映画秘宝インタビュー傑作選5 クリストファー・ノーラン『ダンケルク』「この映画の本当の敵は時間だ!」 劇場公開時にプロパガンダ映画だと批判された戦争映画の意味するものは?
取材・文:町山智浩
初出:『映画秘宝』2017年10月号
子供のころテレビで『ダンケルク』(65年)というフランス映画を観た。海水浴場でフランス兵たちがウロウロするだけ。ときどきドイツ軍機が空から攻撃してくるが、大戦闘にはならない。のんびりして緊張感のない映画だったが、それは事実に忠実な再現だった。何しろ英仏連合軍はダンケルク海岸で1ヶ月も助けを待ち続けていたのだ。
「それが難題だった」
今回、『ダンケルク』を監督したクリストファー・ノーランは言う。
「僕は、陸海空3つのドラマを同時進行させたかった。浜辺で救出を待つ歩兵たち、ドーバー海峡を越えて助けに向かう英国民間人のボート、それに英国王立空軍の戦闘機。ところが、それぞれのタイムスパンが違った。歩兵が苦しんでいたのは1ヶ月、ボートが活躍したのは約1日、スピットファイア戦闘機はたった1時間しか飛べなかった。この3つをどう繋いでクライマックスに向かうか、苦労したよ」
映画ではスピットファイアの燃料計がストップウォッチの役割をし、秒針の音をモチーフにしたハンス・ジマーの音楽がサスペンスを高める。のんびりダンケルクとは大違い!
「ダンケルクに興味を持ったのは25年前、友だちと一緒に小船でドーバー越えたんだけど、8時間で渡れるはずが、19時間もかかった」
ノーランの体験から始まった『ダンケルク』は、体感映画になった。カメラは基本的に歩兵やパイロットの顔に密着し、一緒に水に沈む。ダンケルクに至る背景も字幕で示されるだけ。映画は逃げる歩兵の視線で始まり、政治家は出てこない。将軍も現場指揮官のケネス・ブラナーだけ。
「ドイツ兵も最後まで見えない。この映画の本当の敵は時間だから、だから戦争映画よりもサスペンス映画を参考にした。H・G・クルーゾー監督の『恐怖の報酬』(52年)とか」
ストーリーもセリフもほとんどない。最初はシナリオなしで撮影しようかと思っていたほどだという。
「撮影用台本はたった76ページ。僕のいつものシナリオの半分だ。セリフに頼らない映像と、音によるピュアな映像体験を目指した。だからサイレント映画の表現を研究した。ムルナウの『サンライズ』(1927年)とか」
『サンライズ』では、ボートに乗った夫が妻を殺害しようとするサスペンスをボートのシーンに活かしたのだろう。そういえば『マッドマックス怒りのデス・ロード』(2015年)の取材でジョージ・ミラー監督にインタビューしたときも、ストーリーやセリフよりも動きで見せようと考えて、バスター・キートンなどのサイレント映画を参考にしたと言っていた。
「たしかに『怒りのデス・ロード』はキートンだよね。サイレント映画の話法や文法は、現在の映画とはまったく違う。そこから新しい可能性が拓けると思う。『ダンケルク』のために僕は、エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督の『グリード』(1924年)やD・W・グリフィス監督の『イントレランス』(1916年)も勉強した。特にエキストラの演出法をね。群衆シーンは映画の原初的な魅力でもあって、今も変わっていないと思う」
『ダンケルク』の海岸には40万人の兵士がいた。『つぐない』(2007年)にはダンケルク海岸を歩くジェームズ・マカヴォイを追う長い移動ショットがある。大量の兵士だけでなく、遊園地の観覧車やメリーゴーラウンド、破棄された車両、馬、船など、凄まじい物量で作られた5分間だ。それに比べると『ダンケルク』のダンケルクは空虚で静謐で、ノーランの好きなタルコフスキー映画のようだ。
実際のダンケルク上空では、英独両軍合わせて300機近い航空機が撃墜されたほどの大空中戦が展開したそうだが、CG嫌いのノーランはそれをデジタルで再現したりしない。本物のスピットファイア3機だけでそれを表現する。
「僕も本物のスピットファイアに乗ったよ! 複座の練習機にね。アメイジングな体験だった!」
撮影監督と美術監督もそれぞれ乗って、ノーランたちと撮影プランを練った。スピットファイアのコックピットの前と後ろにカメラを取り付けて遠近操作で動くようにした。実際に空を飛ばすので、監督やカメラマンは同行できない。
「何度も何度もビデオカメラを積んだ戦闘機を飛ばして綿密にリハーサルして、俳優の演技は地上で演出して、それを覚えてもらった」
独軍のメッサーシュミットは、スペインのフランコ政権がライセンスで生産したイスパノを借りてきた。これは60年代まで現役で、『空軍大戦略』(1969年)などの映画に使われている。
「英国軍の駆逐艦はフランスの駆逐艦マイレ・ブレゼを借りた。1957年に退役して博物館として展示されている。フランスの史跡だから丁寧に扱ったよ」
スピットファイアが撃墜されて着水するシーンでは、ヒッチコックの『海外特派員』(1940年)の飛行機墜落シーンを思い出した。
「参考にしたよ。あれは本当にすごいね。コクピットの窓に海面がぐんぐん近づいて、着水と同時に海水が窓を突き破ってカメラに向かって叩きつける。どうやって撮ったか知ってる? コクピットの前に大きな半透明のスクリーンを張って、裏側から海面の映像を映写したんだ。で、そのスクリーンの裏側には巨大な水タンクもあって、海面激突の瞬間に、いっきに水を放出する。スクリーンはライス・ペーパー(ベトナムで春巻きなどを巻くお米の紙)で作ってあるので、水で簡単に破れる。CGに頼らない時代はみんな工夫していたんだ」
ノーランはスピットファイア着水シーンでカメラを1台犠牲にしている。
●やっぱりフィルムがベストだよ
「今回もできる限りIMAXで撮影した。それが無理なときは65ミリ、つまり『アラビアのロレンス』(1962年)を撮影するのに使われたフィルムを使ってね。現在はデジタルで撮影された映画が主流だけど、画質や色調のきめ細やかさではまだフィルムがベストだから」
デジタルも4K、5Kと解像度は向上しているが、IMAXフィルムのフレームあたりの情報量にはまだまだ及ばない。ノーランがフィルムにこだわるのは、撮影時に記録できなかった画面情報を後から復活させることができないからだ。CGではなく、本物の航空機を使うのも、いま撮っておかなければ、いつかなくなってしまうからだろう。
『ダンケルク』で本物なのは軍用機や軍艦だけじゃない。ダンケルク撤退には、民間の漁船や観光船までが兵士脱出のためにドーバー海峡を渡った。今回の撮影では、実際にダンケルクで兵士を救出したボートも出演している。
「ダンケルクで使われたボートを保存する協会があって、5年にいちど、6月4日にみんなで集まって海峡越えを再現している。彼らに協力を依頼して、実際に起こった場所で実際に使われた船で撮影したんだ」
ダンケルクの民間船について、去年、『ゼア・ファイネスト Their Finest』という映画が作られている。英国政府の情報省が、戦意高揚のプロパガンダとして、ダンケルクに漁船で助けに行った姉妹を主人公にした劇映画を作ろうとするが、漁船は途中で故障して海峡を渡れなかったと知る。実際、渡りきれなかった船も多く、ダンケルクでは兵士の8割は軍用船で運ばれた。しかし、主人公たちは事実を知りつつ、姉妹を英雄にしたフィクションの映画を作って、英国民を感動させた。
「ダンケルク撤退はたしかに戦時プロパガンダに使われ、さまざまな伝説が作られた。でも、彼ら普通の人々が命がけで兵士を助けるために小さな船で危険な海に飛び出していったのは事実だ。そして調べれば調べるほど、実際にあったことは伝説以上に驚くべき事実の連続で、きわめて複雑で、英雄的で……。それを知れば知るほど、あの戦いに参加した人々への尊敬と感謝の念でいっぱいになるよ」
ダンケルクは撤退の物語だ。英国にとって勝利の戦いである「バトル・オブ・ブリテン」(ドイツ空軍によるイギリス本土攻撃を空中戦で撃退した戦い)をなぜ映画化しなかったのか? と尋ねるとノーランは「飛行機がたくさん必要だからね」と笑った。
「それに、既に『空軍大戦略』という素晴らしい映画もあるし。マイケル・ケインが良かったね」
ノーラン映画のラッキー・チャーム(幸運のおまじない)であるケインは今回、声だけの出演だ。
「たしかにダンケルクは負け戦だ。チャーチル首相も“撤退では勝利することはできない”と演説しているからね。でも、ダンケルク撤退が成功しなければ最終的にイギリスがドイツに勝利することはなかった。ダンケルク撤退は兵士を救っただけでなく、国民の心をひとつにしたんだ」
セリフのほとんどない『ダンケルク』だが、チャーチルの演説はきっちり朗読される。
「我々は決して降伏も敗北もしない。最後の最後まで戦い抜く」
軍民一丸となったダンケルク撤退から、「ダンケルク・スピリット(魂)」というスローガンが生まれ、英国民は第二次世界大戦を戦い抜いた。
ノーランにインタビューしたときは、わずか数十分のフッテージを観ただけだったので、映画全体のテーマまでには踏み込めなかった。だが、公開されるといくつかの論争が起こった。
英国のリベラル紙『ザ・ガーディアン』は、『ダンケルク』を右翼プロパガンダ映画として批判した。生き延びるためにヨーロッパから脱出する兵士たちは、難民問題で苦しむヨーロッパ連合からの脱退、いわゆるブレクジットを象徴しているというのだ。でも、『ダンケルク』が企画されたのは、ブレクジットの国民投票のずっと前だし、ノーラン自身は脱退に反対票を投じている。
また、フランスからは英軍が無事に脱出できるよう、ドイツの陸戦隊から海岸を守ったフランス軍が無視されているという不満があった。冒頭で防衛線を守るフランス兵は登場するし、ケネス・ブラナー扮する将軍がフランス軍の脱出を見守ると約束する。
いずれにせよ、英国軍はフランスを見棄てて撤退したわけではない。その後、再びドーバーを渡ってフランスのノルマンディ海岸に上陸し、多大な犠牲を払ってドイツからヨーロッパを解放するのだ。
『ダンケルク』がプロパガンダ映画と思われてしまうのは、あまりにも気真面目にヒロイックだからだろう。スピルバーグやキューブリックのようなシニカルさがないのだ。たとえばスピルバーグの『プライベート・ライアン』(1998年)における、降参するドイツ兵をアメリカ兵が問答無用で射殺するシーンのような、ゾッとしながらも同時に笑ってしまうような、戦争そのものに呆れて肩をすくめて「やれやれ」とため息をつくような皮肉なところがノーランにはない。いつも堅苦しい。
人はどんな地獄でも冗談を言う。スピルバーグに「なぜ残虐な場面に必ず笑いを混ぜるんですか?」と尋ねたら「僕は怖がりだから笑いで心を守るんだよ」と答えた。ダンケルクの戦場でも、兵士は冗談を言ったはずだ。マイケル・ケインかジョーカーがいれば、なんか面白いこと言ってくれたのにね。
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