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「オフィサー・アンド・スパイ」の雨に見る正義と、作品と作家は切り離すべきか問題

ロマン・ポランスキー監督最新作「オフィサー・アンド・スパイ」を見てきました。1894年にフランスで実際に起こった冤罪事件「ドレフュス事件」を忠実に描いたとされているサスペンス映画。

ユダヤ人差別も手伝って軍に組織ぐるみでスパイ容疑を賭けられた無実の大尉アルフレド・ドレフュス。物語は彼の無実に気づき、それを証明しようと戦う将校ジョルジュ・ピカールの視点で描かれる。

歴史上の出来事なのでネタバレも何もないと思うんですが、念の為に書くと以下結末に触れます。

最終的にはドレフュスの無罪が証明されるも、大逆転バンザイみたいな流れにはならないのが意外だった。登場人物や舞台となる当時のパリを捉えたカメラワークもどこか引いた、というか「冷めた」絵が多く、色合いも冷たかったり。見終わった後のなんとも言えない後味の悪さと観客を突き放したようなエンディングは、考えてみればポランスキー監督の作品らしさだった。

派手な演出なしにどこか淡々と事実を積み上げていきながら、要所要所で「当時はこんなことが本当に許されていたのか」とショッキングな描写が挟み込まれ、グイグイ物語に引き込まれるのはさすが大御所、約60年間もコンスタントに映画監督を続けているポランスキー監督の手腕だと思う。

同時に、軍組織としての不手際を隠蔽するためにドレフュス有罪の証拠をねつ造して、後にそれがバレて独房で自殺してしまう(少なくともそのように見える)中佐の顛末は、100年以上たった今の日本でも、似たように公的文書の改ざんに強制的に関与させられ、自ら命を絶った公務員がいたことを思い出した。封建的な組織って今も昔も怖いね・・・。

そんな渦中にいながら正義を貫く主人公ジョルジュ・ピカール大佐。彼の行動は「正義と一体何なのか」という問いを観客に投げかけてくる。

面白いことに劇中で登場人物が記録をねつ造しようとしたり、都合の良いように事実を捻じ曲げようとする「正義が揺らぐ瞬間」のシーンでは、屋内のシーンなのにも関わらず窓の外では雨が降っている。これは一体どういうことなのだろうと考えながら映画を見ていた。

もしかしたら監督は「正義とは天気のようにころころと変わり、コントロールすることはできないもの」と考えているのかもしれない。雨が降る時は降る。仕方ない。僕たちはそれに完全に抗うことはできない。完全な正義が世の中を支配する、そんな社会は来ない。冤罪は起こりうる。そんな、どこか諦めのようなものを感じた。

ここで出てくるのがロマン・ポランスキー監督自身の抱える問題。一般的に知られているこの問題は、1977年に監督が映画監督という立場を利用して13歳だった少女を強姦した罪で有罪判決を受け、この罪から逃れるためにアメリカ国外へ逃亡、それ以降アメリカには戻っていない、というもの。ここで「一般的に知られている」とつけたのは、当時一体何が起きたのか、自分なりに調べてみた結果、この事件の顛末が実際にはかなり複雑であることが分かったから。

できるだけ簡潔にポランスキー監督が国外へ逃亡した経緯を説明してみる。

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