『散り椿』と
成田空港からカトマンズに着くまでの間に、
『散り椿』を読んでしまった。
成田空港からクアラルンプール空港までの運航はJALだったから、機内映画は日本の映画館で観るのと変わらない状況だったし、落語も聞けたから、本読むことはなかったけど。
クアラルンプール空港やコロンボ空港での待機時間や、コロンボ経由カトマンズまでのスリランカ航空機内で、読み続けた。
『散り椿』の前に、『蜩の記』を読んでいた。
どちらも映画化されている、けれど、私はみていないのだ。┐('~`;)┌
とにかく。
葉室麟の小説を読んだのは『蜩の記』が最初だった。
その本に手を出そうと思ったのは、映画『峠』を観たことの影響もあると思っている。
つまり。どちらも、小泉たかし監督、役所広司主演の映画なのだ。
映画『散り椿』は、木村大作の、三作めの監督映画ということで記憶していた。
この映画は、木村大作の監督映画という意味において、私はとても興味ある。
つまり、一作めの『劔岳 点の記』と二作めの『春を背負って』をみているから。二作めはことにツッコミたくなる映画で。
あ。小説についてだった。
こうして並べてみると・・・
調べてないから判らないけど、私の印象としては、『散り椿』があったから『蜩の記』ができた、のではないだろうか。そんな気がした。
あえて言ってしまうと、『蜩の記』が『散り椿』でも良かったのではないか?
「残るものがあるからこそ散っていける」といった主旋律は、通底していると感じる。
若い男女の出会い結婚の物語も描かれている、それも同じだ。
印象として、なんというか、『蜩の記』の方のが小説としての完成度は高まっている、そんな気がする。
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