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「走ってて、何が楽しいの?」

以前の投稿で、東京マラソン開催以前の、今に比べ、ランニングが市民権を得ていなかった頃に、頻繁にされた質問について、二つご紹介しました。

一つは「ホノルルマラソン、出たこと、ある?」、もう一つは「走ってる時、何考えてるの?」でした。

更にもう一つ、同じくらい聞かれたのが「走ってて、何が楽しいの?」です。

今でこそ、ランニングの魅力が、走らない人たちにも浸透して来ていると感じてはいますが、当時は、ほとんど理解されていない状況だったと思います。

走らない人たちのランニングに対するイメージは、「苦しい」、「単調」、「楽しくない」、「部活での嫌な思い出」等々、マイナスの印象しかなかったのではと、推測しています。

そんな状況から生まれていたのが、「走ってて、何が楽しいの?」という質問だったと思います。

苦しくて、つまらないことを、よりによって、自分の趣味として、なぜするのか?更には、お金を払って、どうして、マラソン大会に出場するのか?純粋に不思議でならなかったと想像します。

この質問も、本当によく聞かれたので、質問されると、「またこの質問か…」とうんざりしたものですが、毎回「どう答えれば良いのかな~?」と、答えに窮する感じがしていました。

それは、シンプルに「だって、走るって、楽しいから!」と答えられない気持ちがあったからだと思っています。

自分自身、毎日、人から強制されている訳でもなく、自発的に走っていて、改めて「走ってて、何が楽しいの?」と聞かれると、様々な感情や理由が頭の中を駆け巡ります。

正直、走っていて、純粋に楽しいと思える時間は、全体の2割くらいです。一般的に言われる『ランニング・ハイ』の状態になっている時間帯なのですが、その時間は、多く見積もっても、2割くらいといったところです。

後の時間は、走らない人たちが想像するように、「苦しい」だったり、「早く終わらないかな~」といった、マイナスの感情が多くを占めています。

そのような状況なので、「走ってて、何が楽しいの?」と聞かれると、「いや、あまり楽しいとは思っていません」と、先ずは、答えていました。

でも、それとともに、次のように答えを続けていました。「楽しい時間帯もありますが、走り終わった後の充実感や達成感を感じたいから、走っています」。

何か、質問にダイレクトに答えていない感じを持たれるかもしれませんが、走っている時の思いや感情を表現すると、そのような、少し複雑な感じになってしまうのです。

私は、「楽しい」と自分が思えることを、物事を続ける基準にしていますが、その「楽しさ」には、二つ意味があると考えています。

一つは、純粋に、且つ刹那的に、「楽しい!」と思える楽しさ。私の場合は、カラオケや飲酒、グルメ、旅行などが、それに該当します。

もう一つは、自分が成長出来ると期待を持てる何かをしている時の「楽しさ」です。その行為を行っている最中よりも、そのことをすることで、将来、違った自分になれる!という期待感に対して、「楽しい!」と思える「楽しさ」であると考えています。

ランニングは、まさに、後者に当たります。目標としているタイムやランニングフォームにたどり着けることを楽しみに思いながら走る。「だから、走る!」ということになります。

前述の走り終わった後の充実感や達成感は、その目標に対して、今日走ったことで、「一歩近づくことが出来た!」という満足感に他なりません。

「苦しさの中に、楽しさがある」という自虐的な感情なのかもしれませんが、走る行為には、そのような、単純ではない、奥深さがあると思っています。

そんな奥深さに導かれて、これまで、37年間走り続けて来ましたし、これから先も走り続けていくと思います。







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