英国判例笑事典 エピソード(2)     「シェークスピアはお好き? ー営業免許取消事件ー」

フック氏事件 [1976]  
 前回に続いてデニング卿の判例を紹介しましょう。卿は「書くときは読む人のことを考えて書くこと」をモットーとしていたといわれます。英国人は演劇好きです。卿はなんと判決の中でシェークスピアから、言葉を借りています。
 今回の判例は立小便をしたために、区役所に営業免許の取消処分を受けた行商人が、処分の取消しを求めた事件です。「読む人」になって読んでみましょう。

  「このことはある人にとっては、取るに足りないことに見えるかもしれないが、ハリー・フック氏にとっては極めて重大なことである。ハリーはバーンズリー・マーケットでかれこれ6年もの間、商いをしてきた。それなのに彼はほんの些細なことから、生涯このマーケットで商いをすることを禁じられたのである。」
 <事件の経過の説明が続きます >
 「1974年10月16日の水曜日、マーケットは夕方5時半にしまった。|《かわや》、今でいうなら『トイレ』、も同じく閉鎖され、施錠された(注:イギリスには公共トイレがあまりありません。パブはそのためにもあるのです)。6時20分には我慢しようがなくなった。
 マーケットの近くの小路に忍び入って、『かの者ゆまりりぬ』、即ち今風に言うなら『放尿』した。これを見てハリーをさとした市の職員に、彼は「やりたきゃ俺はどこでもやるさ!」と口走った。やってきた警備員もフック氏に説諭した。警備員はきっと大道商人にもすぐわかるような言い方をしたのだろう。ハリーも「とっとと失せろ!」といったようなことを言ったようだ。とにかく警備員はそれを『|陵辱《りょうじょく》』(これは法律用語)と表現している。
 タッチストーン(もともとは「基準」という意味ですが、ここでは、なんとシェイクスピアの喜劇『お気に召すまま』に出てくる、道化の名前です)ならさしあたり、警備員が『勇敢的非難』をしたところ、フック氏が『攻撃的矛盾的弁駁』をした、と言っただろう(「お気に召すまま」五幕四場。訳は木下順治(講談社、1988年)による)。
 木曜日の朝に警備員から報告を受けたマーケットのマネジャーは事態を重く見て、翌金曜日にフック氏に会った。フック氏は事実を認めて、『申訳なかった』とわびたが、マネジャーはそれで十分と思わず、事件を市の公共サービス委員会に報告した。委員長いわく、『係員はそんな「陵辱」からは守られなければなるまい』。マネジャーはマーケットで商いをすることを禁ずる手紙を書いた。」  

控訴審 デニング判事
 卿は僧院(後には貴族、そして地方自治体)の開くマーケットで、営業する権利について1249年の昔にさかのぼって説明し、公衆がそこに店を開く権利を奪うには「正当な事由」が必要で、手続は「自然的正義」を満たすことを要求されるところ、本件では区の委員会の見直し手続のメンバーとして、営業許可を取り消したマネジャー本人らがいた故に、まず「nemo debet esse judex in causa propria(何人も自ら関係する事件の裁定者たるを得ず)」という自然的正義の原則が守られていなかった、と断じます(英国の判例にはラテン語の法律格言が時々出てます)。
 議論の詳細は省略しますが、デニング卿は更に、そもそも本件程度のことで人の生計を奪うなどといった厳しい処分をすることは、それだけでも合理性を欠くとも力説し、他の2人の判事も「十分な理由」があったとはいえない、と卿に賛同しています。
 判決は全員一致でフック氏の勝訴に終わりました。経過の説明で古風な言葉を使いましたが、すべてデニング卿が判決の中で使った「シェークスピア調」の表現です。演劇好きのイギリス人は、快哉を叫んだことでしょう。
 日本の裁判官も歌舞伎の台詞でも忍び込ませてくれれば、判決も楽しい読み物になるでしょうに!


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