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考えるから逃げさせてくれない

こんばんは。
帰宅して以降、頭の中から「できることをしなければ」という意識が抜けない私です。しんどい。


病んで当然

帰省してる間、すこぶる健康だった。
まあ、生活リズムが夜型に偏っていて、日中の昼寝が必須だったのはアレなんですけど。気持ちはすごく安定していて、体力的にも精神的にもそこそこ意欲的になれるというか。
とにかく良かった。

で、帰宅。
初日と次の日は、恋人がお泊まりしていったので、実家にいた時のように元気に過ごした。
ご飯美味しい、家事楽しい。小さな幸せいっぱい嬉しい。

その後。現実に引き戻された、と言うと少し言い過ぎですが。

ケアマネージャーとの契約があったり、就労支援の施設に行ったりして、こちらでの”普通の生活”に引き戻されて以降、「通所しなきゃ」「仕事探さなきゃ」みたいな焦りとか、「仕事できるようになるのかな」「私にできることってなんだろう」みたいな不安感とか。
そういう、考えても解決しないモヤモヤぐるぐるとしたものが、頭から離れなくなってしまった。

そのせいか、無力感というか脱力感というか、ずっとそんな感じ。
もう、何に対しても意欲が湧いてこない。ご飯もお風呂も着替えも面倒になる。
頑張ろうと思えば思うほど、ちょっとずつ死にたくなってくる。生きている自分に疑問が湧いてくる。


切り離したい

このままだと、せっかく厄介な薬の副作用が抜けて軽くなったところなのに、また良くない方向へと落ちていってしまう。
どうにかして、そのモヤモヤぐるぐるとしたものから、自分を切り離して遠ざけたい。

でも、生きている以上、どうしようもなく考えなくてはいけないことだということは分かっていて。
だから、考えて、悩んでるのであって。

行動しろって話ですが、行動がそんな簡単にできたら、悩むことなんてないんですよ。
行動が難しいから、どうして難しいのかを考えるし、簡単にできる方法がないか考えるし、あるいはスモールステップで着実に積み重ねる方法を考えるし。
解決策が全然見つからないから悩むし、現状が変わらないから悩むし。


考えさせてくる、逃げさせてくれない

こういう悩みって、別に私が病気だからってわけではないと思うんですよ。

例えば、進路・受験とか就活とかも同じで。
期限が定められていたり、周りにそれを支援してくれる先生や親や、私なら就労の施設の支援員やケアマネさんがいたりするから、逃げようにも逃げられない。

でも、考えたからと言って解決するわけではないし、むしろ考えれば考えるほど不安になるし不透明になるし、分からなくなる。
自分がどうしたいのかも、何を考えているのかも、どうなりたいのかも、何もかもがぐちゃぐちゃになっていく。

考えなければ、時間や周りが「考えろ」と、悩みの世界へ自分を引き戻してくる。

本当に、逃げられない。

だから、苦しみながら進んでいくしかなくて。
そんな中で出す結論だから間違えることもあるし、結論を出す前に挫折してしまうこともある。

今まで頑張ってきたのは確かなのに、結果に報われなかったり、実らずに終わってしまったりしたら、当然傷つく。深く傷つく。
なんのための時間だったんだろうって思うし、悔いなんてないのに後悔をするしかなくて後悔をする。結果に裏切られたような気持ちになって、何に価値があって何に価値がないのか、よく分からなくなる。途方もない虚無感と、全身の肉が剥がれたような無力感で、心も身体も潰れそうになる。


逃げさせてくれたら?

もし、逃げさせてくれたら。
どうなるのか、分からない。

逃げて逃げて、逃げ切ったとしても、やっぱり時間は進むから、近い将来でなんらかの結果が出て、後悔するのかもしれない。

進路・受験から逃げたら、単純に、進路は白紙、受験も無くなって、ラクにはなれるけど、進学もなくなる。
就職から逃げたら、単純に、仕事は見つからない。

そうなったら、自分は何になるんだろう。
まあ、何にもなれないんだけど。

やっぱり、どう足掻いたって、生きている限り逃げることのできない問題で、まるで逃げないことこそが人の営みだと言うかの如く、結果も自分に降り掛かる。


生きるって重い、だって生きているんだから

最近思ったことは、生きているということは、それはもう奇跡のような出来事なのかもしれない、みたいな。
ずっと昔は、そう思えていた時期もあったけれど。あの時とは少し違う意味で、今再びそう思った。

『人生』とか『命』とかって言葉は、誰にとっても重い言葉だと思う。
でも、それが『生きる』という、簡潔な言葉になると、当然のことのような感じがして、重さが一気になくなる。

生きるって、命を大切に抱えながら人生を歩んでいるんだから、そりゃ重くて当然だよ。

生きている自分を、もう少し褒めてあげよう。
生まれたあの日から今日まで、一つしかない自分と自分の心と魂を抱えて、護りながら、少しずつ前に進んでここまでこれた。

私は、20歳無職のろくでなしだけど。
なんの結果も残せず、何か実を結ばせることもできずここまできてしまった、本物のろくでなしだけど。

まあ、いいじゃないの。生きてきたんだし。
何度も命を投げ捨てようとしたけれど、最終的にしなかったし。

生きてて偉いよ、私。

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