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ひとりぼっちの山歩き

十代後半から、なぜか人と接することが苦手になり、ひとりでいることが多くなりました。
どうしても集団に溶け込めない、みんなが楽しんでいる事が楽しめない、ひとりでは寂しいのにひとりの方がラク…

今思うと、人並み外れて自意識が過剰だったんでしょうね。

そんな自分がある日出会ったのが、この本でした。30年近く前のこと。

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本書は山登りの素人だった著者佐古清隆氏が社会人になってからおっかなびっくり始めた登山にはまっていく姿を描いた、一風変わった登山ガイドブックです。1987年刊。
どういうきっかけで本書に出会ったのか記憶の彼方なのですが、当時漠然と山に登ってみたいとは思っていたのでしょう。
でも、山岳部や登山サークルといったいかにも集団行動を連想させるような恐ろしい所にはとても所属する気にはなれなかった。そんな自分にぴったりの本でした。ちょっと引用してみます。

 自分自身を距離を置いて眺めると、都会の延長のような雑踏の山にいようと、たったひとりの山にいようと、孤独感にさして違いがなく思えたりします。寂しさに耐えられなくなることはあまりありません。強がりでいうのではなく、むしろ、単独行という世界にひたっている心地よさを感じます。
 それでも、年末年始に屋久島・宮之浦岳に登ったときは、おおみそかに紅白歌合戦を見て、正月に晴れ着で初詣する人たちの姿を思い浮かべ、寝袋の中の自分が少し寂しくはありました。山の中にいても、日常生活の節目が意外なほど心の奥底に定着しているのを発見したりします。

著者の佐古氏も、決して人間嫌いではないんでしょうけど、やはり集団の中にいるより一人でいることを好む人なんでしょう。
もしかするとその頃の私は「自分と同類の先輩を見つけた!」と思ってしまったのかも知れません。

本書に導かれ、二十代の頃はよく山に登っていました。
1000mにも満たない近くの里山から始まって、数年後には3000m級の山にテントを担いで登るようになっていました。
とはいっても、ずっと単独、独学ですからいつまでも素人っぽさが抜けず、ベテランの登山者の方が見たら滑稽な姿だったのではないかと思います。もちろん山岳部のようなハードな登山などとてもできず、特に高山は夏山ばかりでした。
それでも、もともとひ弱で体力も無く、運動も苦手で、しかも人に教えを乞うことができないひとりの趣味でしたから、今振り返るとまあよくあそこまで出来たもんだと思います。

踏破した山の思い出は数々ありますが、中でも甲斐駒ヶ岳の山頂で見た天の川が強く印象に残っています。
あんなに綺麗な星空は、それまでの人生でも、その後の人生でも、見たことがありません。

二十代の頃夢中になった単独登山、三十代になると生活の変化で次第に山から足が遠のき、今では1年に1回程度、近くの低山に散歩の延長くらいの感覚で登るだけになってしまいました。

そして、山に入るたびに撮っていた写真(当時はフィルムカメラです)、欠かさずに付けていた山行記録のノート、いつの間にかすべて無くなってしまいました。

あの数々の素晴らしい山々の景色、自分の行程、今ではもう私の頭の中にしかありません。


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