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映画『竜二』、と金子正次

『十九歳の地図』と『ゴンドラ』を書いたから、自主製作映画関連で。

自主制作映画で、『竜二』を忘れるわけにはいかない。❗
映画『竜二』は、金子正次、執念の映画、と言っていい。

『竜二・映画に賭けた33歳の生涯』
生江有二、著。
幻冬舎アウトロー文庫 より。

映画、『竜二』は、私の好きな映画のひとつなのだが、 この映画については、金子正次に焦点をあてて書いてみたいと思う。映画『竜二』については、実在人物の金子正次を抜きにして語ることはできないのだから。

金子正次映画は、主役で一作のみだったが、生前に五本の脚本を書いている。内、四本が映画化されている。

『竜二』1983. 監督、村川透。主演、金子正次。
『チ・ン・ピ・ラ』 1984. 監督、村川透。主演、柴田恭平、ジョニー大倉。 『ちょうちん』 1987. 監督、梶間俊一。主演、陣内孝則。
『獅子王たちの夏』1991. 監督、高橋伴明。
そして、
もうひとつは、 「盆踊り」

『竜二』は、実際何度も撮影中止の危機にあっているそうで。
けれども、金子正次はあくまで自分が主演にこだわった。 しかるに、自主制作でやるしかなかったのだ。
この本によれば、『竜二』よりも前に『チンピラ』の企画で映画化すべく、制作会社や監督たちにあたっているのだが、主演はショーケンにしたいとか、脚本だけほしいとか、(『獅子王たちの夏』は金子の脚本家としての才能をかった高橋伴明が、彼に頼んだものだそうだ) 無名の人間の主演ではどこもいい返事をしなかった。
とにかく。
なんとしても映画を撮りたい、しかし自分が主役でなければだめだ、それに金子は拘った。
すでに死を感じていたのかもしれない。
一千万円以上のお金を、スタッフの中の人間だけで集めた。すべて金子が工面したわけではない。しかし、スタッフを動かす執念が金子にはあったのだ。
スタッフ間の軋轢もあった。
監督がプロデュース担当だった大石に変わった。それが、名前を川島透と名乗った。
幾多の障害を突破して、 『竜二』は完成した。

以後の足跡はご存知の通りだ。
金子正次の執念は今も色褪せていない。

2002年には金子正次役を高橋克典が演じて、『竜二Forever』 が作られている。

『待ってろよ――』
『待ってろよ。今にな……今に男になってやるからよ』
それが金子の口癖だったという。

ウィキペディアより
【金子正次。 1949年 12月19日、愛媛県中島町津和地島出身。
本名、金子松夫。脚本家としてのペンネームは鈴木明夫。 1983年、自主制作で、主演映画『竜二』を完成させる。 暴力シーンのないヤクザ映画として高く評価され、湯布院映画祭への出品後、10月29日より東映系にて全国公開。
同年、11月6日、胃癌性腹膜炎により、松田優作らに看取られながら死去。
享年、33歳。】

松田優作といい金子正次といい、死ぬことを意識していたとしか思われないこういう役者の存在に、私はどうもなんともいえず、とまどってしまうのです。
映画、あるいは役者という存在の不可思議を、感じざるをえない。


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