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私は文字で呼吸している

こんにちは。

最近は、本当に、本当に、気持ちが不安定で、苦しい日々を過ごしています。
気持ちだけならまだ良いのですが、気持ちに引きずられているのか、体の方も調子がおかしくて。お腹が痛かったり、頭が痛かったり、息苦しかったり。
内科的には、全く問題ないそうなのですがね。困ったものです。


私ができる、”唯一”のこと

自分が自分の人生を振り返るたび、なんて空っぽなものなのだと、思うほかありません。

何かをしようとした。何かをやってみた。
でも、熱中できずに、或いはする前に、辞めてしまう。諦めてしまう。
結局、何一つとして実を結ぶことなく、腐り落ちてしまいました。

失敗か、挫折か。

でも、一つだけ、私がずっと続けてこられていることがあるなって、気づきました。

これです、これ。文章。
何かをかくこと。綴ること。

私は、『言葉』が好きです。
柔らかかったり、鋭かったり。使い方次第で、色味が変わったり。

ですが、何よりも、誰かに『伝わる』から。
私は、『言葉』が好きです。

一言で気が変わって、元気になったり悲しくなったり。
誰かというわけでもなく、なんとなく綴ったものが、誰かの力になったり、何かしらの気づきを与えることができたり。

与えるばかりではありません。
もちろん、与えられることもあります。

そういうの、全て含めて、私は『言葉』が好きです。大好きです。
だから、今までこうやって、何かしらをかき続けることができたんだと思います。そして、これからもきっと。


苦しくなると、言葉に逃げる

多分、多くの人は、苦しくなったりしんどくなったりした時は、考えることをやめて、或いは原因である何かから逃げて、ラクになろうとするだろうと思います。

でも、私は、考えることからも、原因からも、離れようとしません。
不思議なことに。

私の逃げる先は、言葉です。
苦しさを言葉にして、私の考えを言葉にして、想いを言葉にして。
事実を言葉にして、原因を探って、言葉にして。

どんなに苦しい時も、むしろ、苦しい時であればあるほど、私は『言葉』に逃げたがります。

名前のないモヤモヤとした感情のまま苦しむより、その感情に『言葉』を使って名前がついた方が、スッキリするから。
その道程は、とても辛く苦しいものだけれども、私は少なくとも、その先にある『言葉』の温もりを知っている。その温もりに触れると、辛く苦しく何かに縛られていた心が、氷の溶けるようにラクになっていく。
息が軽くなるような心地がする。

だから、言葉からは、絶対に逃げない。逃げたくない。
むしろ、どんどん自分から近づいていきたい。知っていきたい。


好きで、できることで、私の希望

最近、noteへの連続投稿が、80週を超えたところですが。
noteだけでなく、紙媒体の日記帳や、永遠に日の目を見る気がしない小説など、私の生活において、文章をかくとか文字を綴るということは、寝食のように日常に馴染んでいます。

上手くかけない時もあるし、なんとなく、疲れて気が向かない時もあるけれど、嫌気が差したことは一度もないと思います。
挫折したことがない、とか。失敗したことがない、とか。そういう捉え方もできるかもしれません。

なんていうか。
今の私が、唯一できて、好きで、裏切られる心配がなくて、自ら積極的に『したい』と思えること、というか。
これ以外の何かが、できるとか、したいとか。そういう風にポジティブに、あまり思えないんですよね。特に最近は。

失敗続きというか、挫折続きというか。裏切られ続きというか。
自分の期待を、他でもない自分が裏切り続けていて、疑心暗鬼になってる?みたいな。

本当に何もできなくて、本当にゴミカス野郎で、救い用がないけれど。
できること、あるじゃん。なーんて。

別に、こうして何かをかくことを仕事にしよう、とは、今のところ思っていませんが。上手な形で、仕事に繋げることができたらいいなぁ、と思うときはあります。

今の自分の宣伝ポイントは、本当にこれくらいのものなので。
むしろ、これ以外に無いと言っても過言ではないので。


ダメだな。今日はちょっと、頭が回っていないみたいです。
文章がだいぶ、つぎはぎだらけのひっちゃかめっちゃかですね。

上手くはできないけど、好きだし、やっていて楽しい。
今はそれだけで十分、幸せ。

今日かきたかったこと・伝えたかったことは、たった2行の、これだけ。

よろしければ、サポートよろしくお願いします。 社会復帰に使う、なんて言いながら、きっと、私の人生を彩って、これからもnoteで言葉を紡ぎ続けるために使います。