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【コダイ妄想】『日本書紀』とは「物語」である

日本人が国の歴史として信じていることの多くは、誰かが作ったご都合主義のフィクションを多大に含んでいる…私はそう考えます。

ですが、「『日本書紀』は国史。日本は皇系がひとつなんだからその国史に偽りはない」という風潮が未だ根強いように感じます。(特に世代が上がれば上がる程に…。教育の過程においての差異ですね)

けれども、日本史をきちんと自ら学んだ人であれば、実は皇統が一系統でないことや、国史『日本書紀』が真実のみを語っているのではないことを気付かないわけはないと思います。それを否定したい人も多いとは思いますが…。

『三国志』好きで中国の歴史に詳しい人に「中華の国々は自分たちが滅ぼした前王朝(国)の歴史を焚書にして新王朝が旧王朝の歴史を著すから、自分たちに都合が悪いことは書かない。捏造された歴史書だ。でも日本はずっと皇位が繋がっている国だから正しい歴史をまとめている」と言われたことがあります。

本当にそうでしょうか?

蘇我氏が滅ぼされた時に、『旧辞』『帝記』と呼ばれるそれまでの記録が一緒に燃え落ちたとされています。

…これは、中国でいうところの焚書―前王朝の記録を消し去ったのではないでしょうか?

消し去ったのはもちろん、『日本書紀』編纂~完成時の権力者・藤原不比等でしょう。

不比等は自分たちに都合の悪いことは消し去り、自分の一族に都合のいい物語を挿入して、『日本書紀』という物語を完成させたのでは?…これは歴史学者・研究者さんたちの中にもよく唱えている人がいる説ですね。私も賛同します。

そもそも『書物』や『物語』は何かを記録するためだけではなく、何かを伝えたい、後世に残したいから著されます。このnoteでライティングをしている皆さんも、ご自身の伝えたいことがあるからこそ、書くという作業をしていますよね。『日本書紀』も同じです。

ではなぜ『日本書紀』は誰に何を伝えるためにつくられたのか?

皇位が一系統だとする歴史観の中でも「国が律令国家としてまとまったからその記録として」「中国のように国史を残し、外交の際に文明の発達の証としたがため」などいくつものアンサーがあると思います。

…ですが、それでは『旧辞』『帝記』とは何だったのでしょう?ということになりますよね?

(燃えちゃったから作り直したんだよ!と不比等は言いそうですが、そもそもそれを焚書にしたのは誰か?って話ですよね。蘇我氏と共に燃えたのは後世の言い分。本当は書記編纂後に焚書にしたのでは?と思ってます)

私は天智・天武朝頃までは皇位は一系統ではなかったと思います。

蘇我氏と共に『旧辞』『帝記』が燃やされたのは、前王朝・蘇我王朝の記録だったからだと思うのです。

そう、中国と同じことをしているのだと思います。

『日本書紀』は、皇位が一系統であるというストーリーを後世に残すために編纂された物語だと思います。

奈良時代にはじまり、平安時代に隆盛を極めた藤原氏は天皇の外戚となり権威を振るいましたが、実はそのはじまりは飛鳥時代ですよね。天智・持統以降の王朝は藤原王朝であり、皇位を一系統とすることで藤原氏の権力を確固たるものにしているのです。そのための布石のひとつが「国史『日本書紀』」編纂だったと私は考えます。

つまり「皇位一系統」という物語を語るためにつくられたのが『日本書紀』というわけです。


冒頭の写真は伊勢・瀧原宮に置かれたパネルで、ベースは『倭姫命世記』という書物です。これはその名の通り天照大神の御杖代として旅した倭姫の旅の物語です。そう、これもまた「物語」。天照大神の信仰を広めるためのストーリーを伝えるために書かれています。伊勢神宮の歴史ではあたかも「真実」のようになっていますが…。

「歴史」というものは結局、後世のご都合でどんどん変わっていくものだと思います。だからこそ「正しい歴史」「本当の歴史」を求めるための研究が日々なされているのです。


現在もこの「歴史の捏造」は日々行われています。

例えば「レイラインを町の歴史として認定しよう」という某県某所や、

町おこしのための利権絡みの不確かな歴史観の押し付けや、

ストーリーありきの演繹法で番組を作るテレビ番組などなど…(この件については後日改めて)

数十年、数百年後、こういった現在の捏造歴史が正史として跋扈しているかもしれませんね。

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