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及第点は何点ですか?

生きるってなんだろう?


働き始めてからここ数年、
学生時代には経験できなかったことを
たくさん経験をしている。

周りの友人や親戚の結婚式に呼ばれることが
続いている。

そして少し経つと
妊娠した、出産した、と幸せな報告が続き、
その度にかわいい赤ちゃんに会いに行く。

幸せそうだな、
結婚っていいな、
子どもっていいな、
純粋にそう思っていた時期だったかもしれない。


そんな4年前のある日、
長生きだねってみんなから言われていた
祖父が亡くなった。
杖をつきながらも自分で歩いていたし、
ご飯もちゃんと食べられるって言ってたから、
健康だと思っていたのに、いつの間にか。


人は死ぬんだと、
30年近く生きてきて
初めて本当の意味で理解できた気がする。

今まで自分たち孫のことを
とても可愛がってくれていた祖父。
会うたびに同じ話ばっかりしてたけど
楽しそうだった。
あの笑顔の祖父に
もう会えないと思うと寂しかった。


翌年、結婚をした。
こんな自分と結婚してくれる人がいるなんて、
それだけでとても幸せなことだと思う。
尊敬と感謝の気持ちは
今後ずっと忘れることはない。

またその翌年、結婚式を挙げた。
ご時世的に小さい規模で
親族+近しい友人たちだけで結婚式をした。
もともとお互いに人前が得意ではないので
むしろ小さい規模の式で嬉しかった。

こんなご時世なのに
出席してくれた親族、
友人たちにとても感謝している。
幸せってこういうことなんだなって
全身で感じた一日だった。

誰よりもずっと楽しみにしてくれていたのに、
祖父に結婚式を見せてあげられなかったこと
だけが唯一悔やまれる。

親不孝、いや祖父不幸な自分を
嫌になったりもした。
もっと早く結婚できなくてごめんね。
祖母には出席してもらえて、
喜んでくれてとても嬉しかった。

結婚式が終わってすぐ、突然のことだった。

仕事をしていると珍しく父から電話が入った。
祖母が亡くなった。
何度も耳を疑った。
あんなに元気そうだったのに。
まだ結婚式のアルバムもできてなかったのに。
アルバム見せに行くねって約束してたのに。
祖父には会えたかな、
結婚式の報告もしてくれてるといいな。


祖父がまだ元気だった頃に
親戚のおじ様が言っていたことを思い出した。

爺さんと婆さん、
2人だから元気でいれるんだろうな。

本当だ、
不思議だな、って思った。

自分たちも
そう思えるような
そう思ってくれるような
夫婦になれるかなって
なりたいなって思った。

今の立場になってようやくわかった、
祖父と祖母は理想的な夫婦だった。



結婚式と妊娠・出産とお葬式



人は生まれた時から死ぬことが決まっている

そんな言葉が妙に納得できた
と同時に疑問も浮かんできた

それならなんで生きるんだろう?
死ぬのに何で生きる?

何でお金を稼いで生活をする?
何で外食したり旅行に行ったり
楽しいことをする?

人生は死ぬまでの暇つぶし
ってそういうこと?

最近よく、こうも思う。
誰かに嫌な思いをさせられることも
嫌な思いをさせることも嫌になって
外の人と会いたくない。
家から出たくない。
連絡も取りたくない。
何も話したくない。何も言われたくない。
何も見たくない。何も聞きたくない。

あれ?何で生きてるんだろう。
今この瞬間に、
自分の存在がパッと消えたとして、
誰が気づくんだろう。
最初からいなかったような、
生まれてきていないような、
周りの人たちの思い出の中の
あの時あの場所にも
自分はいたつもりだったけど
実はいなかったような、
そんな存在になった気がする。

こういう時は決まって
胸の奥がすーっとして、
何もかも全部がどーでもよくなる。

この瞬間は
お酒みたいな
タバコみたいな
悪い薬みたいな
どれもやったことないからわからないけど
それに近い感覚のような気がする。

気がする、なんとなく。
そう、雰囲気。
全部どーでもいいから全部雰囲気。


現代の医学をもってしても
生まれて来れなかった人もいるのに
生まれてきた、
そのことがまず奇跡。

その中で
たった数時間しか生きられなかった人もいる。
50年生きた人も
100年以上生きる人もいる。

そう考えると
30年以上生きている自分は
今の時点でものすごく奇跡なんだなって。

1時間後、明日、1週間後、
いつ死ぬかもわからない。

親が親戚が先生が友人が
今まで出会った人みんなが
自分を生かしてくれてたんだなって。


生きる意味ってなんだろう?


今自分が出せる答えは

今まで生かしてくれた人の為に生きる


かな?

だってさ、
今自分が死んだとしたら
今まで生かしてくれた人たちに申し訳ない。

自分の存在が今誰にも知られていなくても
自分が生きている現実があれば
周りの人は報われていることになるような。


でもこの考えは間違ってるかもしれない。


本当は
もっと前向きな主体的な答えが
テストでは高点数になるのはわかっている。


だけど
みんながみんな
そんな正しく生きられないんじゃないかな


少なくとも今の自分は
100点の生き方はできないと思う。
理由はよくわからないけど。

まともな生き方をしてるかどうかも
わからない。
周りの期待にも応えられるかどうかも
わからない。
目の前の現実から逃げたい気持ちも
すっごくある。



とりあえず10点だとしても
解答欄を埋められてよかった。


これから時間をかけて悩んでも
100点の模範解答には
辿り着かないと思う。

それでも悩んだその時その時に
自分の解答欄を埋められる何かがあれば
それでいいと今は思ってる。


書いてみてよかった。

またわからなくなったら
文字にしてみることにしよっと。

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