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飛び越えられない麻、月に届く紙

こんにちは。
数日前、眠っている間の姿勢が悪かったのか、起きたら首を痛めていました。首が痛い。

ここ数週間は、なんだかんだ毎週土曜日に投稿している気がします。
平日は施設の通所で、忙しいというほどではないはずなのですが、パソコンをつけない日も増えていて。どうしても、土日でないと記事が書けない、みたいな。
今後も細々と続けていきたいと思いますよ。


周りから見れば完璧主義

できないよりはできた方が良い。
やらないよりはやった方が良い。
雑よりはちゃんとの方が良い。
不真面目よりは真面目の方が良い。

『どちらかといえば』という天秤にかけた結果、積み重ねることになってしまった小さな頑張りがいつしか惰性となり。それが自分となり、周囲の人が持つ自分への評価や印象になってしまうと、なんとなく自分を変えにくくなってしまいます。要するに、裏切りにくくなってしまう。

周囲からの期待に応えるつもりがなかったとしても。
裏切りは、されると嫌だからこそ、したくないですしね。

『どちらかといえば』だったはずの選択で、できる人、やってくれる人、ちゃんとした人、真面目な人を選択するとあら不思議。
完璧っぽい人の完成です。

恐ろし方程式


麻の苗と紙を折る

毎日、1mmずつ高くしていくのならば、どんな高さでも高飛びできる気がしますよね。忍者が高く飛ぶための修行の一つとして、麻の苗を植えて、毎日その上を飛ぶ、なんてものも言い伝えられているくらいですし。
もちろん実際は、いつしか限界がくるはずです。

それからこの場合、紙を42回折ると月に届くという話も似たようなものですね。
実際は、折れたとしても8回程度、9回折るのは思いの外無理だったりします。アホの子だったので、ずっと昔に試しました。

毎日1mmずつでも、9年続ければ3mを越します。
コピー用紙の厚さは、0.08mm程度だそうですが、42回折ると35万kmくらいになるそうです。(月までの距離は約38万kmらしいので、43回折れば確実に届きますね。)

何が言いたいかって。
一つ一つはほんの些細だったとしても、積み重ねればそれなりのものになりますよ、ということです。
いくら小さいものでも、たくさん積み重なってしまえば頑張りの範疇を超え、ただの無理になってしまう。

今まで自分が頑張った日数に『mm』という単位をつけたら、自分が飛び越えられない高さになりませんか?
今日の自分の頑張りの数だけ紙を折ると、月に届いてしまいませんか?

この基準、結構分かりやすいかもしれない。


手を抜くことを知らない

とは言ったものの。

今までずっと、『どちらかといえば』で良いと思う方を選択し続けてきた私からしてみれば、できる努力をしないことは怠慢だし、やれるのにやらないは卑怯に感じてしまう。
それに、やるからにはちゃんとしてた方がいい気がする。

あれれ、なんだか耳が痛いなぁ。
文字なのだから、この場合は目になるのかな。目が痛い。

そうやって自分を追い込んだからこそ、自分が壊れたという経験も、なくはない。ある。むしろ思い当たる節しかない。
でも、その経験が良くないのかもしれませんね、私の場合は。

努力でどうにもならないということを、色々な形で思い知らされていて。
確実に頑張れない状況に陥ってしまったこともある。
だから、社会的にみれば弱者であるはずの今の自分すら、追い込む余地が十分にあるように感じてしまいます。

ちょっと余裕ができればすぐに自分を追い込みたがる。
マゾヒストか?


モブキャラを生きる

自分からすれば『当然の選択』だと思っていたので、全くもって完璧主義という自覚はないのですが。
こうして言葉にしてみると、まあ確かに完璧主義と捉えられなくもないなぁと、初めて自覚できますよね。言葉は偉大。

きっとこれらは、自分が知らないうちに自分を苦しめていたはずですから、少なくとも変わって行った方が良い部分だろうと思います。

変わらないよりは変わった方が。
また一歩、行ってはいけない方向に行っている気がする。

閑話休題。
しかし、今までしてきたことを突然変えていくのは難しいです。
無意識であればなおのこと。

無意識に対しては、意識的に立ち向かうしかない。

自分が頑張っている自覚があるときは、その自覚がある分、まだ冷静だと思います。
むしろ、自分が頑張っている自覚がない時にこそ、あえて頑張らない選択ができるようになると良いのかもしれない。

一人で不自由なくできることを、あえて誰かに手伝ってもらうとか。
今まで、十のことをやっていたなら、七くらいまで減らしてみるとか。

そうしてわざと余裕を作ってみて、不完全さにモヤモヤする気持ちと、負担が少なくてスッキリする気持ちとどちらが強いのか、自分の心と向き合ってみる。
後者が強いのなら、今までは頑張りすぎていたのだということになるし、前者が強いのなら、おそらく無理ではないということになるし。

ただ、あまりにも完璧を求める意識が強すぎてしまうと、これではどうにもなりませんが。

まあ、あれです。
根本的に、自分を甘やかす方法を見つけろという話です。
あるいは、自分を納得させる言い訳探しでもいい。

できなくてもどうにかなる。
自分がやらなくても、誰かがやってくれる。
雑でも誰も怒らない。
不真面目でも得られる報酬は一緒。

究極、自分が存在しなくても世界は問題なく回ると思ってしまえばいいと思います。
むしろ、自分が消えて壊れるような世界なら、いっそ滅びてしまった方が良い。誰か一人に命運を託すような無責任しかいないのなら、自分だって無責任になってもいいでしょう。

自分は、ヒーローでもヒロインでもなく、突然現れて1話で消える役所でもなく。モブキャラになれる可能性を秘めた、モブキャラの卵くらいの立ち位置がちょうど良い。
ヒーローやヒロインには、責任がついて回りますからね。そこを目指したいというのなら、それはそれで素敵だとは思いますが、誰もが目指すべき場所ではないし、誰もが目指したい場所でもないでしょう。

モブキャラだからって、自分の存在意義が消えることはありません。
責任感を生きがいにするくらいなら、ゲームのログインボーナスとか、来週のドラマとか。そういうものを生きがいにしていた方が、手軽に楽しい人生になる気がします。

いいですね、モブキャラを生きる。
何より、ヒーローやヒロインと同じ世界に生まれたというだけで、そこそこ幸せな気がします。めっちゃポジティブ。

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