見出し画像

自分を大切にする方法がわからない

 こんばんは。
 台風が過ぎてから、一気に気温が落ちましたね。

 どうやら私は、あまり身体が丈夫な方ではないらしく、昨晩は一時的な腹痛(おそらく冷えによるもの)、今日の夕方は謎の吐き気に襲われていました。
 しばらく休んで良くなったので、暖かくしておとなしくしていようと思います。


小学生の絶望

 私が小学4年の末、両親が離婚しました。
 私たち兄弟は母に引き取られ、転校することになりました。

 家族が壊れること、住み慣れた家を失うこと、友人を失うことを、全て同時に体験しました。信じていた親に裏切られて、大切にしていたものが一瞬にして消えた心地でした。
 また、新しい場所での人間関係構築や、慣れない生活に慣れることなんかも、同時にこなさなければいけませんでした。

 まあ、転校を経験したことのある人にとってはありふれたことだと思います。
 でも、小学4,5年生の私にとっては、絶望するに十分すぎる材料が揃い切っていました。

 私の人生で、一番ひねくれていた時期は?と問われたら、小学5,6年生と即答します。
 何もかも全てがどうでも良かったので、平気で人を傷付けることのできる人になってしました。怪我をさせたこともありました。大ごとになって、別室で先生と長い時間、お話したこともありました。

 私という人間の始発点は、もしかするとそこにあったのかもしれないなぁと、今更ながら思います。


中学生の絶望

 中学生になった途端、心機一転。

 誰かを傷付けることを辞めました。
 このままではいけないと思ったからです。

 けれど、平和な時は、中学生活の半分くらいしか続かなくて、PTSDを発症しました。
 決別したつもりになっていた過去が、どうしようもない形で私を壊しにきました。

 ひたむきな努力も、前向きな気持ちも、なんの意味も無いんだなと感じました。

 また、不登校気味になり始めたのもこの頃で。
 学校へ行きしぶる私に、母はキレました。
 母は仕事に行く、あなたは学校に行くのが当たり前だと言われました。
 当たり前のためになら、自分がどうなっても構わないのだと理解しました。私はそれなりにしんどくて、学校を行き渋っていたので。


高校生の絶望

 ある時、私は学校に通うのが、とてつもなくしんどくなりました。
 色々と用事が重なっており、あからさまに多重タスクだったなぁと、今なら思い返すことができます。その程度の理由です、きっと。

 ずっと我慢して頑張ってきて、学校のことに一区切りがついて。
 私は気が抜けたのか何なのか、もう頑張ることができなくなりました。頑張る気力すらも湧いてこなくて、ただただしんどい気持ちしかありませんでした。

 だから私は、学校を休みたいと母に伝えました。
 キレられました。ヒステリーを起こされました。
 怒鳴られて、喚かれて、泣かれて、叫ばれて、何を言われたのかは全く記憶に残らないけれど、心の底から引いて、心の底から軽蔑していたあの気持ちだけはよく覚えています。

 私は、何をしても無駄なのだと思いました。


頑張れない私に、私は用はない

 学校って、頑張った生徒が注目されるのは当然なことだと思うんです。
 別に、100%頑張りである必要はありませんし、100%その場の思いつきで、人の気を惹く何かを生み出せれば、それはそれで素敵なことだと思います。

 しかし家庭って、本当は、頑張らずとも、親に見てもらえるのが当然の場所だと思うんです。

 テストで100点を取らなくても、テストを渡せば見てもらえるし、ご飯を完食できなくても、どれくらい食べたかは見てもらえる。
 少なくとも、100点でないテストに「どうして100点じゃないの」とか、残されたご飯に「どうして食べキレないの」とか、そういう風に怒られる必要は、全く無いと思います。

 むしろ親としては、『何故』に向き合う必要があると思っています。
 テストならば、得意・不得意を見極める必要があるし、不得意なものはなぜ不得意なのかを考える必要がある。小学生の頃の基礎ができていないのか、先生の教え方が悪いのか、この分野が苦手なのか。
 ご飯ならば、いつもはどれくらい食べているのか、苦手な食べ物は何かを考える必要があって、いつもより少なければ、体調が悪いのかもしれないし、何か悩みがあるのかもしれないので、それを聞いてみる必要がある。苦手な食べ物ならば、ひと口だけ食べてもらったり、調理法を変えたり、今後食事で出さない(あるいは本人だけ別メニューにする)など、いくらでもできることはあります。

 でも私の家庭は、根本的に、親がそこに対して向き合おうとはしなかったんですよね。
 まあ、テストの点で怒られたことはありませんが、逆に褒められたこともあまりなかった気がします。ふーん、で終わり。

 母だけでなく、父もそうだと思います。
 そもそもとして、両親ともに、自分の視点でしか物事を語れず、後先を見通す計画性も無く、自分の信じたものが絶対だと思い込むタイプです。加えて、二人揃ってプライドが高いくせに、自信を俯瞰できないので、実力を測ることができず、無謀なことをする。
実際、家庭が一つ壊れていますし、娘はめでたくPTSDになりましたとさ。
 これが片方だけならば、まだどうにか救い用があったのではと思うのですが。父の歪んだ推進力に、母の歪んだ献身性がかけ合わさったので、落ちるところまで落ちたんだと思います。

 話を戻して。
 家庭をぶち壊せるまで自分のことしか考えていない親なので、当然、子どもに対して裂ける余裕はありません。
 あったとしても、『褒める』と『怒る』の二極化で、親の機嫌の良さや、子どもの持ち込んだ何かの内容(テストやご飯の残し、兄弟喧嘩など)によって、気まぐれで褒めたり、気まぐれで怒ったり、気まぐれで許したりするわけです。

 気まぐれなので要するに、親のお気持ち汲み取りゲームが始まります。
 いつテストを渡せば褒めてもらえるのか、いつ「お腹いっぱい」と言い出せば怒られないのか。

 褒められる努力、怒られない努力、機嫌を損ねない努力をしなければいけないんですね。

 ありのままの自分自身が見てもらえるということさえ忘れて、よく思われるための自分というハリボテを作って固めて、自分の外側を褒められます。
 そんなふうに褒められても、あまり嬉しくはない。だって、見てもらえて、褒めてもらえているのは、ありのままの私ではなく、私がいい感じにこしらえたハリボテだから。

 でも、それができなければ、見てもらえないし、気に留めてもらえない。
 だから、頑張れない私に、私は用がなくなるわけです。

 つまらない自分、さようなら。


自棄になるのは簡単だった

 私の母は、ことあるごとに「どうして普通にできないの」と言って、母の中での『普通』、つまるところ母の『理想』を押し付けてきました。
 当然のことながら愚かな私は、ずっと、「普通ではない私に価値はない」と思い込んでいました。当たり前のように否定され続けてきたのでね。

 何か私が頑張れば、母は褒めてくれました。上手くいかなければ、慰めてくれる時もありましたが、どうしてそうなっちゃうのとヒステリーを起こされることもありました。これもまた、お気持ち汲み取りゲームですね。
 もっと言うと、上手くいかない時に求めているのは、同情や慰めよりも、次にできることを一緒に探すとか考えるとか、一歩進んだその先の話です。(気持ちをただただ聞いて同情してほしい場合もありますが。)

 私が何かをすることで、母を悩ませるか、母に否定されるかのどちらかなので、私自身には、自分が無能だという気持ちと、親に迷惑をかけるダメなやつだという気持ちと、生きているだけで母にとって邪魔なのではないかという気持ち程度のものです。

 自信や自尊心、自分を大切にする気持ちなんかは、そもそも持つ必要がないし、持つための理由もありませんでした。
 果てしなくどうでもよかった。そんなものを持っている奴は、向上心のない馬鹿くらいに思っていました。
 だって、自信を持ったら傲慢になる、自尊心を持ったら自信を客観視できなくなる、自分を大切にしていたら自分よりどうでもいい人を平気で傷つけるでしょう。

 そういう紆余曲折の末に、極端に自分の価値が低くて、自分を大切にできない人になりました。
 そして私は、そんな自分を正しいとさえ思っていました。

 間違っているとは言いませんけど。
 そのバランスで、ギリギリのところかもしれないけれど、壊れ切らずにどうにかなっているのは、よく分かりませんよね。


親の教育を忠実に守ってるつもり

 間違ってると言い切れないのは、そうしてできた自棄の塊な私は、親の教育を忠実に守った末のカタチだと思ってるからですかね。

 小学生の時の経験から、期待や信用は馬鹿みたいで、自分にはどうせ何もできない、何もかもどうでもいいと言う、投げやりな気持ちが根底にあるのだと思います。
 でもこれは、教育のせいではなく、ちょっとした不運。

 中学生の時の経験から、努力は一瞬で壊れることを知りました。元々あったであろう投げやりな気持ちに、さらに無力感を覚えました。
 でもこれもまた、教育ではなく不運。

 母の、学校に行き渋る私を、ヒステリーでどうにか解決しようとする一面は、私に無理な時にこそ無理をさせるのが当たり前という教育を施すことに成功しました。
 頑張らなければいけない状況なら何をしてでも頑張る人になりました。自分が壊れることはお構いなし。

 高校生の時、今度は本格的に不登校になった私に対し、母は、ヒステリーを起こしました。
 全て私が間違っていて、私だけがおかしくて、私がどうにかしなければいけない。けれど私は、何もできない。
 色々な矛盾と、色々な理想と現実の差に焼かれて、本気で「死んでもいい」と、自然に思えるようになりました。

 ゆっくりゆっくり、時間をかけて、確実に。
 私は、1つ1つちゃんと言うことを聞いて、私が悪いことにならないよう努力していたつもりですが。結果をみれば、そんな努力何の意味もなくて、していないことと変わりがありませんでしたね。馬鹿みたいです。

 私は、ODした時も、自殺しようとした時も、自然とそう思いました。
 実際に実行しようとすれば、当然ながら怖いとか嫌だとか、そういう気持ちが多少あったからこそ躊躇したのですが、そこで躊躇なんてするから何もできないダメな奴なんだ、そんなこともできない自分に私は用などないと、少なくともODは実行してしまいましたね。

 確実に、母の施した教育は、私の中で歪んで生きています。
 そして確実に、私を生き難くしていて、私の生きる力を根こそぎ刈り取っていると思います。

 そんなこと、母は知らないだろうなぁ。


自分を大切にしないのが当たり前

 ここまで自分がどうでもいいというところまで感情が振り切れていて、よかったなと思うことが1つだけあります。
 何か物事を考えるときに、客観的な視点で冷淡に考えられることです。

 自信を客観視する以前に、自分の感情を無視することに慣れていて、感情抜きで論理的な結論を出すということを常にしていたことが、たまたま偶然に、自分を客観視する能力の強化に繋がったのかもしれません。

 なので、友人や家族はもちろん、恋人相手だとしても、自分の感情を抜きにして、あからさまに失礼で傷付くような結論であったとしても、客観的な意見を1つ2つくらいは言うことができます。

 自身を客観視するのが苦手だという人、まずは自身の尊厳を否定するところから始めると、効率よく客観視できるようになるかもしれませんよ。
 精神衛生上とてつもなくよろしくないので、全くおすすめしようとは思いませんけれども。


自分を大切に、”しない”んじゃなくて、”できない”

 客観視できるのはとても良いことですし、そのために自分の感情を一旦無視したり、差し引いたりすることは、おそらく誰にでもあることだと思います。

 道徳の授業とかで、この人はどうするべきだったか?なんて問われた時、どう考えても2つの意見に割れることってありますよね。でも、どちらも論理的に説明はつく、だから落とし所を探さなければいけない、みたいな場合です。
 道徳の授業は、かなり安全に、自分以外の視点を経験し、考え方の幅を広めることが目的だと思います。色々な人の立場になって考えるという経験を、授業形式で学ぶ場。

 なので、ほとんど誰もが、わざわざ自分の意見を大切に”しない”で、AさんならAさんに、BさんならBさんになりきって考えます。
 まあ私は、少なくとも中学生の頃は、まだ幼稚で、自分以外の考えがよくわからず、AさんやBさんになり切って考えることさえもできなかったのですがね。心の中、焼け野原なくせに、とても自己中ではありました。

 時は流れて今の私は、心の底から、自分のことを大切に”できない”人間になりました。
 元々、自分の意見を押し通すタイプの迷惑な人間でしたが、それは別に、自分の意見が大切だとか、正しいだとか、そういう信念があったわけではありません。何となくモヤっとするとか、何となく嫌だとか、何となくの『こだわり』と言うのが一番近いかもしれません。

 結局今は、否定されすぎて、自分自身でさえも自分を否定していないと落ち着かないみたいな。そういうところに辿り着きました。
 そもそも、自分を肯定する理由がありませんしね。否定する理由は、いくらでも根拠があります。私は普通じゃないとか、病気だとか、働けてないとか、過去にも現状にもたくさん転がっています。

 私の全ては間違っている。
 そうでなければ、私はただの救いようのない子になってしまいますから。

 流石に、世界がそこまで虚しいものだとは思いたくないですね。
 馬鹿っぽいですが、もう少しだけ期待要素があってもいいかなって気がしてしまいます。それだけ。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。