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創業期から3年働いたペイミーを卒業します

本日で株式会社ペイミーは創業3周年を迎えます。在籍は9月までと少し早めの卒業報告にはなりますが、節目の日に、過去の振り返り、そして今の思いを綴りたいと思います。

変な誤解を生まないためにも、個別に報告していくのも憚られ、こうしてnoteでまとめてお伝えすることにしました。お世話になったペイミーへの感謝の気持ち、スタートアップの立ち上げで重なる部分があれば誰かの役に立てばという思い、また自分自身の経験と振り返りのためにまとめます。

入社は2017年9月でした。ちょうど3年が経ちます。1年目はテレアポ営業から始まり、資金調達、テッククランチ出場、アライアンス、新規事業など。2年目は大阪に移り、関西支社の立ち上げを行い、西日本の販路開拓を行いました。3年目は東京に戻り、事業責任者として事業数値の責任を追い、Bizチームの組織構築を主に担当してきました。
毎年チャレンジングなミッションに取り組むことができ、多くの学びと失敗がありました。1年ごとに振り返りたいと思います。

3年間の思いを書きなぐったら1万字を超えてしまいました。少しでもひっかかる部分がシェアいただけると嬉しいです。


入社までの0年目(〜2017.9) 

当時は大学生でした。F Ventures(福岡拠点のシードVC)で働かせてもらいながら、ベンチャー企業のインターンに複数参加しいくつか内定を頂くも、大学4年の夏まで進路は決まらずでした。そんな時、ペイミー代表の後藤から連絡がありました。こういう事業で起業して調達も終わってるんだけど、営業やってて、どこどこの社長を紹介してくれない?みたいな唐突の連絡だったと思います。

後藤とはF Venturesで働く前にインターンさせてもらっていたEast Ventures時代からの付き合いでした。VCでノコノコとインターンしていた自分を横目に、後藤はEast Ventures⇒メルカリ⇒CAMPFIRE⇒DeNA⇒ペイミー起業と、変化と成長速度が早い人だと舌を巻いていたのをよく覚えています。

その後、後藤と何度か会う機会がありました。最初はF Venturesに出資してほしいという話で、パートナーをつなぎ投資検討で面談を重ねました。投資検討を重ねる中で、後藤の思いや事業内容に魅力を感じていました。結果的にタイミングが合わず出資までは至りませんでしたが、後藤からの誘いもあり、働きたい意欲が大きくなり入社を決めました。

入社理由はヒト・モノ・カネで決めました。

ヒト:信頼のできて、熱い思いをもったビジョナリーな人か
モノ:事業が共感できて社会インパクトの大きなサービスか
カネ:チャレンジできる資金体力が会社にあるか

・後藤という以前からの付き合いで、熱い思いをもった起業家(ヒト)
・給与前払いという切り口で50年間変わらなかった給与制度の自由化を目指した上で、給与を皮切りにしたFintech×HR領域への展開を見据えた事業戦略(モノ/サービス)
・創業のタイミングで5200万円の調達を終え、自分が入社すると同時に後藤と一緒に4億の調達に動かなければいけないタイミング、チャレンジングな事業投資ができると考えたため(カネ)

迷わず入社を決めました。

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入社直後に誕生日祝いをしてもらった写真。8名定員のマンションの1室


食わず嫌いを捨てた1年目(2017.9~2018.8)

入社当時はシード調達完了のプレスリリース公開直後。プロダクトローンチ前で既に20社以上契約を獲得していましたが、獲得計画は一切緩めず、当時のインターンメンバーで1日200件の鬼架電営業を毎日していました。思ったよりもアポが取れず、おそらく当時のインターンメンバーではアポ率最低だったと思います。なかなか他業務にも手をつけていると200件いかない日もあり、焦っていました。入社して速攻、鼻をへし折られましたが、プライドを捨てて量で質を生み出そうと必死でした。マンションの一室で殺伐とした異様な空気を今でも覚えています。その後も苦戦は続きましたが、順調に契約社数は伸び、無事11月にサービスをローンチしました。

セールスと並行して、資金調達営業も後藤に連れて行かせてもらいました。同行の度、後藤の一切資料を使わずに相手を魅了するフリースタイルラップに毎回度肝を抜かされました。反面、資料がほとんどなかったため、事業計画や各種資料作成は自分が担当させてもらいまいした。今見返すとおざなりな部分も多いですが、結果4億円の調達まで完了できたのはひとつ自信になりました。

10月に入り、Tech Crunch Tokyoのピッチ出場を無茶振りされました。後日談ですが、まだ自分が学生で飽き性だと思われ社会人になる前にまた進路変更するのではと心配されていたそうで、オフィシャルな場で会社の代表として出場させることで実質的なロックアップをかけたかった、と後藤に言われました。笑
自分なりに資料を作って後藤の前でプレゼンしたところ「自分の言葉で語れていない」など辛辣なフィードバックをもらいました。F Ventures時代からの知り合いでOpen Network Labのピッチ審査で受賞されていたロジクラ長浜さんに相談し、200回死ぬ気で練習した方が良い、いろんな人に聞いてもらい、カラオケでも練習した方が良い、と激励を頂きました。そこからマジで200回の練習。当時の入居してたオフィスマンションに、1年前Tech Crunchのピッチに出場したROXX中嶋さんもいたため、連日連夜ピッチしに行かせてもらいました。ありがたいフィードバックに、ピクセルレベルでの資料修正もしてくれました。感謝です。
結果は初日の予選敗退となりましたが、1000人を超える前でのピッチを通じて、事業の自分ゴト化と、事業を伸ばす自信がついたと思います。

決意とは裏腹に、その後は挫折が続きました。改めて入社決意が固まり、調達もある程度落ち着いた2018年の年明け、後藤はC向けの新規事業をやりたいと言い出しました。新規事業担当として任せられるも、期待されていた進捗からかけ離れ、全く進まず、心が折れそうでした。結局一旦ストップに。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
ここで結果を出せなかったら一生結果を出せないと思い、テレアポから再スタート。成果のためならなんでもやる、というスタンスはこの頃から強烈になりました。

大手企業の受注も少しずつ決まるようになり、堅調に導入社数は伸び、リリース半年で100社を突破。長らく検討が続いていたアライアンス案件もこの頃から徐々に決まるようになりました。今日まで取り扱い高としても大きなウェイトを締める、セブン銀行とのAPI連携もTech Crunch Tokyoからのご縁で担当させて頂き、一連のプロセスに関わらせて頂き大変勉強になりました。

この頃のペイミーは新しい人も増え、毎月の締め会が一大イベントでした。今でこそ締め会の目的や内容はだいぶ変わりましたが、当時はとにかく一ヶ月生き延びた労いの会でした。良く飲み、よく盛り上がりました。

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締め会。地球とお友達というあだ名もこの頃つけられました。苦笑

2018年春頃から地方大手企業の導入も決まるようになり、毎月関西圏への出張も入るようになりました。夏に差し掛かる頃、渋谷の鳥貴族で後藤から、関西を任せたいと伝えられました。当時は同時に東南アジアに海外拠点をつくる話もありましたが、結局その話はどこかに消えました。
生まれて初めて関東を出ることになりましたが、事業を伸ばすために何でもやる意気込みで、家探し、オフィス探しから始まり2018年9月関西に渡ることになりました。

支社開設、組織と文化づくりの2年目(2018.9~2019.7)

2年目のことは以前noteにまとめたのでよろしければ御覧ください。https://note.com/eibu1024/n/n62e369229e04

大阪に住むことも初めてで知り合いも少ないない中、とにかく関西支社の立ち上げ経験のある方に連絡をとって会いまくりました。関西ならでは、支社ならではの戦い方がある、それが面白い!と色んな方に熱弁をされました。
熱量の高い諸先輩方の話すを聞く度に、やったるぞ!と意気込んでいました。

オフィスは梅田駅近くの阪急阪神不動産が運営するシェアオフィスに入居。知り合いが少なく、当時は1人だったので、シェアオフィス入居はメンタル的にも非常に良い選択だったと思います。セールスがメインだったので、シェアオフィスの電話ボックスをいつも占領していました。管理人の方からペイミーさん占領しすぎとよく言われていました。すみません。

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梅田駅徒歩2分のシェアオフィスに入居。エントランスロゴ

最初の3ヶ月、ほぼ一人で営業をしていました。今思えば最初の段階から採用は注力すべきだったと反省してます。マネジメントコストがかからず自己完結すれば良いので、ラクではあったのですが、西日本の案件を一人で抱えていたため、徐々にフォロー/リサイクルが回らなくなり、数字も伸びずしんどくなってました。正直、営業成績も芳しく無く、今は仕込みの時期と本社からもフォローを頂いてましたが、年末にかけて焦り始めていました。

何とかしなければと、年末年始も関西に滞在し、twitterやWantedly経由でカジュアル面談を重ねました。今でも活躍する三木さんや、関西で新卒入社した古田さんとはこの頃に会いました。二人ともたまたま東京に行った際に、後藤の登壇イベントを聞いていたようで、はじめからペイミーのビジョンや事業への共感度が高く、すぐに一緒に働きたいと思える方でした。

関西で与えられたミッションは西日本の販路開拓。チームメンバーも増え、関西圏のみならず、名古屋や福岡にも営業展開を進めました。関東に比べるとインバウンドの数も多くないため、自分達で案件をつくらなければいけません。マーケ予算も限りがあるため、オフライン施策のクイックな検証を行いました。具体的には代理店とセミナー企画に注力し、数字が伸びた時は嬉しかったです。
上手く言語化はできていませんが、関西の文化もこの頃徐々にできた気がします。小さなスタートアップを運営している気分で皆、熱狂していました。休日に集まり「関西をぶちあげる会」と称して、現状の課題整理やあるべき姿について議論を重ねることもありました。

関西では友人も少なかったため(苦笑)、よく本を読みました。元々本を読むのは得意な方ではなかったですが、読めば読むほど血肉と化し、抽象化と転用を繰り返すことで、実務に落とし込めるようになったと実感しています。一人でじっくり考える時間も増え、徐々に理想の組織像やビジネスチームとしてのあるべき姿がクリアになっていきました。関西時代に読んだ本の一部↓
https://note.com/eibu1024/n/nbc77e31f52ae

関西支社独自の動きが増える中、東京との距離も徐々に感じ始めました。経営からも離れ、会社の動きを俯瞰して見るようになり、現場側として思うことが増えました。この頃業務委託で人事の阿久澤さんが入ってくださり、オンラインでよくご相談させていただいていました。5月に仕事で東京に戻るタイミングで、後藤さん、取締役の跡部さんにお時間を頂き、今の思いをぶつけました。
率直に会社に対して課題に思っていることを伝えました。B向けのPR/マーケティング戦略が弱い、目標設定が高すぎて現場感との乖離がある、トップダウンの人事制度にそろそろ限界がきている、などの内容だったと思います。その上で、自分の過去、現在、未来について整理し、既存事業を任せて欲しいと伝えました。これまでの現場経験で泥臭くできる、営業ファネルの細かな改善ができる、数字をみて論理的に事業を組み立てられる、そんな主張だったと思います。生意気なお願いではありましたが、冷静に受け止めてくださり、直後に3期目(2019.7~)から事業部長になり、8月に東京に戻ることが決まりました。

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代表の後藤さん、取締役の跡部さんに思いをぶつけた恵比寿の寿司屋

想定していたよりも早く大阪を出ることになりました。大阪に行った当初は、関西支社を盛り上げていく想いが強く、あと2~3年はここでやってやる!と意気込んでいました。東京から送り出してくれた皆さんもそんな想いだったようで、「あれ英歩もう帰ってくるの?」みたいによく言われました。なんかすみません。

関西支社長の方々と話した時にいつも違和感を感じていたことがあります。「事業伸ばしていきたいよね!関西盛り上げていきたいよね!」みたいな話によくなってました。前者は激しく共感ですが、後者は全くでした。関西出身の方が関西支社を任されることが多かったので、その点、関東生まれ関東育ちの自分はいつも浮いていました。改めて事業を伸ばすために、自分は大阪に来たのだと思わされ、事業部長として東京に戻ることに徐々に腹落ちしていた気がします。

営業で飲みに行くことも多かったです。饒舌な方も多く、話についていくのにやっとこなこともありました。お酒が強い方にも飲み屋を連れ回され、めちゃくちゃ飲まされて、1ヶ月ぐらいお酒が飲めなくなったこともありました。今となっては良い思い出です。

関西では酸いも甘いもありましたが、新しい土地で目新しいことも多く、密度濃い約10ヶ月でした。上司のいない中、自分で事業戦略、組織戦略を考えて目標のために逆算して実行すること。特に組織における、採用研修育成、チームマネジメントは実務で初めての経験だったので失敗も多く積み良い経験になりました。

休みを頂いて、夏の甲子園を観戦。8月の中旬、東京に戻りました。

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関西出勤最終日。関西メンバーとシェアオフィスにて

事業責任者として手探りの3年目(2019.8~)

自分の懇願から始まり、事業推進部長として既存事業を任せると言われたものの、すべきことの全体像は掴めていませんでした。
関西に行った当初そうしたように、とにかく各社の事業責任者、あるいはそれらしき方に連絡を取り直接ご相談させていただきました。聞けば聞くほど、役割の範囲や、人によってのフォーカスポイントが異なり、始めはより整理がついていませんでしたが、徐々に輪郭はつかめるようになりました。あくまで当時の自分の解釈ですが、事業責任者の定義を以下のように考えました。

・組織目標と事業計画を達成するために事業戦略を企て実行に移す人
・そのための最適な組織構成、採用計画を考え、人事権まで責任を持つ人
・経営目線と現場目線を持ち、各チーム、各部署との調整役

ざっくり言うと事業と組織に責任を持ち、爆速でPDCAを回しながら目標達成をしていく人なのかと。戦略については「良い戦略、悪い戦略」、戦略の実行の仕方には「戦略を、実行できる組織、実行できない組織。」、事業計画と採用計画の連動には「NETFLIXの最強人事戦略」、組織づくりや育成計画は「THE MODEL」や「セールス・イネーブルメント」を参考にどれも名著なので何度も読み返し、実務に転用させていきました。

2019年7月には7億円の資金調達も完了し、人事の阿久澤さんと伴走しながら、採用計画を急ピッチで引いて、足りないポジションの採用面談に勤しみました。
最終面談で後藤さんや阿久澤さんにパスすることもありましたが、この頃の事業推進部の採用決定権はほぼ自分に委ねられ、かなりの数の候補者の方と面談をさせていただきました。
面談を重ねるに連れ、どういう人と働きたいか、魅力的な人をどうアトラクトするか、最後のグリップをどう握るか、入社までどうコミュニケーションを取るか、入社後から短期間で成果を出すにはどうオンボーディングをすれば良いかを考えるようになり、日々改善の繰り返しでした。今でこそ言えますが、入社当日の朝に入社ドタキャンされたり、やっとの思いで採用するもすぐに退職されたりなど、振り返ると反省するべき点も非常に多くありました。何度か経験していますが、どんな人であっても一緒に働く人が辞めるのは辛いものです。
職種によっては業務委託契約で、スキル先行でカルチャーフィットを軽視したまま、結果上手くいかないケースもありました。業務委託であっても慎重に人の身極めは必要だと考えさせれました。勿論、業務委託で期待以上の成果を出して頂いている方もいらっしゃいます。
失敗や反省も多くありましたが、結果的に現在も活躍しているメンバーをこの頃から採用することができました。取り組みの詳細は阿久澤さんのnote『スタートアップ入社4ヶ月。ぼっち人事で24名の採用決定した話(おっかなびっくり)』を御覧ください。

人は増えるも、入社後のオンボーディングフローも確立されていなかったため、研修制度のドキュメント化マニュアル化を急ピッチで進めました。自分の入社当初は研修も何もなかったので入社直後から今月は◯件架電!◯社契約!これ絶対!あとはOJT!以上終了!でしたが、2年ほどセールスに関わる中でどんなに優秀な方でもペイミーで独り立ちするには3ヶ月かかると思い、1ヶ月目、2ヶ月目、3ヶ月目の階段設計をした研修実務設計もこの頃に着手しました。まだまだ改善の余地は多いにありますが、最近入社した方から「思ったよりもドキュメントがしっかりしていて驚いた。スムーズになれることができた」などの声を頂くことができました。

2019年7月から3期目に入り、事業部制を整え、各部署への権限移譲も進みました。年次計画や四半期目標、それに紐づく事業計画も固まりより生きた計画の上で走りだすことができました。振り返ると2期目までは、毎月のように注力ポイントがめまぐるしく変わり、事業部で単月目標は引いていましたが、現場レベルで四半期や半期、年次目線が全く持てていなかったと反省しています。
そうした反省から、2019年9月末に10月頭に四半期での目標宣言をやらせてほしいと提案しました。急な提案で一晩で各チームに作成をお願いすることになりましたが、10月1日、全社足並み揃えて、四半期目標の認識を揃えることができました。

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当時の事業推進Q目標宣言の資料

当時FORCAS佐久間さんが何かのイベントで「今QのうちのテーマはAll for Customer Successなんだ」と言ってたのに随分影響されていたと思います(笑)。当時はカスタマーサクセスという言葉が事業部で独り歩きしており、とても理想のサクセス像から考えるとできていないことが多かったので、テーマとして掲げました。と弁解しておきます。
導入背景はまた別にありますが、四半期目線を全社で持つことで徐々に年始からのOKR導入にも踏み込んでいきました。

何が課題かも正確に把握できていない状態だったため、各チームのパイプライン整理やツールの整備、実データの参照などから着手しました。CRMで入れていたhubspotを使いこなせていなかったので、この頃何度も問い合わせ、シンガポールの怪しい番号で着信履歴が埋まっていました(笑)。案件ステージ定義、データ構造/プロパティの整理、ヨミの管理、フォロールール、ワークフロー整備、など現場と協力しながら徐々に運用に乗り始めました。CRMはツール入れただけでは全く意味がないと運用改善を繰り返す中で痛感しました。今年になってからは、CRMの運用に詳しい関根さんが入社してくれたおかげで、より改善されました。感謝です。

利用開始後のファネルを見るために、分析と呼べるほどではないですが、Redashを使ったSQLでのデータ参照や加工もしました。(逆にそれまであまりやってなかったのがヤバい。)幸いにも大学でSQLの授業を取っていたのでスムーズにでき、開発部の藤原さんの協力もあってセールスメンバーも全員書けるようにになった方が良いと社内勉強会も開催いただきました。
数値意識がセールスチームにも芽生えたのは良い傾向でした。個人で振り返ると、結局他に注力すべきタスクがあり、局所的な対応になってしまったため、特定のインサイトを定例などで共有することはできたものの、全体最適なインサイトや判断まで出せたかと思うとダウトだったと思います。こちらも今年入社したPdMの渡辺さんが分析環境の整備を進めてくださり、ファネル分析改善に本格的に取り組み始めることができるようになりました。また感謝です。

思い入れのあるサービスも企画構想からリリース、運用まで進めることができました。これまでの給与即日払いサービスPaymeは、法人の与信審査を経て契約しており、創業から年数の浅い企業、中小零細企業へのサービス提供が構造上難しい背景がありました。そこでお手持ちの法人カードや、代表者様の個人カードを登録するだけで給与即日払いサービスPaymeを導入することができるサービスをリリースしました。
東京に戻る前から企画構想を始め、事業開発部、開発部協力の元、システム面、法務面、運用面、各種アライアンス面を緻密に進め、リリースに至りました。こういった事業開発系タスクは、片手間になりで進捗が悪くなりがちだったため、昨年秋に入社した石井さんにゴリッと進めてもらい大変感謝しています。まだオペレーション面で改善を繰り返していますが、大手カード会社や決済代行サービスとの連携も進み、多くの企業様で幅広くご利用いただけるようになりました。

年末まで概ね事業計画通りに進み、12月には過去最高のGMV達成、年が明け、スタックしていたマーケティング施策も徐々に実行に回すことができるようになり、1月には過去最高の有効商談獲得数を達成することができました。2月には期待のかかった優秀なメンバーが一気に入社し、4月にも新卒入社、中途入社含め数名受け入れることになりました。人が増えれば増えるほど、責任感が増す思いで、このメンバーがペイミーに入社したことを正解だったと言えるように最善を尽くそうと決めていました。
徐々に各ファンクションでチーム長も立てられるようになり、現場業務も移譲をすすめることができました。穴や課題があれば早急に立ち回ることもありますが、今はそうしたことも各チームで対処できるようになり、随分と強い事業推進部になったと思います。
また事業部にとどまらず、開発部との連携もCSを中心に前進し、苦難も乗り越え、経営と事業部との一体感も生まれるようになりました。

振り返ると事業責任者として至らぬ点も本当に多くありましたが、一環して事業と組織に責任を持って1年やり抜くことができました。

ペイミーを卒業します

3ヶ月前でも、まさか卒業するとは思ってもいませんでしたが、6月で3期目を終え、ひとつの区切りがついた気がしました。毎年違うミッションに取り組みやり抜くことで、どんな局面でも事業を推進する自信がつきました。株式会社ペイミーも、給与即日払いサービス"Payme"もまだまだ成長余地はありますが、後藤からも「英歩は200%やりきった」と背中を押され、次のフィールドでチャレンジしたい思いが強くなりました。
もう一度ペイミーをやるとしたら、全く戦い方が変わると思います。そう思えるよう3年間で失敗と経験を積み重ねることができました。次に全力でぶつけたいと思います。

7月1日に全社にお伝えをして、事業推進部の皆さんとは全員と1on1をさせてもらいました。今ではほとんどが、自分が採用や研修に関わったメンバーばかりで、本当に皆さんに思い入れがあります。ビジョンミッションに共感した選りすぐりのメンバーで本当に優秀な方ばかりです。ペイミーを離れてもまた一緒に戦いたいと思える戦友も多いです。率直な今の気持ち、9月まで責任持って引き継ぎを行う旨、一人ひとりに対する思いをお伝えさせていただきました。

今後について

正直まだ何も決まっていません。決まってないのに辞めるんですか、と社内からもツッコまれましたが、卒業報告していないのに次に向けて動き出すのも不誠実に思えて気持ち悪かったので、先立って報告させてもらいました。

ひとつ決めているのは、次に働く場所では5年腰を据えて戦いたいと考えてます。創業当初、後藤に言われて意味深だった言葉があります。「英歩は人生で8打席ぐらい立つと思うから、その中できちんとホームラン何回か打てるといいね」と。人生40年働くとして8で割ると1打席5年。5年かけてきっちり結果残せって意味なのかと、真意はわかりませんが、ずっとこの言葉が引っかかってました。1打席目は素振りしまくって、めちゃくちゃ足腰鍛えられた感覚です。まだまだヒットも打ててませんが、1打席目の経験を元に、確実な2打席目に立てるようにしたいと思います。現在24歳です。5年経っても幸いまだギリ20代なので、20代のうちにひとつ胸を張って結果を残せるようになりたいとぼんやり考えています。

次に働く会社はペイミーを選んだ時と同じような軸で考えたいと思います。一緒に働きたいと思える熱い思いをもった人達か、共感し熱狂できる社会的インパクトの大きなサービスか、チャレンジできる資金的体力が会社にあるか。その3つ、またその順番の優先度で考えていきたいと思います。この3年間を通じて、改めてこの3つの大切さを身に染みて学びました。

熱狂。この言葉に尽きると思います。入社当初、働き始めてからも圧倒的に熱狂していました。熱狂できる環境を探し続けたいと思います。

たまに、自分でスタートアップ起業したいんですか、と聞かれるのですが、今は全くするつもりはないです。心の内に熱狂できるものが見つかった時にするものだと思ってます。

抽象的な言葉ばかりで偉そうにすみません。正直、ちゃんと次のステージでバリュー出せるか不安でもあります。初めての転職活動になるのでわからないことも多いです。少しでも引っかかるものがあればご連絡いただけると幸いです。自分の範疇に囚われず、色んな方とお話させていただきたいです。

副業も始めました。今は知人の会社でビジネスサイドの事業戦略/組織づくりまわりで相談に乗っています。立ち上げフェーズでも、グロースフェーズでもお困りのところがあれば壁打ちさせてください。

ペイミーで働く皆さんへ

3年間本当にお世話になりました。ペイミーを通じて多くの方と関わらせて頂きました。素晴らしいご縁もいくつもありました。何者でもなかった自分を引き上げてくださり本当にありがとうございます。Slackのrandomチャンネルを見返すと色んな思い出が蘇ります。いつまでも見ていたい気分です。「無風はツラい、モメンタムを作ろう」後藤の口癖でした。どの瞬間を切り取ってもモメンタムがありました。

「尊敬・突撃・優勝」創業期からあるペイミーのバリューです。いかにチームを尊敬し尊敬されるに値する人たれるか、突撃と呼べるほど試行回数を重ねられたか、その上で優勝と呼べる結果を残せたか、自分やチームに問い続け、今日まで走り続けることができました。ペイミーらしく大変好きな言葉です。
一方、ビジョン・ミッションを体現する言葉がバリューであり、時として外部環境や市況環境、組織のフェーズによってバリューを変えていかなければいけないことも実感しました。4期目に入り、新たなバリューを立て、実践いただけることが本望です。

ペイミーは素晴らしい思いをもった会社です。今日までその思いに惹かれて事業と組織ができあがりました。お陰様でPaymeの導入社数も全国で500社を突破し、多くの従業員様に給与即日払いサービスをご利用いただきました。まだまだ伸びしろのあるサービスです。
これからも顧客価値向上と事業拡大に向けて突き進んでいってください。

最後に好きな言葉で締めたいと思います。「自分のした選択が常に正しかったといえるような行動を心がけよ」ペイミーに入って心から良かったと思えます。これからも様々な選択に迫られるかと思いますが、最善の選択を心がけつつ、選択したあとの行動に全力を注いでいっていただけると幸いです。自分も次の選択がまた正しいと言えるよう邁進したいと思います。
いつかまた一緒に戦える日を楽しみにしています。

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(株)ペイミー 事業推進部長 給与即日払いサービス"Payme" の事業責任者 / 元関西支社長

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