上手な時間を過ごせない
一人暮らしはもちろん、実家にいる時も、一人の時間が多いです。
母は出かけているし、弟も、一人暮らしをしていたり、学校へ行っていたり。
一日中家にいるのは、実家にいるうさぎのポテと、私の家から連れてきた文鳥たちだけ。
厳密に一人ぼっちというわけではありませんし、うさぎも文鳥も、一緒に遊んでもらおうと思えば遊んではくれますが。
日本語を喋って、私の悩みを聞いてくれるだとか、アドバイスをくれるだとか、そういうことはないわけで。動物なので当たり前なのですが。
実家にいて、家事の負担が減る分、身体的には休めるけれど、精神的にはしんどいというか。
もはや、身体的に疲れているのか、精神的に疲れているのかもよく分からない。
金、金、金
まず、私の頭のなかをぐるぐるしているのは、お金のこと。
自分一人が、静かに生活する分には十分な額を保護費としていただいていますが、やりたいことをやったり、行きたい場所へ行ったり、欲しいものを買ったりするためには、上手にやりくりをしなければいけません。
でも、基本的な生活に必要なお金は、絶対に削りません。
例えば、食費は絶対に削りません。毎食作って、月に2回くらいなら買い食いや外食がギリギリできるかな?くらいのバランスで生きています。お菓子を買う余裕はありません。それくらいギリギリなので、自分の健康のためにも、絶対に削りません。
あとは、削り用がないものですが。
インターネットや携帯の料金、上下水道、電気、ガスなんかは、毎月固定で出ていくので、月末にいくら以上口座に残しておく、と決めています。
スケートやバレエは、毎月決まった金額までしか使わないと決めているので、まあ似たような感じで管理しています。
欲しいものがあったら、絶対に使わないように別の口座へお金を移します。
2ヶ月に2万円貯められたら良い方です。私が使い過ぎ(スケートやバレエをやっていれば仕方ないのかもしれませんが)なのもありますが、まあ、貯金は苦手です。
働けたらいいのに、どうして働けないんだろう
お金について考えていると、やはり、働くことも同時に考えます。
働くことができれば、確実にお金が手に入るからです。日雇いのバイトだとしても、7,000円~8,000円くらいは手に入ります。
保護の制度上、15,000円くらいまでは、保護費が削られることなく、そのまま自分のお金になります。
だから、例えば月にたった2日、日雇いのバイトをすることができたとすれば、15,000円くらい、今より豊かな生活ができるわけです。
じゃあやれよという話なのですが。
一度やったことがあります。夜、パニックに近いような状態になって、ODしそうになったとか、したとか、忘れてしまいましたが。
まあとにかく、自分を傷つけないといられない状態になってしまったわけです。
それ以降、日雇いのバイトはしていません。
これ以上、母に心配かけられないし。救急車や警察のお世話になれないし。
身体を傷つけられないし。自分を大切にしなくちゃいけないし。
今の私は、働ける精神状態では全くない、ということみたいです。
医者の判断もそうだし、先日警察で保護されていた時もそう言われてしまいました。
働きたいのに。
働けたらいいのに。
解決しない問題が多すぎる
生きている上で、解決方法や突破口がない問題って、意外と少ないのでは?と思っています。
基本、最悪、逃げればいい。
全てを放り出して、逃げてしまえば、大抵のことはどうにかなります。
仕事がしんどければ、この日本には生活保護という制度があります。
学校がしんどければ、通信制の学校があるし、心の教室的な別教室があるし、最悪通わなくても生きていくことはできます。
家庭の問題は、少し逃げにくいかもしれませんが。
DVなら、相談センターとか、保護施設とか、そういうのがあります。(実際、私の母は、前触れもなくある日突然、引っ越しをして父の元を離れました。)
大人だけでなく、子どもにも、できることはあると思います。それぞれの機関がどこまで動いてくれるかは正直なんとも言えませんが、ご飯がもらえないとか暴力を振るわれるとか、そうやって命の危険がある場合は、どうにか守ってくれる方法があると思います。
そこにたどり着けるかどうかは、その子やその子を取り巻く環境次第、になってしまうと思いますが。
でも私の問題って、初めから終わりまで私だけの問題で。
私の考え方とか、身体的・精神的な問題とか。
少なくとも、置かれている環境が悪いというわけではないと思うんです。
本当にたくさんの人からの支援を受けていますからね。
適切な治療を受けることができているし、精神的な支援は訪問看護さんが、肉体的な支援はヘルパーさんが、私を取り巻く環境は、保健所や相談員、全体の調整としてケアマネージャーがついて、私の生活をより私が暮らしやすく生きやすくなるように、色々な提案をしてくれたり、実際的に助けてくれたり、してくれています。
強いて言えば、私の周りの人たち、母や相談員さんたちも含め、それぞれの生活があるわけで。
いつだって私のために駆けつけることができるわけではないとか、毎日私の様子を見に来てくれるわけではないとか。
そういう、私が踏み込めない領域、みたいなものはあります。
でも、それは私だって同じことで。
私の精神的な問題で、本来頼るべき人を頼れない時はあります。(特に母とは、色々あります。)
自分を傷つけたくなる衝動は、強い薬で無理やり抑えるか、運よく誰かに連絡がつくかでしか、私は解決することができません。それも、対処療法で、根本的な問題を解決してくれるわけではありません。
私が死にたいと思うことだって、同じことです。
呼吸するように、死にたいと思っています。いつでもどこでも、どれだけ楽しくて幸せでも、どれだけ辛くてしんどくても。
どんな時も私の心にへばりつくように、死にたいという感情が離れてくれない。
逃げようもないんですよね。
どうしようもない、自分の気持ちの問題なわけですから。
水のない状況で水を飲みたいとか、食べ物のない状況でお腹が空いたとか。
私の置かれている状況というものは、それに近いものです。
手に入らないものを、手に入れたがっている。
どうにもならないものを、どうにかしたがっている。
だから苦しみ続けるし、満たされないし、助からない。
ずっと辛くて、ずっとしんどい。
心なんかなければいいのに。
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