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成人が二分の一成人式を思い出して

こんにちは。ちょっと真面目な記事を、真面目に執筆してみようかなと思いまして。

久々に、やる気を出してみましたよ。
まあ、内容がどうなってしまうかは、まだ序文を書いている今の私には分かりませんけれど。それでもよければ、この文字海原を進んでみてください。


成人式って、なんだか呆気ない

先月、成人式を迎えた私ですが、実は、その式自体には遅れて行きました。

まあこれは単純に、午前中唐突にボロボロのブーツで行くわけには行かないからと新しいブーツを買いに行ったとか、自分で着付けをしないといけなかったのに寝坊したとか、大して派手でもない化粧に慣れていないため時間がかかったとか。

十割私が悪い遅刻でしたし、友達も待たせることになってしまったのでそれについての申し訳なさは未だに残っているのですが、それでもまあ、良かったかなと思っています。

なんだか、身の丈に合っている気がして。
とても独り善がりな物言いになってしまいますけど。

周りの人は、とても華やかでした。
私は袴を着ていったし、着付けは自分だし、髪の毛のセットは母だし、化粧も得意ではないしで、周りと比べるとどうしても見劣りしてしまう。
一方周りは、普通に振袖を着て、美しい帯を背負って、髪をふわりとセットしていて、目元がキラキラするような、派手だけどよりその顔が引き立つ化粧をしていて。

中学の頃のあの子、高校の頃のあの子とは全然違って、本当に輝いていた。
それなのに、自分だけは何も変われていないのだと思い知らされたような気がして、恥ずかしいというよりも虚しかったのだと思います。

でもまあ、そんな時間って、あっという間に終わっちゃうんです。

本当に久しぶりに会ったのに、いくつかプリ撮って、ちょっと話して、さようならって。
当日なんて、そんなものなんです。

友達の多くは、成人式の前後は挨拶回りをしていたようですが、私は前撮りの時に挨拶は済ませてしまいましたし、そもそも片親ですから挨拶へ行かなければいけない場所も、みんなと比べれば半分なわけですし。

だから、帰って、ちょっと母に写真を撮られたら、袴を脱いでおしまい。

普通に振袖着たかったなぁ、なんて心残りがありながらも、私の最初で最後の成人式、一生に一度しかない成人式は、それで終わりました。

ほらね、呆気ないでしょう?


二分の一成人式はどうだったかな

今からちょうど十年前、小学四年生の頃に行ったであろう、『二分の一成人式』を思い出してみました。

一種の学校行事のようなものでしたから、もっと馴染み深い言い方をすれば、参観会でしたね。

けれど、私の小学四年生は、学校どころではない時で。
家庭が、一番ドロドロとしていて、これ以上ないくらいに壊れていて、毎日生きることがやっとのような、いつ死んでもおかしくないような、小学生ながらにそんなことを感じてしまうような状態でした。

家での食事がなく菓子パンで腹を満たし、まともな睡眠時間の確保すら難しい生活だったので、貧血というか軽い栄養失調というか、そういうので倒れた小学四年生。
身の危険を感じ、父から逃げるために度々、母の実家で寝泊りしていたのも小学四年生。
ある日突然、別居という名の引越しをしたのも小学四年生。

そんな中で行われた二分の一成人式は、私のお母さんは来なかったと思います。もしかしたら、そもそも、実家に逃げていたせいで当日欠席だったのかもしれません。
そのくらい、何もかもがめちゃくちゃで、何がどうなっているのか、当事者が一番分からないような状態でした。

まあでも、二分の一成人式に向けての資料作り、みたいなのをした記憶だけはあります。

生まれた日時や病院、身長、体重。
あの時、両親はどう思ったのか。
誰が駆けつけてきてくれて、どんな状況だったのか。

それから、名前の由来。

色々なことを両親に聞いた記憶と、アルバムを開いて調べた記憶が、うっすらと残っています。
かろうじて家庭の形を保っていた頃の記憶が、そういう会話をしたという記憶のような気がします。もしかしたら本当は、たまたまその時だけ会話できただけで、実際は悲惨な有様だったのかもしれませんが、例えそうだとしても、当時の私にとってはとても嬉しいことだったのです。

それだから今、『思い出』として心の中に残っているのであり、
それだけが私にとっての『価値』なのです。


名前の由来

もしかしたら、以前noteで書いたことがあったかもしれませんね。

私の名前は『結莉』と書いて『ゆうり』と読みます。
漢字はお寺でもらったものだそうなので、両親から意味は聞いていません。

由来の方は、「ユーリ」という世界一のボクシング選手がいたらしく、その方から取られたそうです。
『誰にも負けることのないものを持って欲しい』という想いを込めて、父がつけてくれた名前でした。

私の名前の由来を初めて聞いた時、おそらく例の二分の一成人式の準備の初歩段階で聞いたのだろうと思いますが、その時の私は自分の名前がちょっと嫌だなと思いました。

世界一の人なんてたくさんいたはずなのに、どうして男の人、それもボクシング選手からとられたんだろう、って。
当時の私の『世界一』といえば、幼い頃にフィギュアスケートで世界王者となった荒川静香選手だったので、どうせならそういう美しい競技をしてる人からとって欲しかったなぁ、なんて思ったことをよく覚えています。

というか、自分の名前の由来を知った感想に、そう書きました。
そう書いたものを、父にも見せました。
だから、めちゃくちゃよく覚えています。


成人した私は、この名前が大好き

幼い頃はそう感じていた名前ですが、成人した今、私は自分の『結莉』という名前が大好きです。

『結』という字が好きです。
誰かと誰かを、誰かと何かを、私とあらゆるものを結び付ける力を持っているような気がして、いつだって私に力をくれます。

『ゆうり』という音が好きです。
日本人の名前ではありますが、元はどこか別の国の人の名前。きっと、世界のどこでも通用するような名前だろうなって、勝手に思っています。
それに、『世界一』という想いが込められているわけですからね、私を強く奮い立たせてくれている気がして好きです。

あとは、『有利』と掛かっているところも好きですね。
どんな場面でも絶対に負けなさそうでしょ?


式に意味なんてないね

特別な行事って、自分が新たな一歩を踏み出すためだとか、新たなステージに上がるためには大切な物だと思います。

入学式とか、卒業式とか。
私はベンチャーに就職したため未体験ですが、入社式とか。
それから、二分の一成人式や、成人式もですね。

生きている時間って、ただただ生きているだけでは本当に何もありません。
基本的には、延々と同じような日々が繰り返されるばかりですし、御伽噺ではないのだからある日突然不思議の国へ迷い込むこともなく、心躍る何かと出会えることなんて滅多になく。

生きていけば生きていくほど、生きることに飽きるものでしょう。
それが行き過ぎれば、生きることに嫌気がさし始める。

だから、入学式や入社式も、卒業式も、前も後ろも右も左も分からないままに生きてきた時間の流れに一区切りつけてくれる、区切りがつくことでさっぱりするという意味では、大切なものだと思います。
飽き飽きするほど長くて鬱陶しくて堅苦しい儀式も、なんだかんだ、自分を変えるとか、意識を変えるとか、新しいことを始めるとか、そういう転機にはなってくれるでしょう。

正直なところ、その式自体に大きな意味や価値があるとは思っていません。
強いて言えば、生きることについての様式美の一つだと思っています。

うーん、なんだか言いたいことが上手くまとまらないこの感じ。
なんだろう、その様式美が、なんらかの形で『思い出』として自分の中に残り続けるのならば、それこそが本当の意味や価値になるのではないかな、と思います。

私の中に、お父さんと話した記憶が残っているように。


背伸びなんかしても成人にはならないけど、
そのうち呆気なく成人になってしまう

さて、そろそろまとめに入りましょうか。

小さい頃って、誰だってみんな、周りの大人に憧れていたと思います。

親は子どもにとっての世界そのもので、お母さんなら、お父さんならなんだって知っているんだ!って思っていたことは誰にだってあるでしょう。
外へ一歩出て、保育園・幼稚園や学校、習い事なんかで出会う先生は、いつだって自分よりも先を進んでいて、今まで知らなかった世界を教えてくれて、今まで知らなかった自分に気づかせてくれました。

中には当然、歪んだ眼鏡で理不尽な評価を下してくる大人や、何かにつけて怒鳴り散らすような大人、些細な失敗を見せしめにしてくるような大人もいました。
そういう人に対しては憧れどころか好感を抱くことすらないと思っていましたが、そういう大人の中にも実は、思慮深く私たち子どものことをよく見ていて、やり方は間違っていたかもしれませんがしっかり理解を示してくれる人だっていました。

人が成長する中では、大人だけでなく、たくさんの子どもにも出会います。
自分と同級生の子、自分より少し年上の人、自分より少し年下の人。

誰だって、星の数よりたくさんの出会いの中で、本当にたくさんのことを感じとり、考え、学び、育ってきたはずです。
そしていつの間にか、小さい頃はいくら背伸びしても届かなかった大人が、欲しくもないのに与えられてしまうレッテルとなって、今の私に貼り付けられているでしょう。

本当に、人生って呆気ない。
どれだけ欲しくても手に入らなかったのに、いらない時にばかり手に入ってしまって。


完成度はイマイチになってしまったかもしれませんが、これを最後の『二十歳に向けて』マガジンの記事にしておこうかなと思います。

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