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Chapter:42

2人のイタコからのメッセージ

前回の記事の続きです。

あっこちゃんはイタコです。
所謂、上から言わされてる類いの降ろす人で、今までも上からのメッセージを沢山授けてくれてました。

去年入っていたコミュニティーの場で、もう1人のイタコの中のイタコ・しのぶさんという方に3分くらいの短い時間で、

「ゴッホとかゴーギャンではなく、北斎の様な力強さがある」

ということを言われてずっと気になっていた。
数年前に上野の森美術館で北斎展を観に行ってたし、娘の応為の存在にも興味を持っていた。
あっこちゃんの鑑定の時にその話が出て、お互いに北斎と口にしただけで鳥肌が立って、何かあるねきっと、と言っていて、あっこちゃんからも、
「日本人の感覚をもって海外に作品を出していく」
「スピリットって言葉が出てくる」

とも言われ、更に思い出した様に「そういえば今しのぶさん無料で見るって言ってたから申し込んでみたら?」と。
すぐさま私はしのぶさんにDMを送った。
翌日返事が来た。

もうこの時点であっこちゃんが導いてくれたのを感じていたし、しのぶさんのご神託の始めにそれを伝えたら笑っていた。

私はずっと、自分が苦節30年ということを謳い文句の様に自己紹介をしていることや、これだけ苦労をしてきてもアートの道を辞めずにいたこと、逆に「ここで終わる訳がない」という根拠のない自信を抱いていたことが自分で不思議でたまらなくて、その裏側を知りたかった。

しのぶさんから出た第一声がやっぱりこれだった。

「晩年の北斎の作品の様な力強さ」

またしても震える私。
アーティストとして、そういうところへいきたいと願ってはいたけれど、もうその位置にいることに震えた。
人の見えないところでコツコツ積み重ねてきたもの、起こった出来事から奮起して何度も立ち上がってきたこと、自分が信じてやまない自分の感覚のこと、色々なことが駆け巡って腑に落ちた。

そして、ライバルがいないことや同じジャンルの人と話が合わないことも、私の制作は全部「感覚」だけでやっていて、物質的なもの(レンズはこれじゃなきゃダメとか、写真の勉強しなきゃとか、そういうことに興味がない)に意識が向いていないからということ。
それこそ悔しさの原動力が私の作品を動かす。
今までも一匹狼だったことも、これで腑に落ちた。

自分の感覚に従って、純粋に作品を作っていく・・・。
これ人にウケるかな?とか、思考の言葉に惑わされてる時は本来の私ではない。
これ今出したい!自分でイイの出来たから出す!ってところまでいかないと。
ただでさえ私は多くの人に認められたいというよりも、私の感覚にピンポイントに引っ掛かってくる人をお客に欲しい人だから、純粋に作っていくことがもっともっと大事になってくる。

この1週間の間に2人のイタコさんから言われた言葉は、血がたぎるぐらい凄く身に染みた。
自分でも自分のことが謎過ぎて困ってたから、体までスッキリしてる。
だから、2人には大感謝している。
有り難う!






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