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変わり種の忠臣蔵を原作者が自ら脚色 『身代わり忠臣蔵』

2月9日(金)公開 全国ロードショー

■あらすじ

 江戸時代中期、元禄十四年三月。江戸城松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が、高家旗本吉良上野介義央に斬りかかる事件が発生した。内匠頭は即日切腹。しかし一命を取り留めた上野介には、とがめがなかった。

 上野介には出家した弟・孝証がいたが、江戸市中で乞食坊主をしているところを屋敷に呼び戻される。じつは上野介と孝証は姿も声も瓜二つ。そこで孝証が意識不明の兄に成り済まして、幕府重役に申し開きをせよというのだ。

 多額の褒美につられて替え玉役を引き受けた孝証だったが、その間に本物の上野介が死んでしまった。こうなると替え玉も、簡単には辞めさせてもらえない。そうこうするうち、血の気の多い元赤穂藩の浪人達が「主君の仇討ち」と称して上野介の命を狙い始めた。本物の死は世間に知らせていないので、狙われるのは孝証になってしまう!

 兄の尻拭いで命を狙われることになった孝証は、真っ平ごめんと吉良屋敷を抜け出すのだが……。

■感想・レビュー

 これまで数え切れないほど作られた「忠臣蔵」の最新映画。脚本家で小説家の土橋章宏が2018年に発表した同名小説の映画化で、今回は脚本も原作者本人が書いている。

 吉良上野介には瓜二つの替え玉がいて、赤穂浪人の討ち入りに遭ったのはその替え玉だったというのが、この物語の最大のアイデア。上野介はなぜ替え玉を立てねばならなかったのか?

 忠臣蔵は(たぶん)誰でも知っている話だから、この前提部分にさえ説得力があれば、あとはどうとでも展開のしようがある映画だったと思う。しかし映画の作り手は、自分達でもこの前提に無理があると考えたのか、浮ついておちゃらけた半笑いの状態で物語をセットアップしてしまうのだ。

 これがとても残念。作品の方向性はまったく違うが、例えば『十三人の刺客』(1963、2010)は物語の序盤をじっくりと描いて、参勤交代の大名行列を少数の旗本や浪人が襲うという荒唐無稽な物語に説得力を生み出していたではないか。

 『身代わり忠臣蔵』はコメディ作品だから、笑いがあるのは当然だ。むしろ、笑いがなければならない。しかし物語の土台である前提条件を笑いでごまかすと、その後のドラマの骨組みがすべてグラグラになってしまう。ヤワな度台の上には、ヤワで軽い建物しか作れないのだ。

 主演のムロツヨシや大石役の永山瑛太は好演していると思うが、二人が親しくなり無二の親友のようになって行くくだりに説得力が欠ける。孝証の境遇や状況は細かく説明されているが、大石側のエピソードは弱いと思う。

 おそらくこの映画の弱点は脚本だ。しかし原作者自身が脚本を書いたことで、脚本の弱さに気付いた人もそれを修正できなかったのではないだろうか。最近はマンガのドラマ化を巡って「原作者の意向こそが一番大事」という風潮になっているわけだが、この映画を観ると、少なくともこの原作に関しては、他の脚本家が脚色すべきだったと思わざるを得なかった。

丸の内TOEI(スクリーン1)にて 
配給:東映 
2024年|1時間59分|日本|カラー 
公式HP:https://migawari-movie.jp/
IMDb:https://www.imdb.com/title/tt28686247/

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