大学生活、¥500で映画を二本観た話、そして、後悔と展望

たしか、大学1年生の頃、あれは、夏。
池袋にある新文芸坐(マルハン)で、¥500払って、映画を2本観た記憶がある。何を観たのか、一つは思い出せる。けれども、もう一つが。いや、両方とも怪しい。確か、大島渚『絞死刑』だった。『絞死刑』は、大塚にあるシネマハウス大塚で観た。これは間違いない。この記憶と間違えているかもしれないが、『絞死刑』は数回観ている。映画館で。ディスク販売もされている、されていた生憎、所有していない。YouTubeに、予告編がある。多分、世界一長い予告編。これが目を見張る。よろしければ🔍

さて、映画館で、¥500支払って、映画を二本観たという経験も、少し怪しい。8-9割は自信がある。当時、学生料金で、¥1500払っていた。-¥1000で観れる。その衝撃を忘れるだろうか。新文芸坐のような映画館は初めてだった。渋谷にあったアップリンクはこの時、数回行っていたかもしれない。「ミニシアター」より「シネコン」。「シネコン」よりDVD。基本的に映画館ではなくて、一人暮らしをしていた時の部屋で。あの時は、暗すぎた。周りとの接触を避けすぎていた。と言っても、熱狂的に映画や本にハマったわけではなく、「無気力」が漂っていた。あの時は、「アウトロー」、1960年代の雰囲気?が自分を覆っていた。「まとも」「ふつう」「じょうしき」から外れようと。アタマの中で。行動はしなかった。一人暮らしをしていたので、縛るものは特になかった。自分では、ストッパーをかけ過ぎていた時代。そこから、徐々に、映画を見始める。DVDで。今は、配信だろう。今から過去を振り返るが、DVDを借りたり・買ったりするのは、経済的にも効率的にも、少々、賢くない。いや、あの時は、「所有欲」があったから、関係なかったかもしれない。しかし、いまだに、観ていないDVDがある。買って満足が、どうやら、根本らしい。本もそうだ。積んで置くことで、「自己」が保たれる。保存される。気づけば、心がクローズ。周りに対して、過剰に反応する。アタマの中で、「ボケとツッコミ」。疲れた大学生活前半だった。

出前頼むのは、楽しい。使ったことほとんどないけど。外より家の方が心地よい。そもそも、金を使いたくない。家から外に出ることは、家以上に金がかかる。でも、家から出て、カフェに立ち寄って、本屋で、(大きな、または、個性的な)本を物色し、映画館に行き・美術館に行き・ライブに行き・演奏会に行き……行っていれば、30歳手前は、今とは違ったものになっていたかもしれない。

アタマの中で、自分と格闘していても、進まない。百聞は一見にしかず。

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