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幸せになるため以外に頑張らなくていい

こんにちは。
昨日までの一週間と少しの間、恋人が泊まりにきてくれたので、ずっと恋人と過ごしていました。
それで記事がかけず、とりあえず飯でも放り投げとくかと、先週の投稿は写真3枚という雑さ。

今週からはまた、何かをかいていこうと思っています。
気が向いたら読みにきてください。


二人でいて気付くこと

まず初めに、今更ながら、私は、周りにいる人から強く影響されやすいタイプの人間なんだろうなと感じました。

例えば、実家で、母の近くにいる時。
母は私のように通院しているわけではありませんが、そこそこに不安定です。私が言えたことではありませんが。
勝手に不安定になるならまだマシなのですが、周りを巻き込んで不安定になるんですよね。もう実家に帰ってくれば?みたいに自棄になったり、私はどうすればいい、何度も言った・やったじゃん、これ以上どうすればいいの、みたいに承認欲求が先行してるようなことを言われてしまったり。

だから、いざという時、結局母に助けを求めることが多いですが、私個人としては、あまり求めにくい相手でもあります。
できることなら、自分の問題は、自分と、支援員の範囲で収めたい。それでどうにかならなければ、恋人か親友に頼りたい、と感じています。(誰かを頼るのが苦手なので、なかなか上手くいかないのですが…。)

マイナスな話はこの辺にして。
恋人といると、私はどうなるのか、という話が本題。

結果から言うと、多分相性が最高ってことなんだと思います。
私はドロドロとした思考をしているのに対し、彼はとてもサバサバした思考をしているので、根本的に、私が彼によって病むことはありません。これがマジで重要。
私は、誰かに感化されやすい人間ですが、彼は結構マイペースというか、自分というものをしっかり持っている感がある(私調べ)ので、私が彼の影響を受けることが多くても、彼が私の影響を受けることはあまりない、ような気がしています。今度聞いてみようかな。

そんな自分と彼なので、一緒に生活をしていると、強い安心感を感じられます。
寝る前はよく不安になりやすいのですが、不安になったら声を掛ければいいとか、ぎゅっとすれば安心するとか。ちなみに、普段はぬいぐるみで代用しています。
普段の家には私と鳥しかいないので、会話が少ないというかそもそも成り立たないのですが。恋人がいれば、自然と会話が増えます。会話は一番手軽にストレスを軽減できる方法なんだなぁと、初めて実感しました。


一人になって気付くこと

ずっと一緒にいて、急に彼が帰って一人になった途端。
お金のことを考えたり、家に帰ってやらなきゃいけないことを考えたり。
彼はバイトしてるんだよなぁとか、お金あっていいなぁとか思うと、どうしても仕事について考えたり。
ずるずると流れるように、なんで自分は病気なんだとか、自分の病気はいつ治るんだとか、どうして働けないんだとか。こんな自分は、世間的にどんな目で見られるんだとか。
自分は恥ずかしいものだとか、自分に価値はないとか、努力が足りないとか、そもそも努力する気がないとか。
じゃあ何かをしなければ、仕事探さなければ、頑張らなければ、できることを探して、増やしていかなければ、とか。

そういう方向へ、思考がずるずると引っ張られ始めたところで、
今、私、自分から病もうとしてる。って、気づきました。

あまりにも、私にとって日常過ぎて、てっきり私は変われないものだとばかり思っていたのですが、もしかしたらそうでもないのかもしれません。
だって、恋人といた約9日間は、考えることはあっても、自分を責めたり極端にマイナス思考になったりはしなかったから。

彼は、私を養いたいと言ってくれます。
二人で暮らしたいとか、結婚したいとか。そういう話をしてくれます。

私は、働けない自分を、生きる才能も価値もない金のかかるゴミ程度に思っていますが。
きっと彼は、働けない私を、赦し認め、ありのままとして受け入れてくれています。

決して簡単ではないけれど、たったそれだけのことで、私は「働かなければ」という自責の気持ちから、「働けそうなら働こう。できなければ、美味しい料理を作れるようになろう」なんて、気の抜けてリラックスした状態になることができます。

私に必要なのは、そういう柔らかい気持ちとか、前向きな理由とかだったんだなぁって。
それから、私にとって自分を『責める』ということは、限りなく『死にたくなるまで追い込む』に近い意味を持つので、私は私自身を責める必要はない、と感じました

わざわざ自分を責め立てて、行動意欲を掻き立てずとも、ありのままの私というだけで、「働きたい」という気持ちがゼロではない。
だったらいずれ、叶う夢かもしれない。

という結論に辿り着きました。
気付かされた、とも言えます。


幸せになるため以外に頑張らなくていい

今回のタイトルのこれは、アイドリッシュセブンの四葉環というキャラが言ったセリフらしいのですが。(私の記憶ではナギが言っていた気がしていたのですが、ナギが言っていたのは『元気がない時は頑張らなくていい』らしい。こちらも好きな言葉。)

ふと、彼が帰って、丸1日経ったさっき、ふんわりと頭に浮かんできたので、タイトルにしてみました。

今の自分にぴったりの言葉だなぁって。

私は私を追い込む必要はない。追い込んだところで苦しいばかりで、幸せにはなれないから。
私は無理をして何かしようとしなくていい。無理をすると、心や身体のバランスが崩れてしまい、幸せからは遠のいてしまうから。

でも、欲しいものを我慢します。もっと欲しいものを手に入れる幸せが欲しいから。
体力をつけるために、バレエやスケートの練習をします。適度な運動でストレス発散をしたり、体力をつけることでできることの幅を広げたりすることで、きっと幸せに近づけるから。そして何より、バレエやスケートをしている時、私は幸せだから。

時には、幸せを自ら手放します。より幸せな選択をするために、手放さなければいけない時があるからです。

色々深く考えていくと、幸せになるためには幸せなことばかりしてればいい、ということにはならないと思います。
でも、『幸せになるため以外に頑張らなくていい』という言葉は、絶対的で、覆ることのないものだと、私は信じています。

幸せになるため以外に頑張らなくていい、を心に。
なんだか、自分を大切にするとか傷つけないとか、そういうのよりかはいくらか簡単に思えてくる。

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