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Chapter:45

導いてくれた引っ越し

思わぬキッカケで話が進んだ「引っ越し」という一大イベント。
私にとっては固定資産税とかその他諸々、長年の懸念問題だった。
それが雪投げによるご近所トラブルで、
「もう雪投げヤダ、体力的にも精神的にもヤダ」
と、声に出して言ってしまったくらいに。
雪国に住んでいたらよくあるトラブルではあるのだが、もう50年もお隣りとは揉めていたので、流石に嫌になっていた。
長年お世話になっている金物屋さんに相談したら、春には雪止めを取り付けるからそれまで我慢してくれ、と言いに行ってみなさいとアドバイスをもらって実行した。
それが1月半ば。

3月半ば、蛇口の不具合で金物屋さんが来た時に、引っ越しを考えていることを話したら、信頼できる業者を紹介してくれて、その日の午後には業者が来て、家解体&売却・引っ越しの大まかな概算を出してくれた。
土地的に複雑なこともあったが、色々な事情も汲んでくれて丸ごと買い取りも出来ると言われ、残ったお金で引っ越しも出来るなと思って話を進めた。
そこから連日業者との打ち合わせをし、たった2週間で新しい住処まで決まるという恐ろしいスピードだった。

4月の頭に新居の契約に入り、そこから3週間で荷造り、引っ越し、に至る。

この引っ越し、金物屋さんと業者がタッグを組んで大型ゴミだの私達が車がなくて捨てれないものを全て処分してくれて、オマケに荷物搬出・搬入も一手に引き受けてくれた。
これは生前父が金物屋さんに通っていたこと、金物屋さんも父と仲良くしてくれていなかったら出来なかったことだと思う。
そういう人と人との繋がりとか、今の私の人脈が全て助けてくれた。
相談に乗ってくれた人、アドバイスくれた人、家具を買いに車を出してくれたイトコ、心が折れない様にと励ましてくれた親友達・・・。
引っ越しが決まった途端、そういう必要な人達が色々なところから集まってくれるという奇跡みたいな流れが出来ていた。
物凄いスピードで、しかもスムーズに事が運んだ。

というのもこの引っ越し話には、裏での強力な助っ人がいたのである。

1月半ば、お隣りに雪のことで脅された日、私は信頼出来て適切なアドバイスをくれるたえこママとあっこちゃんに真っ先に連絡を入れていた。
朝はたえこママに、夜はあっこちゃんに話を聞いてもらって・・・。

この時あっこちゃんと最後の会話になるとは思ってなかった。

夜、あっこちゃんとは3時間半にも及ぶ会話になった。
そこで彼女の口から出たのが、
4月を目指して動こう」
「何度みても4月なんだよな~」
「うん、4月には新しいとこにいるよ」
と、「4月」というキーワードを何十回も繰り返し言っていた。


彼女とは同い年なのもあって今まで人に話せないことまで色々な話をしてきた。
常に私の作品経過をみてくれていて、もっともっと上にいけるからと応援してくれていた1人でもあった。
私の花写真に涙し、購入してくれ、「この写真、棺桶までもってく!」まで言ってくれて、私にとっては「こういう顧客が欲しい!」と思っていたのを絵に描いた様な人だった。

その日の会話の後半、あっこちゃんは疲れたからと横になりながら話していた。
彼女の病気のこと、体調がずっと思わしくないことを以前から知っていたので心配だったから、話を切り上げようと考えていたらそれを蹴散らす様に彼女は、私が納得するまで言葉を紡いでいた。
今思うに、自分の残された日を分かってて、思い付く限りを話してくれていたように感じる。

「また泣かす様な作品生み出してよ」

「詠ちゃんはもう自分のこと分かってるから言うことないんだよなw」

いつも私に繰り返し言っていた言葉・・・。

今、あっこちゃんが居ないことがとても寂しい。
息子さんから連絡をもらった時も、深く狭く人脈を築いていく自分の中での重要人物が居なくなったと愕然とした。
この時も引っ越し準備の最終段階に入ってて、たえこママと話して「引っ越しの時いてくれるんじゃない?」とママが言ってきて前向きになれた。
ほんとに引っ越しの数日前に居なくなるなんて・・・。
ちゃんとお礼報告したかったよ。
沢山感謝してる。
あんなに愛のある言葉を紡げるあっこちゃん、勿体ない気持ちでいっぱい。

この記事をいち早く書きたかったのだが、引っ越しと重なって今になってしまいました。

最期に話した日、うちの仏壇がいい氣が巡ってるって言ってくれた。
引っ越しした日、仏壇をどう備えるか2人で考えていたら、以前あっこちゃんにみてもらった母が、
「あっこさんいたらこれでいいのか聞けるのにね・・・」
と呟いていた。





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