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メディアミックス商法

割引あり

メディアミックス商法について。

例えば角川春樹。
角川書店(当時の)刊行本の売り上げ増加を狙って、映画製作に乗り出し、本と映画とのメディアミックス路線を推し進めた。

角川春樹が、本格的に映画製作に乗り出した最初の映画が1976年『犬神家の一族』。
それから、1993年に逮捕されるまでの間、角川春樹の、角川春樹事務所が製作する映画が「角川映画」だった。
「角川映画」という名前の映画製作会社はなかった、と思う。
そのメディアミックス戦略は「角川商法」とも呼ばれた。

以下、その後のこと(弟との確執・角川映画のマーク商標権問題・保釈出所後のこと等々)は、略。

多賀英典。
ポリドールから独立して、1972年にキティミュージックコーポレーション設立後、キティエンタープライズに社名変更、

このキティエンタープライズの下に、キティフィルムズがあった。1979年設立。
第一作めが、『限りなく透明に近いブルー』。

1992年、多賀英典がポーカー賭博で逮捕、キティグループ全てから撤退。
その後を伊知智啓がひきつぎ、2000年に株式会社キティ設立、紆余曲折を経て2008年多賀に経営権が戻って、2013年キティエンターテイメントの社名になり、多賀は経営者としては復帰している。

「多賀英典」のWikipediaには、1995年の『四姉妹物語』以降の、多賀が関わった実写映画はない。

しかし、『四姉妹物語』のスタッフ欄に多賀英典の名前は記載されていなかった。。?
ともかく、多賀英典は、映画製作には復帰していない、と思う。

これに、もう一人、徳間書店グループの、徳間康快をあげておきたい。この人も、本と映画とのメディアミックス商法をとったけれども、チョット変わっている。

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