ちょうどいい詩情と心地よい違和感【月刊 俳句ゑひ 水無月(6月)号 『無題3』を読む〈前編〉】
こちらの記事は、月刊 俳句ゑひ 水無月(6月)号の『無題3』(作:若洲至)を、上原ゑみが鑑賞したものです。まずは作品の掲載されている、下の本編をご覧ください!
ちょうどいい詩情と心地よい違和感
入梅の翳りに捨つる電池かな
紫陽花のほのと光れる半同棲
白シャツをすつぽり脱げばしづかなり
窓に薔薇映る信用金庫かな
砂町の人が買ひたる水中花
連作の初段落の5句は、通底する静けさが魅力だった。2句めに半同棲とあるので、そのようなシチュエーションを設定したのかもしれない。段落としてこの一連がいちばん好きなので、今回は全句に触れる。
電池の詩情
入梅の翳りに捨つる電池かな
電池は中途半端な処分物だ。小さいし。それを捨てる時の気分、捨て方、捨てる場所等々を「入梅の翳り」でまとめ上げたのは如何にも納得。そして入梅は言えても「翳り」まではなかなか言えない。端正な詩情を持つ一句だった。
「半同棲」のための調整力
紫陽花のほのと光れる半同棲
「紫陽花のほのと光れる」は、それ自体さほど目を引く措辞ではない。もっと言うと「ほのと光れる」は、ちょっと気の利いた表現として、ある程度俳句を作ってきた人ならば、過去に一度ぐらいは使った覚えがあるのではないか。今や筆者が句会で目にした場合は、無難にまとめすぎていることを理由に、真っ先に選考から外すフレーズのベスト5ぐらいには入っている。ところがこの句においては、その無難さがまったく気にならない。作者は手垢のついた表現を無自覚に用いる人ではないという先入観は、確かにある。あるが、それより何より「半同棲」のせいだと思う。
同棲というだけでもドラマ性があるというのに半同棲。基本、イチャイチャ状態に多幸感は極まるはずだが、反面、定まりきらない不安や、公式ではないところに生まれる湿ったニュアンスはあるかもしれない。同棲以上に非公式なこの「半」が伝える情報は過剰だ。ゆえに上五中七との調整は必要と思う。「ほのと光れる」は、作者がそれをわかった上で選んだ突出しないフレーズであり、「ほのと」した実感は、さらっと言われたから筆者の心へ届いた。誰にでも言えそうな簡単な言葉で読む者に感銘を与えるのは本当に難しいことで、毎回繰り返すが、若洲至の句にはそういう凄さがあるのです。
白シャツ✕『あした』
白シャツをすつぽり脱げばしづかなり
これも非常に好きだった。1段落めの一連が静かなイメージを獲得したのは、この句があるからだろう。もし脱いだのがアロハシャツだったら「派手な柄シャツを脱いだから、見た目が静かになった」というような因果が生じてしまい、まったく面白くない。主張しない白シャツは、脱いだところでギャップはあまりない。一瞬、ん? どういうこと? と、攪乱され、だから引きつけられる。
中島みゆきが、狂乱のバブル期に悲しいラブソングを歌っていた時代、1989年に発表された『あした』。筆者は、その出だしを思い出していた。おそらくは連作の1段落めに通底する半同棲気分に影響されたのだが、時代を越えて共有される切なさに感慨は深かった。この句の世界観は、『あした』だなと思う。
薔薇と信用金庫の心地よい違和感
窓に薔薇映る信用金庫かな
なんだろうかこの心地の良い違和感は。花は、何でも良かったわけでは無いだろう。見えるのではなく映るのだから、庭に咲く薔薇を眺めているのではなく、花瓶に挿した切り花が窓に映り込んでいて、しかもそこは信用金庫なのである。
手がかりに花言葉を調べてみた。日比谷花壇さんのサイトによれば、薔薇全体としては「美」「愛情」だが、色ごとの花言葉、さらには本数別にも違う花言葉があるという。花瓶に活けるとなると数本程度か。何やら熱烈な告白体の花言葉が並んでいた。たとえば、3本だと「愛しています」、4本なら「死ぬまで気持ちは変わりません」とのこと。ひょぇぇ。
とまれ、イメージに違わず、熱烈だったり甘美だったりゴージャスだったり、ひたすら華やかなのが薔薇。対する信用金庫はいかがか。
実直の上にも実直であった。きょうび「利益第一主義ではなく」などという言葉を聞いてしまうと、耳がびっくりしてしまって体に悪い。
違和感の元を突き詰めると、対照的な属性の二項対立があった。あるいは、そのそぐわなさに信用金庫の頑張りを見い出すことや、逆にちょっとした不信や不安を感じることも出来ようか。実景が、綺麗な薔薇を活ける心遣いに和んでいるのも矛盾していて良い。いろいろと無理をしながら、句はあくまでも静かに、薔薇はただ美しく、そこに在る。
砂町の地質と水中花
砂町の人が買ひたる水中花
砂町は、東京都江東区の東部にあった旧地名である。現在は、北砂、南砂、新砂、東砂に分かれ、砂町地区・砂町エリアなどと呼ばれる。
江戸時代は、砂村と呼ばれる一大農業生産地帯で、砂村早生茄子、砂村胡瓜、砂村一本葱などが品種改良によって作出された時代もあった。現在は、北砂にある砂町銀座商店街が、戸越銀座・十条銀座と共に三大銀座商店街のひとつとして賑わいを見せる。筆者は昨冬、砂町エリアを案内していただく機会に恵まれたが、実に懐かしくも楽しいところで、今では手に入りづらい水中花も、砂町の商店街なら売っているかも、売っていそうと思わせてくれるような町だった。
掲句の鑑賞にあたり、この砂町という地名は肝であり、すべてと申しても差し支えない。6月の連作のお題のひとつは「水中花」で、「ゑひの歳時記」でも水中花について若洲が書き、上原は実況したので、この捉えがたい季語に悩んだことは記憶に新しいが、若洲と上原の水中花句すべての中でも、この句は頭ひとつ分抜けて異質だ。理由は商店街の懐かしさの向こう、その地質の特性にある。
砂、砂と砂まみれの地名は、江戸時代、1659(万治2)年に相模国の砂村新四郎によって開発された「砂村新田」に由来すると言われる。人名から取られたとは意外だったが、この地が「砂地」であったのもまた事実のようである。
東京都は、人口が密集した広大な海抜ゼロメートル地帯を荒川沿いに抱えている。最も低い地点はマイナス4メートル、それが砂町地区にある。ゼロメートル地帯は、川や海に囲まれながら、頑丈な堤防によって水の流入を防いでいるが、逆に、もし堤防が決壊してしまったら、それは、なだれ込むのだ。
そのような地質を持つ砂町、その住人が買う水中花。自らの孕む水没の可能性をまるで、水の中でしかひらくことができない水中花に重ねるような句の構成。人は陸に、水中花は水に。逆は無理だとつくづく思い知らされる。水中花と地質を連動させ、大きく苦しくイメージさせた手柄は大きい。筆者垂涎の句である。
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