない。

(2)違法派遣と労働契約関係
労働者派遣法は基本的には行政上の取締法規であり、派遣法に違反して労働者を派遣したり受け入れたりした企業は、同法に基づく行政的措置(指導、命令、勧告、企業名公表等)や罰則の対象となる。しかし私法上は、派遣法に違反しているからといって直ちに派遣労働者と派遣先との間に労働契約関係が認められるわけではない。モデル裁判例は、重大な法違反が認められる偽装請負の事例において、派遣先企業と労働者の間に黙示の労働契約の成立を認めた原判決(大阪高判平20.4.25 労判960-5)を最高裁が破棄し、このような場合にも「特段の事情」がない限り、派遣労働者の労働契約上の使用者は派遣元企業であることを示したものである。右判決以降の下級審裁判例は派遣先との労働契約成立を否定するものが多いが、「特段の事情」を認めた例として、マツダ防府工場事件(山口地判平25.3.13 労判1070-6)がある。

この判決を受けて、2012年の派遣法改正により、一定の場合に派遣先企業が労働者に直接雇用の申込みをしたものとみなす制度(申込みみなし制度)が新設された(2017年10月1日より施行)。この制度は、派遣先が違法派遣であることを知りながら派遣労働者を受け入れている場合(または知らなかったことに過失がある場合)に、違法派遣が生じた時点で、派遣先が派遣労働者に対して同一労働条件での労働契約の申込みをしたものとみなすというものである(派遣法40条の6)。右申込みは違法派遣が終了してから1年間は撤回できず、これに対して労働者が承諾の意思表示をした場合には、派遣先企業と労働者の間に労働契約が成立することになる。みなし制度の対象となる違法派遣は、①労働者派遣禁止業務(港湾運送業務、建設業、警備業等)への派遣、②無許可の事業主からの受け入れ、③期間制限の違反(改正法施行前から行われている派遣を除く)、④偽装請負である。

(3)派遣先による直接雇用の促進
派遣先企業は、同一の事業所で1年以上の期間継続して派遣労働者を受け入れている場合に、当該事業所において労働者の募集を行うときは、当該募集に係る情報(業務の内容や賃金、労働時間など)を当該派遣労働者に周知しなければならない(40条の5)。また、派遣元企業は、派遣元での雇用が終了した後に当該労働者を派遣先企業が直接雇用することを正当な理由がないのに禁止する旨の契約を、当該派遣労働者との間で締結してはならない。派遣元が派遣先との間で同様の契約をすることも禁止されている(33条)。

(4)法令の適用
派遣労働者を雇用する使用者は派遣元企業であるが、派遣先企業も現実の就労や指揮命令に関わる一定の法規制につき、派遣元と共に(労働安全衛生法上の安全衛生確保等に関する諸規制、均等法上の妊娠出産保護など)、あるいは単独で(労基法上の労働時間・休日・休暇等に関する諸規制、年少者・女性に対する保護規定など)、使用者としての責任を負う。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 11.非正規雇用 > (95)派遣労働関係をめぐる法的課題

(95)派遣労働関係をめぐる法的課題 11.非正規雇用
1 ポイント
(1)派遣元企業は派遣労働者の雇用主であり、派遣労働者に対して、労働契約や労基法等に基づく法的責任を負う。

(2)派遣元企業は、労働者派遣法に基づき、派遣労働者の就業条件等を明示する義務を負い、有期雇用派遣労働者の雇用の安定を図る措置や派遣労働者に対する計画的な教育訓練を実施しなければならない。また、派遣労働者の賃金や処遇の決定に当たっては同種業務に従事する派遣先労働者との均衡に配慮しなければならない。

(3)労働者派遣契約が中途解除された場合にも、派遣労働者と派遣元企業との労働契約は当然に終了するわけではない。派遣元企業は派遣労働者との契約期間が満了するまで休業手当又は賃金支払い義務を負い、「やむをえない事由」(労契法17条)がない限り、期間の途中で労働者を解雇することはできない。

2 モデル裁判例
プレミアライン事件 宇都宮地栃木支決平21.4.28 労判982-5

(1)事件のあらまし
労働者派遣事業を営むYは、Xらとの間で有期労働契約(6ヶ月)を締結・更新し、自動車製造を行うA社との労働者派遣契約に基づいてXらを同社工場に派遣していたが、A社から経営状態悪化のため労働者派遣契約を中途解除するとの通告を受けた。Y社は、右中途解除により派遣労働者の従事すべき業務がなくなったとして、Xら派遣労働者に対し、A社との契約終了をもって労働契約期間中に解雇することを予告した。Xらは、この解雇は違法無効である等と主張し、契約期間満了までの賃金の仮払いを求める仮処分を申し立てた。

(2)判決の内容
労働者側勝訴

期間の定めのある労働契約は、「やむを得ない事由」がある場合に限り、期間内の解雇(解除)が許される(労契法17条1項、民法628条)。このことは、その労働契約が登録型を含む派遣労働契約であり、たとえ派遣先との間の労働者派遣契約が期間内に終了した場合であっても異なるところはない。

この期間内解雇の有効性の要件は、期間の定めのない労働契約の解雇が権利の濫用として無効となる要件である「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」(労契法16条)よりも厳格なものであり、その無効の要件を充足するような期間内解除は、明らかに無効である。

本件の解雇を整理解雇法理(労契法16条)に照らしてみると、Yの経営状況等は相当厳しいものと評価できるが、①経営上の理由を真摯に説明して希望退職を募集すれば多くの派遣労働者がこれに応じ、Xらの解雇を回避しうる可能性が高かったにもかかわらず、解雇以外の措置を採らなかったこと、②派遣労働契約書や解雇予告通知書の記載に反し、Xらに対して他の派遣先を斡旋するなど、就業機会確保の具体的努力をまったくせずに解雇したこと、③Xら派遣労働者に人員削減の必要性を説明せずに一方的に解雇を通告し、合意解約の体裁を整えるため退職届を提出するよう指示するなど、解雇手続が明らかに相当性を欠くことから、明らかに同条の無効要件に該当する。したがって、本件期間内解雇につき、労契法17条のいう「やむを得ない事由」があると解し得ないことは明白である。

3 解説
(1)派遣元企業の責任
前項(94)[11.非正規雇用]で述べたとおり、労働者派遣においては、派遣労働者を雇用しているのは派遣元企業であり、派遣元企業は使用者として労働契約や労働関係法規(労基法等)に基づく法的責任を負う。

さらに、労働者派遣法は派遣労働者を保護するため、派遣元企業に対して、就業条件等の明示(派遣法34条)や、派遣労働者の賃金や処遇の決定に当たって同種業務に従事する派遣先労働者との均衡に配慮すること(30条の3)等を義務づけている。2015年の法改正では、①有期派遣労働者の雇用の安定を図る措置(同法30条。労働者が派遣先の同一組織単位の業務に3年以上従事した場合に、派遣先への直接雇用の依頼・新たな派遣先での就業機会の提供・派遣元での無期雇用・雇用の安定に特に資すると認められる教育訓練のうち、いずれかを講じなければならない)や、②派遣労働者に対する計画的な教育訓練やキャリアコンサルティングの実施(同法30条の2)が義務づけられるなど、派遣元企業の責任が強化された。

(2)労働者派遣契約の中途解除と派遣労働者の解雇
一般に、労働者派遣においては、派遣元企業に比べ、サービスの利用者である派遣先企業が有利な立場にある。そのため、派遣先による労働者派遣契約の期間途中における解約が行われ、派遣労働者が就業機会を失うという問題がしばしば生じる。

労働者派遣契約が中途解約されても、派遣元との労働契約は当然に終了するわけではない。派遣元に無期雇用されている労働者であれば、中途解約を理由とする解雇の効力は整理解雇法理(労契法16条)に照らし、①人員整理の必要性、②解雇回避努力、③被解雇者の選定基準の合理性、④解雇手続を考慮して判断される((90)【解雇】参照)。

有期雇用の派遣労働者については、労働者派遣契約の期間と合わせて派遣元との労働契約期間が設定されていることが多い。このような場合、労働者派遣契約が中途解約されても、派遣元との労働契約は期間満了まで存続し、労働者が残りの期間につき就労できなかったとしても、派遣元は休業手当(労基法26条)または賃金全額(民法536条2項)を労働者に払う義務を負う(休業手当の支払いを命じた事例として、三都企画建設事件 大阪地判平18.1.6 労判913-49。賃金全額の請求を認容した事例として、浜野マネキン紹介所事件 東京地判平20.9.9 労経速2025-21)。また、派遣元は「やむをえない事由」がない限り労働者を期間途中で解雇することはできない(派遣法17条1項)。期間内解雇の有効要件である「やむをえない事由」の有無は、労契法16条の解雇要件よりも厳格に判断されており、モデル裁判例では解雇回避努力の欠如や解雇手続の不当性から解雇が無効と判断されている。

なお、派遣先が、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として労働者派遣契約を解約することは禁止されている(同法27条)。また、派遣先企業は、労働者派遣契約の解除によって派遣労働者の雇用が失われることを防ぐため、派遣労働者の新たな就業機会の確保や派遣元が支払う休業手当の費用負担などの措置を講じる義務を負う(同法29条の2)。

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(96)外国人労働者~外国人労働者の逸失利益の算定~ 12.外国人労働者
1 ポイント
(1)わが国における外国人労働者の就労については、出入国管理及び難民認定法(以下、「入管法」という)によって一定の規制がなされている。同法においては、単純・未熟練労働者は受け入れないこととされており、他方、教授、芸術、投資・経営、法律・会計業務、及び、医療等に関する専門的・技術的能力を有する者等については在留資格を認め、可能な限り受け入れることとされている。

(2)外国人労働者(不法就労者も含む)についても、原則として労基法、労安衛法、最賃法および労災保険法などの労働法規等は適用される。

(3)一時的にわが国に滞在し将来出国が予定される外国人(例えば、不法就労の外国人労働者)が労働災害に遭った場合において、その災害による損害につき使用者に対し損害賠償を請求する場合、その労働者の逸失利益をどの国の賃金水準に基づき算定するべきか問題となるが、予測されるわが国での就労可能期間ないし滞在可能期間内はわが国での収入等を基礎とし、その後は想定される出国先(多くは母国)での収入等を基礎として逸失利益を算定するのが合理的ということができる。

2 モデル裁判例
改進社事件 最三小判平9.1.28 民集51-1-78、労判708-23

(1)事件のあらまし
パキスタン国籍を有する第一審原告Xは、就労する意図の下、観光を目的とする在留資格で入国し、製本業を営む第一審被告会社Y1(その代表取締役は第一審被告Y2)に雇用され、製本等の作業に従事していた。XはY1の工場内で製本機を用いて中綴じ作業を行っていた際、製本機に右手人さし指を挟まれその末節部分を切断するという事故に被災した。Xはその後、同種の製本業を営む訴外A会社で働くようになり、約4ヵ月後に退職した。Xは上記事故に関し労災保険から休業補償給付(約13万3,000円)および障害補償給付(約164万5,000円)の支給を受けたほか、Y1から約18万円の支払いを受けていた。そのうえで、Xは債務不履行(安全配慮義務違反)等に基づき、Y1及びY2に対して損害賠償を請求した。

第一審(東京地判平4.9.24 労判618-15)は、Y1及びY2の安全配慮義務違反を肯定しその損害賠償責任を認め、その損害額に関して争点となった後遺障害による逸失利益については、訴外Aを退社した翌日から少なくとも3年間は日本国内においてY1から受けていた実収入額と同額の収入を、その後67歳までの39年間については、日本円に換算して1ヵ月当たり3万円程度の収入をそれぞれ得ることができたものと認定した。控訴審(東京高判平5.8.31 労判708-26)も第一審判決を是認し、各控訴を棄却した。そこで、Xが上告した(Y1等も附帯上告)。

(2)判決の内容
労働者側勝訴(ただし、損害額については一部勝訴)。合計約216万6,000円を認容(慰謝料175万円、弁護士費用20万円、財産的損害分約21万6,000円)。

一時的にわが国に滞在し将来出国が予定される外国人の逸失利益を算定する際には、その外国人がいつまでわが国に居住して就労するのか、その後どこの国に出国して、生活の本拠をどこにおいて就労することになるのか等を、相当程度の蓋然性をもって予測し、「将来のあり得べき収入状況を推定すべきことになる」。そうすると結局、予測されるわが国での就労可能期間ないし滞在可能期間内はわが国での収入等を基礎とし、「その後は想定される出国先(多くは母国)での収入等を基礎として逸失利益を算定するのが合理的ということができる」。

以上のことからすると、この事案において、Xのわが国における就労可能期間を3年の期間を超えるものとは認めなかった原審の認定判断は、不合理ということはできない。

3 解説
(1)外国人労働者の就労
わが国における外国人労働者の就労については、入管法により単純・未熟練労働者は受け入れないが、医療、研究や教育等に関する専門的・技術的能力を有する者等については可能な限り受け入れることとされてきた。加えて、高度の専門的な知識・技術を有する外国人(高度外国人材)の受け入れは拡張される方向に進んでいる。また、近年は技術・技能等を習得するための在留資格に基づき「技能実習」に従事する外国人の数も増えてきているが、労働法規の適用の有無等が問題となってくる。そして、外国人労働者(不法就労者も含めて)についても、労基法、労契法、労安衛法、最賃法および労災保険法などの労働法規、並びに、厚生年金保険法は適用される。もっとも、職業安定法や、雇用保険法および健康保険法は、部分的又は全面的に不法就労者を適用対象外としている。

(2)逸失利益の算定基準
外国人労働者がわが国の企業において就労し、労働災害にあったような場合、労災保険給付を受けたり、使用者に対して損害賠償を請求したりできるが、その際にその労働者の逸失利益をどのようにして算定するのかが大きな問題となってくる。モデル裁判例は、外国人労働者の労災民事訴訟に関する、また、特に不法就労者の労働災害における逸失利益の算定についての最初の最高裁判決として非常に重要な意義を有している。

逸失利益の算定について最高裁は、判決内容で述べたような手法を用い、日本における就労可能期間を3年、その後は母国に帰国して就労することを前提に算定を行った第一審及び原審の判断を是認している。さらに、わが国における就労可能期間の認定については、「来日目的、事故の時点における本人の意思、在留資格の有無、在留資格の内容、在留期間、在留期間更新の実績及び蓋然性、就労資格の有無、就労の態様等の事実的及び規範的な諸要素を考慮」する旨を一般的に論じている。この事案において、不法就労も認めたうえでこの3年という期間の判断に関しては賛否両論もあり問題になるとも思われるが、外国人労働者の逸失利益につき、わが国における就労可能期間は日本での実所得を基準に算定するという枠組みを明確にした点では意義がある。ちなみに、第一審裁判所は、財産的損害(約234万3,000円)および慰謝料(約250万円)の算定につき、Xの責任も一部認め3割の過失相殺を行っている(結果的に合計195万円(うち弁護士費用20万円)を認定、なお財産的損害分約164万円については労災保険給付により全て塡補済み)。

なお、第一審判決においてではあるが、休業損害についての判断中、Xが入管法違反の残留及び就労をしていたことに関し、「製本作業という就労内容自体は何ら問題のない労働であって、しかも入国自体が強度の違法性を有する密入国のような場合とは異なるから、いまだ公序良俗に反するものであるということはできない」と述べられていることより、すべての不法就労者について上記のような財産的損害等が認められるわけではないと考えられる。

(3)その他の裁判例
後遺障害による逸失利益の算定につき、モデル裁判例と同様の判断を示した裁判例に、中島興業・中島スチール事件(名古屋地判平15.8.29 労判863-51;日本における就労可能期間3年、過失相殺3割)等がある。また、平成21年入管法等改正前の外国人研修制度に基づき来日していた中国人研修生に関し、工場内にてパイプ曲げペンダーで作業中に右示指を切断する事故に遭った事案において、モデル裁判例の判断枠組みに則り、研修及び実習終了後に中国へ帰国した後は、本国(中国)での収入等を基礎として算定するのが相当であると述べつつも、中国の将来の経済成長率を正確に判断することが不可能であることを踏まえ、(研修生主張の)日本の賃金センサスに基づいて基礎収入を算定することは認められないとしながらも、一切の事情を総合考慮して、その基礎収入は平成19年度の賃金センサスの男性労働者平均賃金である554万7,200円の25%である138万6,800円とするのが相当というべきであると結論付けたナルコ事件(名古屋地判平25.2.7 労判1070-38;同期間なし[在留資格が研修であるため]、過失相殺2割)がある。類似の判断を示していた裁判例に損害賠償請求事件(徳島地阿南支判平23.1.21 判タ1346-192;同期間なし[研修]、基礎収入につき平成20年の賃金センサス産業計男性中学卒全年齢平均賃金427万5,500円の3分の1である142万5,166円、過失相殺5割)がある。

ちなみに、日本に在留するブラジル国籍の労働者に関しては、日本における就労可能期間等は問題とはならず、後遺障害による逸失利益につき労働能力喪失期間を10年間としてわが国における収入等を基礎に算定された矢崎部品ほか1社事件(静岡地判平19.1.24 労判939-50;過失相殺3割)がある。

なお、その他の事案としては、外国人労働者が研修の履行を求めて行った集団的職場離脱に対し使用者がなした懲戒解雇の有効性等が争われたケースで、使用者が出入国管理当局に申告した賃金額と、その労働者たちとの間で合意した賃金額とが異なっていた場合に、当局に申告した賃金額が雇用契約上の賃金となるわけではないと判断した裁判例に山口製糖事件(東京地決平4.7.7 労判618-36)がある。

現在位置: ホーム > 雇用関係紛争判例集 > 目次 > 12.外国人労働者 > (97)外国人実習生をめぐる問題

(97)外国人実習生をめぐる問題 12.外国人労働者
1 ポイント
(1)平成5年に設けられた外国人研修・技能実習制度は、従来の制度を拡充するものであり、1年間の研修(在留資格は「研修」)、及び、その後最長2年間の技能実習(在留資格は「特定活動」)から成る仕組みであった。わが国で開発され培われた技能、技術や知識等を開発途上国等への移転等を図るため、また開発途上国等の経済発展を担う人材育成のため設けられた制度である。

(2)ただし、これらの制度を悪用し、外国人研修生や技能実習生を安価な労働力と考え、実際には長時間労働や最賃法を下回る賃金しか支払わない事業者等が現れ出し、人権侵害の点も含め、非難の的となった。外国人研修生に対し、研修期間中に実態として労働させている状況があれば、労基法等に照らし労働時間の管理や賃金の支払い等が適切に行われていたか否かが問われる場合等がある。

(3)このような状況を踏まえ、平成21年7月に出入国管理及び難民認定法(以下、「入管法」という)が改正され、新しい研修・技能実習制度が開始されることとなった。在留資格として「技能実習」が創設され、研修期間も技能実習期間もこの資格に一本化されることとなった。

2 モデル裁判例
(外国人研修生・技能実習生による)損害賠償等請求事件
 長崎地判平25.3.4 判時2207-98

(1)事件のあらまし
原告Xら(5名)は、平成18年12月頃より、(平成21年入管法改正前の)外国人研修・技能実習制度に基づく研修生として来日し、第2次受入れ機関である訴外A社において縫製作業に従事し、その後特定活動の資格を得てA社との間で技能実習契約を締結した。A社の代表取締役Y1及び取締役Y2は、A社の工場等においてXらを縫製作業に従事させていたが、Xらの作業実態については、全期間を通じて、休憩時間を除く1日当たりの作業時間は約11時間であり、労基法の適用を前提とした場合には、毎月の時間外労働時間は100時間を超えており、休日は月に1日程度、休日のない月も少なくない状態であった。研修期間中の手当は月額5万円(技能実習期間は月給10万9,000円程)、残業代については全期間を通じて時給300~400円で計算されていた。加えて、Xらの逃亡防止等のためY1及びY2は旅券や預金通帳を管理し、Y1はXらの一部の者に対し臀部や胸を触るなど性的嫌がらせ行為を行ったり、頭を小突くなどの暴行を行ったりもした。

Xらは、Y1及びY2に対して民法719条及び会社法429条1項に基づく損害賠償請求を行うとともに、第1次受入れ機関であるY3協同組合及びその代表理事であったY4に対し、Y4がY1及びY2による一連の不法行為を容易にしてこれを幇助したことにより、民法719条等に基づき損害賠償を請求等した。

(2)判決の内容
外国人研修生等(労働者側)勝訴

労基法9条及び最賃法2条にいう労働者に該当するか否かに関して、「一般に、甲が従事する作業が、事業者である乙の指導の下に、甲の研修として行われ、教育的な側面を有しているとしても、当該作業が直接当該事業に係る生産・役務提供活動に従事するものであるなど当該作業による利益・効果が当該事業者に帰属する場合には、甲が従事する作業は、事業者である乙のための労務の遂行という側面を不可避的に有することとなるのであり、乙の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り」、甲は労基法9条等にいう労働者に当たるものというべきである。この事案では、研修期間中のXらの縫製作業への従事の実態等に鑑みると、Xらは労基法9条等にいう労働者に当たる。

Y1及びY2は、Xらが当時置かれていた状況を認識したうえで、著しく長時間にわたり、著しく少ない休日しか与えず、最低賃金額を著しく下回る賃金しか支払わずにXらを労働させ、通信機器の所持を禁ずるなどXらの私生活の自由を侵害し、また、Y1は違法にXらの旅券等を管理したというべきであり、これらの行為は相互に密接に関連した一連の行為と評価でき、Xらの人格権を侵害するものとして不法行為を構成する。また、Y1のXらの一部の者に対する性的嫌がらせ等についても、それらの事実が認められ、Y1は別途不法行為に基づく損害賠償義務を負う。

3 解説
(1)外国人研修・技能実習制度
わが国における外国人労働者の入国や就労等については、入管法によって規制がなされている。同法においては、原則として単純・未熟練労働者は受け入れない政策が採られている((96)[外国人労働者]参照)。

昭和60年以降、企業活動の国際化等に伴い、日本企業の海外進出も多くなる一方、アジア地域等近隣の発展途上国からわが国に就労を求め入国する外国人(主に不法就労者)の数も急増し、これらの問題に対応するため、平成元年に在留資格の拡充・整備や不法就労の取締り強化等を目的として、入管法の大幅な改正がなされた。さらに同改正では、わが国における技術や知識等の開発途上国等への移転を図り、その経済発展を担う人材育成のため、「研修」の在留資格が設けられ、従来より存した外国人研修生制度の拡充が行われた。平成5年にはさらに外国人研修・技能実習制度も設けられ、1年目の研修終了後に、一定の要件を満たした場合には労働法の適用もある技能実習期間に移行していく仕組みであった(在留資格は「特定活動」に変更。なお、平成9年には滞在期間が合計3年間に拡張された。)。しかし、外国人研修生や技能実習生を安価な労働力と考えて悪用する事業者が出現するなど、人権侵害の問題や労働法規に違反する実態問題が浮き彫りとなり、非難の的ともなっていった。また、研修生等が研修先等から逃亡し行方不明になっている問題も生じてきている。

このような状況を踏まえ、平成21年7月に入管法が改正され、新しい研修・技能実習制度が開始されることとなった(平成22年7月1日施行)。在留資格として「技能実習」を創設し、研修期間も技能実習期間もこの資格に一本化されることとなり、また、改正法では、研修生・技能実習生の法的保護やその法的地位の安定化を図るための様々な措置が講じられることとなった。原則として座学による講習の期間(最長2ヵ月間)を除き、技能実習生には労働関係法令の適用があることも明確化された。現在さらに、技能実習生の保護を図るための管理監督体制の強化(外国人技能実習機構の新設)や、最大3年間の実習期間を一定の要件の下さらに2年間延長することが可能となる仕組みの導入などを盛り込んだ「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律案」等が、国会での審議を経て同28年11月に可決され成立した。

(2)外国人研修・技能実習制度の下での裁判例
外国人研修生等に違法な長時間労働等をさせ、また割増賃金等を支払わなかった裁判例として、研修生期間における時間外研修に係る時間外手当と最賃法に基づく最低賃金額との差額請求が認められ、また、控訴人会社が実習生を暴力によって威嚇し、恐怖感を抱かせ、就労できないようにさせたうえで解雇したことにつき、解雇権の濫用で無効であるとして、実習期間満了までの未払賃金請求が認められた三和サービス(外国人研修生)事件(名古屋高判平22.3.25 労判1003-5)、また、外国人研修生について、研修期間中、概ね午前8時30分から午後6時ないし午後11時まで(昼休みは1時間)、遅い場合は翌日午前3時まで縫製作業に従事するなど長時間の作業を命じられ、かつノルマをも課せられていたこと、技能実習生とほぼ同一内容の作業に従事していたこと等の実態があり、研修生及び被告会社ら双方ともに、労務の提供の対価として報酬が支払われるという認識を有していた場合には、労基法9条および最賃法2条1号所定の労働者に該当すると判断したスキールほか事件(熊本地判平22.1.29 労判1002-34)がある。後者の事案では、第2次受入れ機関による外国人研修生の旅券の預かりや預金口座及び預金通帳・印鑑の管理、並びに、違法な労働状態の作出につき不法行為が認められ、また、第1次受入れ機関である協同組合についても、第2次受入れ機関と連帯して損害賠償責任を負うことが認められた。なお、この協同組合により控訴がなされたが、棄却されている(プラスパアパレル協同組合(外国人研修生)事件 福岡高判平22.9.13 労判1013-6)。さらに、最賃法等の適用が認められ、研修期間及び技能実習期間を通じて、時間外労働等の割増賃金請求及び付加金の支払請求等が認められた広島経済技術協同組合ほか(外国人研修生)事件(東京高判平25.4.25 労判1079-79)等がある。なお、外国人研修生等による時間外労働手当等の未払い賃金請求等が認められなかった事案に伊藤工業(外国人研修生)事件(東京高判平24.2.28 労判1051-86)等がある。

モデル裁判例では、原告Xらは、Y1ないしY4以外に、中国から研修生等を送り出していた機関の駐日窓口でもあったY5社及びその代表取締役であるY6に対しても同様の理由により損害賠償請求していたところ、裁判所は、Y6は、Xら研修生の選抜等に関与し、また、Y1及びY2による不法行為を幇助したことにより、民法719条に基づく共同不法行為責任を負い、さらに、Y5社も一般社団法人及び一般財団法人に関する法律78条に基づく損害賠償支払義務を負うと判断した。第2次及び第1次受入れ機関並びにそれらの代表者だけではなく、研修生等の送出し機関に関連する会社等の共同不法行為責任を肯定した点で特徴を有している。なお、Y1及びY2は控訴したが、棄却されている(福岡高判平25.10.25)。

その他、中国人研修生・技能実習生らに対して36協定の枠を超えて時間外労働をさせ過酷な労働を続けさせていたうえ、割増賃金等も不払いであったケースにおいて、刑事処分(懲役6ヵ月、執行猶予3年)が認められた縫製業事業主(労基法違反被告)事件(和歌山地判平20.6.3 労判970-91)、さらに、日本人従業員と概ね同等の作業に従事していたと認められる外国人実習生につき、寮費である住宅費・水道光熱費の額が、日本人従業員と比べ著しい格差があり高額であった点について、労基法3条に違反すると判断した事案にデーバー加工サービス事件(東京地判平23.12.6 労判1044-21)等がある。

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(98)不法就労 12.外国人労働者
1 ポイント
(1)わが国では出入国管理及び難民認定法(以下、「入管法」という)により、従来から単純・未熟練労働者は受け入れない政策が採り続けられてきた。しかしながら、昭和60年頃より不法就労者の数が急増したため、その対応策として平成元年の同法改正により不法就労助長罪が設けられている。

(2)不法就労助長罪(入管法73条の2第1項1号)では、「事業活動に関し」「外国人に不法就労活動をさせた」者や、外国人に不法就労活動をさせるためこれを「自己の支配下に置いた」者等が処罰の対象とされている。

(3)不法就労助長罪の成立要件の一つである「外国人に不法就労活動をさせた」といえるためには、その「外国人との間で対人関係上優位な立場にあることを利用して、その外国人に対し不法就労活動を行うべく指示等の働きかけをすることが必要であると解される」。

2 モデル裁判例
出入国管理及び難民認定法違反被告事件 東京高判平6.11.14 刑集51-3-357

(1)事件のあらまし
被告人Yは、いわゆる売春スナック(以下「G店」)においてマスター兼店長として働いていた。G店において不法残留のタイ人女性5名(以下「Aら」)は、飲食に来た客を接待する一方で、客との間で売春の合意ができれば、店外で売春をし、これで得た売春代については1回につき1万円を店側に入れ、その余は全額売春したAらの収入としていた(G店側がAらに給料を支払うわけではなかった)。Aらは出退勤につき厳しい規制はなされていなかったが、同店で働くにはマスターの承認が必要であり、また、店に無断で売春を行うと10万円の罰金を徴収される旨警告されていた。YはAらにホステス兼売春婦として働くよう促し、不法就労活動等をさせたことにより、入管法73条の2第1項1号に当たるものとして公訴された。

原審判決(長野地諏訪支判平6.7.1 刑集51-3-345)は、Aらはこのスナックの事業活動に関し、ホステス兼売春婦として不法就労活動を行っていたことを認定したうえで、Yはマスター兼店長として折にふれてAらに接客態度や売春に関しても指導していたものと評価し、Aらに不法就労活動をさせたものと判断して、不法就労助長罪の成立を認め、Yに対し懲役1年、執行猶予3年の刑を言い渡した。

(2)判決の内容
被告人有罪(控訴棄却;不法就労助長罪につき懲役1年、執行猶予3年)

控訴趣意において入管法73条の2第1項1号の不法就労助長罪の成立要件に関し、まずは、G店とAらとの間には雇用契約がないこと、また、Aらは売春相手から報酬を得ていたこと等により、Aらの行為は「不法就労活動」に該当しない等の主張につき、「不法就労活動をさせることと[その]不法就労活動に対する報酬等の支払いとを直接結び付けなければならないとは、文理解釈からいっても無理であるし」、同罪の立法趣旨及びその処罰根拠から考えても狭すぎるというべきである。

次に、Yには不法就労活動を「させた」という具体的な実行行為が認められない旨の主張につき、同条規定の「外国人に不法就労活動をさせた」とするためには、その「外国人との間で対人関係上優位な立場にあることを利用して、その外国人に対し不法就労活動を行うべく指示等の働きかけをすることが必要であると解されるところ」、この事案では、Yは、客付けや売春代の管理等を行っていたわけではなく、Aらが「店の客を誘って売春を行うことをただ黙認していたにすぎないかのようであるが」、Aらとの関係は「ホステスらに給料を支払わない代わりに、客との売春によって得る売春料金は一万円を除き全額Aらの収入とするというシステムの中で考えるべきことであり」、「マスター兼店長であるYがAらとの間で対人関係上優位な立場にあることもAらに対する接客及び売春についての働きかけがあることも優に認められるというべきであ」り、YはAらに不法就労活動をさせたと認められる。

3 解説
(1)不法就労者と不法就労助長罪
不法就労者とは、不法就労活動を行う者をいう。不法就労活動とは、具体的には、①外交、教授、芸術、投資・経営、医療、研究、技術もしくは技能等の在留資格をもって在留する者が、その在留資格に応じた活動に属しない報酬を受ける活動等、または、短期滞在、留学、研修、家族滞在等の在留資格をもって在留する者が、資格外活動の許可を受けていない場合に報酬を受ける活動等、②日本人の配偶者等、永住者の配偶者等または定住者が、その在留期間を超えて在留期間の更新なしに在留する場合は不法残留者となり、その者が行う報酬その他の収入を伴う活動、③不法入国者が行う報酬その他の収入を伴う活動、④不法上陸者が行う報酬その他の収入を伴う活動、のことをいう(入管法73条の2第2項)。なお、不法就労者についても、労基法、労契法、労安衛法、最賃法および労災保険法などの労働法規、並びに、厚生年金保険法等が適用される。

昭和60年代に入りわが国における不法就労者(とりわけ単純労働を目的として入国・在留する不法就労者)の数が急増してきたことに伴い、法務省入国管理局による取締りの強化や入国規制等による対応はもとより、平成元年には入管法改正により不法就労助長罪が新たに設けられた。同法73条の2第1項においては、①事業活動に関し、外国人に不法就労活動をさせた者、②外国人に不法就労活動をさせるためにこれを自己の支配下に置いた者、あるいは、③業として、外国人に不法就労活動をさせる行為又は前号の行為に関し斡旋した者に対して、3年以下の懲役または300万円以下の罰金等の処罰が定められた。これは、外国人労働者がわが国において就労先を見つけるのが難しいこと等もあり、実際にはブローカー等の仲介者が職業紹介やあっ旋等を行い、その外国人労働者から不当な手数料等を利得している実態もあるため創設された側面もある。なお、平成21年の同法改正により、不法就労者であることの認識に関して、過失推定の規定が設けられ、仮に認識がなかったとしても無過失でない限りは処罰を免れないこととなった(同法73条の2第2項)。

(2)不法就労助長罪の成立要件
モデル裁判例では、入管法73条の2第1項1号の不法就労助長罪の成立要件が争点となっているが、「判決の内容」で記した以外にも、G店の事業目的は飲食業であり、Aらは自身の自由な意思判断で売春を行っていたにすぎず、Aらの売春行為は「事業活動に関し」に当たらないという点が問題となっている。同判決は、G店を通じて売春が行われているシステムや実態、また、G店が「売春の機会を作出することにより、ホステスらの収入を高めさせてAらを店に引き止めるとともに、客を増やして店の収入の増加を」図っていたこと等を踏まえて、G店が「正規の営業目的いかんにかかわらず、その実態は、Aらがホステス兼売春婦として働くいわゆる売春スナックであることは明らかである」として、Aらの不法就労活動がG店の「事業活動に関し」行われていたと認定している。

なお、モデル裁判例ではその他「罪数」に関して、包括一罪が正当であるとしてYにより上告されているが、最高裁(最三小決平9.3.18 刑集51-3-343、判時1598-154、判タ936-221)は、その決定のなお書きにおいて「同一の事業活動に関し複数の外国人に不法就労活動をさせた場合、[入管法73条の2第1項1号の]罪は[それらの]外国人ごとに成立し、それらの罪は併合罪の関係にあると解するのが相当である」と述べている。

同種の事案としての(東京高判平5.9.22 高刑集46-3-263、判時1507-170、判タ837-297)、及び、入管法同条同項2号の「自己の支配下に置いた」の意義が争点となった(東京高判平5.11.11 高刑集46-3-294、判時1506-153、判タ846-291)と併せて、モデル裁判例は、不法就労助長罪の成立要件につき判断を示した数少ない高裁裁判例として先例的意義を有しているものと思われる。

(3)不法就労助長罪に関するその他の裁判例
その他の裁判例としては、日本語学校の代表取締役が、業として外国人就学生4名を就労先会社に紹介したことが入管法73条の2第1項3号の不法就労助長罪に当たると判断された(大阪高判平9.4.25 判時1620-157)、無給休職処分および通常解雇の効力が争われた事案ではあるものの、その解雇等の理由が、在日ペルー人6名に対し就労先を不法にあっ旋したことにより同3号の入管法違反の罪に問われ有罪判決を受けたことであった明治学園事件(福岡高判平14.12.13 労判848-68)、及び、在留期間を経過して不法残留していたコロンビア国籍の女性2名をストリッパーとしてストリップ劇場に紹介したことが不法就労助長罪に当たると判断された(東京地判平15.3.28 最高裁ホームページ 事件番号:平成14年 合(わ) 第651号)等がある。

なお、就労目的でミャンマー人4名の集団密航者を、通訳・翻訳等の業務への従事という名目で、偽りその他不正の手段を用いて在留資格「人文知識・国際業務」を取得する等し、空路を利用して成田国際空港よりわが国に入国させたことにより、集団密航助長罪(入管法74条1項、2項)の成否が問題とされた事案において、営利目的集団密航助長罪(同条2項)の成立が認められた(東京高判平21.12.2 判タ1332-279;原審(東京地判平21.6.30 D1-Law.com[判例体系]文献番号28165839))がある。


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