力と危うさ
まっっっっっっったく関係のない雑談なので、興味ない方は少し下まで飛ばし読みしてくれて大丈夫なのですが()
先日、めちゃくちゃ強く頭をぶつけましてね。
ちょっと夜更かししすぎて早く寝ないとなぁと、寝る前のストレッチをめちゃくちゃ巻きでやってたんですよ。メニューの一部をカットして、まあ負荷の弱いストレッチだけ選んでやったわけです。
ストレッチは基本座ってやるのですが、腰から肩、首回りまで動かしたければ、立った方がやりやすいので、途中で立ち上がって、前屈と後屈をしました。ブリッジの準備運動みたいな感じ。
後屈から戻ってきて立った瞬間、貧血か低血圧の立ちくらみみたいな感じでくらっときて、そのまま後ろに倒れて、ドガッガコーン‼︎的な明らかにやばい音がしたのは覚えているんですけど、ぶつけた瞬間の記憶があまりなくて、気づいたら倒れて天井を見ていたみたいな…←
一瞬、救急車案件か?と思ったんですけど、まあ夜のお薬も飲んであとは寝るだけだし寝るかと、普通に寝て起きて、明らかに頭が痛いので病院へ行ってCT撮ってきました。
異常なし!!よかった!!!!
巻きでやらなければ、いきなり立っても、身体が温まって血の巡りも良くなってるので、絶対に起こり得ない事故なんですよね。決して危ないことをやっているわけではないんですけど、気が緩んで「これでも大丈夫でしょ」と適当をやっていると、こういう事故につながります。
気をつけましょうね、お互いに。
攻撃性
私は、自分以外の人には性善説を、自分には性悪説を唱えて生きている人間なので、私以外は神か仏で、自分だけは無価値どころか有害、無能どころか邪魔だと思って生きています。
というか、そう思うことこそが、自分を自分から守る術だと思ってます。
以前、自己肯定感なんかいらねーよみたいなお話をしましたが、本当にその通り、私は自己肯定感が皆無ですし、正直、まあなくてもやってられるでしょと思います。
自分が有害で邪魔な存在という前提があるので、自分えらい!とか自分すごい!みたいな感情があると、前提条件が崩れてしまうのでむしろ邪魔なんですよね。
これは見方によっては、自分への攻撃性の一面だと思っていて。
私の場合、自分への攻撃性が一番高くなっていますね、不思議なことに。
まあ先述した通り、私にとってそれは私の身を守る術でもあって、最初からボコボコにされていたら、一発殴られても大差ない理論で、あらかじめ自傷ダメージを入れておく的な厨二くさいことをしています。
自分に向いている分にはいい
これは私に限った話ではありませんが、人は誰しも多少なりとも攻撃性をはらんでいますよね。
いくら優しくても、嫌なことをされたら怒って当然。
怒ることは別に、悪いことでもなんでもありません。むしろ、怒れるというのはとても大切なことですし。
しかし、その”怒り”の感情の制御、いわゆる『アンガーマネジメント』的なものがしっかりできないと、誰彼構わず怒りの標的になったり、些細なことでキレやすかったり、また本人にとってもストレスを強く感じるようになってしまいます。
私の場合、攻撃性のほとんどが自分に向いているので、周りの人にとってはむしろ都合のいいことに感じるかもしれませんが。
私が私を傷つけられるということは、同じことを周りの誰か、大切な人たちにもする可能性が十分ある、ということだと思っています。
絶対にあり得ない、は存在しない
今まで大丈夫だったからこの先も大丈夫、なんて甘えた信用は要りません。
自分を攻撃できる私のままでは、いずれ大切な人も攻撃するだろうと思ってます。
或いは、嫌いな人に対して攻撃的な人の攻撃性や、正義感から生まれる攻撃性なんかも、一歩間違えば大切な人たち、守りたい人たちを傷つける諸刃の剣です。
だからって、これもまた先述した通り、怒りの感情そのものはとても健全なものですので、怒るなと言いたいわけでもありません。
どう怒るかを考えろというか、『怒り』と『八つ当たり』を区別して考えろというか。
私の場合、実際ちゃんと考え直してみれば、自分への攻撃性の8割は『八つ当たり』だと思いますね、はい。
だって別に、自分を守る方法って他にもあるはずじゃないですか。とてつもなく自分が嫌いだとか、ゆるせないとか、なんかもう怒りを超えて恨みとか憎しみとか、そういう感情になってる気がするんですよね。
怒りは健全でも、恨みや憎しみは完全に捻れてしまった感情ですからね。
流石にそこまでいってしまうと、健全とは言い難い。
自分に死ねと言えるなら、誰かにも死ねと言える
私は本当によく、自分に死ねという感情を抱いてきました。
最近は流石に、そこまでの感情を抱くことは少なくなってきましたがね。
それでもまだ、自傷ができてしまう程度には、感情がピーキーってことです。
自分を傷つけることができるのならば、誰かを傷つけることも容易。
人によっては、自分よりも他者の方が価値や優先度が低く感じる人もいるでしょうから、そういう人にとっては、本当に容易いことなのかもしれません。
私は偶然、他者よりも自分の方が、優先度は微妙ですが価値は低く感じているので、今のところ誰かに矛先が向きそうな感じはしませんが。それでもやはり、誰にも刃を向けない人に比べれば、根本的にリスクのある人間だなぁと感じます。
それでも最近は、うつ病が良くなってきたせいもあってか、自分にする否定を他者にもしてしまうことが増えてきた気がしています。でもどうやら、うつ病が良くなると出てくる症状あるあるっぽいんですよね、迷惑極まりない。
まだ、アクセルの踏み方をわかっていないみたいな。どこまでが言っていい現実で、どこからが言葉の刃になってしまうのかが分かっていないのか、分かっていても、長年自分に向け続けてきた言葉だから、感覚が麻痺して言われても当然な気持ちになっているのか。
何にせよ、このまま失礼なことをずけずけと言える人間を貫いていれば、切れすぎる刃になってしまいますからね。もう少し、自分と向き合う必要もあるし、社会に慣れる必要もあるかなと思います。
人付き合い、難しいですね。
人付き合いと言えるほどの人間関係は存在しませんが、狭い人間関係だからこそ、今いる人たちを大切にしたい。
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