映画の誕生
12月28日は映画の誕生日。とされている。
1895年12月28日、パリ9区、キャプシーヌ通り(オペラ座の南)14番地のグラン・カフェの下にある「インディアン・ルーム」で、リュミエール兄弟によって一般公開された、シネマトグラフ、それが、映画の誕生とされている。
スクリーンに映像を投影して多くの人たちに有料でみせる、というスタイルをリュミエール兄弟が世界で初めて行なった。
もちろん、白黒で無声だったが、『ラ・シオタ駅への列車の到着』 は衝撃的で、駅に入ってくる列車の映像をみて、多くの観客は思わず逃げだした、という。
以来、100年以上、音がつきカラーになり、音響システムが発達し3Dアニメがうまれ、映画の歴史は科学技術の発達の歴史でもあったが、映画の誕生じたい、科学技術の集積だった。
写真化学の技術や撮影カメラや映写装置の機械の発達、そういったもののうえに、映画というものが生み出されている。
映画造りの方法も発達した。
はじめ、映画はたんなるものめずらしい見せ物だったが、特撮やアニメがうまれ、記録につかわれ、モンタージュ理論がでて編集による映画の文法がうちたてられた。記録であり、娯楽であり、芸術であり、文化であった。あるいは、プロパガンダにつかわれ、教育の場にもつかわれている。
その、パリでの初めての商業的映画上映から、数年後にはもう日本でも映画の上映がなされ(確か、日本初の映画上映地は神戸だった、はず)、世界各地にひろがっている。
アメリカ、ハリウッド製映画ばかりみてないで、機会をみつけていろんな国の映画をみたいものだと思いながら、
映画の歴史に思いを馳せてみるのもいい。
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と、だいぶ前にMixiに書いたことあったけど。
リュミエール兄弟のことばかりで、エジソンのことは考えてなかった。
そして、こんなのみつけちゃった
http://www5f.biglobe.ne.jp/~st_octopus/MOVIE/BIRTHOFMOVIE/1FATHER.htm
1895年12月28日。
リュミエール兄弟がパリで初めて映画上映会をした日。いわゆる、現在の、有料でスクリーンに投影して多数のお客にみせるというスタイルの映画、の誕生日。
これよりも前に、エジソンは覗き式の一人でみるキネトスコープ(止まっている画を連続してみせると動いて見えるやつ)、なるものを開発していた。
そうして、現在の映画のスタイルを始めたリュミエール兄弟が映画から遠ざかり、 そうでなかったエジソンが撮影所を設立して映画製作上映に貢献していた、というのは歴史の皮肉だろうか?
12月28日、映画誕生日。 スクリーンに映像を投影して多くの人たちに有料でみせる、というスタイルを世界で初めて行なった日。
これに私はなんら異論はなくて、
やっぱり映画は映画館で観たい人間なんだけど、田舎に住むようになってからはDVDばかり。PCあった頃はギャオでみたこともある。
PC画面で見ることは、エジソンのキネトスコープスタイルと似ていると思う。。
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