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Chapter:43

嘘をつかないこと

私が居る写真界について。

私の撮り方は、色々な人と話してるとほんとに違う世界に居るんだなと思うことが沢山ある。

インスタを始めた頃は頭ひとつ出る為にハッシュタグの定期的入れ替えや投稿時間とか、花を撮ってる人がどんな撮り方をしてるか研究したり、あらゆることをやっていた。
その甲斐あってフューチャーが100回近くあった。
(今は既にフューチャーを掴みにいくことには興味がなくなった)

・・・興味がなくなった、はちょっと違うか。
普通にしてても私が狙っているターゲットに見付けてもらえる、ということが分かった、ということ。
これは私にとっては大きなことの様に思う。
例えば、密かに憧れてる手の届かない写真家さんがいいねをポン!とくれたり、そういうのが実は頻繁にある。
私自身、その位置に近付きたい、絶対そこに辿り着いてやるっていつも思ってるのもある。
それは本気を出してる時に叶うし、怠けてたらスルーされるので、今の自分の状態がよく見える。

インスタは映えとかオシャレとかそういうのが未だにもてはやされてるけれど、私は全く興味がない。
オシャレだったとしても、「作られたオシャレ」がオシャレといえるのか?と私は思ってしまう。
自分に嘘をついて写真をアップすることに何の意味もないと考える。
それこそ自分が花の写真を10年近く投稿してきて、色々試行錯誤してきて、尚更そう思う。

写真はその時の自分の状態を如実に表す。
どんなに加工してもそれは隠せない。
他に頼れば頼る程自分の価値は下がる。

これは写真界でいう「取って出し」がいいという意味ではない。
加工は今や通常運転だし、いじることは悪いことではない。

私がインスタで気を付けてることは、現代を表すこの世界で「嘘のない」写真を出していきたいと思っていること。
ありのままの自分で、撮っているかどうか、がポイント。

写真をかじって展覧会まで開いた人が、写真講座を開いているのをよく見かけます。
露出の使い方とかレンズの選び方とか教えてる。
私にしてみればそういうものは写真を撮る上で「必須ではない」ということを言いたい。
私もたまに講座みたいなのをやるけど、技術的なことは一切教えない・・・というより、寧ろ「マインド」のことしか教えない。
マインドより先に技術的なことを教える写真家は嘘臭く思える。
元々写真は「記録」する為に生まれたもの、そこを忘れていなければいいのだ。

先日あるテレビ番組で絶景の映像が出ていて、妙に鮮やかで違和感を覚えた。
最新のカメラ機能で撮ったとかそういうのではない。
「意図的な色いじり」をしてる。
人を呼び込む為なんだろうけれど、素人が実際行ってそれを撮ったとして、ガッカリするんじゃないかと。
私が言う「嘘」とはそういうことです。





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