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【コダイ妄想】万世一統を一刀両断

「万世一統」とは『日本書紀』の語る物語で、それは藤原氏が権力を掌握するために創作された…というお話をしました。

では、古代の皇位はどのようになっていたのか?

これは沢山の学者が寄って集って議論しても答えの出ない古代史ミステリーのひとつですよね。
私も自分なりのその推理をここで披露してみたいと思います。

1天智と天武は兄弟ではなく義兄弟

まず1つめの持論として
天智と天武の頃までは王権は不安定だったと考えています。
天武天皇については出自がかなり曖昧ですが、実は天智天皇にも「?」と思われる点が…。
そして古代では、近親婚は多いとはいえ、天智天皇の皇女を天武天皇はお迎えしすぎ…。
これは政略結婚だとしか、私には思えないのですが…。
そして、額田王と間人皇女もまた謎の人です。

2蘇我氏王朝が存在した

蘇我氏は大君―古代の王朝のひとつであったと思います。
蝦夷や入鹿の邸を「宮」と呼んでいた不審さや、蘇我氏の館に『旧辞』『帝記』があった理由も全てすっきり解消されます。
また、聖徳太子の正体は馬子の長子の善徳だと思われます。
蘇我氏の出自などが極めて曖昧であるのは、前王朝の存在を証拠隠滅したのでしょう。

3物部氏も古代王朝のひとつ

蘇我氏と対立し敗北をし、歴史の舞台から姿を消した物部氏…。
この氏族ほど謎のベールで隠匿された氏族もいないと思います。
ニギハヤヒ以前にこの国にいた…とか、アマノトリフメでやってきた…とか、聖徳太子が先勝祈願をしたせいで滅びた…とか、どの逸話にも史実らしい史実が感じられないのです。
その反面、氏神である石上神宮は今も尚、厳かにその姿を伝えています。

4大宰府は九州の王朝の跡

子供の頃から抱いている謎が「何で防人は遠い東国から九州まで行かねばならなかったのか」です。
成人してから初めて大宰府を訪れ、その道すがら、鬱蒼とした水城跡を見た時に「ここは城だ!」と直感しました。
そして、水城は唐ではなく大和から攻め込まれたときのために築かれたのでは?と。
だとしたら、当時大和は有力豪族(大君)として大宰府の北九州と対立していて、そのため人員を遥か東国から運んで来ていたのでは?
そしてこの北九州勢力こそが「倭」の国です。

5出雲王朝も存在した

出雲国~丹波・播磨エリアにかけても王朝が存在したことは、出雲大社や出雲国風土記からも明らかです。
記紀に記載がないのは、消し去るべき脅威であり、自分たちが滅ぼした王朝だからでしょう。

同様に諏訪大社の諏訪エリアにも別の大君がいたのかも…とも思います。

6高千穂に降臨した天孫とは?

高千穂に天孫が降臨した―この話は明らかに不比等を中心とした当時の物語だと思います。
アマテラスを皇祖神として祀り、持統天皇の孫・文武への皇統を擬しているという説はよく語られているものです。
逆を突くと、このアマテラスの逸話をほぼフィクションだと捉えることで、『日本書紀』が隠したものが何かが見えてくる…はずです。


以上の妄想から、それぞれの歴史の謎に切り込んでいきたいと思います。

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