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人に興味がないのは、自分に興味がないから?


「人に興味がない」

そのような言葉を言っている人を、よく観察してみると
なんとなく感じるものがある。

それは、「自分自身に興味がなさそう」
ということ。

自分が何が好きで、何が嫌いで
どんなことをしたいと思っていて、
だから今これをしている。

みたいなことが、かなりぼんやりしてるように感じる。

それ自体は全然悪いことじゃないし、ぼんやりしててもいいと思うけど、


他人への興味と、自分への興味が関連していそうなところに面白さを感じる。


ある研究があって、細かい内容は忘れてしまったけど

「相手のことをどれくらい分かりますか?」

みたいな実験だったと思う。

その成績が高い人は、
自分は〇〇な人間だ、という項目を11個以上書くことができた人だった。

人は見えるものを見ているのではなく、
見えたものを見ている。

意識したものしか残らない。

スタンスミスの靴を買えば、スタンスミスが街に溢れかえるように
実家の車と同じ種類ものが走っていれば、あの車ばっかり走ってるんじゃないかと思うように


相手の何かを見ようとする時、
それは自分に関連するものしか見えないのかもしれない。
自分自身への解像度が高ければ、高いほど、沢山のものを受け取ることができるのかもしれない。

だから、自分自身への興味が薄いと、自然と他人への興味も薄れる。

なぜならそもそも見えないのだから、興味の持ちようもない。


僕は
なぜこの人はこうなったんだろう
なぜそれが好きになったのだろう
何を1番大切にしているのだろう

と興味が湧くことが多い。

それは逆に言えば、自分自身に対しても同じようなことを思うからだろう。


これからも枠にはまらず、あらゆるものに興味を持っていきたい。
そうすると、自然と見える世界の解像度が変わる気がする。

それは別の人生になっていくような破壊力があると思う。

そして、僕は1人では生きていけない。

人と関わりながら生きていく。

その中で、全員ではなくとも、誰かと深い関係を築いていきたい。

その為にも、相手のこと、そして自分自身のことも興味津々でいようと思う。

言うは易く行うは難し。

昨日の自分より、今日の自分より、少しでも前に進めたら。

全ては僕自身の幸せに繋がる気がするから。

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