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Sacred Run ②


 とは・・?

  とにかく。その歴史から。

1950年代後半と1960年代を通して、ネイティブアメリカンの「ユニティーキャラバン」と呼ばれるグループが、若い人たちが伝統の生活様式に戻れるよう、先祖伝来の民族の予言を説明するために、たくさんのインディアン居留地を旅してまわった。
彼らは立ち寄るすべての場所で、ティピーを建て自分たちの水をひきキャンプファイアーで食事をつくり、キャンプした。
 一日をお祈りで始め、セレモニーで終わり、毎日話し合いをもった、。
水の神聖さ、マザーアースと人間の関係、植物の命、四つ足のもの、翼あるもの、人生の意味、民族の伝統を引き継ぐ重要性、などの教えを話し合い、私たちの生命のあらゆる局面が明かされ、男として、また女としての責任など、グレートスピリットの教えが繰り返し話された。
 1967年、最後の「ユニティーキャラバン」が行なわれた頃には、ネイティブピープルは自分たちの勤めの重要性に気が付き始め、彼らが伝えてきたことが根を下ろし始めた。
1974年、カナダのバンクーバーで、同じようなたくさんのグループが集まった。
この集まりが、「エルダーサークル」として知られているものだ。
 1976年のエルダーサークルで、
私たち人間と母なる大地とのバランスが極めて危険な状態にある、という声明をだし、四つの方向に住む伝統民族に、セレモニーを強化しマザーアースの警告に留意するようにと、呼び掛けられた。   そして、このメッセージをすべてのネイティブピープルに届けるように伝えた。

 このメッセージこそが、1978年に始まったスピリチュアルランニングの基盤となるものだ。 このメッセージと共に、ウ゛ィレッジからウ゛ィレッジを走るランニングが復活した。
1978年、 最初のスピリチュアルランニングは、カリフォルニア州内デイビスからロスアンジェルス、約800キロ。
 それから、毎年のスピリチュアルランが、カリフォルニア・ミネソタ・サウスダコタ・アリゾナで行なわれ、
1984年、ニューヨーク~ロスアンジェルス間の、最初の大陸横断のランニングが行なわれた。 約5760キロ。

  1988年、再び大陸横断ランニング、ニューヨーク州シックスネイションからサンフランシスコを行い、さらに日本へむかい、広島から北海道まで走った。
この時、このランニングに多くの日本人が関わりアイヌ民族との交流がもたれた。1978年にアメリカであった、ロスアンジェルスからワシントンD.Cへのロンゲストウォークに参加していた日本山妙法寺の庵主さんもいた。
 ここで、「セイクレッドラン」の名称が生まれた。

   1990年、ヨーロッパ。ロンドンからモスクワ。
'91年、カナダ。バンクーバーからモントリオール。
'92年、アラスカからニューメキシコ
'93年、オーストラリア&ニュージーランド。
'94年、アメリカ。アリゾナからジャニス・ビル。
'95年、日本。北海道から広島、長崎。
'96.アメリカ。ロスアンジェルスからアトランタ
'97.アイルランド&スコットランド
'98.日本。北海道と沖縄から、鎌倉。
 ここまでのランニングのすべてに、デニス・バンクスが関わっている、と思う。主催だったりあるいはランニングリーダーだったりメインキャスターだったり。
?1984年の最初の大陸横断ランニングは判らない。未確認。この年、デニスは潜伏から自ら投降し刑務所に入っている。

   
   2000年に再びオーストラリアで「セイクレッドラン」が行なわれたが、ここにデニス・バンクスはいなかった。
  2006年に行なわれたアメリカ大陸横断ランニング、サンフランシスコからワシントンD.Cは、セイクレッドランと名乗ってはいるが、
 '08に予定されてたロンゲストウォーク2のためのプレイベントといえて、この同じルートで日本山の庵主さんも平和行進を行い、セイクレッドランと平和行進がまったくリンクしていた。  コースと宿泊所が同じ。   デニス・バンクスと純さんとはいわば「戦友」なのだった。

      つづく!!

   

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