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言葉と対峙する

 先日、母と喧嘩をしました。
 今日はそのお話。


喧嘩の原因

 喧嘩の原因は、10割私です。

 数日前、ツイッターで『毒親特集』というものが話題になっていて、色々と見ていたら、「え、これうちの母じゃん」となりました。
 最初は、本当に純粋な興味から、現代社会では、母のやってきたことが毒親判定されることについて、疑問を投げかけました。

 主に、『とりあえず学校や仕事には行け』という思想についてですね。

 私は、親ならば、「学校・仕事に行きなさい」と言うのは当然のことだと思います。しかしそれは、『健康』という前提条件があってのお話。
 病気ならば休むのが当然だし、場合によっては病院へ行くのが当然。親ならば、休ませるのが当然で、病院へ連れて行く、都合が付かずどうしても行けなければ親戚に頼むなど、何かしら動くことは当然だと思います。
 それを母は、学校に行かない私には、とりあえずブチギレてヒステリーを起こし、仕事を渋る弟には、お金どうするのとプレッシャーをかけ続けてきました。それでも一応、最後は、私の不登校や弟の休職を納得してはいましたがね。(これがややこしさの一環になっています。)

 一方、母は「親ならば、学校や仕事に行けと言うのは当たり前」と言ってきました。それはそうです。そんなことは分かっています。
 今回問題になっているのは、『健康』という前提条件を無視していませんか?という部分です。

 既に嫌な予感がしますよね。
 結論から述べると、そもそもとして、母との話し合いは成立しませんでした。


言葉を交わすことで、知りたかった

 そもそもとして、私はなぜ母にそんなことを聞いたのかを、あらかじめ説明というか、弁解しておこうと思います。

 質問した当初、私は、現代社会が母のやり方を『毒親』とする事実に対し、母は何を思うのか、ただそれだけが知りたいと思っていました。
 母はよく、私に『普通』を押し付けてきました。不登校になった時とか、救急車呼んだ時とか、「どうして普通にできないの」と言ってきました。そこから、世間の『普通』が、母にとって都合の悪い形になった場合、母はその『普通』をどう認識するのか、という疑問が生まれました。
 意地汚いただの興味だったんです。本当に。なんの本懐も無く。

 可能性として考えていたのは、母の考えていた『普通』というものがそもそもとして、母にとって『都合の良いものだけ』を集めた偏った現実(あるいは単なる理想)だった説ですね。

 それとは別に、母の正義なりに、「とりあえず学校・仕事には行くべき」と主張する理由があるだろうと思っていました。
 私には存在しない思考回路や価値基準で、私には見えていない何かを見越して、母なりに考えて、それを『正しい』としていたに違いない、と考えました。
 それも知りたいと思っていました。知ることで、母の考えを肯定できるかもしれないし、私にとって何か新しい発見が得られるかもしれない。

 私は知りたかった。歩み寄りたかった。理解したかった。
 できることなら、分かり合いたかった。
 素直な気持ちで、母を尊重できるようになりたかった。

 私の期待や希望は、母のヒステリーに火をつけてしまった時点で、消えて無くなりました。
 冷静な話し合いができる状態ではなかったんです。

 そりゃ、気に障ることを言われたら、誰だって怒りの感情が湧いてくるでしょう。私だってそうです。
 それでも私ならば、その場ではぐっと堪えて、一度飲み込んで、吟味した上で返事をします。怒っている状態は冷静ではないので、何を考えても怒りや憎しみといった強い感情に上書きされてしまいます。
 その状態で相手を否定したとしても、相手は納得しません。その場では勝てるかもしれませんが、話し合えばお互いを高め合えるかもしれない可能性を、みすみす逃すことになります。なんの利益もない。

 私ならそうするという打算で動いたものの、母はそれができる人ではありませんでした。最大の計算違い。


蔑まれたくないくせに、同情されたがる

 母と話していて一番感じたことは、内面のチグハグさです。
 おかしい、壊れている、狂っている、そうとしか説明できない程、ぐちゃぐちゃになっている印象を受けました。

 私や弟は、学校や仕事に行けないことに対し、色々な責め方をされました。それでも最終的に、もうどうにもならないと思った時なおかつ、母にほんの少しの心のゆとりと諦めが生まれた時、母は折れてくれました。
 私の不登校を認め、通信制への転校を受け入れたし、弟の一時的な休職を認めました。
 母の中ではそれが全てになっていて、最終的に折れたことで「ちゃんと理解した」ことになっているようなのです。その過程については「必死だったから覚えていない」「ゆとりが無かったんだから仕方ない」と言われました。
 そのくせ、私はどう考えても学校へ行ける状態では無かったと言えば、知ってたと返されるのです。私たちのことが何も見えていなかったと言えば、見ていた、分かっていたと返されるのです。
 話している最中は、覚えていないその頭でどうして分かるのかと思っていましたが、おそらく、最終的に母が折れた時点で、私が布団の中から動かなくなった様子を見て、「私は見ていた」と主張していたのだと思います。

 結局、その過程は何も見えていないと私が主張すると、今度はまた、「必死だった」「余裕がなかった」と返されます。
 無限ループ。

 正直、必死だったり大変だったり余裕がなかったり、そういう気持ちって、私には関係のないことなんですよね。これが別に、親でも兄弟でも、友人や恋人でも、基本的には無関係だと思います。
 いじめられているとかハブられているとか、あからさまに不遇な態度を取られていたら話は変わってきますが。
 それぞれ生きていて、それぞれの生活や居場所や考えがあるのだから、誰もが必死だし大変だし、余裕がなくなることもあります。皆に対して平等なわけです。
 だから、母だけが苦しいわけではなく、私は私で学校で色々やらかす子だったので苦しかったし、今も苦しい時があります。そういうものなんですよね。

 そこを母は、分かって欲しがるというか、同情されたがるというか。
 逆の立場ならまだ分かります。子どもが親に、苦しさを分かって欲しがるパターンです。子どもはまだ感情が未発達なので、親の手を借りながら、自分の感情と上手く付き合う術を学び、自立します。思春期過ぎるくらいまでの子どもが、親に理解や同情を求めるのはあり得る話だと思います。
 こう言ってしまうと、親ばかり一方的で可愛そうだと感じますが、親も若き日に、その時期を経験しているはずなので、平等です。頼る側だったのが、頼られる側になったというだけのお話です。

 そういう母の感情とは対極的に、母は蔑まれることを嫌います。
 可哀想とか、大変ねとか、そういう感情を向けられると、馬鹿にされている気持ちになるみたいです。
 以前、母は重いうつ病だったのですが、その経験を誰かに話した時、「お可哀想に」と言われ、「何その言葉。全然可哀想なんかじゃないんですけど」と感じたのがきっかけらしいです。

 今回、母と話していた中でも、流れや言葉ははっきりと覚えていませんが、「同情されたいのか」みたいなことを私が聞いたら、「そうじゃない」みたいな返事をされました。
 じゃあ何を求めているんだという気持ちにしかなれません。散々、必死だったとか余裕がなかったとか言って、それを言い訳にしているのに、可哀想だという同情はされたくない。
 こちらとしては、感情の向けようがなくなるわけです。


真意の伝わらない会話

 2時間程度、電話でお話をしていましたが、結局、母が何を伝えたかったのかは全く分かりませんでした。(最初に私言い始めたのはDiscordで、文面でした。そのまま2回ほどやりとりをした末、母から電話がかかってきた感じです。)
 こうして記事にしている今も分かりません。

 たどり着いた結論としては、そもそも何かを伝えたくて電話してきたわけではなく、母の『私は正しいんだ』という感情を、分かって欲しくて電話してきたのだろうということ。

 当初私の求めていたような、母が何を考えているのか、母の中の正義はどうなっているのか、そんな内面的なことは、一切分かりませんでした。
 強いて言えば、母の内面がぐちゃぐちゃに壊れ狂ってることだけはよく分かりました。それ以上の情報はありません。

 私の欲しかった収穫は得られませんでしたが、そもそもとして、母がそこまで苦しいと感じることや、こうしてヒステリックになって電話をかけてきてしまうことは、明らかに普通ではない行動です。
 分かりやすく言ってしまえば、病気だと思います。
 一応ですが、「ちゃんと病院行って」と伝えることができたので、収穫はあったのかなと考えています。


私と言葉

 喧嘩の話題からは少し離れて。

 私はこうして週一で記事をかく生活を、2年半程度続けています。
 主に、うつ病日記のような感じで、日々あったことや悩んだことを、つらつらと書き連ねていくことが多いです。
 また、これとは別に、個人的に日記を付けています。ここではかけないような自分の心の内を吐露する場所、それを読み直して自身を客観視するための場所として、活用しています。

 これだけ自分の感情と向き合う時間がある人は、そう多くないと思います。自分の気持ちを記事にしてネットに流したくない人は多いでしょうし、日記は続かない人がいるし。
 そもそも悩まない人ってのが一番だと思いますが、少なくとも私はそういう人種ではないようなので。(私がもし悩まない人だとすれば、そもそもこうして記事をかくことは苦痛でしょうから、これはこれで良いと思っています。)

 気持ちというものは複雑で、目には見えないし実態はないし、時と場合、その日のコンディション、一緒にいる相手など、多すぎる変数で、トンチンカンな方向に転がることもあります。
 大抵、向き合ってられるかそんなもの!!となって終わるでしょう。
 そこに面白みを感じて、わざわざ自分から沼にハマりに行こうとするなど、愚の骨頂というか、命知らずというか。

 そういう意味で、私はかなり特殊なタイプだと思っています。
 自分の気持ちと向き合うことに対し抵抗が少なく、あまり悩まずに言葉を選ぶことができます。
 間違いなく私の強味で、自分から努力して身につけたものだとも思います。

 ですが、世の中のほとんどの人はおそらく、気持ちと向き合うことを得意としていないどころか、遠ざけたがるでしょうし、気持ちを言葉にできず”もどかしくなる”という感情を持つのが普通です。
 そういう大多数の気持ちを忘れがちなので、今回の母の件についても、そもそもとして、自分の思考や感情に論理的な説明を求めるような会話は成立しない、と考慮し忘れていた部分があります。

 また、私が自身を客観視できることには、否定されてきた経験が根底にあります。
 母や先生などに否定された時、「なぜ怒られるのか」「なぜダメなのか」と考えますよね。それが、自身を客観視させることにつながりました。
 また、物事を考える際、自他関係なくとりあえず、第三者の視点で考えることが多くなりました。自分の感情を踏まえて考えると、ややこしいことになるからです。まずは自分の感情を差し引いて考えて、あとから「自分はどうしたいのか」と問います。そうすると、”冷静な”自分視点で考えることができますからね。
 そのクセが抜けきらず、母に対しても、どこか他人行儀に物事を考えていたため、とても冷淡な印象を持たれたと思うし、気持ちを理解して欲しかったあの時の母を逆撫でしかできないような、最悪の相性だったと思います。

 そういうところも踏まえて、もう一歩賢く、もう一歩大人になって、冷静だけでなく、相手を思い遣る話し合いができるようになりたいですね。


 取り止めが無くなってしまったかもしれませんが。
 今日はこの辺で。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。