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2021/03/29『私の好きなものが好き』

こんばんは。
毎日投稿は特に意識せず、少なくとも3日に1回くらいは何かを書こう、程度の軽い気持ちで続けて行こうかなと。
やりやすいやり方が、自分にとっても、おそらく読む人にとっても、心地好いでしょう。

今日は、まあ、いつも通りの日だった、かな。

施設へ行って、おしゃべりをして。
今日は通院の日だったので、病院へ行って。

帰ってからは、母に作ってと頼まれたものをちょこっと作って、絵を描いて。
適当に梱包して、住所を書いて。

ご飯を食べて、明日の荷物をまとめて。

今月は金銭的にカツカツだから、お財布の中身を確認して。
冷蔵庫の中身を確認して、今週の予定を確認して。

そんな、これといって特筆すべきこともない、ただの1日でしたね。

書くことがないので、今日は私の思う私について一つ、かいておこうかなと。

私って多分、側から見たら寂しい人だと思うんです。
何かに執着しないし、期待もしない、求めることも億劫になっている。
だから、何もかもがどうしているのか、どうなっていくのかに興味がない。

そういう意味では、全く色のない、灰色の世界を生きているように思います。
けれど、実際は、少なくとも今の私は、生きていることが、それなりに楽しいし、灰色の世界を生きているとは思いません。

執着しないし、期待もしない、求めもしない。
そして、何もかもがどうであるかに興味がないのは確かですが、私の近くできる何もかも全てに、面白味を感じて生きています。

執着しないから、喪失感がない。
期待しないから、裏切られることがない。
求めないから、飢えることがない。
けれど、眼前の結果だけをただただ感じて生きているから、世界は彩り豊かに見えているし、面白いものであふれている。

こういう生き方は、とてもラクで良いです。
実際、多分、執着を辞めて、期待を辞めて、求めなくなって、その場その時の出会いに向き合うようになってみて、うつ病がだいぶマシになったように思います。

そりゃそうだ、って感じですけれども。
だって、気分が沈む理由が、ほとんど排除されているわけですし。

でも、ふと思うんです。
そういう生き方をしても、私の時間は全く積み重なっていかない。

執着は、何かを成すために必要なものです。
期待も、自分が迷わないための道標になります。
それから、何かを求め続けなければ、それは生きているとは言い難い。

自分という存在が、なんだか無色透明で実態のない、空気のようなものになっているような心地がします。

あれ、私って、こんなにつまらない人間だったっけ?

なんていうか、さ。
生きやすく生きようとした結果がこれなら、生きている意味がないような気がしてしまうんですよね。

自分という形が、色が、在り方が、だんだんと薄れ、消えてゆく。
そのうち、最初から何もなかったかのように、私の存在だけが消えてしまったら、どれだけ素敵なことか。

生きることにも、自分にも、執着していなくて、期待もしていなくて。
ここまでからっぽになってしまうと、今まで何が詰まって生きてきたのかが分からないんですよね。
かといって、何かを求めるのも億劫だから、何かを詰めようとも思わない。

私の好きなものってなんだろう。
私の嫌いなものってなんだろう。
私は何もかもに、出会ったことがないような気がしてしまいます。

私は、私の好きなものが好きで、私の嫌いなものが嫌いで。
じゃあ、結局、何が好きなのか、何が嫌いなのかが分かっていなくって。
それを思うことすら、好きという執着、嫌いという執着だとするならば、きっと私はここまで歩んできた道のどこかで、おっことしてきてしまったのでしょう。

無色透明な私

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