普通ではない中で、どうやって普通になればいいのか

こんにちは。
今日は久々に、自分のかき殴りたい心の内をぶちまけちゃう日です。


そつがない生き方って、普通って、何?

最近になって、母は「そつがなく生きて欲しい」と、よく口にするようになりました。

普通に学校へ行けて、普通に卒業ができて。
普通に仕事ができて、普通にお金を稼げて、普通に暮らせて。

ああなれこうなれとは言って来ませんが、とにかく、「そつがなく生きて欲しい」とは言ってくる。

”そつがなく”って、なんなんだよ。


なんでうちの子は

私の兄弟は、みんな、”普通”に学校へ行けていない経験があります。

私は不登校と背中合わせの学校生活でしたし、挙げ句の果てに通信制へ転校しましたし。まあ、私が”普通ではない”のは明らかなことです。
それについて私は、自分で選択し、自分で進んでいくことができたと、全く後悔していません。その時々で取れる最善手を取り続けて来た自信があります。

弟は、中学の時にちょっとトラブルがあって。
まあそれを引っ張ってか、高校も結構早い時期に行けなくなってしまって。そのまま、私と同じく通信制へ転校しました。

末っ子は、ちょっと気弱なところがあって、スクールカウンセラーにお世話になっています。中学になってから、通級の相談をされたそうです。

まあこんなわけで、私の兄弟はみんな、いわゆる『社会不適合者』で、うまくやっていけない人間です。

10年前に離婚してから、女で一つで一生懸命に育てて来た子供たちが揃いも揃ってこうなってしまうと、母は流石に自信をなくしてしまうようで。
こうならないために、もっとできることがあったはずだ、どうしてしなかったんだと、小さなことがある度、後悔に苛まれているようです。

後悔しても何も変わらないのに。


それは高望みだよ

私が高校2年生の頃、心を病んで通信制に転校した時に言われた言葉は、今でも忘れられません。

「自分はこんなにも頑張っているのに、家でゴロゴロされていたら、働いている自分が馬鹿らしくなる。」

要するに、バイトしてくれと。
通信へ移って、時間ができたから。

バイトは結局失敗とトラウマに終わったのですが。

なんていうか。きっと、あの時のあの言葉は、私の心の中にずっと残り続けるんだと思います。
今でも時々思い出す。そして、働けてない今の自分に嫌気が差す。

仕事か学校どっちかをやりなさい。
学校が無理なら仕事をしなさい。
学校へ行っているのなら、無理にとは言わないけれど、仕事をしてくれると助かります。

私が高校生の頃の母は、そんな感じでした。
今はだいぶ緩くなったなぁと思いますが。


家に置いておけない

弟1号くんは、実家近くで一人暮らしをしています。

最初は、通っていた学校のそばに引っ越したというだけの話でしたが。通信制に転校したあとも、一人暮らしは継続しています。
おそらく、親と距離を置くためという理由もあると思います。

それから、母としても、やはり、働かない人が家で好き勝手しているのは耐えられないようです。
だから、家にいると喧嘩ばかりになってしまうだろう、と。

一人暮らしは何かとお金がかかります。
自分が生活する中で使うお金だけは、自分で稼いでもらっているようです。(家賃と、一部公共料金は、契約の関係で母が払っているようです。)

母がふと、弟が、このまま定職に就かず、アルバイトでつないでいく人生になってしまうのではないかと、不安そうにしていました。

まあ、今のままだったらなるだろうと思います。
気分が不安定な上、病院もあまり信じていないのか、処方された薬すらしっかり飲み続けてくれない。逃げることばかりで、向き合うことをしない。
ラクな方へラクな方へと流されやすい。

母も母で、腫れ物に触れるように、「今は新しいバイトが見つかったばかりだから…」と、進路(就職)の話を先送りにしてしまうし。
そのくせ、「そつがなく生きて欲しい」「ちゃんと働いてくれるかな」なんて言ってばかりで。

私が今、就労支援系の福祉施設にお世話になっているので、そういうところに通えば?という話をしました。

けれど、通っている間はバイトができない(バイトが見つかった時点で仕事を探す支援が終わり、続けていくための支援に切り替わる)ため、「じゃあ無理だ、二重生活になってしまう」と。

いやいや、バイトしながら、この先ちゃんと仕事ができるようになるための訓練も並行してって、それなんの冗談?
できないから、一つ一つきっちりやっていこうって話でしょうが。

なんていうか。強欲なんですよ。
求めているもののハードルが高すぎる。
もしかした、お母さんの中での”普通の人”たちは平然とやってのけることなのかもしれませんが。

そうじゃないでしょう、私たちは。
そうじゃないから、今私はこうして苦労しているんでしょう。

もう少ししてあげられることがあったとか、それができていたらもう少し普通にやっていけたかもとか、そういう後悔は今しても仕方がないでしょう。

どうして、今目の前にある現実から目を逸らして、過去の行いばかりに目を向けているの。
今は今しかないの。今を逃せばまた過去のことになってしまうの。
そしてあなたは、どうせ未来でまた、同じ後悔をするの。

どうして、それが分からないの!!!(半ギレ)

こうして言葉にしてみると、弟が何かと”向き合う”ということができないのは、母の気質が移っただけのような気がしますね。

はぁ。


普通じゃないことを認める

『そつがなく生きる』ことも、『普通』も、私たち兄弟には向いていないんですよ。
だって、全然『普通』じゃないんだもん。

だから、普通ではないなりに、普通ではない自分を認め受け入れて、『私が生きていける生き方』を模索しているんです。
それが、お母さんの理想のような『そつがなく生きる』でも、『普通』でもないことなんて、分かってる。

でも、無理だから。もう諦めてるから。
目指そうと思っていないから。
だから、自分は自分の道を進んで行こうって思っているんです。

お母さん、きっと未来でまた、同じ後悔をすんだろうな。
今、お母さんができることは、今を見つめ受け入れることだよ。

たったそれだけ。
私にとっては、たったそれだけのことに思うのに。

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