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八千m峰

八千m峰は14座あるのは知っていた。

けれども、さぁ14座全部言えるか?と聞かれたら、答えはノーだった。

それで、検索。

名前は聞いたことあるものばかり、だったが、では場所は?

判らない峰がいくつかあった。

先ずは。

ネパール国内(&チベット国境)の八千m峰。

サガルマータ(エベレスト)

ローツェ

マカルー

チョーオユー

マナスル

アンナプルナ1峰

ダウラギリ

ネパール東部(インドシッキム州との国境)に

カンチェンジュンガ

そして、ゴサインタン(シシャパンマ)は、チベット領内だった。

それ以外はパキスタンの方だ。

K2。

その周辺に、ガッシャーブルム1峰

ブロードピーク

ガッシャーブルムⅡ峰

それから、ナンガパルバット

高さは略。

それで。

八千m峰14座全山登頂日本人は、竹内洋岳だけだった。


となると。(なにが?だけど)

沢木耕太郎がどうして山野井泰史を選んだか?、と思ってしまう。(沢木耕太郎著作本『凍』、参照)

これまた、検索によるが。

竹内洋岳の登山はアルパインスタイル。
つまり、荷物を極力へらしての即効型登山。&竹内は、ICI石井スポーツの社員だった。二十歳の頃に既に八千m登頂、で、プロ登山家を自認。

対して、

山野井泰史はフリーランス。
長いこと富士山頂へのボッカを仕事としていて、(最近は知らないが)、資金は自前だった。つまりは、山野井泰史が目指す峰はあくまでも彼が登りたいと思ったもの。


沢木は、この山野井の登山スタイルにひかれたのではないだろうか。?


沢木耕太郎に、竹内洋岳に関しても書いて欲しい気持ちが、私にはある。


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